書庫 連載物語「いつか、あの場所で…」1~

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T:001「初めの一歩(いーっぽ)」1
 初めてあの子を見たのは、校庭の桜が散り始めた頃。桜の花びらが教室の窓から突然舞い込むように、彼女は僕の前に姿を現した。<上野さくら>これが彼女の名前だ。僕がこんなことを言うのは変だけど、彼女は他の女子とは違っていた。まるで別の世界から来たみたいに…かわいかった。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、彼女の目には星がきらめいていた。少女漫画によくあるあれだ。僕はバカにしてたけど、本当にきらめいていたんだ。僕の目は、彼女に釘づけになった。先生が何か言ってるけど、僕の耳には入らなかった。まるでスロー再生のビデオを観ているように、ゆっくりと動いている。彼女の笑顔はお日様よりも明るく輝き、彼女の声は天使の歌声のように僕の心に響いた。僕は天使がどんな声なのか知らないけど、そんなことはどうでもいい。
「じゃ、席はそこの空いてるところね」先生がそう言う。彼女がどんどん近づいてくる。僕は彼女をそれ以上見ることが出来なかった。でも、聞こえるはずのない彼女の足音や息づかいが、僕の耳に飛び込んでくる。僕の心臓は高鳴り、口から飛び出しそうになった。彼女は間近で止まり、隣の席に座った。ほのかな香が鼻をくすぐる。今まで嗅いだことのない、これが都会の香なのかなぁ。「よろしくね」彼女はそう言って笑顔を僕に向けた。僕は不意をつかれた。何も答えられず、ただ頷いただけで目をそらす。…横目で彼女を見る。もうそこには、あの天使の笑顔はなかった。
 彼女はすぐにみんなにとけ込んだ。でも僕は…。何でこんなにどきどきするんだろう。こんなことは初めてだ。僕は人気者ってわけでもないけど、みんな友達だし女子とも平気でふざけあったりする。でも、彼女の前だと…。何も言えなかった。桜の花のように可憐で繊細で、笑ったときのえくぼがまぶしかった。僕は…、彼女と友達になりたかった。
 僕らの学校はそんなに大きい方じゃない。クラスの数も少ないからみんな知っている顔ばかりだ。その中でもゆかりは特別だった。何が特別って、一年の時からずっと同じクラスなんだ。でも、それだけじゃなくて、もっと深い因縁で結ばれていた。それは、物心がつく前から側にいたことだ。兄弟だと思われていたときもある。いつも男の子みたいな格好をして飛び回っていた。ゆかりにはいつもハラハラさせられる。何をするか分からなくて、怒られるときはいつも一緒だ。僕には関係ないことでも「幼なじみでしょう」の一言で付き合わされた。ときどき何でこいつとって思うときがある。明るくて気さくな子なんだけど男勝りなんだ。僕が知っている限り、喧嘩で一度も負けたことがない。僕でも勝てないかもしれない。だぶん男の兄弟の中で育ったから、闘争心に溢(あふ)れているのかもしれない。悪戯が大好きで、思ってることはすぐ口にしてしまう。だからゆかりと友達付き合いするのは難しい。一番長く付き合っている僕だって、ついていけないときがあるからだ。でも、不思議と彼女とはすぐに打ち解けて、いつの間にか友達になっていた。なんでだ?ぜんぜんタイプが違うのに。話が合うんだろうか? ちょっと羨ましかった。二人が楽しそうに笑っているのを見ると、心の何処かでもやもやとしたものが生まれてくる。…それがいけなかったんだ。この後、取り返しのつかないことになってしまった。
<つぶやき>春は出会いの季節です。いい出会いがあると良いですね。
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T:002「初めの一歩(いーっぽ)」2
 彼女の噂は同級生の間ですぐに広がった。都会から美少女現る。好奇心いっぱいで他のクラスからも覗きに来る。それを追い返すのがゆかりの役目になってしまった。手際よくさばいていく。
 僕も他のクラスの奴につかまって、あんまりしつこく聞いてくるからつい…、「そんな騒ぐほどじゃないよ。あれは性格悪いかもな。勉強が出来て、可愛いっていうのを自慢しているだけさ。それに、ゆかりの機嫌取って上手く利用して、なに考えてるのか…」
「なんで、なんでそんなこと言うの。私はそんなこと考えてない!」
「……!!」彼女の突然の出現に、僕もつい口にしてしまった。心にもないことを…。
「なんだよ、転校生のくせに…」
 彼女は目を潤ませて僕を見つめる。僕は、言ってはいけないことを言ってしまった。
 彼女はそのまま走り去る。一部始終を見ていたゆかりが追いかける。僕に最後の一撃を喰らわせて。「あんたって最低!」
 すごい後悔。僕は完全に嫌われてしまった。何度か謝ろうとしたんだけど、まったく受け付けてくれなかった。<話し掛けないで。顔も見たくない>彼女の目が、そう訴えているように思えた。
 友達になる糸口もつかめないまま、時間だけが過ぎていく。そしてついに来てしまった。それは僕たちをさらに引き裂いた。席替え…。今まで隣同士だったのに、同じ班だったのに…。クジ引きという理不尽な方法で、僕は運にも見放された。彼女は窓側、僕は廊下側。彼女との距離は銀河系よりも遙か遠くに感じた。
 それから何日かして、僕は知ってしまった。とんでもないことを…。
 学校からの帰り道、彼女とゆかりが僕の前を歩いていた。ふとひらめいた。彼女が一人になったときがチャンスだ。彼女にちゃんと謝って…。
 僕は距離をとってついて行く。突然、ゆかりが振り向いた。慌てて帽子で顔を隠す。…見つかってしまったのは確かだ。僕はなおも後を追う。彼女たちは何か笑っているようだ。きっと僕のことだ。ここまで来て諦めるのは…。僕は迷っていた。その時、二人が立ち止まった。とっさに物陰に入る。…彼女がゆかりから離れていく。ゆかりは僕を見つけると、にやりと笑って手を振った。そして自分の家の方へ歩いていく。
 僕はまだ迷っていた。あのゆかりの笑顔が気になった。あいつがあんな顔をするときは絶対何かあるからだ。彼女の歩いていった道は僕の家の方だった。もう迷っている時間はなかった。どんどん彼女が離れていく。見失うわけにはいかなかった。
 僕は、思い切って走り出した。
<つぶやき>取り返しのつかないことって誰にもありますよ。そういう私にも…。
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T:003「初めの一歩(いーっぽ)」3
 彼女が僕の家の前を通り過ぎたとき、彼女との距離十メートル。僕の頭の中はどう呼び止めようか、それしかなかった。
 声をかけようとしたその瞬間、彼女は僕の視界から……消えた? 僕はその場に立ちつくした。彼女の消えた先は…、隣の家!? 僕は急いで家に飛び込んで…、
「ねえ、母さん! 隣に引っ越してきた人ってさぁ…」
「ただいまでしょう。なに慌ててるの?」
「あっ、ただいま。だから、隣の人って…」
「上野さんよ。娘さんがあんたと同じクラスになったんだって?」
「そんな…」
「あれ、知らなかったの?」
「だって、会ったことないし…」
「いつもぎりぎりじゃない家を出るの。隣の子なんか余裕で出かけてるわよ」
「なんで教えてくれなかったんだよ」
「仲良くしてあげなさい。お隣さんなんだから。そうだ。呼びに来てもらおうか?」
「止めてくれよ。そんな…」
「あんな可愛い子が来てくれたら、あんたの遅刻もなくなるかもね」
「絶対だめ! そんなこと…」
「なにむきになってるの?」
 僕はそれ以上なにも言えなかった。階段を駆け上がり自分の部屋へ。なんで今まで気づかなかったんだろう。ゆかりは知ってたんだ。あの笑顔はこういうことだったんだ。明日、笑いのネタにされる。みんなの笑いものだ。僕は腹立ち紛れにカーテンを開ける。
 えっ…! 彼女だ。彼女がこっちを見ていた?
 僕は慌てて隠れる。なんで隠れるんだよ。…あそこが彼女の部屋なんだ。…そっと外を見る。彼女のいた窓には、カーテンが…。
 僕はこの偶然を手放しで喜べなかった。あんなことがなかったら…。僕はまたしても落ち込んだ。
 …ちょっと待てよ。隣に彼女がいるってことは、ひょっとするとチャンスかも。学校で駄目なら、ここがあるじゃない。ここだったらゆっくり話が出来るし、僕のこと分かってもらえるかも…。そう思ったら、なんだか心が軽くなった。
 僕は彼女の窓をいつまでも見つめていた。カーテンが開きますように、彼女が出て来ますように。そう心の中でつぶやきながら…。
<つぶやき>灯台下暗しってやつですか。よくあること(?)ですよね。ははは…。
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T:004「大空に舞え、鯉のぼり」1
 いつも引っ越してばかりで、私には故郷(ふるさと)と呼べるような場所はないんだ。転校したのだってこれで三回目。そのたびに友達を作り直さないといけない。これが結構大変なんだ。
 ママみたいにはなれない。ママはどこへ行ってもすぐに馴染んでしまう。これは才能の一つだわ。いつも感心しちゃう。私は不器用。それに…、みんなが思っているような良い子じゃない。可愛くもないし…。私は自分の顔が嫌いなんだ。この顔のせいでいつも苦労するの。もっとブスになりたい。本当の私は違うんだから。どこへ行ってもそうなんだ。いつも自分を装(よそお)って、みんなが思っているようになろうとしている。自分を誤魔化して…。
 今度だってそうなの。誰と友達になれば上手くやっていけるか。まず考えるのはこのことなの。これが今の私の唯一の才能なのかもしれない。ゆかりに近づいたのだって、彼女と友達になれば自分を守れると思ったから。…私はずるい子なのかもしれない。
 高太郎君の言ったことが、まだ私の中に突き刺さっている。自分の心の中を見抜かれてしまったような、そんな気がした。だから私も…。いつもならあんなことしないのに…。あれ以来、高太郎君とは気まずいままになってしまった。
 高太郎君は他の子とは違っていた。私を特別な目で見ないし、馴れ馴れしく話し掛けてくることもなかった。こんな子は初めてかもしれない。私もゆかりみたいになれたらいいのに。そしたらこんなカーテンなんか開けちゃって、彼に話し掛けることだって出来るのに…。もう一度やり直せたらどんなに良いか。…でも、私のこと嫌いだったら? もしそうだったらどうしよう。
 日曜日、ゆかりが突然やって来た。いつも元気だなぁ。悩み事なんかないみたい。
「よっ、さくら。何してるの? せっかくの休みなのに」
「別に…」
「何だよ、カーテン閉め切っちゃって。外、良い天気だぜ」
 ゆかりはカーテンを開けて、窓を全開にする。気持ちの良い風が吹き込んでくる。私の心のもやもやを晴らしてくれるように。
「あれ、あいつの部屋だ。こんなに近いんだ。ねっ、あいつと話したりしてる?」
「ううん…」
「いいなぁ、ここだったら夜遅くまで喋ってても怒られないよね」
 私はどう答えたらいいか分からなかった。ただ頷くだけ…。
「高太郎って良い奴だよ。ときどきバカやるけど。…あいつのこと嫌いになっちゃった?」
「そんなこと…」
「だったら、これから隣に行かない? 鯉のぼり、見に行こう」
 楽しそうにそう言って、私を強引に連れ出そうとする。私は突然のことに動転して…、
「行けないよ。私、嫌われてるもん」
「そんなことないって。いいわ、私が仲直りさせてあげる。もし高太郎がなんか言ったら、私がぶっ飛ばしてやるから」
<つぶやき>こんな頼もしい友達がいたら、頼ってしまうかもしれません。私は…。
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T:005「大空に舞え、鯉のぼり」2
「違うの。高太郎君は悪くないの。…悪かったのは私の方なんだから」
 私はすべてを打ち明けた。どうしてゆかりと友達になったのか。そして、高太郎君が言ったことは間違っていないって…。これ以上、嘘をつきたくなかった。本当の自分を取り戻したかった。これで友達をなくすかもしれないけど…、それでもいいって思った。
 でも、ゆかりの反応はまるで違っていた。ゆかりは私の言ったことを笑い飛ばして…、
「なんだ、そんなことで悩んでたの? 気にしない、気にしない。私だって似たようなことしてるから。実はね、自分の部屋が欲しくて、いま根回ししてるとこなんだ」
 ゆかりは四人兄弟の三番目。彼女以外はみんな男ばかり。私は一人っ子だから羨ましいんだけど、ゆかりに言わせると生存競争が激しいんだって。自分の欲しいものは主張しないと手に入らない。自分だけの部屋なんて夢のよう、なんだって。
「一番上の兄ちゃんが一人部屋で、もう一つの部屋は三人で使ってて。不公平だと思わない? それでね、その兄ちゃんが大学へ行くために家を出て行く予定だから、その部屋を狙ってるんだ。でも、問題なのがちゅうにい」
「チュウニイ?」
「あっ、二番目の兄貴。こいつも狙っててね。ちょっと強敵なんだ。母ちゃんは味方してくれるけど、親父がね。男同士の絆ってけっこう強いでしょう。それを崩すために作戦を練ってるんだ。ま、見ててよ。親父なんて娘には弱いんだから。中学に入るまでには手に入れるから」
 私は感心してしまった。彼女の行動力というか…、すごい。私だったらとても生きていけない。そんな気がした。
「さくらはいいよなぁ。一人で使える部屋があって。ねえ、泊まりに来てもいい?」
「えっ? …うん、いいよ」つい言ってしまった。
「やった! 私んち男ばかりでしょう。話し合わなくてさぁ」
 けっこう強引なんだ。この後、たびたび泊まりに来るようになった。最初のうちは私も戸惑っていたけど、だんだんゆかりのことがほんとに好きになってしまった。なんだか私にも姉妹が出来たみたいで…。私の両親も良い友達が出来てよかったねって。友達とこんな付き合い方をしたのは初めてだった。なんかとっても新鮮な感じ。
 ここは都会とは違って隣近所の付き合いが親密みたい。縁続きの人とか、親同士が学校で同級生だったとか。ゆかりと高太郎君のところも同級生だったんだって。それで小さいときから一緒にいたんだ。ちょっぴり羨ましいなぁ。
<つぶやき>田舎っていうのは、人付き合いが大切なんです。助け合っていかないと…。
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T:006「大空に舞え、鯉のぼり」3
「こらっ!」突然、ゆかりが叫んだ。「高太郎、何してんの」窓から高太郎君が顔を出す。「さっきから、こそこそこそこそ」
「いいだろ別に何してても…。そっちこそ何してんだよ」
 窓越しに言葉が飛び交う。
「私たちはいま大事な話をしてるの。邪魔しないでね」
「どうだか…。迷惑かけてるんじゃないの」
「そっちこそ、覗いてたくせに」
「…誰が覗くか。お前さ、その性格なおした方がいいよ。ちょっとはその子見習って…」
「その子って? 誰のことかなぁ?」
「誰って…。ほら、その、隣にいる…」
「あんたさ、さくらのこと好きなんでしょう」
<えっ? そんな!>私は慌てて…、「私は違うから、そんなこと…」なに言ってるんだろう、私…。
「さくら、ほんとにこんなんでいいの? こいつ性格悪いよ」
<もう、ゆかりったら…。>
「お前に言われたくないよ。だいたいな、昔っからそうなんだよなぁ。いつも人に責任押しつけて。作じいの柿、盗んだときだって…」作じい? どっかのおじいさん?
「えっ、何のこと? 忘れちゃった」ゆかり、何したんだろう?
