書庫 短編物語 メビウスの輪

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T:001「変死体」
 夜の公園。数時間前まで子供たちの歓声(かんせい)が聞こえていた。今は黄色いテープが張られ、警察関係者が忙しく動き回っている。照明が昼間のように辺りを照らしていた。
 神崎(かんざき)警部はうんざりした顔で黄色いテープの下をくぐった。神崎を迎(むか)えたのは、まだ新人の曽根(そね)刑事だ。曽根は緊張した顔で言った。
「通報があったのは一時間くらい前です。現場は、まだそのままに…」
「そうか。今日は何て日だ。これで三人目だぞ。これが最後にして欲しいよ」
 神崎警部は一人言(ひとりごと)のように呟(つぶや)いた。彼が愚痴(ぐち)をこぼすのも無理はない。さっきまで別の現場にいたのだ。そこで連絡を受けて、取るものも取りあえず駆(か)けつけたのだ。
「また変死体(へんしたい)じゃないだろうな。身元(みもと)が分かるものは――」
 神崎警部はシートが張られた現場に入って口をつぐんだ。目の前のベンチに男が座っていて、今にも立ち上がりそうな…。とても死体には見えないのだ。警部は死体に手を合わせると、じっくりと観察を始めた。曽根刑事が急に思い出したように報告を始めた。
「あの、近所の子供たちの話なんですが…。夕方、この被害者が、ここにいるのを見たと言っています。ずっとここに座っていたので、気味(きみ)が悪くて憶(おぼ)えていたんです」
「夕方というと、三、四時間前ってことか」
 警部は近くにいた鑑識(かんしき)に声をかけた。「ここ、もういいかな?」
「ええ、もう済(す)んでます。後は、被害者を運び出すだけです」
 それを聞いた警部は、被害者の肩(かた)を軽く押してみた。すると死体はベンチに倒(たお)れ込んだ。
「まただ」警部はいまいましそうに呟いた。「何で、死後硬直(しごこうちょく)してないんだ。まるで、ついさっきまで生きていたみたいに…。すぐに検視(けんし)に回してくれ。頼んだぞ」
 数時間後、神崎警部は捜査本部にいた。最初の被害者の検死(けんし)報告によると、外傷(がいしょう)はなく、薬物反応も認められなかった。だが病死と判断できる材料もなく、結局、殺人を含めての捜査となった。難問(なんもん)なのは、三人の被害者の身元を示すものが何もないことだ。衣服のほかは、所持品もなくお手上げ状態。警部は現場付近の防犯カメラを全て洗い出すように指示を出した。被害者の足取りや、三つの事件に共通するものが見つかるかもしれない。
 神崎警部は目を閉じて、じっとデスクに座っていた。いつものことなのだが、こうやって頭の中を整理して、何が起きたのかを推理(すいり)しているのだ。時間は夜の十二時になろうとしていた。けたたましく電話のベルが鳴った。警部は素早く受話器を取る。
「神崎だ。…ああ、曽根君か。検視は終わったのか?」
 電話の相手は曽根刑事だった。検視を依頼した大学病院に張りつかせていたのだ。曽根はかなり取り乱していた。早口でまくしたてるので何を言っているのか聞きとれない。
「落ち着け。何を慌(あわ)ててるんだ。分かるように言ってくれ」
 受話器の向こうの曽根は息を整(ととの)えると、はっきりと聞きとれる声で言った。
「それが、消えたんです。ちょっと目を離しただけなのに…」
 警部は怪訝(けげん)そうな顔をして言った。「何の話だ。何が消えたって――」
「死体ですよ! それも、三人とも。運び込んだ死体が、消えてなくなったんです」
<つぶやき>これはまだ序章にすぎない。これから何が起こるのか、誰にも分からない。
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T:002「消失」
 明け方近くになって曽根(そね)刑事が捜査本部に戻ってきた。鑑識(かんしき)も入れたのだが、消えた三つの死体について何も手掛(てが)かりは得(え)られなかった。大学の防犯カメラにも不審者(ふしんしゃ)は捉(とら)えられていなかったし、大きな荷物を運び出した形跡(けいせき)も全くない。
 神崎(かんざき)警部は、曽根の報告を聞き終えると、目頭を押さえてため息をついた。
「ご苦労だった。君も少し休みたまえ。私もちょっと横になるよ。長い一日だったな…」
 警部は曽根を帰らせると、窓の外を見た。東の空がうっすらと明るくなり始めていた。
 神崎警部が捜査本部に顔を出したのは朝の十時を少し過ぎた頃だ。警部を待ちかねたように、刑事たちが集まってきた。だが、これといって何の進展(しんてん)もなかった。警部が自分の席に腰(こし)を下ろすと、デスクの上にコーヒーカップが置かれた。
「ああ、ありがとう。助かるよ。ちょうど飲みたかったんだ」
 コーヒーの香(かお)りに誘(さそ)われて振り向くと、そこには三十代くらいの女性が立っていた。
「何だ、君か…」警部は少し驚いたように言った。
「若い婦警(ふけい)さんじゃなくてごめんなさい」
