書庫 読切物語51~

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T:051「ライバル出現」
「あたし、今日は帰りたくないな~ぁ」
 智子(ともこ)のこの甘い言葉で、今までしぶっていた紀夫(のりお)の気持ちがぐらついた。そして、ついに智子は彼のマンションへお邪魔することに…。この日をどれだけ待ったことか。
 紀夫は真面目で優しくて、性格は申し分なかった。仕事だって堅実(けんじつ)な会社で、年収も悪くはない。顔は美男子とまでは言えないが、全てがそろっている男なんてそうそう見つかるはずはないし、白馬の王子が現れるなんてあり得(え)ない。智子は現実的な女なのだ。
 あと、確認すべきことは彼の私生活だ。外面(そとづら)だけ良い男はいっぱいいる。変な趣味をもっていたり、妙なこだわりのある男だと、結婚したあと苦労することになるかもしれない。それを見きわめるには、彼の部屋を覗(のぞ)くのが一番いいのだ。それも、不意打(ふいう)ちで…。まさに、今日がその日になったわけだ。お泊まりの準備も万全だし、どういう状況になっても大丈夫。彼女は、準備を怠(おこた)らない女でもある。
 彼のマンションは悪くはなかった。彼の年収から考えても、背伸びをせずに経済観念(けいざいかんねん)もしっかりしている。部屋の中は予想以上に奇麗に片づいていた。ここまできっちりしていると、何だかこっちも気分がいい。彼がお茶の支度をしている間、智子は部屋の中を見渡した。どうやら、いかがわしいものはなさそうだ。でも、そういうものは人目につく場所には置かないもの。結論を出すのは早すぎるわ。
 二人は、たわいのない話でしばらく談笑(だんしょう)した。そのうち、何となく無口になって、お互いの目と目が合う。何となく良い雰囲気。彼が少しずつ近寄って来て、どちらからともなく、顔を近づける。まさにその瞬間、部屋の中が真っ暗になった。
「なに? どうしたの? いやだ」誰もがする反応を智子はした。
「あれ? 停電かな。ちょっと待ってて」
 紀夫はそう言うと手探りで彼女から離れて行った。彼はすぐに懐中電灯をつけると、ブレーカーを確認したり、動揺する様子もなかった。けっこう頼もしいんだ。智子は彼の知らなかった一面を見ることができた。これは、収穫である。彼はそのまま外へ出ていった。
 外の方から彼の声が聞こえた。「やっぱり停電だよ。真っ暗になってる」
 その時だ。智子は部屋の中で何かが動く気配を感じた。それが、だんだん近づいて来る。智子は悲鳴をあげた。それを聞いた紀夫か駆け込んでくる。彼の持つ懐中電灯の灯りで見えたのは、小学生くらいの女の子。智子は一瞬こおりついた。子供がいたなんて…。
 彼は笑みを浮かべて、「どうしたの? しずちゃん」
 女の子はほっとしたような顔で、「真っ暗になっちゃって、それで…」
「そうか。お母さん、まだ帰って来てないんだ。それじゃ、怖かったよね」
 女の子は智子を見て言った。「このおばちゃん、だれ?」
「ああ、このおばちゃんはね」と言って紀夫は慌てて訂正した。「このお姉さんは、智子さんっていうんだよ」紀夫は智子に、「この子は、隣に住んでる子で…」
 女の子はしっかりとした口調で言った。「あたしは、のり君のお嫁さんの静恵(しずえ)です。のり君のこと、誘惑(ゆうわく)しないでください。お・ば・ちゃ・ん」
<つぶやき>思いもよらない展開。もしかすると、この子の母親も彼を狙っているのか?
