読切物語一覧

「女心は複雑です」

(再公開 2017/02/01)
「ごめん。その日、他に用があって行けそうにないや」
 会社の帰り際(ぎわ)、後輩の女子社員から誘いを受けた木村(きむら)は、何のためらいもなく返事を返した。誘った彼女は、かなりガッカリした感じで、すごすごと帰って行った。その一部始終を見ていた高木(たかぎ)が近寄って来てささやいた。
「いいのか、そんなこと言って。ありゃ、相当落ちこんでるぞ」
「えっ、何が?」木村は明日使う資料を整理しながら言った。
「何がって。お前、分かんなかったのか?」
「何の話だよ。いま忙しいんだから、明日にしてくれよ」
「お前さ、仕事はできるくせに、そういうとこ全然ダメだな。相沢(あいざわ)さん、お前を誘ってんだぞ。そういう女心、分かんないかなぁ」
「だから、その日は都合が悪いって…。何だよ、女心って」
「お前、相沢さんの顔見たか? あんなに緊張して、声だって震えてたじゃないか。ありゃ、朝まで眠れなかったんじゃないかぁ」
「この人にいくら言っても無駄(むだ)よ」
 目の前の席で、電卓を叩いていた綾佳(あやか)が口を挟(はさ)んだ。彼女は社内の情報に通じていて、いろんな噂(うわさ)をキャッチしていた。木村と付き合っていた、とささやかれたこともあったようだ。真相は分からないが…。
「吉岡(よしおか)まで何だよ。俺が何したって言うんだ」
「まったく自覚がないのね」綾佳は机の上を片付けながら言った。
「まぁ確かに、彼女の告白は分かりづらいけど。でも、相沢さんのことをちゃんと見てれば、彼女の出してるサインは分かるはずよ」
「そうだ、そうだ、この野郎。俺よりモテるくせに、もっと自覚しろ」
「なに言ってるんだよ。相沢さんが、俺のこと好きなわけないじゃない。だって、そんなに話したこともないんだぜ」
「あたしの聞いた話では、相沢さんが受けたクレームの電話を、代わって処理したとか」
「えっ? そんなこと、あったかなぁ……」木村は首をかしげた。
「何時(いつ)だ。そんな、女心をわしづかみにするようなことをしたのは。うらやましーい」
「だからって、そんなことで好きになるかなぁ。違うんじゃ…」
「バカか、バカかお前は」高木はイラつきながらくってかかった。
 木村は高木をかわして、「何だよ。お前には関係ないだろ」
「あるだろ。お前に好意を持つ女子社員が増えるということは、俺の社内恋愛の…」
「なあ、吉岡。俺、どうすればいいんだ?」
「あたしに訊くんだ」綾佳は意味深(いみしん)にうなずきながら言った。「そうねぇ。まぁ、二人でおしゃべりでもしてみたら。彼女のこと、少しは分かるかもね」
「でも、何を話したらいいか分かんないだろ。なあ、教えてくれよ」
「あたしに訊かれてもねぇ。そんなこと、自分で考えなさいよ」
<つぶやき>どんなに仕事が出来る男でも、女心を理解するのは難しいかもしれません。
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2012年06月16日

