書庫 短編物語 女子大生探偵アン&ユリ

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T:001「絵画(かいが)盗難事件(とうなんじけん)」1
「合(ごう)コンじゃなかったの?」アンは綾佳(あやか)をつかまえて、がっかりしたようにささやいた。
「違(ちが)うわよ。今日(きょう)はおじいちゃんのホームパーティー」綾佳(あやか)はクスッと笑(わら)って、「アンが来(き)てくれてよかった。これでパーティーも退屈(たいくつ)しなくてすむわ」
「えーっ、せっかく気合(きあ)い入(い)れて来(き)たのに」
「それより、あなたが連(つ)れて来(き)たお友達(ともだち)、変(か)わってるわね」綾佳(あやか)は部屋(へや)の隅(すみ)をうろうろしている女(おんな)の子(こ)を指(ゆび)さして、「さっきからずっと、部屋(へや)の中(なか)を見(み)てまわってるわよ」
「ああ」アンは微笑(ほほえ)んで、「ユリよ。大学(だいがく)で知(し)り合(あ)ったの。今(いま)ではいちばんのダチね」
「へえ、珍(めずら)しい。あなたがあんな大人(おとな)しそうな子(こ)を友達(ともだち)にするなんて」
「あいつは特別(とくべつ)なんだよ」
 アンと綾佳(あやか)は高校(こうこう)の同級生(どうきゅうせい)。今日(きょう)、久(ひさ)し振(ぶ)りに会(あ)ったので、その頃(ころ)の話(はなし)に夢中(むちゅう)になった。ふと、アンは袖(そで)が引(ひ)っぱられているのに気(き)がついた。振(ふ)り向(む)くと、ユリが隣(となり)に来(き)ていた。
「あの…」ユリは伏(ふ)し目(め)がちに、とても小(ちい)さな声(こえ)で言(い)った。「ちょっと来(き)て」
 ユリはアンの腕(うで)を引(ひ)っぱって歩(ある)き出(だ)した。綾佳(あやか)も二人(ふたり)の後(あと)をついて行(い)く。ユリは美術品(びじゅつひん)が並(なら)べられている小部屋(こべや)に入(はい)ると、小(ちい)さな絵(え)の前(まえ)で立(た)ち止(ど)まった。
「どうしたのよ。ユリ?」アンはユリの顔(かお)を覗(のぞ)き込(こ)むようにして言(い)った。
「これね」ユリは緊張(きんちょう)で声(こえ)を震(ふる)わせながら、「この絵(え)、本物(ほんもの)じゃない。どの部屋(へや)にも立派(りっぱ)な美術品(びじゅつひん)が置(お)いてあるわ。きっと、ここの人(ひと)は目利(めき)きのはずよ。こんな絵(え)は、飾(かざ)らない」
 アンは驚(おどろ)いて、絵(え)をまじまじと眺(なが)めて言(い)った。「おまえ、絵(え)のことがわかるのか?」
 ――屋敷(やしき)の前(まえ)にはパトカーが並(なら)び、警官(けいかん)たちが出入口(でいりぐち)をかためた。パーティーに来(き)ていた客(きゃく)たちは足止(あしど)めされ、一人(ひとり)ずつ取(と)り調(しら)べを受(う)けていた。
「ほんとに本物(ほんもの)が掛(か)けてあったのか?」大熊(おおくま)警部(けいぶ)は贋作(がんさく)の前(まえ)で顎(あご)をなでた。
「ええ、間違(まちが)いないそうです」隣(となり)にいた若(わか)い刑事(けいじ)が答(こた)えた。
「じゃあ、この絵(え)は」警部(けいぶ)は顎(あご)をしゃくって、「証拠物件(しょうこぶっけん)として運(はこ)んどけ」
 警部(けいぶ)はそう言(い)うと、部屋(へや)を出(で)ようと出口(でぐち)の方(ほう)へ振(ふ)り返(かえ)って驚(おどろ)いた。すぐ後(うし)ろに、ユリが立(た)っていたのだ。警部(けいぶ)は危(あや)うくユリとぶつかるところだった。
