読切物語一覧

「シャベ友」

 朝から雨が降(ふ)っていた。朝食を終えた二人は、食器(しょっき)を片づけながら言葉(ことば)を交(か)わす。
「雨の日は、憂鬱(ゆううつ)だよね。でも、今日はお休みでもある」
「だから? もう、何なのよ」
「ということは、何をやってもOKだよね」まるで甘(あま)えるように、「ねぇ、遊(あそ)びに行かない?」
「いやよ。雨が降ってるし…。私は、今日は読書(どくしょ)でもするわ」
 この二人、一緒(いっしょ)に住むようになってまだ日が浅(あさ)い。一応(いちおう)、友だち同士(どうし)なのだが、出かけようと誘(さそ)っている娘(こ)の方が、転(ころ)がり込んで来たのだ。まあ、二人で暮(く)らせる広さはあるし、家賃(やちん)も半分出すということでシェアが成立(せいりつ)した。
「そんなのダメよ。せっかくのお休みじゃない。あたし、外で遊びたいなぁ」
「外は雨なのよ。私は、やめとくわ。あなた一人で行けばいいじゃない」
「つまんないよ、一人なんて…。ねえ、雨の日しかできないことしよ」
「はぁ? もう、何なのよ」
「それは…、このまま表(おもて)に飛び出して、ずぶ濡(ぬ)れになって走り回るの」
 この言葉に、聞いていた娘(こ)はごく当たり前の反応(はんのう)を返した。
「なに言ってるの? 子供(こども)じゃないんだから、そんなこと…。いえ、今の子供だってそんなバカなことしないわ。あなた少し変よ。まともな大人(おとな)だったら――」
「いいじゃない。バカなことしたって…」ちょっとふてくされて、ソファに寝転(ねころ)んだ。
 それをなだめるように彼女の頭をなでながら、「ねえ、何かあったの?」
「別に…。何もないわよ。あ~ぁ、つまんない…、ほんとつまんない」
「彼を誘えばいいじゃない。お休みなんだし」
「休みじゃない。あの人、仕事(しごと)なんだって…。もう、ほんとに仕事なのかぁ?」
「あきれた。彼に会えないから無茶(むちゃ)なこと言ってたのね」
「そうよ、いけない? 最近(さいきん)さぁ、あの人…、あたしのこと避(さ)けてる気がする」
「えっ、何かあったの? 喧嘩(けんか)でもしたとか…」
「なにも…、まったく何もない。あたしたち恋人(こいびと)同士なのに、何もないなんてどういうこと? このままじゃ、あたしたち、ただのシャベ友(とも)だよ」
「シャベ友って…」
「だから、会って、世間話(せけんばなし)をして、さようならって…。それだけの関係(かんけい)よ。そこには、好きもないし、愛情(あいじょう)もまったくわかない…。もう、終(おわ)わりなのかなぁ」
「なに言ってるのよ。あんなに、私にのろけてたくせに…。じゃあ、いいわ。出かけましょ」
「ほんと? 一緒に、濡れてくれる?」
「それは、いやよ。私、これでも身体(からだ)が弱(よわ)いの。そんなことしたら風邪(かぜ)ひいちゃうわ」
「何よそれ。まるで、〈私はお嬢(じょう)さまなのよ〉って言ってるみたい」
「言っとくけど、これでも私、ほんとにお嬢さまなのよ。知らなかったでしょ」
「だったら、あたしもお嬢さまよ。今度、ちゃんと証拠(しょうこ)見せてあげるわ」
 二人は、くすくすと笑い出した。この後、二人は出かけて行った。たぶん、ずぶ濡れになることなく帰って来ると思うけど。でも、ひょっとすると――。
<つぶやき>好きなのか、それとも、それほどでもないのか…。どうやって確かめたら…。
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2017年09月13日

