書庫 短編物語 嵐の夜
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T:001「必然の始まり」
人里(ひとざと)離れた山中にある古びたお屋敷。嵐(あらし)のために道に迷った車が、その屋敷の前に停まった。車の中には四人の若者たち。彼らは土砂降(どしゃぶ)りの雨の中、屋敷の玄関まで駆け出した。
「なあ、ほんとにここなのか?」賢治(けんじ)は濡(ぬ)れた服を気にしながら言った。
「ここよ。灯りがついてるの見えたもん」好恵(よしえ)は紀香(のりか)の腕を取り、「あなたも見たでしょ?」
紀香は首をかしげながら、「いや、あたしは…。分からないわ、一瞬だったし…」
「そこに呼び鈴があるから、鳴らしてみようよ」最後に車から降りたアキラが言った。
一番近くにいた賢治が、呼び鈴の紐(ひも)を引っ張る。だが、何の音もしなかった。雨の音と時おり聞こえるゴロゴロという雷(かみなり)の音が聞こえるだけ。
「ねえ、誰もいないのよ。もう行きましょ」紀香はたまらず言った。
その時、玄関の開く音が響いた。みんなは一瞬ぎょっとする。好恵が玄関の扉を開けたのだ。好恵は中を覗(のぞ)いて言った。「真っ暗よ。入ってみようよ」
四人は恐る恐る屋敷の中へ。暗闇(くらやみ)を手探(てさぐ)りしながら歩くしかなかった。一番最後にいたアキラがライターの火をつけた。微(かす)かな明かりが部屋の一部を浮かびあがらせた。
中は洋館の造りになっていた。サイドボードには埃(ほこり)がたまり、壁には誰が書いたのか落書きが残されている。誰が見ても空き家に間違いなかった。
「誰もいないじゃないか。車へ戻ろうよ」賢治が不機嫌そうに言った。
「だって、私、ほんとに見たのよ。ちゃんと灯りがついてたの」
その時、閃光(せんこう)が走り大きな雷鳴(らいめい)がとどろいた。女の子たちは悲鳴をあげる。一瞬、部屋の中が青白い灯りに満たされ、すぐに暗闇がまた襲いかかってきた。
「イヤだ、怖い!」紀香が泣きそうな声で叫んだ。
好恵は彼女の方へ手をのばした。彼女の身体に触(ふ)れると、しっかりと抱き寄せて言った。
「大丈夫よ。私がいるから、心配ないわ」
部屋の中央で小さな明かりがともった。アキラがライターをつけたのだ。アキラがテーブルの上にあったランプへ火を移す。暗闇はみんなから遠ざかって行った。
「これで少しは落ち着けるだろ」アキラはそう言うとみんなの顔を見た。
みんなは明かりのそばへ集まった。それぞれホッとしたような顔をしている。
「なあ、これからどうする?」賢治が呟(つぶや)いた。
アキラは部屋の中を見回しながら、「朝までここにいた方がいいんじゃないかな」
「イヤよ。あたし、こんなとこにいたくない」
紀香がヒステリックに言った。彼女の身体は小刻(こきざ)みに震えている。アキラは上着を脱ぐと、そっと紀香の肩にかけてやって、「動かない方がいいよ。今ここが何処(どこ)なのか全く分からないし。外は真っ暗だ」
「何で道に迷うかな、信じられない」好恵は賢治の顔を覗き込んだ。
「何だよ。俺のせいか?」賢治は言い訳がましく言った。「仕方ないだろ。昨夜(ゆうべ)、突然カーナビがぶっ壊(こわ)れたんだから」
その時、外からガシャンという大きな音が響いた。みんなの顔に緊張が走った。
<つぶやき>嵐の夜には何かが起こる。それは必然であり、誰もそこから逃れられない。
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T:002「閉じ込め」
外から聞こえてきた音は、雷が落ちた音というより何かがぶつかった時の音に近かった。四人はそれぞれ玄関脇の出窓と玄関の扉へ走った。いち早く出窓から外を見たのは好恵(よしえ)だった。彼女はそこにあるべきはずのものが消えているのに気づき叫んだ。
