書庫 ブログ版物語101~

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T:0101「三日月少女隊」
 月の王宮(おうきゅう)。帝(みかど)を前に、月の将来(しょうらい)を決める御前会議(ごぜんかいぎ)が開かれていた。あの、かぐや姫(ひめ)もそこにいた。まず、議長(ぎちょう)が口火(くちび)を切って、「今や、月を見上げる子供たちが激減(げきげん)している。何とかせねば、我々(われわれ)の存在(そんざい)も危(あや)うくなる。子供の関心(かんしん)を月に向(む)けさせる手立(てだ)てを考えていただきたい」
「それなら…」ひとりの大臣(だいじん)が口を開いた。「新しいかぐや姫を送(おく)り込めばいい」
「それはどうでしょう」別の大臣が異論(いろん)を唱(とな)えた。「今の日本に、かぐや姫を宿(やど)すことのできる太(ふと)い竹(たけ)がどれだけあるか。それに、人間に見つけてもらわなければ何にもならない」
 議長はかぐや姫に意見(いけん)を求(もと)めた。かぐや姫は哀(かな)しげな顔で、「残念(ざんねん)ながら、かぐや姫を大切(たいせつ)に育(そだ)てることのできる人間はいないでしょう。人間の心は欲望(よくぼう)に満(み)ちています」
「ならば、我々もそれに従(したが)おう」急進的(きゅうしんてき)な議員(ぎいん)が発言(はつげん)した。「子供たちに欲望を植(う)え付けてやるのです。夢(ゆめ)よりも欲望の力のほうが、エネルギー量(りょう)は桁違(けたちが)いに大きくなる」
「でも、どうやって」議長は先を促(うなが)した。
「簡単(かんたん)なことです。人間の可愛(かわい)い娘(むすめ)たちを集(あつ)めて、アイドルグループを作るのです。そうすれば、人間たちは群(むら)がってくる。我々は労(ろう)せずして、欲望を手にすることが可能(かのう)です」
「私は反対(はんたい)です」かぐや姫が言った。「そんなことをしたら、人間は滅(ほろ)んでしまう」
 議員はさらにつけ加えた。「この役目(やくめ)は、かぐや姫にお願(ねが)いしたい」
「私が?」かぐや姫は一瞬(いっしゅん)考え、「分かりました。でも、私は人間を信じたいです」
<つぶやき>子供の頃の夢、いつから忘れてしまうのでしょう。いつまでも忘れないで。
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T:0102「メロンパン」
「これ、おみやげね」亜矢(あや)は紙袋(かみぶくろ)を差(さ)し出した。
 見覚(みおぼ)えのあるその袋。早苗(さなえ)はにっこり笑って、「アンジェだぁ。まだ、やってるのね」
 それは、高校の帰り道、いつも寄り道していたパン屋の袋。中を見てみると、数種類のパンが入っていた。二人はそれぞれ好きなパンを取ってほおばった。
 早苗は、亜矢がメロンパンを美味(おい)しそうに食べるのを見て、くすりと笑った。
「なに? どうしたのよ」亜矢は気になって訊(き)いてみた。
「いえ、ちょっとね。昔(むかし)の彼のことを思い出しただけなの。その人ね、メロンパンが大好きで、ほんとに美味しそうに食べるのよ」
「ええ? それって、あたしの知ってる人?」
「さあ…、どうだったかなぁ」早苗は懐(なつ)かしそうに、またくすりと笑った。
「何よ。昔のことなんだから、教えてくれたっていいじゃない」亜矢は疑(うたが)いの目で、「ほんとに付き合ってたの? 高校の頃、男のウワサなんかなかったじゃない」
「それは亜矢が知らないだけで…。でも、何で別れたのかなぁ…。とっても良い人だったのよ」
「はいはい。もういいわよ。どうせ、あたしは未(いま)だにシングルですよ」
「もうっ。ねえ、これも食べていいわよ」早苗はパンの袋を亜矢の鼻先(はなさき)へ持っていった。
<つぶやき>ふとしたことで昔の記憶(きおく)がよみがえる。懐かしくもあり、恥(は)ずかしくもある。
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T:0103「何に見える?」
「ねえ、あそこにシロがいるよ」小さな女の子は、空(そら)を見上げて言った。
「シロって?」パパはしゃがみ込(こ)んで娘(むすめ)に訊(き)いた。
「お花屋(はなや)さんの、太(ふと)っちょのシロだよ」女の子は雲(くも)を指(ゆび)さして、
「あれ、変わっちゃった」
「あっ、ほら。あそこにクマがいるよ」パパが別(べつ)の方向(ほうこう)を指さした。
 女の子は少し考(かんが)えて、「ちがうよ。あれは、パンダさんだよ」
 夏の昼下(ひるさ)がり。おつかいの帰り道、二人だけのデートのひととき。パパにしてみれば、娘とこんな時間を過(す)ごすのは久(ひさ)しぶりかもしれない。すーっと涼(すず)しい風(かぜ)が吹(ふ)いてくる。後ろを振り返ると、いつの間にか黒(くろ)い雲が追(お)いかけて来ていた。
「あれ、ママじゃない」女の子は黒い雲を指さして言った。
「ほんとだ」パパは娘の顔を見てにっこり笑い、「早く帰ろうか。ママ、おいて来ちゃったから、きっと怒(おこ)ってるかもなぁ」
「そうだね。ママ、怒りんぼさんだから。困(こま)るよね」
 その時、遠くから雷(かみなり)の音がゴロゴロ鳴(な)った。二人はおかしくなってクスクス笑った。入道雲(にゅうどうぐも)は、もくもくとその形を変えていく。
「ねえ、パパ。今度は、ママも一緒(いっしょ)ね」女の子はそう言うと、パパの手を取った。
<つぶやき>ママだって、家族のためにがんばってるんです。優しくしてあげて下さい。
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T:0104「現場検証」
「しかし、奇麗(きれい)な顔してますよねぇ。まるで、モデルのような…」
「オイ、惚(ほ)れるなよ」
「惚れるわけないじゃないですか。死体(したい)ですよ。そんな…」
 二人の刑事(けいじ)は、ソファーの上に横たわっている女性に手を合わせた。現場(げんば)には侵入(しんにゅう)した跡(あと)も、あらそったような形跡(けいせき)もなかった。
「自殺(じさつ)ですかね?」若(わか)い刑事が言った。「美人(びじん)なのになぁ」
「何で自殺したんだよ。外傷(がいしょう)もないし、毒(どく)を飲(の)んだら何か残(のこ)ってるはずだろ」
 先輩(せんぱい)の刑事は、部屋の中を見渡(みわた)した。鑑識(かんしき)が部屋の隅々(すみずみ)まで調(しら)べている。だが、これといって死亡(しぼう)につながる手掛(てが)かりはなさそうだ。
「あの、せ、先輩……」若い刑事が震(ふる)える声で叫(さけ)んだ。
「どうした? 何か見つけたのか」
「いえ、あの…。これ…、さっきと変わってませんか?」若い刑事は死体を指(ゆび)さした。
「なに言ってるんだ?」
「だから、彼女、さっきと違(ちが)うんです。この…、手の位置(いち)が、こう……」
「あのな」先輩はあきれた顔で、「死体が動いたなんて、聞いたことないぞ」
「そ、そうですよね」
 若い刑事は、もう一度彼女を見た。その顔は、かすかに微笑(ほほえ)んでいるように見えた。
<つぶやき>死んでも、奇麗とか美人とか言われると嬉(うれ)しくなるのかも。女心(おんなごころ)なんです。
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T:0105「夫婦の駆け引き」
 結婚(けっこん)して三年、いつの間にか夫(おっと)は私に関心(かんしん)を示(しめ)さなくなった。髪(かみ)を切っても、新しい服(ふく)を着ていても、まったく気づいてくれない。料理(りょうり)にいたっては、こっちから訊(き)かない限(かぎ)り美味(おい)しいなんて……。たとえ美味しいって言ってくれても、本当(ほんとう)にそう思っているのか怪(あや)しいものだわ。私はこの状況(じょうきょう)を変えようと、思案(しあん)をめぐらせた。
 夫の帰る時間を見はからって帰宅(きたく)をする。もちろん、近くのスーパーへ行く格好(かっこう)じゃなく、奇麗(きれい)にオシャレをしてね。きっと夫は訊いてくるわ。どこへ行ってたんだいって。
 すかさず私はこう答えるの。「ちょっとね」
