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T:004「決まりごと/スケジュール」
 京塚(きょうづか)は書き上げた原稿を明日実(あすみ)の前に置いた。そして、さっきの事はまるで気にしていないかのように、事務的な口調で言った。
「今週分の原稿です。よろしくお願いします」京塚は何のためらいもなく頭を下げた。
 明日実は驚いた。こんな駆け出しの編集者にそんなことをするなんて。
「いえ、あの…。あたしこそ、すいませんでした」
 明日実は立ち上がり、深々と頭を下げる。そして、差し入れのケーキを京塚の方へ押しやり、「これ…、お口に合うかどうか。ケーキなんです。先生の作品にも出てくる…」
 その時、間の悪いことに明日実のお腹が、またグーッと声を上げた。生理現象で彼女を責めることはできないが、間違いなく京塚の耳にまで届いていた。
「それは、君が食べるといい」京塚は出て行こうと立ち上がった。
 明日実は彼を引き止めるように言った。「あの、まだ怒ってるんですか?」
「いや。僕はケーキは食べないんだ。君は、前の人から何も聞いてないのか?」
 明日実はぎこちなく肯(うなず)いた。前任者(ぜんにんしゃ)が誰だったのか、彼女はまったく知らないし、聞かされてもいないのだ。そう言えば、今朝も編集長が何か言っていたが、それが何だったのか、今となってはまったく思い出せない。
 京塚はそのまま何も言わずに応接室をあとにした。残された明日実は、ソファに倒れ込みじたばたしながら、「何でよ。何で、こうなるのよ!」と子供のように悔(くや)しがった。間の悪いことは続くものだ。そんな姿を、すぐに戻って来た京塚にバッチリ見られてしまった。京塚と目が合ったとき。明日実は顔から火が出たみたいに熱くなり、全身から冷たい汗が吹き出るのを感じた。
 京塚は何も見なかったように振る舞った。でも、明日実は思った。あたしのこと絶対に変な女だと思ってる、と。京塚は一枚の紙を明日実に渡して言った。
「これが、僕のスケジュールです。仕事をしている間は、邪魔(じゃま)しないで下さい」
 その紙には、一週間分のスケジュールが分刻みに細かく書き込まれていた。明日実は目を細めた。京塚はさらに続ける。
「そこに、原稿を取りに来てもらう時間も書き込んであります。次からは、ちゃんと守って下さい。でないと、今日みたいにずっと待ってもらうことになりますから」
「は、はい。そうなんですか…」
 明日実は食い入るようにスケジュールを見つめてから、何かを思いついたように言った。「じゃあ、仕事の時間以外で、お邪魔してもいいでしょうか?」
「それは、構わないが。話し相手には…」
「いえ、いいんです。それは、大丈夫ですから」
 出版社では、編集長がイライラしながら待っていた。明日実の顔を見たとたん、編集長の雷が部屋中にとどろいた。でも、明日実が原稿を見せると編集長の怒(いか)りもおさまり、
「おう、そうか。ご苦労さま。で、先生とは、うまくいったのか?」
 明日実は元気に微笑むと、「はい、任せてください」
<つぶやき>新人は恐いもの知らずと言います。それを生かすも殺すも、本人次第ですが。
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T:003「決まりごと/思い込み」
 部屋の中は仕事場になっていた。南側の窓からは木漏(こも)れ日が入り…。目の前には、さっきの男が机に向かっている後ろ姿が見えた。明日実(あすみ)は声をかけた。でも、男は何の反応も示さない。よく見ると、その男の耳にはヘッドホンが…。これじゃ聞こえるはずないわ。彼女はそう呟(つぶや)くと、部屋に足を踏み入れた。
 明日実は部屋に入ったとたん、鼻をつまんだ。この臭(にお)いは、タマネギが腐ったような…。彼女は部屋の中を見回してみた。すると、ソファの上とか積み上げられた本の間に、服が脱ぎ捨てられていて、その中には下着のようなものまで見え隠れしていた。彼女はたまらず窓へ走った。そして、窓を全開に開け放つ。部屋の中へ爽(さわ)やかな風が吹き込んできた。