「車がなくなってるわ!」
ほとんど同時に、外から賢治(けんじ)の悲痛(ひつう)な叫び声が、「俺の車が…、何でだよ!」
車は轍(わだち)の跡を残して消えていた。賢治とアキラは土砂降(どしゃぶ)りのなか飛び出した。轍の跡を辿(たど)って行く。外は外灯もなく真っ暗である。足下が何とか見えるだけだった。10メートルほど行ったところで、突然、アキラが賢治の服をつかんで引っ張った。賢治は尻もちをついて、水たまりに倒れ込む。
「何すんだよ! いてぇじゃねえか!」賢治はやけくそになってわめいた。
アキラは轍の先を指さした。賢治はそれを見て震えあがった。目の前の地面が無くなっていたのだ。アキラは恐る恐る近づいて下を覗いてみた。だが、暗闇(くらやみ)で何も見えない。下の方からは激流(げきりゅう)の音が、ゴーッゴーッと不気味に鳴っていた。今まで気づかなかったのだが、どうやらここには川が流れているようだ。それも、かなり水かさが増している。
アキラは賢治を見て首を振った。車は激流に飲み込まれたか、崖(がけ)の下で大破(たいは)しているだろうことは誰の目にも明らかだ。
「俺の車…。ふざけんなよ! まだ、ローンだって残ってんだぞ」
賢治は子供のように地面を叩き、水しぶきをあたりにまき散らした。
アキラは賢治を抱きかかえて屋敷へ戻った。二人ともずぶ濡(ぬ)れである。夏の終わりとはいえ、このままでは風邪をひいてしまいそうだ。
「私、いいもの見つけたわ」好恵はランプの明かりを部屋の隅へ持って行く。
そこには立派な暖炉(だんろ)があった。かつては、この家に住んでいた家族と団欒(だんらん)を共にしていたのだろう。今はその面影(おもかげ)すら消えかけていた。
「きっと、どこかに薪(まき)が残ってるんじゃないかしら」好恵はランプをテーブルに戻すと、「私、探してみるわ。紀香(のりか)、手伝ってよ」
「あ、あたし? イヤよ。行きたくないわ」
「じゃあ、俺が行くよ。のりちゃんは賢治を見ててくれ」
しばらくして、二人は戻って来た。アキラは薪の束(たば)を両腕に抱えていた。火をつけるのに時間はかかったが、何とか暖をとることができた。男たちは服を脱いで、暖炉の前に並べた。人心地(ひとごこち)ついた頃、紀香がポツリと呟(つぶや)いた。
「ねえ、あたしのバッグは? あれがないと、困るわ」
それに応えてアキラが言った。「朝になったら見てみるよ。崖の下にあるかもしれない」
「お願いね。携帯とか、お財布も入ってるの。それに、手帳…」
ずっと黙り込んでいた賢治が、頭をかきむしって、誰に言うともなく、
「何で動いたんだよ。俺、ちゃんとサイドブレーキしたはずなのに」
「まさか、誰かがやったとか?」好恵が押し殺したようにささやいた。
<つぶやき>これで、朝までここにいることに。これから、彼らに何が起こるのでしょう。
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T:003「疑心暗鬼」
みんなは顔を見合わせた。賢治(けんじ)は疑(うたが)いの目をアキラに向ける。
「まさか…。一番最後に車から降りたのって――」
アキラは呆(あき)れたように、「ちょっと待てよ。俺が、何でそんなことしなきゃいけないんだ。意味分かんねえよ」
「ねえ、やめようよ」好恵(よしえ)が間に入って、「私たち友達でしょ。ごめん、私が変なこと言っちゃったから。きっと、あれよ。ブレーキをかけ忘れて…」
賢治は好恵を睨(にら)みつけて抗議(こうぎ)する。アキラは何かを思いついたようにつぶやいた。
「いや。好恵の言ってること、間違ってないのかもしれない。だってさ、そう考えた方が辻褄(つじつま)が合うじゃないか。きっと、俺たち以外に誰かいるんだよ」