 この言い方は難(むずか)しいわ。かすかに微笑(ほほえ)んで、女の色香(いろか)をただよわせるのよ。声のトーンを少しあげて、ゆっくりとささやくように。この一言(ひとこと)で、夫は私に釘付(くぎづ)けになるはず。
「ちょっとって何だよ。俺(おれ)に言えないのか?」
 夫は、こう切り出してくるわ。そこで私は、夫に背(せ)を向けてこう言ってやるの。
「あら、どうしたのあなた…。私のことは、気になさらないで」
「なに言ってるんだ?……」
 夫はきっと動揺(どうよう)するはずよ。だって、いつもの私じゃないんだもの。私は夫の肩(かた)に手をかけて、彼の目をじっと見つめてとどめのひと言。「私のこと…」
「なあ、今日の晩飯(ばんめし)は何かな? 俺、もう腹(はら)ぺこなんだよ」
<つぶやき>胃袋はしっかりつかんでいるようですね。でも、愛の言葉も聞きたいです。
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T:0106「わすれもの」
 とあるパーティの会場(かいじょう)。さやかは女友達(ともだち)に誘(さそ)われてやって来ていた。目的(もくてき)はもちろん、いい男を見つけること。周(まわ)りを見渡(みわた)せば、美男(びなん)ばかりがそろっていた。
「ねえ、あの人…」友達がさやかにささやいた。「さっきから、ずっとあなたを見てるわよ」
 さやかは、さり気なくそちらに目をやった。そこにいたのは、明らかに場違(ばちが)いな男性。ブサイクとは言わないが、小太(こぶと)りで時代遅(じだいおく)れのスーツを着ていた。その男性は、意(い)を決(けっ)したようにさやかに近づいて来て言った。「あの、ちょっといいですか?」
 男はさやかを抱(だ)きしめるように腕(うで)を回(まわ)した。さやかは男のお腹(なか)が自分(じぶん)の身体(からだ)に触(ふ)れて、思わず叫(さけ)び声をあげそうになった。見ず知らずの人から、突然(とつぜん)ハグされるなんて。
「何するんですか…」さやかは消(き)え入(い)るような声で言った。
「もうちょっとですから…」男はそう言うと、すぐに回していた腕を離(はな)した。そして、さやかの前にそっと手を出す。そこにあったのは、洋服(ようふく)のタグ。さやかは買ったばかりで、はずすのを忘(わす)れていたのだ。男は誰(だれ)にも気づかれないように、それをポケットにしまった。
 さやかは何も言えず、男の顔を見つめていた。男はにっこり微笑(ほほえ)むと、その場を離れて行った。さやかは男の後ろ姿を目で追(お)った。彼のスーツの首もとに、クリーニングのタグが覗(のぞ)いていた。さやかはくすりと笑(わら)うと、彼のあとを追いかけた。
<つぶやき>出会いのきっかけは、些細(ささい)なことなんです。そこから、何か始まるかもね。
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T:0107「紙もの収集家」
 男がドアを開けると、そこには女が立っていた。手には地図(ちず)を握(にぎ)りしめている。
「来ちゃった」女はちょっと恥(は)ずかしそうにうつむいて言った。
「えっ? あっ…、言ってくれれば迎(むか)えに行ったのに…」
 男は、女の突然(とつぜん)の訪問(ほうもん)に動揺(どうよう)を隠(かく)せなかった。男は散(ち)らかった部屋を手早(てばや)く片付(かたづ)けると、女を迎え入れた。テーブルをはさんで向かい合う二人。しばしの沈黙(ちんもく)の後、
「あの、お願いがあるんだけど…」女が口火(くちび)を切った。「これを、書いてほしいの」
 女がバッグから出したのは、婚姻届(こんいんとどけ)だった。男は一瞬(いっしゅん)かたまった。
「えっ? あの……。僕(ぼく)たち、付き合い始めて、まだ三カ月だよ」
「もう三カ月よ。そろそろ、いいんじゃないかな」女は平然(へいぜん)と言う。
「だって、だって…。僕、まだ、君のこと両親(りょうしん)に話してないし。君の家族(かぞく)にだって…」
「別に、いいわよ。そんなの後でも」
「それに、僕たちまだ…。何もしてないっていうか……」
「あたし、紙(かみ)を集めてるの。卒業証書(そつぎょうしょうしょ)や、いろんな賞状(しょうじょう)。あと、資格(しかく)の認定書(にんていしょ)とかね。だから、婚姻届もコレクションに加(くわ)えたくて」
「だからって……。でも、婚姻届は役所(やくしょ)に出すから、手元(てもと)には残(のこ)らないんじゃ」
「そっか。でも、コピーをとってもいいし…。もう一枚(まい)書いておくっていうのはどう?」
<つぶやき>彼女が次に欲しがるもの。それは、離婚届(りこんとどけ)かもしれません。気をつけて…。
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T:0108「まさかのほこり」
 三日間、あたしは旅行(りょこう)に出かけた。気さくな友達(ともだち)と一緒(いっしょ)に、とても楽しい時間を過ごした。すっかり身も心もリフレッシュしたし、明日から仕事(しごと)をがんばろう。
 だが、そう思ったのもつかの間だった。あたしは部屋(へや)の中に異変(いへん)を感じた。あれが…、あれを見つけてしまったのだ。旅行に出かける前には、絶対(ぜったい)になかったはずなのに。どうして、あんなところにたまっているの?
 あたしの頭(あたま)をよぎったのは、「いつ、掃除(そうじ)をしたっけ?」
 あたしは掃除が嫌(きら)いなわけじゃないのよ。ただ、ちょっと仕事が忙(いそが)しかったりすると、まあいいかって思っちゃって…。それじゃいけないことは分かってるわ。分かってるけど、どうしても後回(あとまわ)しにしてしまう。あたしだって、ちゃんと掃除しようって思ってるのよ。
 部屋の隅(すみ)でふわふわの固(かた)まりになって、あたしのことをあざ笑っているようだ。
「よし、こうなったら今から掃除しよう」
 その気になった時にやらないと、またずるずるになってしまう。あたしは、掃除機(そうじき)を手にした。そして、〈覚悟(かくご)しなさい〉とばかり、ふわふわの固まりに照準(しょうじゅん)を合わせた。固まりが掃除機に吸(す)い込まれていくのは、何だか気分(きぶん)がいい。ふっとその時、ソファに目がいった。ソファの下の暗闇(くらやみ)。きっと、そこにも…。あたしは、身震(みぶる)いした。
<つぶやき>気をつけましょう。知らない間に、あれはあなたのそばに忍(しの)び寄っています。
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T:0109「私の恋文」
 私は考古学(こうこがく)が大好(だいす)きな女の子。今日も、城跡(しろあと)の発掘(はっくつ)を手伝っていた。――休憩(きゅうけい)時間に、私は大きな木の根元(ねもと)でお昼(ひる)を食べることにした。たぶん、この木はお城が建っていた当時(とうじ)も、ここで葉(は)を繁(しげ)らせていたんだろうなぁ。私は、昔(むかし)の様子(ようす)を想像(そうぞう)していた。
 ふと、私は足下(あしもと)に何か引っかかるものがあるのに気がついた。よく見ると、地面(じめん)から何かが突(つ)き出ている。持っていたシャベルで掘(ほ)ってみると、朽(く)ちかけている文箱(ふばこ)が出てきた。そっと箱を開けると、中には油紙(あぶらがみ)に包(つつ)まれた手紙(てがみ)…?
 私は胸(むね)が高鳴(たかな)るのを覚(おぼ)えた。だって、こんな発見(はっけん)をしたのは初めてなんだもん。私は、震(ふる)える手で油紙をはずして――。中に入っていたのは、やっぱり手紙。私は、そっと開いてみた。書かれている文字(もじ)を見ると、女性が書いた手紙だわ。それくらい私にだって分かる。宛名(あてな)は真之介(しんのすけ)。私に分かる文字を拾(ひろ)い読みすると…。これは、私の想像よ。きっとこれは、ラブレターだと思う。昔の人が書いた、恋文(こいぶみ)ってやつ。
 私は、最後(さいご)に書かれてある名前(なまえ)を見て驚(おどろ)いた。〈あや〉って書いてある。私は身体(からだ)が震えたわ。だって、私の名前、亜矢(あや)だもん。それに、いま付き合ってる彼の名前、真之介。
 これって、偶然(ぐうぜん)? えっ、こんな偶然あるはずないよ。だって…。だとすると、私と真之介、前世(ぜんせ)でつながっていたってこと。これって、私が書いたラブレターなのかな?
