連載物語

*** 作品リスト ***
 No、  公開日    作品名(本文表示へ)
0001 2009/04/15 001「いつか、あの場所で…/初めの一歩1」
0004 2009/04/23 002「いつか、あの場所で…/初めの一歩2」
0007 2009/05/02 003「いつか、あの場所で…/初めの一歩3」
0010 2009/05/09 004「いつか、あの場所で…/大空に舞え、鯉のぼり1」
0013 2009/05/19 005「いつか、あの場所で…/大空に舞え、鯉のぼり2」
0016 2009/05/26 006「いつか、あの場所で…/大空に舞え、鯉のぼり3」
0019 2009/05/31 007「いつか、あの場所で…/大空に舞え、鯉のぼり4」
0022 2009/06/05 008「いつか、あの場所で…/大空に舞え、鯉のぼり5」
0025 2009/06/10 009「いつか、あの場所で…/大空に舞え、鯉のぼり6」
0028 2009/06/15 010「いつか、あの場所で…/雨のち晴、いつか思い出1」
0031 2009/06/20 011「いつか、あの場所で…/雨のち晴、いつか思い出2」
0034 2009/06/25 012「いつか、あの場所で…/雨のち晴、いつか思い出3」
0037 2009/06/30 013「いつか、あの場所で…/雨のち晴、いつか思い出4」
0040 2009/07/05 014「いつか、あの場所で…/おまつりの夜1」
0043 2009/07/12 015「いつか、あの場所で…/おまつりの夜2」
0046 2009/07/27 016「いつか、あの場所で…/おまつりの夜3」
0049 2009/08/07 017「いつか、あの場所で…/おまつりの夜4」
0052 2009/08/12 018「いつか、あの場所で…/おまつりの夜5」
0055 2009/08/20 019「いつか、あの場所で…/おまつりの夜6」
0058 2009/08/27 020「いつか、あの場所で…/おまつりの夜7」
0061 2009/09/16 021「いつか、あの場所で…/夏休みのこわーいお話1」
0064 2009/09/25 022「いつか、あの場所で…/夏休みのこわーいお話2」
0067 2009/10/29 023「いつか、あの場所で…/夏休みのこわーいお話3」
0070 2009/12/27 024「いつか、あの場所で…/夏休みのこわーいお話4」
0073 2010/01/26 025「いつか、あの場所で…/夏休みのこわーいお話5」
0076 2010/02/14 026「いつか、あの場所で…/夏休みのこわーいお話6」
0079 2010/02/25 027「いつか、あの場所で…/乙女心と恋の味1」
0082 2010/03/08 028「いつか、あの場所で…/乙女心と恋の味2」
0085 2010/03/17 029「いつか、あの場所で…/乙女心と恋の味3」
0088 2010/04/19 030「いつか、あの場所で…/乙女心と恋の味4」
0091 2010/04/29 031「いつか、あの場所で…/乙女心と恋の味5」
0097 2010/05/18 032「いつか、あの場所で…/乙女心と恋の味6」
0105 2010/06/07 033「いつか、あの場所で…/乙女心と恋の味7」

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T:033「いつか、あの場所で…」
 「乙女心と恋の味」7
「先生、用意できたよ」
 さくらが奥から出てくる。何をするの? ちゃんと教えてよ。
「さあ、高太郎君。ゆかりさんを呼んでみて」
「えっ?」先生、なんなの?
「ほら、高太郎。ゆかり、待ってるから。早く呼んで」
 そんなこと言ったって、さくら…。
「なに照れてるのかなぁ。いつもみたいに呼べばいいじゃない」
 先生…。簡単に言わないでよ。いつもと違うだろう。二人の目が期待を込めて僕に注がれる。これはもう呼ばないわけにはいかなくなった。
「ゆかり…」
「だめだめ、そんなんじゃ。もっと大きな声で」
 先生、ここは学校じゃないんだから…。もうやけくそだ。どうにでもなれ…、
「ゆかり!」
「うるさい!」ゆかりが出て来た。「大声出すな!」
 えっ! ゆかりが…。「なんでスカートはいてるの?」
「文句あんの。いいだろ、たまには…」
 ゆかりは恥ずかしがっている。今まで絶対はかなかったのに…。
「そんなに見るなよ。見なくていいの!」ゆかりはさくらの後に隠れる。
「だから、嫌だって言ったのに…」
「とっても似合ってるよ。大丈夫」さくらが励ます。
 僕もそう思う。ゆかりはこの方がいい。これでもう少し大人しくなると、もっと良いんだけどなぁ。絶対、無理だけど…。
「ゆかりさん、きれいよォ。これだったら、男の子たちもほっとかないわ」
「先生、なに言ってるの。今日だけだから…。絶対、誰にも言わないでね」
「カメラ、持ってくれば良かったなぁ」「さくら、絶交だからね」
「ごめん…」
 結局、さくらと二人だけってことにはならなかった。ちょっと残念でもあり、ほっとしたところもある。これで良かったんだよ、きっと。
「もうそろそろ良いかなぁ…」おじさんが出てくる。「あれ、こちらのお美しい方は…」
 そんなこと言うと、後で大変なことになるから…。
「どうも、初めまして。私、この子たちの担任で…」
「先生、そんなの後で良いよ。早く座って。ほら、みんなも」ゆかりが仕切りだした。
「おじさん、早いとこ出しちゃって」
「承知いたしました。こちらの素敵なお嬢様のお頼みとあらば、たとえ火の中、水の中…」
「もう分かったから、早くして!」
<つぶやき>慣れないことをして、よくドジるのは私です。とても無器用なものですから。
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T:032「いつか、あの場所で…」
 「乙女心と恋の味」6
「おっ、来たなぁ。…色男はつらいねぇ」おじさんが現れた。
「なに言ってるの?」僕は少しほっとした。二人だけじゃなくなって…。
「今日は休みなの?」「今日は高ちゃんのために貸し切り」
「えっ? そんなことしたら店潰(つぶ)れちゃうよ」「大丈夫。色男に払ってもらうから」
「そんな…」「冗談だよ。心配すんなって」僕は色男なんかじゃない。
「どうする? さくらちゃん、もう来ると思うけど…」「来るまで待ってる」
「じゃ、とりあえずあっちの方、そろそろ始めるね」おじさんは厨房に入って行った。
「なんなの?」ゆかりに聞いてみる。
「黙って座ってて!」「はい…」素直に従ってしまう。
 なぜなんだ。今日は何も言い返せない。…また、沈黙が続く。
「ゆかり、遅れてごめん!」さくらが入ってきた。「ほら、これ」袋をゆかりに渡す。
「えっ…、やっぱり止めようよ」
 ゆかりは消極的だ。何が入っているんだろう。
「なに言ってるの。約束でしょう」「でも…」
「ほら、行くよ。高太郎、ちょっと待っててね」二人は店の奥に入っていく。
 何なんだよ。どうなっているのかまったく分からない。僕が店の奥を気にしていると、誰かが入ってきた。…うそ! 何でこんな所に…。
「高太郎君、誕生日おめでとう」なんで、なんで来るわけ。
「…どうも」
「へえ、面白いお店ね。先生、初めて…」
 そう、久美子先生だ。
「わぁ、これ知ってる。こんなのまだ残ってるんだ」
 先生は棚に飾ってあるがらくたを見て騒いでいる。
「先生、なんで来たの?」僕は素朴な疑問をぶつけてみる。
「来ちゃいけなかった? たまにはいいじゃない。学校の外で会うのも。高太郎君はこんな面白い場所、知ってるんだね」
「いや、みんなも知ってるけど…」
「そうなんだ。先生にも教えて欲しかったなぁ」
 僕にはこれから先の展開がまったく分からない。これからどうなるんだろう?
「どうしたの? やっぱり先生が来ちゃまずかった? 心配しなくてもいいのよ。先生はさくらさんを送ってきただけだから」
「えっ?」
「なんかね、買い物に付き合って下さいって、頼まれちゃって。ちょうど今日はやることもなかったから、ドライブがてら行ってきたってわけ」
「なに買ってきたんですか?」「それは見てのお楽しみ」
<つぶやき>サプライズ・パーティーは仕掛ける方は楽しいでしょうね。でも、私は…。
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T:031「いつか、あの場所で…」
 「乙女心と恋の味」5
 いろいろあったけど、誕生日がやってきた。お姉ちゃんの召し使いも今日で終わる。ゆかりとは、まだ仲直りしていない。僕のことを避けているんだ。こんな思いで誕生日を迎えることになるなんて…。たださくらに誘われた、それだけの事だったのに。こんな事態になるなんて、誰が想像できただろう。ゆかりは…、やっぱり家には来なかった。
 何だかすっきりしないまま、僕はさくらに会うために黒猫亭まで来ていた。
「よしっ」僕は気合いを入れて中に入る。
 …誰もいない。早すぎたのかな?
「おじさん、いないの?」
 返事がない。僕が厨房の方へ行こうとしたとき、ゆかりが突然現れた。
<……! 何でここにいるの?>
 僕の頭の中はパニックになっていた。
「早いじゃない。今日は遅刻しないんだ」
「…何してるの?」「別に…」
 どうしたのかな、いつものゆかりじゃない。なんだか分からないけど、どきどきしてきた。
「ほら、これ」大きな紙袋を差し出す。「プレゼント。別に、いま開けなくてもいいけど…」
 何が入ってるんだろう。たぶん、すぐ開けろってことだよね。
「ありがとう」僕が袋の中を覗こうとしたら、
「見なくていいの! 家に帰ってからにして」
 えっ、開けろってことじゃないの? 分からない。今日のゆかりは、何を考えているのか読み取れない。「…分かった。そうする」
「座って」「えっ?」「いいから、そこに座ってよ」
 どうなってるんだろう? 僕は言われるままにイスに座る。ゆかりも僕の前に座って…。沈黙。…静かだ。ゆかりがこんなに静かにしているなんて、初めてのことかもしれない。僕はたまらず…、
「さくらは来てないのかな?」探りを入れる。
「さあね…」
 気のない返事が返ってくる。まずい。まだ怒ってる。ここは謝っておかないと、何をするか分からない。
「ごめん。ゆかりのこと…。お前の気持ち、何も考えないで…」「もういいよ」
「これからは、あんなこと、もう言わないから…」「無理しなくてもいいの」
「無理なんか…」「私たちは幼なじみ。それだけのことなんだから…」
「えっ?」
 何だよ。何が言いたいのか僕には分からない。ゆかりは僕を見ようともしない。いつもなら睨み付けてくるのに。どうすれば良いんだ。さくらぁ、早く来てくれないかなぁ。
<つぶやき>身近な人の意外な一面を見たとき、なぜか心ひかれる気がするのはなぜ?