「あーっ、死ぬかと思った」明日実は大きく息をついた。
 彼女が振り返ると、散乱(さんらん)した原稿用紙の中に男が立っていた。男は恐い顔をして言った。
「君は、僕の邪魔(じゃま)をしにきたのか。それとも…」
 明日実は、そこで事の重大さを理解した。ここは、とりあえず謝っておかないと。
「す、すいません。でも、この部屋、あんまり臭(くさ)かったもんだから」
 彼女は時に、余計なことを口走(くちばし)る。今がその時であることを、彼女は全く気づいていなかった。男は無言で原稿用紙を拾い始めた。彼女も慌てて、「あたしもやりますから」と散らかった原稿用紙を拾い集める。全てを集め終わると彼女は言った。
「今時、手書きの原稿なんて。パソコンとか使わないんですか?」
「これが僕のやり方だ」男は、彼女から原稿を受け取ると、また机に向かった。
「あの、先生はどこかへお出かけですか?」
「先生?」男は振り返ると言った。「ここには先生なんていない」
「えっ、どういうことですか? あたし、昨日、お電話して…」
「ここは僕の家で、僕は今、仕事をしている時間なんだ。邪魔しないでくれ」
「はあ…」彼女はキョトンとしていたが、突然大声を張りあげた。
「うそっ! あなた、京塚(きょうづか)先生? あの、あの、有名な…」
「だったらどうだって言うんだ。こんな汚い格好をしてるから、そうは見えなかったか」
「ああっ、すいません。想像してたのと、全然違ってたんで…」
「分かったら、とっとと出てってくれ」
 明日実は応接室へ戻ると、ソファにどっと腰かけた。まさか、初対面がこんな最悪な形になるなんて。彼女は頭をかかえてしまった。もし憧れの先生に嫌われたら、間違いなく担当からはずされて…。そしたら、そしたら――。でも、彼女はめげなかった。
「きっと大丈夫よ。先生は、そんな度量(どりょう)の狭(せま)い人じゃないはず。だって、あんな素晴らしい作品を書いてるんだから。よし、まだ挽回(ばんかい)のチャンスはあるわ」
 時に彼女は、自分に都合のいい思い込みをする時がある。それが的(まと)はずれであることを、彼女が気づくはずもなく。ますますトンチンカンな方向へと進んでいくのだ。
 どのくらいたったろう。腕時計を見ると、もう四時を回っていた。お腹がグーッと鳴る。彼女はお昼を食べていないのに始めて気がついた。その時、突然ドアが開いた。
<つぶやき>思い込みをしてることって、誰にでもあるのかもしれません。あなたにも…。
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T:002「決まりごと/ここなの?」
「おかしいなぁ、この辺りだと思うんだけど…」
 明日実(あすみ)は地図をグルグル回して、辺りをキョロキョロと見回した。だが、それらしい建物もなく、そこにあるのは雑木林? それも全く手入れとかされていない、うっそうとした森状態。明日実は、そこに小さな小道を発見した。道は曲がりくねっているようで、木々に邪魔をされて先が見えなくなっている。まるで、森に呑み込まれるような感じ。
「まさか、ここってこと?」明日実は恐る恐るその小道を入って行った。
 小道は思ったほど長くはなく、すぐに開けた場所に出た。そこに、一軒の古い平屋(ひらや)が建っている。玄関の上には表札があり、「京塚(きょうづか)」と記されていた。
「えーっ、ここなの?」明日実はしばらくぼう然と立ちつくした。
 彼女は小説に出てくるような、オシャレで豪華(ごうか)な邸宅(ていたく)を想像していた。それが、こんなみすぼらしくて、今にも壊れそうな……。
 ――明日実は気をとり直して玄関の呼び鈴を押した。しばらく待ってみる。……。だが、何の反応もなかった。もう一度、呼び鈴を押す。………。やっぱり、何の返事も返ってこない。留守のはずはない。今日訪ねることは、ちゃんと連絡してあるのだから。そっと玄関の戸を開けてみる。戸はガラガラと音をたてながら開いた。明日実は「ごめんください」と声をかけた。…………。家の中は静まりかえっている。ここで帰るわけにはいかない。だって、憧(あこが)れの京塚雅也(きょうづかまさや)がすぐそこにいるかもしれない。