<つぶやき>出会いには、いろんな運命が隠(かく)れているのかもしれません。あなたにも…。
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T:0110「宇宙家族」
 山田(やまだ)家の面々(めんめん)は、緊張(きんちょう)した面持(おもも)ちで管制室(かんせいしつ)からの指示(しじ)を待っていた。操縦席(そうじゅうせき)にはパパが、その横には計器(けいき)を見つめるママ。後ろには二人の子供たちが、こわばった顔(かお)で座(すわ)っていた。窓(まど)の外には火星(かせい)が迫(せま)り、いよいよ火星着陸(ちゃくりく)という最大(さいだい)のミッションを迎(むか)えようとしていた。
 管制室からの指示はGO。パパの操作(そうさ)で宇宙船(うちゅうせん)は着陸態勢(たいせい)に入った。もうこれで、中止(ちゅうし)することは出来ない。あとは、成功(せいこう)を祈(いの)るだけだ。もし成功すれば、人類(じんるい)が始めて火星に足を踏(ふ)み入れることになる。
 宇宙船はゆっくりと降下(こうか)していった。地面(じめん)がどんどん近づいて来る。そして、ついにその時がやってきた。十カ月もの長い時間、待ち続けた瞬間(しゅんかん)だ。計器で着地(ちゃくち)したことを確認(かくにん)すると、ママはパパの手を優(やさ)しくつかんだ。子供たちも手をのばす。家族(かぞく)は、この快挙(かいきょ)を静(しず)かにかみしめた。
 管制室に着陸の成功を知らせると、宇宙船に故障(こしょう)がないかチェックをすませた。次にすることは、船外(せんがい)での作業(さぎょう)になる。みんなは宇宙服(うちゅうふく)を着てハッチの前に立った。パパがゆっくりとハッチを開ける。そして、目の前には写真(しゃしん)で見た火星の風景(ふうけい)が…あるはずだった。
「やあ、おめでとう」赤ら顔の男がパパに近づき握手(あくしゅ)を求(もと)めて言った。「これで、火星旅行(りょこう)のシミュレーションは終了(しゅうりょう)です。貴重(きちょう)なデータをとることが出来ました。ありがとう」
「えっ! そんなこと聞いてないよ。ここは火星じゃないのか?」
<つぶやき>残念(ざんねん)でしたね。でも、火星旅行の夢(ゆめ)がかなうのは、もうすぐかもしれません。
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T:0111「裏の顔」
「ねえ、さっきから何やってるの?」
「メールよ」愛華(あいか)は指(ゆび)を動かしながら答(こた)えた。
「あいつ、ぜんぜん返信(へんしん)してこないんだもん」
「あいつって?」典子(のりこ)は美味(おい)しそうにケーキをほおばりながら言った。
「泰造(たいぞう)よ。まったく、何やってるんだか…。もう、イライラする」
「仕事(しごと)で忙(いそが)しいんじゃないの」
「こんな時間に、仕事のわけないでしょ。きっとあれよ、女よ。女がいるんだわ」
「えっ、あの人が…」典子は泰造の顔(かお)を思い浮(う)かべて、「ないない。絶対(ぜったい)ないわよ」
「何でそんなこと言えるのよ。あの人ね、あれで結構(けっこう)、女性受(じょせいう)けがいいんだから」
「そうなんだ。でも…、あたしはないなぁ。だって、あの顔よ」
「何よそれ。それじゃ、まるで私が…」
「ごめん、ごめん。そういうことじゃなくて」典子はなだめるように愛華の前にケーキをおいて、「これ、食べてみて。とっても美味しいわよ」
 愛華はケーキをちらっと見たが、「うーん、ダメ。今はそんな気になれないわ」
「でもね…」典子はにっこり微笑(ほほえ)み、「甘(あま)いもの食べると。落ち着くわよ」
「分かったわよ。じゃあ、あと一回だけメールしてから…」
「もうやめなよ。あの人ね、あなたのこと、めんどくさいって言ってたわよ」
<つぶやき>見えないところで、いろんなバトルが繰(く)り広げられているのかもしれません。
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T:0112「冷蔵庫の神様」
「ねえ、あたしのプリン知らない?」亜矢(あや)は寝ぼけ顔の俊彦(としひこ)に訊(き)いた。
「知らないよ」俊彦は頭をかきながら答えた。「きっとあれだ、サリーが食べたんだろ」
「あのね、猫(ねこ)が冷蔵庫(れいぞうこ)を開けられるわけないでしょ。昨夜(ゆうべ)はあったんだから。あなたしかいないじゃない。うちにいたのは」
「さあ、昨夜は飲みすぎたからなぁ。あっ、そうだ。そう言えば、いたよ。冷蔵庫の中に」
「なに言ってるの?」
「ほら、あいつ…。何てったけ…。冷蔵庫の神様(かみさま)!」
「もう、ふざけたこと言わないでよ。食べたなら食べたって、言えばいいじゃない。いつもいつも、そうやって…」
「いるんだよ、本当(ほんとう)に。ほら、トイレの神様だっているんだから」
 亜矢はゴミ箱の中から見つけたプリンのカップを取り出して言った。
「これが、証拠(しょうこ)よ。あたし楽しみにしてたんだから。あなたが同じもの買って来るまで、絶対(ぜったい)に部屋(へや)には入れないから。そのつもりで」
「えっ、そんな…」
 その時、ソファの上でサリーがひと声鳴(な)いて、冷蔵庫の中からはカタンと音がした。
<つぶやき>さて、犯人(はんにん)は誰(だれ)なんでしょう。私も、ないしょのつまみ食いは大好きです。
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T:0113「最強だから…」
 佑希(ゆうき)は若いながらも優秀(ゆうしゅう)な刑事(けいじ)で、今まで何人もの犯人(はんにん)を捕(つか)まえていた。でも、今日は非番(ひばん)で、彼とデートの真っ最中(さいちゅう)。フリフリの服(ふく)を着て、まるでお姫様(ひめさま)のようだ。彼には、仕事(しごと)は〈公務員(こうむいん)だよ〉としか言っていなかった。
 二人は腕(うで)を組(く)んで歩いていたが、後ろから聞き覚(おぼ)えのある声がした。彼女が振(ふ)り向くと、同僚(どうりょう)の刑事たちが男を追(お)いかけてこっちへ向(む)かっていた。彼女の目つきが一瞬(いっしゅん)に変(かわ)る。腕を組んでいた彼を突(つ)き飛(と)ばすと、男の前に立ちはだかった。そして、あっという間(ま)に男を投(な)げ飛ばした。そして、駆(か)けつけた刑事たちが男を取り押(お)さえる。
 佑希はすぐさま、彼のもとへ走った。彼は何が起(お)きたのかまったく分からなかった。
「大丈夫(だいじょうぶ)?」佑希は彼を助(たす)け起こすと、「気をつけてよ。こんなところで転(ころ)んじゃって」
 それを見ていた若い刑事が声をかけた。「柏木(かしわぎ)?」
 佑希は振り返ると、後輩(こうはい)の刑事を睨(にら)みつけた。その目は、〈あたしは非番なの。邪魔(じゃま)しないで!〉と言っているようだ。若い刑事は、それ以上なにも言えなくなった。佑希は彼に気づかれないように、また腕を組み楽しそうに笑いながら行ってしまった。
「そっとしといてやれ」年上(としうえ)の刑事が彼女を見送りながら言った。「柏木も必死(ひっし)なんだよ。今まで何人もふられてるからなぁ。でも、今度(こんど)のはよさそうじゃないか」
<つぶやき>いくら腕力(わんりょく)が強くても、優(やさ)しくされたいし甘(あま)えたい時もある。女ですもの。
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T:0114「パーティ女」
 遥(はるか)はパーティ大好きの女の子。今日もまた幹事(かんじ)として奮闘(ふんとう)していた。
「ねえ、これなに?」和子(かずこ)は、渡(わた)された案内状(あんないじょう)を見て訊(き)いた。
「ハルちゃんが寿退社(ことぶきたいしゃ)しちゃうんで、お祝(いわ)いの会をやるんですぅ」
 遥は嬉(うれ)しそうに言った。
「いや、それは分かるわよ、見れば。そういうことじゃなくて、何で私の家でやるの?」
「だって、先輩(せんぱい)のお家(うち)、駅(えき)に近いしぃ、みんな集(あつ)まれると思うんですぅ」
「私、聞いてないわよ、そんなこと。それに、私、ハルちゃんなんて知らないし…」
「えっ、経理(けいり)にいるハルちゃんですよ。春木作太郎(はるきさくたろう)」
 和子は、一瞬(いっしゅん)言葉を失(うしな)った。いつものことだが、この女には常識(じょうしき)は通(つう)じない。
「ハルちゃん、結婚(けっこん)して、実家(じっか)に帰って、家の仕事(しごと)を継(つ)ぐんだって、張(は)り切っちゃって」
「ああ、そういうこと…。でもね、私の家でやらなくても、いいんじゃないのかなぁ」
「だって、先輩の家の方が、持ち込みできるし、時間無制限(むせいげん)だし、予算(よさん)もそんなに…」
「ちょっと待ってよ。それだったら、あなたの家でやればいいじゃない」
「ええっ、いいじゃないですかぁ。こんな可愛(かわい)い後輩(こうはい)が、お願(ねが)いしてるんですよぉ」
「あのね、先週(せんしゅう)だって、私の家でやったじゃない」
「それが、とっても好評(こうひょう)だったんですぅ。またやってって、みんな言ってましたぁ」
「なんで…、なんでよ。誰(だれ)がそんなこと言ったの? 教えなさいよ!」
<つぶやき>きっと楽しいパーティになるんでしょう。先輩にも良い出会いがあるかも。
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T:0115「猫の恩返し」
 かすみは不思議(ふしぎ)なとら猫(ねこ)に出会(でくわ)した。毛並(けな)みから見て、きっと野良猫(のらねこ)なのだろう。その猫は逃(に)げるどころか、かすみの足にすり寄(よ)って来た。彼女は別に可愛(かわい)いと思ったわけでもないのに、猫を家に連れて帰ることにした。そういう衝動(しょうどう)にかられたのだ。