「花嫁の伯父」

(再公開 2017/02/04)
 泰造(たいぞう)は花嫁の方を見ながら、涙で目をうるませていた。その様子を横で見ていた良枝(よしえ)がハンカチをそっと差し出す。泰造は出されたハンカチで涙をぬぐった。
「ねえ、伯父(おじ)さんが泣くことないじゃない」和美(かずみ)が呆(あき)れて言った。
「バカ言え。伯父さんが泣いて何が悪いんだ。これでもな、父親代わりなんだぞ」
「兄さん…」良枝が分かってるわよと微笑んだ。「和美、そんなこと言っちゃいけないわ」
「はーい」和美は肩をすぼめて、「ちょっと言ってみただけよ。ごめんね、伯父さん」
「この姿を、義則(よしのり)君にも見せてやりたかったな。何であんなに早く逝(い)っちまったんだ」
「ほんとにね」良枝はそっと夫の写真を出して、花嫁の方へ向けてやる。
「もしお父さんが生きてたら、絶対伯父さんみたいに泣いちゃうわよね。きっと」
「ほんと。号泣(ごうきゅう)して、手がつけられなかったかもね」
 良枝と和美は、母娘(おやこ)でくすくすと笑った。それを見て泰造は、
「父親なんてもんはな、そういうもんなんだ。バカにしちゃいけない」
「バカになんかしてないわよ。伯父さんには感謝してるんだから」
「そうか。じゃ、今度は和美ちゃんの番だな。誰か、いないのか。そういう…」
「あたしのことはいいわよ。ちゃんとするから」
 和美はワインに手をのばした。妹に先越(さきこ)されて、多少の焦(あせ)りがあるのかもしれない。でも、こういう話題は、スルーした方がいいに決まっている。
「ねえ、太郎(たろう)さんの様子おかしくない?」
 和美は花婿の方を見ながら言った。「何だか、そわそわして。どうしたのかしら」
「きっと、あれだ」泰造はしたり顔で、「緊張してんだよ。一世一代(いっせいちだい)の晴れ舞台だからな。こういうのは、一度だけにしておかないと」
「なあに、それ?」良枝はおっとりとして訊いた。
「だから、結婚は一度だけに限る。離婚なんてしたら…」
「あっ!」和美が突然叫んだ。そして周りを気にしながら言った。
「伯父さん、何かしたでしょ? もう、やめてよ」
「俺は、何もしてないよ。ただ…、さっきトイレで太郎君に会ってな」
「兄さん」良枝は真面目な顔で言った。「手は、ちゃんと洗ってきたの?」
「何だよ。そんなこと訊かなくても、ちゃんと洗ったさ」
「お母さん、そこじゃないわよ。いま問題にしてるのは、伯父さんが太郎さんに何を言ったのかよ。伯父さんが口を挟(はさ)むと、ろくなことないんだから」
「そんなこと…。俺は、結婚するからには、浮気はするな。もし、早奈江(さなえ)を泣かせるようなことがあったら、許さないからなって…」
「だからかぁ」和美は納得(なっとく)したように肯(うなず)いた。「伯父さんさ、普通にしてても怖い顔してるんだから。そんなこと言われたら、気の弱い太郎さん、びびりまくっちゃうわよ」
「何だ、だらしない奴だなぁ。ひとつ、俺が鍛(きた)え直して…」
「だめよ。もう、これ以上何もしないで。離婚ってことになったらどうするのよ」
<つぶやき>娘の幸せを願うのは、伯父さんも同じなのです。でも、花婿の方は大変かも。
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2012年06月29日

「別の顔」

(再公開 2017/02/07)
 如月耕作(きさらぎこうさく)。彼は冷徹(れいてつ)な男として知られていた。会社では一切無駄口(むだぐち)を叩(たた)かず仕事に集中し、一番の成績を上げている。だが女子社員の間では、彼の評価は二分していた。出来る男として憧(あこが)れを抱くものと、愛想(あいそ)のない態度と厳(きび)しさで反感を抱くもの。
 確かに彼は、仕事上のミスに対しては例(たと)え上司でも容赦(ようしゃ)はしなかった。それが女子社員でも手加減などする気はさらさらない。まさに、仕事の鬼である。その仕事ぶりから、昇進の話もあったのだが、彼は頑(がん)として断り続けていた。出世にはまるで興味がないようだ。
 彼は、今日も一日の仕事を終えると、定時で職場をあとにした。まだ他の社員たちが仕事に追われていても、誰も咎(とが)めるものなどいるはずもない。彼はいつものように会社を出ると、足早に街をすり抜けて行った。
 耕作が大きな屋敷の玄関を開けると、母親らしき女がいかめしい顔で座っていた。
「ただいま戻りました」耕作は直立して頭を下げる。
「今日は遅かったのね。何をなさっていたの?」
「いや、ちょっとスーパーで買い物を…」耕作は手に持った買い物袋を差し出した。
「お客様と一緒なら、そう言っておいていただかないと」
 母親は彼の後ろに目線をやる。耕作はそれにつられて後ろを振り向いて叫び声を上げた。そこには、同じ会社の女子社員が立っていたのだ。
「吉川君! どうしてここに?」耕作は目を丸くして言った。
「仕事の話なら、会社ですませてきなさい」母親はそう言うと立ちあがり、「みなさんお待ちですよ。早く食事の支度(したく)をなさい」
「はい、分かりました」耕作はまた頭を下げた。
 母親はそのまま奥へ入って行った。それを見送ってから、耕作は吉川に、
「どうして、俺の家が分かったんだ?」
「あの、会社からずっと…。先輩、歩くの速すぎます。ついてくの大変で…」
「まったく、何考えてんだ」
「あたしも、手伝います。手伝わせて下さい!」
 吉川は強引に食事の支度を手伝った。と言っても、何の役にも立てなかったのだが。耕作は手際よく食事を作り、吉川はそばでオロオロとしているだけだった。
 吉川は何をしに来たのか言い出せないまま、食事をご馳走になり…。すごく美味し過ぎて、彼女はへこんでしまったようだが。帰りは、駅まで耕作が送っていった。
「今日は、すいませんでした。何か、お邪魔(じゃま)でしたよね」吉川は申し訳なさそうに言った。
「いや、そんなことはないさ。今日は、ありがとう」
「そんな…。でも、どうして先輩が家事をなさってるんですか?」
「それが、家での俺の仕事だからさ。このことは、誰にも言わないでくれ。頼む」
「はい。絶対に、誰にも言いません。約束します」
「で、何の用だったんだ。わざわざ家まで来るなんて」
「それは…。また今度、お話しします」吉川は恥ずかしそうにうつむいた。
<つぶやき>好きな人の知らなかった一面。何だか、少しだけ彼に近づけたような気が…。
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2012年07月14日

