「選ばれし者」

女が一人、座(すわ)っている。目の前にいる誰(だれ)かに何かを頼(たの)まれているようだ。何度か相(あい)づちをうっていたが、困(こま)った顔をして話し始める。
「えっ、そうなの? そんなこと急に言われても…、あたし困るわ」
女は目線を外して小さくため息をつく。
「あのさ…、どうしてあたしなの? あたしがいないときにそんなこと決めるなんて…、もうひどいよ。他にもいるじゃない、もっとふさわしい人が…。そうでしょ?」
相手が何かを話している間、また相づちを繰り返す。だんだんいたたまれなくなってきて、話を止めるように口を挟(はさ)む。
「だってさ! それ何か違(ちが)うでしょ。それで、どうしてあたしになるの? やっぱり、おかしいよ。もう…、あたしにはムリだから。そんなことできない!」
女はそっぽを向く。だが相手がまた何か言うたびに、女は背(せ)を向けたまま身体をよじらせ、しまいには悲しげな顔になり振り返る。
「ダメよぉ、そんなこと言っても…。ムリなものはムリなの…。(懇願(こんがん)するように)ねえ、他の人に頼んでよ。お願い! 他にもいるじゃない、上手(うま)くやれる人が…」
相手が話している間、女はだんだん恥(は)ずかしそうに、ニヤニヤそわそわし始める。
「ちょっと待って…。それって、あの人が言ったの? あたしのこと…」
あの人とは、どうやら女が片思(かたおも)いをしている相手のようだ。目の前にいる人物は、何か交換条件を提案(ていあん)して女に納得(なっとく)させようとしていた。女は思わず立ち上がり、
「そ、そんなの…。あたしに…、それ、言っちゃうの…?」
女はもどかしそうに座ると、しばらく悩(なや)んで、すごく悩んでから、
「でも…、でもね…。あたしには、信じられないんだけど…。あの人が、そんな…、あたしに、あたしと…そういうこと…」
女はしばらく相手の顔をまじまじと見つめる。だんだんと睨(にら)みつけるような恐い目つきになる。相手は多少ひるんだように目をそらしたようだ。
「(冷静(れいせい)を装(よそお)いながら)じゃあ、会わせてよ、あの人に。あの人から、直接(ちょくせつ)、確(たし)かめたいの。そうじゃなきゃ、引き受けられないわ」
相手は喜んで女のことを称賛(しょうさん)しはじめる。女はそれを止めるように、
「やめてよ! あたし、まだ引き受けたわけじゃないわ。あの人に会ってからよ」
相手は何か困ったような顔をして話し出す。女の表情が曇(くも)ってくる。
「そんな…、いないってどういうことよ。どこへ行ったの? それじゃ、ぜんぜん話が違うじゃない。ねえ、本当にあの人が言ったの? ウソとかつかないでね」
相手は平身低頭(へいしんていとう)してあやまり、さらに泣き落としにかかる。女は驚き、困り果て、
「ちょっと、やめてよ。そんなことしないで……。泣きたいのはこっちなんだから」
女は手で顔をおおいうなだれる。呻(うめ)き声がもれる。女は意(い)を決して立ち上がると、
「分かったわよ。やればいいんでしょ! やってあげるわよ。その代わり、このことがちゃんと上手くいったら…。あの人と…、そういう…、あなたがいま言ったみたいに、あれになるように、して…、欲しいなって…。分かってる? 絶対(ぜったい)だからね、約束(やくそく)よ」
<つぶやき>さて、彼女は何を頼まれたのでしょうか? 上手く行くといいですけど…。
Copyright(C)2008-2016 Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

2016年12月18日