「記憶媒体」

 彼女はことごとく就活(しゅうかつ)に失敗(しっぱい)していた。もう何十社も面接(めんせつ)を受(う)けたが、どこからも内定(ないてい)をもらうことはできなかった。このままだと卒業(そつぎょう)までに…就職(しゅうしょく)できない。
 そんなせっぱ詰(つ)まっていた時だった。彼女に電話がかかって来たのは。それは、聞いたことのない会社で…。もちろん彼女が面接を受けた会社ではなかった。
 電話の相手は人事部(じんじぶ)の者だと名乗(なの)り、有能(ゆうのう)な人材(じんざい)を求(もと)めていると話した。彼女は首(くび)をかしげた。彼女はごく普通(ふつう)の大学生で、特別(とくべつ)な資格(しかく)も能力(のうりょく)も持ち合わせてはいなかった。彼女がそのことを話すと、電話の相手はこう答えた。
「それがいいのです。わたし達にとっては、ごく普通の人が有能な人材なのですから」
 彼女はますます訳(わけ)が分からなくなった。そうは言っても、彼女にとってはこれが最後のチャンスになるかもしれない。これをのがしたら、完全(かんぜん)に就職浪人(ろうにん)になってしまうかも…。
 電話の相手はさらに続けた。「どうでしょう? 我(わ)が社に来ていただけますか?」
「はい、もちろん…。でも、どんな仕事(しごと)なんでしょう? 私でも勤(つと)まるでしょうか?」
「もちろんです。誰(だれ)にでもできる仕事ですよ。ですが、採用(さいよう)にあたって、ごく簡単(かんたん)なテストを受けていただかないといけません。それに合格(ごうかく)すれば、本採用(ほんさいよう)となります」
 ――後日、メールで受け取った地図(ちず)を見ながら、彼女はその会社へ向かった。〈ごく簡単なテスト〉を受けるためだ。その会社は、小さな古(ふる)ぼけたビルの中にあった。受付(うけつけ)でしばらく待っていると、一人の男がやって来て彼女と挨拶(あいさつ)を交(か)わした。その男の声は、あの電話の声と同じだった。彼女は、その男について階段(かいだん)を下りて行った。
 ――それからの記憶(きおく)が…、彼女には曖昧(あいまい)になっていた。階段を下りて行ったことまでは覚(おぼ)えているのだが…。気がついた時には応接室(おうせつしつ)にいて、目の前のテーブルの上には採用通知(つうち)が置いてあった。そして、恰幅(かっぷく)のいい男性が彼女に話しかけていた。
「おめでとう。これであなたも我が社の社員(しゃいん)です。四月からお願いしますよ。それで、あなたの配属先(はいぞくさき)ですが、こちらの会社になります」
「えっ、この会社じゃないんですか?」彼女は少し不安(ふあん)になった。
「我が社では、ほとんどの社員が他の企業(きぎょう)に出向(しゅっこう)しているんです。もちろんこれは契約社員(けいやくしゃいん)ということではなく、我が社の正社員(せいしゃいん)ですのでご心配(しんぱい)なく」
 彼女は書類(しょるい)に書かれている社名(しゃめい)を見て驚(おどろ)いた。それは一流企業(いちりゅうきぎょう)で、彼女にとっては全く相手(あいて)にされないような、超(ちょう)エリートしか入社(にゅうしゃ)できない会社だった。
「ほ、ほんとに、この会社に…。私が――」
「はい、そうですよ。それで、こちらから指定(してい)した日に、業務報告(ぎょうむほうこく)をこちらに提出(ていしゅつ)しに来て下さい。出向先にはこちらから連絡(れんらく)が行きますので、欠勤(けっきん)にはなりません」
 彼女はまるで狐(きつね)につままれたような、そんな感じで帰って行った。外に出ると、強い風で彼女の髪(かみ)が巻(ま)き上げられた。すると、彼女のうなじにバーコードのようなあざが見えた。
 ――恰幅のいい男が、電話の男に呟(つぶや)いた。
「今度のはなかなかいいじゃないか。容量(ようりょう)も充分(じゅうぶん)だし、記憶媒体(きおくばいたい)としては申(もう)し分ない」
「しかし、人間の脳(のう)を使うなんて。これならハッキングの心配もありませんし、我が国の雇用問題(こようもんだい)も解消(かいしょう)するんじゃありませんか? どんどん採用を増(ふ)やしましょう」
<つぶやき>えっ、どういうこと? もしかして、本人には知らされてないのでしょうか?
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2017年10月01日

