超短編戯曲

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超短編戯曲

「恋愛マスター」

(再公開 2017/08/16)
野崎(のざき)は今話題の小説家。彼のもとへ編集者の立花葵(たちばなあおい)がやって来た。
野崎「恋の相談を僕に? でも、僕なんかが…」
「今、先生の書く恋愛小説は、若い女性の間ですごい人気になってるんです。ですから、今度、私どもで創刊(そうかん)する女性雑誌の目玉(めだま)として、恋愛相談を――」
野崎「無理だ。僕にはそんなことをしている時間はない。次の新作の準備もあるし」
「それは、分かってます。ですから、ほんのちょっとでいいんです。読者からのメールを読んでいただいて、簡単(かんたん)なコメントをいただければ、あとはこちらで…」
野崎「それじゃ、僕がやる必要は無(な)いだろ。君は、僕の名前を使いたいだけじゃないのか?」
「あっ、いや、けしてそういうわけじゃ…。大変、失礼しました」
葵、深々と頭を下げる。彼女はこの企画を通すのに必死なのだ。
「あの、勿論(もちろん)、内容については先生にチェックしていただいてからと言うことで…。ですから…、私も先生の恋愛小説のファンでして。すごく、共感(きょうかん)できるというか…。今、若い女性の間では、恋愛のバイブルみたいな――」
野崎「やめてくれ。僕が書いてるのはフィクションだ。ウソっぱちなんだよ」
「でも、先生は今まで沢山(たくさん)の恋愛小説を書かれていますよね。ですから、その…」
野崎「それが何だっていうんだ。僕が、恋愛のマスターとでも言いたいのか?」
「いえ、それは…。失礼しました。あの、私、どうしてもこの企画を…」
野崎「僕は、結末(けつまつ)がどうなるか分かってて書いてる。恋愛がどうのこうのなんて、僕には興味(きょうみ)ないんだ。だって、実際の恋愛の結末がどうなるかなんて、誰にも分かるわけないじゃないか。そんな…、もし恋愛の正攻法(せいこうほう)があるとしたら、僕の方が知りたいよ!」
野崎、次第(しだい)に興奮(こうふん)してくる。葵はどうしたらいいのか戸惑う。
「あの、先生? どうされたんですか?」
野崎「(我(われ)に返って)いや…、何でもない。そういうことだから、この話は…」
「そ、そんな。あの…。(何かを思いついて)今の感じでいいと思います。ビシビシと言ってもらったほうが、読者もきっと喜びますし。絶対、評判(ひょうばん)になるはずです」
野崎「君は、僕の話を聞いてなかったのか? 絶対無理だ! 僕にはできない」
「なぜですか? 理由を聞かせてください。そうじゃなきゃ、私…」
野崎「だから…。僕は…、一度も恋愛をしたことがない。そんなんで、アドバイスなんかできるわけないだろ。もう、帰ってくれ!」
葵、唖然(あぜん)として野崎の顔を見るが、言葉が出ない。
野崎「ふん…、笑いたけりゃ笑えばいいさ。そうだよ。僕は、恋愛小説を書いてるくせに、今まで一度だって女性と付き合ったことなんてないんだ。だから、女性の気持ちなんてまったく分からないし、どうすりゃ相思相愛(そうしそうあい)になるかなんて――」
野崎、頭を抱えてしまう。葵、なぜかホッとしたように、
「大丈夫ですよ。先生は、ちゃんと女性の気持ち分かってますから。それは、読者のみんなが知ってます。先生、もっと自信を持って下さい」
<つぶやき>先生は恋愛で何かトラウマがあるんだ。これがきっかけで恋が芽生えるかも?
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2013年06月30日