 明日実は家の中へ足を踏み入れた。目の前には廊下があり、その突き当たりと左右に部屋の扉が見えた。彼女はそこでもう一度声をかけ、靴を脱いで上がろうとした。ちょうどその時、右側の扉が開き男が出て来た。その男はもじゃもじゃの髪に、不精ヒゲをはやしている。着ているものと言ったら、薄汚れたTシャツに穴の開いた紺のジャージ。どう見ても、有名な作家先生には見えなかった。彼女はホッとして声をかけた。
「あの、すいません。先生はご在宅ですか? あたし、出版社から…」
 男はぶっきらぼうに答えた。「遅かったですね」
 明日実は腕時計を見て、「あっ、すいません。初めてなので、ちょっと場所が…」
 男はじっと彼女を見ていたが、顎(あご)で左の扉を示して、「こっちで待っててもらえますか」
「はい。すいません。ありがとう…」
 男は彼女の言葉を最後まで聞かずに、出て来た扉の中へ引っ込んだ。
 彼女は口をとがらせて言った。「何なのよ。変なひとね」
 明日実は玄関を上がると、左の扉を開けて中に入った。そこは応接室になっていた。部屋の中は奇麗に片付けられていて。と言うか、余計な飾りとか全くなかった。ほんとに殺風景な、色のない部屋だと彼女は思った。
 彼女はソファに座ると、テーブルの上にケーキの箱をそっと置いた。――どのくらい待っただろう。彼女は腕時計を見て、「もう、いつまで待たせるのよ」
 あれから一時間は過ぎている。明日実は待ちきれなくなって、応接室を出て男が入っていった扉をノックした。やっぱり返事は返ってこない。彼女は静かに扉を開けてみた。
<つぶやき>初めての場所へ行く時は、事前にチェックをしましょうね。そうしないと…。
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T:001「決まりごと/憧れの人」
 明日実(あすみ)は、突然編集長に呼ばれた。デスクへ行くと編集長は彼女をじっと見つめて、
「うーん。そうだなぁ、君にやってもらおうか」
 明日実は何のことか分からずポカンとしていた。編集長は一冊の本をデスクに置いて、
「明日から、この作家を担当しろ。いいか」
 明日実は本を見て驚いた。京塚雅也(きょうづかまさや)。今、凄(すご)く人気のある作家だ。明日実は身体が震えた。だって、彼に会いたくて出版社に入社したくらいだ。こんなに早く本人に会うことができるなんて、思ってもいなかった。
「は、はい。でも、でも、あたしなんかでいいんですか? こんな有名な作家さんに…」
「心配するな。この先生は、全く手のかからない人だ。変なわがままも言わないし、原稿だって一度も遅れたことはない。だがな」編集長は念(ねん)を押すように続けた。「くれぐれも言っておくが、余計(よけい)なことはするな。いいか」
 明日実は編集長の言葉など耳に入らないみたいに、肯(うなず)きながらふわふわと自分のデスクへ戻って行った。その様子を見ていた他の編集者が編集長に声をかけた。
「ほんとに、大丈夫ですか? あいつに任せて」
「まあ、ちょっと抜けてるほうが、あの先生には合うのかもしれない。他に適任者(てきにんしゃ)がいないんだから、しばらく様子をみるしかないだろ」
 編集長の心配などよそに、明日実は完全に舞い上がっていた。着ていく服を選ぶのに時間をかけ、手ぶらではいけないと差し入れを考えるのに明け方までかかった。
 なぜこれほど彼女がこの作家に心酔(しんすい)しているのか。それは書いている恋愛小説もそうなのだが、表には絶対に顔を出さない神秘さもあるのだ。出版社の中で彼のことを知っている人は限られているし、その中に自分も入ることができる。彼女が浮かれるのも当然なのかもしれない。
 男性経験の少ない彼女にとって、彼の書く本はまさに恋愛のバイブルのようなものだ。もし、自分がこの本の主人公のようになったら…。そう考えただけで、胸がキュンとなって――。彼女の妄想(もうそう)は際限(さいげん)なく続いていくのだ。
 目覚まし時計の音で彼女は目を覚ました。寝ぼけた目で時計を見る。しばらくは何をするでもなくボーッとしていたが、突然叫び声をあげた。