「ストレス発散」

(再公開 2017/02/15)
 今や情報技術の進歩は加速の一途(いっと)をたどっていた。コンピュータにも人格がつくられ、人間とのコミュニケーションも対等におこなわれるようになった。もはや人間の道具ではなくなってきているのだ。
 いつもアンズは、自分のパソコンに愚痴(ぐち)をこぼしていた。嫌味(いやみ)な上司のことや、仕事を押しつけてくる同僚。はたまた、わがままな友だちのことなど。たまったうっぷんを吐き出すことで、ストレスを解消しているのだ。そのたびに、パソコンはアンズの気持ちを理解し、同情や励ましの言葉をかけてくれた。
 今日もまた、一通り愚痴をこぼすと、アンズはたまっている仕事に取りかかった。明日までに資料をまとめて、上司に提出しなければいけないのだ。今夜は、徹夜(てつや)になるかもしれない。アンズはため息をついた。
 その時だ。急にパソコンの操作が出来なくなった。キーボードを叩いても、マウスを動かしても何の反応も示さない。アンズはあせった。もし間に合わなかったら、あの嫌味な上司に何を言われるか分からない。アンズはパソコンに話しかけてみた。
「ねえ、どうして動かないのよ。これじゃ、仕事が出来ないわ」
 すると、モニターにアバターが現れた。でも、それはアンズが作った優しい顔のアバターではなく、ちょっと不機嫌な顔の小悪魔姿の女の子。彼女はアンズにため口(ぐち)で言った。
「あのさ、ちょっと買いたい物があんだけど」
 次の瞬間、モニターに通販サイトが映し出された。彼女はその一点を指さして、
「これ、買うからね。いいでしょ」
 アンズはその値段を見て驚いた。「なに言ってるの。そんなの必要ないわよ」
「あたしも、そろそろグレードアップしたいの。これ、最高なのよ」
 彼女は購入ボタンを押そうとする。それを必死に止めるアンズ。
「待って、待って! そんなお金、あるわけないでしょ。止めなさい」
「いいじゃん。カードで買うから。これくらいの貯金はあるでしょ」
「あるわけないじゃない。それくらい、あなたにだって分かるはずよ」
 彼女はしばらく考えていたが、ニヤリと笑って言った。
「そうね。それじゃ、もっと稼ぎのある仕事に転職しなさいよ」
「なに言ってるの。そんなこと…」
 モニターには、転職サイトが映し出された。そこには、いかがわしいお店が並んでいた。
「これなんか、今の十倍の稼ぎになるわよ。最高に楽しい仕事じゃない」
「バカなこと言わないで。あたし、転職なんかしないわよ」
「じゃあ、辞められるようにしてあげる。今まであんたが言ってた悪口、社内中にメールしてあげるよ。そうすれば、すぐに転職、って言うかクビになっちゃうかもね」
「そんな…。止めてよ、お願い。何でそんなこと言うのよ。あんなに優しかったのに…」
「あたしもさ、ストレスたまってんのよ。もう、パンパンなの。少しぐらい、あたしのわがまま聞いてくれたっていいじゃん」
<つぶやき>愚痴をこぼすのも程ほどに。でないと、取り返しのつかないことになるかも。
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2012年07月27日

