「メビウスの輪」03

「謎の女」
「ちょっと、なに言ってるのよ。ふざけないで」
 神崎(かんざき)警部が呟(つぶや)いた言葉を聞いて、直子(なおこ)は呆(あき)れた顔をして言った。
「人間じゃないなんて、そんな非科学的なこと言わないでちょうだい」
 警部はしまったという顔をして、「悪かったよ。そんなつもりじゃ――」
 神崎直子は、ガチガチのリケジョである。この世界で起こるあらゆる現象は、ひとつの美しい方程式(ほうていしき)で説明できると信じていた。だから、オカルトや都市伝説の類(たぐ)いの眉唾物(まゆつばもの)の話を聞くだけで、イライラと機嫌が悪くなってしまうのだ。彼女は確信していた。どんなに不思議に思えることでも、ちゃんと検証(けんしょう)すれば説明のつかないことはないはずだ、ということを――。
 この手の議論(ぎろん)をしても勝ち目のないことは、警部は何度も経験済(ず)みである。さてどうしたものかと考えていると、曽根(そね)刑事が顔を出した。直子を見るなり駆(か)け寄って来て、
「すいませんでした。僕が、僕が目を離したばっかりに…」
 深々(ふかぶか)と頭を下げた。曽根は生真面目(きまじめ)な青年で、刑事になって初めての事件だった。それなのにこんな失態(しったい)をしてしまって、責任を感じていたのだ。
 これには、警部も驚いた。だが、もっと驚いていたのは直子の方だ。彼女は目を丸くして、この事態(じたい)にどう対処(たいしょ)したらいいのか…。何しろ普段(ふだん)の彼女は、肩肘(かたひじ)張って周(まわ)りの人間を挑発(ちょうはつ)したり、近寄りがたい壁(かべ)のようなものを無意識に作っていた。だから、彼女に接(せっ)する人たちはどこかよそよそしく、まともに彼女に向き合う人は一人もいなかったのだ。まさに異星人(いせいじん)のような曽根の実直(じっちょく)な態度に、彼女は戸惑(とまど)うばかりである。
 その様子を微笑(ほほえ)ましく見ていた警部は、直子に助け船を出した。
「まあ、いいさ。失敗は誰にだってある。俺だって、何度失敗したか――」
「そうね。ほんとにそうよ」直子はここぞとばかり、「子供の頃なんか、何度も何度も――」
「おい、その話はいいだろう。余計(よけい)なことを言うなよ」
 警部にもよほどの失敗があったのだろう。直子はちょっと舌(した)を出して口を閉じた。
 ――警部はあらためて曽根に何があったのか訊(き)いてみた。曽根はその時のことを思い出しながら言った。
「検視(けんし)が終わって、安置室(あんちしつ)に遺体(いたい)が運ばれて…。僕はその部屋の前で検案書(けんあんしょ)ができるのを待ってたんです。そしたら、携帯(けいたい)が鳴(な)って…」
「おっ、恋人からの電話か? いいよな、若(わか)いもんは」
 口を挟(はさ)んだのは松野(まつの)刑事だ。定年を間近に控(ひか)えたベテラン刑事で、柔和(にゅうわ)な顔立ちと穏(おだ)やかな口調(くちょう)で誰からも慕(した)われていた。曽根は慌(あわ)てて否定して、
「そ、そんなんじゃありません。全然知らない人だったんです」
 警部は興味(きょうみ)を示(しめ)して、「で、それから…。相手はどんな人物だ。どんな話をしたのかね」
「相手は、声からすると、若い女性でした。それが、変なことを言うんです。メビウスの輪(わ)に気をつけろ。迷宮(めいきゅう)に近づくな…。僕は、何のことなのか訊いてみましたが、何も言わずに切られてしまって。それから、部屋の前に戻ってみると、扉が少し開(あ)いてたんです。変だなと思って、遺体を確かめてみると、消えてたんです」
<つぶやき>謎の女性の出現で、これから先、事件はどんな展開を見せるのでしょうか。
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2015年09月02日