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T:052「約束」
「誰? そこにいるのは誰なの?」
 私はかすんだ目をこすった。だんだんはっきり見えてくる。そこには、お下げ髪の女の子が立っていた。私のほうを向いて、必死に手を振り何かを叫んでいる。私は、はっとした。それは、紛(まぎ)れもなく私。小学生の私の姿だった。
 そこで、私は目が覚めた。何でこんな夢を見たんだろう。きっと、あれよ。小学校の同窓会のはがきが届いたからだ。私は髪をかきむしった。
 一ヵ月後、私は静岡のとある町に降り立った。もちろん、明日の同窓会に出席するためだ。この町に来たのは十年ぶり。小学五年の時に引っ越して、それ以来一度も訪れたことはなかった。町を歩いていると、何となくその当時の記憶がよみがえってくる。町の様子も、ほとんど変わっていないように思えた。
 駅から少し離れたところにある民宿。確か、ここには同級生の男の子がいたはずだ。私はどんな子だったか思い出そうと、民宿の前でしばらく立ち止まっていた。そこへ突然、
「さゆりちゃん? さゆりちゃんだよな!」
 私は驚いて振り返る。そこに立っていたのは、真っ黒に日焼けした男性。彼は有無も言わさず私の手を取り、力いっぱい握(にぎ)りしめた。
「ほんと久しぶりだよな。俺のこと、覚えてる?」
 民宿に落ち着くと、彼は私のことはお構いなしにまくしたてた。「もう、予約の名前見て、もしかしたらって、思っちゃったよ。で、何しに来たの? まさか、俺に会にとか?」
「何言ってるの。違うわよ」
 私は少し怒った顔で言った。何だか昔に戻ったようだ。この子、お調子もんで、いつも女の子にちょっかい出してたっけ。「同窓会よ。明日、あるんでしょ」
「同窓会?」彼はキョトンとして首をひねった。「そんなの、知らないな」
 私は案内のはがきを出して、「ほら、明日になってるでしょ」
「えっ! 俺だけ除(の)け者かよ」彼ははがきを手に取り見ていたが、突然大声を出して、
「嘘(うそ)だろ、この幹事って――。亡くなってるんだけど」
「えっ、どういうこと?」
「だから、この中村宏(なかむらひろし)だよ。五年前に病気で死んでるんだ。俺、葬式(そうしき)に行ったし」
「やだ…。そうなの? 何で、私のところに…」
 中村宏。私はどんな子だったのか、まったく思い出せなかった。
「ほら、いただろ。体育の授業で、いつも見学してたやつ。けっこう学校も休んでたから、思い出せないのも無理ないけどな」
 私は、彼の言葉でふっと記憶がよみがえってきた。私、中村君と約束したことがあった。何でそんな約束したのか分からないけど…。二人で富士山に登ろうって。中村君から言ってきて。私、いいよって。一緒に登ろうねって。軽い気持ちで約束した。何で中村君、そんなこと言ってきたんだろう。もしかしたら…。私、決めた。富士山に登ろう。私は、お調子もんの彼に手伝ってもらって、富士山頂で同窓会を開くことにした。
<つぶやき>子供の頃、誰かと約束してませんか。今からでも、約束を果たしましょう。
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T:053「恋に恋して」
 好きなのに好きって言えない。とっても簡単な言葉なのに、それを言ってしまうと壊(こわ)れてしまいそうな、そんな気がして…。私は、いつまでもうじうじしていた。
 彼とは友だち。の、はずだった。でも、いつからか意識し始め、気がつけば、彼のことをずっと見ていた。彼は、そんな私のことなんてまったく気づいていないみたい。そんなこと当たり前のこと。私と彼の間には、ものすごく距離があるの。それを縮(ちぢ)めることなんて、今の私にはとても無理だわ。
 私は親友に相談してみた。彼女は、とってもさばさばしていて、思っていることは何でも言ってしまう。私とはまったく真逆(まぎゃく)な性格をしていた。今までもいろんな悩みを聞いてくれたし、私のことをいつも励(はげ)ましてくれていた。
 彼女は私の言うことを黙って聞いてくれて、
「何だ。そんなの、訊いてみればいいじゃない」
「そ、そんなこと訊けないよ。もし、私のこと好きじゃなかったら…」
「それを確かめるんでしょ。でなきゃ、いつまでもスッキリしないままよ」
「そうだけど…。でもね、でも……」
「もう、しょうがないな。あたしが訊いてきてあげる。あんたのこと、どう思ってるのか」
 翌日。彼女は私のところへ来て言った。
「彼ね。他に好きな人がいるんだって。だから、あんたとは付き合えないって」
 私は、何だがホッとしたような…。だって、もし彼と付き合うことになったら、どうしたらいいかまた悩んでしまいそうで。これで、よかったのよ。
 それから一ヵ月後。私は他の友だちが話しているのを聞いてしまった。私の親友と彼が付き合ってるって。私は、自分の耳を疑ってしまった。だって、彼には他に好きな人がいるって――。それって、彼女のことだったの?