 女性は皮肉(ひにく)たっぷりに言うと、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。彼女は神崎直子(なおこ)。大学の准教授(じゅんきょうじゅ)で検死(けんし)を依頼(いらい)していた。二人の苗字(みょうじ)が同じなのは、従兄妹(いとこ)どうしなのだ。歳(とし)がわりと近いせいもあって、直子は警部のことを兄のように思っていた。警部は冗談半分(じょうだんはんぶん)に、
「死体が消えたんだって。家へ帰ったのかもしれないな」
「バカなこと言わないで。内臓(ないぞう)をちょん切った人間が生き返るわけないでしょ。もう、早く見つけてよ。あれは、普通の死体じゃないんだから。詳(くわ)しく調べたいの」
「そう言われてもな…。手掛かりが全くないんだ。そっちはどうなんだ? 何か――」
「全部なくなってるの。死体だけじゃなくて、写真もサンプルもメモ書きしたやつも。それに、パソコンに入れておいたデータまで完全に消されてるのよ」
「それは徹底(てってい)してるな。よほど知られたくなかったんだろう。秘密主義者ってやつだ」
「いい加減(かげん)にして。真面目に捜す気あるの?」
 直子は口をへの字に曲げた。彼女はちょっと気の強いところがある。それだからか、未(いま)だに独身を通している。浮(う)いた話もきかないので、警部も気を揉(も)んでいた。
「もちろんあるさ。今だって、みんな走り回ってる。ところで…」
 警部は自分の頭を指さして、「ここには残ってるんだろ。死体のことを教えてくれ」
 直子は少し考えてから、「そうねぇ、確かに見た目は普通の死体よ。外傷(がいしょう)もなかったし、病変(びょうへん)も見当たらなかった。死因を特定できるようなものは…。でもね、何か違うのよ」
 直子は両手の指を動かして感触(かんしょく)を確かめるように言った。
「うまく説明できないんだけど、人の身体を触(さわ)ってるって感じがしなかったの」
「それは、死後硬直(しごこうちょく)が起きなかったことと関係があるのか?」
「分からないわ。私もあんな死体は初めてなんだから」
 警部は目を閉じてしばらく考え込んだ。そして目を開けると、ほとんどひとり言のように呟(つぶや)いた。「人間じゃないってことか…。まさか、そんなこと」
<つぶやき>謎を解く鍵はあるのでしょうか。見えないところで何かが起きているのかも。
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T:003「謎の女」
「ちょっと、なに言ってるのよ。ふざけないで」
 神崎(かんざき)警部が呟(つぶや)いた言葉を聞いて、直子(なおこ)は呆(あき)れた顔をして言った。
「人間じゃないなんて、そんな非科学的なこと言わないでちょうだい」
 警部はしまったという顔をして、「悪かったよ。そんなつもりじゃ――」
 神崎直子は、ガチガチのリケジョである。この世界で起こるあらゆる現象は、ひとつの美しい方程式(ほうていしき)で説明できると信じていた。だから、オカルトや都市伝説の類(たぐ)いの眉唾物(まゆつばもの)の話を聞くだけで、イライラと機嫌が悪くなってしまうのだ。彼女は確信していた。どんなに不思議に思えることでも、ちゃんと検証(けんしょう)すれば説明のつかないことはないはずだ、ということを――。
 この手の議論(ぎろん)をしても勝ち目のないことは、警部は何度も経験済(ず)みである。さてどうしたものかと考えていると、曽根(そね)刑事が顔を出した。直子を見るなり駆(か)け寄って来て、
「すいませんでした。僕が、僕が目を離したばっかりに…」
 深々(ふかぶか)と頭を下げた。曽根は生真面目(きまじめ)な青年で、刑事になって初めての事件だった。それなのにこんな失態(しったい)をしてしまって、責任を感じていたのだ。
 これには、警部も驚いた。だが、もっと驚いていたのは直子の方だ。彼女は目を丸くして、この事態(じたい)にどう対処(たいしょ)したらいいのか…。何しろ普段(ふだん)の彼女は、肩肘(かたひじ)張って周(まわ)りの人間を挑発(ちょうはつ)したり、近寄りがたい壁(かべ)のようなものを無意識に作っていた。だから、彼女に接(せっ)する人たちはどこかよそよそしく、まともに彼女に向き合う人は一人もいなかったのだ。まさに異星人(いせいじん)のような曽根の実直(じっちょく)な態度に、彼女は戸惑(とまど)うばかりである。
 その様子を微笑(ほほえ)ましく見ていた警部は、直子に助け船を出した。
「まあ、いいさ。失敗は誰にだってある。俺だって、何度失敗したか――」
「そうね。ほんとにそうよ」直子はここぞとばかり、「子供の頃なんか、何度も何度も――」
「おい、その話はいいだろう。余計(よけい)なことを言うなよ」
 警部にもよほどの失敗があったのだろう。直子はちょっと舌(した)を出して口を閉じた。
 ――警部はあらためて曽根に何があったのか訊(き)いてみた。曽根はその時のことを思い出しながら言った。