「うそ。あたし怖いわ」紀香(のりか)はアキラの腕にしがみついて、震える声で言った。
「この家のどこに人がいるっていうんだ!」賢治はやけになってわめき散らす。
アキラは冷静に、状況を分析するように話し始めた。
「まず、好恵が見たっていう灯り。たぶん、この上だったんじゃないかな」
アキラは人差し指を立てて上に向ける。確かに、この屋敷は二階建てだった。それは、みんなも見ているはずだ。アキラは先を続ける。
「それに、車。賢治さ、車のキーどうした?」
「あっ。そういやぁ、つけっぱなしだ。だって、すぐ戻るつもりだったから…」
「じゃ、カギもかかってないってことだろ。俺たちがこの家に入ったのを見て、そのスキに車を動かしたのかもしれない」
「もし、二階に誰かいたとして、どうやって外へ出るんだよ。俺たちここにいたんだぞ」
「外に階段があるのかもしれない。そしたら、自由に出入りできるだろ」
「でも、誰が何のために?」好恵はみんなの顔を見渡して、「私たち恨(うら)まれることなんか…」
突然、紀香がパニックになり叫んだ。「イヤだ! イヤよ、あたし! 助けて!」
紀香は玄関の方へ駆け出した。好恵がそれを抑(おさ)えて、「大丈夫だよ。私がついてるから」
「そんなのダメよ」紀香は顔を引きつらせながら、「警察よ。警察を呼んで。お願い!」
「ああ。そうね、そうしよ。私がかけるから、ねっ」
好恵は紀香を落ち着かせると暖炉の側に座らせ、あっと声を漏(も)らした。
「ダメだわ。私の携帯、車の中だった。ねえ、賢治は持ってる」
「俺も、全部車の中だよ。何も持ってない」
好恵はアキラを見た。アキラは首を振って、「俺は、携帯は持ってない」
「こいつはアナログ人間なんだよ。文明を否定(ひてい)してるんだ」
「俺は、自由でいたいだけだ。そんなの持ってると、ロクなことないからな」
その時だ。上の方からガタンと何かが倒れるような音が響いた。一瞬、みんなは凍りついて、天井を見上げる。
「イヤ、イヤ、助けて…」真っ先に声を上げたのは紀香だった。好恵にしがみつく。
アキラは賢治を見て、「やっぱり誰かいるんだ。行ってみよう。確かめるんだ」
男たちは干しておいた服を手早く着ると、足音を立てないように階段へ向かった。
<つぶやき>誰かいるんでしょうか? もしそうだとしたら、何のためにこんなことを。
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T:004「人間消失」
アキラと賢治(けんじ)は階段をゆっくりと上がって行った。ときおり階段のきしむ音がギーギーと鈍(にぶ)い音を立てた。二階は広間になっていて、調度品はほとんどなく、椅子が数脚と壊れた小テーブルがうち捨てられていた。
アキラは頬(ほお)に風を感じた。どこかの窓が開いているのか? アキラはランプをかざして、部屋をぐるりと見回した。その時だ。バタンと大きな音がして、二人は身構えた。音のした方へランプを向ける。窓の外にある鎧戸(よろいど)が風に揺れているのが見えた。
アキラは駆け寄り窓を開ける。風が容赦(ようしや)なく吹き込み、雨粒を部屋の中へと送り込む。アキラは急いで動いている鎧戸に手をかけた。その時、ふと窓の下に目をやって思わず声を上げた。そこには梯子(はしご)か立てかけてあったのだ。
「おい、来てみろよ。やっぱり、誰かいるんだ」
呼ばれた賢治は、慌ててアキラの方へ行こうとして、何かにつまずき倒れ込んだ。
「何やってんだよ」アキラは呆(あき)れて呟(つぶや)くと、鎧戸と窓を閉め始めた。これ以上濡(ぬ)れたくはなかったのだ。賢治は起き上がると、やけになりつまずかせたものを蹴飛(けと)ばした。その拍子(ひようし)に、その上にかけてあったカーテンらしき布がずれて、下から白いものが顔を覗かせた。
