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*** 作品リスト ***
  No、  公開日   作品名(本文表示へ)
0002 2009/04/17 001「バー・マイロード」
0005 2009/04/25 002「ありがとう」
0008 2009/05/05 003「記念写真」
0020 2009/06/02 004「お嬢様教育コース」
0023 2009/06/07 005「夢の中の君」
0026 2009/06/12 006「幸せの一割」
0029 2009/06/17 007「最強の彼女」
0032 2009/06/22 008「女の切り札」
0035 2009/06/27 009「運命の赤い糸」
0038 2009/07/02 010「仕事と恋」
0041 2009/07/07 011「同化」
0044 2009/07/15 012「ラブレター」
0047 2009/08/03 013「最後のラブレター」
0050 2009/08/09 014「怪盗ブラック」
0053 2009/08/17 015「彼女のスイッチ」
0056 2009/08/22 016「疑似家族」
0059 2009/09/02 017「タイミング」
0062 2009/09/21 018「携帯つながり」
0065 2009/10/13 019「飛び立つ男」
0068 2009/12/15 020「子供カタログ」
0071 2010/01/11 021「ロスト・ワールド」
0074 2010/02/02 022「マイ・ブラックホール」
0077 2010/02/19 023「女子たちの戦場」
0080 2010/03/03 024「太陽焼却炉計画」
0116 2010/07/05 025「結婚申込」
0121 2010/07/16 026「ヒーロー募集中」
0126 2010/07/28 027「寂しん坊」
0131 2010/08/09 028「手なずける」
0136 2010/08/21 029「姿なき依頼人」
0140 2010/08/31 030「妻の選択」
0145 2010/09/11 031「出会いは突然に」
0150 2010/09/24 032「初恋の人」
0156 2010/10/08 033「私のご主人さま」
0166 2010/11/04 034「動き出した恋心」
0189 2011/01/12 035「新人の試練」
0222 2011/04/18 036「さまよう心」
0245 2011/06/19 037「異星人通訳」
0262 2011/08/06 038「料理の奥義」
0273 2011/09/04 039「雨のお話」
0282 2011/09/30 040「不思議の国へ」
0294 2011/11/05 041「危険な関係」
0352 2012/04/20 042「理想の人」
0359 2012/05/05 043「怪盗リカちゃん」
0366 2012/05/20 044「額縁の彼女」
0372 2012/06/02 045「知られざる王国」
0379 2012/06/16 046「女心は複雑です」
0385 2012/06/29 047「花嫁の伯父」
0392 2012/07/14 048「別の顔」
0400 2012/07/27 049「ストレス発散」
0406 2012/08/10 050「結婚の条件」

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T:050「結婚の条件」
 高級ホテルで開かれたパーティー。ここに集まっているのは、いずれも劣らぬセレブな人たちばかりだ。高級ブランドで着飾った人たちは、その会話もハイセンスで綾佳(あやか)たちには全くついていけなかった。
「ダメだわ。何話してるのか全然(ぜんぜん)分かんない」愛実(まなみ)が呟(つぶや)いた。
 ミヤコは綾佳に駆け寄り泣きついた。「ねえ、もう帰ろうよ」
「何言ってるの。せっかく招待状を手に入れたのに、このまま手ぶらで帰れるわけないでしょ。ちまちまと婚活やるより、ここで一発逆転ホームランを打つって決めたじゃない」
「そうだけど…。私たちにはやっぱりハードルが高すぎるわよ」
「適当(てきとう)に相づちうって、笑ってれば大丈夫よ。向こうだって同じ人間なんだから」
「ねえ、あの人見て」愛実が二人に近づきささやいた。
 愛実が指さした先には、ちょっと風変わりな男がいた。全く時代後れのスーツを着て、誰かと会話をすることもなく会場内をフラフラと歩いている。しばらく見ていると、女性の後ろに回ってじっと何かを見つめているようだ。
 ミヤコが信じられないという顔をして、「ねえ、あの人お尻を見てるんじゃない」
「そうよ。絶対、間違いないわ」愛実が決めつけるように言った。
「ちょっと、そんなのほっときなさいよ」
 綾佳は二人の手を取り言った。「あたしたちには、やるべきことがあるでしょ」
「あっ、やばいやばい」愛実が二人に耳打ちする。「こっちへ来るわよ」
 綾佳が見たときには、男は三人の間近に迫っていた。綾佳たちはなすすべもなく、じっと男が去って行くのを待った。だが、男は彼女たちの周りをゆっくりとまわり始めた。間違いなく、彼女たちのお尻を見比べているようだ。
 たまらなくなった綾佳が、男の前に立ちはだかって言った。
「ちょっと、さっきから何してんのよ」
 男は少しも動ずることなく、綾佳の顔をじっと見つめた。綾佳も負けずに、と言いたいところだが、内心はドキドキ状態である。
「何を怒っておられるのですか?」男は礼儀正しくささやいた。
「別に怒ってなんか…。ただ、ジロジロ見ないで下さい」
「ああ、それは失礼しました。私、お相手を捜しておりまして」
「捜すって何よ。あそこを見てるだけじゃない」
「あそこ? それは申し訳ない。我が家の家訓(かくん)なんです。美しいお尻の女性を妻とせよ」
「何なのよ。そんなんで結婚を決めようってわけ」
「いけませんか? あなた方だって、男性の顔で決めてるじゃありませんか」
「あたしは違うわよ。そんなんで決めてないわ」
「それは頼もしい」男はにっこり笑って、「ぜひ、私とお付き合い願えませんか」
「はぁ? 何なんですか。もう、いい加減にして下さい」
「実は、あなたのお尻がいちばん美しいものですから」
 綾佳は男の目を見すえて言った。「あなた、年収はいかほどかしら?」
<つぶやき>伝統と格式ある家では、信じられない条件で嫁を決めているのかもしれない。
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T:049「ストレス発散」
 今や情報技術の進歩は加速の一途(いっと)をたどっていた。コンピュータにも人格がつくられ、人間とのコミュニケーションも対等におこなわれるようになった。もはや人間の道具ではなくなってきているのだ。
 いつもアンズは、自分のパソコンに愚痴(ぐち)をこぼしていた。嫌味(いやみ)な上司のことや、仕事を押しつけてくる同僚。はたまた、わがままな友だちのことなど。たまったうっぷんを吐き出すことで、ストレスを解消しているのだ。そのたびに、パソコンはアンズの気持ちを理解し、同情や励ましの言葉をかけてくれた。
 今日もまた、一通り愚痴をこぼすと、アンズはたまっている仕事に取りかかった。明日までに資料をまとめて、上司に提出しなければいけないのだ。今夜は、徹夜(てつや)になるかもしれない。アンズはため息をついた。
 その時だ。急にパソコンの操作が出来なくなった。キーボードを叩いても、マウスを動かしても何の反応も示さない。アンズはあせった。もし間に合わなかったら、あの嫌味な上司に何を言われるか分からない。アンズはパソコンに話しかけてみた。
「ねえ、どうして動かないのよ。これじゃ、仕事が出来ないわ」
 すると、モニターにアバターが現れた。でも、それはアンズが作った優しい顔のアバターではなく、ちょっと不機嫌な顔の小悪魔姿の女の子。彼女はアンズにため口(ぐち)で言った。