 彼女の生活(せいかつ)は一変(いっぺん)した。一人暮(ぐ)らしだったので、家で猫が待(ま)っていると思うだけで、何だかウキウキした気分(きぶん)になった。そして、仕事(しごと)で嫌(いや)なことがあったり、彼と喧嘩(けんか)した時には、その猫は黙(だま)って彼女の愚痴(ぐち)を聞いてくれるのだ。
 ある日のとこ、かすみは仕事でトラブルがあり、落(お)ち込(こ)んで帰って来た。もう仕事なんか辞(や)めてやる、と猫に愚痴をこぼし涙(なみだ)を流(なが)した。いつもなら黙って聞いている猫が、今日はひと声鳴(な)いて彼女の頬(ほお)をなめた。そして、こう言った。
「明日から、俺(おれ)が働(はたら)くよ」
 かすみは、人の声がしたのに驚(おどろ)いた。誰(だれ)もいるはずがないのに、部屋を見回した。
「今の声は…」かすみはとら猫を見てつぶやいた。「まさか、そんなはずないわよね」
 次の朝、かすみは起(お)きるのもおっくうだった。いつもなら、ベッドの横(よこ)で寝(ね)ているはずの猫がいない。仕方(しかた)なく、かすみはベッドから這(は)い出して、猫を呼(よ)んでみた。でも、部屋の中を見渡(みわた)しても、猫の姿(すがた)はなかった。きっと出かけちゃったのね、と彼女は思った。
 かすみは外を見てみようと玄関(げんかん)のドアを開けた。すると、目の前に大きな、大きなネズミが一匹、転(ころ)がっている。その横で、とら猫が気持(きも)ちよさそうに顔を洗(あら)っていた。
<つぶやき>義理堅(ぎりがた)い猫もいるのです。でも、なるべく猫の手は借(か)りないようにしましょ。
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T:0116「ふるさと便」
「ほんとに凄(すご)いのよ」美咲(みさき)は友だちの幸恵(ゆきえ)に言った。
「うちのお母さんって、あたしの思ってること何でも分かっちゃうの」
「えっ、そんなことあるのかな?」幸恵は信じられないという顔をした。
「だって、あたしが欲(ほ)しいなぁって思っただけで、宅配(たくはい)で届(とど)いちゃうのよ。この間だって、地元(じもと)の味噌(みそ)と醤油(しょうゆ)でしょ。それに、あたしが子供の頃(ころ)から大好きだったお菓子(かし)まで入ってたのよ」
「へえ、よかったじゃない。もうなくなりそうだって言ってたよね」
「そうなの。電話(でんわ)しようかなって思ってたところに届いたから、びっくりしちゃった」
「じゃあ、もう大丈夫(だいじょうぶ)だよね」幸恵は嬉(うれ)しそうに訊(き)いた。
「でもね、あたし…。お母さんの手料理(てりょうり)が食べたくなっちゃった。お母さんの作るカレー、もう絶品(ぜっぴん)なのよ。幸恵にも食べさせてあげたいなぁ」
 美咲と別れた幸恵は、スマホを取り出して電話をかけた。
「ふるさと便(びん)の吉川(よしかわ)です。いつもお世話(せわ)になっております。実(じつ)は、美咲様がお母様のカレーを食べたいと……。はい、それはもう大丈夫です。当社(とうしゃ)ではオプションサービスで、手料理を温(あたた)かいままお届けすることもいたしております。……はい、ありがとうございます」
<つぶやき>故郷(ふるさと)から届く荷物(にもつ)には、家族(かぞく)の愛が詰(つ)まっています。運ぶ人も思いは同じ。
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T:0117「むむまっふぁ」
 女子会(じょしかい)。結婚(けっこん)とか出産(しゅっさん)・子育(こそだ)てなど、いろんな経験(けいけん)を積(つ)んできた女たちの集まり。中にはまだ未婚(みこん)の女子(じょし)もいたりする。学生の頃(ころ)とは違(ちが)い、いろんな話題(わだい)で盛(も)り上がっていた。
「ほんと、どこで覚(おぼ)えてきたのか。うちの子ったら、あれしてってうるさいのよ」
「なに? あれって」
「もしかして、<むむまっふぁ>じゃない。今、流行(はや)ってるみたいよ」
「そうなのよ。きっと幼稚園(ようちえん)で覚えてきたんだわ。男の子なのにいつまでも甘(あま)えん坊(ぼう)で」
「きっと、それはあれよ」今まで静(しず)かにみんなの話を聞いていた女子が口をはさんだ。
「旦那(だんな)の入れ知恵(ぢえ)ね。自分(じぶん)もやりたいもんだから、子供(こども)をダシにしてるのよ」
「もういやだ。そんなことないわよ。うちの人は…」
「ふふ。あなた、旦那に言われたことないんだ」皮肉(ひにく)めいて女子は言う。
「あるわよ。たまにだけど…」
「気をつけた方がいいかもね。旦那が妙(みょう)に甘える時は、何か隠(かく)し事(ごと)をしてるはずだから」
「そんなことないわよ。私に隠し事なんて…」
「ふふ、おかしい。そう思ってたほうが、幸(しあわ)せかもね。良い母親してなよ」
「あのね、結婚もしてないくせに、何でそんなこと言われなきゃいけないのよ」
 何でも言い合える、そんな女子会はまだまだ続(つづ)くのである。
<つぶやき>憎(にく)まれ口をたたくのは、みんなの話題についていきたいからかもしれません。
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T:0118「よろず様」
 会議室(かいぎしつ)の隅(すみ)に置かれている古(ふる)いロッカー。何でそんなところに置かれているのか不思議(ふしぎ)なのだが、誰(だれ)もそれを移動(いどう)させようとは考えなかった。
 十数年前まで、この部屋は女子更衣室(こういしつ)として使われていた。社屋(しゃおく)の改装(かいそう)のさい、全部(ぜんぶ)のロッカーを外に運び出すことになったのだが、なぜかこのロッカーだけが重(おも)すぎてびくともしないのだ。それに、力任(ちからまか)せに動かそうとすると、全身(ぜんしん)に激痛(げきつう)が走った。それ以来(いらい)、会議室になった今も、その場所に残(のこ)されることになったのだ。
 いつからか、そのロッカーは〈よろず様〉と呼(よ)ばれるようになった。誰が言い出したのか分からないが、よろず様の前で手を合わせて願(ねが)いごとをするとかなう、という噂(うわさ)がささやかれるようになったのだ。社員(しゃいん)の誰もが信じているというわけでもないのだが、中にはこっそりと願いごとをする社員もいるようだ。
 これはあくまでも噂なのだが、社内恋愛(しゃないれんあい)が成就(じょうじゅ)したとか、社内で紛失(ふんしつ)した大事(だいじ)な書類(しょるい)が見つかったとか、ライバルを蹴落(けお)として出世(しゅっせ)したとか。いろんな噂が今でも続いている。それに、これは別のことかもしれないが、誰もいないはずなのに、白い影(かげ)を見たとか…。
 ほら、今日もまた〈よろず様〉に願いごとをする人がやって来ました。
<つぶやき>こんな都市伝説(としでんせつ)、信じますか? あなたの身近にも、あるかもしれません。
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T:0119「初めての笑顔」
 うちのクラスには、ちょっと変わった女の子がいた。誰(だれ)とも友だちにならず、いつも一人でいるのだ。無駄(むだ)なおしゃべりとかしないし、彼女の笑(わら)った顔なんか、一度も見たことがない。別(べつ)にいじめられているわけでもないのに、こんなんで楽(たの)しいことあるのかなぁ。
 学校(がっこう)の帰り道。いつもの川沿(かわぞ)いの道(みち)を歩いていると、土手(どて)の芝生(しばふ)に制服姿(せいふくすがた)の女の子が座(すわ)っていた。よく見ると、それはあの子だ。何でこんなとこにいるのか。彼女の家は、たしかこっちの方角(ほうがく)じゃないはずなのに。僕(ぼく)は声をかけるか迷(まよ)った。クラスメイトと言っても、話をしたことなんてほとんど無(な)い。僕は、そっと彼女の後ろを通り抜(ぬ)けようとした。その時だ。彼女が口を開(ひら)いた。「あの雲(くも)、気持(きも)ちよさそう」
 まわりには僕しかいないから、僕に話しかけてきたって誰だって思うよね。僕は思わず、そうかなって返事(へんじ)を返(かえ)してしまった。後で考えてみると、彼女の独(ひと)り言(ごと)だったのかもしれない。でも、返事をしてしまったからには、そのまま素通(すどお)りなんてできない。
「ねえ、山田(やまだ)くんも一緒(いっしょ)に見てかない?」彼女はそう言うと、恥(は)ずかしそうに笑った。
 僕は突然(とつぜん)のことで、どうしたらいいのか戸惑(とまど)っていた。彼女はそれを感(かん)じ取ったのか、
「別にいいのよ」彼女はうつむいて繰(く)り返した。「ほんとに、いいの。もう行って」
 僕は彼女の隣(となり)に座った。なぜそうしたのか分からない。きっと、彼女の笑顔(えがお)をもう一度見てみたいって、思ったからかもしれない。
<つぶやき>女の子の気持ちは、微妙(びみょう)で複雑(ふくざつ)で…。男子には理解(りかい)できないかもしれません。
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T:0120「始まりは突然に」
 男は、繁華街(はんかがい)で女の子を拾(ひろ)った。どこか寂(さび)しげな彼女の顔(かお)が、目にとまったのだ。何かに導(みちび)かれるように、男は彼女に声をかけていた。
「ほんとに泊(と)めてくれるの?」彼女は半信半疑(はんしんはんぎ)で男に訊(き)いた。
「ああ、あんまりきれいな部屋じゃないけどな」
 男はぎこちなく微笑(ほほえ)んだ。
「ありがとう」彼女は部屋に入ると、ホッとした顔になり言った。「でも、タダで泊めてもらうわけにはいかないわ。お礼(れい)に、あたしのこと、抱(だ)いてもいいよ」
「ふん。俺(おれ)は、好きでもない女は抱かないんだ」