賢治は、それが何なのか気になった。近寄ると布に手をかけてめくってみた。次の瞬間、賢治の悲鳴が部屋中に響き渡った。賢治は震える声で叫んだ。
「ひ、ひとだ…。人が…、倒れてる!」
布の下からまっ白い手と、長い髪の毛らしきものが現れていた。アキラはランプをつかむと、賢治の方へ駆け寄った。ランプの灯りをかざして見てみる。すぐに、アキラはフッと息をはいて言った。「何だよ、脅(おど)かすなよ。ほら、よく見てみろよ」
アキラが布を全部めくると、等身大の女性のマネキンが姿を現した。暗がりだったので見間違(みまちが)えるのも当然かもしれない。アキラはくすくすと笑い出した。
「笑うなよ。もう、何て日なんだ。くそっ」賢治も苦笑(にがわら)いをするしかなかった。
突然、後から声がした。二人はギクリとして振り返る。そこにいたのは好恵(よしえ)だった。
「何だよ。びっくりさせるなよ」賢治は引きつった顔で言った。
好恵は二人に近づきながら、「だって、さっき悲鳴が聞こえたから…」
「何でもないよ。賢治がさ――」
「いいよ、その話は。誰だって、間違えることあるだろ。もう、ほっといてくれ」
アキラは笑いをこらえて、好恵の後ろの方を覗きながら言った。
「あれ、のりちゃんは? 一緒(いつしよ)じゃないのか?」
「紀香なら、ここに…」
好恵は後を振り返った。だが、そこに紀香の姿はなかった。
「あれ? 私のすぐ後にいたのよ。一緒に階段を上がって――」
三人は顔を見合わせた。そして、階段の方へ駆け寄り下を覗いてみた。でも、そこに人の気配はなかった。暖炉(だんろ)の灯りがちらつき、薪(まき)の燃えるパチパチという音がかすかに聞こえるだけだった。三人は急いで階段を駆け下りた。
<つぶやき>暗がりの中には、何かがひそんでいるのかもしれません。あなたの後にも…。
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T:005「見えない誰か」
下の階には誰もいなかった。暖炉(だんろ)の炎がゆれているだけ。アキラは床の上の自分の上衣を手に取った。それは、紀香(のりか)の肩にかけてやった服だ。好恵(よしえ)は何度も紀香の名前を呼んでみた。だが、返事が返ってくることはなかった。
「捜そう。きっとこの屋敷のどこかにいるはずだ」
アキラはそう言うと、さっきの梯子(はしご)のことを好恵に話して聞かせて、
「誰かがいるんだよ。そいつがのりちゃんを――」
「そうね。じゃあ、私とアキラさんで下を見るわ。賢治(けんじ)は上を見てきて」
「えっ、俺一人かよ」賢治は不服(ふふく)を洩(も)らした。「上にいるわけないだろ」
「念(ねん)のためよ。あっ、もしかして怖いの?」
「そ、そんなことないよ。俺に怖いもんなんか…」
賢治はランプを手にすると、後ろを振り返りつつ階段を上がって行った。
「じゃ、俺たちも行こうか」アキラは暖炉に薪(まき)を入れると好恵に言った。
二人はライターの灯りを頼りに歩き出した。さっき薪を探しに行ったので、間取(まど)りもある程度は把握(はあく)している。長い廊下(ろうか)を進んで、まずは一番奥のキッチンへ。そこで、アキラは燭台(しよくだい)を見つけて、ローソクに灯りをうつした。
「これだけのお屋敷だからね。きっとあると思ったんだ」
アキラはそう言うと、燭台の灯り越しに好恵を見た。好恵は何かに怯(おび)えているような、そんな表情を浮かべていた。でもアキラの視線を感じると、好恵はいつもの顔に戻った。
「こっちよ。こっちにも部屋があるみたい」好恵は先に立って歩き出す。
確かにそこには扉があった。他の扉よりも重厚(じゆうこう)で特別な部屋のようだ。二人は扉を開けて中へ入った。この部屋は書斎(しよさい)のようだ。壁は本棚になっていて、かつては沢山(たくさん)の本が並べられていたのだろう。今は埃(ほこり)にまみれた本が数冊残されているだけ。
