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T:001「蜘蛛の糸」1
「いい加減に本当のことを言いなさいよ!」
取調室に若い女刑事の声が響いた。容疑者とおぼしき男は困った顔をして、「だから、さっきから違うって言ってるじゃないですか」
女刑事は机を叩き、「じゃあ、なんであんなところにいたの!」と男の顔を覗き込んだ。しかし、男はまったく動じる気配もなく、「刑事さん、化粧とかちゃんとした方がいいですよ。美人の顔立ちなんだから…」と優しい笑顔で答えた。
女刑事の怒りが頂点に達したとき、ドアが開いて年配の刑事が顔を出した。
「おい、いちご。容疑者を捕まえたって、本当か?」
「はい、係長。この男です。現場をうろついていたので連行してきました」
「そうか」年配の刑事はそう言うと、容疑者の顔を見て驚きの声をあげた。
「山田さんじゃないですか! いつ日本に帰ってこられたんですか?」
「あっ、お久しぶりです。お元気でしたか?」男はにこやかに刑事と握手をかわした。
女刑事は思いもよらない展開にうろたえて、「あの、係長。この人は…」
「ばかもん! この人はな、もと警視庁捜査一課の…」
「あの、その話は」山田は係長の話をさえぎり、「変死体が見つかったそうですね」
「そうなんですよ」係長は困り果てた様子で、「お知恵を拝借できませんかね」
「係長、なんでこんな人に…」女刑事は不服そうに抗議した。
変死体が見つかったのは4日前で、河原の清掃をしていた近くの住民が発見した。被害者の身元は所持品からすぐに判明し、一週間前までの生存が確認された。係長が頭を悩ましている原因は、死体が普通の状態ではなく、ミイラ化していたからだ。一週間前まで生きていた人間が、ミイラになるはずがなかった。
山田は捜査資料を一通り見終わると、「なるほど」とつぶやいて、「被害者の趣味は?」
「趣味!?」女刑事はあきれて聞き返したが、「そう言えば、山の写真とかありましたから、登山とか、ハイキングじゃないんですか」
「北陸の雲里(くもさと)村には行ってませんか?」
「趣味が事件に関係あるんですか?」女刑事はそう言うと、被害者のパソコンに残されていた日記を調べ始めた。すると、ちょうど一年前に訪れていることが記されていた。
「じゃあ、明日、そこへ行ってみましょう。きっと、何か分かるはずです」
「私も? いや、私は仕事がありますから、無理ですよ」
「そうですか…。では、僕はこれで」そう言って山田は部屋を出た。でもすぐに戻ってきて、「お名前をうかがってもいいですか? 僕は、山田太郎と言います。よく、偽名じゃないかとか言われますけど、本名なんですよ。よろしく」そう言うと山田は手を差し出した。
女刑事はちょっと戸惑ったが、「私は、野原です」と挑戦的な態度で山田をにらみ返した。
「野原いちごさんですか。いいお名前ですね」と山田はにこやかに笑顔をむけた。
「どうして…」女刑事は驚きの声を上げた。そして、みるみる顔が赤くなり、
「バカにしないでよ!」と叫ぶと、そのまま部屋から飛び出して行た。
<つぶやき>新人のときは、張り切りすぎちゃうんです。失敗を恐れないでね。
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T:002「蜘蛛の糸」2
翌朝早く、二人は駅の改札口で待ち合わせた。いちごは係長からの命令もあり、しぶしぶ同行することになったのだ。いちごは山田の荷物を見て驚いた。小さなバスケットに猫が一匹入れられていた。黒のとら猫で、毛の色つやからみても年老いた猫である。
「なんで、猫なんか?」いちごは挨拶もそこそこに質問をあびせかけた。
「いや、それが」山田は頭をかきながら、「行きつけの中華飯店の女将さんに頼まれまして、しばらく預かることになってしまって」
「それにしたって、連れてこなくてもいいじゃないですか」
「一人にしておくのは、どうも可哀想で…」山田は猫を覗き込み、「なあ、アリス」
「もう、信じられない」いちごは山田を睨みつけて、「一人じゃなく一匹でしょう。もういいから、行きますよ」いちごはそう言い捨てると、先に改札を抜けて行った。
いちごは憂鬱な気分だった。今日一日、この変な男と一緒にいなくてはいけないなんて。電車の席に座ると、いちごは大きなため息をついた。山田はそんなことは気にもかけずに、リュックからファイルを取り出していちごに手渡した。
「雲里(くもさと)村から事件現場まで、この一年の間に、ほぼ直線上に何人かの不可解な患者が病院に運ばれています。いずれも人けのない場所で、脱水状態で発見されているんです」
いちごはファイルにざっと目を通して、「それが、この事件と関係あるんですか? だいいち、なんで北陸まで行かなきゃいけないんですか」
いちごは山田が何を考えているのかまったく分からなかった。
「クモですよ。クモがすべてに関わっているんです」
「くもって…」いちごはあきれた顔で聞き返した。