「山科(やましな)!」警部(けいぶ)は顔(かお)を真(ま)っ赤(か)にして若(わか)い刑事(けいじ)に怒鳴(どな)った。「何(なん)でここに容疑者(ようぎしゃ)がいるんだ」
「すいません」若(わか)い刑事(けいじ)はすぐに飛(と)んできてユリに言(い)った。「ここへは入(はい)らないで…」
 山科(やましな)はユリの顔(かお)を見(み)て、思(おも)わず言葉(ことば)につまった。「さ、小百合(さゆり)さん。何(なん)でここに…」
「あっ、タモツさん…」ユリも驚(おどろ)いたようで、顔(かお)を赤(あか)らめて目(め)を伏(ふ)せた。
「何(なに)やってんだ」警部(けいぶ)は後(うし)ろから山科(やましな)の頭(あたま)を叩(たた)き、「さっさと連(つ)れてけ」
「でも…」山科(やましな)は警部(けいぶ)を部屋(へや)の隅(すみ)まで連(つ)れて行(い)き声(こえ)をひそめて、「あの子(こ)…いや、あの方(かた)は、副総監(ふくそうかん)のお嬢(じょう)さんで…」
「フクソウカン? エッ、副総監(ふくそうかん)って!」警部(けいぶ)は思(おも)わず口(くち)を押(お)さえた。だが、声(こえ)をひそめて命令(めいれい)した。「ばか野郎(やろう)。いくら副総監(ふくそうかん)のお嬢(じょう)さんだってな、ダメなもんはダメなんだ」
 山科(やましな)がユリを外(そと)へ連(つ)れ出(だ)そうとしたとき、アンが部屋(へや)に飛(と)び込(こ)んで来(き)て言(い)った。
「おい、何(なに)すんだよ」アンはユリをかばうように自分(じぶん)の方(ほう)に引(ひ)き寄(よ)せた。
<つぶやき>女子大生(じょしだいせい)のアンとユリ。二人(ふたり)はどうなるんでしょうか。そして事件(じけん)の行方(ゆくえ)は?
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T:002「絵画(かいが)盗難事件(とうなんじけん)」2
「大丈夫(だいじょうぶ)か?」アンはユリのことを気(き)づかって訊(き)いた。「どうしたんだ。何(なに)かされたのか」
「いえ、私(わたし)がいけなかったの。私(わたし)が…」ユリは消(き)え入(い)りそうな声(こえ)で答(こた)えた。
「おい、山科(やましな)」大熊(おおくま)警部(けいぶ)は若(わか)い刑事(けいじ)を睨(にら)みつけて言(い)った。「早(はや)くつまみ出(だ)せ!」
 山科(やましな)は警部(けいぶ)に従(したが)うしかなかった。「はい」と返事(へんじ)をすると二人(ふたり)に近(ちか)づいて行(い)った。
「やるのか」アンは今(いま)にも若(わか)い刑事(けいじ)に飛(と)びかかろうとしていた。
 それを止(と)めたのはユリだった。アンの腕(うで)にしがみついて必死(ひっし)に叫(さけ)んだ。「やめて。ダメ!」
 ユリの叫(さけ)び声(ごえ)に、アンは驚(おどろ)いて立(た)ち止(ど)まった。彼女(かのじょ)がこんな大声(おおごえ)を出(だ)すなんて、思(おも)ってもみなかったのだ。ユリ自身(じしん)も自分(じぶん)の声(こえ)に驚(おどろ)いて、手(て)を口(くち)に当(あ)てて頬(ほお)を赤(あか)らめた。
「お前(まえ)ら何(なん)なんだ」警部(けいぶ)はあきれて言(い)った。「こっちはガキの相手(あいて)をしてる暇(ひま)はないんだ」
