「歯が痛い」

(再公開 2017/07/10)
とある町の歯科医院。男が妻に付き添(そ)われてやって来る。男は頬(ほお)を押さえて、痛そうにしている。妻は不安げな男とは裏腹(うらはら)に楽しげである。
「あの、予約した神崎(かんざき)ですが、よろしくお願いします」
受付の助手「はい、お待ちしてました。どうぞ、お入りください」
妻は男に視線を向ける。男は首を振り待合室のソファから立とうとしない。
「あなた、何してるの? 行くわよ」
「いや、俺は…。もう少しここで…」
「もう。痛いんでしょ。治(なお)してもらえば、痛みなんか――」
「分かってるよ、そんなこと。だから、もう少し…。こういうのは、心の準備が…」
「(呆(あき)れて)何言ってるの。心の準備は、さんざん家でやったじゃない」
「家は家だよ。こことは違うんだ。俺は…。(突然立ち上がり)やっぱり帰る」
「(男の腕をつかみ)ちょっと、待ちなさいよ。なにびびってるの。あなた男でしょ」
「(妻の手を振りほどこうとしながら)こういうのは、男とか女とか、関係ないんだ」
受付の助手「あの、どうされました?」
「(にこやかに)いえ、すいません。すぐ、行きますので。(男に厳(きび)しく、声を落として)いい加減(かげん)にして! これ以上ぐだぐだ言ったら、どうなるか分かってるわよね」
男は、なぜかおとなしくなる。妻に引っ張られるように診察室へ入って行く。
歯科医師「(別の患者を診(み)ながら)どうぞ。そこに座ってください」
「はい。(男に)あなた、そこに座って。ほら、大丈夫だから」
男、言われるままに、恐る恐る座る。妻は、少し離れたところで夫に手を振る。医師が男の方へ来て、診察を始めようとするが、妻を見て、
歯科医師「あの、付き添いの方は、外でお待ちください」
「すいません。ちょっと心配なんで、ここにいていいですか?」
歯科医師「まあ、いいですけど…。(背もたれを倒しながら男に)じゃ、診ますね。口を大きく開けて下さい」
男、口を開けようとしない。妻はみかねて、
「あなた、口を開けるの。先生が診られないでしょ。(医師に)どうもすいません」
隣の席で、小学生くらいの女の子がくすくすと笑う。
歯科医師「大丈夫ですよ。見るだけですから」
「ほら、私の言った通りでしょ。ここの先生は美人なんだから。あなた言ったわよね。どうせ診てもらうなら、若くて美人の先生に診てもらいたいって」
歯科医師「あの、それは…」
「こんなチャンスはないわよ。ちょっと痛いぐらい我慢(がまん)しなさい」
男、先生の顔を見て口元がゆるみ、ゆっくりと口を開ける。
歯科医師「(口の中を診て)ああ、これですねぇ。これは、痛かったでしょ」
先生は準備を終えるとスイッチを入れる。キーンという高い音。男の顔が引きつる。
<つぶやき>歯痛は我慢できません。こんなことにならないように、歯磨きは忘れずに。
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2013年03月20日