「ダメダメ、あたし何してんのよ。こんなことしてる場合じゃないでしょ」
 明日実は猛然(もうぜん)と動き出した。手早く朝食をすませると、鏡の前に向かった。いつもなら、適当に化粧をするところだが、今日は気合いの入り方が違う。目の下のクマもどうにか誤魔化して時計を見ると、もうギリギリの時間になっていた。彼女はカバンをつかむと、一目散に駆け出した。
 出版社に顔を出してから、明日実は作家の家に向かった。彼女が朝までかけて選んだ差し入れは、有名店のケーキ。これは、彼が書いた本の中にも出てくるのだ。これならきっと気に入ってくれると彼女は確信していた。編集長から渡された地図を手に、彼女の胸は高鳴っていた。それにつれて、自然と彼女の歩(あゆ)みも早くなっていくようだ。
<つぶやき>憧れの人に会える。それだけでテンションはヒートアップしてしまうのです。
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T:007「女子大生探偵アン&ユリ」
 「絵画盗難事件」7
 翌日、屋敷の応接間に山本が座っていた。テーブルの上にはあの絵が置いてある。
「しかし、驚いたね。絵を売る気になるなんて」
 山本はにやつきながら、お金の入った封筒を綾佳の前に差し出した。綾佳は落ち着いた様子で、封筒の中のお金を確かめて言った。「残念ですけど、これではお売りできませんわ」
「なに言ってるんだ。約束した金は…」
「他に買い取りたいってうい方がいまして。この十倍の額を提示されましたの」
「十倍? 何を馬鹿な…。どこのどいつだ。そんなことを言ったのは」
 この時、応接間のドアが開いて、いかにもセレブといった女性が入って来た。大きな帽子と奇麗なドレスで着飾ってはいるが、何ともぎこちない動作である。
「あたくしですわ。あの…、あたし、この絵が気に入ってしまって」
「どこのお嬢さんか知らないが、この絵にそんな価値はない。素人は引っ込んでな」
 山本は女を睨みつけた。女は少したじろいだが前に進み出て、「じゃあ、どうしてあなたは、そんな価値のない絵を欲しがるんですか? 本当は、この中にある別の絵が…」
 男は突然立ち上がった。その顔には殺気がみなぎっている。女は驚いた拍子にバランスを崩し、尻餅をついてしまった。大きな帽子が彼女の頭から滑り落ちる。
「お前は…」女の顔を見て男は言った。「昨日の、生意気な女か」
 その女は、ユリだった。男は座り込んでいるユリの胸ぐらをつかんで言った。
「クソッ、バレちゃしょうがねえ。こんなに早く贋作が見破られるとは思わなかったよ。おかげで、手荒なまねをしなくちゃいけなくなった」
 男はポケットからナイフを取り出して、刃先をユリの目の前に突き出した。ユリは思わず目をつむった。男は綾佳に向かって、「さあ、絵を渡してもらおうか」
 綾佳は絵を持つと、ゆっくりと男の方に近づいた。そして、男の手がユリから離れると、綾佳は男に向かって絵を投げつけた。それを合図に、刑事たちが部屋になだれ込んで来る。まっ先に山科が男に飛びかかった。しかし、逆に殴り飛ばされてしまう。男は必死にナイフを振りまわす。動けなくなっているユリが目に入ると、男はやけくそになって彼女に切りかかった。次の瞬間、男の身体は宙を飛んでいた。
「助かったよ。おかげで怪我人を出さなくて済んだ」大熊警部は無骨につぶやいた。
「いや、あたしはユリを助けたかっただけで」アンが照れくさそうに答えた。
「誰に習ったか知らんが、警官にならないか? お前だったら、いい刑事になれるかもな」
 警部はそう言うと、答えも聞かずに帰って行った。ユリの介抱をしていた山科が、その後からばつが悪そうについて行く。二人を見送って、アンはユリの方へ走り寄った。
「なあ、あの若い刑事と知り合いか? どういう関係なんだよ」
「関係って?」ユリは顔を赤らめて、「そんなんじゃないわよ。ただの、幼なじみ」
「へーぇ、ユリって、ああいうへなちょこが好きなんだ」
 アンは嬉しそうにユリの頬を突っついた。ユリの顔はますます真っ赤になった。
<つぶやき>事件は無事に解決です。この後も、この二人の活躍は続くのでしょうか?