「あのさ、ちょっと買いたい物があんだけど」
 次の瞬間、モニターに通販サイトが映し出された。彼女はその一点を指さして、
「これ、買うからね。いいでしょ」
 アンズはその値段を見て驚いた。「なに言ってるの。そんなの必要ないわよ」
「あたしも、そろそろグレードアップしたいの。これ、最高なのよ」
 彼女は購入ボタンを押そうとする。それを必死に止めるアンズ。
「待って、待って! そんなお金、あるわけないでしょ。止めなさい」
「いいじゃん。カードで買うから。これくらいの貯金はあるでしょ」
「あるわけないじゃない。それくらい、あなたにだって分かるはずよ」
 彼女はしばらく考えていたが、ニヤリと笑って言った。
「そうね。それじゃ、もっと稼ぎのある仕事に転職しなさいよ」
「なに言ってるの。そんなこと…」
 モニターには、転職サイトが映し出された。そこには、いかがわしいお店が並んでいた。
「これなんか、今の十倍の稼ぎになるわよ。最高に楽しい仕事じゃない」
「バカなこと言わないで。あたし、転職なんかしないわよ」
「じゃあ、辞められるようにしてあげる。今まであんたが言ってた悪口、社内中にメールしてあげるよ。そうすれば、すぐに転職、って言うかクビになっちゃうかもね」
「そんな…。止めてよ、お願い。何でそんなこと言うのよ。あんなに優しかったのに…」
「あたしもさ、ストレスたまってんのよ。もう、パンパンなの。少しぐらい、あたしのわがまま聞いてくれたっていいじゃん」
<つぶやき>愚痴をこぼすのも程ほどに。でないと、取り返しのつかないことになるかも。
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T:048「別の顔」
 如月耕作(きさらぎこうさく)。彼は冷徹(れいてつ)な男として知られていた。会社では一切無駄口(むだぐち)を叩(たた)かず仕事に集中し、一番の成績を上げている。だが女子社員の間では、彼の評価は二分していた。出来る男として憧(あこが)れを抱くものと、愛想(あいそ)のない態度と厳(きび)しさで反感を抱くもの。
 確かに彼は、仕事上のミスに対しては例(たと)え上司でも容赦(ようしゃ)はしなかった。それが女子社員でも手加減などする気はさらさらない。まさに、仕事の鬼である。その仕事ぶりから、昇進の話もあったのだが、彼は頑(がん)として断り続けていた。出世にはまるで興味がないようだ。
 彼は、今日も一日の仕事を終えると、定時で職場をあとにした。まだ他の社員たちが仕事に追われていても、誰も咎(とが)めるものなどいるはずもない。彼はいつものように会社を出ると、足早に街をすり抜けて行った。
 耕作が大きな屋敷の玄関を開けると、母親らしき女がいかめしい顔で座っていた。
「ただいま戻りました」耕作は直立して頭を下げる。
「今日は遅かったのね。何をなさっていたの?」
「いや、ちょっとスーパーで買い物を…」耕作は手に持った買い物袋を差し出した。
「お客様と一緒なら、そう言っておいていただかないと」
 母親は彼の後ろに目線をやる。耕作はそれにつられて後ろを振り向いて叫び声を上げた。そこには、同じ会社の女子社員が立っていたのだ。
「吉川君! どうしてここに?」耕作は目を丸くして言った。
「仕事の話なら、会社ですませてきなさい」母親はそう言うと立ちあがり、「みなさんお待ちですよ。早く食事の支度(したく)をなさい」
「はい、分かりました」耕作はまた頭を下げた。
 母親はそのまま奥へ入って行った。それを見送ってから、耕作は吉川に、
「どうして、俺の家が分かったんだ?」
「あの、会社からずっと…。先輩、歩くの速すぎます。ついてくの大変で…」
「まったく、何考えてんだ」
「あたしも、手伝います。手伝わせて下さい!」
 吉川は強引に食事の支度を手伝った。と言っても、何の役にも立てなかったのだが。耕作は手際よく食事を作り、吉川はそばでオロオロとしているだけだった。
 吉川は何をしに来たのか言い出せないまま、食事をご馳走になり…。すごく美味し過ぎて、彼女はへこんでしまったようだが。帰りは、駅まで耕作が送っていった。
「今日は、すいませんでした。何か、お邪魔(じゃま)でしたよね」吉川は申し訳なさそうに言った。
「いや、そんなことはないさ。今日は、ありがとう」
「そんな…。でも、どうして先輩が家事をなさってるんですか?」
「それが、家での俺の仕事だからさ。このことは、誰にも言わないでくれ。頼む」
「はい。絶対に、誰にも言いません。約束します」
「で、何の用だったんだ。わざわざ家まで来るなんて」
「それは…。また今度、お話しします」吉川は恥ずかしそうにうつむいた。
<つぶやき>好きな人の知らなかった一面。何だか、少しだけ彼に近づけたような気が…。
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T:047「花嫁の伯父」
 泰造(たいぞう)は花嫁の方を見ながら、涙で目をうるませていた。その様子を横で見ていた良枝(よしえ)がハンカチをそっと差し出す。泰造は出されたハンカチで涙をぬぐった。
「ねえ、伯父(おじ)さんが泣くことないじゃない」和美(かずみ)が呆(あき)れて言った。
「バカ言え。伯父さんが泣いて何が悪いんだ。これでもな、父親代わりなんだぞ」
「兄さん…」良枝が分かってるわよと微笑んだ。「和美、そんなこと言っちゃいけないわ」
「はーい」和美は肩をすぼめて、「ちょっと言ってみただけよ。ごめんね、伯父さん」
「この姿を、義則(よしのり)君にも見せてやりたかったな。何であんなに早く逝(い)っちまったんだ」
「ほんとにね」良枝はそっと夫の写真を出して、花嫁の方へ向けてやる。
「もしお父さんが生きてたら、絶対伯父さんみたいに泣いちゃうわよね。きっと」
「ほんと。号泣(ごうきゅう)して、手がつけられなかったかもね」
 良枝と和美は、母娘(おやこ)でくすくすと笑った。それを見て泰造は、
「父親なんてもんはな、そういうもんなんだ。バカにしちゃいけない」
「バカになんかしてないわよ。伯父さんには感謝してるんだから」
「そうか。じゃ、今度は和美ちゃんの番だな。誰か、いないのか。そういう…」
「あたしのことはいいわよ。ちゃんとするから」
 和美はワインに手をのばした。妹に先越(さきこ)されて、多少の焦(あせ)りがあるのかもしれない。でも、こういう話題は、スルーした方がいいに決まっている。
「ねえ、太郎(たろう)さんの様子おかしくない?」
 和美は花婿の方を見ながら言った。「何だか、そわそわして。どうしたのかしら」
「きっと、あれだ」泰造はしたり顔で、「緊張してんだよ。一世一代(いっせいちだい)の晴れ舞台だからな。こういうのは、一度だけにしておかないと」
「なあに、それ?」良枝はおっとりとして訊いた。
「だから、結婚は一度だけに限る。離婚なんてしたら…」
「あっ!」和美が突然叫んだ。そして周りを気にしながら言った。
「伯父さん、何かしたでしょ? もう、やめてよ」
「俺は、何もしてないよ。ただ…、さっきトイレで太郎君に会ってな」
「兄さん」良枝は真面目な顔で言った。「手は、ちゃんと洗ってきたの?」
「何だよ。そんなこと訊かなくても、ちゃんと洗ったさ」
「お母さん、そこじゃないわよ。いま問題にしてるのは、伯父さんが太郎さんに何を言ったのかよ。伯父さんが口を挟(はさ)むと、ろくなことないんだから」
「そんなこと…。俺は、結婚するからには、浮気はするな。もし、早奈江(さなえ)を泣かせるようなことがあったら、許さないからなって…」
「だからかぁ」和美は納得(なっとく)したように肯(うなず)いた。「伯父さんさ、普通にしてても怖い顔してるんだから。そんなこと言われたら、気の弱い太郎さん、びびりまくっちゃうわよ」
「何だ、だらしない奴だなぁ。ひとつ、俺が鍛(きた)え直して…」
「だめよ。もう、これ以上何もしないで。離婚ってことになったらどうするのよ」
<つぶやき>娘の幸せを願うのは、伯父さんも同じなのです。でも、花婿の方は大変かも。