 私は確かめようと、彼女に会いに行った。でも、そんなこと訊けないよ。私はまたうじうじうじうじ。結局、何も訊けなかった。それからというもの、私は彼女を避けるようになってしまった。彼女の方も…。
 私は、こんなことで親友をなくすなんて。それもこれも、私のはっきりしない性格のせいよ。私は、いつも他の人に頼ってばっかり。こんなんじゃ、いつまでたっても恋なんてできないわ。自分のことは自分で何とかしなきゃ。でも、そう簡単に自分の性格を変えることなんてできそうにない。
 私は一人でいることが多くなった。今日もひとりでランチ。もう慣(な)れてしまったというか、開き直ったと言ってもいいかも。さあ食べようって思ったとき、私は声をかけられた。
「あの、ここいいですか?」
 顔をあげると、そこには見知らぬ男性。私に微笑みかけている。これって…。
「すいません。ここしか、あいてないものですから」
 何だ。そういうことね。私は、愛想(あいそ)笑いをしてしまう。ああ、私も恋がしたい。もう、うじうじなんてしてられないわ。
<つぶやき>出会いはどこに転がっているか分かりません。チャンスは逃がさないように。
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T:054「また明日」
 三年付き合っていた彼が突然いなくなった。何の前触(まえぶ)れもなく。別れぎわに、また明日って言ってたのに。これって、どういうことよ。あたし…、捨てられたってこと。
 彼と最後に会った日のことは今でも覚えてる。仕事帰りに二人で待ち合わせ。いつものお店で食事して、たわいのない話で盛り上がる。いつもと変わらない、全然、まったく別れ話なんかなかったし、喧嘩(けんか)だってしてないでしょ。なのに、どうして?
 次の日、メールして。返信がなかったけど、仕事が忙しいんだなって思ってた。夜になって電話して。つながらなかったけど、まだ仕事なのかなって…。そういうことって、今までだってあったから。それに、彼って、そういうのマメじゃないし。
 でも、三日たっても連絡がなくて。さすがのあたしも、変だなって思った。それで、彼の会社に電話してみた。そしたら、彼、会社辞(や)めてたの。辞めた理由を訊いてみたら、一身上(いっしんじょう)の都合(つごう)ですって。それって、何よ。まったく分かんない。
 あたし、彼のアパートへ行ってみたわ。そしたら、誰もいなくて。たまたま顔を合わせた隣の人に言われちゃった。二、三日前に引っ越したって。あたし、目の前が真っ暗になったわ。もう、笑うしかないじゃない。あたしは、何度も何度も、彼の携帯に電話した。何度かけたって、電源が入ってないってそればっかし。
 あたし、一人で考えてみたわ。あたしが捨てられた理由。でも、いくら考えたって、そんなの思いつかないわよ。あたしの、何がいけなかったの。いなくなる前に、教えてほしかったわよ。もうダメ。これ以上一人でいたら、あたしどうにかなっちゃう。無性(むしょう)に淋(さび)しくて、叫びたくなるくらい腹が立った。
 あたしは友だちに電話した。誰かに聞いてもらわないと、あたしおかしくなりそう。友だちは慰(なぐさ)めてくれたわ。そんな身勝手(みがって)な男のことなんか忘れなさいって。別れて正解だったのよ。ほんと、そうかもしれない。でも、でもね。あたしもそうしようと思ったわよ。思ったけど、どうしても心のどっかに彼のことが引っかかってるの。このままじゃ、あたし前へ進めない。仕事も手につかないし。
 今、あたしは彼の実家へ向かっている。興信所(こうしんじょ)で調べてもらったの、彼のことを。そしたら、彼の居場所(いばしょ)が見つかったわ。一ヵ月ぶりの再会。彼には、言いたいことが山ほどある。でも、その前に一発ぶん殴(なぐ)ってやる。それくらいのこと、許されるはずよ。