「なんにも知らない俺に、これあげるって言って柿、渡しただろ。俺が盗んだって思われて、作じいにむちゃくちゃ怒られたんだからな」
「あんたが鈍くさいからよ」
<それ違うよ、盗んじゃだめ。>
「ねえ、さくら。いいこと教えてあげる」
<えっ?> 私、ついていけない。
「高太郎ね、木から下りられなくなってビーィビーィ泣いたことあるの。可笑しいでしょう」
<えっ、そうなんだ。>
「なに言ってるんだよ。あれは、お前が下りられなくなったから、助けに行ってやったんだろう。忘れたのかよ」優しいとこもあるんだ。
「あれ、そうだったっけ? でも、情けないよなぁ。下見て足がすくんじゃって…」
「お前が、あんなとこまで登るからだろ」そんなに高かったのかな?
「まったく、都合の悪いことはいつも忘れるんだよなぁ」
 この二人、仲が良いのかな? 悪いのかな? いつも喧嘩ばかりしている。でも、二人とも楽しそうだ。相手のことが分かっているから、何でも言い合えるのかな? 私もこんな風になれるといいなぁ。二人の話には割り込めない。私はただ笑って見ているだけ。
<つぶやき>幼なじみっていいですよね。何でも言えるし。でも、近すぎるとかえって…。
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T:007「大空に舞え、鯉のぼり」4
「ねえ、さくらが鯉のぼり見たいって。そっちに行っていい?」
<そんなこと言ってないよ。>何でそんなこと言うの?
「別にいいけど…」なんか、怒ってる?
「もっとさ、愛想よくしなさいよ。さくらが怖がってるでしょう」
<いいよ、そんな…。>
「あのな、お前の方が怖いよ」そんなことないよ。優しいよ。
「まったく素直じゃないんだから」
「素直だったらお前とは付き合えないよ。もういいからさぁ、来たかったら早く来いよ」
「ほんとは嬉しいくせに…。高太郎も下りて来いよ」
「残念でした。いま勉強してるから…」
<そんな、会ってくれないの?>
「何の勉強だか。どうせまたプラモデル作ってるだけだろ」そんな趣味があるんだ。
「いま手が離せないんだよ。ぜったい邪魔するなよ」
「幼なじみだろう。来なかったらぶっ飛ばす」駄目だよ、暴力は…。
「そんなこと関係ないだろ。下に隆がいるから、じゃれてろ。ただし、泣かすなよ」
「隆、居るんだ! さくら、行くよ。早く、はやく!」
<なに? どうしたの?>
 私はゆかりに急き立てられて、訳も分からず連れて行かれた。初めて入る高太郎君の家。外からは気づかなかったけど、広い庭があって…。ゆかりは庭で遊んでいる子を見つけると、「たかしーぃ!」って叫んで抱きついた。まだ小さな男の子。高太郎君の従兄弟なんだって。たまにお母さんに連れられて実家のここに遊びに来る。隆君はゆかりのことが大好きで、「おねえちゃん、おねえちゃん」っていつも呼んでいるんだって。
<ゆかり、楽しそうだなぁ。>
 あっ…、高太郎君。…来てくれたんだ。私はどうしたらいいのか分からなくて、俯いてしまった。どうしてだろう。…なんか不思議な気持ち。
「また遅刻かよ。もっと早く来いよな」ゆかりは隆君を抱き上げて睨み付ける。
「ちょっと隆のことが心配だったから来ただけさ。お前の馬鹿力で、怪我でもさせられたら大変だからな」
「そんなことあるわけないだろ。隆は、おねえちゃんのこと好きだよなーぁ」
「おねえちゃん、すき」
 隆君は笑顔で答える。とっても可愛い子。私にもこんな弟がいたらなぁ。
「隆、こんな奴と付き合うと苦労するだけだぞ」真顔で言ってる。
「なに訳の分かんないこと言ってんの。もういいから、向こう行けよ」
「何だよ。ここは俺んちだぞ」
「邪魔なんだよ。お前はさくらの相手でもしてろ」
<えっ? 私は…。>どうしよう。二人だけは駄目だよ。ゆかり…。
<つぶやき>誰でも小さな時ってあるんです。あの頃は、素直で可愛くて。でも今は…。
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T:008「大空に舞え、鯉のぼり」5
「さくら、ごめんな。あとよろしく」
<よろしくって。> そんな…。
「まったく…」高太郎君はまだ何か言いたげだったけど、私の方へ来て一言。
「こっち」
「えっ?」私が何のことか分からなくて戸惑っていると…。
「鯉のぼり」私と目を合わせないでまた一言。そのまま行ってしまう。
<ちょっと待って…。>
 私は彼の後を追って家の裏手へ。こんなところにも庭があるんだ。彼は上を見て、
「ほら」っと指さす。私はその指先を見上げる。
「わーっ、大きいーィ」思わずつぶやいちゃった。
 大きな鯉が風に揺れている。まるで生きているみたい。私は団地サイズの鯉のぼりしか見たことがなかった。こんな大きな鯉を間近で見られるなんて…。
「あのさ、こんなの普通だって」
<…そうなんだ。>
「ここ、けっこう眺めいいだろ。海だって見えるんだぜ」
「…ほんとだ」
 私は遠くに目をやる。ここは蛇行している坂道の上にあって周りがよく見渡せるの。私の家からだと、木とかあってあんまりよく見えないけど。ここからだとすごい。低い垣根の向こうに家が並んでいて、その向こうに海が輝いている。
「わーっ、きれいーィ」
「お前ってさ、何でも感動する奴だな」
「えっ、だって…」
「こんなの普通だって」
 また、普通って言われちゃった。でも、私にとっては初めて見るんだから仕方ないじゃない。
「ごめんな…」高太郎君が私の横でぽつりと言う。
<えっ?> ……。
「この間、言い過ぎた。ごめん」
 ぶっきらぼうに彼が言う。…何か言わなきゃ。でも、出て来た言葉は…、
「私もごめんなさい」それしか言えなかった。
<つぶやき>素直な気持ちになれれば良いんですが…。なかなか難しいですよね。
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T:009「大空に舞え、鯉のぼり」6
「なに謝ってるんだよ」
「だって私も…」
 高太郎君と目が合う。高太郎君は照れくさそうに笑う。私もつられて笑ってしまう。
「お前って、すっごい怖い顔するよな」
<えっ?>なによ急に…。「そ、そんなことないよ」そんなに怖い顔してたかな?
「だって、泣いたときの顔。すごかったぜ」
「私…、泣いてないよ」
「泣いてた」
「泣いてない」
「絶対、泣いてた。涙、出てたじゃない」
「絶対、泣いてない!」私、なんでむきになってるのかな? どうしちゃったの…。
「お前って、頑固だなぁ。もう、どっちでもいいよ」
「よくないよ。私、そんな弱い子じゃないもん」
「分かったよ。悪かった」高太郎君がまた笑う。私も負けずに…。
「この鯉のぼり、隆のなんだ」
「…そうなんだ」
 私たちは鯉を見上げる。これで友達になれるかな?
「なんだよ。仲良くやってるじゃない」ゆかりが隆君を連れてやって来た。
「久し振りにぶっ飛ばせると思ったのになぁ」
「あのな…。なに言ってるんだよ」高太郎君は笑いながらゆかりに抗議した。
 今まで沈んでいた私の心。ゆかりのおかげで救われた。やっと素直な気持ちになれたんだ。隆君が私に近づいて来て、
「おねえちゃん。こい、こい」そう言って上を指す。
 私はしゃがんで、「そうだね。おおきいねぇ」
 小さな子を見てると不思議と笑顔になる。とっても優しい気持ちになれるのは何でだろう。
「おねえちゃん、すき」
 隆君が無邪気な笑顔で抱きついてくる。すかさず高太郎君が…、
「そうか。やっぱり隆もこっちのおねえちゃんの方が良いか。優しそうだもんなぁ」
 次の瞬間、高太郎君が…飛んだ? ゆかりの蹴りが炸裂したんだ。ゆかりは腕組みして立っている。高太郎君、大丈夫なのかな?
 ゆかりはまた「たかしーぃ!」って言って抱きすくめる。ほんとに好きなんだ。高太郎君は痛そうに笑っている。良かった。
 私は鯉のぼりの空を見上げる。空ってこんなに青くて大きいんだ。なんか初めてほんとの空を見たような、そんな気がした。なんだか嬉しくなってきた。私はこの広い景色を眺めながら、ここへ来て良かったなってそう思っていた。素敵な友達も見つかったし…。
<つぶやき>友達って、喧嘩もしちゃうけど、側にいるだけでほっとするというか…。
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T:010「雨のち晴、いつか思い出」1
 今日も雨。あめ、あめ、あめ…。雨が続く。いつになったら晴れるのか。雨の日は嫌いだ。…僕の心にはポッカリと大きな穴が空いている。僕の世界の一部が消えたんだ。大好きな、大好きな…、おばあちゃん。…雨の日に、おばあちゃんが亡くなった。一年くらい前まで一緒に住んでいた。病気になってからはおばさんの家へ。おばさんが看護師の資格を持ってたから、その方が良いだろうってことになって。お母さんはときどき手伝いに行っていた。お父さんも仕事の帰りに見舞いに行く。僕だってお姉ちゃんと一緒に…。
 僕には姉がいる。二つ上で中学生。二人で行くと、おばあちゃんはいつも笑顔で迎えてくれた。そして必ずと言っていいほど聞いてくる。「仲良くやってるかい?」って。おばあちゃんがいた頃、よく喧嘩をした。いま考えると、喧嘩の原因って何だったんだろう? よく思い出せないや。きっとたいしたことじゃなかったんだ。そういえば、おばあちゃんが病気になってからしてないや、喧嘩。
 おばあちゃんは面白い人だった。いろんな事を知っていて、僕たちをいつも驚かせる。おばあちゃんは遊びの天才。いろんな遊びを教えてくれた。おばあちゃんにかかったら勉強だってゲームになってしまうんだ。昔は学校の先生をしていたらしい。きっと、人気があったんだろうなぁ。おばあちゃんはいろんな事が出来るんだ。絵を描いたり、詩を作ったり、ハーモニカを聞かせてくれたこともあった。僕たちにとっておばあちゃんは、憧れだったのかもしれない。とっても大好きな…。
 おばあちゃんはいつも優しかった。でも、怒らせると大変なことになる。僕たちが人に迷惑をかけたときとか行儀が悪いとき、よく怒られた。それと、二人で喧嘩したときも。おばあちゃんの部屋に呼ばれて、緑色のにがいお茶を飲まされる。それも正座をしないといけないんだ。でも、お姉ちゃんは美味しそうに飲んでいる。こんなのが好きなのかな?僕には信じられなかった。おばあちゃんのお説教はその時々によって長さが違う。数分で終わるときもあるし、一時間を超えるときもある。たいていは何でそんなことしたのかって聞かれて、なぜ怒っているのか教えてくれる。僕にもちゃんと分かるように。
 いつだったか、お姉ちゃんとすごい喧嘩をしたことがある。取っ組み合って叩いたり、蹴ったり、物をぶつけたり。お姉ちゃんを弾みで突き飛ばしたとき…、怪我をさせてしまった。今でも覚えてる、その時のこと。お父さんはお姉ちゃんを抱きかかえて病院へ。僕はお母さんにひどく怒られた。おばあちゃんは悲しそうな顔で僕を見ていた。お姉ちゃんの腕にはその時の傷がまだ残っている。今でもその傷を見ると…。でも、お姉ちゃんは冗談半分に、「これでお嫁に行けなかったら、あんたに一生面倒見てもらうから」だって。まったく、勘弁して欲しい。お嫁に行けないのはお姉ちゃんの容貌と性格の問題だ。そんなことまで責任は持てない。…でも、もしそうなったらどうしよう。
<つぶやき>子供の頃、姉弟でたまに喧嘩をした。今となっては、良い思い出かな…。
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T:011「雨のち晴、いつか思い出」2
 喧嘩をした次の日、僕たちはおばあちゃんに呼ばれた。二人とも覚悟していた。あんな騒ぎになってしまったんだから…。叩かれるかもしれない。「姉ちゃんも悪かったんだから、一緒に怒られようね」って、いつになく優しいお姉ちゃん。僕はどきどきしながら、お姉ちゃんの後に付いていく。
 おばあちゃんは僕たちを座らせて、ただ黙ってお茶をいれてくれた。いつものように。僕たちがお茶を飲み終わると、昔の話しをしてくれた。おばあちゃんがまだ小さかった頃の…。
 おばあちゃんの生まれた家は食堂をやっていた。家族だけでやっている小さな食堂。今みたいに便利な電気製品とか、インターネットなんてなかった頃。まだまだ貧しい人が多くて、生きていくのが精一杯だった時代。おばあちゃんはお父さんとお母さん、それからお兄さん、お姉さんと一緒に暮らしていた。上のお兄さんとは十以上も歳が離れていたんだって。おばあちゃんは小さいとき身体が弱くて、僕くらいの歳のときに死にかけたことがある。病院の先生から「もう駄目かもしれない」って言われたとき、お父さんが病室にやってきて励ましてくれたんだって。
「すず子…、どうだ身体の調子は?」「お父さん…。お店はいいの?」
「ああ、賢治兄ちゃんたちがいるから大丈夫だ。早く元気になれ」「…なれるかな?」
「なに言ってる。お前は父さんと母さんの娘だ。元気になれる」「…うん」
「何か欲しいものはないか? 父さん、何でも買ってやるぞ」「別にないよ」
「何かあるだろう? いいから言ってみろ」「……勉強。学校で勉強がしたいよ」
「…そうか。ずいぶん休んでるからな」「みんなと一緒に勉強がしたい」
「よし、やらせてやる。嫌になるくらいやらせてやる」「嫌になんかならないよ」
「そうか。…元気になれ。みんな学校で待ってるぞ。お前が戻ってくるの」「…うん」
「…母ちゃんや兄ちゃん、姉ちゃんも、もうすぐ来るからな」「お店は?」
「今日は早仕舞いだ。みんな、お前の顔が見たいんだよ」「今日じゃなくてもいいのに…」
「店のことなんていいんだよ。お前が早く元気になってくれれば…」「……」
「それでな、すず子は人の役に立つ仕事をするんだ」「じゃ、お店。手伝うね」
「…えっ?」「お父さんの作ったオムライス、お客さん美味しそうに食べてたよ」
「…お前は、もっと大きなことをやれ。あんなちっぽけな店なんか…」「でも、好きだよ」
「…早く元気になれ。元気になっていっぱい勉強して、大きな夢をもて」「ゆめ?」
「そうだ。お前だけの大きな夢だ」「…もてるかな?」
「ああ、もてるさ。がんばれ。みんなで応援するからな。約束だぞ」「…うん」
 この後、おばあちゃんは奇跡的に助かった。少しずつ良くなってきて、半年後には退院したんだって。おばあちゃんはそれから一生懸命勉強した。約束を守るために。もちろん、店の手伝いもして…。すごいよね。僕だったらとても出来ないかも。お母さんの手伝いもあんまりしてないし…。
<つぶやき>今はすごく便利で快適な生活だけど、大切なことを忘れないで下さいね。
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T:012「雨のち晴、いつか思い出」3
 おばあちゃんはいっぱい勉強して大きな夢をつかんだんだ。学校の先生っていう夢を。でも、先生になって一年もたたないある日、お父さんが突然倒れて亡くなったんだって。まるでおばあちゃんが独り立ちするのを待ってたように…。おばあちゃんはいっぱい泣いたって言ってた。あの約束があったから今まで頑張ってこれたのに、これから何を頼りに生きていけばいいの…。
「おばあちゃんはね、そのとき気づいたんだ。とっても大切なことに…」
「大切なことって?」お姉ちゃんが悲しそうな顔で聞く。
「それはね、今まで沢山の人に助けられていたんだってこと。病気のときもそうだったし、元気になってからもいっぱい助けてもらった。家族や、先生や、友達にね」
「そんなにいっぱい?」「そうよ」
 僕にはよく分からなかった。この時は…。
「おばあちゃんは、それを返さなくちゃいけないってそう思ったの。沢山もらったものをみんなにも分けてあげなくちゃって。おばあちゃんね、それから頑張ったわよ。泣いてる暇なんてなかった。あなたたちも沢山の人に助けられているの。それを忘れないでね」