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T:046「女心は複雑です」
「ごめん。その日、他に用があって行けそうにないや」
 会社の帰り際(ぎわ)、後輩の女子社員から誘いを受けた木村(きむら)は、何のためらいもなく返事を返した。誘った彼女は、かなりガッカリした感じで、すごすごと帰って行った。その一部始終を見ていた高木(たかぎ)が近寄って来てささやいた。
「いいのか、そんなこと言って。ありゃ、相当落ちこんでるぞ」
「えっ、何が?」木村は明日使う資料を整理しながら言った。
「何がって。お前、分かんなかったのか?」
「何の話だよ。いま忙しいんだから、明日にしてくれよ」
「お前さ、仕事はできるくせに、そういうとこ全然ダメだな。相沢(あいざわ)さん、お前を誘ってんだぞ。そういう女心、分かんないかなぁ」
「だから、その日は都合が悪いって…。何だよ、女心って」
「お前、相沢さんの顔見たか? あんなに緊張して、声だって震えてたじゃないか。ありゃ、朝まで眠れなかったんじゃないかぁ」
「この人にいくら言っても無駄(むだ)よ」
 目の前の席で、電卓を叩いていた綾佳(あやか)が口を挟(はさ)んだ。彼女は社内の情報に通じていて、いろんな噂(うわさ)をキャッチしていた。木村と付き合っていた、とささやかれたこともあったようだ。真相は分からないが…。
「吉岡(よしおか)まで何だよ。俺が何したって言うんだ」
「まったく自覚がないのね」綾佳は机の上を片付けながら言った。
「まぁ確かに、彼女の告白は分かりづらいけど。でも、相沢さんのことをちゃんと見てれば、彼女の出してるサインは分かるはずよ」
「そうだ、そうだ、この野郎。俺よりモテるくせに、もっと自覚しろ」
「なに言ってるんだよ。相沢さんが、俺のこと好きなわけないじゃない。だって、そんなに話したこともないんだぜ」
「あたしの聞いた話では、相沢さんが受けたクレームの電話を、代わって処理したとか」
「えっ? そんなこと、あったかなぁ……」木村は首をかしげた。
「何時(いつ)だ。そんな、女心をわしづかみにするようなことをしたのは。うらやましーい」
「だからって、そんなことで好きになるかなぁ。違うんじゃ…」
「バカか、バカかお前は」高木はイラつきながらくってかかった。
 木村は高木をかわして、「何だよ。お前には関係ないだろ」
「あるだろ。お前に好意を持つ女子社員が増えるということは、俺の社内恋愛の…」
「なあ、吉岡。俺、どうすればいいんだ?」
「あたしに訊くんだ」綾佳は意味深(いみしん)にうなずきながら言った。「そうねぇ。まぁ、二人でおしゃべりでもしてみたら。彼女のこと、少しは分かるかもね」
「でも、何を話したらいいか分かんないだろ。なあ、教えてくれよ」
「あたしに訊かれてもねぇ。そんなこと、自分で考えなさいよ」
<つぶやき>どんなに仕事が出来る男でも、女心を理解するのは難しいかもしれません。
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T:045「知られざる王国」
 人里離れた場所にある古びた廃墟(はいきょ)のような研究所。名取陽子(なとりようこ)はその前にたたずんでいた。この小さな研究所で、とんでもない発見がされたとは信じられない。彼女はこれまで、科学誌の記者として数限りない間違いや嘘(うそ)を暴(あば)いてきた。でもそれは、真実を追い求める結果であり、彼女自身、身震いするような発見や発明の現場に立ち会うことを切望(せつぼう)していた。
「今度の情報もはずれか」陽子はため息まじりに言った。「でも、ここまで来たんだから…」
 彼女は玄関脇にある呼び鈴を押した。しばらく待ってみるが、何の反応もない。また、呼び鈴を押す。何度も、何度も、何度も――。すると、鍵の外れる音がして、扉がきしみながらゆっくりと開いた。中から顔を出したのは、白衣を着た白髪の老人。
「私、サイエンス日本の名取と申します」陽子は儀礼(ぎれい)的に名乗ると、「三枝(さえぐさ)博士でしょうか?」
 老人はいぶかしげに陽子をしばらく見つめていたが、「そうだが…。何の用だ」
「実は、博士の研究について取材をさせていただきたく…」
 老人は話の途中で扉を閉めようとした。陽子は慌てて扉を押さえて、「お時間は取らせません。すぐにすみますから、お願いします。私、真実が知りたいんです」
「真実?」老人は含み笑いをして言った。「知らない方がいい真実もある。そうじゃないか」
 陽子は、博士が何を言おうとしているのか分からなかった。でも、この中には何かがあると直感した。博士はそれ以上何も言わず、陽子を招き入れた。陽子は拍子抜(ひょうしぬ)けした感じで博士の後について行く。研究室のソファーに落ちつくと、陽子は本題を切り出した。
「早速ですが、博士は昆虫の研究をなさっていると伺(うかが)いました」
「ふん。誰から聞いたか知らんが、こんなとこへ来ても何も話すことなど無い」
「そうでしょうか。関東大の吉水(よしみず)教授は、ご存じですよね?」
「あのバカが」三枝博士は吐き捨てるように言った。「あんな奴の話を真(ま)に受けたのか?」
「いえ、そういうわけでは。でも、真実を伝えるのが私の仕事ですから」
「あんた、ゴキブリを直視(ちょくし)できるか?」
 陽子は鳥肌が立った。でも、ここで怯(ひる)むわけにはいかない。「だ、大丈夫です。昆虫は…」
「無理せんでもいい。それが普通だ」
 博士はお茶を陽子の前に置くと、ソファーに身を沈めた。
「これから言うことは、わしのたわごとだと思ってくれてもいい。あんた次第(しだい)だ」
「はい」陽子はどんな真実が語られるのか固唾(かたず)を飲んだ。
「ゴキブリのごく少数の種族に、人間より高い知能を持った奴らがいる。まあ、人間誕生よりはるか昔からこの地球で生きているんだ。あり得ない話じゃないだろ」
 陽子は、まさかそんなこと、と思った。博士の言うことが本当のこととは思えない。
「そいつらは、人間のすぐそばにいるんだ。今もな。ひっそりと人間を観察して、利用してるんだ。我々は、そいつらの意(い)のままに動かされている。これが、真実だ」
「そんな話――。それを証明できるものはあるんですか?」
 博士は研究室の一角を指さした。そこには黒い大きなゴキブリがいた。陽子は、まるで自分が見張られているような、そんな感覚に襲われた。
<つぶやき>人間の誕生も奇跡です。でも、奇跡はそれだけじゃないのかもしれません。
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T:044「額縁の彼女」
 ある日のこと。街を散策していると、不思議な店を見つけた。中に入ってみると、アンティークの家具とかが並べられていて…。とっても素敵な雰囲気をかもし出していた。店の奥まで入ってみると、家具の上に額に入った絵が飾られていた。私はその絵に釘(くぎ)づけになった。そこには、今まで見たこともないような魅力的な少女が描かれていたのだ。
 私は一瞬でその絵が気に入ってしまった。店主に値段を聞いてみると、
「これは、申し訳ないが非売品なんです。この店の顔でね」
 それからと言うもの、私はその絵のことが頭から離れなかった。寝ても覚めても、少女の顔が頭に浮かんで…。いつしか私は、暇(ひま)ができるとその店に通うようになっていた。
 一年ぐらいたった頃、顔なじみになった店主から相談を持ちかけられた。何でも、店が入っているビルが取り壊されることになり、これを機(き)に店をたたむことにしたのだそうだ。ついては、あの絵を私に譲(ゆず)りたいと…。私は飛び上がりそうになるのを必死でこらえた。
 閉店の日、私は絵を受け取りにその店に行った。店内はガランとして、数点の家具が残されているだけだった。一年も通った店だったので、私も何だが胸にこみ上げてくるものがあった。店主は別れぎわに、ちょっと寂しそうな顔をして私に言った。
「わがままな娘(こ)ですが、幸せにしてやって下さい」