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T:030「いつか、あの場所で…」
 「乙女心と恋の味」4
「ゆかり、ちょっと来て。話しがある」さくらがゆかりを呼び出した。
「どうしたの?」ゆかりにはわかっていたのかもしれない。さくらの言いたいことが。
「私に、嘘ついたでしょう」「えっ…、嘘なんてついてないよ。なに怒ってるの?」
「なんで誕生日のこと話してくれなかったの!」「あっ…。話したんだ、高太郎」
「私たち親友でしょう。なんでちゃんと教えてくれなかったのよ」
「…ごめん、悪かった。でも、もういいの。あいつのことは…。いつもと違う誕生日にしてあげたかったんだけど、私じゃ駄目みたいだから…」
「止めちゃうの? 高太郎のために…」
「いいの……。プレゼントも用意したのに…。がんばって作ったのになぁ」
「もう…。やろうよ、誕生会。私も手伝うから。そんなの、ゆかりらしくない!」
 僕はどうかしていた。こんなことでゆかりと喧嘩するなんて。でも、僕はさくらのことが…。ゆかりよりも気になっていた。こんなチャンスは二度とないかもしれない。
「今年はゆかりと何やるの?」お姉ちゃんの穿鑿(せんさく)好きがまた始まった。
「別に…」「去年は、ハイキングに行ったんだよね」
 その話は思い出したくない。大変だったんだから。
「あいつが行こうって誘うから…」「それで、山道で足滑らせて捻挫(ねんざ)しちゃって…」
「はい。それでゆかりを背負って戻ってきました」
 ゆかりも変なところでドジなんだよなぁ。
「でも、あの時の高太郎、格好良かったよ。今年も一緒に過ごすんでしょう?」
「今年は一緒じゃないよ」「なんで?」「いいだろ…。他に行くとこあるから」
「小さい頃から、二人の誕生日の時は一緒にいたじゃない」「そんなこと言ったって…」
「ゆかり、楽しみにしてるよ。絶対、がっかりするだろうなぁ」「もういいよ」
「ほんとにそれでいいの?」「どうせ来ないよ。あいつとは喧嘩してるし…」
 あれから、話しもしてくれない。
「誕生日に会わなくたって…、別にいいの」
「ゆかり、かわいそう。今までずっと付き合ってくれてたのに」
「こっちから頼んだ訳じゃないし。向こうが勝手に…」
「女はね、男みたいに単純じゃないの。乙女心は繊細で傷つきやすいんだから。ちょっとしたことでも、落ち込んだりするんだよ」
「…なに言ってるの。お姉ちゃんにそんなこと分かるの?」
 お姉ちゃんは乙女なんかじゃない。絶対に…。
「ああ、言っちゃった。今年のプレゼント、なくなっちゃうよぉ」
 …しまった。僕はなんとか取り繕って…。約束してたことがある。お姉ちゃんはお菓子作りにはまっていて、ケーキを作ってくれることになっていた。これは逃(のが)したくない。
「誕生日までは逆らえないんじゃないの」お姉ちゃんはニヤニヤしながら言った。
 こいつは鬼だーっ! 人の弱みにつけ込んで…。思い知らせてやる。弟をなめるなよっ!
<つぶやき>兄弟とは不思議なものです。離れていても、なんか気になるんですよね。
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T:029「いつか、あの場所で…」
 「乙女心と恋の味」3
「なにニヤニヤしてるの? 気持ち悪い」
 次の日、ゆかりが僕に話し掛けてきた。
「ねえ、今度の日曜、ちょっと付き合ってよ」
 …僕は浮かれていた。
「ねえ! 聞いてるの?」
「うるさいな。日曜はダメ。あいてないから」ゆかりなんかに邪魔されたくない。
「何でよ!」「…ちょっとね」今は言えない。
「あっ、私に隠し事するんだ」「いいだろ、別に…」しつこい。
「白状しろよ」ゆかりが迫ってきた。
「教えない!」でも、誰かに話したいって気分…。
「分かった。もういい」
 えっ? あきらめるのかよ。早すぎるだろ。「いいのか? 知りたいんだろ」
「別に聞かなくても…」「ほんとは、聞きたいんだろ」
「止めとく」「なんで!」
「話したくないんでしょう?」「いいから、聞けよ!」
「そんなに言うんなら、聞いてあげてもいいけど…」
 えっ? いつの間にか立場が逆転してないか? まあ、そんなことはどうでもいいか…。
「実は、日曜はさくらとデートなんだぁ」
 笑顔になってしまうのはなぜだろう。それは嬉しいことだからだ!
「そうか、私よりさくらを取るんだ。幼なじみを捨てるってことね」
 嫌な予感が…。
「私よりもさくらと過ごしたいんだ。今までずっと誕生日は一緒にいたのに…」
「それは、お前が勝手に来てただけで…」
「幼なじみでしょう!」
 また言うんだ。こう言えば僕が何でも言うことを聞くと思ってるんだから。今度ばかりは、そうはいかない。
「私も誘ってくれたっていいじゃない。幼なじみなんだから」
「だってデートだから…」「そんなに二人だけになりたいんだ」
「そんなんじゃないよ。そういうことじゃなくて…」
「私を仲間はずれにするんだ。ふーん、そうなんだ」
「なんだよ…」「私も行く!」
「なに言ってるんだよ。絶対、ついてくるなよ!」言ってしまった。
「…もういい! せいぜい楽しんでくれば」
 ゆかりは怒って行ってしまう。ちょっと言い過ぎたかな? でも、こんなに簡単にあきらめてしまうなんて。すごく嫌な予感がする。ゆかりは何をするか分からない。…とっても気になる。
<つぶやき>時に、自分でも思ってもいなかったことを口走ってしまうことがあります。
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T:028「いつか、あの場所で…」
 「乙女心と恋の味」2
 長かった夏休みも終わり、またいつもの生活が始まった。さくらが隣にいたおかげで、宿題も何とか間に合ったし…。ずいぶん助かった。また、みんなと一緒に勉強したり遊んだり、いつもと変わらない毎日だ。…でも、なぜか今日はさくらから誘ってきた。いつもはゆかりと一緒に帰るのに…。どうしたんだろう?
「ゆかりは?」僕は訊いてみた。
「なんか用があるからって、先に帰っちゃった」
「そうなんだ…」
 話しが続かない。いつもは、ゆかりがいるから何とも思わなかったけど。さくらと二人だけになると、話すことが少ないのに気がついた。よく考えてみると、ゆかりが一番おしゃべりなんだよなぁ。僕はさくらのことを、どれだけ知っているんだろう。
 何を話したらいいのか…。気の利いたことを話さなきゃって思うんだけど…。どうでもいいような事ばかり話している。きっとさくらは退屈してて、僕と二人だけで帰るのはもう止めようって思ってるかも…。空回りしているうちに、とうとう家の前についてしまった。
 何だかもどかしい。別れがたい気持ちを残してさよならを言う。さくらは、僕が家に入ろうとするのを呼び止めて、
「あの…、高太郎。今度の日曜日、あいてる?」
「えっ?」
 僕は驚いた。今までさくらからそんなこと言われたことがない。
「あいてるけど…」さくらが何を言い出すのか、どきどきしながら答える。
「それじゃ、黒猫に来てくれない。時間は、お昼前くらいに」
「あの…、僕と二人?」
「…そうよ。あの、いろいろ助けてもらってるから、そのお礼をしようかなって…」
「えっ、なんで知ってるの? 僕の、誕生日」
「えっ?」
「そうか、ゆかりから聞いたんだ」
 さくらは一瞬、戸惑ったような表情を見せる。
「違うの?」また変なことを言ってしまったんじゃないかと心配になった。
「…そう、実はそうなんだ。この間、ゆかりから聞いてね。ゆかりも、もっと早く教えてくれればいいのに。ねえ…」
「ありがとう。楽しみにしてるから。やったーぁ!」
 なにやってるんだろう、僕は…。ひとりではしゃいでる。
「…それじゃ、またあした」さくらはそう言って家に入ってしまう。
 僕があんまり有頂天になっていたから、呆れちゃったのかな…。でも、ほんとに嬉しかったんだ。
<つぶやき>もし好きな人から誘われたら、誰だって嬉しくなって飛び上がりますよね。
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T:027「いつか、あの場所で…」
 「乙女心と恋の味」1
「さくらに、頼みたいことがあるんだけどなぁ…」
「えっ、なに?」
「実はね、高太郎のことなんだ」
「ゆかり、また悪戯しようとしてるでしょう」
「そんなんじゃないよ。…あのね、高太郎を呼び出して欲しいんだ」
「私が?」
「さくらが誘った方が、間違いなく来ると思うんだ」
「ゆかり…。なにか企んでる」
「そんな…」
「私は悪戯の手伝いなんかしないわよ。もう止めようよ、そういうこと…」
「違うって。そんなこと考えてないよ。悪戯なんかじゃ…」
「ほんとに?」
「ほんと、ほんと。ぜんぜん違うの」
「じゃあ、何でそんなことするの?」
「これから言うこと、高太郎にも、誰にも言っちゃ駄目だよ」
「分かった。誰にも言わない」
「高太郎ね、みんなには隠してるけど、ピーマンが苦手なの」
「えっ、そうだった?」
「そうなの。だから、黒猫のおじさんに頼んで、ピーマンを美味しく食べられる料理を作ってもらおうと思って」
「そっか…。実は、私もピーマン苦手なんだ」
「そうなの?」
「食べられないってほどじゃないけど」
「じゃ、協力してくれるよね」
「いいわよ。私も付き合う。おじさんの料理、食べてみたいし」
「さくらは駄目よ!」
「えっ? いいじゃない」
「さくらは、黒猫に呼び出してくれるだけでいいの」
「そんな…」
「ピーマンが苦手なこと、誰にも知られたくないと思うの。だから、さくらはいない方がいい。…高太郎のためなんだから」
「…分かった。でも、私も食べたかったなぁ」
<つぶやき>高太郎の知らないところで、二人がこんな約束をしていたなんて。
      さて、これから何が始まるのでしょうか?
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T:026「いつか、あの場所で…」
 「夏休みのこわーいお話」6
 僕はさくらの顔をずっと見ていた。まだ心配だったから。そんな僕を見てゆかりは…、
「そんなに好きなんだ」「なに言ってるの。そんなんじゃ…」
「こういう子が良いんだ」「えっ?」
「女の子らしくて、可愛くて…」「違うって」
「守ってあげたくなっちゃうんだ」「なんだよ。お前、変だぞ」
「私も、弱いところあるんだけどなぁ」「そんなの無いだろ」
「なんだよ。気づけよなぁ…」
 その時、さくらが目を覚ました。僕は先生を呼びに行く。
「気分は悪くない? 何処か痛いところは?」先生がさくらに聞いている。
 どうやら大丈夫そうだ。…良かった。
「打ち上げが始まるまで休んでなさい。いいわね」
 そう言って先生は肝だめしの様子を見に行った。何だか気になるらしい。
「さくら、大丈夫?」「ゆかり、私ね…」「高太郎があんなところで飛び出すから…」
「俺のせいかよ」「そうでしょう。やりすぎなのよ。さくら、怖かったでしょう?」
「あのね、私…」
「そんなこと言ったって、なんで一番最初に来るんだよ」
「だって、さくらが最初が良いって言ったから…」「お前が先に歩けばいいだろ」
「えっ、私だったら気絶させても良いってこと?」「お前が気絶するわけないだろ」
「…そんなことない」「蹴り入れるくせに」「ひどい、そんなこと言って…」
「あのね…。私、見ちゃったの」さくらが震える声でささやいた。様子がおかしい。
「どうしたの?」ゆかりが聞く。さくらは話を続けた。
「…あれ。あれがいたの」「あれって?」
「だから、あれよ」「さくら、あんたは高太郎に脅かされて気絶したのよ」
「ううん、そうじゃないの…。あの、暗い廊下の、向こうにいたのよ」「…なにが?」
「だから、…落ち武者よ」「そんなわけないよ。だって、そんな格好してる奴なんて…」
 僕は裏のことは全部知っているし、いるはずがない。
「もう、私たちを脅かそうとしてるでしょう」ゆかりも本気にしてないみたいだ。
 でも、さくらは…。静かに話を続ける。
「ほんとにいたのよ。…血を流してる落ち武者が、五人。私の方をじっと見てた。…ゆらゆら、揺れてたわ。宙に浮いてるみたいに。何か私に…。私に何か言いたいことがあるみたい。そう思ったら、急に私の方に飛んできたの…」
 この後、僕たち三人の悲鳴が校舎に響き渡った。さくらはほんとに落ち武者を見たのか。それとも怖いと思う気持ちが錯覚をさせたのか…。今となっては真相は分からない。この話は、きっと後輩たちに語り継がれることだろう。この肝だめしが続く限り。そして僕たちにとっても、忘れられない夏になった。
<つぶやき>幽霊や妖怪って、いると思いますか。恐いけど私はいるんじゃないかと…。
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T:025「いつか、あの場所で…」
 「夏休みのこわーいお話」5
 僕は、さくらたちが最初に来るなんて思ってもいなかった。
「ゆかり、遅いよ。もっと早く歩いて」
「さくら、もっとゆっくり行こうよ。それじゃ、楽しめない」
「楽しむような事じゃないでしょう」「えっ、そんな…」
「早く、早く来て!」
「分かったよ。ねえ、そんなにびくびくしなくても。何か出るとしても、校舎に入ってからだよ」
「そんなこと分かってるわよ」
「わっ!」「きゃーっ!」「そんなに怖いんだ」ゆかりはほんとに楽しんでいるようだ。
「…もう、ゆかり。脅かさないでよ!」
「わるい、わるい。さあ、校舎に入るよ」
 誰かの声が聞こえたような気がした。最初の組が来ているんだ。こちらも戦闘態勢に入る。むちゃくちゃ脅かしてやる。僕は最初の脅かすポイントにいる。暗い廊下の途中で飛び出すことになってるんだ。最初は誰が来るのかな?
