「決まりごと」04

(再公開 2017/04/01)
「スケジュール」
 京塚(きょうづか)は書き上げた原稿を明日実(あすみ)の前に置いた。そして、さっきの事はまるで気にしていないかのように、事務的な口調で言った。
「今週分の原稿です。よろしくお願いします」京塚は何のためらいもなく頭を下げた。
 明日実は驚いた。こんな駆け出しの編集者にそんなことをするなんて。
「いえ、あの…。あたしこそ、すいませんでした」
 明日実は立ち上がり、深々と頭を下げる。そして、差し入れのケーキを京塚の方へ押しやり、「これ…、お口に合うかどうか。ケーキなんです。先生の作品にも出てくる…」
 その時、間の悪いことに明日実のお腹が、またグーッと声を上げた。生理現象で彼女を責めることはできないが、間違いなく京塚の耳にまで届いていた。
「それは、君が食べるといい」京塚は出て行こうと立ち上がった。
 明日実は彼を引き止めるように言った。「あの、まだ怒ってるんですか?」
「いや。僕はケーキは食べないんだ。君は、前の人から何も聞いてないのか?」
 明日実はぎこちなく肯(うなず)いた。前任者(ぜんにんしゃ)が誰だったのか、彼女はまったく知らないし、聞かされてもいないのだ。そう言えば、今朝も編集長が何か言っていたが、それが何だったのか、今となってはまったく思い出せない。
 京塚はそのまま何も言わずに応接室をあとにした。残された明日実は、ソファに倒れ込みじたばたしながら、「何でよ。何で、こうなるのよ!」と子供のように悔(くや)しがった。間の悪いことは続くものだ。そんな姿を、すぐに戻って来た京塚にバッチリ見られてしまった。京塚と目が合ったとき。明日実は顔から火が出たみたいに熱くなり、全身から冷たい汗が吹き出るのを感じた。
 京塚は何も見なかったように振る舞った。でも、明日実は思った。あたしのこと絶対に変な女だと思ってる、と。京塚は一枚の紙を明日実に渡して言った。
「これが、僕のスケジュールです。仕事をしている間は、邪魔(じゃま)しないで下さい」
 その紙には、一週間分のスケジュールが分刻みに細かく書き込まれていた。明日実は目を細めた。京塚はさらに続ける。
「そこに、原稿を取りに来てもらう時間も書き込んであります。次からは、ちゃんと守って下さい。でないと、今日みたいにずっと待ってもらうことになりますから」
「は、はい。そうなんですか…」
 明日実は食い入るようにスケジュールを見つめてから、何かを思いついたように言った。「じゃあ、仕事の時間以外で、お邪魔してもいいでしょうか?」
「それは、構わないが。話し相手には…」
「いえ、いいんです。それは、大丈夫ですから」
 出版社では、編集長がイライラしながら待っていた。明日実の顔を見たとたん、編集長の雷が部屋中にとどろいた。でも、明日実が原稿を見せると編集長の怒(いか)りもおさまり、
「おう、そうか。ご苦労さま。で、先生とは、うまくいったのか?」
 明日実は元気に微笑むと、「はい、任せてください」
<つぶやき>新人は恐いもの知らずと言います。それを生かすも殺すも、本人次第ですが。
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2012年09月28日