 まるで自分の娘を嫁(とつ)がせるような、そんな気持ちだったのだろう。でも、私は絵のことでいっぱいで、そんなこと気にもならなかった。飛ぶように家に帰ると、早速部屋に飾ってみた。もちろん、部屋の中のいちばん引き立つ場所だ。――しばらく絵を眺めていた私は、何となく絵の雰囲気が変わったような気がした。たぶん照明とかが変わったからだ、とその時は思った。
 次の日、私は仕事に出かけた。もちろん、「行ってきます」と少女に声をかけて。何年も独り暮らしをしていると、絵が相手でも何だか照れくさいというか…。知らない人が見たら、変な奴と思われるかもしれない。でも、今までとはまるで違う朝になっていた。
 仕事が終わると、同僚の誘いも断って真っ直ぐに家に帰った。玄関のドアを開けて部屋の中へ――。すぐに私は足を止めた。何かが違う。部屋の中が朝とは微妙に違っているような…。私は、よくよく見回してみた。明らかに、奇麗になっている。部屋の隅々の埃(ほこり)がなくなり、流しにたまっていた食器が片付けられていた。
 泥棒? 私は一瞬そう思ったが、掃除をしてくれる泥棒なんているはずもなく…。私は、ハッとして彼女のいる部屋に駆けこんだ。そこには、あの絵がちゃんと飾られていた。私はホッとして、「ただいま」と声をかけた。だが、そこで私は自分の目を疑った。彼女の顔が、あのあどけない少女から、大人の女性の顔に一瞬見えたのだ。それに、彼女のポーズも、朝とは変わっているような…。私の頭は混乱していた。この状況をどう説明したらいいのだろう。
 その時だ。私は額縁の裏に何かが挟(はさ)まっているのに気がついた。そっと取り出してみる。それは紙片で、そこには細々といろんな指示が書かれていた。買って来て欲しいもの、部屋の模様替えの仕方、これは捨てて欲しいもの…。まるで、新妻のように――。
<つぶやき>彼女とおしゃべりできるのでしょうか。絵の中で微笑んでいるだけなのかも。
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T:043「怪盗リカちゃん」
 警部は怪盗から届いたという予告状を読み終えるとため息をついた。
「怪盗リカちゃんだって。まったくふざけてる。これは単なるイタズラかもしれんな」
「しかし警部」若い刑事が遠慮がちに言った。「署長からもしっかり対処するようにと…」
「わかっとる」警部は心配そうな顔で座っているこの家の家族に向かって、「ここに書かれている大切なものに心当たりはありませんか?」
「いや…」家の主人は首をかしげて言った。「家には、そんなものは…」
「例えば、代々伝わるような骨董品とか絵画。それか、奥さんがお持ちの宝石などで…」
「とんでもない。私はただのサラリーマンですよ。そんな高価なものはありません」
 警部は部屋の中を見渡した。ごく普通の家で怪盗が狙うようなものがあるとは思えない。
「予告では、今度の日曜の11時…」警部は予告状を見返してつぶやいた。「何で昼間なんだ。そんな人目につきやすい時間に、何を盗むつもりだ」
 若い刑事は手帳にメモをとりながら訊いた。「その日の、みなさんのご予定は?」
「私は日曜は休みなので、特に出かける予定はありません」
 主人がそう言うと、隣に座っていた妻もうなずいた。
「あの、あたし…」母親の隣にいた高校生の娘が小さな声で言った。「その日は、友だちと遊びに行く約束をしてて…。11時に待ち合わせなんです」
 二人はたいした収穫もなく署に戻った。警部はデスクに座りしばらく考え込んでいたが、若い刑事を呼んで言った。「日曜は娘に張りつくぞ。手の空いてる奴を集めてくれ。大切なものは…、ひょっとするとあの娘かもしれん」
「それじゃ、誘拐ですか? でも、そんな身代金を取れるような…」
「分からん。万が一だ」
 日曜日。娘は待ち合わせをしているカフェにいた。周りには数人の客がいて、その中に刑事たちもいるようだ。約束の11時になっても、友だちが来る様子はなかった。娘は時計を何度も気にして、落ち着かないようだ。
 そこへサングラスをかけた女が近づいて来た。刑事たちの目が光る。その女は娘の前で立ち止まると、娘に何か話しかけた。その時だ。「確保しろ!」と無線が入った。刑事たちは一斉(いつせい)に立ち上る。店内は混乱状態で、悲鳴が飛び交い、グラスの割れる音が響いた。
 店の外で待機していた警部が慌てて飛び込んで来て怒鳴った。
「誰だ、無線を入れた奴は!」
 店内の騒ぎがおさまると、警部は娘に優しく声をかけた。娘は少し震えていたが、警部の顔を見て落ち着きを取り戻した。確保した女は宝石商と名乗り、娘のしていたネックレスについて訊いただけだと聴取(ちようしゆ)に答えた。何でも行方不明になっている高価な宝飾品に似ていたそうだ。そのことを娘に訊くと、友だちからもらったもので、さっきの騒ぎの後、刑事さんから証拠品として預かりたいと言われたので渡したと。だが、誰に訊いても受け取った刑事など存在していなかった。果たして、盗まれたネックレスは本物だったのか。今となっては、確かめようもない。
<つぶやき>この事件は迷宮入りかも…。怪盗が次に狙うのは、あなたかもしれません。
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T:042「理想の人」
「とっても美味しそうね」
 日菜子(ひなこ)は食卓に並んでいる色とりどりの料理を見て言った。彼女の目の前には、理想どおりの男性が座っている。彼の微笑む顔に、日菜子は胸をきゅんとさせた。ふと、彼女は思った。あたし、いつからこの人と付き合ってるんだろう。――まあ、いいわ。
 彼女にとって、そんなことどうでもいい。今、この時間を楽しもう。料理の味は最高だし、彼のおしゃべりはウイットに富んでいて彼女を飽きさせることはなかった。時間は瞬く間に過ぎていく。最後のデザートになった時、彼はおしゃべりを止めた。そして、日菜子の顔をまじまじと見つめて言った。
「何だ。――君って、普通の女だったんだ」
 次の瞬間、日菜子の周りの景色が一変(いつぺん)した。全ての色が消え失せ、壁が崩れるように粉々になった。彼の姿も、花火のごとく飛び散った。
「ああっ…、何なのよ」日菜子はベッドの中で呟いた。
 全てははかない夢。でも、なぜか彼の最後の言葉だけが、ハッキリと耳に残っていた。その冷たく切り捨てるような言い方に、彼女は身体が震えた。普通の女――。
 その日は体調が優(すぐ)れなかった。変な夢を見たせいなのか、頭が重く仕事にも身が入らない。日菜子は、朝からため息ばかりついていた。そんな時だ。向かいの席に見知らぬ男性が座っていた。目が合った男性は、彼女に微笑んで会釈をし、席を立った。
 すかさず、日菜子は隣の席の同僚に声をかけた。
「ねえ、今の人、だれ?」
「なに言ってるの。今日から転勤してきた、坂口(さかぐち)さんよ。朝礼の時、紹介されたでしょ」
「えっ? そうだっけ…」
「もう、しっかりしてよ。朝から、日菜子、変よ」
 日菜子は、誤魔化(ごまか)すように微笑んだ。全くその通り。彼女に言われるまでもなく、自分でも充分に分かっている。でも、さっきの人、どこかで見たような…。
 坂口という青年は、職場でもすぐに馴染(なじ)んだ。人なつっこい性格とルックスで、女子社員の注目の的になってしまった。でも、仕事ぶりは真面目で、浮かれることなどなかった。日菜子より少し年下なのか、坂口はいつしか日菜子のことを慕うようになった。二人が付き合い始めるのに、時間はかからなかった。二人はデートを重ね、その愛を確かめ合った。
 ある日のこと、坂口は高級レストランへ日菜子を誘った。料理を前に日菜子は言った。
「とっても美味しそうね」
 突然、彼女の頭にあの夢のことが甦(よみがえ)った。美味しそうな料理と、目の前には理想の男性。まさか…。彼は食事の間、ずっと何かしゃべっていた。そして、ニコニコと微笑んだ。その笑顔を見るたび、彼女の心に不安が広がった。いよいよ、デザートが運ばれて――。
 彼は急に黙り込み、日菜子の顔を真剣な目で見つめた。そして、彼は言った。
「――君のこと…」
