「メビウスの輪」02

(再公開 2015/07/13)
「消失」
 明け方近くになって曽根(そね)刑事が捜査本部に戻ってきた。鑑識(かんしき)も入れたのだが、消えた三つの死体について何も手掛(てが)かりは得(え)られなかった。大学の防犯カメラにも不審者(ふしんしゃ)は捉(とら)えられていなかったし、大きな荷物を運び出した形跡(けいせき)も全くない。
 神崎(かんざき)警部は、曽根の報告を聞き終えると、目頭を押さえてため息をついた。
「ご苦労だった。君も少し休みたまえ。私もちょっと横になるよ。長い一日だったな…」
 警部は曽根を帰らせると、窓の外を見た。東の空がうっすらと明るくなり始めていた。
 神崎警部が捜査本部に顔を出したのは朝の十時を少し過ぎた頃だ。警部を待ちかねたように、刑事たちが集まってきた。だが、これといって何の進展(しんてん)もなかった。警部が自分の席に腰(こし)を下ろすと、デスクの上にコーヒーカップが置かれた。
「ああ、ありがとう。助かるよ。ちょうど飲みたかったんだ」
 コーヒーの香(かお)りに誘(さそ)われて振り向くと、そこには三十代くらいの女性が立っていた。
「何だ、君か…」警部は少し驚いたように言った。
「若い婦警(ふけい)さんじゃなくてごめんなさい」
 女性は皮肉(ひにく)たっぷりに言うと、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。彼女は神崎直子(なおこ)。大学の准教授(じゅんきょうじゅ)で検死(けんし)を依頼(いらい)していた。二人の苗字(みょうじ)が同じなのは、従兄妹(いとこ)どうしなのだ。歳(とし)がわりと近いせいもあって、直子は警部のことを兄のように思っていた。警部は冗談半分(じょうだんはんぶん)に、
「死体が消えたんだって。家へ帰ったのかもしれないな」
「バカなこと言わないで。内臓(ないぞう)をちょん切った人間が生き返るわけないでしょ。もう、早く見つけてよ。あれは、普通の死体じゃないんだから。詳(くわ)しく調べたいの」
「そう言われてもな…。手掛かりが全くないんだ。そっちはどうなんだ? 何か――」
「全部なくなってるの。死体だけじゃなくて、写真もサンプルもメモ書きしたやつも。それに、パソコンに入れておいたデータまで完全に消されてるのよ」
「それは徹底(てってい)してるな。よほど知られたくなかったんだろう。秘密主義者ってやつだ」
「いい加減(かげん)にして。真面目に捜す気あるの?」
 直子は口をへの字に曲げた。彼女はちょっと気の強いところがある。それだからか、未(いま)だに独身を通している。浮(う)いた話もきかないので、警部も気を揉(も)んでいた。
「もちろんあるさ。今だって、みんな走り回ってる。ところで…」
 警部は自分の頭を指さして、「ここには残ってるんだろ。死体のことを教えてくれ」
 直子は少し考えてから、「そうねぇ、確かに見た目は普通の死体よ。外傷(がいしょう)もなかったし、病変(びょうへん)も見当たらなかった。死因を特定できるようなものは…。でもね、何か違うのよ」
 直子は両手の指を動かして感触(かんしょく)を確かめるように言った。
「うまく説明できないんだけど、人の身体を触(さわ)ってるって感じがしなかったの」
「それは、死後硬直(しごこうちょく)が起きなかったことと関係があるのか?」
「分からないわ。私もあんな死体は初めてなんだから」
 警部は目を閉じてしばらく考え込んだ。そして目を開けると、ほとんどひとり言のように呟(つぶや)いた。「人間じゃないってことか…。まさか、そんなこと」
<つぶやき>謎を解く鍵はあるのでしょうか。見えないところで何かが起きているのかも。
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2014年05月27日