「最初はここか。なかなか良い雰囲気じゃない」
「こんな暗い廊下を通るの?」
「さあ、何が出てくるのか楽しみ。さくら、気をつけなよ。何か飛び出してくるかも」
「もう、脅かさないでよ。…あっ!」「どうしたの?」
「…落ちてる」「えっ?」
「ほら、そこに御札が…」「ほんとだ。はがれちゃったんだ」
「…大変。どうするの?」「こんなのまた貼っとけばいいのよ」
「でも…」「心配ないって、なんにも起こらない」
「…そお。ゆかり、早く行こう」「そんなに急がないの。ちょっと待ってよ」
 誰かが来た。どんどん近づいてくる。もうちょっと、もうちょっとだ。脅かす方も、意外とどきどきするんだよね。…来た、来た。今だ、それ…。僕は飛び出した。
 えっ? 僕の前で誰かが倒れた。き、気絶しちゃったの? そんな…。僕は顔を覗き込む。さくらだった。
「さくら、大丈夫?」ゆかりが呼びかける。反応がない。誰かが呼びに行ったのか、久美子先生が駆けつけてくる。どうしよう。こんな事になるなんて…。
 久美子先生はさくらを抱えて保健室へ。僕とゆかりもついて行く。保健室では先生が待機している。肝だめしで気分が悪くなったり、怪我をする子がいるからだ。
「もう、第一号が来たんだ。今年は早いね」先生はそう言いながら診察する。僕は気が気じゃなかった。もし、このまま起きなかったら…。ゆかりも心配そうだ。
「…頭はぶつけてないみたいね。少し寝かせておきましょう。大丈夫よ、心配しなくても」
 僕たちはほっとした。久美子先生は持ち場に戻っていった。また誰かに何かあるといけないから。僕とゆかりはベットの横で付き添った。
<つぶやき>悪戯をする時のわくわく感、たまりません。でも、程々にしておかないと…。
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T:024「いつか、あの場所で…」
 「夏休みのこわーいお話」4
 この日の夜、さくらがどんな思いで過ごしたか…。ゆかりが帰ってから、僕は窓越しにさくらを励ました。「あれはゆかりの冗談なんだから気にしない方が…」
 何度も言ったんだけど駄目だった。そこで僕は、彼女にお守りをあげることにした。ほんとは、そんなの無くても大丈夫なんだけど。
「ありがとう。でも、これ交通安全って…」
「えっ? あの、そのお守りは何にでも効くから、大丈夫。安心して良いよ」
 危なかった。家にあったの適当に持ってきたから…。でも、何とか信用してくれたみたい。これでさくらの気安めに少しでもなれば…。
 いよいよ肝だめし。暗くなるのを待ってスタートだ。二人一組でコースを歩いていく。校庭のスタート地点から校舎の中へ。暗い廊下を通って階段を上がり、最初のチェックポイントの音楽室に入る。そこを出たら今度は美術室、理科室へ。そして、渡り廊下を通って体育館の中をぐるりと回りスタート地点に戻ってくる。明かりは小さなのが薄暗く点いているだけ。全部の窓には黒幕をはって、外の明かりが入ってこないようにしてある。懐中電灯を持たないで歩くから、それだけでも怖いかも。
 いたる所にいろんな仕掛けがしてあるんだ。音楽室では誰もいないのにピアノの音が聞こえてきて、美術室には生首が揺れている。理科室では骸骨が話し掛けてくる。体育館ではもっとすごいものが用意してあるんだ。他にも、曲がり角のところに鏡を置いたり、お化けに変装して急に飛び出したり。昔ながらの火の玉とか、こんにゃくをぶら下げて顔にすりすりしたり…。今年はかなり怖さのレベルが高いから、無事にゴールまでたどり着けないかも。さくら、大丈夫かな? ゆかりと一緒っていうのも…、心配だ。
 それぞれのチェックポイントには木札が置いてある。それを持ち帰ってこないといけないんだ。これも肝だめしの決まり事。誰が描いたか知らないけど、その木札には妖怪の絵が描いてある。何十年も使って古くなっているから、薄明かりの中で見るとすごく怖いんだ。明るいところで僕も見たけど、かなり上手く描いてある。そのままでも十分に怖い。
「ねえ、さくら。ほんとに一番最初で良いの? もう少し後にした方が…」
「だ、大丈夫よ、ゆかり。私、ぜんぜん大丈夫なんだから。…早く終わらせたいの」
「なら良いんだけど。…さくら、ちょっと落ち着きなよ」
「私は落ち着いてるわよ。ぜんぜん…。ゆ、ゆかりこそ…」
「私は平気なんだけど。…ねえ、さっきから何やってるの?」
「あっ、お守り。高太郎君に貰ったんだ」
「そう。効くと良いね、そのお守り」
「こんなの無くてもよかったんだけど、高太郎君が持ってろって言うから…」
「そうなんだ。愛があれば怖いもの無しってやつね」「そんなんじゃないって…」
「始まるみたい。さあ、行くわよ」「えっ…」
「ほらほら、一番なんだから…」
<つぶやき>怖いもの見たさって言いますが、できれば避けて通りたいです。私は…。
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T:023「いつか、あの場所で…」
 「夏休みのこわーいお話」3
「じゃ、高太郎。帰ろう」ゆかりが妙に明るく言った。えっ、帰るの? 僕は、ほっとした。この程度だったら、さくらも…。僕たちがさくらの部屋を出ようとしたとき…。
「ちょっと待って。あの、信じてる訳じゃないんだけど…。もう少しだけ聞いときたいかなって…」さくらがすがるような目で僕たちを見る。ゆかりのあの笑顔が…。
「良いわよ。何でも聞いて。全部、教えてあげるから」満面の笑顔だ。いちばん恐れていた展開になってしまった。僕にはもうどうすることも出来ない。ごめん、さくら…。
「あのね…、学校なのにどうして落ち武者が現れるの?」真剣に聞いてくるさくら。
「そうね、そこから話した方が良いわね」ゆかりの目が、さくらを捕らえた。
「昔、この近くで戦(いくさ)があったの。けっこう大きな戦いだったんだって。その戦いで負けた侍たちがここまで落ち延びてきて。それも、大将と部下の侍が数人。村にあった小さなお寺に逃げ込んで来たそうよ。そのお寺のあった場所っていうのが、私たちの学校が建っている所なんだって」
 ゆかりが得意げに話してる。毎年のことだけど、よくそんなでたらめが言えるよな。ゆかりは怖い話しが大好きで、夏になると誰かを捕まえては脅かして楽しんでいる。何処で調べてくるのか知らないけど、すごくリアルに話しをする。肝だめしで脅かせないからって、何もここでしなくても…。
「村人たちは襲われるんじゃないかって、びくびくしてたんだって。このままじゃいけない、俺たちの手で村を守るんだ。村の勇敢な男たちが、そこで立ち上がった。そして夜の闇に紛れて近づき、お寺にいた落ち武者の寝込みを襲って殺してしまったの。その争いの時に、灯火を倒してしまって火の手が上がった。村人たちはなんとか消そうとしたんだけど、そのお寺はすべて燃えてしまったの。落ち武者たちの死体も一緒にね」
「えっ、そんな…」さくらの顔色が変わった気がした。…怖がってるよ。
「その焼け跡にね、またお寺を建てようとしたんだけど、そのたびに事故が起きて何人も死んだそうよ。村人たちは落ち武者の祟りだと思って、そこに塚を作って供養した。でも、そんなことでは成仏出来なかったみたい。たびたびその場所に現れては、村人たちに襲いかかった!」
「きゃーっ!」とさくらは叫んで、僕にしがみついてきた。
 やりすぎだよ。震えてるよ、さくら。僕は、「大丈夫だよ。今はそんなことないから…」
「でも、それがまだ出るんでしょう? が、学校に…」完全に怯(おび)えてしまった。
「さくら、心配ないって。御札をちゃんと貼っておけば大丈夫」「でも、ゆかり…」
「肝だめし、楽しみだねぇ」なんで僕のほう見て笑うんだよ。まだ、何かあるのかよ。
「私、行かない。肝だめし、休むから…。せ、先生には後で…」
「さくら、駄目よそれは。肝だめしの決まり事にこういうのがあるの。必ず全員が参加すること。怖がって参加しなかった者には、恐ろしいしっぺ返しが待っている」
「いやだーっ!」
<つぶやき>昔の話しには真実が隠れていることもあるみたいです。気をつけましょう。
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T:022「いつか、あの場所で…」
 「夏休みのこわーいお話」2
 肝だめしは何十年も続いているから、かなり本格的なんだ。昔から使っている道具もちゃんと残してあるし、今では大がかりなイベントになっている。だから父兄の参加は必要なんだ。道具の修理や、新しい装置を作ったり。最後の打ち上げ会の準備なんかもある。これも楽しみのひとつなんだよね。外で食べるご馳走、美味(うま)いんだから。僕は脅かす方になったから、学校でいろんな作業を手伝っている。どうやって脅かすか、いろいろ考えてるんだ。これがけっこう楽しい。久美子先生も張り切ってる。命かけてるかも…。
 学校での作業を終えて帰ってきたら、家でゆかりが待っていた。なにか企んでる。そんな予感がした。ゆかりは脅かす方をやりたかったみたい。でも、はずれを引いてしまったから脅かされる方だ。いちばん脅かしがいのない奴だけど…。
「ちょっと相談があるんだけど、聞いてくれる?」…ほらきた。
「なんだよ」「あのね、あれやりたいんだけど」「あれって?」「ほら、あれよ」
「まさか…」「だから…」「いや、それは…」「お願い、手を貸して」
 ゆかりの真剣な顔。僕は背筋が寒くなるのを感じた。
 結局、幼なじみの一言で付き合うことになってしまった。
「それって、ほんとの話しなの?」さくらは半信半疑で聞き返す。
「私も迷ったんだけど、知らないよりは良いと思って。ねえ、高太郎」僕に振るなよ。
「でも、戦国時代の話しよね? 落ち武者なんて…」
「今は大丈夫だと思うけど…」
「高太郎、あんたは見てないからそんなことが言えるのよ」ゆかり、やめようよ。
「実はね、…ここだけの話しよ。去年の肝だめしの時に、見た子がいたの」「うそ…」
 さくらの表情がこわばってきた。もしかして、こういう話し苦手なんじゃ…。
「その子、一週間ぐらい寝込んだらしいよ」そこまで言うか、ゆかり…。
「でも、それは誰かが脅かしただけで…。だって学校でやるんでしょう。あり得ないわよ」
「信じてくれないんだ。…無理もないよね。私だって、最初は信じられなかったから」
 ゆかりは僕の顔を見る。…分かったよ。やれば良いんだろ、やれば…。
「あの、さくら…。この肝だめしには、いろんな決まり事があって。その中の一つに、御札があるんだ。肝だめしのコースには必ずこの御札を貼ることになってる」
「もしその御札が一枚でもはがれたら、大変なことになるって言われているの」
 ゆかりが怖そうに話す。さくらは、ゆかりをじっと見ていた。信じちゃ駄目だ! 僕は思わず心の中で叫んだ。さくらは変な笑い方をして…、
「…やだ。もう、冗談ばっかり。私を怖がらせようとしてるんでしょう。わ、私、ぜんぜん怖くなんてないわよ。へ、平気なんだから…ハハ、ハハ」なんか引きつってる?