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T:006「女子大生探偵アン&ユリ」
 「絵画盗難事件」6
 大熊警部は男のことについて詳しく訊いた。
 主人の話では、その男は一ヵ月ほど前に突然現れて、山本と名乗ったそうだ。職業は画商で、この屋敷のコレクションのことをどこかで聞いてやって来たのだ。その後も何度か訪ねて来て、数日前に絵を売ってほしいと持ちかけてきた。
 警部は主人が話し終えると、「うーん」と唸った。何かひっかかるものがあるようだ。
「あのーォ」ユリが恐る恐る警部に声をかけた。「あの人、昨日ここに来てましたよ」
「なに!」警部は大声で叫んだ。ユリは思わずアンの後ろに隠れた。
「そんなはずないよ」山科刑事が言った。「昨日の客の中に山本なんて…」
「あの人はお客なんかじゃありません」綾佳が答えた。「パーティが始まる頃には帰ったはずです」
 警部は顎をさすって主人に訊いた。「その山本という男は、何をしに来たのですか?」
「いつものように、絵を見せてほしいと。今日は忙しいからと断ったのですが、どうしてもと言われるものですから…」
「それで、コレクションの部屋に入ったんですね」
 主人は頷いた。そこで、すかさず身を乗り出してユリが話に割って入った。
「あの、その部屋で、その人、ひとりになった時ってありました?」
 主人は戸惑ったように警部の方を見た。警部は微妙に嫌な顔をしたが、自分も訊きたいことだったので何も言わず促した。
「はい。ちょうどお客が来られる時間でしたので…。ですが、ほんの数分だと思います」
「その山本って人は、いつもステッキを持ってましたか?」ユリはうれしそうに訊いた。
「ええ。足が悪いみたいでしたが…」
 主人は首を傾げて答えた。なぜそんな質問をするのか理解できないようだ。それは警部も同様だった。ひとりでニヤニヤしている小娘が、気に食わないという顔をしていた。
「あの、もう一度あの部屋を見せてもらえませんか?」ユリは主人にお願いした。
 部屋は事件が起こった時のままにされていた。贋作の絵だけが外されて、ぽっかりと穴が空いたようになっている。ユリは部屋の中を見まわした。すべての作品が整然と並べられ、ある種の緊張感を漂わせている。彼女はあの母親が描いたという絵の前に歩み寄った。そして、何かを確認するように絵の額縁にふれた。
「私、わかっちゃいました」
 ユリは嬉しそうに振り返って言った。「たぶん、ここにあります」
 みんなはきょとんとした顔でユリを見た。アンが心配そうに駆け寄ってきてささやいた。
「ねえ、そんなこと言っちゃって大丈夫なの? あのおじさん、すごい顔で睨んでるよ」
 たしかに、警部の我慢も限界にきていた。横で山科がおろおろしている。でも、ユリはそんなことおかまいなしに綾佳に声をかけた。
「ねえ、この絵、外してもいいですか?」
<つぶやき>いよいよ事件は核心へと向かいます。はたして絵は見つかるのでしょうか?
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T:005「女子大生探偵アン&ユリ」
 「絵画盗難事件」5
「まあ、お座り下さい」大熊警部は穏やかな口調で言った。だが、彼の目は刑事の鋭い目つきに変わっていた。「われわれもあらゆる可能性を考えていまして。保険が掛けられている以上、調べないわけにはいかないんですよ」
「それで、ですね」山科刑事が先を続けた。「お爺様が今どこにいるのか、ご存じですか? 会社の方には来ていないということなのですが」
「さあ…」綾佳は首を傾げながら座り、「朝早くに出かけたみたいで、私にはわかりません」
「そうですか」山科はちょっと困った顔をして言った。
 さっきからずっと何かを考えていたユリが、一人言のようにささやいた。
「どうして、あの絵を欲しがっているんでしょう」
「えっ、どうしたんだ?」隣に座っていたアンが訊き返した。
「あの、さっきの人ね。どうして、あの絵を欲しがるのかなって思って。だって、有名な画家の絵じゃないし、私にはその理由がわからないの」
 絵の話になると、綾佳の表情が曇った。それを見逃さなかった警部は、さっきよりも優しく尋ねた。「もし、お差し支えなければ、話していただけませんか?」
 綾佳は一瞬迷ったが、意を決して頷いた。
「あれは母が描いたんです。あの絵に描かれているのは、母との思い出の場所。子供の頃、よく遊びに行った場所なんです。その母も二年前に亡くなって…」
 母親のことを思い出したのか、綾佳は言葉をつまらせた。警部は彼女が落ち着くのを待って、口を挟んだ。「なぜ、そんな大切な絵を手放すことにしたんです?」
「違います」綾佳は首を振り、「最初はほかの絵だったんです。それなのに、母の絵の方がいいって、急に言いだして」
「なるほど」警部は頷いた。
「あの、最初の絵って、何だったんですか?」
 ユリが横から口を出したので、警部は咳ばらいをして睨みつけた。ユリは小さくなって、アンの方に身を寄せた。
「あの絵です。昨日、盗まれた」