「心の記憶」

 愛香(あいか)は教室(きょうしつ)に駆(か)け込むと、親友(しんゆう)の夏美(なつみ)を捕(つか)まえて訊(き)いた。
「ねえ、今日は、何年の何月何日?」
 そんなことを訊かれた夏美は一瞬(いっしゅん)戸惑(とまど)っていたが、
「今日は、2017年の10月12日よ。何でそんなこと訊くのよ」
 愛香は生徒手帳(せいとてちょう)にそれを書き込んだ。そして、矢継(やつ)ぎ早(ばや)に次の質問(しつもん)をした。
「じゃあ、ここ数日の間に、何か変わったことってなかった?」
「変わったことって…。あっ、この間の連休(れんきゅう)にみんなで遊(あそ)びに行ったことぐらいかなぁ」
「どこへ行ったの? それって、あたしもいた?」
「もう、なに言ってるのよ。あなたがみんなを誘(さそ)ったんじゃない。遊びに行こうって…」
「あたしが…。ああ、そうなんだ。で、どこへ行ったの?」
「どこって…、あなたが行きたいって言ってたショッピングモールじゃない」
「ショッピングモール…」
「新しくできたとこよ。ねえ、何だか顔色(かおいろ)悪(わる)いよ。どこか…」
「大丈夫(だいじょうぶ)…、あたしは平気(へいき)よ。あたし、ちょっと行ってくる。行かなきゃ」
 愛香は教室を飛び出した。彼女は走りながら呟(つぶや)いた。
「どうなってるの。10月のわけないし、ショッピングモールだってまだ工事中(こうじちゅう)じゃない」
 ――愛香はショッピングモールへ来ていた。平日だというのに、大勢(おおぜい)の客で賑(にぎ)わっている。彼女は呆然(ぼうぜん)として、ふらふらと店内に入って行った。しばらく行くと、誰(だれ)かに声をかけられた。彼女が振(ふ)り返ると、そこにいたのは夏美だった。
「愛香…、だよね。どうしちゃったの? 何で制服(せいふく)なんか着てるのよ」
「えっ…、夏美こそ、授業中(じゅぎょうちゅう)じゃないの? こんなとこ来て…」
「はぁ? 今日は休講(きゅうこう)になったからでしょ。あなたこそ、何してるのよ。コスプレ? にしたって、二十歳(はたち)過ぎてるのに、それはちょっと恥(は)ずかしくない?」
「二十歳…。ねえ、今日は何年の何月何日?」
「どうしちゃったのよ。今日は、2021年の10月12日よ」
「2021年…。あたしは…、どこで、何してるの? ねえ、教えてよ!」
「ちょっと、落ち着いて。しっかりしてよ。あなたは、私と同じ大学に通ってるんじゃない。もう大学生なのよ。どうしちゃったの? あなたすごく変よ」
「あたし、どうなってるの…。あたしは、まだ高校生よ。大学なんて知らないわ」
 愛香はその場から逃げ出した。どこをどう歩いたのか、彼女は自宅(じたく)の前に来ていた。玄関(げんかん)を開けて中へ入るとたくさんの靴(くつ)が並んでいた。奥からは赤ちゃんの泣き声がする。彼女は玄関を上がると泣き声のする方へ向かった。そこには見覚(みおぼ)えのある顔が並んでいた。みんな黒い服を着ていた。部屋の奥には花が飾られ、中央には黒枠(くろわく)に入った写真(しゃしん)が――。
 彼女の後から声がした。「どうですか? もう思い残(のこ)すことは…」
 愛香は穏(おだ)やかな声で答えた。
「ええ。ただ、あの子がちゃんと育(そだ)ってくれるかどうか…、それだけが心配(しんぱい)です」
「大丈夫ですよ。あなたには、素晴(すば)らしい家族(かぞく)がいるじゃありませんか」
<つぶやき>これは、どういう話しなんでしょう。とっても不思議(ふしぎ)なことになってます。
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2017年10月19日

「思い込み」

 とある豊(ゆたか)かな国に、遠く離れた国から商人(しょうにん)がやって来た。彼はとても珍(めずら)しい品(しな)を運んで来たので人々の噂(うわさ)になり、それがお城の中まで伝わって王女樣(おうじょさま)のお耳にも届(とど)いた。王女様はとても好奇心(こうきしん)が旺盛(おうせい)な方なので、早速(さっそく)、商人はお城に呼ばれた。
 王女様との謁見(えっけん)を前にして、商人はお付きの侍従(じじゅう)から注意を受けた。
「このお城では禁句(きんく)がございます。王女様の前では、大きいとか、膨(ふく)らんでいる、ぶくぶく、そして太(ふと)っているなどなど、これに似通(にかよ)っている言葉(ことば)を口にしないでいただきたい」
 商人は何のことだかその時は分からなかったが、王女様の前に出て納得(なっとく)した。商人と一緒(いっしょ)に来ていた供(とも)の者(もの)が小さな声でささやいた。
「何だありゃ? まるで、風船(ふうせん)のようじゃないか――」
 侍従が王女様と言葉を交わし、傍(そば)に来るようにと商人に促(うなが)した。商人は一礼(いちれい)すると王女様の前に進み出た。侍従が商人に言った。「献上(けんじょう)の品をこれに」
 商人はまた一礼すると、「王女様、こうしてお目にかかれて光栄(こうえい)でございます。私の国で食べられておりますものを、こちらの国の菓子職人(かししょくにん)に作らせました。とても美味(びみ)なのですが…、それは王女様には相応(ふさわ)しくないと存(ぞん)じます」
 王女様はがっかりしたように顔を曇(くも)らせた。商人はすかさず言った。
「ですが、幸(さいわ)いなことに、もっと相応しいものを持ち合わせております」
 商人はそう言うと、懐(ふところ)の中から小さな小ビンを取り出して、「これは満腹丸(まんぷくがん)と申(もう)しまして、これを一粒(ひとつぶ)飲めばまる一日満腹でいられるという薬(くすり)でございます」
 王女様は思わず身を乗り出して訊(たず)ねた。「そんな薬が、そなたの国にはあるのか?」
「はい」商人は小ビンを侍従に手渡して、「これは私の国に昔から伝わっているもので、長旅(ながたび)の時、空腹(くうふく)を紛(まぎ)らすために使われております。きっと王女様のお役(やく)に立つと存じます」
 王女様は、侍従から小ビンを受け取ると、まじまじとそれを見つめた。
 商人はさらに続けた。「ただし、これには注意(ちゅうい)していただく用法(ようほう)がございます。これを飲む時は、必ず空腹が我慢(がまん)できなくなった時にして下さい。そして、飲むのは一日に一粒だけです。くれぐれも満腹の時にお飲みにならないように」
 王女様は、商人に質問(しつもん)した。「満腹のときに飲むと、どうなるのか?」
「それは…、大変(たいへん)なことになります。お命(いのち)にかかわりますので、絶対(ぜったい)になさらぬように」
 ――一ヶ月後、商人がこの国を去(さ)るときが来た。最後の暇乞(いとまご)いに、王女様との謁見(えっけん)が許(ゆる)された。王女様を前にして、お供の者がまたささやいた。
「あらら、ずいぶんとしぼんじまったなぁ。まるで別人(べつじん)だ」
 王女様は淋(さび)しそうに商人に言った。
「もう帰ってしまうのか? もっと他国(たこく)の話しを聞きたかったが、残念(ざんねん)です」
 商人は一礼すると、「王女様のおかげで、この国での商(あきない)も上手(うま)くいきました。本当に、ありがとうございます。このご恩(おん)は、生涯(しょうがい)忘(わす)れることはないでしょう」
「私こそ、そなたのおかげで…。できれば、あの薬を、も少しいただきたいが…」
 お供の者がまたささやいた。「まったく、大将(たいしょう)も上手くやったもんだ。あんな、何の効(き)き目もない薬で、王女様を丸(まる)め込んじまうんだから…。大(たい)したもんだ」
<つぶやき>えっ、そうなの? 効き目はあったみたいなのに。思い込みってすごいです。
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2017年11月06日