「そう。なら良いんだけど」ゆかりはさくらの顔色をうかがいながら、「でも、気をつけてね、明日の肝だめし。何が起こるか分からないから」と駄目押しをした。
<つぶやき>怖い話、好きですか? 私は苦手です。もう、一人でトイレに行けません。
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T:021「いつか、あの場所で…」
 「夏休みのこわーいお話」1
 いよいよ夏休み。僕らの夏がやってきた。通信簿の難関はあったけど、なんとか切り抜けた。今年はさくらもいるし、楽しくなりそうだ。
 僕たちの学校では、夏休みになると秘密の行事があるんだ。秘密といってもみんな知ってるんだけど。この行事を誰がいつ始めたのか、今では誰も知らないみたい。残っている記録で一番古いのは、昭和三十年頃なんだって。なんの行事かというと、それは肝だめし。
 毎年、一つのクラスだけが参加できる。この取り決めは最初に始めた人たちが作ったんだって。その伝統が今でも続いている。五、六年のクラスでクジ引きして、一つのクラスを決めるんだ。そんなの不公平だって意見もあったみたいだけど、誰もこの伝統を変えようとはしなかった。
 昔は選ばれると喜んでたのに、今はそうでもないみたい。準備とか大変だし、遊ぶ時間も減ってしまうから。やりたくないって思ってる先生もいるみたい。僕のお父さんはすごくラッキーだったんだ。二年続けて選ばれた。お母さんは六年のとき。肝だめしがきっかけで、二人は付き合うようになったらしい。初恋だったかどうかは分からない。そこまでは教えてくれないから…。
 今年はどういう訳か、僕らのクラスが選ばれた。お父さんの喜びようといったら、家族全員が呆れてしまうほどだ。何でこんなにはしゃいでいるのかというと、父兄も準備や脅かす方に参加できるからだ。まるでお祭り気分。
 でも、これよりももっと上がいた。何倍も何十倍もはしゃいでいる人。それは僕らの担任だ。久美子先生。まだ若い先生なんだけど、ちょっと変わってるんだ。生徒を脅かすことに生き甲斐を感じちゃったみたい。大学で超常現象の研究サークルに入っていたらしい。誰かがそんな噂をしていた。先生の部屋にはホラー映画のビデオやDVD、それに訳の分からない怖そうな本がいっぱいあるんだって。外見からはそんな風には見えないんだけどなぁ。
 久美子先生はドジなところがある。先生なのに忘れ物をよくするんだ。出席簿を手始めに、採点した答案用紙とか。今でも語られているのが、通信簿事件。普通、忘れないよね。いつもは優しい校長先生も、この時ばかりは…。いつだったか、久美子先生が教頭先生に絞られているのを目撃したことがある。ちょっと可哀想になっちゃった。
 明るく元気で何でも一生懸命、それが先生の信条なんだって。ちょっとやりすぎる時もあるけど、優しくてとっても素敵な先生なんだ。少し天然が入っているけど…。本人はそのことにはまったく気づいていない。そこがまた良いのかも…。
<つぶやき>学校の行事って、けっこう思い出に残っているものです。私もじつは…。
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T:020「いつか、あの場所で…」
 「おまつりの夜」7
 何処かでドーンと音がする。誰かが、「あっ、花火始まっちゃうよ」「早く行こうよ」
 みんなは表に飛び出していく。私も行こうとして…。えっ、目の前が暗くなって…。
 ゆかりが私を支えてくれた。立ちくらみ? どうしちゃたのかな…、変だ。おじさんが座らせてくれた。
「大丈夫か? 顔色が悪かったからな。人混みの中にいたから、疲れちゃったんだろう」
 おじさんは私に水を持ってきてくれた。
「帰って休んだ方が良いかもな」そんな…。
「家はどこ? おじさんが送ってあげるよ。どうせ暇だしな」ゆかりも、
「私も行く。さくらをちゃんと帰さないといけないから」
「…じゃ、俺も付き合うよ」「高太郎はいいよ」「どうせ隣だし…」
 他の男の子たちが、「行かないのかよ」「なんだ…」「残念だなぁ」
「ごめんね。一緒に行けなくて…」みんなに謝った。私のために走り回ってくれたのに。
「気にしなくていいって」「早く元気になってね」「また、学校で…」
「お前は馴れ馴れしいんだよ」「いいだろ」「お前も近づくな」また揉(も)めてる。
「ありがとう。ほんとにありがとう」私は感謝した。
 みんなは、はしゃぎながら海岸の方へ走っていった。
 私はおじさんに背負われて家路につく。私の知らない道。裏道なんだって。こっちの方が近いらしい。さっきからゆかりと高太郎君が私のことで喧嘩している。
「お前、何やってたんだよ」「ごめんって言ってるでしょう」
「泣いてたんだぞ」「分かってるよ。もう言わないで。反省してるから…」
 今度はゆかりの方がやられてるみたい。
 なんだか熱が出て来たのかな? ぼーっとしてる。ここはどこ? 坂道を登ってるみたい…。後の方で音がしている。ドーン、ドーンって…。花火が始まっているんだ。私の身体にも響いてくる。見たかったなぁ、花火。せっかく楽しみにしてたのに…。
「起きてるか?」えっ?
「ここからでも奇麗だぞーぉ」
 私は目を開ける。花火が見えた! 海にもきらきら映ってる。
「わーぁ、きれいィ」少し元気になれた。ほんとにきれいなんだよ。
「少し見ていくか」おじさん、ありがとう。私は嬉しかった。
 私たちはしばらくそこで花火を楽しんだ。夜風が心地よく吹いてくる。これでお祭りも終わりなんだ。私はこの三日間のことを思い出していた。いろんな事があったなぁ。すごく楽しかった。初めての経験もいっぱい出来たし。…最後には花火。夢にまで見た花火が見られたんだ。…私はいつの間にか眠ってしまった。おじさんの背中で、花火の音を聞きながら…。
<つぶやき>子供の頃の感動は、大人になっても心に残ってますよね。今の子供にも…。
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T:019「いつか、あの場所で…」
 「おまつりの夜」6
「悪戯坊主じゃないか。元気にしてたか?」坊主ってゆかりのこと?
「おじさん、坊主じゃないって言ってるだろ」「そうか?」
「見れば分かるだろ。男じゃないって」「そうだったんだ。知らなかったなぁ」
「あのね、この前も同じこと言わなかった?」「いや、この前は坊主だったじゃない」
「もう、むかつくぅ」
 おじさんはゆかりのことをからかっている。楽しそうに。
「そうだ、坊主も飲むか? 特製ジュース」「えっ?」
「このお嬢さんにいま作ってやったんだ。元気が出るぞ」
「それは…」
「私の半分あげるよ。あんなに飲めないし」
「私はいいよ。さくらのなんだから、飲んで」
「そぉ。飲んでもいいのに…」この時、私はまだ知らなかった。このおじさんのことを…。
 私は座ってコップを持った。せっかく作ってくれたんだから…。おじさんは笑って見てる。えっ? みんなも私を見つめてる。「どうしたの?」
 みんな、なんか変だ。何も答えてくれない。私はコップを口に持っていく。いい香りがする。何だろう? ひとくち、飲んでみる。
「うっ、ぐぇーっ! なにこれ…。飲んじゃった!」私は咳き込んで…。吐きそう。
「大丈夫か? さくら」なによ、高太郎。大丈夫じゃない! 気持ち悪い…。
「おじさん、今度はなに入れたの?」
「えっ、そんなにまずかったか?」まずい!
「おかしいな? いい匂いしてるから美味しいと思ったんだけどなぁ」
「ちゃんと味見してから出せよな」ゆかり、ありがとう。「でもさくら、へんな顔してた」
 ゆかり、なに笑ってるのよ。こっちは死にそうなんだから…。あっ、高太郎君も笑ってる。みんなも…。知ってたのね。知ってて知らん顔して…。もう、ひどい!
「…駄目か。今度はいけると思ったんだけどな」
 何度もやってるの? 私だけじゃないんだ。他にも犠牲者が…。
「何なんですか、これ」私は聞いてみた。
「聞きたい?」おじさんは嬉しそうだ。
「さくら、やめた方が良いよ。聞かない方が…」
 ゆかりが真剣な顔で言う。そんな変な物が入ってるの!
「やっぱり、いいです」聞く勇気がなかった。
 おじさんはがっかりしてる。聞いて欲しかったみたいだ。
 このおじさんの作る料理はとっても美味しいらしい。でも、新しい料理の研究をしてて、あり得ない食材で料理をすることがある。
「おかしいなぁ、ちゃんと食べられるもので作ってるんだけど…」
 おじさんの言い訳。もっと普通のを作ってよ。お願いだから…。
<つぶやき>私も美味しい料理を作ろうとしてるんです。でも、うまくいかなくて…。
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T:018「いつか、あの場所で…」
 「おまつりの夜」5
 黒猫亭。ここがそうなんだ。喫茶店? それともおもちゃ屋? 雑貨のお店? 表からは何のお店なのか分からない。それに、今日は人がいっぱいいるのにお休みになっている。なんで営業してないの? 高太郎君は構わず入っていく。私も恐る恐るついて行く。店内にはいくつも棚があって、昔のおもちゃとか訳の分からないものが飾ってある。これって、アンティークっていうのかな? 小さな物から大きな物まで、ごちゃごちゃに置いてある。テーブルとカウンターがあって…。たぶん食堂か喫茶店なのかな?
「おっ、久し振りじゃない」髭のおじさん。ここの人なのかな?
「今日は、悪戯坊主と一緒じゃないんだ」
「後から来るよ。今日は休みなの?」
「一人でやってるからな。こんな日に店開けたら大変なことになるだろ」
「そうだね」
「あれ、彼女初めてだね。高ちゃんも隅に置けないねぇ。こんな可愛い子…」
「そんなんじゃないよ」
「そうです。そんなんじゃありません」私もつい言ってしまう。
「でも、ちょっと顔色悪いな。大丈夫?」
 何だかさっきから少し気分が悪いかも…。高太郎君も心配してくれて、
「あいつが来るまで横になったら」「大丈夫だから…」
「そうだ。おじさんが特製ジュースを作ってやろう。これ飲んだら、元気百倍になっちゃうんだから。ちょっと待ってろ」そう言っておじさんは厨房に入っていった。
 私の知らないことがまだあるんだ。後で聞いたんだけど、このおじさんは高太郎君のおばあさんの教え子なんだって。ここにはおばあさんとよく来てたらしい。それにゆかりや他の子たちも遊びに来てるんだって。私にはちっとも教えてくれないんだ。この店には猫が来るんだって。それも黒猫。私はまだ一度も会ってないんだけど、時々やって来ては泊まっていく。
「家に入ってくる猫は入り猫って言って、幸せを運んでくれるんだ」
 おじさんが嬉しそうに話してくれた。私も一度でいいから会ってみたい。
「ほら、これ飲んでみて。元気出るから…」
 おじさんが戻ってきて私に勧める。緑色のドロドロした…。何だろう? 高太郎君を見る。なぜか目を合わせないで横を向いた。変なの…。
「ありがとうございます」そう言ってコップを取ろうとしたとき…。
「さくらーっ!」ゆかり…。
「ごめんね、さくらぁ…」私は立ち上がって、
「ゆかり、どこにいたのよ」二人して抱き合った。なんで二人で泣いてるんだろう。
「ゆかりが泣いてるよ」誰かが言った。男の子たちが笑ってる。
「誰にも言うなよ。言ったらぶっ飛ばす」ゆかりも笑ってる。私も…。
<つぶやき>自分のことより人のことを心配する。そんな人に、私はなれるだろうか?