アキラは部屋を見回して言った。「ここには誰もいないな。他へ行こう」
「ちょっと待って」好恵は唇(くちびる)をかみしめて言った。「あなたに、訊(き)きたいことがあるの」
二階にいた賢治は、そこに小さな部屋があるのを見つけていた。その一つに入って、ランプの灯りで中を照らす。そして誰もいないことを確認すると、部屋を出ようとして扉の方へ歩き出した。その時、突然、後から誰かに口をふさがれた。賢治はとっさに叫(さけ)ぼうとしたが、耳元でささやかれた言葉でおとなしくなってしまった。
「訊きたいことって?」アキラは燭台を机の上に置くと言った。
「何かな? 実は、僕も、君に訊いておきたいことが――」
「あゆみ…、菅野(かんの)あゆみを知ってるよね。正直(しようじき)に答えて」
好恵の顔は真剣だった。アキラは、一瞬動揺(どうよう)したような顔を見せた。
「やっぱり、そうなんだ。あなたが、お姉ちゃんを――」好恵の目から涙がこぼれる。
「えっ? どうしたんだよ。俺は…」アキラは口ごもって好恵を見つめる。
その時、好恵の顔に驚きの表情がうかんだ。アキラが後を振り返ろうとしたとき、鈍(にぶ)い音とともにアキラの身体が床に倒れ込んだ。好恵は震える声で叫んだ。
「だめよ! そんなことしちゃ」
<つぶやき>誰かが、魔の手を伸ばし始めます。一体、これから何が起きるのでしょうか?
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T:006「あゆみ」
アキラはもうろうとする意識(いしき)のなか、幻覚(げんかく)のような夢を見ていた。そこには子供の頃の自分がいて、目の前には女の子が立っている。その子が誰なのか、アキラは知っていた。
二人は広い屋敷の中でかくれんぼをしているようだ。鬼が誰なのか分からないが、二人で一緒に隠(かく)れようとしていた。女の子はアキラの手を取って、こっちよって引っ張って行く。でもその先には扉(とびら)はなく、見上げるほどの大きな本棚があるだけ。女の子は口に人差し指を当てて静かにするように合図すると、本棚にある飾りに手をかけぐいと押し下げた。すると、本棚の一部が動き出し後ろへずれていく。びっくりしているアキラを見て、女の子は嬉(うれ)しそうに笑った。そして、ずれた本棚に身体を押しつける。すると、本棚が扉のようにスーッと開いた。女の子は、アキラを手招(てまね)きすると中へ消えて行く。アキラは急いで追いかけようとしたが、足がもつれて転んでしまった。
激しい痛みでアキラは目覚めた。あれからどのくらいたったろう。部屋の中は真っ暗で、目が見えなくなったかと錯覚(さっかく)するほどだ。アキラは起き上がると、ポケットからライターを取り出して火をつけた。額(ひたい)の辺りがずきずき痛む。誰かに殴(なぐ)られたのだが、相手が誰だったのかまったく分からない。ライターの明かりをかざしてみる。さっきまでいた部屋に間違いない。目の前には見上げるほどの本棚…。床に座った状態なのでそう感じたのだろう。そこで、アキラの脳裏(のうり)にさっきの女の子の顔がよぎった。
「あゆみちゃん…」アキラはそう呟(つぶや)くと、いろんな記憶がよみがえってきた。
「そうか…、ここはあの時の…。何で気づかなかったんだ」
アキラはふらつきながら立ち上がると、本棚を調べ始めた。目的のものを見つけるのにさほど時間はかからなかった。
「どうしてあんなことをしたの? これじゃ、私たち――」
燭台(しょくだい)の明かりに照らされた好恵(よしえ)の顔は悲痛なものだった。好恵に背を向けていた男が振り返る。その顔は笑みさえ浮かべていた。
「俺たちは犯罪者じゃない。あいつのやったことを思い浮かべてみろ」
