「おもかげ」

(再公開 2017/08/25)
落ち着いた雰囲気(ふんいき)の喫茶店。マスターの好みなのかジャズが微(かす)かに流れている。そこへ、男女の客が入って来る。二人が席につくと、マスターが注文を聞きにやって来た。
マスター「(男に向かって)お久しぶりですね。いつものでいいですか?」
智也(ともや)「ええ。お願いします」
マスター「(女に向かって)そちらは?」
百合恵(ゆりえ)「じゃあ、(メニューを見てちょっと迷ったが)カフェオレを」
マスター「かしこまりました。しばらくお待ちください」
マスターは席から離れていく。それを待っていたかのように百合恵が小声で、
百合恵「ねえ、ここへ来たことあるの?」
智也「ああ、たまにね。なかなかいい店だろ。ちょっと気に入ってるんだ」
百合恵「(店内を見回して)そうね。あたしも近くまで来たら寄ろうかしら。――ねえ、いつものって、なに頼んだの?」
智也は笑って誤魔化(ごまか)して、それには答えなかった。百合恵は話題を変えて、
百合恵「ねえ、覚えてる? 今日が何の日か。私たちが出会って、ちょうど一年よ。早いよね、もう一年たったなんて信じられない。そう思わない?」
百合恵は智也の様子がおかしいのに気がついた。何となく元気がないような。そこへウエイトレスが来て、二人の前に注文したものを置いていく。智也の前に置かれたものを見て驚く百合恵。ウエイトレスが行ってしまってから、
百合恵「クリームソーダ? 何で? えっ、智也ってそういうの飲むんだ」
智也「(意味ありげに笑うと)まあ、たまにだけどね」
智也はしばらくクリームソーダを眺(なが)める。その様子を不思議そうに見つめる百合恵。
数日後、同じ店に百合恵が一人でやって来た。彼女はカウンターの席に座る。
マスター「今日はお一人ですか? ご注文は?」
百合恵「じゃあ…。(何かを思いついてクスッと笑い)クリームソーダを」
マスター「はい。かしこまりました」
マスターが手際(てぎわ)よくクリームソーダを作り始める。それを見ながら百合恵が、
百合恵「あの、この前、あたしと一緒(いっしょ)に来た…」
マスター「近藤(こんどう)様ですか? 昔からよく来てくださる常連(じょうれん)の方ですよ」
百合恵「変なことを訊(き)きますけど…。彼、何でクリームソーダなんでしょう?」
マスター「ああ。もう、五、六年前でしょうか。一緒におみえになっていた女性の方が、いつも注文されていて。お一人でおみえになるようになってからは、いつもそれを」
百合恵「その女性って?――ごめんなさい。彼には、このことは内緒(ないしょ)で…」
マスター「(クリームソーダを百合恵の前に出しながら)はい。私も詳(くわ)しくは知らないんですが。交通事故でお亡くなりになったと聞いています」
百合恵「(ちょっとショックを受けて)そ、そうなんだ。全然知らなかったわ。彼ったら、まだその人のこと…。あーぁ、それじゃ、焼きもちも焼けやしないわ」
<つぶやき>好きだった人の面影は、いつまでも心の中に残ってる。それは誰にでも…。
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2013年08月26日