「ごめんなさい」素直に言えた。
 なんか変な感じだ。お姉ちゃんもそうなのかな? 僕はおばあちゃんがこんな思いをしていたなんて…。僕には想像もつかなかった。
「おばあちゃんはどうやって夢を見つけたの?」お姉ちゃんが聞いた。僕も聞きたかった、どうやったのか。
「さあ、どうだったかな? 気がついたら、いつの間にか先生になってたね」
「私にも見つかるかな?」「どうかな?」「私、頑張るから…」
「ふふ、大丈夫だよ。私の孫だからね。きっと見つかるよ」
「僕も?」
「ああ。今すぐは見つからないかもしれないけど、いつかきっと見つかるさ」
「ほんとに?」
 おばあちゃんは笑っていた。いつもの笑顔だ。
「でもね、これだけは忘れないでね。夢をつかむための心得」
 えっ? 何だろう。二人して真剣に聞いている。いつもこんな風に引き込まれていくんだ。おばあちゃんの世界に…。
「それはね、のびのびとした想像力と、どんな事にも立ち向かう勇気。そして、これが大切よ。人を思いやる優しい心。…忘れないでね、約束よ」
 この時は、おばあちゃんの言ったことがよく分からなかった。でも、今は分かる気がする。たぶん…。おばあちゃん。おばあちゃんとした約束、ちゃんと守るからね。僕もいつか大きな夢を見つけるんだ。おばあちゃんに負けないくらい大きな夢。お姉ちゃんも、絶対そう思ってる。ずっとずーっと、おばあちゃんのことは忘れない。
<つぶやき>大切な思い出は、そっと心にしまっておきましょう。明日の幸せのために。
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T:013「雨のち晴、いつか思い出」4
 生命(いのち)って何だろう? 僕には難しいことはまだ分からない。でも、消えてしまったら二度と戻ってはこない、大切なものなんだよね。大事にしなきゃいけないんだ。人はいつかは死んでしまう。悲しいことだけど、どうすることも出来ないんだ。だから、生きている間は、側にいられる間は、笑顔でその人を見ていたい。
 そういえば「一期一会」って言葉をおばあちゃんに教えてもらったことがある。生きている間に出会える人は限られている。生涯に一度しか会えない人もいる。だからひとつひとつの出会いを大切にしないといけない。悔いのないようにしなさいって…。ありがとう、おばあちゃん。
 放課後の教室で、一人で空を眺めていた。雨はやみそうもない。僕はおばあちゃんのことをずっと考えていた。いろんな思い出が甦ってくる。…まだ僕の心には穴が空いている。今の僕にはどうすることも出来ない。思い出すのは楽しいことばかりなのに、おかしいよね。でも、この悲しみもいつか思い出に変わるんだ。おばあちゃんと暮らしたあの時間、あの空気が僕の宝物になる。掛け替えのない宝物…。
 僕は気づかなかった。さくらが来ていたことを…。彼女は僕の隣に座った。何も言わず、ただ横に座った。優しい目で僕を見つめて…。僕も何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。僕たちは外を眺めた。二人ならんで、雨の降る校庭を…。彼女のぬくもりが伝わってくる。彼女の優しさが身にしみた。僕の心、悲しみで濡れた僕の心。少しずつ、暖かくなってくるのを感じた。
 校庭の片隅に紫陽花が咲いている。…今まで気づかなかったなぁ。雨の日なのに奇麗に咲いて、まるで雨の日を楽しんでいるようだ。雨の日に、おばあちゃんと散歩したことを思い出した。
「雨はいろんなものを洗い流してくれるんだよ。自然の緑が生き生きとするように、私たちにも安らぎや活力を与えてくれているのかも…」
 大きく深呼吸した。僕もこの雨から生きる力をもらおう。明日もがんばれるように…。
 さくらが僕に視線を向ける。その目は「大丈夫?」って言ってるようだ。僕は彼女の優しさが嬉しかった。僕はかるく微笑んで、心の中で「ありがとう」って言った。彼女は笑顔で答えてくれた。
「一緒に帰ろう」彼女は僕の手を取った。僕は素直に従った。
 さくらといた時間は、ほんの数分だけだった。でも、とっても長く感じた。僕たちは雨の中、二人で歩いた。いつもの道なのに、いつもと違う。周りの景色が新鮮に見えてくる。僕はいつになくお喋りになっていた。傘の中で彼女が笑う。僕はいつまでもさくらの笑顔を見ていたい。なぜか、そんなことを思っていた。…雨の日が、少しだけ好きになれたかもしれない。
<つぶやき>忙しい毎日。ちょっと深呼吸してみませんか? 心に潤いを与えましょう。
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T:014「おまつりの夜」1
 もうすぐ夏祭り。七夕まつりが始まる。私は初めてだから、わくわくしている。いつもは静かなこの町も、この三日間は騒がしくなるんだって。
 商店街には大きな笹飾りが取り付けられて、屋台がいっぱい並ぶの。いろんなイベントもあるんだって。のど自慢とか、ヒーローショー、それに仮装行列。青年団や商店街の人たちが企画したゲームコーナー。聞いているだけで楽しくなってくる。最後の夜には花火が上がるんだって。海の花火! 私は一度も見たことがない。きっと奇麗なんだろうなぁ。
「ねえ、さくらはお祭り見に行く?」ゆかりが聞いてくる。私は、
「どうしようかな…」曖昧に答える。
 実は、一緒に行ってくれる人がいないんだ。パパもママも町内会の手伝いで、私の相手をしている暇はない。一人で行くのは…。
 私、方向音痴なんだ。この町には私の知らない場所がいっぱいある。知らない所に一人で行くのが怖いの。前に住んでいた所で迷子になったことがある。一人で泣きながら歩いていた。道を一本間違えただけだったのに…。
 親切なおばさんが私を交番まで連れて行ってくれた。私が泣いてばかりで、何も話さなかったから…。
 お巡りさんは私にお菓子をくれた。私は、それでやっと落ち着いた。お巡りさんに住所を聞かれたんだけど、まだ引っ越したばかりだったから覚えてなくて。でも、近所にあるお店を覚えていたから、そこまで連れて行ってもらって…。
 なんとか家にたどり着いて、ほっとした。ママの顔を見たらまた泣いちゃった。それ以来、知らない場所に一人で行けなくなってしまったんだ。恥ずかしいけど…。
「私も行きたいんだけどなぁ」
「ゆかりは行かないの?」
「家の手伝いしないといけないから。親戚の人とか、お客さんがいっぱい来るの。ご馳走作るの手伝ったり、いろいろあるのよ。兄ちゃん達はどうせ遊びに行っちゃうし。弟は、あてにならないから」
 …大変なんだ。と思いつつ、ゆかりが料理するところを想像できなかった。
「料理、出来るの?」思わず聞いちゃった。
「失礼しちゃうなぁ。私だって出来るわよ、それくらい」…そうなんだ。
「私も手伝ってあげようか? どうせ一人だから、暇なんだ」
 実は、ゆかりが料理するのを見てみたかった。ちょっとした好奇心。ゆかりには内緒だけど…。
<つぶやき>人それぞれ、得手不得手があるものです。得意なことを極めましょう。
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T:015「おまつりの夜」2
 ゆかりと二人でお手伝い。とっても楽しかったよ。ゆかりのお母さんは面白い人だった。冗談ばっかり言って、私をいつも笑わせる。おばさんの手料理、美味しかったなぁ。ゆかりが料理上手だってことも分かる気がする。いつもお手伝いをしているんだ。私も少しだけ教えてもらった。
「そんなに面白い? またいつでもおいで、教えてあげるから」って、おばさんが言ってくれた。また教えてもらうんだ、絶対。
 おばさんの料理は豪快だ。大きな鍋を使ってどっさり作る。家族が多いから大変だよね。
「こんな田舎の味じゃ、お嬢さんの口には合わないかもね」
「とっても美味しいです」私は正直に答える。ママの味より美味しいかも…。
 ママはたまに手抜きをする。何でも手早くやらないと気が済まないみたい。それでときどきパパに叱られる。ママは、「効率よく家事をしてるの。私がいるからパパも気持ち良くお酒が飲めるんじゃない」って、笑いながらパパにお酒を注ぐ。
 こうなるとパパは何も言えなくなる。ママの笑顔には弱いんだ。この二人、ちょうどいい感じなのかな。言いたいことは言い合うんだけど、あんまり喧嘩にならない。何でだろう? 不思議な夫婦だ。…理解できない。
 お祭りの最後の日。いよいよ花火だ。今日もゆかりの家へ。お昼の後片付けをすませてのんびりしていると、おばさんが冷たい麦茶を持ってきてくれた。
「さくらちゃん、ありがとね。ほんと助かったわ」この三日間、ほんとに大変だった。
「あのーォ、私にも言ってよねぇ。手伝ったんだから」ゆかりがふくれてる。
「あんたはいいの」
「そんなぁ…」
「それより、これからさくらちゃんをお祭りに連れて行ってあげなさい」
「えっ、行ってもいいの?」
「さくらちゃんは初めてなんでしょう、ここのお祭り」
「はい」お祭りに行ける。やったーぁ。
「今からでも楽しめるよきっと。それに花火もあるしね」
 おばさんは私にお小遣いをくれた。お手伝いをしたお礼だって。
「私も手伝った」
「この前、あげたでしょう」
「お祭りよ。欲しいものあるし…」
「しょうがないね。お兄ちゃん達には内緒だよ」
 ゆかりはちゃっかりしてる。さすがだ。
<つぶやき>お祭りって、わくわくしますよね。それは大人になっても変わりません。
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T:016「おまつりの夜」3
 私たちは商店街に足を踏み入れた。いっぱい人がいる。焼きそば、綿菓子、イカ焼きにたこ焼き…。おなじみの屋台が並んでいる。私たち、もしかして食い気にはしってる? とにかく、食べ歩きの始まりだ。二人して歩き回った。ゆかりはゲームをやって賞品を手に入れた。こういうの得意なんだ。私なんかぜんぜんだめだった。
「あっ! こっち」ゆかりが何かを見つけた。走っていく。
 …待ってよ。私は追いかける。そこには小さな子がいっぱい集まっていた。ぬいぐるみのショーをやっているんだ。クマさんが景品を子供たちに配っている。ゆかりはクマさんの後ろに回って私を呼ぶ。なんで後へ行くの? 私がゆかりの横に立つと、いきなりクマさんの頭をおもいっきり叩いた。
「いてっ」…クマが喋った。私が呆気にとられていると、クマさんが振り返った。私を睨んでいるようだ。ゆかりはいつの間にか消えている。そんな…。私が叩いたって思ってる。クマさんが近づいてくる。私は「ごめんなさい」って、走って逃げた。
 なんで私が謝るの? この時、高太郎君の気持ちが少し分かったような気がした。ゆかり、どこ行っちゃたのよ。もう…。私はゆかりを捜して歩き回った。
 ゆかりが、…いない。どこにもいない! …ねえ、どこ行っちゃたの? ゆかり!
 …だんだん不安になってきた。闇雲に探し回る。どこにもいない。どこにも…。どうしよう。私…、帰れない。ここはどこなんだろう? …方角が分からない。どうすればいいの。ゆかり…。早く出て来て…。お願い…。私を見つけて!
 だんだん暗くなってきた。人はどんどん増えてくる。みんな同じ方向に歩いていく。花火を見に行くんだ。私はその人波に流されて…。どこまで行くの。…ゆかりが見つからない。どこへ行っちゃったの? 周りを見回しても、知らない人ばかり。…怖い。怖いよ。どうしたらいいのか、何も考えられない。昔のことが…、迷子になったときのことが甦る。
 私は必死になってゆかりを捜す。早く来て! もうだめ…。
 いつの間にか海岸まで来ていた。人の波はそこで止まった。…どうしよう。どうやって帰ればいいの。ゆかり! 私は途方に暮れた。どんどん不安がこみ上げてくる。身体が震えてきた。涙があふれそうになって、私はしゃがみ込んでしまった。
「おい、さくらじゃないか?」
「あれ、さくらだよ」誰かが私の名前を…。
「さくら、どうした?」誰かが私に…。
 私は震えながら顔を上げる。知ってる顔…。私の知ってる顔!
「高太郎!」私は思わず抱きついた。高太郎君しか見えなかった。…涙が止まらなかった。周りにいた男の子たちも心配そうに私を見ている。なんだか、恥ずかしくなってきた。なんで涙が出るのよ。私は落ち着こうと、何度も深呼吸した。
<つぶやき>迷子になったら慌てず引き返そう。人生に迷ったら立ち止まり見回そう。
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T:017「おまつりの夜」4
「どうしたんだ?」高太郎君が優しく聞いてくれた。
 私は彼の服を握りしめていた。なんだか小さな子供みたい。でも、放せなかったんだ。放したらまた一人になってしまう気がして…、
「分からなくて…。分からなくなっちゃって…」
「なになに、何でも聞いてよ」「こいつよりも僕の方が…」「俺もいるから」
「お前、なに抜け駆けしてるんだよ」「うるさいな、俺のアイドルなんだよ」
「いつからお前のアイドルになったんだよ」「お前のじゃないだろ。俺たちのだろ」
「そうだ。俺たちの…」「うるさいよ、静かに…」「お前、近づきすぎ」
「離れろよ」「お前こそ…」「なんだよ」
 男の子たちがふざけ合っている。私を元気づけてくれてるんだ。…みんな優しいんだ。
「お前ら、もういい加減にしろよ」
 高太郎君の一言で静かになる。私は、やっと落ち着いた。
「一人で来たの?」「ううん」
「じゃ、家族と来てるんだ」「なんで一人なの?」「もしかして、はぐれちゃった?」
「ゆかりと来たんだけど…。いなくなっちゃって」
「あいつかよ。しょうがないな」高太郎君が怒ってる。そんなに怒らないで…。
「私もいけなかったの。ゆかりのこと見つけられなくて。探してるうちに道が分かんなくなっちゃって…」
「迷子になったんだ」「俺たちがついてるからもう大丈夫だよ」「僕が案内してあげるよ」
「いや、僕が…」「なんだよ」「あの、これあげる」えっ? …赤い風船。
「これがあれば目印になるだろ。またはぐれてもすぐに見つけられる」「じゃ、俺のも」
「お前らな…」「持ってない奴は黙ってろ」「なんだよ、くそーォ」
「ありがとう」嬉しかった。こんな私のことを…。ほんとに嬉しかった。
「一緒に花火見よう」「行こうよ」「今日はついてるよな」「俺、良い場所知ってる」
「でも、ゆかりが…。私のこと探してるから」
「じゃ、みんなで探してやるよ。どこではぐれたの?」
 高太郎君がみんなに指図する。「商店街だって。じゃ、頼んだぞ」
「おいおい、高太郎は来ないのかよ」
「さくらを一人に出来ないだろ」
「きたねぇ、一人だけ…」「抜け駆けかよ」
「いいから、早く行けよ。黒猫で待ってるから。頼んだぞ」
 みんなは少し不満そうだった。でも、まるで競争のように走っていく。
「黒猫って?」どこなんだろう?
「行けば分かるよ。海岸通りにあるんだ。すぐ近くだよ」私たちは人混みを歩いていく。
「はぐれるといけないから」そう言って私の手を取ってくれた。
<つぶやき>困ってるときは助け合わないとね。でも、見返りを求めちゃいけませんよ。
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T:018「おまつりの夜」5
 黒猫亭。ここがそうなんだ。喫茶店? それともおもちゃ屋? 雑貨のお店? 表からは何のお店なのか分からない。それに、今日は人がいっぱいいるのにお休みになっている。なんで営業してないの? 高太郎君は構わず入っていく。私も恐る恐るついて行く。店内にはいくつも棚があって、昔のおもちゃとか訳の分からないものが飾ってある。これって、アンティークっていうのかな? 小さな物から大きな物まで、ごちゃごちゃに置いてある。テーブルとカウンターがあって…。たぶん食堂か喫茶店なのかな?