「なに言(い)ってんだ。あたしたちが見(み)つけてやったんだろ」アンも黙(だま)ってはいなかった。
「やめて」ユリはアンの袖(そで)を引(ひ)っぱって言(い)った。「お願(ねが)いだから…」
「わかったよ」アンはまだ何(なに)か言(い)いたげだったが、しかたなく引(ひ)き下(さ)がった。
「あの…、私(わたし)…、確(たし)かめてみたんです」ユリはおどおどしながら言(い)った。
「この部屋(へや)は、毎朝(まいあさ)、ここのご主人(しゅじん)がお掃除(そうじ)してるんですって。今朝(けさ)も、お掃除(そうじ)をしてて。その時(とき)は、間違(まちが)いなく、絵(え)は、本物(ほんもの)だったそうです」
「そんなことはな、とっくに調(しら)べてるんだよ」大熊(おおくま)警部(けいぶ)は見下(みくだ)すように言(い)った。
「そして…」ユリは途中(とちゅう)で言葉(ことば)を切(き)った。緊張(きんちょう)のために、息(いき)が荒(あら)くなってしまったのだ。
「大丈夫(だいじょうぶ)かよ」アンは心配(しんぱい)そうにユリに寄(よ)りそった。
 ユリはアンの顔(かお)を見(み)て少(すこ)し落(お)ち着(つ)いたのか、先(さき)を続(つづ)けた。「私(わたし)がにせ物(もの)を見(み)つけたのが、お昼過(ひるす)ぎの一時(いちじ)ぐらいでした。だから、その間(あいだ)に、絵(え)がすり替(か)えられたことになります」
「そっか」アンは感心(かんしん)したように、「じゃあ、その時間(じかん)にこの屋敷(やしき)にいたやつが怪(あや)しいんだ」
「おい、山科(やましな)」警部(けいぶ)はうんざりしたように言(い)った。「このお嬢(じょう)さんたちに、説明(せつめい)してやれ」
「僕(ぼく)がですか?」山科(やましな)は聞(き)き返(かえ)したが、警部(けいぶ)は受(う)けつけなかった。
「わかりました」山科(やましな)はそう言(い)うと二人(ふたり)の前(まえ)に出(で)て、「だからね。今(いま)、ここにいた人(ひと)たちを、一人(ひとり)ずつ事情(じじょう)聴取(ちょうしゅ)してるんだよ。それと、所持品(しょじひん)の検査(けんさ)もね」
「そうですよね」ユリはひとりごとのようにつぶやいた。そして、何(なに)か考(かんが)えごとでもするように、飾(かざ)られている美術品(びじゅつひん)に目(め)をうつした。
 その時(とき)、中年(ちゅうねん)の刑事(けいじ)が入(はい)って来(き)て警部(けいぶ)に耳打(みみう)ちをした。警部(けいぶ)はその報告(ほうこく)を聞(き)いて唸(うな)った。
「なんてこった。こりゃ、やっかいだぞ」
「どうしたんですか?」山科(やましな)が駆(か)け寄(よ)って訊(き)いた。
「何(なに)も出(で)なかったとさ。目撃者(もくげきしゃ)もなしだ」警部(けいぶ)は頭(あたま)をかいた。
「じゃあ、絵(え)はどこにいったんだよ」アンが警部(けいぶ)に尋(たず)ねた。
「知(し)るかよ」警部(けいぶ)は不機嫌(ふきげん)に答(こた)えると、入(はい)って来(き)た刑事(けいじ)に向(む)かって言(い)った。
「客(きゃく)たちを帰(かえ)そう。これ以上(いじょう)引(ひ)き止(と)めるわけにはいかんだろ」
 ユリは周(まわ)りのことなど気(き)にもとめず、無意識(むいしき)に傾(かたむ)いている絵(え)をもとに戻(もど)した。
<つぶやき>男勝(おとこまさ)りのアンと人見知(ひとみし)りのユリ。二人(ふたり)は絵(え)を見(み)つけられるのでしょうか?