「おもかげ」

(再公開 2017/08/25)
落ち着いた雰囲気(ふんいき)の喫茶店。マスターの好みなのかジャズが微(かす)かに流れている。そこへ、男女の客が入って来る。二人が席につくと、マスターが注文を聞きにやって来た。
マスター「(男に向かって)お久しぶりですね。いつものでいいですか?」
智也(ともや)「ええ。お願いします」
マスター「(女に向かって)そちらは?」
百合恵(ゆりえ)「じゃあ、(メニューを見てちょっと迷ったが)カフェオレを」
マスター「かしこまりました。しばらくお待ちください」
マスターは席から離れていく。それを待っていたかのように百合恵が小声で、
百合恵「ねえ、ここへ来たことあるの?」
智也「ああ、たまにね。なかなかいい店だろ。ちょっと気に入ってるんだ」
百合恵「(店内を見回して)そうね。あたしも近くまで来たら寄ろうかしら。――ねえ、いつものって、なに頼んだの?」
智也は笑って誤魔化(ごまか)して、それには答えなかった。百合恵は話題を変えて、
百合恵「ねえ、覚えてる? 今日が何の日か。私たちが出会って、ちょうど一年よ。早いよね、もう一年たったなんて信じられない。そう思わない?」
百合恵は智也の様子がおかしいのに気がついた。何となく元気がないような。そこへウエイトレスが来て、二人の前に注文したものを置いていく。智也の前に置かれたものを見て驚く百合恵。ウエイトレスが行ってしまってから、
百合恵「クリームソーダ? 何で? えっ、智也ってそういうの飲むんだ」
智也「(意味ありげに笑うと)まあ、たまにだけどね」
智也はしばらくクリームソーダを眺(なが)める。その様子を不思議そうに見つめる百合恵。
数日後、同じ店に百合恵が一人でやって来た。彼女はカウンターの席に座る。
マスター「今日はお一人ですか? ご注文は?」
百合恵「じゃあ…。(何かを思いついてクスッと笑い)クリームソーダを」
マスター「はい。かしこまりました」
マスターが手際(てぎわ)よくクリームソーダを作り始める。それを見ながら百合恵が、
百合恵「あの、この前、あたしと一緒(いっしょ)に来た…」
マスター「近藤(こんどう)様ですか? 昔からよく来てくださる常連(じょうれん)の方ですよ」
百合恵「変なことを訊(き)きますけど…。彼、何でクリームソーダなんでしょう?」
マスター「ああ。もう、五、六年前でしょうか。一緒におみえになっていた女性の方が、いつも注文されていて。お一人でおみえになるようになってからは、いつもそれを」
百合恵「その女性って?――ごめんなさい。彼には、このことは内緒(ないしょ)で…」
マスター「(クリームソーダを百合恵の前に出しながら)はい。私も詳(くわ)しくは知らないんですが。交通事故でお亡くなりになったと聞いています」
百合恵「(ちょっとショックを受けて)そ、そうなんだ。全然知らなかったわ。彼ったら、まだその人のこと…。あーぁ、それじゃ、焼きもちも焼けやしないわ」
<つぶやき>好きだった人の面影は、いつまでも心の中に残ってる。それは誰にでも…。
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2013年08月26日