「異物混入」

 とあるレストランで楽しげに食事(しょくじ)をしている男女。どうやら結婚記念日(けっこんきねんび)のようで、はたからみていても羨(うらや)ましいかぎりだ。妻(つま)は美味(おい)しそうに料理(りょうり)を口へ運んでいた。それを見ていた夫(おっと)は、何やらそわそわとしているようだ。妻にこう言った。
「おい、そんなに慌(あわ)てて食べなくてもいいじゃないか。よく味(あじ)わって…」
 妻は食いしん坊(ぼう)らしく、「慌ててなんかいないわよ。だって、この料理、とっても美味しいんだもの。あなたも、冷(さ)めないうちに食べた方がいいわよ」
「ああ…。あのな…、ひょっとして、何か入ってなかったか…?」
「何かって? えっ、そんな特別(とくべつ)な食材(しょくざい)を使ってるの?」
「いや、だからさ…。何か…、ちょっと固(かた)いものが入ってるはずなんだけど…」
「固いもの? いえ、そんなのなかったけど…」
 そう言っている間(ま)に、妻は自分の皿(さら)の料理をあらかた片(かた)づけてしまった。夫は、顔を青くして呟(つぶや)いた。
「ウソだろ…。お前、まさか、食(く)っちまったのか?」
「だから、何よ。あたしが、何を食べたって言うの?」
 夫は小さな声で言った。「指輪(ゆびわ)だよ。ダイヤの指輪を買って――」
 妻は叫(さけ)び声を上げた。「やだ!……ちょっと何してるのよ。料理に入れたの?」
「記念日だから、奮発(ふんぱつ)したんだ。高かったんだぞ。それを…。普通(ふつう)、気づくだろ?」
「あなた、あたしのことより、指輪を心配(しんぱい)してるの? 最低(さいてい)ね…」
「いや、そういうことじゃなくて…。俺(おれ)が言いたいのは…。だから…」
「あたし、あなたのことが分からなくなったわ」妻は声を落として、「あなたの会社(かいしゃ)、異物混入(いぶつこんにゅう)で商品(しょうひん)の回収騒(かいしゅうさわ)ぎになってるじゃない。そんな時に、よくこんなこと…」
「あれは、俺の責任(せきにん)じゃないだろ? 俺の仕事(しごと)は、事務(じむ)なんだからさぁ」
 そこへ、ウエイターが皿を下げにやって来た。夫は、ひそひそとウエイターに言った。
「あの、あれは…、どこに入れてもらえたのかな?」
 ウエイターは小さく肯(うなず)くと、「それは…。まだ、気づいてないんですか?」
「料理の中に…入れたんじゃないのかい?」
「ああ、さすがにそれは…。きっと、気づいていただけると思いますよ」
 ウエイターは皿を持って行ってしまった。妻は不機嫌(ふきげん)な顔で夫を見つめていた。これは、まさに険悪(けんあく)な雰囲気(ふんいき)…。ここは、デザートで機嫌(きげん)をなおしてもらわないと――。
 妻は、甘(あま)い物には目がないのだ。目の前に置かれたデザートを見てうっとりとした顔をする。夫は、ほっと胸(むね)をなで下ろした。――しかし、どこにあるんだ…あの指輪は…。
 夫はデザートをひとくち食べて、妻の方を見た。――おかしい…。妻の手が止まっている。テーブルの一点を見つめていた。それは、テーブルの中央(ちゅうおう)に置かれた花…。リボンなどを付(つ)けて綺麗(きれい)に飾(かざ)られていた。妻の目から一筋(ひとすじ)の涙(なみだ)がこぼれ落ちた。夫は、
「おい、どうしたんだ? お腹(なか)でも痛(いた)いのか?」
 妻は微笑(ほほえ)みながら答えた。「見つけたわ…。もう、嬉(うれ)しくて…ごめんなさい…」
 花にかけたリボンに、キラリと光るものがあった。
<つぶやき>サプライズは難(むずか)しいよね。上手(うま)く行けばいいんですが、そうじゃないと…。
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2017年12月12日