「別にいいのよ。あたし始めてじゃないし。あなたもそのつもりで…」
「俺さ、妹(いもうと)がいたんだ」男はぽつりと言った。「君と同じぐらいの年頃(としごろ)かな。君の顔見てたら、妹のこと思い出してさ。もし、生きてたら…」
「やめてよ、そんな話するの。あたし聞きたくないわ」
「そうか…。そうだよな。忘(わす)れてくれ」男は口をつぐんだ。
 翌朝。彼女が目を覚(さ)ますと、そこに男の姿(すがた)はなかった。枕元(まくらもと)に小さなメモが置(お)かれていた。〈もし泊まるところがなかったら、また来てもいいぞ〉
「何よ、もう」彼女は思わず目を赤くして、「あたし、あなたの名前(なまえ)も知らないのよ」
<つぶやき>いろんな人生を背負(せお)った人たち。ふとしたことで出会い、人生を共有(きょうゆう)する。
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T:0121「妻の独立宣言」
 結婚(けっこん)して一ヵ月。新婚(しんこん)の甘(あま)い生活(せいかつ)を夢見(ゆめみ)ていた私は、夫(おっと)のわがまま放題(ほうだい)にぶち切れてしまいました。結婚前にそういう人だと分かってたら、結婚なんて――。
 まず驚(おどろ)いたのが、朝は俺(おれ)より先に起(お)きるなってこと。朝は私の寝顔(ねがお)を見ていたいからって、なに甘いこと言ってるのよ。じゃあ、朝食(ちょうしょく)は誰(だれ)が作るのよって話よね。それによ、朝食はしっかり食べたいから、三品(さんぴん)以上おかずを作ってくれって。そんなの無理(むり)でしょ。そこまで私に要求(ようきゅう)するなら、もっと朝早く起きればいいじゃない。私はあなたが起きるのを、寝(ね)たふりをしてずっと待(ま)ってるのよ。
 まだあるわ。食べるの遅(おそ)すぎ。よく噛(か)んで食べなきゃいけないのは分かるわよ。でも、朝は忙(いそが)しいんだから。今まで会社(かいしゃ)に遅刻(ちこく)したことないのかなぁ。それに、私が先に食べ終わると怒(おこ)るんだから。私だって、仕事があるんだから付き合ってられないわよ。
 私は夫が望(のぞ)む良(よ)き妻(つま)になることをやめました。対等(たいとう)な立場(たちば)で、共(とも)に生きることを望(のぞ)みます。私は、夫にそう宣言(せんげん)しました。夫は私の言うことを黙(だま)って聞いてたけど…。私は、張(は)り詰(つ)めていたものがスッと取れて、何だか晴(は)れやかな気分(きぶん)になっちゃった。
 その日から、二人の関係(かんけい)も変わった気がします。私が口うるさくなっただけかもしれませんが。夫婦(ふうふ)なんて、思ってることは何でも言わないと、いけないのかもしれません。
<つぶやき>良き夫、良き妻になる。簡単(かんたん)なことじゃないですよね。思いやりを忘(わす)れずに。
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T:0122「二人で一人」
 とある会社(かいしゃ)の面接会場(めんせつかいじょう)。就職(しゅうしょく)氷河期(ひょうがき)と言われる昨今(さつこん)、大勢(おおぜい)の若者(わかもの)であふれていた。一人ずつ名前(なまえ)を呼ばれて部屋へ入って行くのだが――。
「あの、立花薫(たちばなかおる)さんは?」
 面接官(めんせつかん)は二人で入って来た若い男女に訊(たず)ねた。
「はい、私です」二人同時(どうじ)に答える。
「いや、あの…」面接官は履歴書(りれきしょ)を見て、「えっと、男性の方(かた)…」
「あの」女は微笑(ほほえ)みながら優(やさ)しそうな声で言った。「私たち、二人で一人なんです」
「はい? それはどういう…」
「ですから、私たち、お互(たが)いに欠点(けってん)を補(おぎな)いながら暮(く)らしているんです」
「それは…、ご夫婦(ふうふ)という…」
「夫婦じゃありません。ご説明(せつめい)しますと、私はおもにコミュニケーション担当(たんとう)で、この人は事務全般(じむぜんぱん)と理数系(りすうけい)が得意(とくい)なんです。それに、力仕事(ちからしごと)も担当しています」
 面接官はあきれ顔で言った。「あの、うちではそういう採用(さいよう)はしてませんので…」
「でも、御社(おんしゃ)の募集要項(ぼしゅうようこう)にある資格(しかく)も、すべて取得(しゅとく)していますし…」
「でしたら、お一人ずつ面接を受(う)けていただけませんか。そうでないと…」
「でも、二人でないと困(こま)るんです。あの、お給料(きゅうりょう)の方は、一人分でかまいません。私たち、二人で一人なんですから」女は得意(とくい)の笑顔(えがお)を面接官にふりまいた。
<つぶやき>欠点を補い合うのはいいことです。でも、欠点も個性(こせい)なんじゃないのかな。
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T:0123「あこがれの人」
 あたしには、あこがれの先輩(せんぱい)がいる。同じ会社(かいしゃ)の人で、そんなにハンサムとかじゃないけど、真面目(まじめ)でとっても優(やさ)しいの。でも、無駄口(むだぐち)を言う人じゃないから、会社では仕事(しごと)の話しかしたことがない。
 この間、二人だけになった時があったの。あたしが残業(ざんぎょう)してるとき、彼が外回(そとまわ)りから帰って来て…。彼が、ただいま戻(もど)りましたって言ったとき、なんかドキドキしちゃった。だって、あたしだけに言ってくれたのよ。他に誰(だれ)もいないんだから…。
 でも、ダメ。あたし、なに話したらいいのか分からなくて…。お疲(つか)れさまですって、言っただけで後(あと)が続(つづ)かない。彼は自分の机(つくえ)のところに座(すわ)って、書類(しょるい)の整理(せいり)をはじめたの。仕方(しかた)ないから、あたしも仕事してるふりをして…。そんな時よ、彼の方から話しかけてきたの。
「山田(やまだ)さんは、料理(りょうり)とか、得意(とくい)ですか?」
 あたし突然(とつぜん)のとこで動揺(どうよう)しちゃって、
「えっ、あの…。得意というほどでは…。でも、料理するのは嫌(きら)いじゃないです」
 ああ…。なんで得意です、好きですって言わなかったんだろ。もう、バカバカバカ…。
 彼は、そうなんだって言ったきり…。えっ、今のは何だったの? そこで終わりってどういうことよ。何でそんなこと訊(き)いたの? あたしの頭(あたま)の中は??????だらけになって…。彼に聞き返したいのに――。ああっ、そんなこと訊けないよぉ……。
<つぶやき>憧(あこが)れの人の前だと、何も言えなくなるよね。彼の方もそうかもしれませんよ。
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T:0124「謎の女」
 香苗(かなえ)は二泊(はく)三日の旅(たび)に出た。結婚(けっこん)してから女友だちと旅行(りょこう)に出るのは始めてだ。でも、ちょっと心配(しんぱい)もあった。夫(おっと)ひとりで家のこと大丈夫(だいじょうぶ)かしら?
 ――家に帰った香苗は、恐(おそ)る恐る玄関(げんかん)を開けた。夫は出かけているのか、声をかけても返事(へんじ)がなかった。彼女はキッチンから居間(いま)と部屋を見回(みまわ)した。意外(いがい)ときれいに片付(かたづ)いている。いや…、前よりきれいになっているかもしれない。彼女は、そう思った。
「へえ、やるときはやるんだ」香苗は感心(かんしん)したようにつぶやいた。
 その時、後ろから声がした。彼女が振(ふ)り返ると、そこには夫が驚(おどろ)いた顔で立っていた。
「なんだ、いたの?」
「ああ…」夫は妙(みょう)な作(つく)り笑(わら)いをしながら、「おかえり…。早かったね」
 夫の反応(はんのう)は明(あき)らかにおかしい。香苗はソファの上に見馴(みな)れないものがかけてあるのに目がとまった。手に取ってみると、それはエプロン。夫にどういうことか訊(き)こうとしたとき、玄関のチャイムが鳴(な)った。夫は玄関に走る。玄関で女の声が聞こえたかと思うと、ずかずかと若(わか)い女が上がり込んできた。その女は、香苗が持っていたエプロンを見つけると、
「それ、私のです。忘(わす)れちゃって。もうほんと、私ってそそっかしくって」
 若い女は香苗からエプロンを受(う)け取ると、そのまま出て行ってしまった。
<つぶやき>彼女はいったい誰(だれ)だったんでしょう。夫が雇(やと)った家政婦(かせいふ)さん? それとも…。
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T:0125「恋がたき」
 俊夫(としお)は友だちの紹介(しょうかい)で彼女ができた。まだ付き合い始めて日も浅(あさ)いので、彼女とのデートはドキドキで、自分でもワケがわからずハイテンションになっていた。逢(あ)えない日には、電話でおしゃべりをした。おもに、彼の方が聞き役(やく)に回るのだが…。
 今日も、俊夫は彼女と楽しそうに電話をしていた。いつも膝(ひざ)の上で喉(のど)を鳴(な)らしている飼(か)い猫(ねこ)が、いつになく電話を気にしているようだ。おもむろに膝の上で立ち上がると――。
「ねえ、誰(だれ)と話してるのよ」
 女の甘(あま)くささやくような声がした。その声は、電話の向(む)こうまで聞こえていたようで、
「俊夫さん、誰かそこにいるの?」
 彼女が不審(ふしん)がるのは当然(とうぜん)の反応(はんのう)だ。でも、いちばん驚(おどろ)いていたのは俊夫の方だ。誰もいるはずがないのに、女性の声が聞こえたのだから。また、声がした。
「あたし、もう待(ま)てないわ。早くしてよ」さらに甘える声で、「お・ね・が・い」
「ねえ、聞いてるの俊夫さん。今の声は誰よ。まさか、私の他に…。もう、信じられない!」