「サイケな彼女」

(再公開 2017/09/02)
三泊四日で友達と旅行に出かけていたママ。家族を残して旅行に出かけるのは初めてで、家のことが心配で目一杯(めいっぱい)楽しむことは出来なかった。何しろ、夫は家事は全くしないし。ママは家の中が悲惨(ひさん)なことになっていないか不安な気持ちで玄関を開けた。
ママ「ただいま。(返事がない)変ねえ。出かけてるのかしら?」
ママは廊下(ろうか)を通り居間(いま)へ入ろうとすると、居間の扉(とびら)が開いて中からパパが出て来た。
パパ「(後ろ手に扉を閉めて)お帰り。早かったね。帰りは夜になるんじゃなかったの?」
ママ「うん、そのつもりだったんだけど。先に帰って来ちゃった」
パパ「(扉の前で)そ、そうなんだ。ゆっくりしてくればよかったのに…」
ママ「ねえ、そこどいてよ。入れないでしょ」
パパ「あーっ、そうだね。荷物、持ってあげるよ。(荷物を受け取り)おっ、おもっ」
ママ「おみあげ、一杯買って来ちゃった」
居間の中から「もういいよ」と子供たちの声がする。
ママ「なあに? 何かあるの?」
パパ「いや、何でもないよ。(ママを先に行かせて)みんな、ママの帰りを首を長くして…」
居間に入るママ。部屋の中は思っていたより奇麗(きれい)になっていた。ママは少しホッとして、駆け寄ってきた子供たちを抱きしめる。
ママ「良い子にしてた? パパを困らせたりしなかったでしょうね?」
息子「うん。ちゃんとお手伝いしたよ。ねえ、僕のお土産(みやげ)はなに?」
「ねえ、ママ。あたしね、ちゃんとお掃除(そうじ)とかしたわよ。奇麗になってるでしょ」
ママ「(部屋を見回して)そうね、ありがとう。でも――」
ママは何か違和感(いわかん)を憶(おぼ)えて言葉を切る。いつもの部屋なのだが、何かが違う。その何かが何なのか、ママには分からなかった。
パパ「どうかした?(何かを誤魔化(ごまか)すように)疲れただろ。今日はゆっくりして…」
その時、寝室のほうからサイケな若い女が出て来る。彼女は意味深(いみしん)に微笑(ほほえ)みかけると、
「そんじゃ、あたし、時間なんで帰るわ。あとよろしく」
「えっ、まだいいじゃない。もう少しいてよ。お願い」
女はそのままスタスタと玄関へ。子供たちは後を追いかける。
ママは唖然(あぜん)とした顔をして見送る。女が居間から出て行くと、
ママ「ねえ、今の娘(こ)、誰? 何で私たちの寝室にいたの?」
パパ「(恐る恐る)あ…、あの人はね、ほら、子供たちのことを見てもらおうと…」
ママ「はい? どういうこと。分かるように説明してよ」
パパ「だから、ベビーシッターっていうか、その、ママの代わりに、いろいろと…」
ママ「そんな話、聞いてないけど。それに、なに、あの娘(こ)の格好。あんな…」
パパ「でも、とってもいい娘(こ)なんだよ。ちょっとしゃべり方がフレンドリーすぎるけど、とっても気がつくし。――勿論(もちろん)、君ほどじゃないけど」
ママ「(パパへ疑(うたが)いの目を向けて)そうなんだ。――じゃ、どんなことをしてもらったのか、今夜じっくり聞かせてもらおうじゃない」
<つぶやき>奥さんのいない間に、勝手なことをしないようにね。後で何を言われるか。
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2013年11月07日

「ご主人さま」

(再公開 2017/09/08)
とあるアパートの一室。運送業者が大きな段ボール箱を運び込んでいた。その様子を困(こま)った顔をして見つめるタクミ。運送業者は部屋の真ん中に箱を置くと、受取のサインをもらって帰っていく。タクミは箱に貼(は)られた送り状を見て、
タクミ「まったく、お袋(ふくろ)、なに送ってきたんだよ。こんなでっかいの…」
タクミは箱を蹴飛(けと)ばすと、携帯を取り実家へ電話をかけようとする。その時、箱の中からピーッという小さな音が聞こえた。タクミは箱に近づく。また音がする。
タクミ「何なんだよ。また、変なもんじゃないだろうな」
タクミは梱包(こんぽう)を取ると、箱に貼られた荷造りテープを勢いよくはがす。そして箱を開けると、ワッと悲鳴をあげてその場で腰を抜かした。
タクミ「(震える声で)何だよ。何で、人が入ってんだよ。えっ、まさか死体?」
タクミは恐る恐る腰を上げて箱の中を覗(のぞ)こうと。その時、人の顔が飛び出してきた。タクミはまた悲鳴をあげて倒れ込む。中から出て来たのは女の子。女の子は箱から飛び出ると、部屋の中をぐるっと見回した。そしてタクミに視線を合わせると、
ヨシエ「(機械的な声で)ご主人さまを確認。これより任務(にんむ)を遂行(すいこう)します」
タクミ「なに? 何なんだよ。君は、一体誰だ? どうしてここに」
ヨシエ「私はヨシエ。横田好恵(よこたよしえ)のオーダーでやって来ました。あなたをサポートするようにプログラムされています」
タクミ「好恵って、お袋の名前じゃない。それに、何だよサポートって?」
ヨシエ「ご主人さまのデータはすべてインプット済(ず)みです。ご主人さまの健康管理から婚約者の選別(せんべつ)までサポートします」
タクミ「いいよ、そんなこと。サポートなんか必要ないから、もう帰ってくれ」
ヨシエ「そのオーダーはお受けできません。ご主人さま、現在、お付き合いしている女性は存在していますか?」
タクミ「そ、それは…。何で、お前にそんなこと言わなきゃいけないんだよ」
ヨシエ「微妙(びみょう)、微妙…。室内に女性の持ち物発見できず。存在しない確率92%」
タクミ「もういい加減にしてくれよ。帰らないと警察呼ぶぞ!」
タクミはヨシエの腕(うで)をつかみ引っぱろうとする。が、びくともしない。
ヨシエ「しつけモードに切り替えます。反抗(はんこう)は許(ゆる)されません」
ヨシエはタクミのえり首をつかむと、片手でグイっと持ち上げた。タクミは手足をバタつかせもがくが、逃げることができない。たまらず、
タクミ「分かった。分かったから、放(はな)してくれ…」
ヨシエ「(手を放し)しつけモード解除。今から観察モードに入ります。ご主人さまの行動を観察し、問題点を洗い出します。さらに、現在、接触(せっしょく)している女性の中から、婚約者にふさわしい人物を選別していきます」
タクミ「まさか、会社までついて来るっていうのか? そんなこと止めてくれよ」
ヨシエ「そのオーダーは却下(きゃっか)します。すでに、同行(どうこう)の許可(きょか)は得(え)ています」
<つぶやき>もしこんなアンドロイドが現れたら、もう大変なことになっちゃうかもね。
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2014年03月02日