「雪子ちゃん」

 小学生の雪子(ゆきこ)ちゃんが思いつめた顔をして帰って来ると、家の前に可愛(かわい)らしい女の子が立っていました。どうやら雪子ちゃんの帰りを待っていたようです。
 雪子ちゃんは彼女に気づくと、笑顔を見せて駆(か)け寄って言いました。
「わらしちゃん、どうしたの? 東北(とうほく)へ帰ったんじゃなかったの」
「それがね、あたしが居着(いつ)くことにした家の人がね、こっちへ引っ越すことになっちゃって。どうしようかなぁって考えてたら、雪子ちゃんに会いたくなっちゃったの」
「また会えて、うれしいわ。この前、遊(あそ)びに来たのって50年くらい前だったかな?」
 50年前って何だよ、って突(つ)っ込みを入れたくなりますが…。実(じつ)は、彼女たちは人間ではないのです。察(さっ)しの良い人なら分かると思いますが、雪子ちゃんは雪女(ゆきおんな)の娘(むすめ)で、わらしちゃんは座敷童子(ざしきわらし)だったのです。
 雪子ちゃんは、雪女のお母さんと一緒(いっしょ)に人間の住む街(まち)に暮(く)らしていました。中古物件(ちゅうこぶっけん)だけど一戸建(いっこだ)ての家を手に入れて、まあ大変(たいへん)なこともあるけど、それなりに快適(かいてき)に暮らしているようです。お母さんは、人間のことを勉強(べんきょう)させようと、雪子ちゃんを学校へ通わせていました。人間の友だちもいるんですよ。でも、雪女ってことは誰(だれ)も気づいていません。
 雪子ちゃんは、わらしちゃんを家に招(まね)き入れると、ジュースやお菓子(かし)を出して、二人でおしゃべりが始まりました。わらしちゃんが言いました。
「心配事(しんぱいごと)でもあるの? 何か、いつもの雪子ちゃんじゃないわ」
「それがね…」雪子ちゃんはぽつりぽつりと話し始めました。「家庭訪問(かていほうもん)があるのよ。学校の先生がね、家に来るんだって…」
「すごい、まるで人間みたい。でも、大丈夫(だいじょうぶ)なの? 雪女ってばれたら…」
「それは、いいのよ。問題(もんだい)は、お母さんが旅行中(りょこうちゅう)だってこと…。今ね、ヒマラヤに行ってるのよ。何かね、雪男(ゆきおとこ)さんたちと親睦(しんぼく)を深(ふか)めるんだって。要(よう)は合コンよ」
「すごいじゃない。上手(うま)くいけば、新しいお父さんができるじゃない」
「いやよ。あたし、毛深(けぶか)いお父さんなんていらないわ。もう、それはどうでもいいのよ。お母さんがいないってことは、家庭訪問に来てくれないってことなの」
「それは、それでいいんじゃないの?」
「よくないわ。あたしは、他の子と同じように、先生に来てほしいの。だから、誰か、お母さんを頼(たの)める人いないかなって考えてるの」
「だったら、山姫(やまひめ)おばさんに頼んだら? 色白(いろじろ)の美人(びじん)だし、ぴったりじゃない」
「ダメよ。あのおばさん、人を見ると大声で笑って生(い)き血(ち)を吸(す)っちゃうのよ。それに、九州(きゅうしゅう)にいるんだから、来てくれないわよ」
「そうか…。じゃあ、山姥(やまんば)さんは? この近くにもいるんじゃない?」
「山姥さんは、お母さんじゃなくてお婆(ばあ)さんになっちゃうわ」
「なら、ろくろ首(くび)さんに頼めばいいじゃない。絶対(ぜったい)に引き受けてくれるわ」
「やめてよ。わらしちゃんも知ってるでしょ。ろくろ首さんは、緊張(きんちょう)すると首が伸(の)びちゃうのよ。先生の前でそんなことになったら、学校へ行けなくなっちゃう」
「じゃあ、お母さんが帰って来るまで待ってもらったら? それしかないよ」
<つぶやき>人間の世界に妖怪(ようかい)が溶(と)けこむのは大変です。あなたの回りにもいるかもよ。
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2018年02月07日