「でも、このままにしたら死んじゃうかもしれないわ。手当(てあて)だけでも…」
「ハハハハ、何言ってんだよ。あゆみを死に追いやった相手を助けるのか? あゆみとおんなじで、お嬢様なんだなぁ。好きになっちまいそうだ」
「冗談はやめて! 私たちは…。私は、お姉ちゃんが何で自殺したのか、それが知りたいだけなの。それに、お姉ちゃんだって、こんなこと望んでない」
「ああ、そうだった。あゆみの婚約者としては、ここは同意した方がいいのかな」
その時、どこからか女性の悲鳴が聞こえてきた。それは、紀香(のりか)の声だ。
「あなた、何をしたの?」好恵は男に駆け寄り言った。
「目を覚ましただけだよ。まったく、うるさい女だ。そろそろ黙らせないとな」
好恵は男を睨(にら)みつけると、「私、見てくるわ。一人にしとけない」
「ちょっと待てよ。まだ話は終わってない。真相(しんそう)を教えてやるよ。何で自殺したか」
好恵は立ち止まりゆっくりと振り返った。「何で? どうしてあなたが…」
<つぶやき>謎の男が現れました。あゆみの自殺の裏には、何が隠されているのでしょう。
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T:007「救出」
賢治(けんじ)は紀香(のりか)の口を手でふさぎながら言った。「静かにしろよ。頼むから」
紀香は椅子(いす)に縛(しば)りつけられていて身動きがとれなかった。だが必死に抵抗(ていこう)して、賢治の指にかみついた。賢治は思わず悲鳴を上げて紀香から離れる。紀香は震える声で、
「何でよ。あたし、ちゃんと言われた通りにしてるでしょ。どうして…」
「そんなこと、俺が知るかよ。あの人が――」
紀香の顔が恐怖(きょうふ)でこわばった。「ねえ…、お願い、助けて。あたし、お家に帰りたい」
「バカか? そんなことしたら、俺まで何されるか――」
その時だ。突然、賢治が前へ倒れ込んだ。紀香は小さな悲鳴を上げる。暗闇(くらやみ)の中から姿を現したのはアキラだった。アキラはゆっくり紀香に近づくとささやいた。
「のりちゃん、もう大丈夫だよ。一緒(いっしょ)にお家に帰ろう」
ホッとしたのか紀香は大粒の涙を流した。アキラは紀香のロープをほどいてやり、それで手早く賢治を縛り上げた。「これでいい。当分(とうぶん)目を覚ますことはないだろう。ちょっと可哀想(かわいそう)だが、今騒(さわ)がれるとまずいんでね」
紀香はアキラの腕を引っ張って言った。「早く逃げよ。ここにいたら殺されちゃう」
アキラは紀香の手を握(にぎ)り、「まだやることが残ってるんだ。君に訊(き)きたいことがある。篠崎和也(しのざきかずや)を知ってるよね? 彼とはどういう」
「あたし、知らないわ。そんな人…」
「じゃあ、さっき話してた、あの人のことを教えてくれないか?」
紀香の顔から血の気が引いていった。彼女は震える手を口元(くちもと)へやり、
「あたし、悪くないわ。あたしは、言われた通りのことをしただけよ。だから…」
「分かってるよ。君は、あの人に脅(おど)されていた。だから仕方(しかた)なく」
「ええ…。最初はお金だったの。でも、あたし、もうお金なくて…。そしたら、俺の仕事を手伝えって。だから、だからあたし…。彼も、そうよ。あたしと同じ…」
紀香は床に倒れている賢治を指差した。アキラは肯(うなず)いて、
「もう一つ教えてくれないか。君が持っていた黒い手帳。日付と数字、それに符丁(ふちょう)が書かれていたんだが、何の帳簿か知ってるかい?」
紀香は首を何度も振って、「知らない、知らないわ。中は見たことないの。あの人が持ってろって。大切なものだから、なくしたらただじゃ置かないって。それで…」
「分かった。ずいぶん怖(こわ)い思いしたんだな。もう、これで終わりだから」