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T:003「絵画(かいが)盗難事件(とうなんじけん)」3
 次(つぎ)の日(ひ)の朝(あさ)、アンとユリは事件(じけん)のあった屋敷(やしき)へ向(む)かっていた。
 ユリは気(き)になる事(こと)があると、他(ほか)の事(こと)が見(み)えなくなってしまうところがある。今日(きょう)だって、大学(だいがく)の講義(こうぎ)があるのにそれをさぼってしまったのだ。ユリは真面目(まじめ)に大学(だいがく)に通(かよ)っているから大丈夫(だいじょうぶ)だが、アンは単位(たんい)がギリギリなので気(き)が気(き)じゃなかった。でも、ユリの性格(せいかく)を知(し)っているので、一人(ひとり)にするわけにはいかなかった。彼女(かのじょ)は世間知(せけんし)らずで気(き)が弱(よわ)いくせに、危険(きけん)なところへどんどん入(はい)り込(こ)んでしまうことがある。
 二人(ふたり)が屋敷(やしき)に到着(とうちゃく)すると、綾佳(あやか)が出迎(でむか)えてくれた。でも、何(なん)となく様子(ようす)がおかしい。昨日(きのう)の明(あか)るくて快活(かいかつ)な感(かん)じがまるでないのだ。何(なに)か心配(しんぱい)ごとでもあるような、そんな顔(かお)をしていた。
「あら、どうしたの?」二人(ふたり)の顔(かお)を見(み)た綾佳(あやか)は、驚(おどろ)いたように言(い)った。
「わるい。ちょっといいかな」アンが申(もう)し訳(わけ)なさそうに、「ユリがどうしてもって言(い)うから」
「ごめん。今(いま)ちょっと、お客(きゃく)が来(き)てるの。私(わたし)の部屋(へや)で待(ま)っててくれるかな」
 綾佳(あやか)はそう言(い)うと、二人(ふたり)を二階(にかい)の自室(じしつ)に案内(あんない)した。
 玄関(げんかん)のホールを抜(ぬ)け、アンティーク風(ふう)の木彫(もくちよう)の手摺(てす)りがついた階段(かいだん)を踊(おど)り場(ば)まで来(き)たとき、階下(かいか)から大(おお)きな声(こえ)がした。
「こんなところで何(なに)をしてる!」
 その声(こえ)に驚(おどろ)いて、綾佳(あやか)とアンは後(うし)ろを振(ふ)り返(かえ)った。アンははっとした。そこにいるはずのユリの姿(すがた)が消(き)えていたのだ。アンはしまったという顔(かお)をして、階段(かいだん)を駆(か)けおりた。
 声(こえ)がした場所(ばしょ)は、例(れい)のコレクションが並(なら)べられた小部屋(こべや)だった。アンたちが部屋(へや)に飛(と)びこんだとき、小柄(こがら)な男(おとこ)がユリにつかみかかろうとしていた。
「やめろ!」アンが叫(さけ)んだ。
 男(おとこ)はその声(こえ)にびくっとしたが、入(はい)ってきた二人(ふたり)を見(み)て平静(へいせい)さをよそおった。
「いや、私(わたし)は…」男(おとこ)は薄(うす)くなった頭(あたま)をなでながら、「忍(しの)び込(こ)んでいた女(おんな)を捕(つか)まえようと」
「彼女(かのじょ)は私(わたし)の友(とも)だちです」綾佳(あやか)は鋭(するど)い声(こえ)で言(い)った。「あなたこそ、勝手(かって)に入(はい)らないで」
 綾佳(あやか)の、この男(おとこ)に対(たい)する態度(たいど)は普通(ふつう)ではなかった。そこには、憎(にく)しみが込(こ)められているようにさえ思(おも)えた。男(おとこ)は平然(へいぜん)として、薄笑(うすわら)いを浮(う)かべて言(い)った。
「お嬢(じょう)さん、私(わたし)は自分(じぶん)の絵(え)を見(み)に来(き)ただけです」