「脅迫」

(再公開 2017/09/16)
ホテルの一室。室内は間接(かんせつ)照明だけで薄暗くなっている。女が一人、ソファに座り室内の一点を見つめていた。ドアのノックの音が静寂(せいじゃく)を破(やぶ)った。女は意(い)を決して立ち上がると、ドアのロックを外して扉(とびら)を開ける。外にはよれよれのコートを着て、サングラスをかけた男が立っていた。女は無言で男を室内に招(まね)き入れてドアを閉め、後ろ手にドアのロックをかけた。男は座り心地のよさそうなソファにどかっと座る。
「さっそくだが、本題に入らせてもらうよ。こっちも少し訳ありでさ」
女はニヤついている男を見ながら、用意していたウイスキーとグラスを手にして、
「そんなに急がなくても。一杯どう? ごちそうするわ」
「悪いが、こっちも仕事なんでね。後にしてもらえるかな」
「そう。それは残念(ざんねん)」
女は二つのグラスをテーブルに置くと、自分のグラスだけにウイスキーを注(そそ)いだ。
「じゃあ、私は頂(いただ)くわね。(ウイスキーを一口飲んで)その前に、確かめたいわ。あなたが私の何を知っているのか。適当(てきとう)なこと言ってるだけじゃないの?」
「(不敵(ふてき)な笑(え)みを浮かべ)俺が何を知ってるかなんてどうでもいいじゃないか。あんたは俺の誘いに乗った。ということは、やましいことがあるんだろ」
「それは違うわ。根も葉もないことで、煩(わずら)わされたくないだけよ」
「ホントにそれだけかよ。それだけで金を出すなんて、あんたも変わってるな。まあいいや。で、いくら払ってくれるんだ?」
「それは、そちら次第(しだい)よ。あなたが知っていることを、話して頂かなくちゃ」
「ホントに食えねえ女だな。じゃあ、一つだけ教えてやるよ。あんたは、ある男と不倫(ふりん)をしていた。それも、かなりの大物とな」
女はくすりと笑う。男は怪訝(けげん)そうな顔で女を見つめた。
「あら、ごめんなさい。何だかおかしくて。フフフ…」
「そんなに面白(おもしろ)いかい? じゃあ、これならどうだ。その男が、なぜ死んだのか」
「もういいわ。じゃあ、こうしましょ」
女は立ち上がると、ソファの後ろからボストンバッグを出してテーブルの横に置いた。
「ここに一千万あるわ。これで忘れてもらえるかしら?」
「(バッグを取り中を確かめて)ハハハハハ…。ありがてえ、これだけありゃ」
「(ソファに座り)じゃあ、これで契約(けいやく)成立ね」
「ああ、これはもらっておくよ」
男は女のグラスを取り、ウイスキーを一気に飲み干した。そして立ち上がると、
「じゃあ、また連絡するよ。あんたほど上得意(じょうとくい)はいないからな」
男はニヤリと笑い、女に背を向けると二、三歩(ぽ)歩き出す。と、突然(とつぜん)苦しみ出して、その場に倒れ込んだ。女はもがいている男を見つめながら言った。
「残念ね。あなたは心臓発作で死んじゃうのよ。そしたら、集金に来られないわね」
突然、「はい、カット」と声がかかる。スタッフのざわついた声が部屋に響いた。
<つぶやき>よかったぁ。これはドラマの撮影だったんですね。二時間ドラマなのかな?
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2014年03月22日