 地図を見ながらあたしは歩く。――何なのここは。畑ばっかりで、家なんでどこにあるのよ。道を訊こうにも、人なんかまったく歩いてないじゃない。彼が、こんな田舎で育ったなんて、まったく知らなかった。あたし、彼のことどこまで知ってたんだろう。
 遠くの畑で働いている人影を見つけた。あたしは、その人の方へ歩いて行く。これでやっと道を訊くことができるわ。だんだん近づくにつれて、あたしはハッとした。その人の背格好(せかっこう)、身体つき…。そして、帽子の下で見え隠れする顔。あたしは足を止めた。それは、間違いなく彼だった。あたし、身体が震えたわ。頭へ血がカーッとのぼって…。
 あたしはゆっくりと彼に近づく。あたしを見つけた彼の顔は、ハトみたいに口を開けちゃって。あんなに言いたいことがあったのに、あたし何も言えなくなっちゃった。
<つぶやき>人生は出会いと別れの連続です。悔いのないように、一期一会(いちごいちえ)で生きましょ。
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T:055「別れの言葉」
 義之(よしゆき)はふらふらとした足取りで歩いていた。大学の研究室にこもっていて、もう三日も満足(まんぞく)に寝ていないのだ。ビルの角(かど)に差しかかったとき、義之の身体に何かがぶつかってきた。はずみで彼は倒れ込んでしまった。その彼の上に覆(おお)い被(かぶ)さるように乗っかって来たのは、大きなサングラスにキャップをかぶった女の子。彼女は周(まわ)りを気にしながら立ち上がると、
「大丈夫(だいじょうぶ)? ごめんなさい、急いでたんで。ケガとかしてない?」
 義之はオドオドしながら立ち上がり、「こっちこそ、気がつかなくて、すいません」
 彼が顔を上げると、彼女がいきなり抱きついて来て、彼に唇(くちびる)を押しつける。その時、すぐ傍(そば)まで走って来た黒ずくめの男たちのしゃべり声が聞こえた。
「おい、どこ行ったんだ? 見失(みうしな)ったらやばいぞ。お前たちは向こうへ行け」
 男たちは方々(ほうぼう)に散(ち)らばって駆(か)けて行った。彼女は義之から離れると、走り去る男たちを目で追った。キスをされた義之は目を丸くしていた。完全に目が覚めたようだ。
「あ、あの…。い、今のは、ど、どういうこと…」と、しどろもどろになっている。
「気にしないで。あたし、悪い人たちに追われてるの。ねえ、駅はどっち?」
「あっ、それなら、僕もそっちへ行くところで…」
 彼女は義之の手をつかむと、「案内して。あたし、行かなきゃいけない所があるの」
 義之と女の子は同じ電車に乗っていた。彼女がお金を持っていなかったからだ。義之は横に座っている彼女を見た。眠ってしまったようで、義之の方へもたれかかっている。
 義之は自分の唇に指(ゆび)を当てた。さっきのキスの感覚がまだ残っている。義之は彼女のことが気になりだした。そっと彼女のサングラスをはずしてみる。彼女の顔立(かおだ)ちは整(ととの)っていて、とても可愛(かわい)らしく見えた。どうやら、年下みたいだ。
 義之が彼女の顔を眺(なが)めていると、周りにいた女学生がひそひそと囁(ささや)きだした。彼女が目をさます。サングラスがないことに気づくと、慌(あわ)てて手を頭の方へ…。その拍子(ひょうし)に、かぶっていたキャップが床に転がった。次の瞬間、彼女の肩へ真っ黒な黒髪がはらはらと落ちてきた。それを合図(あいず)に、彼女は女学生たちに囲(かこ)まれてキャーキャーと大騒(おおさわ)ぎになった。ちょうど電車が停まって、扉(とびら)が開く。彼女はキャップをつかむと、人をかき分けて電車から飛び降りた。義之も慌てて後を追いかける。何とか外へ出ると、電車は走り去って行った。