「詮索マニア」

「あたしたち、やっぱりダメかも…」
 ひばりがポツリと呟(つぶや)いた。隣(となり)にいた茜(あかね)が驚(おどろ)いて訊(き)き返して、
「なに言い出すのよ。あたしたち、ずっと親友(しんゆう)でしょ。ダメになんかならないよ」
「いや…、茜のことじゃなくて…」
「えっ、なによ? あっ…、まさか、誰(だれ)かと付き合ってるの?」
 ひばりは一瞬(いっしゅん)ためらって答えた。「ん…、まあ…、そんな…」
「ちょっと、何で教えてくれないのよ。あたしたち親友でしょ。隠(かく)しごとするなんて」
「いや、だから、そういうあれじゃ…」
「誰よ。あたしの知ってる男子(だんし)? いつからそんなことになってたのよ」
「いつからって…。それは、この春から…」
「まさか、同じクラスの男子なの? ええっ、誰よ、白状(はくじょう)しなさいよ」
「だから、そういうのじゃ…。――あの…、山崎(やまさき)…くん…」
 茜は彼の名を聞くと、唖然(あぜん)としてしまった。山崎といえばクラス一の秀才(しゅうさい)で、端整(たんせい)な顔だちから他のクラスからも女子たちが集まってきていた。
「これはびっくりだわぁ。山崎くんって女子に興味(きょうみ)ないって感じじゃない。あたしの知る限(かぎ)りでは、告白(こくはく)に成功(せいこう)した女子はいないはずよ」
「へぇ、そうなんだ。それは知らなかったわ。あたしはてっきり…」
「ねぇ、どうやったの? あの山崎を落とすなんて…。詳(くわ)しく聞かせなさいよ」
「いやぁ、別にあたしは…」
「ええっ、じゃぁ、告白されたの? あの山崎くんに…。ああっ、うらやまし過ぎるぅ」
「そうじゃないわよ。もう…、あたしたちは、まだ、そういうあれじゃないし…」
「じゃぁ、何なのよ? はっきりしないわね。ひばりってさ、そういうとこあるよね」
「そういうとこって……。だから、山崎くんとは、たまたま顔を合わせて…」
「どこで? どこで会ったのよ。あたしの知る限りでは、あなたたちに接点(せってん)はないはずよ」
「いや…、それは……。言えないわ。だって、だれにもしゃべるなって…」
「はぁ? この、親友のあたしにも言えないの? ひどい、ひどすぎるわ」
 茜は悲しそうに顔をそむける。けど、その目には、したたかさを感じさせた。
「ねぇ、あたしたちって…」茜はにこやかにささやいた。「もう付き合い長いわよね」
「ええ、そうねぇ。……もう何年になるのかしら?」
「あなたのこと、誰よりも知ってるのは、このあたしよ。そうでしょ?」
「えっ? そ、そうかな…。ねぇ、茜…、まさか、変なこと考えてないわよね」
「変なこと?」茜は不気味(ぶきみ)な笑(え)みを浮(う)かべて、「あなたの…、弱点(じゃくてん)とか?」
「ダメよ。それだけはやめて…」
「何のこと言ってるの? あたしは、ただ、あなたたちがどこで知り合ったのか知りたいだけなの。だって、あたしたち親友でしょ。あなたのこと、何でも知りたいの」
「ねぇ、お願い。それだけは訊かないで。ほんとに話せないの。だから――」
「分かってるでしょ。あたしはおしゃべりじゃないわ。秘密は、ちゃんとこの胸に…」
<つぶやき>これは詮索(せんさく)好きの度を越してるよ。この後、どうなったのでしょ。恐(こわ)いです。
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2019年04月19日

「気になるもの」

 彼女は、おしゃべりしている間(あいだ)も彼のことを観察(かんさつ)していた。そして、いつもと違(ちが)う彼の様子(ようす)に、疑惑(ぎわく)を感じはじめた。彼女は、心の中で自問自答(じもんじとう)する。
 どうしたのかしら…。いつもなら私の話しをちゃんと聞いてくれるのに、生返事(なまへんじ)ばっかりで心ここにあらずって感じ…。私と目を合わせようともしないなんて…。もしかして、他に気になることでもあるのかしら…。
 彼女は、「どうしたの? 今日は…、楽しそうに見えないけど…」
 彼がこの問(と)いにどう答(こた)えたのか。それは誰(だれ)が考えても分かることだ。どう答えたのかは問題(もんだい)ではない。彼は明らかに動揺(どうよう)していた。彼のしゃべり方、ちょっとした仕種(しぐさ)で彼が何かを隠(かく)していることは明白(めいはく)だ。彼女はその確信(かくしん)を得(え)た。彼女はまた自問自答を始める。
 私に知られたくないことがあるのかしら? もしかして…、浮気(うわき)?! 私のほかに女ができたとか…。いやいや、そんなはずないわ。だって、彼には浮気するような度胸(どきょう)なんてないはずよ。私に告白(こくはく)してきたときだって、真っ赤な顔をしてしどろもどろだったじゃない。そんな人がよ、他の女に手を出すなんて――。でも、待って…。もし…、もしもよ、女の方から迫(せま)ってきたとしたら…。彼、優(やさ)しいから…。断(ことわ)りきれなくて、ずるずると…。いやいや、それはないわよ。だって、彼のこと好きになる女なんて――。ああっ、私、なに考えてんのよ。そんなこと言ったら、彼と付き合ってるこの私は…。今のは訂正(ていせい)よ。彼のこと好きになる女はいるはずよ。そうでなきゃいけないわ。
 彼女はずばりと訊(き)いた。「何か隠(かく)してるでしょ。私に言えないことあるんじゃないの?」
 彼がそれを認(みと)めるはずはない。きっぱりと否定(ひてい)した。しかし、彼女の疑惑は晴(は)れることはなかった。彼女の自問自答は迷宮(めいきゅう)に入ってしまったようだ。
 何よ…、何なのよ。この言い方…。まるで、自分が正しくて、私が変なこと言ってるみたいな――。何か、腹立(はらた)つわ。へらへらと笑(わら)ってるとこなんか、ウソついてるとしか思えない。もし隠しごとがあったら、ただじゃすまないから…。
 彼女はさらに切り込んだ。「じゃあ、それを証明(しょうめい)して。私が納得(なっとく)できるように」
 何もないことを証明するとこなどできるわけがない。彼は困惑(こんわく)し、何も答えることができなくなった。彼女の疑惑はとんでもない方向へ進もうとしていた。自問自答が続く。
 何も答えられないんだ。そうよね、やっぱり隠しごとしてるんじゃない。もし浮気だったら許(ゆる)さないから。絶対(ぜったい)、別れて――。ちょっと待って…。浮気じゃなかったら…。他の隠しごとって何かしら? ええっと…、もう、何も思いつかないわ。
 彼女は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せながら、「だったら、私のこと、どう思ってるか答えて」
 これもまた分かりきった答えが返ってきた。告白した相手(あいて)なのだから、当然(とうぜん)といえば当然だ。でも、彼女には何か引っかかるものがあるようだ。彼女は迷宮から抜(ぬ)け出せるのか?
 そうよね…、そんなことは、私だって分かってたわよ。そうでなきゃ、私だって付き合ってなんか…。でも、何か変よ。絶対、何かあるはずよ。
 彼女はため息(いき)をついて、彼の方へ目を向けた。すると、彼は――。彼女の方を向いてはいるが、その目線(めせん)は彼女を通り越(こ)して、彼女の後ろを見ているようだ。彼女はハッとして振(ふ)り返った。そこにあったのは、な、なんと――。
<つぶやき>何でここで終わりなんでしょ? たぶん、作者(さくしゃ)が迷宮に入ってしまったから。
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2019年04月19日

