「思い込み」

 とある豊(ゆたか)かな国に、遠く離れた国から商人(しょうにん)がやって来た。彼はとても珍(めずら)しい品(しな)を運んで来たので人々の噂(うわさ)になり、それがお城の中まで伝わって王女樣(おうじょさま)のお耳にも届(とど)いた。王女様はとても好奇心(こうきしん)が旺盛(おうせい)な方なので、早速(さっそく)、商人はお城に呼ばれた。
 王女様との謁見(えっけん)を前にして、商人はお付きの侍従(じじゅう)から注意を受けた。
「このお城では禁句(きんく)がございます。王女様の前では、大きいとか、膨(ふく)らんでいる、ぶくぶく、そして太(ふと)っているなどなど、これに似通(にかよ)っている言葉(ことば)を口にしないでいただきたい」
 商人は何のことだかその時は分からなかったが、王女様の前に出て納得(なっとく)した。商人と一緒(いっしょ)に来ていた供(とも)の者(もの)が小さな声でささやいた。
「何だありゃ? まるで、風船(ふうせん)のようじゃないか――」
 侍従が王女様と言葉を交わし、傍(そば)に来るようにと商人に促(うなが)した。商人は一礼(いちれい)すると王女様の前に進み出た。侍従が商人に言った。「献上(けんじょう)の品をこれに」
 商人はまた一礼すると、「王女様、こうしてお目にかかれて光栄(こうえい)でございます。私の国で食べられておりますものを、こちらの国の菓子職人(かししょくにん)に作らせました。とても美味(びみ)なのですが…、それは王女様には相応(ふさわ)しくないと存(ぞん)じます」
 王女様はがっかりしたように顔を曇(くも)らせた。商人はすかさず言った。
「ですが、幸(さいわ)いなことに、もっと相応しいものを持ち合わせております」
 商人はそう言うと、懐(ふところ)の中から小さな小ビンを取り出して、「これは満腹丸(まんぷくがん)と申(もう)しまして、これを一粒(ひとつぶ)飲めばまる一日満腹でいられるという薬(くすり)でございます」
 王女様は思わず身を乗り出して訊(たず)ねた。「そんな薬が、そなたの国にはあるのか?」
「はい」商人は小ビンを侍従に手渡して、「これは私の国に昔から伝わっているもので、長旅(ながたび)の時、空腹(くうふく)を紛(まぎ)らすために使われております。きっと王女様のお役(やく)に立つと存じます」
 王女様は、侍従から小ビンを受け取ると、まじまじとそれを見つめた。
 商人はさらに続けた。「ただし、これには注意(ちゅうい)していただく用法(ようほう)がございます。これを飲む時は、必ず空腹が我慢(がまん)できなくなった時にして下さい。そして、飲むのは一日に一粒だけです。くれぐれも満腹の時にお飲みにならないように」
 王女様は、商人に質問(しつもん)した。「満腹のときに飲むと、どうなるのか?」
「それは…、大変(たいへん)なことになります。お命(いのち)にかかわりますので、絶対(ぜったい)になさらぬように」
 ――一ヶ月後、商人がこの国を去(さ)るときが来た。最後の暇乞(いとまご)いに、王女様との謁見(えっけん)が許(ゆる)された。王女様を前にして、お供の者がまたささやいた。
「あらら、ずいぶんとしぼんじまったなぁ。まるで別人(べつじん)だ」
 王女様は淋(さび)しそうに商人に言った。
「もう帰ってしまうのか? もっと他国(たこく)の話しを聞きたかったが、残念(ざんねん)です」
 商人は一礼すると、「王女様のおかげで、この国での商(あきない)も上手(うま)くいきました。本当に、ありがとうございます。このご恩(おん)は、生涯(しょうがい)忘(わす)れることはないでしょう」
「私こそ、そなたのおかげで…。できれば、あの薬を、も少しいただきたいが…」
 お供の者がまたささやいた。「まったく、大将(たいしょう)も上手くやったもんだ。あんな、何の効(き)き目もない薬で、王女様を丸(まる)め込んじまうんだから…。大(たい)したもんだ」
<つぶやき>えっ、そうなの? 効き目はあったみたいなのに。思い込みってすごいです。
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2017年11月06日