「おっ、久し振りじゃない」髭のおじさん。ここの人なのかな?
「今日は、悪戯坊主と一緒じゃないんだ」
「後から来るよ。今日は休みなの?」
「一人でやってるからな。こんな日に店開けたら大変なことになるだろ」
「そうだね」
「あれ、彼女初めてだね。高ちゃんも隅に置けないねぇ。こんな可愛い子…」
「そんなんじゃないよ」
「そうです。そんなんじゃありません」私もつい言ってしまう。
「でも、ちょっと顔色悪いな。大丈夫?」
 何だかさっきから少し気分が悪いかも…。高太郎君も心配してくれて、
「あいつが来るまで横になったら」「大丈夫だから…」
「そうだ。おじさんが特製ジュースを作ってやろう。これ飲んだら、元気百倍になっちゃうんだから。ちょっと待ってろ」そう言っておじさんは厨房に入っていった。
 私の知らないことがまだあるんだ。後で聞いたんだけど、このおじさんは高太郎君のおばあさんの教え子なんだって。ここにはおばあさんとよく来てたらしい。それにゆかりや他の子たちも遊びに来てるんだって。私にはちっとも教えてくれないんだ。この店には猫が来るんだって。それも黒猫。私はまだ一度も会ってないんだけど、時々やって来ては泊まっていく。
「家に入ってくる猫は入り猫って言って、幸せを運んでくれるんだ」
 おじさんが嬉しそうに話してくれた。私も一度でいいから会ってみたい。
「ほら、これ飲んでみて。元気出るから…」
 おじさんが戻ってきて私に勧める。緑色のドロドロした…。何だろう? 高太郎君を見る。なぜか目を合わせないで横を向いた。変なの…。
「ありがとうございます」そう言ってコップを取ろうとしたとき…。
「さくらーっ!」ゆかり…。
「ごめんね、さくらぁ…」私は立ち上がって、
「ゆかり、どこにいたのよ」二人して抱き合った。なんで二人で泣いてるんだろう。
「ゆかりが泣いてるよ」誰かが言った。男の子たちが笑ってる。
「誰にも言うなよ。言ったらぶっ飛ばす」ゆかりも笑ってる。私も…。
<つぶやき>自分のことより人のことを心配する。そんな人に、私はなれるだろうか?
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T:019「おまつりの夜」6
「悪戯坊主じゃないか。元気にしてたか?」坊主ってゆかりのこと?
「おじさん、坊主じゃないって言ってるだろ」「そうか?」
「見れば分かるだろ。男じゃないって」「そうだったんだ。知らなかったなぁ」
「あのね、この前も同じこと言わなかった?」「いや、この前は坊主だったじゃない」
「もう、むかつくぅ」
 おじさんはゆかりのことをからかっている。楽しそうに。
「そうだ、坊主も飲むか? 特製ジュース」「えっ?」
「このお嬢さんにいま作ってやったんだ。元気が出るぞ」
「それは…」
「私の半分あげるよ。あんなに飲めないし」
「私はいいよ。さくらのなんだから、飲んで」
「そぉ。飲んでもいいのに…」この時、私はまだ知らなかった。このおじさんのことを…。
 私は座ってコップを持った。せっかく作ってくれたんだから…。おじさんは笑って見てる。えっ? みんなも私を見つめてる。「どうしたの?」
 みんな、なんか変だ。何も答えてくれない。私はコップを口に持っていく。いい香りがする。何だろう? ひとくち、飲んでみる。
「うっ、ぐぇーっ! なにこれ…。飲んじゃった!」私は咳き込んで…。吐きそう。
「大丈夫か? さくら」なによ、高太郎。大丈夫じゃない! 気持ち悪い…。
「おじさん、今度はなに入れたの?」
「えっ、そんなにまずかったか?」まずい!
「おかしいな? いい匂いしてるから美味しいと思ったんだけどなぁ」
「ちゃんと味見してから出せよな」ゆかり、ありがとう。「でもさくら、へんな顔してた」
 ゆかり、なに笑ってるのよ。こっちは死にそうなんだから…。あっ、高太郎君も笑ってる。みんなも…。知ってたのね。知ってて知らん顔して…。もう、ひどい!
「…駄目か。今度はいけると思ったんだけどな」
 何度もやってるの? 私だけじゃないんだ。他にも犠牲者が…。
「何なんですか、これ」私は聞いてみた。
「聞きたい?」おじさんは嬉しそうだ。
「さくら、やめた方が良いよ。聞かない方が…」
 ゆかりが真剣な顔で言う。そんな変な物が入ってるの!
「やっぱり、いいです」聞く勇気がなかった。
 おじさんはがっかりしてる。聞いて欲しかったみたいだ。
 このおじさんの作る料理はとっても美味しいらしい。でも、新しい料理の研究をしてて、あり得ない食材で料理をすることがある。
「おかしいなぁ、ちゃんと食べられるもので作ってるんだけど…」
 おじさんの言い訳。もっと普通のを作ってよ。お願いだから…。
<つぶやき>私も美味しい料理を作ろうとしてるんです。でも、うまくいかなくて…。
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T:020「おまつりの夜」7
 何処かでドーンと音がする。誰かが、「あっ、花火始まっちゃうよ」「早く行こうよ」
 みんなは表に飛び出していく。私も行こうとして…。えっ、目の前が暗くなって…。
 ゆかりが私を支えてくれた。立ちくらみ? どうしちゃたのかな…、変だ。おじさんが座らせてくれた。
「大丈夫か? 顔色が悪かったからな。人混みの中にいたから、疲れちゃったんだろう」
 おじさんは私に水を持ってきてくれた。
「帰って休んだ方が良いかもな」そんな…。
「家はどこ? おじさんが送ってあげるよ。どうせ暇だしな」ゆかりも、
「私も行く。さくらをちゃんと帰さないといけないから」
「…じゃ、俺も付き合うよ」「高太郎はいいよ」「どうせ隣だし…」
 他の男の子たちが、「行かないのかよ」「なんだ…」「残念だなぁ」
「ごめんね。一緒に行けなくて…」みんなに謝った。私のために走り回ってくれたのに。
「気にしなくていいって」「早く元気になってね」「また、学校で…」
「お前は馴れ馴れしいんだよ」「いいだろ」「お前も近づくな」また揉(も)めてる。
「ありがとう。ほんとにありがとう」私は感謝した。
 みんなは、はしゃぎながら海岸の方へ走っていった。
 私はおじさんに背負われて家路につく。私の知らない道。裏道なんだって。こっちの方が近いらしい。さっきからゆかりと高太郎君が私のことで喧嘩している。
「お前、何やってたんだよ」「ごめんって言ってるでしょう」
「泣いてたんだぞ」「分かってるよ。もう言わないで。反省してるから…」
 今度はゆかりの方がやられてるみたい。
 なんだか熱が出て来たのかな? ぼーっとしてる。ここはどこ? 坂道を登ってるみたい…。後の方で音がしている。ドーン、ドーンって…。花火が始まっているんだ。私の身体にも響いてくる。見たかったなぁ、花火。せっかく楽しみにしてたのに…。
「起きてるか?」えっ?
「ここからでも奇麗だぞーぉ」
 私は目を開ける。花火が見えた! 海にもきらきら映ってる。
「わーぁ、きれいィ」少し元気になれた。ほんとにきれいなんだよ。
「少し見ていくか」おじさん、ありがとう。私は嬉しかった。
 私たちはしばらくそこで花火を楽しんだ。夜風が心地よく吹いてくる。これでお祭りも終わりなんだ。私はこの三日間のことを思い出していた。いろんな事があったなぁ。すごく楽しかった。初めての経験もいっぱい出来たし。…最後には花火。夢にまで見た花火が見られたんだ。…私はいつの間にか眠ってしまった。おじさんの背中で、花火の音を聞きながら…。
<つぶやき>子供の頃の感動は、大人になっても心に残ってますよね。今の子供にも…。
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T:021「夏休みのこわーいお話」1
 いよいよ夏休み。僕らの夏がやってきた。通信簿の難関はあったけど、なんとか切り抜けた。今年はさくらもいるし、楽しくなりそうだ。
 僕たちの学校では、夏休みになると秘密の行事があるんだ。秘密といってもみんな知ってるんだけど。この行事を誰がいつ始めたのか、今では誰も知らないみたい。残っている記録で一番古いのは、昭和三十年頃なんだって。なんの行事かというと、それは肝だめし。
 毎年、一つのクラスだけが参加できる。この取り決めは最初に始めた人たちが作ったんだって。その伝統が今でも続いている。五、六年のクラスでクジ引きして、一つのクラスを決めるんだ。そんなの不公平だって意見もあったみたいだけど、誰もこの伝統を変えようとはしなかった。
 昔は選ばれると喜んでたのに、今はそうでもないみたい。準備とか大変だし、遊ぶ時間も減ってしまうから。やりたくないって思ってる先生もいるみたい。僕のお父さんはすごくラッキーだったんだ。二年続けて選ばれた。お母さんは六年のとき。肝だめしがきっかけで、二人は付き合うようになったらしい。初恋だったかどうかは分からない。そこまでは教えてくれないから…。
 今年はどういう訳か、僕らのクラスが選ばれた。お父さんの喜びようといったら、家族全員が呆れてしまうほどだ。何でこんなにはしゃいでいるのかというと、父兄も準備や脅かす方に参加できるからだ。まるでお祭り気分。
 でも、これよりももっと上がいた。何倍も何十倍もはしゃいでいる人。それは僕らの担任だ。久美子先生。まだ若い先生なんだけど、ちょっと変わってるんだ。生徒を脅かすことに生き甲斐を感じちゃったみたい。大学で超常現象の研究サークルに入っていたらしい。誰かがそんな噂をしていた。先生の部屋にはホラー映画のビデオやDVD、それに訳の分からない怖そうな本がいっぱいあるんだって。外見からはそんな風には見えないんだけどなぁ。
 久美子先生はドジなところがある。先生なのに忘れ物をよくするんだ。出席簿を手始めに、採点した答案用紙とか。今でも語られているのが、通信簿事件。普通、忘れないよね。いつもは優しい校長先生も、この時ばかりは…。いつだったか、久美子先生が教頭先生に絞られているのを目撃したことがある。ちょっと可哀想になっちゃった。
 明るく元気で何でも一生懸命、それが先生の信条なんだって。ちょっとやりすぎる時もあるけど、優しくてとっても素敵な先生なんだ。少し天然が入っているけど…。本人はそのことにはまったく気づいていない。そこがまた良いのかも…。
<つぶやき>学校の行事って、けっこう思い出に残っているものです。私もじつは…。
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T:022「夏休みのこわーいお話」2
 肝だめしは何十年も続いているから、かなり本格的なんだ。昔から使っている道具もちゃんと残してあるし、今では大がかりなイベントになっている。だから父兄の参加は必要なんだ。道具の修理や、新しい装置を作ったり。最後の打ち上げ会の準備なんかもある。これも楽しみのひとつなんだよね。外で食べるご馳走、美味(うま)いんだから。僕は脅かす方になったから、学校でいろんな作業を手伝っている。どうやって脅かすか、いろいろ考えてるんだ。これがけっこう楽しい。久美子先生も張り切ってる。命かけてるかも…。
 学校での作業を終えて帰ってきたら、家でゆかりが待っていた。なにか企んでる。そんな予感がした。ゆかりは脅かす方をやりたかったみたい。でも、はずれを引いてしまったから脅かされる方だ。いちばん脅かしがいのない奴だけど…。
「ちょっと相談があるんだけど、聞いてくれる?」…ほらきた。
「なんだよ」「あのね、あれやりたいんだけど」「あれって?」「ほら、あれよ」
「まさか…」「だから…」「いや、それは…」「お願い、手を貸して」
 ゆかりの真剣な顔。僕は背筋が寒くなるのを感じた。
 結局、幼なじみの一言で付き合うことになってしまった。
「それって、ほんとの話しなの?」さくらは半信半疑で聞き返す。
「私も迷ったんだけど、知らないよりは良いと思って。ねえ、高太郎」僕に振るなよ。
「でも、戦国時代の話しよね? 落ち武者なんて…」
「今は大丈夫だと思うけど…」
「高太郎、あんたは見てないからそんなことが言えるのよ」ゆかり、やめようよ。
「実はね、…ここだけの話しよ。去年の肝だめしの時に、見た子がいたの」「うそ…」
 さくらの表情がこわばってきた。もしかして、こういう話し苦手なんじゃ…。
「その子、一週間ぐらい寝込んだらしいよ」そこまで言うか、ゆかり…。
「でも、それは誰かが脅かしただけで…。だって学校でやるんでしょう。あり得ないわよ」
「信じてくれないんだ。…無理もないよね。私だって、最初は信じられなかったから」
 ゆかりは僕の顔を見る。…分かったよ。やれば良いんだろ、やれば…。
「あの、さくら…。この肝だめしには、いろんな決まり事があって。その中の一つに、御札があるんだ。肝だめしのコースには必ずこの御札を貼ることになってる」
「もしその御札が一枚でもはがれたら、大変なことになるって言われているの」
 ゆかりが怖そうに話す。さくらは、ゆかりをじっと見ていた。信じちゃ駄目だ! 僕は思わず心の中で叫んだ。さくらは変な笑い方をして…、
「…やだ。もう、冗談ばっかり。私を怖がらせようとしてるんでしょう。わ、私、ぜんぜん怖くなんてないわよ。へ、平気なんだから…ハハ、ハハ」なんか引きつってる?