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T:017「いつか、あの場所で…」
 「おまつりの夜」4
「どうしたんだ?」高太郎君が優しく聞いてくれた。
 私は彼の服を握りしめていた。なんだか小さな子供みたい。でも、放せなかったんだ。放したらまた一人になってしまう気がして…、
「分からなくて…。分からなくなっちゃって…」
「なになに、何でも聞いてよ」「こいつよりも僕の方が…」「俺もいるから」
「お前、なに抜け駆けしてるんだよ」「うるさいな、俺のアイドルなんだよ」
「いつからお前のアイドルになったんだよ」「お前のじゃないだろ。俺たちのだろ」
「そうだ。俺たちの…」「うるさいよ、静かに…」「お前、近づきすぎ」
「離れろよ」「お前こそ…」「なんだよ」
 男の子たちがふざけ合っている。私を元気づけてくれてるんだ。…みんな優しいんだ。
「お前ら、もういい加減にしろよ」
 高太郎君の一言で静かになる。私は、やっと落ち着いた。
「一人で来たの?」「ううん」
「じゃ、家族と来てるんだ」「なんで一人なの?」「もしかして、はぐれちゃった?」
「ゆかりと来たんだけど…。いなくなっちゃって」
「あいつかよ。しょうがないな」高太郎君が怒ってる。そんなに怒らないで…。
「私もいけなかったの。ゆかりのこと見つけられなくて。探してるうちに道が分かんなくなっちゃって…」
「迷子になったんだ」「俺たちがついてるからもう大丈夫だよ」「僕が案内してあげるよ」
「いや、僕が…」「なんだよ」「あの、これあげる」えっ? …赤い風船。
「これがあれば目印になるだろ。またはぐれてもすぐに見つけられる」「じゃ、俺のも」
「お前らな…」「持ってない奴は黙ってろ」「なんだよ、くそーォ」
「ありがとう」嬉しかった。こんな私のことを…。ほんとに嬉しかった。
「一緒に花火見よう」「行こうよ」「今日はついてるよな」「俺、良い場所知ってる」
「でも、ゆかりが…。私のこと探してるから」
「じゃ、みんなで探してやるよ。どこではぐれたの?」
 高太郎君がみんなに指図する。「商店街だって。じゃ、頼んだぞ」
「おいおい、高太郎は来ないのかよ」
「さくらを一人に出来ないだろ」
「きたねぇ、一人だけ…」「抜け駆けかよ」
「いいから、早く行けよ。黒猫で待ってるから。頼んだぞ」
 みんなは少し不満そうだった。でも、まるで競争のように走っていく。
「黒猫って?」どこなんだろう?
「行けば分かるよ。海岸通りにあるんだ。すぐ近くだよ」私たちは人混みを歩いていく。
「はぐれるといけないから」そう言って私の手を取ってくれた。
<つぶやき>困ってるときは助け合わないとね。でも、見返りを求めちゃいけませんよ。
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T:016「いつか、あの場所で…」
 「おまつりの夜」3
 私たちは商店街に足を踏み入れた。いっぱい人がいる。焼きそば、綿菓子、イカ焼きにたこ焼き…。おなじみの屋台が並んでいる。私たち、もしかして食い気にはしってる? とにかく、食べ歩きの始まりだ。二人して歩き回った。ゆかりはゲームをやって賞品を手に入れた。こういうの得意なんだ。私なんかぜんぜんだめだった。
「あっ! こっち」ゆかりが何かを見つけた。走っていく。
 …待ってよ。私は追いかける。そこには小さな子がいっぱい集まっていた。ぬいぐるみのショーをやっているんだ。クマさんが景品を子供たちに配っている。ゆかりはクマさんの後ろに回って私を呼ぶ。なんで後へ行くの? 私がゆかりの横に立つと、いきなりクマさんの頭をおもいっきり叩いた。
「いてっ」…クマが喋った。私が呆気にとられていると、クマさんが振り返った。私を睨んでいるようだ。ゆかりはいつの間にか消えている。そんな…。私が叩いたって思ってる。クマさんが近づいてくる。私は「ごめんなさい」って、走って逃げた。
 なんで私が謝るの? この時、高太郎君の気持ちが少し分かったような気がした。ゆかり、どこ行っちゃたのよ。もう…。私はゆかりを捜して歩き回った。
 ゆかりが、…いない。どこにもいない! …ねえ、どこ行っちゃたの? ゆかり!
 …だんだん不安になってきた。闇雲に探し回る。どこにもいない。どこにも…。どうしよう。私…、帰れない。ここはどこなんだろう? …方角が分からない。どうすればいいの。ゆかり…。早く出て来て…。お願い…。私を見つけて!
 だんだん暗くなってきた。人はどんどん増えてくる。みんな同じ方向に歩いていく。花火を見に行くんだ。私はその人波に流されて…。どこまで行くの。…ゆかりが見つからない。どこへ行っちゃったの? 周りを見回しても、知らない人ばかり。…怖い。怖いよ。どうしたらいいのか、何も考えられない。昔のことが…、迷子になったときのことが甦る。
 私は必死になってゆかりを捜す。早く来て! もうだめ…。
 いつの間にか海岸まで来ていた。人の波はそこで止まった。…どうしよう。どうやって帰ればいいの。ゆかり! 私は途方に暮れた。どんどん不安がこみ上げてくる。身体が震えてきた。涙があふれそうになって、私はしゃがみ込んでしまった。
「おい、さくらじゃないか?」
「あれ、さくらだよ」誰かが私の名前を…。
「さくら、どうした?」誰かが私に…。
 私は震えながら顔を上げる。知ってる顔…。私の知ってる顔!
「高太郎!」私は思わず抱きついた。高太郎君しか見えなかった。…涙が止まらなかった。周りにいた男の子たちも心配そうに私を見ている。なんだか、恥ずかしくなってきた。なんで涙が出るのよ。私は落ち着こうと、何度も深呼吸した。
<つぶやき>迷子になったら慌てず引き返そう。人生に迷ったら立ち止まり見回そう。
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T:015「いつか、あの場所で…」
 「おまつりの夜」2
 ゆかりと二人でお手伝い。とっても楽しかったよ。ゆかりのお母さんは面白い人だった。冗談ばっかり言って、私をいつも笑わせる。おばさんの手料理、美味しかったなぁ。ゆかりが料理上手だってことも分かる気がする。いつもお手伝いをしているんだ。私も少しだけ教えてもらった。
「そんなに面白い? またいつでもおいで、教えてあげるから」って、おばさんが言ってくれた。また教えてもらうんだ、絶対。
 おばさんの料理は豪快だ。大きな鍋を使ってどっさり作る。家族が多いから大変だよね。
「こんな田舎の味じゃ、お嬢さんの口には合わないかもね」
「とっても美味しいです」私は正直に答える。ママの味より美味しいかも…。
 ママはたまに手抜きをする。何でも手早くやらないと気が済まないみたい。それでときどきパパに叱られる。ママは、「効率よく家事をしてるの。私がいるからパパも気持ち良くお酒が飲めるんじゃない」って、笑いながらパパにお酒を注ぐ。
 こうなるとパパは何も言えなくなる。ママの笑顔には弱いんだ。この二人、ちょうどいい感じなのかな。言いたいことは言い合うんだけど、あんまり喧嘩にならない。何でだろう? 不思議な夫婦だ。…理解できない。
 お祭りの最後の日。いよいよ花火だ。今日もゆかりの家へ。お昼の後片付けをすませてのんびりしていると、おばさんが冷たい麦茶を持ってきてくれた。
「さくらちゃん、ありがとね。ほんと助かったわ」この三日間、ほんとに大変だった。
「あのーォ、私にも言ってよねぇ。手伝ったんだから」ゆかりがふくれてる。
「あんたはいいの」
「そんなぁ…」
「それより、これからさくらちゃんをお祭りに連れて行ってあげなさい」
「えっ、行ってもいいの?」
「さくらちゃんは初めてなんでしょう、ここのお祭り」
「はい」お祭りに行ける。やったーぁ。
「今からでも楽しめるよきっと。それに花火もあるしね」
 おばさんは私にお小遣いをくれた。お手伝いをしたお礼だって。
「私も手伝った」
「この前、あげたでしょう」
「お祭りよ。欲しいものあるし…」
「しょうがないね。お兄ちゃん達には内緒だよ」
 ゆかりはちゃっかりしてる。さすがだ。
<つぶやき>お祭りって、わくわくしますよね。それは大人になっても変わりません。
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T:014「いつか、あの場所で…」
 「おまつりの夜」1
 もうすぐ夏祭り。七夕まつりが始まる。私は初めてだから、わくわくしている。いつもは静かなこの町も、この三日間は騒がしくなるんだって。
 商店街には大きな笹飾りが取り付けられて、屋台がいっぱい並ぶの。いろんなイベントもあるんだって。のど自慢とか、ヒーローショー、それに仮装行列。青年団や商店街の人たちが企画したゲームコーナー。聞いているだけで楽しくなってくる。最後の夜には花火が上がるんだって。海の花火! 私は一度も見たことがない。きっと奇麗なんだろうなぁ。
「ねえ、さくらはお祭り見に行く?」ゆかりが聞いてくる。私は、
「どうしようかな…」曖昧に答える。
 実は、一緒に行ってくれる人がいないんだ。パパもママも町内会の手伝いで、私の相手をしている暇はない。一人で行くのは…。
 私、方向音痴なんだ。この町には私の知らない場所がいっぱいある。知らない所に一人で行くのが怖いの。前に住んでいた所で迷子になったことがある。一人で泣きながら歩いていた。道を一本間違えただけだったのに…。
 親切なおばさんが私を交番まで連れて行ってくれた。私が泣いてばかりで、何も話さなかったから…。
 お巡りさんは私にお菓子をくれた。私は、それでやっと落ち着いた。お巡りさんに住所を聞かれたんだけど、まだ引っ越したばかりだったから覚えてなくて。でも、近所にあるお店を覚えていたから、そこまで連れて行ってもらって…。
 なんとか家にたどり着いて、ほっとした。ママの顔を見たらまた泣いちゃった。それ以来、知らない場所に一人で行けなくなってしまったんだ。恥ずかしいけど…。
「私も行きたいんだけどなぁ」
「ゆかりは行かないの?」
「家の手伝いしないといけないから。親戚の人とか、お客さんがいっぱい来るの。ご馳走作るの手伝ったり、いろいろあるのよ。兄ちゃん達はどうせ遊びに行っちゃうし。弟は、あてにならないから」
 …大変なんだ。と思いつつ、ゆかりが料理するところを想像できなかった。
「料理、出来るの?」思わず聞いちゃった。
「失礼しちゃうなぁ。私だって出来るわよ、それくらい」…そうなんだ。
「私も手伝ってあげようか? どうせ一人だから、暇なんだ」
 実は、ゆかりが料理するのを見てみたかった。ちょっとした好奇心。ゆかりには内緒だけど…。
<つぶやき>人それぞれ、得手不得手があるものです。得意なことを極めましょう。
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T:013「いつか、あの場所で…」
 「雨のち晴、いつか思い出」4
 生命(いのち)って何だろう? 僕には難しいことはまだ分からない。でも、消えてしまったら二度と戻ってはこない、大切なものなんだよね。大事にしなきゃいけないんだ。人はいつかは死んでしまう。悲しいことだけど、どうすることも出来ないんだ。だから、生きている間は、側にいられる間は、笑顔でその人を見ていたい。
 そういえば「一期一会」って言葉をおばあちゃんに教えてもらったことがある。生きている間に出会える人は限られている。生涯に一度しか会えない人もいる。だからひとつひとつの出会いを大切にしないといけない。悔いのないようにしなさいって…。ありがとう、おばあちゃん。