「検視(けんし)が終わって、安置室(あんちしつ)に遺体(いたい)が運ばれて…。僕はその部屋の前で検案書(けんあんしょ)ができるのを待ってたんです。そしたら、携帯(けいたい)が鳴(な)って…」
「おっ、恋人からの電話か? いいよな、若(わか)いもんは」
 口を挟(はさ)んだのは松野(まつの)刑事だ。定年を間近に控(ひか)えたベテラン刑事で、柔和(にゅうわ)な顔立ちと穏(おだ)やかな口調(くちょう)で誰からも慕(した)われていた。曽根は慌(あわ)てて否定して、
「そ、そんなんじゃありません。全然知らない人だったんです」
 警部は興味(きょうみ)を示(しめ)して、「で、それから…。相手はどんな人物だ。どんな話をしたのかね」
「相手は、声からすると、若い女性でした。それが、変なことを言うんです。メビウスの輪(わ)に気をつけろ。迷宮(めいきゅう)に近づくな…。僕は、何のことなのか訊いてみましたが、何も言わずに切られてしまって。それから、部屋の前に戻ってみると、扉が少し開(あ)いてたんです。変だなと思って、遺体を確かめてみると、消えてたんです」
<つぶやき>謎の女性の出現で、これから先、事件はどんな展開を見せるのでしょうか。
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T:004「手掛かり」
 神崎(かんざき)警部は小さく息を吐(は)くと、曽根(そね)刑事に訊(き)いた。
「どのくらい、その場から離れていたんだ?」
「そうですね」曽根は少し考えて、「ほんの二、三分だと思います。すぐ戻りましたから…」
「確か、あそこの安置室(あんちしつ)…、出入口は――」
 警部の言葉尻(ことばじり)をとらえて神崎直子(かんざきなおこ)が口を挟(はさ)んだ。「ひとつだけしかないわ。そんな短い間に死体を三つも運び出すなんて、どうやったのかしら?」
「そうなんですよ。僕もそこが引っかかっているんです」
 曽根は勢い込んで言った。「いくら何でも、気づかないはずはないんです」
「本当に消えたってことか…」
 警部はそう呟(つぶや)くと、ハッとして直子の方を見た。直子は頬(ほお)を膨(ふく)らまし、不機嫌(ふきげん)そうな顔をしていた。警部は愛想笑(あいそわら)いをして、自分の頬を叩(たた)いた。その時、松野(まつの)刑事が口を開いた。
「あの、ちょっと見てもらいたいんですが…。気になる女が映(うつ)ってるんですよ」
 松野刑事は、昨夜から防犯カメラの映像をチェックしていた。警部は勢いよく立ち上がると、デスクに置かれたモニターのところへ行った。松野はモニターの前に座っている刑事に、録画の再生をするように合図(あいず)して、
「これが、最初に死体が発見された川原(かわら)の、すぐ近くにある橋(はし)を映したものです」
 まだ早朝なので車や人の通行はほとんどなかった。薄暗い中で、橋の外灯(がいとう)があたっている所だけがはっきり見えている。画面の手前から、橋を渡っていく人影が現れた。
「ここからです。よく見ててくださいよ」
 松野がモニターを指(ゆび)さした。その人影は外灯の所まで来ると立ち止まった。明かりの中に映し出されたのは、白っぽいワンピースを着た髪の長い女。その女は突然振り返って、こちらの方を見つめる。それはまるで、モニターの中から反対に見つめられている感じがした。女はすぐに向き直ると、橋を渡って暗闇(くらやみ)に消えて行った。松野は次の指示をして、
「いまの、覚(おぼ)えててくださいよ。次のは、二件目の死体が発見されたオフィスビル一階の出入口の映像です。一瞬(いっしゅん)ですので、見逃(みのが)さないでください」
 昼の時間なのだろう、ビルの出入口にはサラリーマンやOLの姿が大勢(おおぜい)行き交っていた。その中で、どこから現れたのか白いワンピースの女がビルを出て行く姿が…。やはり髪の長い女で、さっきの女と同一人物のように思えた。松野はまた次の指示をして、
「これが三件目。公園の入口の所にあるカメラです。子供に交(ま)じって女が出て行きます」
 子供たちが駆け出していくすぐ後に、白のワンピースに髪の長い女が通り過ぎた。――三件の事件現場近くで、同じ女が映っているなんて。偶然(ぐうぜん)とは考えにくい。
 松野は警部に向き直ると、「いずれも、死体発見の一、二時間前の映像です。これだけで犯人とは断定(だんてい)できませんが、何か関係があるのかも知れません」
「そうだな」警部は肯(うなず)きながら、「他の場所の映像も調べてくれ。女の足取(あしど)りが分かるかもしれない。今はどんな些細(ささい)なことでも、手掛(てが)かりが必要なんだ」
 その場にいた刑事たちは大きく肯き、それぞれの捜査に飛び出して行った。
<つぶやき>この女の登場で捜査は進展するのでしょうか? 謎は深まるばかりですね。
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短編物語End