「そう。なら良いんだけど」ゆかりはさくらの顔色をうかがいながら、「でも、気をつけてね、明日の肝だめし。何が起こるか分からないから」と駄目押しをした。
<つぶやき>怖い話、好きですか? 私は苦手です。もう、一人でトイレに行けません。
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T:023「夏休みのこわーいお話」3
「じゃ、高太郎。帰ろう」ゆかりが妙に明るく言った。えっ、帰るの? 僕は、ほっとした。この程度だったら、さくらも…。僕たちがさくらの部屋を出ようとしたとき…。
「ちょっと待って。あの、信じてる訳じゃないんだけど…。もう少しだけ聞いときたいかなって…」さくらがすがるような目で僕たちを見る。ゆかりのあの笑顔が…。
「良いわよ。何でも聞いて。全部、教えてあげるから」満面の笑顔だ。いちばん恐れていた展開になってしまった。僕にはもうどうすることも出来ない。ごめん、さくら…。
「あのね…、学校なのにどうして落ち武者が現れるの?」真剣に聞いてくるさくら。
「そうね、そこから話した方が良いわね」ゆかりの目が、さくらを捕らえた。
「昔、この近くで戦(いくさ)があったの。けっこう大きな戦いだったんだって。その戦いで負けた侍たちがここまで落ち延びてきて。それも、大将と部下の侍が数人。村にあった小さなお寺に逃げ込んで来たそうよ。そのお寺のあった場所っていうのが、私たちの学校が建っている所なんだって」
 ゆかりが得意げに話してる。毎年のことだけど、よくそんなでたらめが言えるよな。ゆかりは怖い話しが大好きで、夏になると誰かを捕まえては脅かして楽しんでいる。何処で調べてくるのか知らないけど、すごくリアルに話しをする。肝だめしで脅かせないからって、何もここでしなくても…。
「村人たちは襲われるんじゃないかって、びくびくしてたんだって。このままじゃいけない、俺たちの手で村を守るんだ。村の勇敢な男たちが、そこで立ち上がった。そして夜の闇に紛れて近づき、お寺にいた落ち武者の寝込みを襲って殺してしまったの。その争いの時に、灯火を倒してしまって火の手が上がった。村人たちはなんとか消そうとしたんだけど、そのお寺はすべて燃えてしまったの。落ち武者たちの死体も一緒にね」
「えっ、そんな…」さくらの顔色が変わった気がした。…怖がってるよ。
「その焼け跡にね、またお寺を建てようとしたんだけど、そのたびに事故が起きて何人も死んだそうよ。村人たちは落ち武者の祟りだと思って、そこに塚を作って供養した。でも、そんなことでは成仏出来なかったみたい。たびたびその場所に現れては、村人たちに襲いかかった!」
「きゃーっ!」とさくらは叫んで、僕にしがみついてきた。
 やりすぎだよ。震えてるよ、さくら。僕は、「大丈夫だよ。今はそんなことないから…」
「でも、それがまだ出るんでしょう? が、学校に…」完全に怯(おび)えてしまった。
「さくら、心配ないって。御札をちゃんと貼っておけば大丈夫」「でも、ゆかり…」
「肝だめし、楽しみだねぇ」なんで僕のほう見て笑うんだよ。まだ、何かあるのかよ。
「私、行かない。肝だめし、休むから…。せ、先生には後で…」
「さくら、駄目よそれは。肝だめしの決まり事にこういうのがあるの。必ず全員が参加すること。怖がって参加しなかった者には、恐ろしいしっぺ返しが待っている」
「いやだーっ!」
<つぶやき>昔の話しには真実が隠れていることもあるみたいです。気をつけましょう。
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T:024「夏休みのこわーいお話」4
 この日の夜、さくらがどんな思いで過ごしたか…。ゆかりが帰ってから、僕は窓越しにさくらを励ました。「あれはゆかりの冗談なんだから気にしない方が…」
 何度も言ったんだけど駄目だった。そこで僕は、彼女にお守りをあげることにした。ほんとは、そんなの無くても大丈夫なんだけど。
「ありがとう。でも、これ交通安全って…」
「えっ? あの、そのお守りは何にでも効くから、大丈夫。安心して良いよ」
 危なかった。家にあったの適当に持ってきたから…。でも、何とか信用してくれたみたい。これでさくらの気安めに少しでもなれば…。
 いよいよ肝だめし。暗くなるのを待ってスタートだ。二人一組でコースを歩いていく。校庭のスタート地点から校舎の中へ。暗い廊下を通って階段を上がり、最初のチェックポイントの音楽室に入る。そこを出たら今度は美術室、理科室へ。そして、渡り廊下を通って体育館の中をぐるりと回りスタート地点に戻ってくる。明かりは小さなのが薄暗く点いているだけ。全部の窓には黒幕をはって、外の明かりが入ってこないようにしてある。懐中電灯を持たないで歩くから、それだけでも怖いかも。
 いたる所にいろんな仕掛けがしてあるんだ。音楽室では誰もいないのにピアノの音が聞こえてきて、美術室には生首が揺れている。理科室では骸骨が話し掛けてくる。体育館ではもっとすごいものが用意してあるんだ。他にも、曲がり角のところに鏡を置いたり、お化けに変装して急に飛び出したり。昔ながらの火の玉とか、こんにゃくをぶら下げて顔にすりすりしたり…。今年はかなり怖さのレベルが高いから、無事にゴールまでたどり着けないかも。さくら、大丈夫かな? ゆかりと一緒っていうのも…、心配だ。
 それぞれのチェックポイントには木札が置いてある。それを持ち帰ってこないといけないんだ。これも肝だめしの決まり事。誰が描いたか知らないけど、その木札には妖怪の絵が描いてある。何十年も使って古くなっているから、薄明かりの中で見るとすごく怖いんだ。明るいところで僕も見たけど、かなり上手く描いてある。そのままでも十分に怖い。
「ねえ、さくら。ほんとに一番最初で良いの? もう少し後にした方が…」
「だ、大丈夫よ、ゆかり。私、ぜんぜん大丈夫なんだから。…早く終わらせたいの」
「なら良いんだけど。…さくら、ちょっと落ち着きなよ」
「私は落ち着いてるわよ。ぜんぜん…。ゆ、ゆかりこそ…」
「私は平気なんだけど。…ねえ、さっきから何やってるの?」
「あっ、お守り。高太郎君に貰ったんだ」
「そう。効くと良いね、そのお守り」
「こんなの無くてもよかったんだけど、高太郎君が持ってろって言うから…」
「そうなんだ。愛があれば怖いもの無しってやつね」「そんなんじゃないって…」
「始まるみたい。さあ、行くわよ」「えっ…」
「ほらほら、一番なんだから…」
<つぶやき>怖いもの見たさって言いますが、できれば避けて通りたいです。私は…。
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T:025「夏休みのこわーいお話」5
 僕は、さくらたちが最初に来るなんて思ってもいなかった。
「ゆかり、遅いよ。もっと早く歩いて」
「さくら、もっとゆっくり行こうよ。それじゃ、楽しめない」
「楽しむような事じゃないでしょう」「えっ、そんな…」
「早く、早く来て!」
「分かったよ。ねえ、そんなにびくびくしなくても。何か出るとしても、校舎に入ってからだよ」
「そんなこと分かってるわよ」
「わっ!」「きゃーっ!」「そんなに怖いんだ」ゆかりはほんとに楽しんでいるようだ。
「…もう、ゆかり。脅かさないでよ!」
「わるい、わるい。さあ、校舎に入るよ」
 誰かの声が聞こえたような気がした。最初の組が来ているんだ。こちらも戦闘態勢に入る。むちゃくちゃ脅かしてやる。僕は最初の脅かすポイントにいる。暗い廊下の途中で飛び出すことになってるんだ。最初は誰が来るのかな?
「最初はここか。なかなか良い雰囲気じゃない」
「こんな暗い廊下を通るの?」
「さあ、何が出てくるのか楽しみ。さくら、気をつけなよ。何か飛び出してくるかも」
「もう、脅かさないでよ。…あっ!」「どうしたの?」
「…落ちてる」「えっ?」
「ほら、そこに御札が…」「ほんとだ。はがれちゃったんだ」
「…大変。どうするの?」「こんなのまた貼っとけばいいのよ」
「でも…」「心配ないって、なんにも起こらない」
「…そお。ゆかり、早く行こう」「そんなに急がないの。ちょっと待ってよ」
 誰かが来た。どんどん近づいてくる。もうちょっと、もうちょっとだ。脅かす方も、意外とどきどきするんだよね。…来た、来た。今だ、それ…。僕は飛び出した。
 えっ? 僕の前で誰かが倒れた。き、気絶しちゃったの? そんな…。僕は顔を覗き込む。さくらだった。
「さくら、大丈夫?」ゆかりが呼びかける。反応がない。誰かが呼びに行ったのか、久美子先生が駆けつけてくる。どうしよう。こんな事になるなんて…。
 久美子先生はさくらを抱えて保健室へ。僕とゆかりもついて行く。保健室では先生が待機している。肝だめしで気分が悪くなったり、怪我をする子がいるからだ。
「もう、第一号が来たんだ。今年は早いね」先生はそう言いながら診察する。僕は気が気じゃなかった。もし、このまま起きなかったら…。ゆかりも心配そうだ。
「…頭はぶつけてないみたいね。少し寝かせておきましょう。大丈夫よ、心配しなくても」
 僕たちはほっとした。久美子先生は持ち場に戻っていった。また誰かに何かあるといけないから。僕とゆかりはベットの横で付き添った。
<つぶやき>悪戯をする時のわくわく感、たまりません。でも、程々にしておかないと…。
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T:026「夏休みのこわーいお話」6
 僕はさくらの顔をずっと見ていた。まだ心配だったから。そんな僕を見てゆかりは…、
「そんなに好きなんだ」「なに言ってるの。そんなんじゃ…」
「こういう子が良いんだ」「えっ?」
「女の子らしくて、可愛くて…」「違うって」
「守ってあげたくなっちゃうんだ」「なんだよ。お前、変だぞ」
「私も、弱いところあるんだけどなぁ」「そんなの無いだろ」
「なんだよ。気づけよなぁ…」
 その時、さくらが目を覚ました。僕は先生を呼びに行く。
「気分は悪くない? 何処か痛いところは?」先生がさくらに聞いている。
 どうやら大丈夫そうだ。…良かった。
「打ち上げが始まるまで休んでなさい。いいわね」
 そう言って先生は肝だめしの様子を見に行った。何だか気になるらしい。
「さくら、大丈夫?」「ゆかり、私ね…」「高太郎があんなところで飛び出すから…」
「俺のせいかよ」「そうでしょう。やりすぎなのよ。さくら、怖かったでしょう?」
「あのね、私…」
「そんなこと言ったって、なんで一番最初に来るんだよ」
「だって、さくらが最初が良いって言ったから…」「お前が先に歩けばいいだろ」
「えっ、私だったら気絶させても良いってこと?」「お前が気絶するわけないだろ」
「…そんなことない」「蹴り入れるくせに」「ひどい、そんなこと言って…」
「あのね…。私、見ちゃったの」さくらが震える声でささやいた。様子がおかしい。
「どうしたの?」ゆかりが聞く。さくらは話を続けた。
「…あれ。あれがいたの」「あれって?」
「だから、あれよ」「さくら、あんたは高太郎に脅かされて気絶したのよ」
「ううん、そうじゃないの…。あの、暗い廊下の、向こうにいたのよ」「…なにが?」
「だから、…落ち武者よ」「そんなわけないよ。だって、そんな格好してる奴なんて…」
 僕は裏のことは全部知っているし、いるはずがない。
「もう、私たちを脅かそうとしてるでしょう」ゆかりも本気にしてないみたいだ。
 でも、さくらは…。静かに話を続ける。
「ほんとにいたのよ。…血を流してる落ち武者が、五人。私の方をじっと見てた。…ゆらゆら、揺れてたわ。宙に浮いてるみたいに。何か私に…。私に何か言いたいことがあるみたい。そう思ったら、急に私の方に飛んできたの…」
 この後、僕たち三人の悲鳴が校舎に響き渡った。さくらはほんとに落ち武者を見たのか。それとも怖いと思う気持ちが錯覚をさせたのか…。今となっては真相は分からない。この話は、きっと後輩たちに語り継がれることだろう。この肝だめしが続く限り。そして僕たちにとっても、忘れられない夏になった。
<つぶやき>幽霊や妖怪って、いると思いますか。恐いけど私はいるんじゃないかと…。
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T:027「乙女心と恋の味」1
「さくらに、頼みたいことがあるんだけどなぁ…」
「えっ、なに?」
「実はね、高太郎のことなんだ」
「ゆかり、また悪戯しようとしてるでしょう」
「そんなんじゃないよ。…あのね、高太郎を呼び出して欲しいんだ」
「私が?」
「さくらが誘った方が、間違いなく来ると思うんだ」
「ゆかり…。なにか企んでる」
「そんな…」
「私は悪戯の手伝いなんかしないわよ。もう止めようよ、そういうこと…」
「違うって。そんなこと考えてないよ。悪戯なんかじゃ…」
「ほんとに?」
「ほんと、ほんと。ぜんぜん違うの」
「じゃあ、何でそんなことするの?」
「これから言うこと、高太郎にも、誰にも言っちゃ駄目だよ」
「分かった。誰にも言わない」
「高太郎ね、みんなには隠してるけど、ピーマンが苦手なの」
「えっ、そうだった?」
「そうなの。だから、黒猫のおじさんに頼んで、ピーマンを美味しく食べられる料理を作ってもらおうと思って」
「そっか…。実は、私もピーマン苦手なんだ」
「そうなの?」
「食べられないってほどじゃないけど」
「じゃ、協力してくれるよね」
「いいわよ。私も付き合う。おじさんの料理、食べてみたいし」
「さくらは駄目よ!」
「えっ? いいじゃない」
「さくらは、黒猫に呼び出してくれるだけでいいの」
「そんな…」
「ピーマンが苦手なこと、誰にも知られたくないと思うの。だから、さくらはいない方がいい。…高太郎のためなんだから」
「…分かった。でも、私も食べたかったなぁ」
<つぶやき>高太郎の知らないところで、二人がこんな約束をしていたなんて。
      さて、これから何が始まるのでしょうか?
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T:028「乙女心と恋の味」2
 長かった夏休みも終わり、またいつもの生活が始まった。さくらが隣にいたおかげで、宿題も何とか間に合ったし…。ずいぶん助かった。また、みんなと一緒に勉強したり遊んだり、いつもと変わらない毎日だ。…でも、なぜか今日はさくらから誘ってきた。いつもはゆかりと一緒に帰るのに…。どうしたんだろう?
「ゆかりは?」僕は訊いてみた。
「なんか用があるからって、先に帰っちゃった」
「そうなんだ…」
 話しが続かない。いつもは、ゆかりがいるから何とも思わなかったけど。さくらと二人だけになると、話すことが少ないのに気がついた。よく考えてみると、ゆかりが一番おしゃべりなんだよなぁ。僕はさくらのことを、どれだけ知っているんだろう。
 何を話したらいいのか…。気の利いたことを話さなきゃって思うんだけど…。どうでもいいような事ばかり話している。きっとさくらは退屈してて、僕と二人だけで帰るのはもう止めようって思ってるかも…。空回りしているうちに、とうとう家の前についてしまった。
 何だかもどかしい。別れがたい気持ちを残してさよならを言う。さくらは、僕が家に入ろうとするのを呼び止めて、
「あの…、高太郎。今度の日曜日、あいてる?」
「えっ?」
 僕は驚いた。今までさくらからそんなこと言われたことがない。
「あいてるけど…」さくらが何を言い出すのか、どきどきしながら答える。
「それじゃ、黒猫に来てくれない。時間は、お昼前くらいに」
「あの…、僕と二人?」
「…そうよ。あの、いろいろ助けてもらってるから、そのお礼をしようかなって…」
「えっ、なんで知ってるの? 僕の、誕生日」
「えっ?」
「そうか、ゆかりから聞いたんだ」
 さくらは一瞬、戸惑ったような表情を見せる。
「違うの?」また変なことを言ってしまったんじゃないかと心配になった。
「…そう、実はそうなんだ。この間、ゆかりから聞いてね。ゆかりも、もっと早く教えてくれればいいのに。ねえ…」
「ありがとう。楽しみにしてるから。やったーぁ!」
 なにやってるんだろう、僕は…。ひとりではしゃいでる。
「…それじゃ、またあした」さくらはそう言って家に入ってしまう。
 僕があんまり有頂天になっていたから、呆れちゃったのかな…。でも、ほんとに嬉しかったんだ。
<つぶやき>もし好きな人から誘われたら、誰だって嬉しくなって飛び上がりますよね。
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T:029「乙女心と恋の味」3
「なにニヤニヤしてるの? 気持ち悪い」
 次の日、ゆかりが僕に話し掛けてきた。
「ねえ、今度の日曜、ちょっと付き合ってよ」
 …僕は浮かれていた。
「ねえ! 聞いてるの?」
「うるさいな。日曜はダメ。あいてないから」ゆかりなんかに邪魔されたくない。
「何でよ!」「…ちょっとね」今は言えない。
「あっ、私に隠し事するんだ」「いいだろ、別に…」しつこい。
「白状しろよ」ゆかりが迫ってきた。
「教えない!」でも、誰かに話したいって気分…。
「分かった。もういい」
 えっ? あきらめるのかよ。早すぎるだろ。「いいのか? 知りたいんだろ」
「別に聞かなくても…」「ほんとは、聞きたいんだろ」
「止めとく」「なんで!」
「話したくないんでしょう?」「いいから、聞けよ!」
「そんなに言うんなら、聞いてあげてもいいけど…」
 えっ? いつの間にか立場が逆転してないか? まあ、そんなことはどうでもいいか…。
「実は、日曜はさくらとデートなんだぁ」
 笑顔になってしまうのはなぜだろう。それは嬉しいことだからだ!