 放課後の教室で、一人で空を眺めていた。雨はやみそうもない。僕はおばあちゃんのことをずっと考えていた。いろんな思い出が甦ってくる。…まだ僕の心には穴が空いている。今の僕にはどうすることも出来ない。思い出すのは楽しいことばかりなのに、おかしいよね。でも、この悲しみもいつか思い出に変わるんだ。おばあちゃんと暮らしたあの時間、あの空気が僕の宝物になる。掛け替えのない宝物…。
 僕は気づかなかった。さくらが来ていたことを…。彼女は僕の隣に座った。何も言わず、ただ横に座った。優しい目で僕を見つめて…。僕も何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。僕たちは外を眺めた。二人ならんで、雨の降る校庭を…。彼女のぬくもりが伝わってくる。彼女の優しさが身にしみた。僕の心、悲しみで濡れた僕の心。少しずつ、暖かくなってくるのを感じた。
 校庭の片隅に紫陽花が咲いている。…今まで気づかなかったなぁ。雨の日なのに奇麗に咲いて、まるで雨の日を楽しんでいるようだ。雨の日に、おばあちゃんと散歩したことを思い出した。
「雨はいろんなものを洗い流してくれるんだよ。自然の緑が生き生きとするように、私たちにも安らぎや活力を与えてくれているのかも…」
 大きく深呼吸した。僕もこの雨から生きる力をもらおう。明日もがんばれるように…。
 さくらが僕に視線を向ける。その目は「大丈夫?」って言ってるようだ。僕は彼女の優しさが嬉しかった。僕はかるく微笑んで、心の中で「ありがとう」って言った。彼女は笑顔で答えてくれた。
「一緒に帰ろう」彼女は僕の手を取った。僕は素直に従った。
 さくらといた時間は、ほんの数分だけだった。でも、とっても長く感じた。僕たちは雨の中、二人で歩いた。いつもの道なのに、いつもと違う。周りの景色が新鮮に見えてくる。僕はいつになくお喋りになっていた。傘の中で彼女が笑う。僕はいつまでもさくらの笑顔を見ていたい。なぜか、そんなことを思っていた。…雨の日が、少しだけ好きになれたかもしれない。
<つぶやき>忙しい毎日。ちょっと深呼吸してみませんか? 心に潤いを与えましょう。
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T:012「いつか、あの場所で…」
 「雨のち晴、いつか思い出」3
 おばあちゃんはいっぱい勉強して大きな夢をつかんだんだ。学校の先生っていう夢を。でも、先生になって一年もたたないある日、お父さんが突然倒れて亡くなったんだって。まるでおばあちゃんが独り立ちするのを待ってたように…。おばあちゃんはいっぱい泣いたって言ってた。あの約束があったから今まで頑張ってこれたのに、これから何を頼りに生きていけばいいの…。
「おばあちゃんはね、そのとき気づいたんだ。とっても大切なことに…」
「大切なことって?」お姉ちゃんが悲しそうな顔で聞く。
「それはね、今まで沢山の人に助けられていたんだってこと。病気のときもそうだったし、元気になってからもいっぱい助けてもらった。家族や、先生や、友達にね」
「そんなにいっぱい?」「そうよ」
 僕にはよく分からなかった。この時は…。
「おばあちゃんは、それを返さなくちゃいけないってそう思ったの。沢山もらったものをみんなにも分けてあげなくちゃって。おばあちゃんね、それから頑張ったわよ。泣いてる暇なんてなかった。あなたたちも沢山の人に助けられているの。それを忘れないでね」
「ごめんなさい」素直に言えた。
 なんか変な感じだ。お姉ちゃんもそうなのかな? 僕はおばあちゃんがこんな思いをしていたなんて…。僕には想像もつかなかった。
「おばあちゃんはどうやって夢を見つけたの?」お姉ちゃんが聞いた。僕も聞きたかった、どうやったのか。
「さあ、どうだったかな? 気がついたら、いつの間にか先生になってたね」
「私にも見つかるかな?」「どうかな?」「私、頑張るから…」
「ふふ、大丈夫だよ。私の孫だからね。きっと見つかるよ」
「僕も?」
「ああ。今すぐは見つからないかもしれないけど、いつかきっと見つかるさ」
「ほんとに?」
 おばあちゃんは笑っていた。いつもの笑顔だ。
「でもね、これだけは忘れないでね。夢をつかむための心得」
 えっ? 何だろう。二人して真剣に聞いている。いつもこんな風に引き込まれていくんだ。おばあちゃんの世界に…。
「それはね、のびのびとした想像力と、どんな事にも立ち向かう勇気。そして、これが大切よ。人を思いやる優しい心。…忘れないでね、約束よ」
 この時は、おばあちゃんの言ったことがよく分からなかった。でも、今は分かる気がする。たぶん…。おばあちゃん。おばあちゃんとした約束、ちゃんと守るからね。僕もいつか大きな夢を見つけるんだ。おばあちゃんに負けないくらい大きな夢。お姉ちゃんも、絶対そう思ってる。ずっとずーっと、おばあちゃんのことは忘れない。
<つぶやき>大切な思い出は、そっと心にしまっておきましょう。明日の幸せのために。
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T:011「いつか、あの場所で…」
 「雨のち晴、いつか思い出」2
 喧嘩をした次の日、僕たちはおばあちゃんに呼ばれた。二人とも覚悟していた。あんな騒ぎになってしまったんだから…。叩かれるかもしれない。「姉ちゃんも悪かったんだから、一緒に怒られようね」って、いつになく優しいお姉ちゃん。僕はどきどきしながら、お姉ちゃんの後に付いていく。
 おばあちゃんは僕たちを座らせて、ただ黙ってお茶をいれてくれた。いつものように。僕たちがお茶を飲み終わると、昔の話しをしてくれた。おばあちゃんがまだ小さかった頃の…。
 おばあちゃんの生まれた家は食堂をやっていた。家族だけでやっている小さな食堂。今みたいに便利な電気製品とか、インターネットなんてなかった頃。まだまだ貧しい人が多くて、生きていくのが精一杯だった時代。おばあちゃんはお父さんとお母さん、それからお兄さん、お姉さんと一緒に暮らしていた。上のお兄さんとは十以上も歳が離れていたんだって。おばあちゃんは小さいとき身体が弱くて、僕くらいの歳のときに死にかけたことがある。病院の先生から「もう駄目かもしれない」って言われたとき、お父さんが病室にやってきて励ましてくれたんだって。
「すず子…、どうだ身体の調子は?」「お父さん…。お店はいいの?」
「ああ、賢治兄ちゃんたちがいるから大丈夫だ。早く元気になれ」「…なれるかな?」
「なに言ってる。お前は父さんと母さんの娘だ。元気になれる」「…うん」
「何か欲しいものはないか? 父さん、何でも買ってやるぞ」「別にないよ」
「何かあるだろう? いいから言ってみろ」「……勉強。学校で勉強がしたいよ」
「…そうか。ずいぶん休んでるからな」「みんなと一緒に勉強がしたい」
「よし、やらせてやる。嫌になるくらいやらせてやる」「嫌になんかならないよ」
「そうか。…元気になれ。みんな学校で待ってるぞ。お前が戻ってくるの」「…うん」
「…母ちゃんや兄ちゃん、姉ちゃんも、もうすぐ来るからな」「お店は?」
「今日は早仕舞いだ。みんな、お前の顔が見たいんだよ」「今日じゃなくてもいいのに…」
「店のことなんていいんだよ。お前が早く元気になってくれれば…」「……」
「それでな、すず子は人の役に立つ仕事をするんだ」「じゃ、お店。手伝うね」
「…えっ?」「お父さんの作ったオムライス、お客さん美味しそうに食べてたよ」
「…お前は、もっと大きなことをやれ。あんなちっぽけな店なんか…」「でも、好きだよ」
「…早く元気になれ。元気になっていっぱい勉強して、大きな夢をもて」「ゆめ?」
「そうだ。お前だけの大きな夢だ」「…もてるかな?」
「ああ、もてるさ。がんばれ。みんなで応援するからな。約束だぞ」「…うん」
 この後、おばあちゃんは奇跡的に助かった。少しずつ良くなってきて、半年後には退院したんだって。おばあちゃんはそれから一生懸命勉強した。約束を守るために。もちろん、店の手伝いもして…。すごいよね。僕だったらとても出来ないかも。お母さんの手伝いもあんまりしてないし…。
<つぶやき>今はすごく便利で快適な生活だけど、大切なことを忘れないで下さいね。
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T:010「いつか、あの場所で…」
 「雨のち晴、いつか思い出」1
 今日も雨。あめ、あめ、あめ…。雨が続く。いつになったら晴れるのか。雨の日は嫌いだ。…僕の心にはポッカリと大きな穴が空いている。僕の世界の一部が消えたんだ。大好きな、大好きな…、おばあちゃん。…雨の日に、おばあちゃんが亡くなった。一年くらい前まで一緒に住んでいた。病気になってからはおばさんの家へ。おばさんが看護師の資格を持ってたから、その方が良いだろうってことになって。お母さんはときどき手伝いに行っていた。お父さんも仕事の帰りに見舞いに行く。僕だってお姉ちゃんと一緒に…。
 僕には姉がいる。二つ上で中学生。二人で行くと、おばあちゃんはいつも笑顔で迎えてくれた。そして必ずと言っていいほど聞いてくる。「仲良くやってるかい?」って。おばあちゃんがいた頃、よく喧嘩をした。いま考えると、喧嘩の原因って何だったんだろう? よく思い出せないや。きっとたいしたことじゃなかったんだ。そういえば、おばあちゃんが病気になってからしてないや、喧嘩。
 おばあちゃんは面白い人だった。いろんな事を知っていて、僕たちをいつも驚かせる。おばあちゃんは遊びの天才。いろんな遊びを教えてくれた。おばあちゃんにかかったら勉強だってゲームになってしまうんだ。昔は学校の先生をしていたらしい。きっと、人気があったんだろうなぁ。おばあちゃんはいろんな事が出来るんだ。絵を描いたり、詩を作ったり、ハーモニカを聞かせてくれたこともあった。僕たちにとっておばあちゃんは、憧れだったのかもしれない。とっても大好きな…。
 おばあちゃんはいつも優しかった。でも、怒らせると大変なことになる。僕たちが人に迷惑をかけたときとか行儀が悪いとき、よく怒られた。それと、二人で喧嘩したときも。おばあちゃんの部屋に呼ばれて、緑色のにがいお茶を飲まされる。それも正座をしないといけないんだ。でも、お姉ちゃんは美味しそうに飲んでいる。こんなのが好きなのかな?僕には信じられなかった。おばあちゃんのお説教はその時々によって長さが違う。数分で終わるときもあるし、一時間を超えるときもある。たいていは何でそんなことしたのかって聞かれて、なぜ怒っているのか教えてくれる。僕にもちゃんと分かるように。
 いつだったか、お姉ちゃんとすごい喧嘩をしたことがある。取っ組み合って叩いたり、蹴ったり、物をぶつけたり。お姉ちゃんを弾みで突き飛ばしたとき…、怪我をさせてしまった。今でも覚えてる、その時のこと。お父さんはお姉ちゃんを抱きかかえて病院へ。僕はお母さんにひどく怒られた。おばあちゃんは悲しそうな顔で僕を見ていた。お姉ちゃんの腕にはその時の傷がまだ残っている。今でもその傷を見ると…。でも、お姉ちゃんは冗談半分に、「これでお嫁に行けなかったら、あんたに一生面倒見てもらうから」だって。まったく、勘弁して欲しい。お嫁に行けないのはお姉ちゃんの容貌と性格の問題だ。そんなことまで責任は持てない。…でも、もしそうなったらどうしよう。
<つぶやき>子供の頃、姉弟でたまに喧嘩をした。今となっては、良い思い出かな…。
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T:009「いつか、あの場所で…」
 「大空に舞え、鯉のぼり」6
「なに謝ってるんだよ」
「だって私も…」
 高太郎君と目が合う。高太郎君は照れくさそうに笑う。私もつられて笑ってしまう。
「お前って、すっごい怖い顔するよな」
<えっ?>なによ急に…。「そ、そんなことないよ」そんなに怖い顔してたかな?