 綾佳の言葉に、刑事たちは顔を見合わせた。
 その時、玄関の方で音がした。誰かが入って来たようだ。綾佳は、「おじいちゃん…」とつぶやいて部屋を飛び出していった。
 この家の主人は初老の男だった。髪は白く、目には優しさと教養の高さがうかがえた。とても犯罪を犯すような人間には見えない。主人は刑事たちの質問に答えて、
「たしかに会社の経営はよくありません。ですが、保険金をだまし取ろうなんて。そんなこと考えたこともありません」
 老人はきっぱりと言った。そして、さっきの男の話になると驚いたように、「私があの絵を手放すわけがない。私の大切な…、娘の絵なんですから」
<つぶやき>他人には価値がなくても、その人にとってはとても大切なものってあるよね。
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T:004「女子大生探偵アン&ユリ」
 「絵画盗難事件」4
 男はユリの言うことなど無視して、壁に掛けてある絵の方に歩み寄って言った。
「じゃあ、これはもらっていくよ」不敵な笑みを浮かべ、男は絵に手を伸ばす。
「触らないで!」綾佳は男に駆け寄り、その腕に飛びついた。
 突然のことで、アンもユリも立ち尽くしていた。アンがやっと加勢に入ろうとしたとき、背後から、「何やってんだ」とすごみのある声が響いた。
 そこに立っていたのは大熊警部。その後ろには、山科刑事がひかえていた。
「勝手なまねをしてもらっちゃ困るな」警部は男を睨みつけた。
 男がひるんだ隙を見て、綾佳は絵をはずして両腕でしっかりと抱きしめた。それを見た男は舌打ちをして、いまいましそうに綾佳を睨みつけて帰って行った。
「すいません。勝手に入って来て」男を見送り山科が言った。「何度も声をかけたんですが」
「またお前たちか」大熊警部はアンたちを見て、「俺たちの邪魔だけはしないでくれよ」
 警部は皮肉たっぷりに言うと、座り込んで震えている綾佳に手を差し出した。
「お嬢さん、大丈夫か?」警部はその顔に似合わず、優しく綾佳を立たせて訊いた。
「さっきの男は何者です? どうして、この絵を」
 綾佳は固く口を閉ざして何も言わなかった。そんな彼女のようすを見て、警部もそれ以上詮索することはなかった。
 応接間に通された刑事たちは、綾佳が淹れてくれた紅茶を口にした。警部は紅茶を飲み干すと、はーっと息を吐いた。警部のほころんだ顔つきを見て、アンは思わず吹き出した。
「なんだ」警部はアンを睨みつけて、「何でお前たちがここにいるんだ」
「いいだろう」アンは口をとがらせて、「綾佳に何かしたら、ただじゃおかないからな」
「だめだよ。そんなこと言っちゃ」隣にいたユリが小さな声で注意した。
「まあ、いい」警部は不機嫌そうにつぶやくと、山科に目配せした。
 山科は緊張気味に、「こちらのご主人にお訊きしたいことがありまして、伺ったんですが」
「すいません。今、お爺さまは出かけておりまして…」伏し目がちに綾佳が答えた。
「そうですか…」
 山科は判断を仰ぐために警部の方を見た。だが、警部はお茶菓子に出された手作りのクッキーを、美味しそうにほおばっていた。無視された山科はため息をついた。警部は自分の娘と同じ年頃の女性には、どうも手ぬるくなってしまうのだ。もちろん、例外はあるが。
「あの、ご存知でしたか?」山科は本題に入った。「盗まれた絵には、かなり高額な保険が掛けられていたことを」
「はい。ここにある高価なものには、保険を掛けてあると聞いたことがあります」
「で、あなたのお爺様の会社の経営状態が、あまりよくないそうですね」
「何が言いたいんですか?」綾佳は困惑した顔で訊いた。
「保険金詐欺を疑っているの?」突然、ユリが横から口を挟んだ。
「そんな…」綾佳は立ち上がり山科を睨みつけて、「おじいちゃんは、そんなことしないわ」
<つぶやき>恐い顔をしていても、実は優しい心の持ち主かも。父親は娘には弱いのです。
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T:003「女子大生探偵アン&ユリ」
 「絵画盗難事件」3
 次の日の朝、アンとユリは事件のあった屋敷へ向かっていた。
 ユリは気になる事があると、他の事が見えなくなってしまうところがある。今日だって、大学の講義があるのにそれをさぼってしまったのだ。ユリは真面目に大学に通っているから大丈夫だが、アンは単位がギリギリなので気が気じゃなかった。でも、ユリの性格を知っているので、一人にするわけにはいかなかった。彼女は世間知らずで気が弱いくせに、危険なところへどんどん入り込んでしまうことがある。
 二人が屋敷に到着すると、綾佳が出迎えてくれた。でも、何となく様子がおかしい。昨日の明るくて快活な感じがまるでないのだ。何か心配ごとでもあるような、そんな顔をしていた。
「あら、どうしたの?」二人の顔を見た綾佳は、驚いたように言った。
「わるい。ちょっといいかな」アンが申し訳なさそうに、「ユリがどうしてもって言うから」