「そうか、私よりさくらを取るんだ。幼なじみを捨てるってことね」
 嫌な予感が…。
「私よりもさくらと過ごしたいんだ。今までずっと誕生日は一緒にいたのに…」
「それは、お前が勝手に来てただけで…」
「幼なじみでしょう!」
 また言うんだ。こう言えば僕が何でも言うことを聞くと思ってるんだから。今度ばかりは、そうはいかない。
「私も誘ってくれたっていいじゃない。幼なじみなんだから」
「だってデートだから…」「そんなに二人だけになりたいんだ」
「そんなんじゃないよ。そういうことじゃなくて…」
「私を仲間はずれにするんだ。ふーん、そうなんだ」
「なんだよ…」「私も行く!」
「なに言ってるんだよ。絶対、ついてくるなよ!」言ってしまった。
「…もういい! せいぜい楽しんでくれば」
 ゆかりは怒って行ってしまう。ちょっと言い過ぎたかな? でも、こんなに簡単にあきらめてしまうなんて。すごく嫌な予感がする。ゆかりは何をするか分からない。…とっても気になる。
<つぶやき>時に、自分でも思ってもいなかったことを口走ってしまうことがあります。
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T:030「乙女心と恋の味」4
「ゆかり、ちょっと来て。話しがある」さくらがゆかりを呼び出した。
「どうしたの?」ゆかりにはわかっていたのかもしれない。さくらの言いたいことが。
「私に、嘘ついたでしょう」「えっ…、嘘なんてついてないよ。なに怒ってるの?」
「なんで誕生日のこと話してくれなかったの!」「あっ…。話したんだ、高太郎」
「私たち親友でしょう。なんでちゃんと教えてくれなかったのよ」
「…ごめん、悪かった。でも、もういいの。あいつのことは…。いつもと違う誕生日にしてあげたかったんだけど、私じゃ駄目みたいだから…」
「止めちゃうの? 高太郎のために…」
「いいの……。プレゼントも用意したのに…。がんばって作ったのになぁ」
「もう…。やろうよ、誕生会。私も手伝うから。そんなの、ゆかりらしくない!」
 僕はどうかしていた。こんなことでゆかりと喧嘩するなんて。でも、僕はさくらのことが…。ゆかりよりも気になっていた。こんなチャンスは二度とないかもしれない。
「今年はゆかりと何やるの?」お姉ちゃんの穿鑿(せんさく)好きがまた始まった。
「別に…」「去年は、ハイキングに行ったんだよね」
 その話は思い出したくない。大変だったんだから。
「あいつが行こうって誘うから…」「それで、山道で足滑らせて捻挫(ねんざ)しちゃって…」
「はい。それでゆかりを背負って戻ってきました」
 ゆかりも変なところでドジなんだよなぁ。
「でも、あの時の高太郎、格好良かったよ。今年も一緒に過ごすんでしょう?」
「今年は一緒じゃないよ」「なんで?」「いいだろ…。他に行くとこあるから」
「小さい頃から、二人の誕生日の時は一緒にいたじゃない」「そんなこと言ったって…」
「ゆかり、楽しみにしてるよ。絶対、がっかりするだろうなぁ」「もういいよ」
「ほんとにそれでいいの?」「どうせ来ないよ。あいつとは喧嘩してるし…」
 あれから、話しもしてくれない。
「誕生日に会わなくたって…、別にいいの」
「ゆかり、かわいそう。今までずっと付き合ってくれてたのに」
「こっちから頼んだ訳じゃないし。向こうが勝手に…」
「女はね、男みたいに単純じゃないの。乙女心は繊細で傷つきやすいんだから。ちょっとしたことでも、落ち込んだりするんだよ」
「…なに言ってるの。お姉ちゃんにそんなこと分かるの?」
 お姉ちゃんは乙女なんかじゃない。絶対に…。
「ああ、言っちゃった。今年のプレゼント、なくなっちゃうよぉ」
 …しまった。僕はなんとか取り繕って…。約束してたことがある。お姉ちゃんはお菓子作りにはまっていて、ケーキを作ってくれることになっていた。これは逃(のが)したくない。
「誕生日までは逆らえないんじゃないの」お姉ちゃんはニヤニヤしながら言った。
 こいつは鬼だーっ! 人の弱みにつけ込んで…。思い知らせてやる。弟をなめるなよっ!
<つぶやき>兄弟とは不思議なものです。離れていても、なんか気になるんですよね。
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T:031「乙女心と恋の味」5
 いろいろあったけど、誕生日がやってきた。お姉ちゃんの召し使いも今日で終わる。ゆかりとは、まだ仲直りしていない。僕のことを避けているんだ。こんな思いで誕生日を迎えることになるなんて…。たださくらに誘われた、それだけの事だったのに。こんな事態になるなんて、誰が想像できただろう。ゆかりは…、やっぱり家には来なかった。
 何だかすっきりしないまま、僕はさくらに会うために黒猫亭まで来ていた。
「よしっ」僕は気合いを入れて中に入る。
 …誰もいない。早すぎたのかな?
「おじさん、いないの?」
 返事がない。僕が厨房の方へ行こうとしたとき、ゆかりが突然現れた。
<……! 何でここにいるの?>
 僕の頭の中はパニックになっていた。
「早いじゃない。今日は遅刻しないんだ」
「…何してるの?」「別に…」
 どうしたのかな、いつものゆかりじゃない。なんだか分からないけど、どきどきしてきた。
「ほら、これ」大きな紙袋を差し出す。「プレゼント。別に、いま開けなくてもいいけど…」
 何が入ってるんだろう。たぶん、すぐ開けろってことだよね。
「ありがとう」僕が袋の中を覗こうとしたら、
「見なくていいの! 家に帰ってからにして」
 えっ、開けろってことじゃないの? 分からない。今日のゆかりは、何を考えているのか読み取れない。「…分かった。そうする」
「座って」「えっ?」「いいから、そこに座ってよ」
 どうなってるんだろう? 僕は言われるままにイスに座る。ゆかりも僕の前に座って…。沈黙。…静かだ。ゆかりがこんなに静かにしているなんて、初めてのことかもしれない。僕はたまらず…、
「さくらは来てないのかな?」探りを入れる。
「さあね…」
 気のない返事が返ってくる。まずい。まだ怒ってる。ここは謝っておかないと、何をするか分からない。
「ごめん。ゆかりのこと…。お前の気持ち、何も考えないで…」「もういいよ」
「これからは、あんなこと、もう言わないから…」「無理しなくてもいいの」
「無理なんか…」「私たちは幼なじみ。それだけのことなんだから…」
「えっ?」
 何だよ。何が言いたいのか僕には分からない。ゆかりは僕を見ようともしない。いつもなら睨み付けてくるのに。どうすれば良いんだ。さくらぁ、早く来てくれないかなぁ。
<つぶやき>身近な人の意外な一面を見たとき、なぜか心ひかれる気がするのはなぜ?
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T:032「乙女心と恋の味」6
「おっ、来たなぁ。…色男はつらいねぇ」おじさんが現れた。
「なに言ってるの?」僕は少しほっとした。二人だけじゃなくなって…。
「今日は休みなの?」「今日は高ちゃんのために貸し切り」
「えっ? そんなことしたら店潰(つぶ)れちゃうよ」「大丈夫。色男に払ってもらうから」
「そんな…」「冗談だよ。心配すんなって」僕は色男なんかじゃない。
「どうする? さくらちゃん、もう来ると思うけど…」「来るまで待ってる」
「じゃ、とりあえずあっちの方、そろそろ始めるね」おじさんは厨房に入って行った。
「なんなの?」ゆかりに聞いてみる。
「黙って座ってて!」「はい…」素直に従ってしまう。
 なぜなんだ。今日は何も言い返せない。…また、沈黙が続く。
「ゆかり、遅れてごめん!」さくらが入ってきた。「ほら、これ」袋をゆかりに渡す。
「えっ…、やっぱり止めようよ」
 ゆかりは消極的だ。何が入っているんだろう。
「なに言ってるの。約束でしょう」「でも…」
「ほら、行くよ。高太郎、ちょっと待っててね」二人は店の奥に入っていく。
 何なんだよ。どうなっているのかまったく分からない。僕が店の奥を気にしていると、誰かが入ってきた。…うそ! 何でこんな所に…。
「高太郎君、誕生日おめでとう」なんで、なんで来るわけ。
「…どうも」
「へえ、面白いお店ね。先生、初めて…」
 そう、久美子先生だ。
「わぁ、これ知ってる。こんなのまだ残ってるんだ」
 先生は棚に飾ってあるがらくたを見て騒いでいる。
「先生、なんで来たの?」僕は素朴な疑問をぶつけてみる。
「来ちゃいけなかった? たまにはいいじゃない。学校の外で会うのも。高太郎君はこんな面白い場所、知ってるんだね」
「いや、みんなも知ってるけど…」
「そうなんだ。先生にも教えて欲しかったなぁ」
 僕にはこれから先の展開がまったく分からない。これからどうなるんだろう?
「どうしたの? やっぱり先生が来ちゃまずかった? 心配しなくてもいいのよ。先生はさくらさんを送ってきただけだから」
「えっ?」
「なんかね、買い物に付き合って下さいって、頼まれちゃって。ちょうど今日はやることもなかったから、ドライブがてら行ってきたってわけ」
「なに買ってきたんですか?」「それは見てのお楽しみ」
<つぶやき>サプライズ・パーティーは仕掛ける方は楽しいでしょうね。でも、私は…。
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T:033「乙女心と恋の味」7
「先生、用意できたよ」
 さくらが奥から出てくる。何をするの? ちゃんと教えてよ。
「さあ、高太郎君。ゆかりさんを呼んでみて」
「えっ?」先生、なんなの?
「ほら、高太郎。ゆかり、待ってるから。早く呼んで」
 そんなこと言ったって、さくら…。
「なに照れてるのかなぁ。いつもみたいに呼べばいいじゃない」
 先生…。簡単に言わないでよ。いつもと違うだろう。二人の目が期待を込めて僕に注がれる。これはもう呼ばないわけにはいかなくなった。
「ゆかり…」
「だめだめ、そんなんじゃ。もっと大きな声で」
 先生、ここは学校じゃないんだから…。もうやけくそだ。どうにでもなれ…、
「ゆかり!」
「うるさい!」ゆかりが出て来た。「大声出すな!」
 えっ! ゆかりが…。「なんでスカートはいてるの?」
「文句あんの。いいだろ、たまには…」
 ゆかりは恥ずかしがっている。今まで絶対はかなかったのに…。
「そんなに見るなよ。見なくていいの!」ゆかりはさくらの後に隠れる。
「だから、嫌だって言ったのに…」
「とっても似合ってるよ。大丈夫」さくらが励ます。
 僕もそう思う。ゆかりはこの方がいい。これでもう少し大人しくなると、もっと良いんだけどなぁ。絶対、無理だけど…。
「ゆかりさん、きれいよォ。これだったら、男の子たちもほっとかないわ」
「先生、なに言ってるの。今日だけだから…。絶対、誰にも言わないでね」
「カメラ、持ってくれば良かったなぁ」「さくら、絶交だからね」
「ごめん…」
 結局、さくらと二人だけってことにはならなかった。ちょっと残念でもあり、ほっとしたところもある。これで良かったんだよ、きっと。
「もうそろそろ良いかなぁ…」おじさんが出てくる。「あれ、こちらのお美しい方は…」
 そんなこと言うと、後で大変なことになるから…。
「どうも、初めまして。私、この子たちの担任で…」
「先生、そんなの後で良いよ。早く座って。ほら、みんなも」ゆかりが仕切りだした。
「おじさん、早いとこ出しちゃって」
「承知いたしました。こちらの素敵なお嬢様のお頼みとあらば、たとえ火の中、水の中…」
「もう分かったから、早くして!」
<つぶやき>慣れないことをして、よくドジるのは私です。とても無器用なものですから。
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T:034「乙女心と恋の味」8
 おじさんが料理を運んでくる。どれも美味しそうなものばかり。
「さあ、どんどん食べてよ。先生の分もちゃんとありますから…」
 おじさんは奇麗な人を見るとサービスをしたくなるみたい。こんな事やってると、ほんとに店潰れちゃうよ。
「これは全部、ゆかりのアイディアなんだぞォ。美味しそうだろう」
「おじさん! そんなこと言わなくてもいいよ。…恥ずかしいだろ」
「良いじゃない。何日もかけて出来上がった味なんだから、もっと自慢しろよ」
「もういいから…」ゆかりが料理を取り分ける。「早く食べようよ。ほら、みんなも…」
 僕は食べてみる。…うまい! ほんとにゆかりが作ったのかな? さくらは夢中になって食べている僕を、不思議そうに見ていた。
「なに?」「大丈夫なの?」「えっ?」「ピーマン、嫌いなんじゃ…」
 何でそんなこと聞くのかな?「いや、嫌いじゃないよ。美味しいじゃない」
 さくらは驚いた顔をして、「これも嘘だったの!」ゆかりに怒っている。
「ごめん…」ゆかりが舌を出して笑う。やっといつものゆかりに戻ったみたい。何があったのか知らないけど、ほんと人騒がせなんだから…。
 僕たちは食事を楽しんだ。おじさんがお酒を持ってきた。先生に飲ませるつもりだ。知らないよ。先生、酒癖悪いんだから…。僕たちは時間の経つのも忘れて、大いに盛り上がった。いろんなお喋りやゲームをして、笑い転げた。おじさんの駄洒落は、寒かったけど…。
 暗くなってきたので僕たちは家に帰った。家ではお姉ちゃんが…。僕はすっかり忘れていた。お姉ちゃんはケーキを前に置いて、台所に座り込んでいた。すごく怖い顔をしている。それに…。何だか、とっても大変なことになっている。台所の中はぐちゃぐちゃだ。いろんなものが飛び散り、散乱していた。
「ど、どうしたの?」僕は恐る恐る聞いてみる。
「おそい! 手伝うんじゃなかったの」やっぱり怒ってる。
「これ全部、片付けといてね」「えっ、そんな…」「終わるまでこれはお預け」
 お姉ちゃんはケーキを持って行ってしまう。
「えーっ!」
 今年の誕生日は、こうして終わった。…なんか疲れちゃった。ここ数日、ゆかりたちに振り回された気がする。でも、こんな誕生日は初めてだ。とっても楽しかった。