「あの絵(え)は、あなたには渡(わた)さないわ」綾佳(あやか)は男(おとこ)に詰(つ)め寄(よ)って、「渡(わた)すもんですか!」
「困(こま)りましたね」男(おとこ)は綾佳(あやか)の顔(かお)を覗(のぞ)き込(こ)み、「もう、売買契約(ばいばいけいやく)は済(す)んでるんですよ。今日(きょう)は、絵(え)を引(ひ)き取(と)りに来(き)たんですがね」
「あの…、ちょっといいですか?」今(いま)まで黙(だま)って二人(ふたり)のやりとりを見(み)ていたユリが、男(おとこ)に声(こえ)をかけた。「あなた、昨日(きのう)もいましたよね。パーティーのとき」
「それがどうしたんだ」男(おとこ)は刺(さ)すような視線(しせん)をユリに向(む)けた。
 ユリはそんなこと気(き)にもとめず、「今日(きょう)は、ステッキを持(も)ってないんですね。足(あし)が悪(わる)かったんじゃないんですか?」
<つぶやき>ちょっとした事(こと)が気(き)になることってありますよね。私(わたし)は大雑把(おおざっぱ)ですけど…。
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T:004「絵画(かいが)盗難事件(とうなんじけん)」4
 男(おとこ)はユリの言(い)うことなど無視(むし)して、壁(かべ)に掛(か)けてある絵(え)の方(ほう)に歩(あゆ)み寄(よ)って言(い)った。
「じゃあ、これはもらっていくよ」不敵(ふてき)な笑(え)みを浮(う)かべ、男(おとこ)は絵(え)に手(て)を伸(の)ばす。
「触(さわ)らないで!」綾佳(あやか)は男(おとこ)に駆(か)け寄(よ)り、その腕(うで)に飛(と)びついた。
 突然(とつぜん)のことで、アンもユリも立(た)ち尽(つ)くしていた。アンがやっと加勢(かせい)に入(はい)ろうとしたとき、背後(はいご)から、「何(なに)やってんだ」とすごみのある声(こえ)が響(ひび)いた。
 そこに立(た)っていたのは大熊(おおくま)警部(けいぶ)。その後(うし)ろには、山科(やましな)刑事(けいじ)がひかえていた。
「勝手(かって)なまねをしてもらっちゃ困(こま)るな」警部(けいぶ)は男(おとこ)を睨(にら)みつけた。
 男(おとこ)がひるんだ隙(すき)を見(み)て、綾佳(あやか)は絵(え)をはずして両腕(りょううで)でしっかりと抱(だ)きしめた。それを見(み)た男(おとこ)は舌打(したう)ちをして、いまいましそうに綾佳(あやか)を睨(にら)みつけて帰(かえ)って行(い)った。
「すいません。勝手(かって)に入(はい)って来(き)て」男(おとこ)を見送(みおく)り山科(やましな)が言(い)った。「何度(なんど)も声(こえ)をかけたんですが」
「またお前(まえ)たちか」大熊(おおくま)警部(けいぶ)はアンたちを見(み)て、「俺(おれ)たちの邪魔(じゃま)だけはしないでくれよ」
 警部(けいぶ)は皮肉(ひにく)たっぷりに言(い)うと、座(すわ)り込(こ)んで震(ふる)えている綾佳(あやか)に手(て)を差(さ)し出(だ)した。
「お嬢(じょう)さん、大丈夫(だいじょうぶ)か?」警部(けいぶ)はその顔(かお)に似合(にあ)わず、優(やさ)しく綾佳(あやか)を立(た)たせて訊(き)いた。
「さっきの男(おとこ)は何者(なにもの)です? どうして、この絵(え)を」
 綾佳(あやか)は固(かた)く口(くち)を閉(と)ざして何(なに)も言(い)わなかった。そんな彼女(かのじょ)のようすを見(み)て、警部(けいぶ)もそれ以上(いじょう)詮索(せんさく)することはなかった。