「だって、泣いたときの顔。すごかったぜ」
「私…、泣いてないよ」
「泣いてた」
「泣いてない」
「絶対、泣いてた。涙、出てたじゃない」
「絶対、泣いてない!」私、なんでむきになってるのかな? どうしちゃったの…。
「お前って、頑固だなぁ。もう、どっちでもいいよ」
「よくないよ。私、そんな弱い子じゃないもん」
「分かったよ。悪かった」高太郎君がまた笑う。私も負けずに…。
「この鯉のぼり、隆のなんだ」
「…そうなんだ」
 私たちは鯉を見上げる。これで友達になれるかな?
「なんだよ。仲良くやってるじゃない」ゆかりが隆君を連れてやって来た。
「久し振りにぶっ飛ばせると思ったのになぁ」
「あのな…。なに言ってるんだよ」高太郎君は笑いながらゆかりに抗議した。
 今まで沈んでいた私の心。ゆかりのおかげで救われた。やっと素直な気持ちになれたんだ。隆君が私に近づいて来て、
「おねえちゃん。こい、こい」そう言って上を指す。
 私はしゃがんで、「そうだね。おおきいねぇ」
 小さな子を見てると不思議と笑顔になる。とっても優しい気持ちになれるのは何でだろう。
「おねえちゃん、すき」
 隆君が無邪気な笑顔で抱きついてくる。すかさず高太郎君が…、
「そうか。やっぱり隆もこっちのおねえちゃんの方が良いか。優しそうだもんなぁ」
 次の瞬間、高太郎君が…飛んだ? ゆかりの蹴りが炸裂したんだ。ゆかりは腕組みして立っている。高太郎君、大丈夫なのかな?
 ゆかりはまた「たかしーぃ!」って言って抱きすくめる。ほんとに好きなんだ。高太郎君は痛そうに笑っている。良かった。
 私は鯉のぼりの空を見上げる。空ってこんなに青くて大きいんだ。なんか初めてほんとの空を見たような、そんな気がした。なんだか嬉しくなってきた。私はこの広い景色を眺めながら、ここへ来て良かったなってそう思っていた。素敵な友達も見つかったし…。
<つぶやき>友達って、喧嘩もしちゃうけど、側にいるだけでほっとするというか…。
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T:008「いつか、あの場所で…」
 「大空に舞え、鯉のぼり」5
「さくら、ごめんな。あとよろしく」
<よろしくって。> そんな…。
「まったく…」高太郎君はまだ何か言いたげだったけど、私の方へ来て一言。
「こっち」
「えっ?」私が何のことか分からなくて戸惑っていると…。
「鯉のぼり」私と目を合わせないでまた一言。そのまま行ってしまう。
<ちょっと待って…。>
 私は彼の後を追って家の裏手へ。こんなところにも庭があるんだ。彼は上を見て、
「ほら」っと指さす。私はその指先を見上げる。
「わーっ、大きいーィ」思わずつぶやいちゃった。
 大きな鯉が風に揺れている。まるで生きているみたい。私は団地サイズの鯉のぼりしか見たことがなかった。こんな大きな鯉を間近で見られるなんて…。
「あのさ、こんなの普通だって」
<…そうなんだ。>
「ここ、けっこう眺めいいだろ。海だって見えるんだぜ」
「…ほんとだ」
 私は遠くに目をやる。ここは蛇行している坂道の上にあって周りがよく見渡せるの。私の家からだと、木とかあってあんまりよく見えないけど。ここからだとすごい。低い垣根の向こうに家が並んでいて、その向こうに海が輝いている。
「わーっ、きれいーィ」
「お前ってさ、何でも感動する奴だな」
「えっ、だって…」
「こんなの普通だって」
 また、普通って言われちゃった。でも、私にとっては初めて見るんだから仕方ないじゃない。
「ごめんな…」高太郎君が私の横でぽつりと言う。
<えっ?> ……。
「この間、言い過ぎた。ごめん」
 ぶっきらぼうに彼が言う。…何か言わなきゃ。でも、出て来た言葉は…、
「私もごめんなさい」それしか言えなかった。
<つぶやき>素直な気持ちになれれば良いんですが…。なかなか難しいですよね。
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T:007「いつか、あの場所で…」
 「大空に舞え、鯉のぼり」4
「ねえ、さくらが鯉のぼり見たいって。そっちに行っていい?」
<そんなこと言ってないよ。>何でそんなこと言うの?
「別にいいけど…」なんか、怒ってる?
「もっとさ、愛想よくしなさいよ。さくらが怖がってるでしょう」
<いいよ、そんな…。>
「あのな、お前の方が怖いよ」そんなことないよ。優しいよ。
「まったく素直じゃないんだから」
「素直だったらお前とは付き合えないよ。もういいからさぁ、来たかったら早く来いよ」
「ほんとは嬉しいくせに…。高太郎も下りて来いよ」
「残念でした。いま勉強してるから…」
<そんな、会ってくれないの?>
「何の勉強だか。どうせまたプラモデル作ってるだけだろ」そんな趣味があるんだ。
「いま手が離せないんだよ。ぜったい邪魔するなよ」
「幼なじみだろう。来なかったらぶっ飛ばす」駄目だよ、暴力は…。
「そんなこと関係ないだろ。下に隆がいるから、じゃれてろ。ただし、泣かすなよ」
「隆、居るんだ! さくら、行くよ。早く、はやく!」
<なに? どうしたの?>
 私はゆかりに急き立てられて、訳も分からず連れて行かれた。初めて入る高太郎君の家。外からは気づかなかったけど、広い庭があって…。ゆかりは庭で遊んでいる子を見つけると、「たかしーぃ!」って叫んで抱きついた。まだ小さな男の子。高太郎君の従兄弟なんだって。たまにお母さんに連れられて実家のここに遊びに来る。隆君はゆかりのことが大好きで、「おねえちゃん、おねえちゃん」っていつも呼んでいるんだって。
<ゆかり、楽しそうだなぁ。>
 あっ…、高太郎君。…来てくれたんだ。私はどうしたらいいのか分からなくて、俯いてしまった。どうしてだろう。…なんか不思議な気持ち。
「また遅刻かよ。もっと早く来いよな」ゆかりは隆君を抱き上げて睨み付ける。
「ちょっと隆のことが心配だったから来ただけさ。お前の馬鹿力で、怪我でもさせられたら大変だからな」
「そんなことあるわけないだろ。隆は、おねえちゃんのこと好きだよなーぁ」
「おねえちゃん、すき」
 隆君は笑顔で答える。とっても可愛い子。私にもこんな弟がいたらなぁ。
「隆、こんな奴と付き合うと苦労するだけだぞ」真顔で言ってる。
「なに訳の分かんないこと言ってんの。もういいから、向こう行けよ」
「何だよ。ここは俺んちだぞ」
「邪魔なんだよ。お前はさくらの相手でもしてろ」
<えっ? 私は…。>どうしよう。二人だけは駄目だよ。ゆかり…。
<つぶやき>誰でも小さな時ってあるんです。あの頃は、素直で可愛くて。でも今は…。
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T:006「いつか、あの場所で…」
 「大空に舞え、鯉のぼり」3
「こらっ!」突然、ゆかりが叫んだ。「高太郎、何してんの」窓から高太郎君が顔を出す。「さっきから、こそこそこそこそ」
「いいだろ別に何してても…。そっちこそ何してんだよ」
 窓越しに言葉が飛び交う。
「私たちはいま大事な話をしてるの。邪魔しないでね」
「どうだか…。迷惑かけてるんじゃないの」
「そっちこそ、覗いてたくせに」
「…誰が覗くか。お前さ、その性格なおした方がいいよ。ちょっとはその子見習って…」
「その子って? 誰のことかなぁ?」
「誰って…。ほら、その、隣にいる…」
「あんたさ、さくらのこと好きなんでしょう」
<えっ? そんな!>私は慌てて…、「私は違うから、そんなこと…」なに言ってるんだろう、私…。
「さくら、ほんとにこんなんでいいの? こいつ性格悪いよ」
<もう、ゆかりったら…。>
「お前に言われたくないよ。だいたいな、昔っからそうなんだよなぁ。いつも人に責任押しつけて。作じいの柿、盗んだときだって…」作じい? どっかのおじいさん?
「えっ、何のこと? 忘れちゃった」ゆかり、何したんだろう?
「なんにも知らない俺に、これあげるって言って柿、渡しただろ。俺が盗んだって思われて、作じいにむちゃくちゃ怒られたんだからな」
「あんたが鈍くさいからよ」
<それ違うよ、盗んじゃだめ。>
「ねえ、さくら。いいこと教えてあげる」
<えっ?> 私、ついていけない。
「高太郎ね、木から下りられなくなってビーィビーィ泣いたことあるの。可笑しいでしょう」
<えっ、そうなんだ。>
「なに言ってるんだよ。あれは、お前が下りられなくなったから、助けに行ってやったんだろう。忘れたのかよ」優しいとこもあるんだ。
「あれ、そうだったっけ? でも、情けないよなぁ。下見て足がすくんじゃって…」
「お前が、あんなとこまで登るからだろ」そんなに高かったのかな?