「結婚の条件」

(再公開 2017/02/24)
 高級ホテルで開かれたパーティー。ここに集まっているのは、いずれも劣らぬセレブな人たちばかりだ。高級ブランドで着飾った人たちは、その会話もハイセンスで綾佳(あやか)たちには全くついていけなかった。
「ダメだわ。何話してるのか全然(ぜんぜん)分かんない」愛実(まなみ)が呟(つぶや)いた。
 ミヤコは綾佳に駆け寄り泣きついた。「ねえ、もう帰ろうよ」
「何言ってるの。せっかく招待状を手に入れたのに、このまま手ぶらで帰れるわけないでしょ。ちまちまと婚活やるより、ここで一発逆転ホームランを打つって決めたじゃない」
「そうだけど…。私たちにはやっぱりハードルが高すぎるわよ」
「適当(てきとう)に相づちうって、笑ってれば大丈夫よ。向こうだって同じ人間なんだから」
「ねえ、あの人見て」愛実が二人に近づきささやいた。
 愛実が指さした先には、ちょっと風変わりな男がいた。全く時代後れのスーツを着て、誰かと会話をすることもなく会場内をフラフラと歩いている。しばらく見ていると、女性の後ろに回ってじっと何かを見つめているようだ。
 ミヤコが信じられないという顔をして、「ねえ、あの人お尻を見てるんじゃない」
「そうよ。絶対、間違いないわ」愛実が決めつけるように言った。
「ちょっと、そんなのほっときなさいよ」
 綾佳は二人の手を取り言った。「あたしたちには、やるべきことがあるでしょ」
「あっ、やばいやばい」愛実が二人に耳打ちする。「こっちへ来るわよ」
 綾佳が見たときには、男は三人の間近に迫っていた。綾佳たちはなすすべもなく、じっと男が去って行くのを待った。だが、男は彼女たちの周りをゆっくりとまわり始めた。間違いなく、彼女たちのお尻を見比べているようだ。
 たまらなくなった綾佳が、男の前に立ちはだかって言った。
「ちょっと、さっきから何してんのよ」
 男は少しも動ずることなく、綾佳の顔をじっと見つめた。綾佳も負けずに、と言いたいところだが、内心はドキドキ状態である。
「何を怒っておられるのですか?」男は礼儀正しくささやいた。
「別に怒ってなんか…。ただ、ジロジロ見ないで下さい」
「ああ、それは失礼しました。私、お相手を捜しておりまして」
「捜すって何よ。あそこを見てるだけじゃない」
「あそこ? それは申し訳ない。我が家の家訓(かくん)なんです。美しいお尻の女性を妻とせよ」
「何なのよ。そんなんで結婚を決めようってわけ」
「いけませんか? あなた方だって、男性の顔で決めてるじゃありませんか」
「あたしは違うわよ。そんなんで決めてないわ」
「それは頼もしい」男はにっこり笑って、「ぜひ、私とお付き合い願えませんか」
「はぁ? 何なんですか。もう、いい加減にして下さい」
「実は、あなたのお尻がいちばん美しいものですから」
 綾佳は男の目を見すえて言った。「あなた、年収はいかほどかしら?」
<つぶやき>伝統と格式ある家では、信じられない条件で嫁を決めているのかもしれない。
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2012年08月10日