「ささやかな…」

 妻(つま)は、夕食(ゆうしょく)をばくばく食べている夫(おっと)を見て、心の中で呟(つぶや)いた。
 おかしいわ…。絶対(ぜったい)…、これは、あれよ。間違(まちが)いないわ。
 妻は夫に言った。「ねぇ、あなた。最近(さいきん)、変わったことあるよね?」
 夫は口をモゴモゴさせながら、「何だよ。――これ、美味(うま)いなぁ。最高(さいこう)だよ」
「あ、ありがとう。ちょっと、味付(あじつ)けとか工夫(くふう)してみたんだ。って、そうじゃなくて。あなた、気づいてないの?」
 夫は首(くび)をかしげるばかり。妻は立ち上がると急(せ)かすように言った。
「ほら、ちょっときて。はやく…、早くしてよ」と手招(てまね)きして両手(りょうて)を広げた。
「おい、今は食事中だぞ。それは、今じゃなくても…」
「勘違(かんちが)いしないで」妻は夫を引っ張(ぱ)って立たせると、両腕(りょううで)で夫を抱(だ)きしめた。そして、大きくため息(いき)をつく。夫はそんなことお構(かま)いなしに、妻を抱きしめようとするが…。妻は夫からさっさと離(はな)れて席(せき)についた。そして、夫にも座(すわ)るように指示(しじ)をする。夫が残念(ざんねん)そうに席に戻(もど)ると、妻は真剣(しんけん)な顔で切り出した。
「ねぇ、あなた。ここで、はっきりさせましょ。あなた…、太(ふと)ったでしょ?」
 夫は意表(いひょう)をつく質問(しつもん)にまごつきながら、「あ、ああ…。まあ、ちょっとあれかなぁ…」
「ちょっとじゃないよね。今のではっきりしたわ。ねぇ、あなた。今日のお昼、なに食べた? あたしに教えて」
「今日って…。えっと、今日は…、大野屋(おおのや)のカツ丼(どん)だったかな…」
「大野屋って…。たしか、大盛(おおも)りとかあったわよね」妻の鋭(するど)い視線(しせん)が――。
「あ、ああ…。だから、お腹減(なかへ)っちゃってさ、特盛(とくも)りに……」
「なにそれ…。じゃあ、昨日(きのう)は? 昨日はなに食べたの?」
「昨日は、たしか…。天津庵(てんしんあん)のラーメンと、チャーハン…。それに、餃子(ギョーザ)…」
 妻はまたため息をつくと、「あなた、いくつよ。少しは自分の身体(からだ)のことを考えてよ」
「そ、そんなこといっても…。昼ぐらい、食べたいものを食べても…」
「はい、はい。分かりました」妻は覚悟(かくご)を決(き)めたように、「これからは、お昼なにを食べたか写真(しゃしん)を送って。それで、夕食を何にするか決めるから。いい、絶対に送ってよ」
「えっ、写真を撮(と)るのか? 何か、面倒(めんどう)だなぁ。それに、大(だい)の男がそんなこと…」
「なに言ってるの? これは、重大(じゅうだい)な問題(もんだい)よ。もし、あなたに何かあったら…」
「そんな…、大袈裟(おおげさ)だなぁ。大丈夫(だいじょうぶ)だって、これくらい…」
 夫はちょっと膨(ふく)らんだお腹(なか)をさすりながら笑ってみせた。妻は冷(さ)めた目で夫を見つめて、
「ねぇ、あなた。あなた結婚(けっこん)するとき、あたしに言ったわよね。君(きみ)には苦労(くろう)はかけないからって…。ちゃんと憶(おぼ)えてるわよね」
「あ……。そ、そんなこと…、言ったかなぁ。もう、あれから…、ずいぶん――」
「そう…。そうやって誤魔化(ごまか)すんだ。じゃあ、いいわ。こうしましょ。明日から、あたしが、あなたのお弁当(べんとう)を作ってあげる。それから、あなたに渡していた昼食代(ちゅうしょくだい)、50パーセントカットね。これだったら、あたしも少しは安心(あんしん)できるわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ、俺(おれ)の楽しみが――」
<つぶやき>もうこれは自業自得(じごうじとく)としか言えませんね。しばらくは我慢(がまん)するしかないかも。
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2019年05月03日