 応接間(おうせつま)に通(とお)された刑事(けいじ)たちは、綾佳(あやか)が淹(い)れてくれた紅茶(こうちゃ)を口(くち)にした。警部(けいぶ)は紅茶(こうちゃ)を飲(の)み干(ほ)すと、はーっと息(いき)を吐(は)いた。警部(けいぶ)のほころんだ顔(かお)つきを見(み)て、アンは思(おも)わず吹(ふ)き出(だ)した。
「なんだ」警部(けいぶ)はアンを睨(にら)みつけて、「何(なん)でお前(まえ)たちがここにいるんだ」
「いいだろう」アンは口(くち)をとがらせて、「綾佳(あやか)に何(なに)かしたら、ただじゃおかないからな」
「だめだよ。そんなこと言っちゃ」隣にいたユリが小さな声で注意した。
「まあ、いい」警部は不機嫌そうにつぶやくと、山科に目配せした。
 山科は緊張気味に、「こちらのご主人にお訊きしたいことがありまして、伺ったんですが」
「すいません。今、お爺さまは出かけておりまして…」伏し目がちに綾佳が答えた。
「そうですか…」
 山科は判断を仰ぐために警部の方を見た。だが、警部はお茶菓子に出された手作りのクッキーを、美味しそうにほおばっていた。無視された山科はため息をついた。警部は自分の娘と同じ年頃の女性には、どうも手ぬるくなってしまうのだ。もちろん、例外はあるが。
「あの、ご存知でしたか?」山科は本題に入った。「盗まれた絵には、かなり高額な保険が掛けられていたことを」
「はい。ここにある高価なものには、保険を掛けてあると聞いたことがあります」
「で、あなたのお爺様の会社の経営状態が、あまりよくないそうですね」
「何が言いたいんですか?」綾佳は困惑した顔で訊いた。
「保険金詐欺を疑っているの?」突然、ユリが横から口を挟んだ。
「そんな…」綾佳は立ち上がり山科を睨みつけて、「おじいちゃんは、そんなことしないわ」
<つぶやき>恐い顔をしていても、実は優しい心の持ち主かも。父親は娘には弱いのです。
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T:005「絵画盗難事件」5
「まあ、お座り下さい」大熊警部は穏やかな口調で言った。だが、彼の目は刑事の鋭い目つきに変わっていた。「われわれもあらゆる可能性を考えていまして。保険が掛けられている以上、調べないわけにはいかないんですよ」
「それで、ですね」山科刑事が先を続けた。「お爺様が今どこにいるのか、ご存じですか? 会社の方には来ていないということなのですが」
「さあ…」綾佳は首を傾げながら座り、「朝早くに出かけたみたいで、私にはわかりません」
「そうですか」山科はちょっと困った顔をして言った。
 さっきからずっと何かを考えていたユリが、一人言のようにささやいた。
「どうして、あの絵を欲しがっているんでしょう」
「えっ、どうしたんだ?」隣に座っていたアンが訊き返した。
「あの、さっきの人ね。どうして、あの絵を欲しがるのかなって思って。だって、有名な画家の絵じゃないし、私にはその理由がわからないの」
 絵の話になると、綾佳の表情が曇った。それを見逃さなかった警部は、さっきよりも優しく尋ねた。「もし、お差し支えなければ、話していただけませんか?」
 綾佳は一瞬迷ったが、意を決して頷いた。
「あれは母が描いたんです。あの絵に描かれているのは、母との思い出の場所。子供の頃、よく遊びに行った場所なんです。その母も二年前に亡くなって…」
 母親のことを思い出したのか、綾佳は言葉をつまらせた。警部は彼女が落ち着くのを待って、口を挟んだ。「なぜ、そんな大切な絵を手放すことにしたんです?」
「違います」綾佳は首を振り、「最初はほかの絵だったんです。それなのに、母の絵の方がいいって、急に言いだして」
「なるほど」警部は頷いた。
「あの、最初の絵って、何だったんですか?」
 ユリが横から口を出したので、警部は咳ばらいをして睨みつけた。ユリは小さくなって、アンの方に身を寄せた。