 それにしても、今日のゆかりは何だったんだろう? 今まで僕には見せなかった、別の顔を見たような…。こんな感覚は初めてだ。僕たちはこれからいろんなことを経験する。そして少しずつ大人になって、変わっていくんだろうなぁ。でも、どんなに変わっても、ずっと僕の幼なじみでいて欲しい。僕にとってゆかりは…、居るとうるさいけど、居ないと困る存在なんだから。これからも振り回されるんだろうなぁ。幼なじみだから、しょうがないか…。これからも付き合ってやるよ、ゆ・か・り。
<つぶやき>気の合う友達ってなかなか出会えない。もし見つけたら大切にしないとね。
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T:035「運動会。汗と涙と…」1
 もうすぐ運動会。でも私は…、暗い気持ちでいっぱいだ。走るのは、あんまり得意じゃないの。それなのに、ゆかりったら私をリレーの選手に推薦した。…クラス対抗リレー。一人で走ってびりになる方がまだましよ。リレーでびりを走ったら…。私のせいで負けてしまったらどうするの。ゆかりがいけないんだ。勝手にこんなことして…。私を困らせようとしているんだ。…どうしたら良いんだろう。
「さくら、今日から練習するよ」「えっ?」
「放課後、一緒に走ろう」そんな…。
「練習すれば、もっと速く走れるようになるって」
 ゆかりは自信を持ってそう言う。そんな簡単なことじゃないよ。
「そんなことしたって…」私はためらった。
「二人でがんばろうね」
 ゆかりは楽しそうだ。私の気持ちなんか分かってない。ゆかりは走るのが得意なんだって。去年の運動会のとき一等を取ったって、高太郎から聞いていた。私がゆかりと一緒に走れるわけないじゃない。足手まといになるだけよ。
「じゃ、グランド一周ね」ゆかりの強引さに負けて、練習することになってしまった。
「最初はさくらのペースで良いから、少しずつ速くしていこう」
 ゆかりは余裕で走ってる。でも、私は…。だめ。一周もしないうちに…。
「ほら、走って。まだ、いけるって…」
 これは練習なんかじゃない。特訓だ。しごきだ。…厳しすぎる。私は一日で音を上げてしまった。もう身体が動かない。足は痛いし…。もう、嫌だぁ。
「弱虫。これだけで止めちゃうの」
「いっぱい走ったじゃない。もういいよ」
「これからじゃない。まだぜんぜん走ってないよ」
「もう、私には充分なの」
「そんなに簡単に諦めちゃうの」
「やりたくてやってるわけじゃないよ」
「そうやって逃げるんだ」
「私はもう走れないの。…リレーなんかやりたくない」
「私はさくらと走りたいの」
「何でよ。勝手なことばっかりして…。私は嫌なの!」
「なにも一番になれって言ってるわけじゃないのよ」
「一番なんか、なれるわけない」
「さくら…」「もういいよ。私、帰る」
「遅くたって良いじゃない」
 …そんなこと、速く走れる人だから言えるのよ。そんなことも分からないの。私はゆかりに背を向けて…。悔しかった。なにも出来ない自分に腹が立った。
<つぶやき>誰にでも苦手はあります。でも、ちょっと見方を変えると違ってくるかも。
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T:036「運動会。汗と涙と…」2
「待ってよ」ゆかりが私の腕をつかむ。
「放して! 他の子に代わってもらう」
「速く走ろうと思ったら走れるのよ」
「私は、ゆかりみたいにはなれない」
「さくらのそういうところ、私は嫌いよ。苦手なことから、いつも逃げてる。何にもしないでうじうじしてて…」
 なんでそんなこと言うのよ。ゆかりなんか…。
「悔しかったら走ってみなさいよ」
「私が走ったら…。勝てないよ」もう、いやだ。
「そうやっていつも諦めてる。今のあんたじゃ絶対勝てない」
「じゃ、何で私を推薦したのよ!」
「私はさくらと走りたかっただけ。みんなに迷惑かけたくないって思うなら、ちゃんと練習しなさいよ。余計なこと考える暇があったら走る。それしかないでしょう」
「もう走らない!」
 …何やってるんだろう。私はゆかりから逃げ出した。
 ゆかりは追いかけて来なかった。心の何処かで「止めて!」って叫んでる。…もう引き返せなくなってしまった。悪いのは私の方。そんなこと、ちゃんと分かっているのに…。
 次の日、私は学校を休んでしまった。…ずる休み。ゆかりと顔を合わせられない。
 ママが心配して、「ほんとに大丈夫なの?」
「ちょっと頭が痛いだけ。一日寝てれば直っちゃうよ」
 初めてだ。こんな苦しい嘘をついたのは…。
 夕方、高太郎が来てくれた。私は…、会えなかった。こんな自分を見られたくない。…身体中が痛かった。昨日、あんなに走ったせいだ。でも、心の方がもっと痛がっている。私の中心から悲鳴が聞こえる。私の中の別の私が叫んでる。「何やってるの!」私を責め立てる。…これからどうなるんだろう。
 次の日も…。二日も休んでしまった。
 夕方、久美子先生がやって来た。私は、会いたくなかった。でも、ママが…。
 先生がいつもの優しい笑顔で入ってくる。
「さくらさん、どうした?」
 私は、悲しくなってきた。布団の中に潜り込む。何でこんなことしてるんだろう。布団の中から出られない。
 …先生、もう帰ったのかな? 静かだ。私はため息をつく。
<つぶやき>取り返しのつかないときは、勇気を出してまわりの人に助けてもらいましょ。
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T:037「運動会。汗と涙と…」3
 <パーン!>
 突然、大きな音がした。私は驚いて飛び起きる。
 先生が…。三角帽子に鼻付きメガネ、おもちゃの笛をくわえてる。手にはクラッカーを持って…。
「びっくりしたぁ?」
「先生、何やってるの?」
「どう、似合うでしょう」
 先生はニコニコしながら、おもちゃの笛をピュウピュウ鳴らし始めた。私は呆気にとられてしまった。
「ほら、あなたのもあるわよ。一緒にやろ」
「えっ?」
「楽しいわよ」
 抵抗する間もなく、同じような格好にさせられた。
「似合うじゃない。なかなか良い感じよ。じゃ、やろう」
「私、こんなこと出来ません」
「じゃ、これも貸してあげる」
 先生は嬉しそうにでんでん太鼓を出してきて、「これ、良い音するのよ。やってみて」
 なんで、なんでこんなこと…。
「ほら、難しく考えなくてもいいの。たまにバカなことやるのもいいもんよ」
「でも…」
「いいから、やってみなさい」
 私は恥ずかしかった。こんなこと出来ないよ。
 先生は他にも音の出るおもちゃとか、いろいろ取り出して…。吹いたり、叩いたり、振ったり、回したり。調子はずれの掛け声を上げる。
 なんでこんなに持ってきたの? 先生なのに、まるで子供みたい。でも…、楽しそうだ。身体を動かして音を出す。まるでダンスをしているみたい。私の身体もつられて動き出す。
 …不思議だ。なんか楽しくなってきた。今まで悩んでいたことが、嘘のように消えていく。私もいろんな音を出してみる。面白い! 私は先生と一緒に踊り出してしまった。
「やっと元気になったみたいね。先生、心配してたんだぞ」
 私を優しく抱きしめてくれた。
「もう大丈夫だよね」
 私は、何も答えられなかった。言葉が見つからない。先生は、優しく微笑んで、
「これからちょっと付き合って。あなたに見せたいものがあるの」
 私は先生に連れられて…。どこへ行くんだろう? 先生の車は…。
 あっ、この道は学校へ行く道だ。私はどきどきしてきた。なんでだろう? 先生は何も言ってくれない。
<つぶやき>思い出に残る先生っているよね。楽しいことも、つらいこともあったけど。
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T:038「運動会。汗と涙と…」4
「こっちよ」学校に着いたら、先生は校庭の方に歩き出した。私は後をついて行く。
 まだ、私の中のどきどきが続いている。何があるんだろう?
 先生は校庭の芝生に私を座らせて、グランドを見つめている。日が短くなってきたから人もまばらで、ほとんどの子は帰ったみたい。
「やっぱりやってるなぁ。ほら、あそこ」先生はそう言って指さす。
 暗くなりかけているグランドで誰かが走っていた。
「あっ…」私は思わず声を上げた。…ゆかりだ。それに、高太郎も。二人で走ってる。
「二人とも頑張ってるよね。そう思わない?」「ゆかりは走るの得意だから…」
 どうしよう。ゆかりと会いたくない。あんなこと言って逃げ出したのに、会えないよ。
「去年の今頃も走ってたなぁ。…ゆかりさんも、初めから速かったわけじゃないのよ。いっぱい練習して、速く走れるようなったの」「………」
 私は走っているゆかりを見ていた。
「これはね、ゆかりさんのお母さんから聞いた話なんだけど。すぐ上のお兄さんと喧嘩したとき、ゆかりさんが一番大切にしているものを取られちゃったんだって。何度頼んでも返してもらえなかった。運動会で一等を取ったら返してやるって、お兄さんに言われたそうよ。それで、ゆかりさんはお母さんに泣きついたんだって。でも、お母さんはこう言って励ましたの。一等を取ればいいじゃない。自分の力で取り戻しなさいって」
 ……一番大切なもの。きっとあれだ。前に聞いたことがある。
「ねえ、ゆかり。これもう捨てた方が良いよ。汚れてるし、ぼろぼろじゃない」
「これはだめよ」「どうして?」
「これは、私の一番大切なものなの」「えっ?」
「誰にも言っちゃ駄目だからね」「なんでこんな人形が…」
「これはね、誕生日のときに、高太郎から初めてもらったものなの。…私の宝物」
「へえ…、そうなんだ」「なによ。でも…、高太郎は覚えてないみたいだけどね」
 鞄にいつも付けている、小さな人形。どんな時でも、いつも持ち歩いていた。
「ねえ、先生。ゆかりってすごいよね。私なんか…」
「ゆかりさんは強い子だよね。でも、それは自分の弱いところを知っているから」
「弱いところ?」
「そう。弱いところを知っているから強くなれるの。強くなろうとしているのよ」
 私にはそんなこと出来ない。ゆかりみたいになりたくても…。
「ゆかりさんはね、自分の弱いところを、他の子には絶対見せなかった。高太郎君にも、そうだったんじゃないかな。いつも強がっていて、みんなと衝突してばかり。高太郎君がいつも助けに入ってた。それがね、ここ数ヶ月で変わってきたの。きっと、さくらさんに出会ったからじゃないかな」
「私はなにも…」何もしてないよ。
<つぶやき>知らず知らずのうちに、いろんな人から感化されて、成長していくのです。
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T:039「運動会。汗と涙と…」5
 久美子先生は、うつむいている私に優しく微笑みかけて、「きっと何処かで通じ合うものがあったのよ。気が合うっていうか…。あなたには隠そうとはしなかったでしょう」
「私とゆかりはぜんぜん違うよ。私はゆかりみたいに…」
「あなたとゆかりさんの違うところって何処だと思う?」
「えっ?」そんなこと…。
「それはね、前に踏み出そうとする勇気。ゆかりさんは自分の力で、自分を磨こうとしているの。夢に向かって走ってるのよ」
 私にはそんな力なんてないよ。私なんか…。
「さくらさん。あなたにだって出来るのよ。勇気を出すの。あなたの中にだってちゃんと勇気があるんだから。自分で自分を磨かなきゃ、輝けないよ。何もしなければ、何も始まらない。そう思わない?」
「でも…」私はどうすれば良いの?
「結果なんか考えなくても良いの。自分の力を精一杯出してみなさい。ゆかりさん、待ってるよ。あなたが戻ってくるのを…。ほら」
 久美子先生は私の背中を押してくれた。強く、優しく…。私は振り返る。先生は、笑ってる。頑張れって言ってる。私はゆかりに向かって駆け出していた。もう逃げない。……私も輝きたいから。
 運動会の日まで私は走った。ゆかりと一緒に練習した。厳しかったけど、辛かったけど、私なりに頑張った。何処まで出来るのか分からないけど、今の自分に出来る精一杯を出そうと思う。こんなに、一つのことに夢中になったことなんて無かった。私にもこんな力があるなんて…。みんなゆかりのおかげだ。それに、久美子先生にも感謝しないと…。
 いよいよ運動会。今日は良い天気になった。気持ちの良い青空が広がっていて、白い雲がすじになって浮かんでいる。いつもは仕事で観に来たことがないパパが…。なんで来るの? 来なくてもいいのに。
「パパ、楽しみにしてたのよ。頑張ってね。ママもしっかり応援してあげるから」
「いいよ、恥ずかしい…」ママは騒ぎすぎるんだから。でも、二人で来てくれるなんて、とっても嬉しかった。「私、頑張るね。でも、あんまり期待しないで…」
「なに言ってるの。楽しんでらっしゃい」
 運動会で流れる軽快な音楽。号砲がとどろき、みんなが一斉に走り出す。クラスごとの応援合戦。黄色い歓声が沸き上がる。放送で流れる競技の結果。そして、出場者の呼び出しの声。…とうとう来てしまった。私たちの出番だ。ゆかりたちと一緒にコースに向かう。私は、一番最初に走ることになっている。どきどきしながらスタートに立つ。ゆかりが私に合図を送る。私も合図を送り返す。今まで練習してきたんだから、自分の力を出し切って走るだけ。他のことは何も考えない。私は走ることに集中する。このバトンをちゃんと次の人に渡すんだ。位置に着く。かけ声がかかる。
 パーン! みんなの声援のなか、私は走る。ゴールを目指して…。
<つぶやき>何かに熱中できるって素晴らしいと思います。順位なんて関係ないでしょ。
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T:040「恋する心」1
 えっと…。どうも、ゆかりだよ。今度は私が話すことになっちゃった。ほんとは、苦手なんだよなぁ。勘弁してよって感じ…。この事件の発端になったのは、一通の手紙だったの。この手紙のせいで大変なことになっちゃって。名付けて、ラブレター事件!