 二人は空港にいた。彼女が行かなきゃいけないと言った場所だ。彼女は搭乗口(とうじょうぐち)の近くで誰かを見つけると、一人で駆け出した。義之はその場から動けなかった。こっから先は、行かない方がいいと思ったのだ。彼女は男性の前で立ち止まり、見つめ合う。何を話しているのか義之には分からなかった。でも、恋人なのだろうと想像(そうぞう)はつく。しばらくして、男性は搭乗口へ歩き出した。彼女は男性が見えなくなるまで見送っていた。義之は彼女から目をそらす。何だか彼女が泣いてるみたいで…。彼女が戻ってくると、
「ありがとうね。こんなとこまで付き合わせちゃって」彼女はサングラスをはずし、「でも、あなた、あたしのことほんとに知らないの?」
 義之は首を傾(かし)げて、「ああ…、うん。君はどういう娘(こ)なんだい?」
 彼女はにっこり笑うとサングラスをかけて、「よかった。あなたみたいな人がいてくれて」
<つぶやき>彼女の正体は何なのか? 彼がそれを知ることになるのはもう少し後のこと。
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T:056「残されたもの」
 ある資産家が亡くなった。彼は良き家族を持っていたようで、世間で言う遺産争(いさんあらそ)いにはならなかった。でも、それはきちんとした遺言書(ゆいごんしょ)が作られていたからだろう。
 それが見つかったのは、葬儀(そうぎ)も終わり、彼の家族が遺品(いひん)の整理をしていた時のことだ。それは本の間に挟(はさ)まっていて、茶封筒にきれいに折りたたまれて見つかった。それには意味不明の文字や絵がびっしりと羅列(られつ)されていた。封筒には<我が良き家族へ>と書かれている。そこにいた家族はみんな頭をかかえた。もしかしたら、まだ他に遺産があるのかもしれない。その隠し場所がここに書かれているのでは…。実際、彼の資産がどれだけあったのか、家族は誰も知らない。だから、そう思う者がいても不思議ではないのだ。
 そこで家族たちは相談した。もしお宝が見つかったらみんなで折半(せっぱん)することを条件に、彼らは探偵を雇(やと)うことにした。最も信用があって、頭の切れそうな探偵を――。
「これが、問題の…」探偵はそれを見るなり口を閉じた。何事かを考えているように、じっとそれを見つめる。隣にいた助手が口を挟んだ。
「これが暗号なんですか? これだけじゃ、何が何だか分からないわ」
 探偵は笑みを浮かべると助手に呟(つぶや)いた。「さっぱり分からん。君の言う通りだ」
 落胆(らくたん)している家族を前に探偵は言った。
「亡くなった方のことを教えていただけませんか? そこにヒントがあるかもしれない」
 家族の話をまとめると、茶目(ちゃめ)っ気たっぷりの人で、いつもみんなを煙(けむ)に巻いて楽しんでいたそうだ。探偵はますます頭をかかえた。残されていた遺品すべてを調べてみたが、謎を解く鍵は見つからなかった。探偵は家族の前でおもむろに言った。
「もう少し時間をいただけませんか。これを持ち帰って、じっくりと…」
 家族たちの顔には失望(しつぼう)の色が出ていた。探偵は仕方なく、
「でも、一つだけ分かったことがあります。これには家族に対する感謝の気持ちが込められていました。よく見ると、この中にはアリが10匹、描かれています。つまり――」
「ありがとう?」助手が思わず呟いた。「だじゃれですか?」
 探偵はそれを助手に押しつけて、話を続ける。「そうです。これはまさに、そういうことなんです。最後の最後まで、皆さんを楽しませようとされたのではないでしょうか」
 家族たちはなるほどと、腑(ふ)に落ちたようだ。探偵はさらに調査を続けると約束して、その家を後にした。家を出てからも、助手はそれを首を傾(かし)げながら見つめていたが、
「先生、変ですよ。あたし、何度も数えてみたんですが、この中にアリが12匹いるんです。これって、どういうことなんですか?」
 探偵は助手からそれを取り上げると言った。