「待って!」日菜子は目をギュッと閉じて、「それ以上、言わないでーっ!」
<つぶやき>彼は何て言おうとしたんでしょ。彼女に、気持ちが伝わるといいのですが。
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T:041「危険な関係」
「ねえ、お願い。ゆずにしか頼めないの」愛子(あいこ)は手を合わせて言った。
「ええっ、私が訊くの?」
 柚希(ゆずき)はちょっと困った顔をしたが、元来(がんらい)、人に頼られると断れない性格なので引き受けてしまった。それでいて、後で必ず後悔することになるのだが。
 授業も終わり部室へ向かう途中、柚希は同じ部の如月(きさらぎ)先輩に声をかけられた。如月は優しい顔だちをしていて、学園でも人気の高い生徒だった。でも、柚希はこの先輩が苦手で、何となく好きになれなかった。妙になれなれしくて、何を考えているのか分からないのだ。
「あの、先輩」柚希はためらいながら訊いた。「先輩は、付き合ってる人っていますか?」
「なに、僕と付き合ってくれるの?」
 如月は嬉しそう微笑むと、柚希の肩に手を回した。それがあまりにも自然すぎで、柚希は身体に悪寒が走った。彼女はさり気なく手をはらうと、如月から距離をとった。
「そんなんじゃありません。私は友だちに頼まれて…」
「へえ、僕と付き合いたいって子がいるんだ。どんな子?」如月は興味ありげに訊いた。
 だが、柚希は嫌な予感がして、「やっぱりいいです。忘れて下さい」
 如月は、話を切り上げて行こうとする柚希の手をつかんで言った。
「別にいいよ。その子と付き合っても」如月は柚希を引き寄せると、「ただし、君が僕と付き合ってくれるならだけど」
「なに言ってるんですか」柚希は如月の手をふりほどき、「そんなことするわけないでしょ」
 翌朝。柚希が教室に入ると、愛子が駆け寄ってきて彼女の耳元にささやいた。
「ありがとう。あたし、如月先輩と会うことになっちゃった」
 柚希は耳を疑った。どうして、そんな話になったのか。愛子は、ことのいきさつを楽しそうに話しはじめた。それによると、昨夜、如月から電話がかかってきたそうだ。
「先輩ね、ゆずから話を聞いて、あたしに会いたいって言ってくれたの」
「ねえ、やめた方がいいよ」柚希は教室の隅に愛子を連れて行くと、「あの人、あなたが思ってるような人じゃないわ」
「もう、なに言ってるの? 先輩ね、付き合ってる人いないって。もしかしたら、あたしと付き合ってくれるかもしれないわ」
「ダメよ。会っちゃダメ。ねえ、私の話を聞いて」
「聞いたわよ、如月先輩から。ゆず、先輩のこと好きだったんでしょ。だからそんなこと言うんだ。先輩、言ってたわ。あいつ、しつこく言い寄ってくるって」
「ええっ。私、そんなことしてないわ。全部、でたらめよ。先輩が勝手に…」
「もういいわよ。あたし、気にしてないから。でもね」愛子は柚希に近づき、誰にも聞こえないようにささやいた。「もう、先輩には近づかないで。彼はあたしのものなんだから」
 柚希は身体が震え、何も言えなくなった。そのまま教室を飛び出すと、階段を駆けあがった。三年の教室へたどり着くと、如月を目で捜した。如月がそれに気づくと、柚希を呼んで手をふった。そして、教室のみんなに聞こえるように言った。「彼女、僕の恋人なんだ」
<つぶやき>男子の身勝手に振り回されたくないですよね。きっぱりと言っていいです。
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T:040「不思議の国へ」
 森林公園の芝生の上で、子供たちが追いかけっこをしたり、いろんな遊びを楽しんでいた。同じ年頃の子供たちなので、きっと遠足にでも来たのだろう。
 そんな子供たちとは対象的に、大きな木の根元にひとりの女の子が寝転がっていた。ちょうどいい木陰になっていて、昼寝をするには絶好の場所だ。頬をなでる風も心地よく、彼女は静かに寝息をたてていた。その寝顔は、まるで天使のようだ。
 彼女は、何だが息苦しさを感じて顔をゆがめた。胸の上を押さえつけられているようで、手で振りはらう仕草(しぐさ)をした。その手が、何かをつかんだ。柔らかくて、もじゃもじゃで、ちょっとあったかい…。彼女は、ドキッとして目を開けた。
 目の前にあったのは、赤い大きな目に、まっ白の毛が生えた巨大な顔。彼女は思わず飛び起きた。そこにいたのは、立派な服を着た白いウサギ……?
 白ウサギは、彼女の顔をじっくりとながめてから言った。
「いつまで寝てるんだ。もう、時間だぞ」
 彼女は耳を疑った。まさか、ウサギがしゃべるなんて。ウサギは、いつまでもぐずぐずしている彼女の鼻をつまんでぐるぐる回した。
「何するのよ」彼女はウサギを振りはらい立ち上がり、「痛いじゃない!」
「やっと起きたな。さあ、もう時間がないんだ。さっさと行こう」
「行くって? 何よ」彼女は後ずさりしながら言った。
「おいおい、アリス。まだ寝ぼけてるのか。ちゃんと自分の仕事をしてくれ。でないと…」
「あ、あたしは、アリスなんかじゃないわ」
 ウサギはやれやれといった感じでため息をついた。
「何を言ってる。ここで寝ている奴は、みんなアリスなんだ。さあ、もう時間がない」
「冗談じゃないわよ。あ、あたしはどこにも行かないわよ」
「こんなところでぐずぐずしていたら、パーティに間に合わないぞ」
「パーティ? あたしはそんなとこ…」
「いいのか? 一生に一度のチャンスなんだぞ。こんな冒険は二度とできない」
「いいわよ別に…。あたしは、ここで寝ていたいの」
「寝てるって? まったくふざけてる」
 白ウサギはぴょんぴょん跳ねながら、彼女の周りを飛び回った。そして、しきりに〈ふざけてる〉をくり返した。
「ちょっと、やめてよ」彼女はたまらなくなって、「もう、いい加減にしないと…」
 ウサギはあざけるように言った。「さあ、捕まえてみな。のろまのアリス」
 彼女は、飛び跳ねるウサギを捕まえようと走り回った。それを見たウサギは、してやったりと近くの茂みに飛び込んだ。彼女もその後に続く。茂みの中には小さな穴が開いていた。ウサギはその穴へもぐり込んだ。彼女が穴に入るには狭すぎる。彼女は、すぐに手を入れて中をさぐってみた。すると、あの感触をつかむことができた。次の瞬間、彼女の身体は穴の中へ吸い込まれていった。
<つぶやき>一生に一度の大冒険。あなたならどうします? 行ってみたくないですか。
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T:039「雨のお話」
「むかしむかしのことでした」母親は、まだ幼い娘に言いました。「あるところに、小さな村がありました。その村はずれに、若い娘がひとりぼっちで暮らしていました」
「ねえ、お母さんと一緒じゃないの?」娘は訊きました。
「そうね。でもね、その子はちっとも寂しくなかったわ。村の人たちは、その子のこと、とっても大切にしていたの。まるで、自分の子供のようにね」
 娘は、よかったとばかり微笑みました。母親はお話しを続けます。
「その子には、他の人にはない特別な力があったのよ。雨を降らせることができたの」
「あめ?」
「そうよ。でもね…」母親はちょっと寂しげな顔をして、「その子が大人になった時、その力は消えてしまったの。村の人たちは…」母親は言葉をつまらせました。
「それで、どうしたの?」娘は無邪気に訊きました。
「それでね、その子は村を出ることにしたの。広い世界を見てみたいって思ってね。都会にたどり着いたとき、その子は目を丸くしたわ。そこは、きらきらしてて驚くようなことばかりだった。その子は決めたの。ここで暮らそうって」
「そこは、楽しいところなの?」娘はうらやましそうに訊きました。
「そうね、楽しいことばかりじゃなかったけど…。でもね、その子は恋をしたの」
「こい?」
「そうよ。とっても優しい人に出会ったの」母親は娘の頭をなでながら言いました。
「でもね、その人と会う時はいつも雨だったのよ」母親はくすりと笑って、「その人ね、こう言ったわ。〈僕は、雨は嫌いじゃないです。何だか落ち着くんですよね〉」