「まったく、都合の悪いことはいつも忘れるんだよなぁ」
 この二人、仲が良いのかな? 悪いのかな? いつも喧嘩ばかりしている。でも、二人とも楽しそうだ。相手のことが分かっているから、何でも言い合えるのかな? 私もこんな風になれるといいなぁ。二人の話には割り込めない。私はただ笑って見ているだけ。
<つぶやき>幼なじみっていいですよね。何でも言えるし。でも、近すぎるとかえって…。
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T:005「いつか、あの場所で…」
 「大空に舞え、鯉のぼり」2
「違うの。高太郎君は悪くないの。…悪かったのは私の方なんだから」
 私はすべてを打ち明けた。どうしてゆかりと友達になったのか。そして、高太郎君が言ったことは間違っていないって…。これ以上、嘘をつきたくなかった。本当の自分を取り戻したかった。これで友達をなくすかもしれないけど…、それでもいいって思った。
 でも、ゆかりの反応はまるで違っていた。ゆかりは私の言ったことを笑い飛ばして…、
「なんだ、そんなことで悩んでたの? 気にしない、気にしない。私だって似たようなことしてるから。実はね、自分の部屋が欲しくて、いま根回ししてるとこなんだ」
 ゆかりは四人兄弟の三番目。彼女以外はみんな男ばかり。私は一人っ子だから羨ましいんだけど、ゆかりに言わせると生存競争が激しいんだって。自分の欲しいものは主張しないと手に入らない。自分だけの部屋なんて夢のよう、なんだって。
「一番上の兄ちゃんが一人部屋で、もう一つの部屋は三人で使ってて。不公平だと思わない? それでね、その兄ちゃんが大学へ行くために家を出て行く予定だから、その部屋を狙ってるんだ。でも、問題なのがちゅうにい」
「チュウニイ?」
「あっ、二番目の兄貴。こいつも狙っててね。ちょっと強敵なんだ。母ちゃんは味方してくれるけど、親父がね。男同士の絆ってけっこう強いでしょう。それを崩すために作戦を練ってるんだ。ま、見ててよ。親父なんて娘には弱いんだから。中学に入るまでには手に入れるから」
 私は感心してしまった。彼女の行動力というか…、すごい。私だったらとても生きていけない。そんな気がした。
「さくらはいいよなぁ。一人で使える部屋があって。ねえ、泊まりに来てもいい?」
「えっ? …うん、いいよ」つい言ってしまった。
「やった! 私んち男ばかりでしょう。話し合わなくてさぁ」
 けっこう強引なんだ。この後、たびたび泊まりに来るようになった。最初のうちは私も戸惑っていたけど、だんだんゆかりのことがほんとに好きになってしまった。なんだか私にも姉妹が出来たみたいで…。私の両親も良い友達が出来てよかったねって。友達とこんな付き合い方をしたのは初めてだった。なんかとっても新鮮な感じ。
 ここは都会とは違って隣近所の付き合いが親密みたい。縁続きの人とか、親同士が学校で同級生だったとか。ゆかりと高太郎君のところも同級生だったんだって。それで小さいときから一緒にいたんだ。ちょっぴり羨ましいなぁ。
<つぶやき>田舎っていうのは、人付き合いが大切なんです。助け合っていかないと…。
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T:004「いつか、あの場所で…」
 「大空に舞え、鯉のぼり」1
 いつも引っ越してばかりで、私には故郷(ふるさと)と呼べるような場所はないんだ。転校したのだってこれで三回目。そのたびに友達を作り直さないといけない。これが結構大変なんだ。
 ママみたいにはなれない。ママはどこへ行ってもすぐに馴染んでしまう。これは才能の一つだわ。いつも感心しちゃう。私は不器用。それに…、みんなが思っているような良い子じゃない。可愛くもないし…。私は自分の顔が嫌いなんだ。この顔のせいでいつも苦労するの。もっとブスになりたい。本当の私は違うんだから。どこへ行ってもそうなんだ。いつも自分を装(よそお)って、みんなが思っているようになろうとしている。自分を誤魔化して…。
 今度だってそうなの。誰と友達になれば上手くやっていけるか。まず考えるのはこのことなの。これが今の私の唯一の才能なのかもしれない。ゆかりに近づいたのだって、彼女と友達になれば自分を守れると思ったから。…私はずるい子なのかもしれない。
 高太郎君の言ったことが、まだ私の中に突き刺さっている。自分の心の中を見抜かれてしまったような、そんな気がした。だから私も…。いつもならあんなことしないのに…。あれ以来、高太郎君とは気まずいままになってしまった。
 高太郎君は他の子とは違っていた。私を特別な目で見ないし、馴れ馴れしく話し掛けてくることもなかった。こんな子は初めてかもしれない。私もゆかりみたいになれたらいいのに。そしたらこんなカーテンなんか開けちゃって、彼に話し掛けることだって出来るのに…。もう一度やり直せたらどんなに良いか。…でも、私のこと嫌いだったら? もしそうだったらどうしよう。
 日曜日、ゆかりが突然やって来た。いつも元気だなぁ。悩み事なんかないみたい。
「よっ、さくら。何してるの? せっかくの休みなのに」
「別に…」
「何だよ、カーテン閉め切っちゃって。外、良い天気だぜ」
 ゆかりはカーテンを開けて、窓を全開にする。気持ちの良い風が吹き込んでくる。私の心のもやもやを晴らしてくれるように。
「あれ、あいつの部屋だ。こんなに近いんだ。ねっ、あいつと話したりしてる?」
「ううん…」
「いいなぁ、ここだったら夜遅くまで喋ってても怒られないよね」
 私はどう答えたらいいか分からなかった。ただ頷くだけ…。
「高太郎って良い奴だよ。ときどきバカやるけど。…あいつのこと嫌いになっちゃった?」
「そんなこと…」
「だったら、これから隣に行かない? 鯉のぼり、見に行こう」
 楽しそうにそう言って、私を強引に連れ出そうとする。私は突然のことに動転して…、
「行けないよ。私、嫌われてるもん」
「そんなことないって。いいわ、私が仲直りさせてあげる。もし高太郎がなんか言ったら、私がぶっ飛ばしてやるから」
<つぶやき>こんな頼もしい友達がいたら、頼ってしまうかもしれません。私は…。
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T:003「いつか、あの場所で…」
 「初めの一歩(いーっぽ)」3
 彼女が僕の家の前を通り過ぎたとき、彼女との距離十メートル。僕の頭の中はどう呼び止めようか、それしかなかった。
 声をかけようとしたその瞬間、彼女は僕の視界から……消えた? 僕はその場に立ちつくした。彼女の消えた先は…、隣の家!? 僕は急いで家に飛び込んで…、
「ねえ、母さん! 隣に引っ越してきた人ってさぁ…」
「ただいまでしょう。なに慌ててるの?」
「あっ、ただいま。だから、隣の人って…」
「上野さんよ。娘さんがあんたと同じクラスになったんだって?」
「そんな…」
「あれ、知らなかったの?」
「だって、会ったことないし…」
「いつもぎりぎりじゃない家を出るの。隣の子なんか余裕で出かけてるわよ」
「なんで教えてくれなかったんだよ」
「仲良くしてあげなさい。お隣さんなんだから。そうだ。呼びに来てもらおうか?」
「止めてくれよ。そんな…」
「あんな可愛い子が来てくれたら、あんたの遅刻もなくなるかもね」
「絶対だめ! そんなこと…」
「なにむきになってるの?」
 僕はそれ以上なにも言えなかった。階段を駆け上がり自分の部屋へ。なんで今まで気づかなかったんだろう。ゆかりは知ってたんだ。あの笑顔はこういうことだったんだ。明日、笑いのネタにされる。みんなの笑いものだ。僕は腹立ち紛れにカーテンを開ける。
 えっ…! 彼女だ。彼女がこっちを見ていた?
 僕は慌てて隠れる。なんで隠れるんだよ。…あそこが彼女の部屋なんだ。…そっと外を見る。彼女のいた窓には、カーテンが…。
 僕はこの偶然を手放しで喜べなかった。あんなことがなかったら…。僕はまたしても落ち込んだ。
 …ちょっと待てよ。隣に彼女がいるってことは、ひょっとするとチャンスかも。学校で駄目なら、ここがあるじゃない。ここだったらゆっくり話が出来るし、僕のこと分かってもらえるかも…。そう思ったら、なんだか心が軽くなった。
 僕は彼女の窓をいつまでも見つめていた。カーテンが開きますように、彼女が出て来ますように。そう心の中でつぶやきながら…。
<つぶやき>灯台下暗しってやつですか。よくあること(?)ですよね。ははは…。
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T:002「いつか、あの場所で…」
 「初めの一歩(いーっぽ)」2
 彼女の噂は同級生の間ですぐに広がった。都会から美少女現る。好奇心いっぱいで他のクラスからも覗きに来る。それを追い返すのがゆかりの役目になってしまった。手際よくさばいていく。
 僕も他のクラスの奴につかまって、あんまりしつこく聞いてくるからつい…、「そんな騒ぐほどじゃないよ。あれは性格悪いかもな。勉強が出来て、可愛いっていうのを自慢しているだけさ。それに、ゆかりの機嫌取って上手く利用して、なに考えてるのか…」
「なんで、なんでそんなこと言うの。私はそんなこと考えてない!」
「……!!」彼女の突然の出現に、僕もつい口にしてしまった。心にもないことを…。
「なんだよ、転校生のくせに…」
 彼女は目を潤ませて僕を見つめる。僕は、言ってはいけないことを言ってしまった。
 彼女はそのまま走り去る。一部始終を見ていたゆかりが追いかける。僕に最後の一撃を喰らわせて。「あんたって最低!」
 すごい後悔。僕は完全に嫌われてしまった。何度か謝ろうとしたんだけど、まったく受け付けてくれなかった。<話し掛けないで。顔も見たくない>彼女の目が、そう訴えているように思えた。
 友達になる糸口もつかめないまま、時間だけが過ぎていく。そしてついに来てしまった。それは僕たちをさらに引き裂いた。席替え…。今まで隣同士だったのに、同じ班だったのに…。クジ引きという理不尽な方法で、僕は運にも見放された。彼女は窓側、僕は廊下側。彼女との距離は銀河系よりも遙か遠くに感じた。
 それから何日かして、僕は知ってしまった。とんでもないことを…。
 学校からの帰り道、彼女とゆかりが僕の前を歩いていた。ふとひらめいた。彼女が一人になったときがチャンスだ。彼女にちゃんと謝って…。
 僕は距離をとってついて行く。突然、ゆかりが振り向いた。慌てて帽子で顔を隠す。…見つかってしまったのは確かだ。僕はなおも後を追う。彼女たちは何か笑っているようだ。きっと僕のことだ。ここまで来て諦めるのは…。僕は迷っていた。その時、二人が立ち止まった。とっさに物陰に入る。…彼女がゆかりから離れていく。ゆかりは僕を見つけると、にやりと笑って手を振った。そして自分の家の方へ歩いていく。
 僕はまだ迷っていた。あのゆかりの笑顔が気になった。あいつがあんな顔をするときは絶対何かあるからだ。彼女の歩いていった道は僕の家の方だった。もう迷っている時間はなかった。どんどん彼女が離れていく。見失うわけにはいかなかった。
 僕は、思い切って走り出した。
<つぶやき>取り返しのつかないことって誰にもありますよ。そういう私にも…。
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T:001「いつか、あの場所で…」
 「初めの一歩(いーっぽ)」1
 初めてあの子を見たのは、校庭の桜が散り始めた頃。桜の花びらが教室の窓から突然舞い込むように、彼女は僕の前に姿を現した。<上野さくら>これが彼女の名前だ。僕がこんなことを言うのは変だけど、彼女は他の女子とは違っていた。まるで別の世界から来たみたいに…かわいかった。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、彼女の目には星がきらめいていた。少女漫画によくあるあれだ。僕はバカにしてたけど、本当にきらめいていたんだ。僕の目は、彼女に釘づけになった。先生が何か言ってるけど、僕の耳には入らなかった。まるでスロー再生のビデオを観ているように、ゆっくりと動いている。彼女の笑顔はお日様よりも明るく輝き、彼女の声は天使の歌声のように僕の心に響いた。僕は天使がどんな声なのか知らないけど、そんなことはどうでもいい。
「じゃ、席はそこの空いてるところね」先生がそう言う。彼女がどんどん近づいてくる。僕は彼女をそれ以上見ることが出来なかった。でも、聞こえるはずのない彼女の足音や息づかいが、僕の耳に飛び込んでくる。僕の心臓は高鳴り、口から飛び出しそうになった。彼女は間近で止まり、隣の席に座った。ほのかな香が鼻をくすぐる。今まで嗅いだことのない、これが都会の香なのかなぁ。「よろしくね」彼女はそう言って笑顔を僕に向けた。僕は不意をつかれた。何も答えられず、ただ頷いただけで目をそらす。…横目で彼女を見る。もうそこには、あの天使の笑顔はなかった。
 彼女はすぐにみんなにとけ込んだ。でも僕は…。何でこんなにどきどきするんだろう。こんなことは初めてだ。僕は人気者ってわけでもないけど、みんな友達だし女子とも平気でふざけあったりする。でも、彼女の前だと…。何も言えなかった。桜の花のように可憐で繊細で、笑ったときのえくぼがまぶしかった。僕は…、彼女と友達になりたかった。
 僕らの学校はそんなに大きい方じゃない。クラスの数も少ないからみんな知っている顔ばかりだ。その中でもゆかりは特別だった。何が特別って、一年の時からずっと同じクラスなんだ。でも、それだけじゃなくて、もっと深い因縁で結ばれていた。それは、物心がつく前から側にいたことだ。兄弟だと思われていたときもある。いつも男の子みたいな格好をして飛び回っていた。ゆかりにはいつもハラハラさせられる。何をするか分からなくて、怒られるときはいつも一緒だ。僕には関係ないことでも「幼なじみでしょう」の一言で付き合わされた。ときどき何でこいつとって思うときがある。明るくて気さくな子なんだけど男勝りなんだ。僕が知っている限り、喧嘩で一度も負けたことがない。僕でも勝てないかもしれない。だぶん男の兄弟の中で育ったから、闘争心に溢(あふ)れているのかもしれない。悪戯が大好きで、思ってることはすぐ口にしてしまう。だからゆかりと友達付き合いするのは難しい。一番長く付き合っている僕だって、ついていけないときがあるからだ。でも、不思議と彼女とはすぐに打ち解けて、いつの間にか友達になっていた。なんでだ?ぜんぜんタイプが違うのに。話が合うんだろうか? ちょっと羨ましかった。二人が楽しそうに笑っているのを見ると、心の何処かでもやもやとしたものが生まれてくる。…それがいけなかったんだ。この後、取り返しのつかないことになってしまった。
<つぶやき>春は出会いの季節です。いい出会いがあると良いですね。
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連載物語End