「いいんだよ、そんなことは。それより」探偵はポケットから小さな手帳を取り出して、
「遺品の中でこれを見つけたんだ。この中にも、同じ絵が描かれていた」
「先生、黙って持って来ちゃったんですか? そんなことしたら…」
「人聞きの悪いことを…。ちょっと拝借(はいしゃく)しただけだ。これも依頼人のためだろっ」
「そんなこと言って。お宝を一人占(ひとりじ)めしようって…。ダメですよ、そんなことしちゃ」
<つぶやき>探偵も生きていくにはお金が必要なんです。でも、猫ババはダメですからね。
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T:057「待ちきれない」
 彼女は待っていた。彼の口からプロポーズの言葉が出るのを…。でも彼は、何か言いたそうな素振(そぶ)りは見せるのだが、肝心(かんじん)なことになるとまるっきりダメなのだ。彼女にはそれがもどかしかった。――思い起(お)こせば、彼が告白しようとしたときも…。なかなか言い出してくれないから、仕方(しかた)なく彼女のほうから、
「あなたのこと好きかも…。私たち、付き合わない?」って言ってしまった。
 だからこそ、プロポーズは彼の方からしてほしい。彼女はそう思っていた。今日のデートでも、言うチャンスはたくさんあったはずだ。それに、今日は特別な日。彼だってそれが分かってて、こんな素敵(すてき)なレストランを予約したはずよ。なのに…。
 食事も終わりに近づいていた。デザートが運ばれて来て、二人の前に並べられる。彼女は小さな歓声(かんせい)をあげて、彼に笑顔を向ける。でも内心(ないしん)では、
「さあ、今よ。今でしょ。今言わないで、いつ言うのよ!」
 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、彼は美味(おい)しそうにデザートを頬張(ほおば)った。彼女は小さく溜息(ためいき)をつき、デザートを口にする。美味しいはずなのに、ちっとも美味しく感じないのはなぜ…。今日、プロポーズしてくれるんじゃないの?
 もう帰らなきゃいけない時間が迫(せま)っていた。彼も時計を気にしはじめた。二人の会話も途切(とぎ)れ途切れになり…。彼女は彼を見つめて、意味深な微笑(ほほえ)みを浮かべる。そして心の中で呪文(じゅもん)のように何度も呟(つぶや)いた。
「これが最後よ。言いなさい。プロポーズ、プロポーズ、プロポーズ…」
 きっと心の声が顔に出てしまったのだろう。彼は心配そうに彼女の顔を見て言った。
「大丈夫? お腹(なか)でも痛いの?」
 彼女は我(われ)に返って、「えっ、いや…。何でもない、何でもないわよ。別に…」
「だって、眉間(みけん)にシワ寄せて、苦しそうに見えたんだけど…」
 彼女は思った。こいつ、プロポーズする気なんてないんだ。期待した私がバカだったのよ。あーっもう、せっかくの記念日なのに――。
 二人は店を出ると、駅へ向かって歩き出した。彼女はどうやらご機嫌(きげん)ななめのようで、俯(うつむ)き加減(かげん)で黙(だま)って歩いていた。彼の方も、ポケットへ手を突っ込んでスタスタと…。ほどなくすると駅前に到着(とうちゃく)した。ここで二人は別れることとなる。
 彼女は彼の顔を見るでもなく手を上げて言った。「じゃ、またね」
 彼女の顔には、いつもの笑顔はなかった。足取りも重く、彼女は改札へ向かって歩き出す。すると、すぐに彼が彼女を呼び止めた。彼女が振り向くと、彼は指輪の箱を差し出して叫んだ。「あの…、ぼっ、僕と、け、けっ――」
 彼女は顔を真っ赤にして駆(か)けて来ると、慌(あわ)てて彼の口を押さえて小さな声で、
「ちょ、ちょっと…。こんなとこで、それはないでしょ。みんなが見てるじゃない」
 確かに駅前である。遅い時間でも人通りはある。彼はそこまで目に入らなかったようだ。