アキラは、泣きじゃくる紀香を優しく抱きしめた。
好恵(よしえ)は男に詰め寄り言った。
「篠崎さん。どういうことよ。あなた、そんなことひと言も…」
「まあ、慌(あわ)てなさんな」男はニヤつきながら好恵の顔を見て言った。「夜は長いんだ。邪魔者(じゃまもの)もいないし、ゆっくり楽しもうぜ。なあ」
男は好恵の肩に手を置いた。そして、ぐいっと自分の方に引き寄せる。好恵は両手で男をはねつけて、「何すんのよ。私、あなたなんか大嫌いよ!」
<つぶやき>何でもないことから犯罪に巻き込まれることもあるのです。気をつけようね。
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T:008「真実」
男は笑い声を上げた。好恵(よしえ)から離れると、
「そういやぁ、あゆみも最初は嫌がってたなぁ。けど、すぐになついてきたぞ」
「お姉ちゃんに何をしたの? お姉ちゃんがあなたみたいな人、好きになるはずない」
好恵は男を睨(にら)みつける。男は薄笑いを浮かべて言った。
「そんな恐い顔すんなよ。別に、俺が殺したわけじゃない。あいつが勝手に車の前に飛び出したんだ。ちょうど、客のところへ連れてく途中(とちゅう)でな」
「客って? お姉ちゃんをどこへ連れて行こうとしたの?」
「ホテルだよ。子供じゃないんだから、それくらい分かるだろ。これからどんどん客を取らせて、がっぽり稼(かせ)ごうと思ってたのに、とんだ誤算(ごさん)だよ」
「なんて人なの。ひどい! お姉ちゃんにそんなことさせるなんて」
「それはどうかなぁ」男は好恵の身体をなめまわすように見つめて、「でも、君みたいな妹がいてよかったよ。あゆみの代わりを探す手間(てま)がはぶけた」
「じゃあ、あのアキラって人は? あなたとどういう関係なの?」
「ああ、あいつか? さあなぁ、一カ月くらい前、向こうから近寄って来たんだ。まあ、何かに使えそうだったんで。――そんな時、君が俺のところへ来たんだ。妹がいるなんて知らなかったよ。あゆみほどじゃないが、磨(みが)けば上玉(じょうだま)になると思ってな」
「あの時、私に言ったことは嘘(うそ)だったの? アキラがお姉ちゃんを…」
「そうだよ。アキラは、君を引き寄せる餌(えさ)さ。これで、君も仲間入りってワケだ」
「私は、あなたの仲間なんかじゃないわ。一緒(いっしょ)にしないで」
「今さら遅いよ。俺は君の復讐(ふくしゅう)の手助けをしただけだ。もし俺が捕まったら、君も共犯者(きょうはんしゃ)になるんだぞ。そうなりたくないだろ。だったら、俺に協力してくれよ」
「私は、復讐なんて…。ただ、真実を知りたかっただけよ」
「でも、この計画を立てたのは君じゃないか。もう、完璧(かんぺき)だったよ。君は頭もいいし、即戦力(そくせんりょく)としては申し分ない。後は、ちょっとした儀式(ぎしき)をするだけだ」
「儀式? 何よそれ」
「簡単なことさ。君が裏切らないように、その身体にしっかり刻(きざ)みつけるんだ」
男は好恵の方へゆっくり近づきながら言った。「二人で楽しもうぜ。この快楽(かいらく)を知ったら、逃げ出そうなんて思わなくなる」
好恵は壁際(かべぎわ)まで後退(あとずさ)る。もう逃げ場はなかった。男は舌(した)なめずりをして手を伸(の)ばしてくる。まさに間一髪(かんいっぱつ)、好恵は身体をかわして男の背後に回り込む。その動きは素早かった。男が振り返った瞬間、男の身体は宙を飛んだ。そして好恵の蹴(け)りが、男のみぞおちをとらえる。男はそのまま気を失った。好恵は目に涙をいっぱいためて言った。
「私はお姉ちゃんとは違うの。お姉ちゃんの痛みに比(くら)べたら…」
その時、アキラが部屋に飛び込んで来た。勿論(もちろん)、好恵を助けに来たのだが、男が倒れているのを見て拍子抜(ひょうしぬ)けしてしまった。好恵は涙を拭(ふ)きながら言った。