「ちょ、待ってよ」俊夫は慌(あわ)てて言った。「誰もいるはずないだろ。僕(ぼく)は君(きみ)だけ――」
「じゃ、今のは? 女の声がしたじゃない。私、あなたがそんな人だとは思わなかったわ」
 彼女は泣(な)きながら電話を切った。俊夫の頭の中では、〈なんで、なんで〉がぐるぐると駆(か)けめぐった。飼い猫はそれを見て膝の上で寝(ね)そべり、満足(まんぞく)そうに喉を鳴らし始めた。
<つぶやき>この後、どうなったんでしょ。猫がしゃべるなんて信じてもらえないよね。
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T:0126「一生分の幸せ」
「僕(ぼく)と付き合ってくれないか?」
 隆(たかし)は一大決心(いちだいけっしん)で由香里(ゆかり)に告白(こくはく)をした。
「えっ、あたしと?」由香里は顔を赤らめて、「でも、でも…」
「僕は、君のことが好きなんだ。前からずっと」
「でも…、それじゃ幸(しあわ)せになりすぎてしまうわ。だからあたし…、付き合えない」
「僕のこと好きじゃないってことか…」隆は肩(かた)を落としてうなだれた。
「好きよ、あたしも。でもね…」由香里は隆に背(せ)を向けて、「人の幸せの分量(ぶんりょう)はね、生まれた時に決められちゃうの。だから、もしあなたと付き合ってしまったら、一生(いっしょう)分の幸せを使い切ってしまうかもしれないでしょ。あたしは、少しの幸せで良いの。その方が、最後(さいご)まで幸せでいられるじゃない」
「大丈夫(だいじょうぶ)だよ」隆は由香里を振(ふ)り向かせると、「僕が、幸せにしてあげる」
「ダメよ。そんなこと、できないわ。もう決まってるんだから」
「そんなことないさ。そりゃ、僕なんかじゃ…。君のことほんとに幸せにできるのか、自信(じしん)があるわけじゃない。けどね、僕はこう思うんだ。二人が笑(わら)っていられれば、幸せだって2倍になる。もし、子供(こども)ができれば3倍、4倍にだってなるんだ。二人で、幸せを増(ふ)やしていこうよ。僕は、君の笑顔を見てるだけで、じゅうぶん幸せなんだ」
<つぶやき>幸せって何でしょうか? 人それぞれ、いろんな幸せがあるんでしょうね。
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T:0127「人類の始まり」
 とある大学(だいがく)の研究室(けんきゅうしつ)。今、ここでは壮大(そうだい)な実験(じっけん)が行われようとしていた。学生(がくせい)を前にして、教授(きょうじゅ)が実験の趣旨(しゅし)について話しはじめた。
「これから君たちには、私の実験に参加(さんか)してもらう。実験のテーマは、<人類(じんるい)はいかにして言葉(ことば)を手に入れたのか>。私の考(かんが)えでは、全(すべ)ての言葉の始まりは<ア>だ。ウキウキでもなく、ウホウホでもなく、<ア>が全ての言葉の始まりなのだよ。そこでだ、今後(こんご)、この研究室内での会話(かいわ)は全て<ア>を使うことにする。それ以外(いがい)の言葉を使った者(もの)には、単位(たんい)はつかないと思ってくれ。では、今から――」
「教授、待って下さい」学生のひとりが声をあげた。「いきなりそんなこと言われても」
「アア、アアアアア、アアアーアー(もう、実験は始まっているぞ)」
 学生たちには選択(せんたく)の余地(よち)はなかった。誰(だれ)からともなく<ア>を使い始めると、研究室全体(ぜんたい)が<ア>で埋(う)め尽(つ)くされていった。それは、さながら原始時代(げんしじだい)に戻(もど)ったようだ。中には、猿(さる)の真似(まね)をする学生も現れた。教授はその様子(ようす)を満足(まんぞく)そうに見つめていた。
 数日後のことである。研究室の前の廊下(ろうか)に学生たちが集まっていた。教授が姿(すがた)を見せると、学生たちは教授に詰(つ)め寄(よ)り言った。
「いつまでこの実験を続けるんですか? こんなことをやって何の意味(いみ)があるんです」
「意味を考えるな。原始人になりきるのだ。そうすれば、おのずと言葉は生まれてくる」
<つぶやき>言葉の誕生(たんじょう)の瞬間(しゅんかん)はどうだったのかな。この実験で新語(しんご)が誕生するかもね。
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T:0128「お宝争奪戦」
 地球(ちきゅう)の上空(じょうくう)には大量(たいりょう)の宇宙(うちゅう)ゴミがただよっている。
 ある日、そのゴミの中に未確認(みかくにん)の物体(ぶったい)を発見(はっけん)した。直径(ちょっけい)2メートルほどの物体なので、人工衛星(じんこうえいせい)であることは間違(まちが)いないようだ。偶然(ぐうぜん)発見したとはいえ、これだけの大きさの物をなぜ今まで確認できなかったのか不思議(ふしぎ)である。しかし、どこの国に問(と)い合わせても、その場所(ばしょ)に衛星(えいせい)を打ち上げた記録(きろく)は残(のこ)されていなかった。
 観測(かんそく)を続けてみると、その謎(なぞ)の衛星は地球の上空を不規則(ふきそく)に動きまわっていることが分かった。まるで意志(いし)をもっているかのように、使われなくなった人工衛星などに近付いたり離(はな)れたりを繰(く)り返していた。
「今度のはデカいから稼(かせ)げるかもな」
「そうだな。まったく地球人って奴(やつ)は、何でこんなとこに放(ほう)っておくんだろうなぁ」
「でも、そのおかげで、俺(おれ)たちは何の苦労(くろう)もなくお宝(たから)をいただけるわけだ」
「まったくだ。俺たち盗賊(とうぞく)にとっちゃ、宝の山だぜ」
「こんなに遠くまで来たんだ。せいぜい稼がせてもらおうぜ」
「オイ、あれを見ろよ。どこの宇宙船(うちゅうせん)だ?」
「俺たちのお宝を横取(よこど)りしようなんて、ふてえ野郎(やろう)だ。追(お)っ払(ぱら)ってやろうぜ」
<つぶやき>私たち地球人の知らないところで、こんな争(あらそ)いが起きているかもしれません。
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T:0129「髪を切った理由(わけ)」
 私は髪(かみ)を切った。それもかなり大胆(だいたん)に、フェアリーショートにしてしまった。今までずっと髪を長くしていたので、まわりの人から嫌(いや)というほど質問攻(しつもんぜ)めにあった。でも、別に特別(とくべつ)な理由(りゆう)があるわけじゃないの。ただ何となく切りたくなっちゃっただけ。切ってみると、何だかこれもありかなって、私はとても気に入ってるんだ。
 翌日(よくじつ)の朝。職場(しょくば)の友だちからメールが届(とど)いた。その内容(ないよう)を見て私は驚(おどろ)いた。私が彼にふられて髪を切ったことになっていた。それも、この件(けん)に関(かん)して私には訊(き)かないようにって…。まったくドジな話よね。私にまで一斉(いつせい)メールをするなんて。
 私はため息(いき)をついた。これから友だちと会うとき、どんな顔をすればいいのよ。だいいち、私には彼なんていないし、どこからそんな話が出てきたのかな? 私のいないところで、どんどん話が膨(ふく)らんでいるようで…。
 よし、こうなったらはっきり訂正(ていせい)しといたほうがいいわ。私は彼女にメールを打った。送信(そうしん)ボタンを押(お)そうとしたとき、いやーな考えが頭に浮(う)かんだ。彼女、どこまでメールを送ったのかな? 仕事関係(しごとかんけい)とか、会社(かいしゃ)の同僚(どうりょう)や上司(じょうし)とか…。まさか、そこまで…。
 彼女って、まだ若(わか)いのに誰(だれ)とでも仲(なか)よくなって。そういえば、社食(しゃしょく)で部長(ぶちょう)とアドレス交換(こうかん)してたわ。――今日、会社休もかなぁ。でも、そしたら失恋(しつれん)の痛手(いたで)とかって思われて…。
「あーっ、もう!」私は思わず叫(さけ)んでしまった。
<つぶやき>間違いはすぐに訂正しておきましょう。あいまいにしておくのは要注意(ようちゅうい)です。
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T:0130「お天気ママ」
 ママの天気予報(てんきよほう)は不思議(ふしぎ)なくらいよく当(あ)たる。でもね、まれにママの天気予報がはずれてしまうことがある。その時は、ママの体調(たいちょう)が悪(わる)いときなの。病気(びょうき)になる前兆(ぜんちょう)みたい。前にね、突然(とつぜん)倒(たお)れてしまったことがあって、その時は大変(たいへん)だったわ。それからというもの、ママが天気予報をはずした時は、家族(かぞく)みんな、真(ま)っ先に家に帰ることにしているの。
 今日のこと。テレビの天気予報は晴(は)れなのに、ママは午後(ごご)から雨(あめ)になるかもって言ったの。でもね、昼が過ぎても雨になる気配(けはい)もなかった。あたしは心配(しんぱい)になって家に電話をしたわ。いつもなら、ママがいるはずの時間なのに誰(だれ)も出ないの。あたしはますます心配になって、学校を早退(そうたい)して家へ急(いそ)いだわ。家に帰るとパパがいて、ママと話しをしていた。
「もう、何なのよ」ママはあきれた顔で言った。「私だって、間違(まちが)えることあるわよ」
「でも、ママ。一応(いちおう)、病院(びょういん)で検査(けんさ)してもらおうよ」
「パパ、なに言ってるの? そんなに心配しなくても、私はどこも悪くないわよ」
「でも、もしもってこともあるから」
「そうよ、ママ。あたし、ママがいなくちゃ何もできないのよ」
「じゃあ、今日から、家事(かじ)とか手伝(てつだ)ってくれるよね。いろいろ教(おし)えてあげるから」
 ママはそう言うと、にっこり微笑(ほほえ)んだ。
<つぶやき>母から教わることっていっぱいあるかも。何か教えられたことありますか?
