「ささやかな…」

 妻(つま)は、夕食(ゆうしょく)をばくばく食べている夫(おっと)を見て、心の中で呟(つぶや)いた。
 おかしいわ…。絶対(ぜったい)…、これは、あれよ。間違(まちが)いないわ。
 妻は夫に言った。「ねぇ、あなた。最近(さいきん)、変わったことあるよね?」
 夫は口をモゴモゴさせながら、「何だよ。――これ、美味(うま)いなぁ。最高(さいこう)だよ」
「あ、ありがとう。ちょっと、味付(あじつ)けとか工夫(くふう)してみたんだ。って、そうじゃなくて。あなた、気づいてないの?」
 夫は首(くび)をかしげるばかり。妻は立ち上がると急(せ)かすように言った。
「ほら、ちょっときて。はやく…、早くしてよ」と手招(てまね)きして両手(りょうて)を広げた。
「おい、今は食事中だぞ。それは、今じゃなくても…」
「勘違(かんちが)いしないで」妻は夫を引っ張(ぱ)って立たせると、両腕(りょううで)で夫を抱(だ)きしめた。そして、大きくため息(いき)をつく。夫はそんなことお構(かま)いなしに、妻を抱きしめようとするが…。妻は夫からさっさと離(はな)れて席(せき)についた。そして、夫にも座(すわ)るように指示(しじ)をする。夫が残念(ざんねん)そうに席に戻(もど)ると、妻は真剣(しんけん)な顔で切り出した。
「ねぇ、あなた。ここで、はっきりさせましょ。あなた…、太(ふと)ったでしょ?」
 夫は意表(いひょう)をつく質問(しつもん)にまごつきながら、「あ、ああ…。まあ、ちょっとあれかなぁ…」
「ちょっとじゃないよね。今のではっきりしたわ。ねぇ、あなた。今日のお昼、なに食べた? あたしに教えて」
「今日って…。えっと、今日は…、大野屋(おおのや)のカツ丼(どん)だったかな…」
「大野屋って…。たしか、大盛(おおも)りとかあったわよね」妻の鋭(するど)い視線(しせん)が――。
「あ、ああ…。だから、お腹減(なかへ)っちゃってさ、特盛(とくも)りに……」
「なにそれ…。じゃあ、昨日(きのう)は? 昨日はなに食べたの?」
「昨日は、たしか…。天津庵(てんしんあん)のラーメンと、チャーハン…。それに、餃子(ギョーザ)…」
 妻はまたため息をつくと、「あなた、いくつよ。少しは自分の身体(からだ)のことを考えてよ」
「そ、そんなこといっても…。昼ぐらい、食べたいものを食べても…」
「はい、はい。分かりました」妻は覚悟(かくご)を決(き)めたように、「これからは、お昼なにを食べたか写真(しゃしん)を送って。それで、夕食を何にするか決めるから。いい、絶対に送ってよ」
「えっ、写真を撮(と)るのか? 何か、面倒(めんどう)だなぁ。それに、大(だい)の男がそんなこと…」
「なに言ってるの? これは、重大(じゅうだい)な問題(もんだい)よ。もし、あなたに何かあったら…」
「そんな…、大袈裟(おおげさ)だなぁ。大丈夫(だいじょうぶ)だって、これくらい…」
 夫はちょっと膨(ふく)らんだお腹(なか)をさすりながら笑ってみせた。妻は冷(さ)めた目で夫を見つめて、
「ねぇ、あなた。あなた結婚(けっこん)するとき、あたしに言ったわよね。君(きみ)には苦労(くろう)はかけないからって…。ちゃんと憶(おぼ)えてるわよね」
「あ……。そ、そんなこと…、言ったかなぁ。もう、あれから…、ずいぶん――」
「そう…。そうやって誤魔化(ごまか)すんだ。じゃあ、いいわ。こうしましょ。明日から、あたしが、あなたのお弁当(べんとう)を作ってあげる。それから、あなたに渡していた昼食代(ちゅうしょくだい)、50パーセントカットね。これだったら、あたしも少しは安心(あんしん)できるわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ、俺(おれ)の楽しみが――」
<つぶやき>もうこれは自業自得(じごうじとく)としか言えませんね。しばらくは我慢(がまん)するしかないかも。
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2019年05月03日