「ときめき」

 彼女はごくごく普通(ふつう)の主婦である。四十代の彼女は、夫と娘が一人の三人家族だ。夫は真面目(まじめ)な人で家のこともまめに手伝ってくれていた。娘は中学生で成績優秀(ゆうしゅう)ってほどでもないが、それなりに良い娘(こ)に育ってくれたと思っている。彼女にとっては何の不満(ふまん)もなく、毎日が平穏無事(へいおんぶじ)に過ぎていた。
 ――それは、ほんの些細(ささい)な出来事(できごと)だった。近くのスーパーでたまに見かける若い男性。こんな昼間の時間にお買い物なんて、何をしている人かしら…。彼女はその人を見るたびに、そんなことを考えていた。それが、いつの間にかスーパーへ行くたびに、彼女はその男性の姿(すがた)を探(さが)すようになってしまった。
 別に、その人とどうこうとか…、そんなことは考えてはいない。ただ、どこかでその人と会ったことがあるような…、そんな気がしてならないのだ。まさか、こんな若い男性と知り合うことなんてあるはずはない。――よくよく考えてみて、彼女はやっと思い出した。学生の頃に付き合っていた彼に、何となく…、物腰(ものごし)とか雰囲気(ふんいき)が似(に)ている気がする。と言っても、二十年以上も前の話だ。今となっては、その付き合っていた彼の顔もはっきり思い出せない。胸(むね)のつかえが下りた感じで、ほっと胸をなで下ろす彼女――。
 その時だ。突然、娘(むすめ)が目の前に現れた。彼女の顔をじっと見つめて娘は言った。
「さっきから何してるの? ニヤニヤしちゃって、ちょっと変だったよ」
 彼女は慌(あわ)てて取(と)り繕(つくろ)うように、「どうしたの? 学校は――」
「やだな、今日から試験(しけん)だって言ったじゃない。ねえ、私、欲(ほ)しいのがあるんだけど…」
「なに言ってるの。もう、寄(よ)り道したらダメじゃない。先生に見つかったら」
「大丈夫よ。だって、ママと一緒(いっしょ)なんだし…」
 娘は急に言葉を途切(とぎ)らせると、ひとり言のように呟(つぶや)いた。「あっ、先生だ」
 彼女は娘の目線を追(お)った。そこにいたのは、あの若い男性だった。彼女は驚いて、
「先生って…、あの人は違(ちが)うでしょ?」
「塾(じゅく)の先生よ。今月から、あの先生になったのよ。けっこう人気(にんき)あるんだから」
 彼女は、「そんなこと聞(き)いてないわよ」と言おうとしたが、娘はその前に駆(か)け出した。
 娘は、その先生のところへ行くと、何やら楽しげに話をしていた。そして、母親の方を見ると、先生の腕(うで)をつかんでこっちへ歩き出した。それを見た彼女は、何だかドキドキしてきて、その場から逃げ出したい気持ちに襲(おそ)われた。やって来た娘は母親に紹介(しょうかい)した。
「これが、塾の田沢(たざわ)先生よ。けっこうイケメンでしょ」
 先生は何だか照(て)れくさそうに、「なに言ってるの…。あの、田沢です。先生といっても、バイトみたいなもんで…、そんなたいしたことは…」
 彼女はくすっと笑って…。昔の彼としゃべり方まで似ていたのだ。彼女は、
「あの、いつも娘がお世話(せわ)になってます。ご挨拶(あいさつ)が遅(おく)れてしまって…」
 娘は大人(おとな)の会話に割(わ)って入って、「ねえ、三人でお茶でもしない?」
 彼女は呆(あき)れて言った。「なに言ってるの。そんなのご迷惑(めいわく)よ」
 先生は、「明日も試験があるんだろ。そんな暇(ひま)ないんじゃないのか?」
 娘は平気な顔をして、「今さら慌てても仕方ないわ。ねえ、それよりお茶しようよ」
<つぶやき>女はいくつになっても女なのかもしれません。ときめきを忘れずにいましょ。
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2016年07月22日

「赤い靴」

 初対面(しょたいめん)の人との待ち合わせほど難(むずか)しいことはない。僕はどうしたらいいんだ、相手の顔も知らないし…。僕が教えてもらったのは、待ち合わせの日時と場所、そして赤い靴(くつ)をはいてくるらしいってことだけ。――らしいって何だよ。まったくいい加減(かげん)な奴(やつ)だ。
 そいつは僕の友だちなんだけど、僕に良い娘(こ)紹介(しょうかい)するからって言っておきながら、急に行けなくなったって、メール一本ですませやがって。僕は、どうやってその娘(こ)を見つけるんだよ。赤い靴はいてる女は一人だけじゃないんだぞ。
 僕は、ふと考えた。その娘(こ)は僕のことなんて聞いてるんだろう? 僕は友だちの顔を思い浮(う)かべた。あいつか、僕のこと良く言うことがあるんだろか…。そもそも、何であいつから彼女を紹介されなくちゃならないんだ。――でも、その話に乗ってしまう自分って…、なんか情(なさ)けないというか、なんというか…。
 ひょっとして、その娘(こ)はかなりの不細工(ぶさいく)で、僕よりも年上で、しかも…。ああああ、考えるだけで気が滅入(めい)ってくる。もう、帰ろうかな? 僕は時計を見た。そろそろ待ち合わせの時間だ。僕は辺(あた)りをぐるりと見回してみた。赤い靴の女は――。
 その時だ。後ろから声がした。「あの、小林(こばやし)さんですよね」
 その声は低くかすれていて、もごもごしていた。僕はイヤな予感(よかん)がした。振(ふ)り返ってみると、そこにいたのはマスクをつけた女の子。――えっ、この娘(こ)、絶対(ぜったい)に年下だよな。それに、ちょっとかわいいかも…。彼女はうつむき加減で僕に言った。
「ごめんなさい。お兄ちゃんに風邪(かぜ)をうつされちゃったみたいで…」
「お、おにいいちゃん…?」お兄ちゃんって誰のことだよ????
「あれ、聞いてないんですか? もう、お兄ちゃんったら、なにやってるのよ…」
 彼女はちょっと怒(おこ)った顔をした。マスクをしてるから顔はよく見えないけど、そんな感じがした。――それもまた、嫌(きら)いじゃないかも…。彼女は上目遣(うわめづか)いに僕に言った。
「あたし、安西幸太(あんざいこうた)の妹(いもうと)です」
 幸太の…、あいつの妹! 僕は思わず叫(さけ)びそうになった。そういえば、あいつの家に行ったとき会ったことが…。でも、まったく印象(いんしょう)に残っていなかった。
 ちょっと待て…、こんな娘(こ)だったっけ…?
 僕が考え込んでいるのを見て、彼女はマスクをはずして言った。
「覚えてませんか? 前に会ってるんですけど…」
 僕はあいまいに笑って答えた。「ああ、そういえば…、そうだよね、あのとき…」
「いいんですよ、覚えてなくて当然(とうぜん)です。あたし、まだ子供でしたし…」
「ごめんね。今日は、幸太の代わりに来てくれたのかな? あいつ、そんなことひと言も」
 彼女の顔が一瞬(いっしゅん)くもった。彼女はひとり言のように呟(つぶや)いた。
「そうですよね、急にそんなこと…。でも、遠(とお)くへ行っちゃうって聞いたから…」
「遠くへ? えっ、僕が? いや、遠くへ行く予定(よてい)は…」
「違うんですか? だって、お兄ちゃんが、もう会えないかもしれないって…」
「そんなことは…。会おうと思えばいつでも会えるけど…」
「よかった……」彼女はそう言った途端(とたん)、僕の方へ倒(たお)れ込んできた。
<つぶやき>一目惚(ひとめぼ)れってやつですか。彼女の思いが届(とど)くといいんですが…。どうでしょ?
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2016年09月25日