「ごめん。今ちょっと、お客が来てるの。私の部屋で待っててくれるかな」
 綾佳はそう言うと、二人を二階の自室に案内した。
 玄関のホールを抜け、アンティーク風の木彫(もくちよう)の手摺りがついた階段を踊り場まで来たとき、階下から大きな声がした。
「こんなところで何をしてる!」
 その声に驚いて、綾佳とアンは後ろを振り返った。アンははっとした。そこにいるはずのユリの姿が消えていたのだ。アンはしまったという顔をして、階段を駆けおりた。
 声がした場所は、例のコレクションが並べられた小部屋だった。アンたちが部屋に飛びこんだとき、小柄な男がユリにつかみかかろうとしていた。
「やめろ!」アンが叫んだ。
 男はその声にびくっとしたが、入ってきた二人を見て平静さをよそおった。
「いや、私は…」男は薄くなった頭をなでながら、「忍び込んでいた女を捕まえようと」
「彼女は私の友だちです」綾佳は鋭い声で言った。「あなたこそ、勝手に入らないで」
 綾佳の、この男に対する態度は普通ではなかった。そこには、憎しみが込められているようにさえ思えた。男は平然として、薄笑いを浮かべて言った。
「お嬢さん、私は自分の絵を見に来ただけです」
「あの絵は、あなたには渡さないわ」綾佳は男に詰め寄って、「渡すもんですか!」
「困りましたね」男は綾佳の顔を覗き込み、「もう、売買契約は済んでるんですよ。今日は、絵を引き取りに来たんですがね」
「あの…、ちょっといいですか?」今まで黙って二人のやりとりを見ていたユリが、男に声をかけた。「あなた、昨日もいましたよね。パーティーのとき」
「それがどうしたんだ」男は刺すような視線をユリに向けた。
 ユリはそんなこと気にもとめず、「今日は、ステッキを持ってないんですね。足が悪かったんじゃないんですか?」
<つぶやき>ちょっとした事が気になることってありますよね。私は大雑把ですけど…。
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T:002「女子大生探偵アン&ユリ」
 「絵画盗難事件」2
「大丈夫か?」アンはユリのことを気づかって訊いた。「どうしたんだ。何かされたのか」
「いえ、私がいけなかったの。私が…」ユリは消え入りそうな声で答えた。
「おい、山科」大熊警部は若い刑事を睨みつけて言った。「早くつまみ出せ!」
 山科は警部に従うしかなかった。「はい」と返事をすると二人に近づいて行った。
「やるのか」アンは今にも若い刑事に飛びかかろうとしていた。
 それを止めたのはユリだった。アンの腕にしがみついて必死に叫んだ。「やめて。ダメ!」
 ユリの叫び声に、アンは驚いて立ち止まった。彼女がこんな大声を出すなんて、思ってもみなかったのだ。ユリ自身も自分の声に驚いて、手を口に当てて頬を赤らめた。
「お前ら何なんだ」警部はあきれて言った。「こっちはガキの相手をしてる暇はないんだ」
「なに言ってんだ。あたしたちが見つけてやったんだろ」アンも黙ってはいなかった。
「やめて」ユリはアンの袖を引っぱって言った。「お願いだから…」
「わかったよ」アンはまだ何か言いたげだったが、しかたなく引き下がった。
「あの…、私…、確かめてみたんです」ユリはおどおどしながら言った。
「この部屋は、毎朝、ここのご主人がお掃除してるんですって。今朝も、お掃除をしてて。その時は、間違いなく、絵は、本物だったそうです」
「そんなことはな、とっくに調べてるんだよ」大熊警部は見下すように言った。
「そして…」ユリは途中で言葉を切った。緊張のために、息が荒くなってしまったのだ。
「大丈夫かよ」アンは心配そうにユリに寄りそった。
 ユリはアンの顔を見て少し落ち着いたのか、先を続けた。「私がにせ物を見つけたのが、お昼過ぎの一時ぐらいでした。だから、その間に、絵がすり替えられたことになります」
「そっか」アンは感心したように、「じゃあ、その時間にこの屋敷にいたやつが怪しいんだ」
「おい、山科」警部はうんざりしたように言った。「このお嬢さんたちに、説明してやれ」
「僕がですか?」山科は聞き返したが、警部は受けつけなかった。
「わかりました」山科はそう言うと二人の前に出て、「だからね。今、ここにいた人たちを、一人ずつ事情聴取してるんだよ。それと、所持品の検査もね」
「そうですよね」ユリはひとりごとのようにつぶやいた。そして、何か考えごとでもするように、飾られている美術品に目をうつした。
 その時、中年の刑事が入って来て警部に耳打ちをした。警部はその報告を聞いて唸った。
「なんてこった。こりゃ、やっかいだぞ」
「どうしたんですか?」山科が駆け寄って訊いた。
「何も出なかったとさ。目撃者もなしだ」警部は頭をかいた。
「じゃあ、絵はどこにいったんだよ」アンが警部に尋ねた。
「知るかよ」警部は不機嫌に答えると、入って来た刑事に向かって言った。
「客たちを帰そう。これ以上引き止めるわけにはいかんだろ」
 ユリは周りのことなど気にもとめず、無意識に傾いている絵をもとに戻した。
<つぶやき>男勝りのアンと人見知りのユリ。二人は絵を見つけられるのでしょうか?