 聞きたい? 聞きたくなったでしょう。仕方ないなぁ。じゃ…、教えてあげる。
 それはね、私たちが体育の授業のとき、誰もいない教室で起こったの。誰かが私たちの教室に侵入して、謎の手紙を残していった。それを最初に見つけたのはさくらだったんだ。
 なぜって? だって、さくらの机の中に有ったんだから。さくらは、その手紙を手にとって…。私は、「どうしたの?」って聞いたの。さくらは、「ううん、何でもない…」その手紙を隠そうとした。でも側にいた子が、「なにそれ?」って騒ぎ出して。みんなの視線がさくらに集まる。さくらは隠せなくなって、「何でもないよ。ただの手紙だから…」
「誰から?」「見せて…」「なにこれ…」「なんか変だよ」「気持ち悪い」
 みんなでわいわい始まった。確かにおかしな手紙なの。封筒の表には「さくら様」って、印刷の文字を切り抜いて貼ってあった。裏には何も書いてないの。誰が入れたのか…、話題はそのことに集中した。みんなの意見をまとめると、他のクラスの奴ってことに落ち着いた。私もそう思う。私たちが教室にいない間に、犯行が行われたのは間違いない。
「悪戯じゃない」「呪いの手紙だったりして」「悪口とか書いてあるんじゃないの」
 みんなはいろんなことを言っている。ここではっきりさせておくけど、私がやったんじゃないからね。誰かが、「開けてみようよ」って言いだした。みんなもそれに同調した。でも、さくらだけは、「私に来た手紙だから…」ここでは開けたくないみたい。
「いいじゃない」「中に変なものが入ってるかも…」「開けてもらった方がいいよ」
「誰がやったか分かるかも…」「見せろよ」「ひょっとするとラブレターなんじゃない」
 みんなは面白半分に、言いたいことを言っている。さくらは困っているみたいだ。私が助けに入ろうとしたとき、高太郎がしゃしゃり出てきた。
「俺が開けてやるよ」そう言って手紙を取り上げた。
 さくらは驚いて、「だめ、返して!」高太郎を追いかける。
 あーあ、女の子の気持ちをまったく分かってない。高太郎は鈍感なんだから。そんなことしたら怒っちゃうよ。…思った通りだ。さくらは完全に怒っている。泣きそうな顔で高太郎に向かっていく。みんなが囃(はや)し立てる。騒ぎは頂点に達した。高太郎も引っ込みがつかなくなったみたい。いよいよ、私の出番ね。私が止めに入ろうとしたとき…。
「何やってるの。止めなさい!」あっちゃーぁ、久美子先生だ。やばいよこれ…。
「みんな、席に戻って。秋本君、後に隠しているものを出しなさい」
 高太郎は手紙を先生に渡してしまう。まったく、ドジなんだから…。先生は手紙を見て、
「上野さん、これは先生が預かります。放課後、職員室に取りに来なさい」
「…はい」さくらは困った顔で答える。なんでぇ、さくらは悪くないのに。
「じゃ、授業始めるわよ…」
<つぶやき>学校では、いろんな事件が起きているかも。学校の七不思議、あるんです。
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T:041「恋する心」2
 この時からだ。さくらと高太郎の気持ちがすれ違うようになったのは。休み時間も二人は黙ったまま。お互いに気になっているくせに、何やってるんだろう。放課後、私は高太郎をさくらのところに引っ張って行って、
「私たちも、職員室に付き合うから」
「いいよ。呼ばれてるのは私だけなんだから」さくらはそう言って高太郎を見る。
「行かないよ。俺は、別に何もしてないし…」
 高太郎、あんたのせいでしょう。男らしくない。
「ほんとにいいから…」さくらはそう言うと、一人で行ってしまう。
「高太郎、行くわよ」
「なんで…」
「あんたにも責任があるんだから」
「俺は、さくらの代わりに確かめてやろうと思って…。あんなに嫌がることないのに」
「あーっ、気にしてるんだ。ラブレターだと思ってるんでしょう?」
「そんなこと…」
「もしかして、高太郎がやったんじゃないの。さくらの気を引こうと思って…」
「違うよ。そんな事するわけないだろ。渡すんなら、学校なんかじゃなくて…」
「渡そうと思ってるんだ!」
「なに言ってるの。そんなこと思ってないよ」
「あやしい…」
 高太郎が犯人でないことは確かだ。こんなこと思いつくわけがない。文才もないしね。犯人は誰なのか? 手がかりはあの手紙しかない。私は高太郎を残して職員室に向かった。
 職員室の出入り口で様子をうかがう。久美子先生のところにさくらがいた。手紙を読んでいるみたいだ。チャンスだ。私はそっとさくらに近づいて、後から…。
「ゆかりさん」
 …しまった。先生に見つかった。さくらは手紙を畳(たた)んでしまう。
「どうしたの?」先生が私に聞いてくる。
「あの、さくらのことが心配で…」笑って誤魔化す。
「私なら大丈夫よ」さくらは平気な顔をしている。でも、なんかあやしい。
「じゃ、嫌がらせの手紙じゃないのね」
「はい、そんなんじゃありません」
「なら良いけど。もし何かあったら、先生にちゃんと言うのよ。いいわね」
「はい」
 さくらは私をおいて、逃げるように行ってしまう。やっぱり、あやしい。
<つぶやき>友だちと気まずくなることもありますよね。素直になって仲直りしよう。
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T:042「恋する心」3
「先生、何が書いてあったの?」私は訊いてみた。先生は封筒の中を見ているはずだ。
「さあ、何だろうね」
「えっ、見てないの?」
「さくらさんに来た手紙よ。勝手に読めないでしょう」
「そんな…。先生なんだから、ちゃんと確認してよ。生徒のこと心配じゃないの?」
「先生は、さくらさんのこと信用してるもん。あの子は嘘をつくような子じゃないわ」
「信用しすぎ。さくらはなんか隠してるよ」
「どうして?」
「いつもと違うもん」
「そうかな?」
「いいわ、私が確かめる」
「だめよ。余計なことしたら…」
「心配しないで。私がさくらのこと守るから」
「ゆかりさん…」
 私は職員室を飛び出して追いかける。さくらをいじめる奴は、私が許さないんだから。
 廊下でさくらを見つけた。でも、高太郎と一緒だ。なにか言い合っている。喧嘩しているみたい。あっ、さくらがこっちに走ってくる。私はとっさに隠れる。…でも、私に気づかずに行ってしまった。どうしたんだろう? 私は高太郎を呼び止めて、
「どうしたの?」「別に…」
「またなんか言ったんでしょう?」「……」
「何が書いてあったんだとか、誰から来たんだとか…。聞いたんでしょう」
「まあ…」「それで、さくらはなんて答えたの」
「何でもないから、もう聞かないでって怒られた」
「そうか…、話さなかったんだ」ますます、あやしい。
「三人で帰ろうって言ったんだけど、なんか用があるからって…」
「それであんなに急いでたの?」「うん」
「……! 行くわよ、高太郎。さくらを追いかけるの。ほら、急いで!」
 私たちは走った。でも、さくらの姿は何処にもない。家まで行ったんだけど、まだ帰ってないって言われちゃった。何処に行ったんだろう。…心配だ。高太郎と近所を探してみる。…ぜんぜん見つからない。暗くなってきたので、もう一度二人でさくらの家に行ってみる。さくらは帰っていた。いつの間に…。
「どうしたの? こんな時間に…」さくらはとぼけている。間違いない。
「何処に行ってたの?」
「…ちょっとね」
 結局、さくらは何も話してはくれなかった。ほんと頑固なんだから。教えてくれたっていいじゃない。そう思わない?
<つぶやき>人それぞれ、いろんな事情があるのです。あまり詮索しない方がいいよ。
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T:043「恋する心」4
 次の日、教室でとんでもない噂が広がっていた。さくらが、二組の高木と歩いていたって。それも仲良く手をつないでいるのを見たっていうのよ。これは噂だから、どこまでほんとなのか分からないけど…。でも、何人も目撃しているみたいだから、二人が会っていたのは間違いないみたい。昨日、私たちが見失ったときだ。あの時、会ってたんだ。
 さくらはいつもと変わらない様子だった。クラスのみんなの視線も気にしていない。なんでこんなに落ち着いていられるんだろう。噂のこと、気づいてないのかな?
 私はそれとなく探りを入れる。
「ねえ、さくら…。昨日の…」
「宿題、やってないんでしょう。いいわよ、見せてあげる。早く写さないと、先生来ちゃうわよ」
 やけに明るい。何か良いことでもあったのかな? かなり、あやしい感じ…。
 噂はやっぱりほんとなの?
 高太郎が思い詰めた顔で…。まずい、止めなきゃ…。でも、もう手遅れだった。
「さくら。昨日、どこ行ってたんだよ」
 まじで、やばい。
「別に…。どこでも良いじゃない」
 さくらは冷静を装っている。
「教えろよ」「なんで…」
「噂はほんとなのか?」「噂って…」
「とぼけるなよ!」
 私は止めに入る。また騒ぎになっちゃうよ。
「止めなよ。高太郎…」
「ほんとに高木と会ってたのか?」「えっ…」
「隠すことないだろ」「別に隠してなんか…」
「あの手紙も高木から…」
「関係ないよ! ぜんぜん関係ない」
 まったくもう、世話が焼けるんだから…。
「いい加減にしなよ!」
「なに喧嘩してるの」「もしかして、あの噂ってほんとなの」
「やっぱり二股かけてたんだ」「高太郎、かわいそう」
「お前ら、なに言ってるんだよ」
「さくらって、そんなひどいことしてたんだ」
「さくらがそんな事するわけないだろ」
「得意なのは勉強だけじゃなかったんだ」「あのガリ勉の高木と…」
「二人とも勉強出来るから、お似合いかもね」
 みんなが騒ぎ出してしまった。
<つぶやき>噂って、形を変えてどんどん広まっちゃいます。でも、真実はただひとつ。
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T:044「恋する心」5
「高太郎ってさくらが好きだったの?」「お前、遅れてるゥ」
「誰でも知ってることじゃない」「公認の仲ってやつ」
「じゃ、とうとう別れちゃうんだ」
 みんな勝手なことばっかり言って…。さくらはじっと耐えていたけど、
「もう止めて! 高太郎とはそんなんじゃないんだから…」泣き出してしまった。
 私は、「さくら、もういいよ。お前ら、さくらが何したって言うんだよ。これ以上、なんか言ったら…」
「はい、そこまで! みんな、席に戻って。早く戻りなさい」
 先生が入ってきた。
「あなたたちは、どうしてそんなこと言うのかな?」
 聞いてたんだ、先生。
「人を好きになることって、そんなにいけないことなの?」
「だって、二股かけてたんだよ」誰かが言った。
「ほんとにそうなのかな? 先生は違うと思うけど」
「手をつないでたんだって」「ラブラブだよなぁ」みんなは笑ってる。
「この中で、二人が手をつないでいたのを見た人」
 みんなは周りを見回す。手を挙げる子はいなかった。
「…誰もいなの? じゃ、みんなに聞くけど、二人で歩いていたらラブラブになるのかな?」
 教室中がざわめいた。
「沢田さんはどう?」
 えっ! 私に聞かないでよ。
「いつも秋本君と帰ってるみたいだけど」
 勘弁してよ。私は、「先生、それは絶対ない。高太郎とは幼なじみなだけで…」
 なんでこんなこと言わなきゃいけないんだよ。
「高太郎と…」「案外、それありかも…」「そうかな」「良いコンビじゃない」
「ゆかりには高太郎だろ」「ある意味、有効だよなぁ」
「ゆかりを止められるのは…」「高太郎しかいないでしょう」
 お前ら、後でぶっ飛ばす。高太郎も、黙って見てないでなんか言えよ。こういう時にビシッと言うのが男だろ。
「静かに! 先生は、上野さんと高木君は、お喋りをしてただけだと思うけどなぁ。みんなだって、いろんな子とお喋りするでしょう」
「そうかな…」「告白されてたりして」「ゆるせねぇ」「俺のアイドルに…」
「昨日の手紙、高木だったんじゃないの」「呼び出したんだ」「さくら、どうなんだよ」
「ガリ勉が好きなのか?」「あんな奴のどこが良いんだよ」
 男子はこういう話しになると、なんでこんな…。
<つぶやき>初めて誰かを好きになった時のこと覚えてますか? もう思い出すだけで…。
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T:045「恋する心」6
「いい加減にしろよ! さくらが可哀想だろ」私はこれ以上黙ってられない。
「沢田さん。座ってなさい」
 先生、こいつらが悪いんだろ。なんで…。
「みんなは、誰かを好きになったことってあるかな? 誰かを好きになると、すべてのものが素敵に見えてくるんだよ。先生は、人を好きになる気持ちって、思いやりの心から始まると思うの。今のみんなは、さくらさんに思いやりの心、持ってるかな? 噂に振り回されて、ほんとのさくらさんが見えなくなっているんじゃない? 先生は、さくらさん大好きよ。みんなもそうでしょう。さくらさんの気持ちになって、みんなも考えてみて…」
 先生は、一人一人の心に呼びかけているみたい。私たちのことを、大切に思ってくれているんだ。
「これからみんなは、いろんな恋をするはずよ。格好いいとか、可愛いとか、いろんな理由で人を好きになる。切っ掛けは何にしろ、好きになった時の気持ちを大切にして欲しいの。…お互いが相手のことを思いやって、初めて恋が生まれるのよ。恋は二人で育(はぐく)むもの。一方的に押し付けたり、傷つけたりしてはいけないの。相手を思いやる気持ちを忘れないで欲しいなぁ。みんなも良い恋をいっぱいして、素敵な人になって下さい」
「先生は恋してるの?」「恋人いるんだ」「なんで結婚しないの?」
 まったく、男の子ってどうしてこうなんだろう。こんなことしか考えられないのかな?
「なに言ってるの。先生は、みんなのことが心配で結婚なんて出来ないわよ」
「やっぱり相手いないんだ」「いるわけないよなぁ」「寂しくないの?」
「あのね、先生だってラブレターもらったことあるのよ。いっぱいね」
「うそだーっ」「信じられない」
「はい! もう、この話はお終い。授業始めるわよ…」
 それから何日かして、さくらが家にやって来た。まだ、さくらと高太郎はぎくしゃくしている。早く、仲直りすればいいのに。間に入ってる私の身にもなってよね。
「あのね、ゆかり…」「どうしたの?」
「ちょっと、頼みたいことがあるんだけど…」「良いわよ。もしかして、高太郎と…」
「そうじゃないの。そうじゃなくて…」
「もう、はっきり言いなさいよ」
「…今度の休みの日、ちょっと付き合って欲しいの」
「えっ?」
「高木君と会う約束をしてて…」
「さくら、まだ付き合ってたの?」
「あのね、高木君、転校するの。それで、…最後のお別れがしたいって」
「なにそれ…」
「私、さよならするの苦手なんだ。だから、私の側で見ていて欲しいの。お願い」
<つぶやき>誰かを好きになったきっかけは何でした? 今でも、それを覚えていますか。
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T:046「恋する心」7
 その日は、冬も近いというのに暖かい日だった。
 さくらと一緒に待ち合わせの海岸へ向かう。なんで私までどきどきしてるの。
 さくらはずっと黙って歩いている。何を考えているんだろう?
 私は話し掛けることが出来なかった。
 あいつは先に来ていて、一人で海を見ていた。向こうも私たちに気がつく。
 さくらは、「ここで待ってて…」そう言って、あいつの方に歩いていく。
 私は少し離れた場所でさくらを見守る。二人は堤防に座って…。
 何を話しているんだろう? 私には聞こえない。
 二人は海を見ていた。いつまでも…。
 私は、何やってるんだろう。一人、こんな所で…。退屈だ。待ってるだけなんて…。
 しばらくして、二人が立ち上がった。笑いながら握手をしている。そして、さくらがこっちに戻ってくる。あいつは、さくらの後ろ姿をずっと見つめていた。
「…ごめんね。ありがとう」さくらは寂しそうな笑顔で私にすがりつく。
 私は、さくらを抱きしめてあげた。あいつは…、いつの間にか消えていた。
 この二人は、どんな別れ方をしたんだろう。さくらは何も話してくれなかった。ただ、
「転校のことを相談されて…。ほら、私、何回もしてるから」
 ほんとにそれだけだったのかな? あいつのこと、どう思ってたんだろう。あいつもさくらのこと好きだったのかな…。私たちは堤防に座って海を眺めた。
 磯の香り、波の音…。
「あのね、前の学校にいたとき、好きな子がいたんだ」さくらがぽつりと言った。
 さくらに、こんなことがあったなんて…。
「その子に、手紙を書いたの。なんでそんなことしたのかなぁ…。初めてだったんだ。それまでの私には考えられないことだった。……思ってることの半分も書けなかったけど、私の気持ちを伝えたかったの。手紙を渡す時なんて、顔も見られなかったのよ。押し付けるようにして渡して、すぐに逃げ出しちゃった」
 さくらは、笑っているのに目に涙をためている。ほんとに泣き虫なんだから…。
「次の日にね、勇気を出してその子に会いに行ったの。そしたら…、私の手紙を友達に見せびらかしてた。楽しそうに…。みんな、笑ってたわ。私、どうしたら良いのか分からなくて…。会わないで、また逃げ出しちゃった。私も、転校するのが決まってて……。ごめん。私、なに話してるんだろう……」
<つぶやき>生きてれば辛いこともありますよ。でも、楽しいことも一杯あるはずです。
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T:047「恋する心」8
 なにも言えなかった。今の私に出来るのは、さくらの側にいることだけ…。
 さくらの目から涙がこぼれる。…波の音が、私たちを包み込んだ。
「高太郎、まだ怒ってるかな?」
 さくらが私に聞いてきた。
「ちゃんと仲直りしないといけないよね」
「大丈夫だって。私がついてるじゃない」
 高太郎だって、仲直りしたいって思ってる。
「もしさくらをいじめたら、私がぶっ飛ばしてやるよ」
「暴力はだめだよ」
「えっ、そんな…」
「私、手紙でも書こうかな。その方が…」
「やめた方がいいよ。そんなことしたら、あいつ、舞い上がっちゃうよ」
「そうかな?」
「そうよ。みんなに自慢しちゃうから」
「ゆかりも、高太郎のこと…」
「なによ?」
「強がってばっかり。先生に聞いちゃったんだから…」
「なにを聞いたの?」
「教えない」
「なんでよ。教えなさいよ」
「いやだーっ」
 さくらが笑った。何かを吹っ切ったように笑っている。
 なんにも話してくれなかったけど、さくらの心に触れたような…。さくらの気持ちが私に伝わってきた。私たちはひとつになった。そんな気がした。
 …もう、なんて言ったらいいのか分かんないよ。
 それにしても、先生になに聞いたんだろう? これだけは、聞き出さないと…。
「さくら、待って! 教えてよっ! 隠し事はだめだからねぇ」
 私たちは海岸を走っていた。
 秋の終わりの日差しを浴びて…。海が、きらきら輝いていた。
<つぶやき>心の友には言葉はいらない。でも、大事なことはちゃんと話さないとね。
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連載物語End