「ごめん。でも、今しかないと思って…。僕と、結婚してく――」
 彼女はキスで彼の口を塞(ふさ)ぐと、彼の耳元で囁(ささや)いた。
「もう、帰りたくなくなっちゃうじゃない。どうしてくれるのよ」
<つぶやき>恋は盲目(もうもく)にするものなのです。恋人たちの邪魔(じゃま)だけはしないようにしましょ。
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T:058「恋の時計」
 気がつけば、もう何年も恋なんかしていなかった。そりゃ、私だって学生の頃は、憧(あこが)れの先輩(せんぱい)とか、好きになった人もいたわよ。あの頃は、好きだって気持ちだけで充分(じゅうぶん)。それだけで幸せだった気がする。――社会人になってからは仕事に追(お)われて、恋に目を向ける余裕(よゆう)なんか…。
 そんな私に、恋の女神(めがみ)が微笑(ほほえ)みかけた。私、好きな人ができたの。――でも、恋に鈍感(どんかん)になっていた私は、そんな自分の気持ちにも気づかなかった。
 その人には、好きな人がいたの。それも、私の親友。私が、その人に親友を紹介(しょうかい)したの。だって、私、その時は、その人のこと会社の先輩としか思ってなかったから…。二人から付き合うことになったって聞いた時は、びっくりして言葉も出なかったわ。
 それからというもの、親友から先輩との仲(なか)むつまじい話を聞くたびに、私の心はざわついて…。私、何でこんな気持ちになるのか全然(ぜんぜん)分からなかった。前は、親友と会えるのが楽しみだったのに、だんだん彼女を避(さ)けるようになってしまった。仕事が忙(いそが)しいって理由(りゆう)を作って…。
 そんな時、先輩から彼女が入院したって聞かされた。私は驚いて、病院へお見舞いに行ったわ。病室へ入るとき、何だが後ろめたくて立ち止まってしまったけど…。ベッドの上の彼女は、全然変わっていなかった。いつもの笑顔で私に話しかけてくる。私は、何だかホッとして、昔のようにおしゃべりをすることが出来た。
 でも、何度も見舞に行ったけど、彼女の病気は…。
 ――半年ほどして、彼女は帰らぬ人になってしまった。後から聞いた話だけど、先輩は、彼女が亡くなる二日前にプロポーズをしたらしい。だけど、彼女はほんの少し微笑んだだけで、目を閉じて何も答えなかったって。
 ――あれから二年たったけど、先輩の心にはまだ彼女がいて…。そこに、私の入る余地(よち)なんてどこにもない。そんなこと分かってた。分かってたけど、私は思いきって先輩に告白した。だって、私、先輩のことずっと好きだったから。
 先輩はちょっと困った顔をしたけど、私を見つめてこう言ったわ。
「僕、もう恋はしないんだ。一生分の恋をしてしまったから。――ごめんね」
 そんなこと言われたら、もう何も言えなくなっちゃうじゃない。ずるいよ。――思い出の中の彼女は、ずっと美しいままじゃない。私が何をしたってかなうわけない。だけど…。このままじゃいけないわ。いいわけないじゃない。こんなこと、親友の彼女だって望(のぞ)んでなんかいない。
 私、決心したわ。女子力を磨(みが)いて、良い女になってみせる。そして何度でも告白して、先輩を振り向かせてやる。うざい女って思われてもかまわない。嫌(きら)われたって…、それはちょっとイヤだけど…。先輩の、止まってしまった恋の時計を動かさなきゃ。
 それでもだめなら、私、潔(いさぎよ)くあきらめるわ。でも…、私じゃなくても、誰かと恋をして、結婚して、幸せな家庭をもって…。彼女がつかめなかった幸せを、先輩にはかなえてほしいの。そのためなら、私、何だってするから――。
<つぶやき>一途な想いを持ち続けるのは大変ですよね。でも、人は前へ進まなくては…。
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読切物語End