「記憶媒体」

 彼女はことごとく就活(しゅうかつ)に失敗(しっぱい)していた。もう何十社も面接(めんせつ)を受(う)けたが、どこからも内定(ないてい)をもらうことはできなかった。このままだと卒業(そつぎょう)までに…就職(しゅうしょく)できない。
 そんなせっぱ詰(つ)まっていた時だった。彼女に電話がかかって来たのは。それは、聞いたことのない会社で…。もちろん彼女が面接を受けた会社ではなかった。
 電話の相手は人事部(じんじぶ)の者だと名乗(なの)り、有能(ゆうのう)な人材(じんざい)を求(もと)めていると話した。彼女は首(くび)をかしげた。彼女はごく普通(ふつう)の大学生で、特別(とくべつ)な資格(しかく)も能力(のうりょく)も持ち合わせてはいなかった。彼女がそのことを話すと、電話の相手はこう答えた。
「それがいいのです。わたし達にとっては、ごく普通の人が有能な人材なのですから」
 彼女はますます訳(わけ)が分からなくなった。そうは言っても、彼女にとってはこれが最後のチャンスになるかもしれない。これをのがしたら、完全(かんぜん)に就職浪人(ろうにん)になってしまうかも…。
 電話の相手はさらに続けた。「どうでしょう? 我(わ)が社に来ていただけますか?」
「はい、もちろん…。でも、どんな仕事(しごと)なんでしょう? 私でも勤(つと)まるでしょうか?」
「もちろんです。誰(だれ)にでもできる仕事ですよ。ですが、採用(さいよう)にあたって、ごく簡単(かんたん)なテストを受けていただかないといけません。それに合格(ごうかく)すれば、本採用(ほんさいよう)となります」
 ――後日、メールで受け取った地図(ちず)を見ながら、彼女はその会社へ向かった。〈ごく簡単なテスト〉を受けるためだ。その会社は、小さな古(ふる)ぼけたビルの中にあった。受付(うけつけ)でしばらく待っていると、一人の男がやって来て彼女と挨拶(あいさつ)を交(か)わした。その男の声は、あの電話の声と同じだった。彼女は、その男について階段(かいだん)を下りて行った。
 ――それからの記憶(きおく)が…、彼女には曖昧(あいまい)になっていた。階段を下りて行ったことまでは覚(おぼ)えているのだが…。気がついた時には応接室(おうせつしつ)にいて、目の前のテーブルの上には採用通知(つうち)が置いてあった。そして、恰幅(かっぷく)のいい男性が彼女に話しかけていた。
「おめでとう。これであなたも我が社の社員(しゃいん)です。四月からお願いしますよ。それで、あなたの配属先(はいぞくさき)ですが、こちらの会社になります」
「えっ、この会社じゃないんですか?」彼女は少し不安(ふあん)になった。
「我が社では、ほとんどの社員が他の企業(きぎょう)に出向(しゅっこう)しているんです。もちろんこれは契約社員(けいやくしゃいん)ということではなく、我が社の正社員(せいしゃいん)ですのでご心配(しんぱい)なく」
 彼女は書類(しょるい)に書かれている社名(しゃめい)を見て驚(おどろ)いた。それは一流企業(いちりゅうきぎょう)で、彼女にとっては全く相手(あいて)にされないような、超(ちょう)エリートしか入社(にゅうしゃ)できない会社だった。
「ほ、ほんとに、この会社に…。私が――」
「はい、そうですよ。それで、こちらから指定(してい)した日に、業務報告(ぎょうむほうこく)をこちらに提出(ていしゅつ)しに来て下さい。出向先にはこちらから連絡(れんらく)が行きますので、欠勤(けっきん)にはなりません」
 彼女はまるで狐(きつね)につままれたような、そんな感じで帰って行った。外に出ると、強い風で彼女の髪(かみ)が巻(ま)き上げられた。すると、彼女のうなじにバーコードのようなあざが見えた。
 ――恰幅のいい男が、電話の男に呟(つぶや)いた。
「今度のはなかなかいいじゃないか。容量(ようりょう)も充分(じゅうぶん)だし、記憶媒体(きおくばいたい)としては申(もう)し分ない」
「しかし、人間の脳(のう)を使うなんて。これならハッキングの心配もありませんし、我が国の雇用問題(こようもんだい)も解消(かいしょう)するんじゃありませんか? どんどん採用を増(ふ)やしましょう」
<つぶやき>えっ、どういうこと? もしかして、本人には知らされてないのでしょうか?
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2017年10月01日