「あの絵です。昨日、盗まれた」
 綾佳の言葉に、刑事たちは顔を見合わせた。
 その時、玄関の方で音がした。誰かが入って来たようだ。綾佳は、「おじいちゃん…」とつぶやいて部屋を飛び出していった。
 この家の主人は初老の男だった。髪は白く、目には優しさと教養の高さがうかがえた。とても犯罪を犯すような人間には見えない。主人は刑事たちの質問に答えて、
「たしかに会社の経営はよくありません。ですが、保険金をだまし取ろうなんて。そんなこと考えたこともありません」
 老人はきっぱりと言った。そして、さっきの男の話になると驚いたように、「私があの絵を手放すわけがない。私の大切な…、娘の絵なんですから」
<つぶやき>他人には価値がなくても、その人にとってはとても大切なものってあるよね。
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T:006「絵画盗難事件」6
 大熊警部は男のことについて詳しく訊いた。
 主人の話では、その男は一ヵ月ほど前に突然現れて、山本と名乗ったそうだ。職業は画商で、この屋敷のコレクションのことをどこかで聞いてやって来たのだ。その後も何度か訪ねて来て、数日前に絵を売ってほしいと持ちかけてきた。
 警部は主人が話し終えると、「うーん」と唸った。何かひっかかるものがあるようだ。
「あのーォ」ユリが恐る恐る警部に声をかけた。「あの人、昨日ここに来てましたよ」
「なに!」警部は大声で叫んだ。ユリは思わずアンの後ろに隠れた。
「そんなはずないよ」山科刑事が言った。「昨日の客の中に山本なんて…」
「あの人はお客なんかじゃありません」綾佳が答えた。「パーティが始まる頃には帰ったはずです」
 警部は顎をさすって主人に訊いた。「その山本という男は、何をしに来たのですか?」
「いつものように、絵を見せてほしいと。今日は忙しいからと断ったのですが、どうしてもと言われるものですから…」
「それで、コレクションの部屋に入ったんですね」
 主人は頷いた。そこで、すかさず身を乗り出してユリが話に割って入った。
「あの、その部屋で、その人、ひとりになった時ってありました?」
 主人は戸惑ったように警部の方を見た。警部は微妙に嫌な顔をしたが、自分も訊きたいことだったので何も言わず促した。
「はい。ちょうどお客が来られる時間でしたので…。ですが、ほんの数分だと思います」
「その山本って人は、いつもステッキを持ってましたか?」ユリはうれしそうに訊いた。
「ええ。足が悪いみたいでしたが…」
 主人は首を傾げて答えた。なぜそんな質問をするのか理解できないようだ。それは警部も同様だった。ひとりでニヤニヤしている小娘が、気に食わないという顔をしていた。
「あの、もう一度あの部屋を見せてもらえませんか?」ユリは主人にお願いした。
 部屋は事件が起こった時のままにされていた。贋作の絵だけが外されて、ぽっかりと穴が空いたようになっている。ユリは部屋の中を見まわした。すべての作品が整然と並べられ、ある種の緊張感を漂わせている。彼女はあの母親が描いたという絵の前に歩み寄った。そして、何かを確認するように絵の額縁にふれた。
「私、わかっちゃいました」
 ユリは嬉しそうに振り返って言った。「たぶん、ここにあります」
 みんなはきょとんとした顔でユリを見た。アンが心配そうに駆け寄ってきてささやいた。
「ねえ、そんなこと言っちゃって大丈夫なの? あのおじさん、すごい顔で睨んでるよ」
 たしかに、警部の我慢も限界にきていた。横で山科がおろおろしている。でも、ユリはそんなことおかまいなしに綾佳に声をかけた。
「ねえ、この絵、外してもいいですか?」
<つぶやき>いよいよ事件は核心へと向かいます。はたして絵は見つかるのでしょうか?