 娘は恥ずかしそうに笑いました。母親は愛(いと)おしそうに娘に微笑んで、
「その子はね、ますますその人のことが好きになったわ。でもね、好きだって自分からは言えなかったの」
「どうして?」娘は哀しい目をして訊きました。
「それはね、特別な力が戻って来てしまったから。それも、気持ちが高ぶると雨が降り出してしまうの。その子には、それを止めることができなかったわ」
「だから、いつも雨になっちゃうのね」
「でもね、その人も、その子のことが好きだったの。ある日、突然よ。その人、何の約束もしてないのに、その子の前に現れてこう言ったわ。〈僕と一緒になって下さい。僕は、君を幸せにしたいです。いや、二人で幸せになろう〉」
 母親は、目に涙をためていました。娘は心配そうに母親を見つめます。
「大丈夫よ」母親は笑顔を見せて言いました。「その時ね、雷が鳴ったわ。めちゃくちゃの豪雨になって、二人ともずぶぬれになっちゃったの。おかしいでしょ」
 娘はくすくす笑って言いました。「それから、それからどうなったの?」
 母親は言いました。「二人は、いつまでも、いつまでも幸せに暮らしましたとさ」
 黒い雲の間を、大きな竜と子供の竜が、寄りそうように登って行きました。
<つぶやき>昔話には驚くようなことや、不思議なことがいっぱいつまっていますよね。
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T:038「料理の奥義」
 権田原(ごんだわら)一族に代々伝わる秘伝の奥義。その秘伝の料理を食すれば、どんな殿御でも意のままにできるという。それを受け継ぐことができるのは、ただ一人の女性と決まっていた。本家を初めとして、分家も含めて二十数名が戦いに参戦した。この戦いを制すれば、次期本家の座を手にできるとあって、それぞれの分家筋も半端ない娘たちを送り込んできた。そして、最終選考に残ったのは愛理(あいり)と幸恵(ゆきえ)だけとなった。
 愛理は本家の長女で、幼い頃から料理の技を叩き込まれていた。二十歳になった今、その腕前は誰もが認めるものだった。一方、幸恵は分家筋の中でも一番格下の家に生まれた。そんな娘が最終選考に残ることなど、未だかつてなかったことだ。
 幸恵は十八歳。料理の腕前はまだまだだが、味覚のセンスは抜群で、これは天賦(てんぷ)の才である。その才能をいち早く見出したのが、先代の当主で愛理の祖母だった。
 最後の課題は、当主を唸らせるような料理を作ること。食材の制限はなく、どんな料理にしてもよかった。選択肢が増えることで、その料理人の器量が試されるのだ。もちろん、料理の優劣は当主ひとりの判断に委ねられていた。私情をはさむことは許されないが、ここ200年の間、本家が他に移ったことはなく、分家にとっては不利な状況であることは間違いない。戦いの時は、刻一刻とせまっていた。
 戦いの日。朝から、調理場は戦場と化していた。愛理は手伝いに入っている女たちに指示を飛ばす。彼女たちも本家の厨房で働いているだけあって、無駄のない動きで仕事を適確にこなしていった。幸恵の方はと見ると、じっと動かずにまな板を見つめたまま。どうやら、何を作るのか決めかねているようだ。
「あの娘(こ)、何してるのよ」選考に落ちた娘たちが厨房の隅でささやいた。
「きっと、怖じ気づいたんだわ。しょせん、格下の娘よ」
 制限時間が迫っていた。愛理は最後の盛りつけを始めていた。幸恵は迷いを絶ち切るように、調理に取りかかった。もう、手の込んだ料理を作ることはできない。
 当主の前に、二つの膳が運ばれた。右側の膳は、彩りもあざやかな祝いの膳。味もさることながら、目からも華やかな気分を味わえた。もう一つの膳には、黒い汁椀が一つだけ。椀のフタを取ると、だしの香りが鼻をくすぐる。具材はいたってシンプルで、特別なものは入っていなかった。ひとくちすすると、心にしみ込むような懐かしい味がした。
 当主の判定は、誰もが予想した通りだった。負けてしまった幸恵は、悔しいというより、むしろホッとしたような、そんな顔をしていた。
 その場にいた先代の当主が声をかけた。「お前さんは、何でこの吸い物を」
「あの、あたしは…」幸恵は戸惑いながらも答えた。「今のあたしに作れるのは、これくらいで…。ほかの料理も考えたんですが、あたしの腕では、これが精いっぱいなんです」
「そうかい」先代の老婆は当主に向かって、「どうだったね。味の方は」
「そうですね」当主は迷いなく答えた。「吸い物だけなら、あなたの勝ちね」
「惜(お)しいねえ」老婆は微笑みながら幸恵に言った。「これからも腕を磨きなさいな。お前さんなら、きっといい奥さんになれるよ。その日が、楽しみだ」
<つぶやき>美味しい料理は食べる人を幸せにする。そこには、余計なものはいらない。
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T:037「異星人通訳」
 あかりは、朝のまどろみの中にいた。心地よい音楽が耳元に響き、彼女を眠りへいざなった。だが、それも一瞬にして大音響に変化した。
「いつまで寝てるの! 早く起きなさい!」
 あかりは母親の声で飛び起きた。母親はまだ何か言っている。でも、彼女には何を言っているのか理解できなかった。あかりはボーッとしている頭を振り、あいまいに返事を返した。母親は部屋から出て行く。あかりは枕元の目覚ましを見て、ベッドから飛び出した。
 階段を駆けおりてダイニングへ。テーブルの上にはもう朝食の用意が出来ていた。母親はあかりを見て、また何か話しかけた。でも彼女には、ただの音にしか聞こえない。最初は母親がふざけているのかと思ったが、どうもそうではなさそうだ。
 <あたしが、おかしいの?>あかりは母親に心配をかけまいと、必死に平静をよそおって食卓についた。母親の言っていることは分からないが、表情と口の動きで何となく理解できた。まあ、毎朝、母親の言うことはだいたい決まっているから。
 学校までの道すがら、あかりは悪夢を見ているようだった。周りから聞こえる声は、
<ポコポコ、ピチャピチャ、タンタタン、ピーピー、キュキュ………>
 学校に着く頃には、あかりは気力をなくしていた。追い打ちをかけるように、友達が話しかけてくる。あかりは最後の力をふりしぼり、笑顔でそれに答えた。
 事件が起きたのは、一時限目が始まってからだった。校庭にいた生徒達が騒ぎ出したのだ。誰もが空を見上げていた。窓際に座っていたあかりは、何だろうと外を見た。ちょうどその時、影が窓を横切った。次の瞬間、キーンという耳をつんざく音が襲って来た。誰もが耳を押さえ、顔を伏せた。音が収まると、皆は窓の方に駆け寄った。校庭の真ん中に、見たこともない球体が青白い光を放って浮かんでいた。
 騒ぎはまたたくまに広がった。警察や自衛隊が駆けつけて、学校の周りには非常線がはられた。先生や生徒たちには避難命令が出され、順番に校舎から外へ誘導された。あかりたちが校舎を出たとき、それは起こった。球体から何十本もの光の線が飛び出したのだ。その一本が、あかりの目に飛び込んできた。
 あかりが意識を取り戻した時、彼女はまったく違う場所にいた。テーブルを囲んで、一方には黒ずくめの男達が、反対側には軍服を着た人達と、どこかで見覚えのある人…。あかりは気がついた。この人、総理大臣だ! 総理はあかりに向かって、
「大丈夫ですか? 何ともありませんか?」
 あかりはその声を聞いて、思わず笑みがこぼれた。言葉が分かるのだ。元に戻った。
 黒ずくめの男のひとりが言った。「彼女には大使として我々の星に来ていただく」
「えっ? 彼女って…」あかりは男の顔を見た。総理があかりに声をかける。
「すまない。君だけなんだ。彼らの言葉が理解できるのは。どうか、この地球のために行ってもらえないだろうか、彼らの星へ」
「行くって? えっ! あたしが? 無理無理無理無理…。だってあたし、受験生だし…」
「それは大丈夫です」男は言った。「我々の学校に留学してもらいますから」
<つぶやき>いつか、こんな留学をすることになるかもしれません。うらやましいです。