「ごめんなさい。あなたをこんなことに巻き込んじゃって…」
<つぶやき>人は見かけによらぬもの。どんな才能が隠れているのか分かりませんよね。
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T:009「相棒」
嵐(あらし)はいつの間にか去っていた。雨もやみ、雲間(くもま)から星が瞬(またた)いている。屋敷の前には警察の車輛(しゃりょう)が何台も並んでいて、ライトで屋敷全体を照らし出していた。屋敷の庭にはベンチのように石が置かれていて、そこに好恵(よしえ)が放心状態(ほうしんじょうたい)でじっと座っていた。
警察の人間が何人も屋敷の周りを動き回り、屋敷から出たり入ったりしている。その中にアキラの姿があった。アキラと一緒に出て来た刑事が言った。
「悪かったな、遅くなってしまって。ここまで来る道で土砂崩(どしゃくず)れがあって、復旧(ふっきゅう)するのに時間がかかったんだ。でも良かったよ。君たちが無事(ぶじ)で」
「まあ、何とかね」アキラは苦笑(にがわら)いしながら、「俺より強い娘(こ)がいたからね」
「え? 何の話だ?」刑事は真面目(まじめ)な顔で訊(き)いた。
「いや、何でもない。それより、ありがとう。これで、彼女も浮(う)かばれるよ」
「こっちこそ、捜査に協力してくれて助かったよ。じゃ」
刑事は、また屋敷の中へ戻って行った。アキラは大きく背のびをすると、屋敷の方を振り返った。そして、懐(なつ)かしそうに呟(つぶや)いた。
「もっとデッカイと思ってたけど…。またここに来られるなんてな」
アキラは黙って好恵の隣に座った。好恵はうなだれたまま気づかないようだ。でも、アキラから声をかけることはなかった。しばらくして、それに気づいた好恵は、
「あっ、すいません。――あの、あなた、警察の方なんですか?」
「いや、俺は…。安岡健(やすおかけん)と言います。警察じゃなくて、探偵をしてます。よろしく」
「探偵? それじゃ、姉のことを…」
「お姉さんの死亡記事を見たときは、びっくりしたよ。彼女が自殺するなんてあり得(え)ない。だから、警察の知り合いに頼んで、捜査に協力してたんだ」
「姉のことを、知ってるんですか?」
「ああ、昔ね。君がまだ赤ちゃんだった頃。近所に住んでてね。よく遊んでた。この別荘(べっそう)にも連れて来てもらったことがあるんだ」
「そう…、全然知らなかったわ。私ね、姉とはずっと会ってなかったの。両親が離婚して、私は父と一緒にアメリカへ行っちゃったから。ずっと姉がいるなんて知らなかった。それを知ったとき、絶対に会いに来ようって。なのに……」
「そうか…。残念(ざんねん)だったな」
健はそれ以上かける言葉が思いつかなかった。健は慰(なぐさ)めようと好恵の肩に手を回した。その時だ。みぞおちの辺(あた)りに激痛(げきつう)が走った。健は思わず膝(ひざ)をつき崩(くず)れ落ちた。
好恵は慌(あわ)てて、「あっ、ごめんなさい。無意識に身体が動いちゃって」
健は喘(あえ)ぎながら、「いや、大丈夫。これくらい…」
「ほんとに、ごめんなさい。私、格闘技(かくとうぎ)を教えてて…」
「やっぱり、ただもんじゃないと思ったよ。強いわけだ。もう、降参(こうさん)です」
「あーっ、またやっちゃった。これだからダメなのよね。いつも振(ふ)られてばっかり…」
「いや、俺は…。君のことスカウトしたいくらいだよ。君なら良い相棒になれそうだ」
<つぶやき>これで無事解決。好恵はこれからどうするんでしょうか。相棒になるのか?
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短編物語End