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T:007「絵画盗難事件」7
 翌日、屋敷の応接間に山本が座っていた。テーブルの上にはあの絵が置いてある。
「しかし、驚いたね。絵を売る気になるなんて」
 山本はにやつきながら、お金の入った封筒を綾佳の前に差し出した。綾佳は落ち着いた様子で、封筒の中のお金を確かめて言った。「残念ですけど、これではお売りできませんわ」
「なに言ってるんだ。約束した金は…」
「他に買い取りたいってうい方がいまして。この十倍の額を提示されましたの」
「十倍? 何を馬鹿な…。どこのどいつだ。そんなことを言ったのは」
 この時、応接間のドアが開いて、いかにもセレブといった女性が入って来た。大きな帽子と奇麗なドレスで着飾ってはいるが、何ともぎこちない動作である。
「あたくしですわ。あの…、あたし、この絵が気に入ってしまって」
「どこのお嬢さんか知らないが、この絵にそんな価値はない。素人は引っ込んでな」
 山本は女を睨みつけた。女は少したじろいだが前に進み出て、「じゃあ、どうしてあなたは、そんな価値のない絵を欲しがるんですか? 本当は、この中にある別の絵が…」
 男は突然立ち上がった。その顔には殺気がみなぎっている。女は驚いた拍子にバランスを崩し、尻餅をついてしまった。大きな帽子が彼女の頭から滑り落ちる。
「お前は…」女の顔を見て男は言った。「昨日の、生意気な女か」
 その女は、ユリだった。男は座り込んでいるユリの胸ぐらをつかんで言った。
「クソッ、バレちゃしょうがねえ。こんなに早く贋作が見破られるとは思わなかったよ。おかげで、手荒なまねをしなくちゃいけなくなった」
 男はポケットからナイフを取り出して、刃先をユリの目の前に突き出した。ユリは思わず目をつむった。男は綾佳に向かって、「さあ、絵を渡してもらおうか」
 綾佳は絵を持つと、ゆっくりと男の方に近づいた。そして、男の手がユリから離れると、綾佳は男に向かって絵を投げつけた。それを合図に、刑事たちが部屋になだれ込んで来る。まっ先に山科が男に飛びかかった。しかし、逆に殴り飛ばされてしまう。男は必死にナイフを振りまわす。動けなくなっているユリが目に入ると、男はやけくそになって彼女に切りかかった。次の瞬間、男の身体は宙を飛んでいた。
「助かったよ。おかげで怪我人を出さなくて済んだ」大熊警部は無骨につぶやいた。
「いや、あたしはユリを助けたかっただけで」アンが照れくさそうに答えた。
「誰に習ったか知らんが、警官にならないか? お前だったら、いい刑事になれるかもな」
 警部はそう言うと、答えも聞かずに帰って行った。ユリの介抱をしていた山科が、その後からばつが悪そうについて行く。二人を見送って、アンはユリの方へ走り寄った。
「なあ、あの若い刑事と知り合いか? どういう関係なんだよ」
「関係って?」ユリは顔を赤らめて、「そんなんじゃないわよ。ただの、幼なじみ」
「へーぇ、ユリって、ああいうへなちょこが好きなんだ」
 アンは嬉しそうにユリの頬を突っついた。ユリの顔はますます真っ赤になった。
<つぶやき>事件は無事に解決です。この後も、この二人の活躍は続くのでしょうか?
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短編物語End