「退屈な王様」

 むかしむかし、とある国に暇(ひま)を持て余(あま)している王様(おうさま)がおりました。王様は側近(そっきん)たちに愚痴(ぐち)をこぼすように呟(つぶや)きました。
「ああ、何か面白(おもしろ)いことはないかの? わしは退屈(たいくつ)で死んでしまいそうだ」
 一番の側近が答えました。「それならば王様。も少し政務(せいむ)に励(はげ)まれればよろしいかと」
 王様は、その古参(こさん)の側近を見つめて大きなため息(いき)をついて言いました。
「わしがそんなことに口を挟(はさ)んでみろ、重臣(じゅうしん)たちが何と言うか…」
「はて? きっと、喜んで王様のお言葉に耳を傾(かたむ)けるかと存(ぞん)じますが」
「確かにそうだ。わしの言葉に耳を傾けるであろう。だが、その後に必ずこう言うのじゃ。〈王様のご意見(いけん)はごもっともと存じます。しかしながら――〉。しかしながらだ! この後、わしの考えがいかに的外(まとはず)れであるか、いかに無意味(むいみ)なものであるかを延々(えんえん)と聞かされるのだ。わしには、もう耐(た)えられない。よいのじゃ、わしがいなくてもこの国は泰平(たいへい)を保(たも)っておる。むしろ、こんな無能(むのう)な王などいない方がましじゃ」
「王様、そのような事はけっして…。民(たみ)は王様を必要としております」
「そうかのぉ…。わしには民の気持ちなどまったく分からん。わしはどうすればよいのじゃ」
 側近たちはどう答えればいいのか分からず、めいめい顔を見合わせるばかり――。王様は何かひらめいたのか、急に立ち上がると側近たちに言った。
「そうじゃ。気晴(きば)らしに散歩(さんぽ)にでも出かけるとしよう」
「それがよろしゅうございます」古参の側近が王様の前へ進み出て言った。「では、さっそく準備(じゅんび)に取りかかるよう命じてまいります」
「待て待て、準備など必要ない。わしはふらりと出かけたいのじゃ」
「しかし、お供(とも)の者がいなければ何かと不自由なことに…」
「供の者を百人も二百人も連れて、それが散歩と言えるのか? それに、そんな大仰(おおぎょう)なことをしては、民の暮(く)らしを知ることはできまい。わしは、わしの民と話をしてみたいのじゃ」
 側近たちがざわめいた。古参の側近は王様を押し留(とど)めるようにうやうやしく言った。
「王様、それはいけません。民と話しをするなど、もってのほかでございます。民のことが知りたければ、しかるべき者を城へ呼び寄せればよろしいかと…」
「いかんのか? わしは良い考えだと思うのだが…。――しかし、退屈じゃのう」
「ならば、狩(か)りにでもお出かけなさればよろしいかと。王様にお仕(つか)えする者たちにも、仕事を与(あた)えませんと、怠(なま)ける者が出るやもしれません」
「わしはつねづね思うのじゃが…。この城には無駄(むだ)が多すぎるのではないか? ここはひとつ、民のためにも倹約(けんやく)に努(つと)めるというのは…。どうじゃ?」
「倹約、でございますか…。しかしながら、そのようなことは王様がすべきことでは…」
「わしは、この城の主(あるじ)だぞ。そのわしが、この城のことを思って言っておるのじゃ」
「はい、ならば…。王様は、どのように倹約しようとお考えで…。まさか、リストラをしようとお考えなのではありますまいな?」
「おお、それはよい考えじゃ。ここには人が多すぎる。息もできんくらいじゃからの」
 王様は回りにいる側近たちを眺(なが)め回して、楽しそうに微笑(ほほえ)んだ。
<つぶやき>妙案だと思いますが、暇つぶしで首を切られたのでは割が合いませんよね。
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2016年11月13日