「家事手伝い」

○とあるマンションの部屋
五郎(ごろう)が一人暮らしをしている家。彼は几帳面(きちょうめん)な性格(せいかく)でいつもならきれいに整頓(せいとん)されているはずなのだが、今は足の踏(ふ)み場もないほど散(ち)らかっている。その中で何かがうごめいているような、そんな気配(けはい)が感じられる。
○同マンションの玄関中
鍵(かぎ)を開ける音。五郎が仕事から帰って来る。ドアを開けて中に入ったとたん、あまりの変わりようにしばし唖然(あぜん)として立ちつくす。彼は慌(あわ)てて靴(くつ)を脱ぐと、置かれている段ボール箱などを押しやりながら部屋に入って行った。
○同マンションの部屋
部屋の入口で立ちつくす五郎。思わず叫(さけ)んだ。
五郎「何じゃ、こりゃ…! ど、どうなってるんだ!」
部屋に置かれたソファの陰(かげ)から、のっそりと顔を出した若い女。五郎に気づくと、すっとソファの陰へ隠(かく)れる。五郎は散乱(さんらん)している雑誌や服などに足を取られながらも何とかソファまでたどり着くと、女の首根(くびね)っこをつかんで引っ張り上げた。
五郎「何をしている。これはどういうことなんだ? ここは俺の…」
女は五郎の手から逃れると部屋の隅(すみ)へ行って、ぎこちなく愛嬌(あいきょう)を振(ふ)りまいて言った。
「ごめんなさい。どうしてもお引っ越し、しなくちゃいけなくなって…」
五郎「一晩(ひとばん)だけって約束(やくそく)だろ? だから、今朝だって出るとき合鍵(あいかぎ)渡してポストにって…。そうか、最初っからそのつもりで…。なに考えてんだ!」
五郎は女に迫(せま)って行く。女はちょこまかと逃げ回りながら、
「違(ちが)うの、そんなつもりじゃなかったの、信じて。ちゃんと話すから、聞いてよ」
五郎は立ち止まる。女は息を整(ととの)えると、
「朝、帰ったら大家(おおや)さんがいて…。わたし、家賃(やちん)を滞納(たいのう)してて…、それで出てけって。わたし、ためてた家賃払ったんだけど、許(ゆる)してくれなくて…」
五郎「だからって、俺のところへ来なくてもいいだろ。実家(じっか)とか、友だちの――」
「ごめんなさい。でも、そのお金、あなたに借(か)りちゃったから。そこの引出(ひきだし)にあった…」
五郎、慌てて引き出しを開けて確かめる。愕然(がくぜん)とする。
五郎「ああっ、忘れてた。(震える声で)この金は…、俺が…、俺が…」
「ごめんなさい。わたし、ちゃんと返すから。それまで、ここにおいてもらえないかな?」
五郎「はぁ? なに言ってるんだ。冗談(じょうだん)じゃないぞ。泊(と)まる所がないっていうから…。それを、こんなのってありかよ。俺、バカみたいじゃないか」
「わたし、ほんとに感謝してるのよ。見ず知らずのわたしを、下心(したごころ)なしに泊めてくれて…。ほんとに良い人だと思ってる。だから、ちゃんとしないといけないと思って」
五郎「お前、仕事は? ちゃんと仕事してれば、そんなことにはならないはずだ」
「あの、何ていうか、いろいろあって…、今は無職(むしょく)…? 仕事は探してたのよ、わたしなりにちゃんと…。でも、なかなか…、やっぱり不景気(ふけいき)なのかしらね…。あの、それでね…、今日からは家事手伝いってことで、よろしくお願いします」
<つぶやき>大丈夫なんでしょうか? 彼女に、家事が出来るとは思えないんですが…。
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2016年07月30日
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