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T:0131「乙女たちの恋模様」
「ねえ、どんな彼を連(つ)れて来ると思う?」心愛(ここあ)はワクワクしながら訊(き)いた。
「そうねぇ、きっと普通(ふつう)なんじゃない」結衣(ゆい)はあまり興味(きょうみ)がなさそうだ。
「でも短大(たんだい)のとき言ってたじゃない。絶対(ぜったい)、美男子(びだんし)で高収入(こうしゅうにゅう)で優(やさ)しい人と結婚(けっこん)するって」
「あのね、そんな人いるわけないでしょ。ちょっと考(かんが)えれば分かることだわ」
「そりゃ、そうだけど。愛子(あいこ)のことだもん、ひょっとしてってこともあるでしょ」
「ないない、絶対(ぜったい)あり得(え)ない。あの子って、口ばっかりなんだから。心愛だって知ってるでしょ。あんないい加減(かげん)で、優柔不断(ゆうじゅうふだん)で…。何で私が、会わなきゃいけないのよ」
「忘(わす)れちゃったの? 卒業(そつぎょう)のとき決(き)めたじゃない、三人で。結婚するときは、みんなでお祝(いわ)いしようって。もう、そんな顔しないで。二人で祝ってあげようよ」
 心愛は、結衣に微笑(ほほえ)んで見せた。それを見た結衣は、仕方(しかた)なく口を横(よこ)に伸(の)ばして歯(は)を出して見せた。その顔に、心愛は思わず吹(ふ)き出した。
「私、あなたみたいに笑えないから」結衣はますます不機嫌(ふきげん)になった。
「そんなことないわよ。だって、あたし知ってるもん。結衣の笑顔」
「何で…。私、忘れたわ。そんな昔(むかし)のこと…」
「ねえ、あの彼とは、その後、どうなの?」
「知らないわよ。あんな人のことなんか。私、もう誰(だれ)とも付き合うつもりないから」
<つぶやき>恋することで乙女(おとめ)は奇麗(きれい)になっていくのです。いつまでも、恋(こい)をしましょう。
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T:0132「見守りメール」
 いつからだろう、知らない人からメールが届(とど)くようになったのは。でも、それは迷惑(めいわく)メールとかじゃなくて、いつも私を助(たす)けてくれたの。
 道(みち)に迷(まよ)ってしまった時には、分かりやすく道順(みちじゅん)を指示(しじ)してくれたり。友だちとランチする時も、近くにある隠(かく)れた名店(めいてん)を教えてくれた。他にも、友だちとはしゃぎすぎて終電(しゅうでん)の時間を忘(わす)れていると、ちゃんと時間を教えてくれて、早く帰るように注意(ちゅうい)してくれる。
 どうして私の行動(こうどう)が分かるのか? 最初(さいしょ)のうちは、とっても恐(こわ)かったわ。もしかして、ストーカーじゃないかって思った時もある。でもね、誰(だれ)かにつけられているとか、そんな気配(けはい)まったくなかったの。時々(ときどき)は、うるさいな、ほっといてって思う時もあったけど。いま思うと、私のために言ってくれたんだと思う。まるで、父親みたいな感(かん)じでね。
 私が結婚(けっこん)を決めた時から、そのメールは送られてこなくなった。今まで当たり前のように届いていたから、何だか寂(さび)しいというか…。変な話よね。だって、会ったこともない人なのよ。それなのに、その人は私の身近(みぢか)な人になっていた。私のこと、もう面倒臭(めんどくさ)いと思ったのかな? いつまでたっても、私って成長(せいちょう)しないから。だから、やめちゃったのかな。
 いや、違(ちが)うわ。そんな人じゃないと思う。きっと、私が新しい人生(じんせい)を踏(ふ)み出したから、もう心配(しんぱい)ないって思ってくれたんじゃないかな。そうだといいんだけど…。
〈今までありがとう〉私は、最初で最後の返信(へんしん)メールを送った。
<つぶやき>誰だったの? でも見守られていると安心(あんしん)できますよね。感謝(かんしゃ)を忘れないで。
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T:0133「恋に悩む」
 大学生(だいがくせい)になった私は、いくつもの恋(こい)を経験(けいけん)し…。と言っても、楽しいのは最初(さいしょ)のうちだけで、いつも彼の方から別れを宣告(せんこく)されていた。今度もまた――。
「またなの?」佑希(ゆうき)はあきれた顔でつぶやいた。
「だって…。ねえ、どうしてかな? 私って、そんなにイヤな女?」
「まあ、そうなんじゃないの。ほら、あれよ。ミキは世話(せわ)をやきすぎるのよ」
「だって、喜(よろこ)んでくれたから。だから私…」
「そりゃ、付き合い始めはそうかもしれないけど。限度(げんど)があるでしょ」
「でも、もっと喜んで欲(ほ)しいじゃん。私、彼の楽しそうな顔、見ていたいの」
「だからって、いつも一緒(いっしょ)ってわけにいかないでしょ。たまには、彼をひとりにして…」
「ダメよ、そんなの。彼をひとりになんかさせられないわ」
「それがいけないのよ。誰(だれ)だって、ひとりになりたい時ってあると思うよ」
「でも…」ミキは哀(かな)しそうな目でうつむいた。
「まあ、いいんじゃないの。失敗(しっぱい)しただけ成功(せいこう)に近づくんだから。次も、がんばりなよ」
「次、あるかな? 私、成功できると思う?」
「それは、分かんないわ。でも、いつか物好(ものず)きが現れるかもね」
「ひどい。何で、そんなこと言うのよ。私、真剣(しんけん)に悩(なや)んでるんだから…」
<つぶやき>恋の悩みは尽(つ)きないものかも。恋に恋することなく、人に恋をしましょうね。
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T:0134「真実は闇の中」
 お休みの朝。蘭子(らんこ)はコーヒーを飲みながら、今日は何をしようかと思いをめぐらせていた。そんな時、玄関(げんかん)のチャイムが鳴(な)り、良枝(よしえ)が尋(たず)ねてきた。良枝はドアを開けるなり、蘭子に平手打(ひらてう)ちをくらわせて言った。「どういうつもりよ! ひとの旦那(だんな)に手を出すなんて」
 蘭子は向かってくる良枝を何とか押(お)さえつけて、なだめるように言った。
「ねえ、落ち着いてよ。何のことか、あたしには分からないわ」
「とぼけても無駄(むだ)よ。ちゃんと、うちの人が白状(はくじょう)したんだから」
「ほんとに知らないわよ。あたしがそんなことするわけないでしょ」
 蘭子は良枝を突(つ)き飛ばした。良枝は悔(くや)しさが込み上げてきて、その場で泣き崩(くず)れた。
「言っとくけど、あたし、あなたの旦那に興味(きょうみ)なんかないわよ。何であたしが…」
「言ったのよ、寝言(ねごと)で。蘭子、蘭子って…」良枝は絞(しぼ)り出すように言った。
「寝言って何よ。そんなんで、あたしのこと浮気相手(うわきあいて)って思ったの?」
「違(ちが)うわよ。今朝、旦那を問(と)い詰(つ)めたら、付き合ってるって言ったの」
「それは…、あたしじゃないわ。ねえ、あなたたちを引き合わせたのはあたしよ」
 蘭子は良枝を優(やさ)しく抱(だ)き寄せて、ささやいた。「あたしは、あなたの味方(みかた)よ。信じて」
 蘭子の顔はあくまでも穏(おだ)やかだが、口元(くちもと)がわずかに微笑(ほほえ)んでいるようだった。
<つぶやき>人の気持ちは誰にも分かりません。本人でも、気づかないことありますから。
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T:0135「あぶない贈り物」
「お姉(ねえ)ちゃん、何やってたの」杏(あん)はじれったそうに帰ったばかりの美鈴(みすず)の手を引っぱった。
 美鈴は靴(くつ)を脱(ぬ)ぐのもそこそこに、居間(いま)へ押(お)し込まれてしまった。そこで杏は少し怯(おび)えたような感じで、居間の中央(ちゅうおう)に置かれた小包(こづつみ)を指(ゆび)さして言った。
「ほら…、それ」
「何なのよ」美鈴はその小包を手に取って、「誰(だれ)からきたの?」
「小林(こばやし)の叔父(おじ)さんよ。ほら、世界中を放浪(ほうろう)してる」
「えっ!」美鈴は思わず手に持った小包を落としそうになった。「う、嘘(うそ)でしょ…」
 美鈴は危険物(きけんぶつ)を扱(あつか)うように、持っていた小包をそっと畳(たたみ)の上に置くと、ゆっくり後退(あとずさ)った。そして、妹(いもうと)と顔を見合わせて訊(き)いた。
「ねえ、お母さんにきたんだよね。私じゃないよね」
「あたし、ちゃんと見たよ。お姉ちゃんの名前になってた」
「何で! 私、いらないよ。あんたにあげるから…、好(す)きにしていいよ」
「いらないわよ。あたし、去年(きょねん)もらったし。それで充分(じゅうぶん)。もう、思い出したくもないわ」
「そんなこと言わないで。お姉ちゃんの言うこと聞けないの!」
「いやよ。お姉ちゃんにきたんだから」杏は美鈴の背中(せなか)を押しやり、「早く開けなさいよ」
「そんな…」美鈴は恐(おそ)る恐る近づくが、途中(とちゅう)で足がすくんでしまい引き返してしまった。
「ねえ、お母さんが帰ってきてからにしない? そうしようよ、ねっ」
<つぶやき>とんでもない珍(めずら)しいものが入っているかも。何が入っているのか興味津々(きょうみしんしん)。
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T:0136「生き残り大作戦」
 とあるスーパーのバックヤード。従業員(じゅうぎょういん)やパートのおばさんたちが集められていた。彼らを前に、店長(てんちょう)が沈痛(ちんつう)な面持(おもも)ちで話しはじめた。
「近くに新しいスーパーが開店(かいてん)した影響(えいきょう)で、ここ数ヵ月間、売上(うりあげ)は日を増(ま)すごとに下降(かこう)しています。このままでは、最悪(さいあく)の場合、閉店(へいてん)に追(お)いこまれるかもしれません。そこで、みなさんに、お客(きゃく)を集める良いアイデアを考えてもらいたいんです」