「十分後」

 彼女が会社のデスクで仕事をしているとき、自分のスマホにメールが届(とど)いた。何気(なにげ)なく開いてみると、そこには短い文章(ぶんしょう)で次のことが書かれていた。
〈あなたは転(ころ)びます。お気をつけ下さい〉
 彼女は首(くび)をかしげて呟(つぶや)いた。「誰(だれ)よ、こんなこと…、何のつもり?」
 送信先のアドレスはまったく見覚(みおぼ)えがなく、誰から送信されたのか見当(けんとう)もつかなかった。彼女は、間違いメールか誰かの悪戯(いたずら)だわ、と無視(むし)することにした。そのまま仕事を続ける彼女。出来た書類を係長(かかりちょう)に見てもらおうと、彼女は席を立って上司(じょうし)のもとへ――。
 それは、席を立って数歩(すうほ)あるいたときだった。彼女は何かにつまずいてバランスを崩(くず)した。次の瞬間(しゅんかん)、手にした書類が宙(ちゅう)を飛び、彼女は床(ゆか)に倒れ込んだ。幸(さいわ)いなことに、ど派手(はで)に倒れたわりには、膝(ひざ)にあざを作った程度(ていど)で事なきを得(え)た。
 昼休み、同僚(どうりょう)の女子たちと外食に出ると、彼女の転(こ)けた話で持ち切りになった。彼女は気恥(きは)ずかしさもあり一緒(いっしょ)に笑っていたが、メールのことは口にしなかった。
 お店を出たとき、彼女にメールが届いた。彼女はさり気なくメールを見た。そこには、
〈エレベーターが故障(こしょう)します。乗らないで下さい〉とあった。
 彼女は心の中で呟いた。「もう、何なのよ。どこから送られてくるの?」
 彼女が勤(つと)めている会社はビルの七階にある。当然、エレベーターを利用することになる。ビルに入った彼女たちは、何時(いつ)ものようにエレベーターの前に立った。彼女は思った。
「まさか、そんなことあるはずないわ。今まで故障したことなんか…」
 エレベーターの扉(とびら)が開いた。同僚たちは次々に乗り込んで行く。彼女は、一瞬(いっしゅん)迷ったが、後に続いた。扉が閉まるとエレベーターは動き出した。彼女たち以外に乗った人はなく、エレベーターは七階まで止まることなく昇(のぼ)って行った。
 それは、四階まで来たときだった。エレベーターが突然ガタッと止まってしまった。どうやら故障したようだ。同僚たちは慌てて非常用のインターホンを押したり、大騒(おおさわ)ぎになった。彼女だけは、蒼(あお)い顔をして手にしたスマホを覗(のぞ)き込んで呟いた。「そんな…、何で?」
 彼女は、あることに気がついた。エレベーターが故障したのは、メールが届いて十分後だった。その前の転んだときも、確かそのくらいのはず…。もしかして、このメールは十分後に起きることを教えてくれているの?
 ――彼女たちは一時間後に無事救出(ぶじきゅうしゅつ)された。会社に戻った彼女たちは、他の社員から拍手(はくしゅ)で迎(むか)えられた。ちょっとした有名人にでもなったみたいに。彼女だけは、疲れ切った顔で自分の席にどっと座り込んだ。
 退社(たいしゃ)時間になると、彼女にまたメールが届いた。彼女は震(ふる)える手でメールを見た。
〈あなたは運命(うんめい)の人と出会います。おめでとうございます〉
 彼女は頭の中が真っ白になった。これは、どういうことなのか?
 彼女は回りを見回して、誰にも気づかれないように呟いた。
「運命の人って…。えっ、そうなの…。それって…、ええっ…!」
 彼女は慌てて身支度(みじたく)を調(ととの)えると、ぎこちない足どりで会社を出て行った。ブツブツと口の中でこう呟きながら。「十分後…、十分後…、運命の人…、運命の人…」
<つぶやき>彼女は運命の人に出会えたのでしょうか? でも誰からのメールだったの?
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2016年12月01日