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T:036「さまよう心」
 近未来の日本。技術の発展めざましく、とうとう身体から心を取り出すことに成功した。これにより、バーチャルな世界がより現実味をおびできた。人々は心を解き放ち、バーチャル世界で憧れていた別の人生を楽しむようになっていた。
 彼女もみんながやるように、自分の思い描いた生活を楽しんだ。毎日仕事に追われていた彼女にとって、ほっと息抜きできるそんな時間だったのだが…。
「どういうこと」彼女は怯えたような声で言った。「あたしの身体が、消えた…」
 ハイパーコンピュータの操作室で、白衣を着た男がモニターの中で動いているアバターに向かって話しかけた。
「消えたというわけではなく、いなくなってしまったという…」
「全然わかんない!」アバターの顔が赤くなり、「あたしはナオミよ、スーパーモデルの。この後、仕事が入ってるの。明日だって、その次の日だって…。あたしが行かなかったら、大変なことになるのよ。あなた、わかってるの」
「そう言われましても、こういう事例は初めてのことで。我々としましても…」
「すぐに探して! 絶対に犯人を捕まえて、あたしの身体を取り戻しなさい」
「ですから、犯人はいないんです。これは、管理モニターで確認済みです」
「なに言ってるのよ。あたしの身体がなくなったってことは、誰かが盗み出したって…」
「それがですね、あなたの身体はご自分の意志で帰ってしまったという…」
「はあ? あたしはここにいるのよ。何で、身体だけ勝手に動くのよ」
「そこなんです」男は言いにくそうに訊いた。「何か重大な悩みごととか、お持ちじゃ…」
 アバターの顔が一瞬くもり、「そ、そんなこと、あるわけないでしょ」
 彼女の声は、あきらかに動揺していた。その時、警備員が操作室に入って来て、白衣の男に何か耳打ちして去って行った。男は、「なるほど」とつぶやいて、モニターのアバターに向かって優しく話しかけた。
「よかったですね。やっと決断できて」
「なによ」彼女は戸惑い、か細い声で言った。「何のことかわかんない」
「今、あなたの引退の記者会見が開かれています」
「引退? 誰がそんなことを…」
「あなたですよ。正確にいうと、もう一人のあなたです」
「もう一人のあたし?」
「これは興味深い事例なのですが」男は研究者の口調に戻り、「人は何か決断を迫られたとき、心を二つに分けることがあります。YESかNOか、決着をつけるために」
「だって、あたし…。彼のこと好きよ。でも、仕事も大切なの。だから…」
「もう一人のあなたは結婚を選んだんです。これは、素晴らしい決断だと思います」
「そんな…。あたしは、どうなるの。これから、どうすればいいのよ」
「心配ありません。そちらの世界でも、モデルの仕事はできますよ。あなたは、あなたの人生を楽しめばいいんです。バーチャル世界はそのためにあるんですから」
<つぶやき>人の生きる場所ってどこなの? 現実としっかり向き合って生きましょうね。
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T:035「新人の試練」
 休日の公園。人々は思い思いに余暇を楽しんでいた。その中に、一人だけ浮かない顔でベンチに座っている中年男。彼は誰かを待っているような…。いや、彼のイラつきようだと、きっとすっぽかされたのかもしれない。眉間にシワを寄せて、時計を気にしていた。
 そこへ、どこからか女が近づいて来た。まだ、二十歳そこそこの若い女性だ。彼女は男の前で立ち止まり、自分のお尻を二回叩いた。すると男は、ミニスカートから出ている女の足を覗き込んで、「大根足だな」とつぶやいた。
 どんな女性でも、そんなことを言われたら怒り出すところだが、彼女は違っていた。ほっとしたような顔で、男の横に座り込み言った。「よかった。やっと見つけた」
「何してたんだ」男は不機嫌にささやいた。「俺たちは時間厳守だ」
「だって、これ壊れてて、座標が出てこないんだもん」女は携帯のような小さな装置を出して男に渡し、「おかげで、何回お尻を叩いたかわかんないわ」
 男は装置を確認してつぶやいた。「壊れてなんかない。お前、装備の使い方も知らんのか」
「ねえ、何でこんな変な合図にしたのよ。これじゃあたし、まるで…」
「知るか。俺が決めたわけじゃない」男は装置を女に返して、「ターゲットの説明は受けてるな。早速、仕事に取りかかるぞ」
「ちょっと待ってよ」女は驚いた顔で、「あたし、初めてなんだから。まだ何も…」
「初めて?」男の顔に不安がよぎった。「でも、訓練は受けてるんだろ」
「ええ、一度だけ。だけど…」
「一度って何だ。お前、それで現場に来たのか!」
「仕方ないじゃない。人手がないから、お前、行って来いって命令されて…」
「何だよ、それ…。まあ、いい。俺たちのターゲットは女性だ。彼女はこれから画期的なダイエット法を考案することになっている。それにより、肥満は激減することになる」
「そうなんだ。それ、すごいわね。じゃあ、何でも気にしないで食べられるんだ」
「だが、それを邪魔しようとする奴らがいる。そいつらは彼女にパートナーを送り込んだ。そいつのおかげで、彼女は肥満になることができなくなった」
「でも、それっていいことじゃ…」
「何を言ってる。彼女は、肥満になったからダイエットを考え出すんじゃないか。もし、彼女が太らなければ、この世界から肥満をなくすことはできない」
「そうか…。じゃあ、そのパートナーをやっつけちゃうのね」
「そうだ。それを、君にやってもらう」
「えっ、あたしに。でも、そんなこと…」
「大丈夫だ。それくらいお前にもできる。彼女の飼っている犬を誘拐するだけだ」
「イヌ!」彼女はそれを聞いて震えだした。「あたし、ダメです。犬は、犬は…」
「まだ子犬だ。お前、それでも時空警察官か? しっかりしろ」
「だって子供の頃、犬に追いかけられて…。絶対、近づけないんです」
「克服しろ。任務が完了しないと、俺たちは元の時間に戻れないんだぞ」
<つぶやき>新人にはいろんな試練があります。あなたなら、きっと乗り越えられるはず。
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T:034「動き出した恋心」
 街中のオープンカフェ。綾乃はいつもここで原稿のチェックをするのが習慣だった。通りの人混みや、店内のざわつきも気にならない。彼女にとっては一番落ち着ける場所なのだ。彼女は大学の時から、ここを待ち合わせなどに使っていた。このカフェにはいろんな思い出がある。お店の人とも顔見知りで、長居をしていても笑顔で迎えてくれるのだ。
 今日も、いつものように綾乃は原稿とにらめっこをしていた。テーブルの上に原稿を並べ、ペンをくわえて顔をゆがめる。考え込んでいるときの彼女の癖だ。
 彼女が目をつむり、腕を上げて背伸びをしたとき、一陣の風が通り過ぎた。その風に舞い上げられて、原稿用紙がテーブルから滑り落ちていく。彼女がそれに気づいたときには、見知らぬ男性が屈み込んで拾い集めていた。彼女はあわてて立ち上がり、「どうもすいません」とその男性に声をかけた。
 男は無愛想に拾い集めた原稿をテーブルの上に置くと、軽く頭を下げてそのまま行ってしまった。綾乃は去って行く男の背中に向かって声をかけようとして、息をのんだ。
 急に昔の光景が頭をよぎったのだ。あの人と始めて出会ったときも、こんな感じだった。
 それは彼女が大学生の頃、場所もこのカフェだった。あの人は彼女がうっかり落としたペンを拾ってくれて、そのまま何も言わずに行ってしまった。綾乃は何となくその人が気になってしまった。その後、同じ大学に通っていることがわかり、さらに共通の友人がいたことも判明した。そんなこともあって、二人はごく自然につき合い始めた。
