「決まりごと」07

(再公開 2017/04/28)
「旅立ち」
 翌朝。明日実(あすみ)は京塚(きょうづか)の家の前にいた。きっと担当から外されることになるだろう、と彼女は覚悟していた。その前に、ちゃんと先生に謝りたかったのだ。
 時間は九時になろうとしていた。昨日の今日である。どんな顔で京塚に会えばいいのか…。逃げ出したい気分になるのを振り払うように、彼女は身体を震わせた。心臓の鼓動はどんどん速くなる。喉(のど)がやたら渇(かわ)いてきた。明日実は腕時計を見た。
 おかしい。腕時計が壊れてしまったのか、九時を五分も過ぎている。いつもなら、とっくに出て来て…。彼女の頭に、最悪な光景が浮かんだ。「まさか…。自殺とか」
 明日実は玄関の扉を勢いよく開ける。そして、手間取りながら靴を脱ぐと、仕事部屋へ駆け込んだ。部屋の中は昨日のままになっている。ふと、ゴミ箱に目が止まった。中には何も書かれていない原稿用紙が束になって捨てられている。
 明日実はキッチンからトイレにいたるまで、全ての部屋を開けて見た。でも、京塚の姿を見つけることはできなかった。彼女は玄関に座り込んだ。先生の行きそうな場所を必死に考えてみたが、担当になったばかりで思いつくはずもなかった。
 そんな時だ。どこかからパチパチと音が聞こえてきた。明日実が外へ飛び出すと、煙の臭いが鼻をくすぐる。ぐるりと周りを見回すと、家の裏手の方から白い煙が上がっていた。明日実は慌てて家の裏手へ走った。そこは小さな裏庭になっている。そこで、京塚が何かを燃やしていた。彼女は駆け寄り、息を切らしながら言った。
「な、何してるんですか! もう、あたし…、心配したんですから!」
 驚いたのは京塚の方かもしれない。裸足(はだし)のままの彼女を見て、
「君は、どういうつもりだ。僕には全く理解できない」
 ここで始めて靴を履(は)いていないことに気づいた彼女は、「いや、これは、ちょっと、いろいろ…、あれで…、だから…」しどろもどろになってしまった。
 十分後、二人は応接室にいた。裸足で外を歩いたものだから、明日実は足の指を切ってしまった。京塚は、彼女の足に絆創膏を貼りつけると、
「これでいい。ちゃんと消毒もしたし、大丈夫だろう」
 明日実はバツが悪そうに、「あ、ありがとうございます。あの、先生…。昨日は、すいませんでした。あたし、勝手なことをして…」
「いいんだ。もういいんだ」京塚は何だかさっぱりしたような感じで、「君のおかげかもしれない。ありがとう。何だか、肩の荷が下りたような気がするんだ。これで前へ進める」
 京塚は仕事部屋から原稿を持って来て、テーブルの上に置いて言った。
「連載の最終話です。編集長には話してありますので、持って行って下さい」
「それって、まさか…。もう、書かないってことですか?」
「明日から旅に出るんです。いろいろ考えたいこともあるし」
「ダメです。先生の作品を待ってる読者がいるんですよ。たくさんいるんです」
「そうですね」京塚はしばらく考えてから、「いつになるか分からないけど、また書きたくなったら書きますよ。僕には、他に何の取り柄(え)もありませんから」
<つぶやき>自分を見つめるには、旅をするのもいいですね。新しい道が見えてくるかも。
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2012年11月09日