「事件現場にあった蜘蛛の糸。それに、この患者たちの衣服にも蜘蛛の糸が付着していた。これから行く雲里(くもさと)村には、蜘蛛にまつわる伝説があるんです」
「なにバカなこと言ってるんですか。それじゃまるで、犯人は人間じゃないとでも…」
「そうですよ。人間にはこんなことは出来ませんから」
いちごは頭をかきむしり、この先なにが待っているのか、不安な気持ちになってきた。
雲里村に着いたのは昼過ぎ。この村はすでに廃村になっていて、荒れ果てた家が点在しているだけだった。山田は迷うことなく村のはずれにある森に入っていった。森の奥にある鳥居をくぐると、こんもりした塚が見えてきた。その塚のすぐ前に、小さな祠(ほこら)があった。
「思ったとおりだ。祠が動かされています」山田は祠に近づいて詳しく調べ始めた。
祠のすぐ後ろ側の塚の部分に、人間の頭ほどの穴が空いていた。そして、祠に貼り付けてあった封印の御札が破られ、中にあるはずの封印石が消えていた。
「封印石を探しましょう。その辺に捨てられているはずです」
いちごは言われるままに、山田に説明された丸い形の封印石を探し始めた。山田はというと、バスケットから猫を出して、祠の後ろの穴の前に座らせていた。
「何してるの! あなたも探しなさいよ」藪の中を探していたいちごが、声をはりあげた。
「すいません」山田はそう答えると、「頼むぞ。見張っててくれ」とアリスにつぶやいた。
<つぶやき>世の中には不思議なことがいっぱいあるんです。気をつけましょうね。
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T:003「蜘蛛の糸」3
どれほど時間がたったのか、太陽が西の山に隠れようとしていた。二人は茂みや藪の中を探し回り、へとへとに疲れ果てていた。
「日が沈む前に見つけないと」山田は西の空を見てつぶやいた。
「ねえ! 本当にあるんですか?」東側の斜面を探していたいちごが叫んだ。
「ええ、どこかにあるはずなんですが」山田は自信なげに答えるしかなかった。
「まったく、何で私がこんなことしなきゃいけないのよ」いちごは汚れた服を気にしながらつぶやいた。いちごの髪にはクモの巣がはりつき、顔や手は泥だらけになっていた。
その時、穴の前でおとなしく座っていたアリスが異様な声で鳴き始めた。その鳴き声に混じって、がさごそと何かが這い出してくるような無気味な音が聞こえはじめた。
「まずい!」山田はそう叫ぶと祠に駆け寄った。そして、祠を元の位置に戻して穴を塞いだ。アリスは山田のそばで、鋭い唸り声を繰り返した。
「どうしたんですか!」そのただならぬ様子を見ていちごが叫んだ。
「そこにいて下さい!」山田はそう言うとリュックから御札を取り出して、何やら呪文を唱え始めた。そして、その御札を祠に貼り付けた。すると無気味な音が消え、アリスもおとなしくなった。山田はいちごに向かって、「急いで見つけて下さい。お願いします」
「そんなこと言われても…」いちごはそう言いながらも、あたりを手当たり次第に探し回ってみた。でも、どんなにあせってみてもなかなか見つからなかった。なかばあきらめかけていたとき、ドンという音とともに地面が揺れるのを感じた。驚いたいちごが顔をあげると、山田が押さえていた祠が大きく揺れていた。何かが穴の中から突き上げているようだ。山田は必死になって祠を押さえ、アリスもさっきよりも大きな声で唸りだした。
「山田さん!」いちごはそう叫ぶと、足場の悪い斜面を降りて行った。
「来るな!」山田はいちごに叫んだ。「もう間に合いません。早く逃げて下さい!」
「そんなことできるわけないでしょう」そう言った途端に、いちごは足を滑らせて転んでしまった。ちょうど日が沈む時の最後の明かりが、あたりを一瞬、明るく照らし出した。
その明かりを反射したのか、いちごは下草の中に光るものを見つけた。手を伸ばして草をかき分けてみると、そこには探していた封印石が光り輝いていた。
「あった!」いちごは嬉しさのあまりそう叫ぶと、斜面を転がるように駈け降りていった。
廃屋の中で疲れ切った顔の二人が、囲炉裏の灯(ひ)を囲んで簡単な食事をとっていた。
「あれは、何だったんですか?」いちごは食事の手を止めて訊いた。
「さあ、何だったんでしょう」山田はあいまいに答えた。「この村の伝説では、昔、この辺りに大蜘蛛がいたそうです。たびたび作物が荒らされたり、村人が襲われたりして困っていた。そんな時、村に偉い修験者がやって来て、あの塚に大蜘蛛を封じ込めたそうです」
「その伝説とあの被害者と、どういう関係があるの?」
「たぶん、被害者が封印石を動かしたんでしょう。それで狙われたんだと思います」
「そんなバカな。でも、係長にどう報告するのよ。こんなこと、信じてもらえないわ」
山田は微笑んで、横で寝ているアリスの頭をなでた。雲里村は暗闇に包まれていた。
<つぶやき>事件解決。でも、二人には次の怪事件が待っていた。それは、次の機会に…。
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短編物語End