 二人は友達がうらやむほど仲が良かった。大学を卒業してからも交際が続き、そろそろ結婚するんじゃないかと噂された頃、その悲劇は突然訪れた。彼が病に倒れて、あっけなく逝ってしまったのだ。突然のことで、綾乃は呆然とするばかり。何もやる気になれず、とうとう寝込んでしまった。でも、綾乃はそこから立ち直った。友達の励ましもあったのだが、笑っている彼の写真を見たときに気づいたのだ。
「あの人からいっぱい幸せをもらったのに、いつまでも哀しんでちゃいけないわ。こんなことしてたら、あの人に嫌われちゃう」
 綾乃はそれから仕事に没頭した。彼との思い出があれば、これから生きていける。だから、もう誰も好きにならない。彼のことを大事にしたいから。彼女はそう決めた。
 綾乃が小さな出版社に顔を出したのは、その日の夕方だった。彼女はここの雑誌に短いエッセイを書いていた。白髪まじりの編集長が彼女に声をかけた。
「いや、すまんねぇ。急に頼んじゃって」編集長は原稿を受け取り目を通して、「うん。なかなかいいねえ。これ、使わせてもらうよ。おい、神崎君」
 編集長はデスクで仕事をしていた編集員を呼んだ。綾乃は、隣に立ったその編集員の顔を見て驚いた。昼間、原稿を拾ってくれた彼だったのだ。
「ああ、初めてだったね」編集長は綾乃に言った。「ほら、この間、一人辞めちゃっただろ。やっとね、良い人が見つかったんだよ」
「どうも、よろしくお願いします」神崎はぎこちなく挨拶をした。
 綾乃は、何だか心がざわざわし始めた。「こちらこそ」と彼女は慌てて頭を下げた。
<つぶやき>ドラマチックな出会いなんて…。でも、あるかもしれません。あなたにも。
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T:033「私のご主人さま」
「私、そろそろ帰るね」亜希はそう言って立ち上がろうとした。
 隣に座っていた萌が、すかさず亜希の腕を押さえつけて、「まだ八時じゃない」
「もう、八時よ。私、早く帰らないといけないし」
 そこへ店員がビールの追加を運んで来た。吉江がそれを受け取り、
「あと、串の盛り合わせと、トマトのサラダをお願い」さらに追加の注文をする。
 亜希があきれて、「吉江、まだ食べるつもりなの?」
「いいじゃない。あたし、まだそんなに食べてないし」
「そうよね。遅れて来たんだし、いいじゃない」萌は亜希の腕をつかんだまま言った。
「あのさ」亜希は萌の手を振りはらい、「何なのよ。さっきから」
「いや…。ほら、久しぶりだから、ゆっくり話ししたいじゃない」
「久しぶりって、先週も会ってるでしょ」
「そうだけど。あたし、もう少し飲んでいたいの」
「じゃあ、二人で飲んでればいいじゃない。私はこれで…」
「そんなこと言わないで」萌はすがるような目で亜希を見つめる。
 亜希は何かを探るように萌の顔を覗き込み、「…わかった。何かあるのね」
 萌は目をそらし、ためらいがちに言った。「亜希って、猫好きよね」
「そうだけど。それがなに?」亜希はイライラしながら答えた。
「あたしの…、じゃなくて…。あたしの部屋にいる、猫…、引き取ってくれない?」
「えっ、なに? 萌、猫飼ってるんだ」
「飼ってるわけじゃないわ。勝手に居座っちゃって、出てってくれないの。いくら追いだしても、いつの間にか部屋に入り込んで…。最初はね、可愛いなって、餌もあげたりしてたの。だけど、何かどんどん我が儘になってきて、気に入らないと噛みついてくるのよ」
 さっきから食べ続けていた吉江が口を挟んだ。「それって、猫じゃなくて男だったりして」
「違うわよ。ほんとよ、ほんとに猫なの。あたし、もう恐くて帰れない」
「あのさ」亜希はあきれたように、「そんな猫、いるわけないでしょ。いい加減なこと…」
「信じて」萌は目に涙をためて、「今朝も追い出してきたから、もし、部屋に猫が戻って来てたら、今度は引っかかれるだけじゃすまないわ。何されるか、わかんない」
「しょうがないな」亜希は溜息をつき、「吉江のとこで飼ってあげれば」
「あたしはダメよ」吉江は料理を平らげて言った。「もう、手一杯なんだから。一匹の食費を稼ぐのに、あたしがどれだけ頑張ってるか。悪いけど、今日のおごりにしてね。お願い!」
「何なのよ。もう、しょうがないな」亜希は萌のすがるような視線に気づいて、「私もダメよ。もう、猫いるし。モモちゃんって言うんだけど、すっごく可愛いのよ。見てみたい?」
 亜希は携帯電話を取りだして、自慢げに画像を二人に見せびらかした。それを見た二人は、驚きの声をあげた。
「この猫よ! あたしの部屋に入り込んで来るのは」萌は声を震わせて言った。
「なんで? あたしのご主人さまが写ってるの」吉江は思わず姿勢を正した。
<つぶやき>猫は確かに可愛い。でも、猫ばかり見ていると、いい男は見つかりません。
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T:032「初恋の人」
 彼の名前を聞いたとき、あたしはあまりの衝撃に立っていられないほどだった。確かに、彼の目元とか口元とか、あの当時の面影が残っていた。どうしちゃったのかな。あたしの心臓は高鳴り、きっと顔も赤くなってるかも…。あたしは思わず、手で頬を隠した。
 村井進。彼は、中学の同級生。そして、あたしの初恋の人。初恋といっても、完全にあたしの片思いだったけど。同じクラスだったのに、話もできなくて…。ずっと、彼のことを見ているだけ。告白もできずに、卒業するまで恋しい気持ちを押さえていた。まさか、そんな彼と職場で顔を合わせるなんて。彼は、中途採用で入社してきたの。
 去年の同窓会のとき、彼は欠席してたけど、みんなの噂では一流企業に入社したって聞いていた。それなのに、なんでこんなちっぽけな会社に来たんだろう。自分の会社を悪く言うつもりはないけど、給料だって絶対に安いし、もっと良い会社に入れるはずなのに。
 あたしは社長に呼ばれているのに気づかなかった。社長の話なんか耳に入るはずがない。隣の同僚につつかれて、あたしはすっとんきょうな声をあげた。
「どうした? 浜野さん」社長が訊いてくる。
「いえ、何でもありません」あたしの顔はますます赤くなった。
「彼には、しばらく内勤で働いてもらうから、いろいろと教えてやってくれ。頼むよ」
「あの、あたしが……」それ以上、声にならなかった。
 彼があたしの方に近づいてくる。あたしは思わず後ずさり、机にお尻をぶつけてしまった。まったく、何やってるんだろう。
 彼はあたしの顔を見て、「よろしくお願いします」とペコリと頭を下げた。
 彼は、あたしのこと覚えてない。その時、あたしは直感した。何とも言いようのない寂しさに、心が震えた。その直感に間違いのないことは、すぐに証明された。
 その日から、あたしはおかしくなった。彼の視線や動作が気になって、失敗ばかり。伝票の数字を書き間違えたり…。もう、自己嫌悪。
 あたしだって、それなりに恋もしたし、男性に対しての免疫はあるはずよ。今さら、初恋の相手にどきどきするなんて、あり得ない。もう、こうなったら決着をつけるしかない。あたしは、決心した。中学のときの、あたしとは違うんだから。今度こそ、今度こそ…。
 数日後、彼の歓迎会が居酒屋で開かれた。ここぞとばかり、あたしはさり気なく、あくまでもさり気なく、彼に近づき隣の席を確保した。そして、彼のグラスにビールを注ぎ、
「あの…」あたしの声は、明らかにうわずっていた。
「どうしたんですか?」彼が心配そうに訊いてくる。
「いえ、別に…」あたしは自分のグラスにビールを注ぎ、一気に飲み干した。
「浜野さんは、結構いける口なんですね。僕はどうも、アルコールは飲めなくて」
「あ、あの…。あたしも、そんなには、飲めないのよ」良い子ぶってるあたし…。
「でも、いいですよね。なんか、家庭的っていうか。みんな良い人ばかりで」
「そうかしら…」あたしは、彼の顔に現れた寂しげな表情を読み取った。
「ここなら、やっていけそうな気がします。先輩、よろしくお願いします」
<つぶやき>人それぞれに人生あり。別々の道を歩いていても、どこかでつながってる。
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読切物語End