「決まりごと」05

(再公開 2017/04/10)
「空回り」
「小林(こばやし)! ちょっと来い」編集長はデスクに戻ると、大声で呼んだ。
 近くにいた編集者が答えて、「小林さんなら、いませんよ」
「どこ行ったんだ?」
「何か、朝イチで京塚(きょうづか)先生の所へ行くとかって、連絡が」
「何だって。今日は行く日じゃないだろ。あいつ、なに考えてんだ。すぐに小林に電話!」
「あっ、はい。分かりました」
 編集者は明日実(あすみ)の携帯に電話をかけた。だが、電源が切られているようでつならがない。編集長の叫び声がとどろいたのは言うまでもない。
「編集長、また血圧が上がりますよ」女性の編集者がお茶を出しながら言った。
「わかっとる。あのバカ。余計なことするなって、あれほど言ったのに」
 その頃、明日実は京塚の家の前にいた。大きな荷物を抱えている。彼女は腕時計を確認。ちょうど九時をさそうとしていた。彼女が玄関を見つめていると、扉がガラガラと開いて京塚が顔を出した。目の前に明日実がいるので、彼は思わず後退(あとずさ)る。
「おはようございます!」明日実は朝から元気だ。「すごい。時間通りなんですね」
「君は…。こんなに早く、何だ?」予期(よき)していないことに、京塚は動揺(どうよう)していた。
「散策(さんさく)に行かれるんですよね。あたし、その間、お留守番してますから」
「しかし、それは…、困る」
「大丈夫ですから。ほら、スケジュール通りにしないと。行ってらっしゃい」
 明日実は躊躇(ちゅうちょ)している京塚の背中を押してやった。京塚は後ろを何度も振り返り、出かけて行く。明日実は彼を見送ると、腕まくりをして荷物を持ち、家の中へ入って行った。
 お昼を少し回った頃、京塚はいつも通り帰って来た。玄関を開けると、美味しそうな匂いが漂ってきた。彼は驚いて、キッチンへ駆け込んだ。
「お帰りなさい」明日実は嬉(うれ)しそうに言うと、「すぐに食べられますから、手を洗ってきて下さい。でも先生って、ほんとスケジュール通りなんですね。すごい」
「君は、何をしてるんだ。勝手に、こんなことをして…」
「あたし、驚いちゃいました。仕事部屋がグチャグチャだったから覚悟してたんです。でも、他の部屋はすごくきれいにしてるんですね。このキッチンだって…」
「まさか、あの部屋に入ったのか?」
 京塚は仕事部屋に駆け込んだ。足の踏み場もないくらい散らかっていたのに、見違えるように片づいている。全てのものが有るべき位置に戻され、埃ひとつ見つからない。京塚はその場に崩れ落ちた。京塚の背後から明日実の声がした。
「大変だったんですよ、ここまでするのに。どうしてこの部屋だけ、あんなに汚くしてたんです。もう信じられない。でも、これで執筆(しっぴつ)もはかどりますよね」
 京塚は声を荒(あら)らげて言った。「何てことをしてくれたんだ! 出てってくれ。もう二度とここへは来るな! 来ないでくれ!!」
 京塚は、力任せに明日実を突き飛ばす。彼の顔は哀しみにゆがんでいた。
<つぶやき>おせっかいも程ほどにしておかないと。相手を傷つけることもあるんです。
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2012年10月12日