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T:001「女子大生探偵アン&ユリ」
 「絵画盗難事件」1
「合コンじゃなかったの?」アンは綾佳をつかまえて、がっかりしたようにささやいた。
「違うわよ。今日はおじいちゃんのホームパーティー」綾佳はクスッと笑って、「アンが来てくれてよかった。これでパーティーも退屈しなくてすむわ」
「えーっ、せっかく気合い入れて来たのに」
「それより、あなたが連れて来たお友達、変わってるわね」綾佳は部屋の隅をうろうろしている女の子を指さして、「さっきからずっと、部屋の中を見てまわってるわよ」
「ああ」アンは微笑んで、「ユリよ。大学で知り合ったの。今ではいちばんのダチね」
「へえ、珍しい。あなたがあんな大人しそうな子を友達にするなんて」
「あいつは特別なんだよ」
 アンと綾佳は高校の同級生。今日、久し振りに会ったので、その頃の話に夢中になった。ふと、アンは袖が引っぱられているのに気がついた。振り向くと、ユリが隣に来ていた。
「あの…」ユリは伏し目がちに、とても小さな声で言った。「ちょっと来て」
 ユリはアンの腕を引っぱって歩き出した。綾佳も二人の後をついて行く。ユリは美術品が並べられている小部屋に入ると、小さな絵の前で立ち止まった。
「どうしたのよ。ユリ?」アンはユリの顔を覗き込むようにして言った。
「これね」ユリは緊張で声を震わせながら、「この絵、本物じゃない。どの部屋にも立派な美術品が置いてあるわ。きっと、ここの人は目利きのはずよ。こんな絵は、飾らない」
 アンは驚いて、絵をまじまじと眺めて言った。「おまえ、絵のことがわかるのか?」
 ――屋敷の前にはパトカーが並び、警官たちが出入口をかためた。パーティーに来ていた客たちは足止めされ、一人ずつ取り調べを受けていた。
「ほんとに本物が掛けてあったのか?」大熊警部は贋作の前で顎をなでた。
「ええ、間違いないそうです」隣にいた若い刑事が答えた。
「じゃあ、この絵は」警部は顎をしゃくって、「証拠物件として運んどけ」
 警部はそう言うと、部屋を出ようと出口の方へ振り返って驚いた。すぐ後ろに、ユリが立っていたのだ。警部は危うくユリとぶつかるところだった。
「山科!」警部は顔を真っ赤にして若い刑事に怒鳴った。「何でここに容疑者がいるんだ」
「すいません」若い刑事はすぐに飛んできてユリに言った。「ここへは入らないで…」
 山科はユリの顔を見て、思わず言葉につまった。「さ、小百合さん。何でここに…」
「あっ、タモツさん…」ユリも驚いたようで、顔を赤らめて目を伏せた。
「何やってんだ」警部は後ろから山科の頭を叩き、「さっさと連れてけ」
「でも…」山科は警部を部屋の隅まで連れて行き声をひそめて、「あの子…いや、あの方は、副総監のお嬢さんで…」
「フクソウカン? エッ、副総監って!」警部は思わず口を押さえた。だが、声をひそめて命令した。「ばか野郎。いくら副総監のお嬢さんだってな、ダメなもんはダメなんだ」
 山科がユリを外へ連れ出そうとしたとき、アンが部屋に飛び込んで来て言った。
「おい、何すんだよ」アンはユリをかばうように自分の方に引き寄せた。
<つぶやき>女子大生のアンとユリ。二人はどうなるんでしょうか。そして事件の行方は?
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短編物語End