「特殊能力」

 とあるバー。遅(おそ)い時間なので数人の客(きゃく)しかいない。カンターには男と女――。二人の前には酒(さけ)のグラスが置かれていた。二人は無言(むごん)のまま――。別れ話でもしていたのか…、いや、どうやら二人は恋人ではなさそうだ。二人の間には親密(しんみつ)な関係(かんけい)は感じられない。
 女の方がたまりかねたように口を開いた。
「ねぇ、どうして? 今夜は打ち上げって言ってなかった? 他のみんなは――」
 男は即座(そくざ)に答えた。「来ないよ。俺(おれ)が誘(さそ)ったのはお前だけだから」
「はぁ? それ、どういうこと? だって、みんなも打ち上げやるって――」
「それ別の場所(ばしょ)だよ。上司(じょうし)には、俺たちは打ち合わせがあるって伝(つた)えてあるから問題(もんだい)ない」
 女は困惑(こんわく)して、「えっ、何で…。打ち合わせなんて聞いてないけど…」
 男は、戸惑(とまど)っている女を見て楽しんでいるのか、薄笑(うすわら)いを浮(う)かべて酒を飲む。そして、
「お前って、こういうことには感(かん)は働(はたら)かないんだな。安心(あんしん)したよ」
 女は身構(みがま)えた。何かにおびえるように、「えっ、何のこと…。あたし、帰ります」
 男は立ち上がろうとする女の手をつかんで、「まだ話しは終わってないよ。最後まで付き合え。心配(しんぱい)すんな。取って食(く)おうなんて思ってないから」
「話しって…。話があるなら、明日、会社で――」
「会社じゃ話ができないから誘ったんだ。君の、秘密(ひみつ)について…」
「何なのよ。あたし…、やっぱり帰ります」
「お前さぁ、どうして分かった? あの時点(じてん)で、クライアントが何を考えてたのか…。俺にはまったく分からなかった。予想(よそう)すらできなかったよ。それが、どうして?」
「あ、あたしは、ただ、言われてたことをしただけで…。あの…」
「俺は、そんな指示(しじ)はしてない。クライアントに会ったこともないお前が…。あの時点で、そんなこと分かるわけがないだろ? それが、即座(そくざ)にクライアントの要望(ようぼう)に応(こた)えた」
「そ、それは…、たまたまよ。前に、よく似(に)たことが――」
「俺さ、聞いたことがあるんだよなぁ。この業界(ぎょうかい)で、凄腕(すごうで)の女がいるって。何でも、相手(あいて)の心の中が手に取るように分かるらしいんだ。お前、聞いたことないか?」
 女は首(くび)を振(ふ)って、「いいえ…。そんなひと、あたしは…」
「お前だろ? その女って。俺、ちょっと調(しら)べてみたんだ。そしたら…」
「変なこと言わないで…。あたしが、その女のわけないでしょ」
「まぁ、いいさ。すぐに分かることだから…。お前、俺と組(く)まないか? そしたら、凄(すご)いことができるぞ。もう上司には話しはつけてあるんだ」
「勝手(かって)なことしないで。あたしは、あなたとなんか…」
「その前に、もうひとつ確(たし)かめたいことがあるんだけど…。お前、恋愛経験(れんあいけいけん)ないだろ?」
 女は目をそらした。男は、また薄笑いを浮かべて、「やっぱりなぁ」
「あります。あたしにだって…」女はむきになって答えた。
 男は女の顔を覗(のぞ)き込み、「一人…。いや、それも片思(かたおも)いってとこだろ? 俺には分かるんだよ。なるほどなぁ。恋愛の経験値(けいけんち)がないから、俺の心が読めなかったってことか。そうだ。俺が教えてやるよ。何なら、手取り足取り――」
<つぶやき>ひどい男。でも、人の心が分かるなんて…。これは特殊能力(とくしゅのうりょく)なんでしょうか。
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2019年05月10日