「キューピット社」

(再公開 2017/09/25)
古びた貸(か)しビルの三階にあるオフィス。数人の男女が忙(いそが)しそうに働いている。若い女性が遠慮(えんりょ)がちに入ってくる。それを迎(むか)えたのはここの社長のようだ。
社長「いやぁ、いらっしゃい。よく来てくださいました」
社長は入って来た女性とにこやかに握手(あくしゅ)をかわす。女性は戸惑(とまど)いながら会釈(えしゃく)する。
社長「どうぞどうぞ、こちらへ」
社長はそんなに広くないオフィスの片隅(かたすみ)にある応接用のスペースへ案内する。女性を座らせると、社長は女性を気づかうように言葉をかけた。
社長「もう、落ち着かれましたか? いやぁ、災難(さいなん)でしたね。まさか結婚式の当日にドタキャンされるなんて。こんなことは滅多(めった)に――」
女性「あの、その話は、もう…。思い出したくないんです」
社長「ああーっ、これは失礼(しつれい)しました。そうですよね。無神経(むしんけい)なことを言ってしまって」
女性「いいえ、いいんです。それで、あの…。今日、お伺(うかが)いしたのは――」
社長「(満面の笑みで)では、我(わ)が社に来ていただけるんですね」
女性「いえ、それは…。あの、もう少しちゃんとお話しをうかがってから。私、先月、勤めてた会社を退職(たいしょく)して。上司(じょうし)には戻って来いって言われたんですが…。戻れば、あの人と顔を合わすこともあるんで…。だったら、全然違う仕事でやり直そうかなって…」
社長「なるほど。分かります。でしたら、この会社はあなたにうってつけだと思いますよ。この前もお話しましたが、我が社は縁結(えんむす)びが主(おも)な仕事です。片思いに胸を痛めている人から依頼(いらい)を受けまして、その恋の成就(じょうじゅ)のお手伝いをしているんです」
女性「それって、結婚相談所みたいな仕事ですか?」
社長「ちょっと違いますね。我々は好きな相手がいる方の依頼しか受けません。例えば、初めて会って恋に落ちてしまったとか、ずっと思い続けているのに告白できない。相手が自分のことをどう思っているのか分からないので恋に臆病(おくびょう)になってしまった、などなど。そういう人たちが、恋に一歩を踏(ふ)み出すきっかけをサポートしています」
女性「そんなことするのに意味があるんですか? いつまでも同じ人を好きになんか…。それに、相手の気持ちなんて分からないじゃないですか。嘘(うそ)をつくことだって」
社長「確かに、そうですね。我々が縁(えん)を結んだ人たちでも、別れてしまうことはあります。でもね、それでもいいんです。必ず恋がかなうわけではありませんが、その瞬間は間違いなく恋をしているんです。あなたも、そうだったんじゃありませんか?」
女性「そ、それは…」
社長「あっ、また余計なことを…。失礼しました。でも、そういうあなただからこそ、この仕事を手伝っていただきたいのです。恋はいいことばかりじゃありません。辛(つら)い思いをすることだってあります。だからこそ、あなたの助言(じょげん)が必要なんです。今は、好きだという気持ちを勘違(かんちが)いしている人が結構(けっこう)いますからね」
女性「私もその中の一人ですね。何か、自分が嫌(いや)になります」
社長「いえ、あなたは違います。あなたなら素敵(すてき)な恋ができますよ。私が保証(ほしょう)します」
<つぶやき>実はこの会社、恋の女神の指令でキューピットたちが運営してるらしいです。
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2014年05月15日