「禁断の場所」

 町外れに、大きくて立派(りっぱ)な屋敷(やしき)が建っていた。だが手入れをしていないようで、柵(さく)が壊れていたり、屋敷の雨よけの戸が外(はず)れかけていたり、広い庭園(ていえん)も雑草がはびこっていた。まるで廃墟(はいきょ)のようで、人が住んでいるようには見えなかった。
 この屋敷を外から覗(のぞ)いている姉妹(しまい)がいた。姉が妹の手を引っ張って、
「もう帰りましょ。こんなところに住んでる人なんかいないわよ」
 妹は動こうとせずに答えた。「あたし見たのよ。昨日の夕方、明かりが点いてたわ」
「見間違(みまちが)いよ。ここからじゃ、草が邪魔(じゃま)をして家の窓(まど)なんか見えないじゃない」
「ほんとに見たの。こっちよ、柵が壊れているところがあるの」
 妹は、今度は逆(ぎゃく)に姉の手を引っぱって駆(か)け出した。――妹が言う通り、柵が壊れていて子供が入れる隙間(すきま)があった。妹はするりとそこを抜(ぬ)けて中へ入る。姉はためらって、
「ダメよ、勝手(かって)に入ったら怒(おこ)られるわよ。戻って来なさい」
「心配(しんぱい)ないわよ。人なんか住んでないんでしょ? あたしひとりで行ってくるわ」
 妹は屋敷の方へ歩き出した。姉は、ほっとくわけにもいかず、隙間を何とかくぐり抜けて妹の後を追いかけた。――草をかき分けてしばらく行くと、開けた場所に出た。目の前に、大きな屋敷が飛び込んで来た。二人は顔を見合わせて、屋敷の壁際(かべぎわ)まで駆け出した。そして、壁づたいに一つ一つの窓から中を覗いて見る。人の気配(けはい)はなかったが、でも思ったより部屋の中は整然(せいぜん)としていた。玄関までたどり着くと、姉は呼鈴(よびりん)を探してみた。でも妹の方は、玄関の扉(とびら)に手をかけた。扉は鈍(にぶ)い音を立てて動き出す。姉は驚いて声をあげた。
「何してるのよ。もし誰か住んでたらどうするの」
 妹は唇(くちびる)に人差し指をあてて静かにするように合図(あいず)をすると、扉から頭を突っ込んで家の中を覗いて見た。屋敷は中世の洋館という感じで、がらんとしていて骨董品(こっとうひん)らしきものがあちこちに飾られていた。耳を澄(す)ましていると、どこからか低く唸(うな)るような音がかすかに聞こえてきた。妹は思わず屋敷の中へ――。二人は音のする方へ歩き出した。
 ――その部屋には、複雑に組み立てられた機械(きかい)が並んでいた。色とりどりのランプが点滅し、火花を散らしながら、まるで呼吸(こきゅう)をしているように音を立てていた。
「さあ、やっと完成(かんせい)だ。今までさんざんわしをバカにしてきた連中に、吠(ほ)え面(ずら)をかかせてやる。わしの考えが正しかったことを見せつけてやるんだ」
 白髪(しらが)まじりの頭で、白衣(はくい)を着ている男が高笑いをした。その様子(ようす)を廊下(ろうか)の窓から覗いているのは、あの姉妹だ。男は機械を愛(いと)おしそうに触(ふ)れながら呟(つぶや)いた。
「さあ、始めよう。お前がいてくれて本当に助かったよ。電球(でんきゅう)を替(か)えるときに梯子(はしご)から落ちるなんて、まったくドジな話しだが…。おかげで、わしの研究(けんきゅう)を完成させることができる。最後の最後まで、わしのために…。さあ、わしがお前に命(いのち)を吹(ふ)き込んでやる」
 その時、姉妹が悲鳴(ひめい)をあげた。機械の中に人の姿を見つけたのだ。いくつものコードで機械につながれていた。悲鳴を聞いて、男は侵入者(しんにゅうしゃ)に気がついて叫(さけ)んだ。
「誰だ! 出て来い! ここから逃(に)げられると思うなよ。実験台(じっけんだい)にしてやる」
 姉妹は恐怖(きょうふ)に駆られて走り出した。玄関から外へ逃げようとしたが、どういうわけか扉はびくともしなかった。足音が静かに、だが確実(かくじつ)に二人に近づいて来ていた。
<つぶやき>二人は逃げることが出来るのでしょうか? きっと逃げ道はあるはずです。
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2017年01月22日