 従業員たちも客が減(へ)っていることは気づいていた。しかし、この状況(じょうきょう)を打開(だかい)できるようなアイデアは出そうになかった。そんな時、パートのおばさんが呟(つぶや)いた。
「ここがなくなると困(こま)るわ。だって、新しいとこ、ここより遠(とお)いんだもの」
 この呟きで他のパートのおばさんたちも、重(おも)い口を開きはじめた。
「よそのスーパーでやらないようなことをすれば良いんじゃない。たとえば、ゆるキャラみたいなの作って、バンバン宣伝(せんでん)して、イベントとかやっちゃうのよ」
「イベントやるんだったら、私たちでAKB48みたいなアイドルグループを作ろうよ」
「そんなの無理(むり)でしょ。それより、託児所(たくじしょ)とかあれば良いんじゃない。ついでに買い物もできて、若(わか)い奥(おく)さんには大助(おおだす)かりよ」
 この後(あと)も会議(かいぎ)は白熱(はくねつ)した。いつの間にか、みんなの顔に笑顔がこぼれていた。
<つぶやき>パートのおばさん目線(めせん)は、参考(さんこう)になるかもしれません。主婦(しゅふ)のプロですから。
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T:0137「逆転の悪夢」
 太郎(たろう)は昨夜(ゆうべ)、些細(ささい)なことで帆波(ほなみ)と口論(こうろん)になった。いつものことなのだが、妻(つま)の愚図(ぐず)なところが我慢(がまん)ならないのだ。イライラしながら眠(ねむ)りについたせいか、太郎は朝目覚(めざ)めても何だか頭が重く、ベッドから起き上がる気にもなれなかった。でも、仕事(しごと)に行かないと…。太郎はベッドから起き上がろうと頑張(がんば)った。その時、寝室(しんしつ)のドアが勢(いきお)いよく開いた。
「いつまで寝(ね)てんのよ! ほんとに愚図なんだから」
 それは、妻の帆波だった。でも、いつものおっとりした様子(ようす)はなく、その目はつり上がり鬼嫁(おによめ)のようだった。帆波は太郎の腕(うで)をつかみ、ベッドから引きずりおろすと言った。
「早く朝食(ちょうしょく)を作りなさい。仕事に遅(おく)れるでしょ!」さらに罵声(ばせい)は続く。「あなたはノロいんだから。いつも言ってるでしょ。何であたしの言うように、早く起きないのよ!」
「おい、帆波。どうしたんだよ。何で…」
「口答(くちごた)えしないで、さっさとやりなさい! ほんと愚図なんだから」
 帆波は夫(おっと)を締(し)め上げた。その力といったら、大(だい)の男でも抵抗(ていこう)できないほどだった。太郎は、苦(くる)しさのあまり手足をばたつかせ、何とか逃(のが)れようと必死(ひっし)でもがいた。
 その時、どこからか天使(てんし)のような声が聞こえた。「あなた…、どうしたの?」
 太郎が目を開けると、妻の顔があった。太郎は大きく息(いき)をついた。帆波は、いつもと変わらない笑顔(えがお)を見せて、「昨夜は、ごめんなさい。ねえ、もう起きないと、会社遅れるよ」
<つぶやき>たまには相手(あいて)の立場(たちば)になって考えてみて。自分がどう見られているのかを。
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T:0138「隠しごと」
 最近(さいきん)、彼の様子(ようす)がおかしい、と言うかめっちゃくちゃあやしい。明らかに、私のことさけてるし、彼の部屋(へや)に行っても中に入れてくれないの。私、彼のこと、誠実(せいじつ)で嘘(うそ)なんかつかない人だと思ってたのに。こうなったら、浮気(うわき)してるとこを突(つ)き止めてやるわ。
 私は探偵(たんてい)のように彼の会社(かいしゃ)の前に張(は)り付いた。彼は、私とデートしない時は真(ま)っすぐにアパートに帰るはずよ。――思った通り、彼は自分のアパートの方へ歩いて行った。
 私はちょっとホッとした。浮気じゃないかも…。でも次の瞬間(しゅんかん)、彼は脇道(わきみち)へそれて行く。えっ…? どこへ行くのよ。私は、胸(むね)がドキドキしてきた。
 彼は、とあるお店に入った。私は店内(てんない)を覗(のぞ)こうとして、思わずくしゃみが飛(と)び出した。何だか、鼻(はな)がむずむずして。ダメだ、ここってペットショップじゃない。私、猫(ねこ)アレルギーなの。しばらくして、彼は紙袋(かみぶくろ)を手に出てきた。何を買ったのよ? きっと、浮気相手(あいて)は動物好きなんだわ。彼、猫好きだったし…。彼は、そのまま自分のアパートへ向かった。
 もう、こうなったら現場(げんば)を押(お)さえるしかないわ。彼の部屋のドアをノックして…。彼は、私の顔を見て驚(おどろ)いた様子。すかさず私は、彼を押しのけて部屋へ突入(とつにゅう)! だが、そこには女の影(かげ)はなく、私はくしゃみが止まらなくなった。彼は、そんな私を部屋の外へ連(つ)れ出して言った。
「ごめん。友だちが旅行(りょこう)するからって、猫を預(あず)かってて…。それで…」
<つぶやき>隠(かく)しごとはしないようにしましょ。そうしないと、誤解(ごかい)の連鎖(れんさ)が始まります。
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T:0139「変わりたい」
「もう、つまんない」これがあたしの口癖(くちぐせ)になっていた。
 彼と暮(く)らし始めた頃(ころ)、毎日が楽しくて、こんな日がずーっと続くと思ってた。
「洗濯物(せんたくもの)、たたんどいたよ」彼はいつものようにあたしに微笑(ほほえ)みかける。
 あたしは膨(ふく)れっ面(つら)をして、「やろうと思ってたのに、何で先(さき)にやっちゃうのよ」
「ごめん。でも、ほら、君は忙(いそが)しそうだから…」
「忙しくたって、それくらいやれるわよ。もう、勝手(かって)なことしないで」
「だから、謝(あやま)ってるじゃないか」彼は困(こま)った顔をしてあたしを見つめる。
 これは、いつものちょとした喧嘩(けんか)。すぐに仲直(なかなお)りして、また元通(もとどお)りになるって――。でも、そう思っていたのは、あたしだけだったのかもしれない。彼がどんな気持ちでいるのかなんて、全然(ぜんぜん)考えていなかった。
 彼から突然(とつぜん)別れようって言われたとき、あたしは彼のこと責(せ)めたわ。彼のことがどうしても許(ゆる)せなかった。
 ――彼と別れて、初めて気づいたの。彼はあたしのこと、ちゃんと考えてくれていた。でもあたしは、ずっと彼に甘(あま)えてばかり…。彼は出て行くとき、心配(しんぱい)そうな顔をしてあたしを気づかっていた。なのにあたしは、声をかけるどころか顔を見ようともしなかった。
 今でも、彼のことは好きよ。――あたし、変わりたい。もっといい女になって、彼に会いに行くの。またふられてもいい、嫌(きら)われてもいい。もう一度、告白(こくはく)するんだ。
<つぶやき>不変(ふへん)の愛(あい)はないのかも。あっちこっちぶつかりながら、育(そだ)てていくものです。
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T:0140「妻の手料理」
「どう? 美味(おい)しくない?」妻(つま)のこの一言(ひとこと)で、私は身震(みぶる)いした。この言葉(ことば)の裏(うら)には、間違(まちが)いなく〈美味しいでしょ。美味しいって言って。美味しいはずよ〉という、彼女の願望(がんぼう)というか、熱望(ねつぼう)が込められている。
 妻は創作料理(そうさくりょうり)とか言って、たまにとんでもない料理を作ることがある。それが、ほとんどの確率(かくりつ)で口に出来(でき)るものではないのだ。でも、彼女の方は味(あじ)が分からないのか、美味しいものと思い込んでいるから始末(しまつ)が悪(わる)い。もしここで、私が不味(まず)いと言ったら最後(さいご)、妻は三日は立ち直れなくなってしまう。その落ち込みようといったら、半端(はんぱ)なものではないのだ。それに、ここであいまいな返事(へんじ)をしてしまうと、次の日も、また次の日も、私が美味しいと言わない限(かぎ)り、同じ料理がアレンジを加(くわ)えられて出てくるのだ。
 妻は私が料理にどんな評価(ひょうか)を下すのか、満面(まんめん)の笑顔(えがお)で待っている。私は、これでも男だ。ここでビシッと言わないと。そうは思うのだが、その後のことを考えてしまうと…。
 妻はそんな私のことなどお構(かま)いなしに言うのだ。
「この食材(しょくざい)の組み合わせは、他の人には絶対(ぜったい)に思いつかないと思うの。それに、味付(あじつ)けも斬新(ざんしん)でしょ。きっと、あなたも気に入ってくれると思うわ」
「ああ…、そうだね。とっても美味しいよ。でもね…」
「そうでしょ! そうだと思った。まだ、たくさんあるからね」
<つぶやき>これは難しい問題なのかもしれません。でも、正直(しょうじき)に答えてあげた方が…。
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T:0141「自己中娘」
 私にはちょっと変わった友だちがいる。まわりを意識(いしき)しすぎるというか、一緒(いっしょ)にいるととっても疲(つか)れてしまうの。この間(あいだ)も、待ち合わせのオープンカフェで…。
「ねえ、さっきからあの人、あたしをずっと見てるわ」
 私がそっちを見ようとすると、彼女はそれを止めて、
「見ちゃダメよ。こっちが気にしてるって分かったら大変(たいへん)よ」
「でも、それって気のせいよ。きっと…」
「彼だけじゃないわ。ほら、あの人も、こっちの人も、外(そと)を歩いてる人だって、みんなあたしのことジロジロ見つめて…。美(うつく)しすぎるって、ほんと罪(つみ)よね」
 確(たし)かに、彼女は私よりは奇麗(きれい)よ。それは認(みと)めるわ。でも、世の中の男がすべてあなたを見てるわけじゃないわ。私はあきれてしまって、紅茶(こうちゃ)をひとくち口にする。そして、彼女に目を戻(もど)すと…。彼女はしきりに手を振(ふ)っていた。
「なにしてるの?」私は当然(とうぜん)の反応(はんのう)として彼女に訊(き)いた。
「おかしいの…。あそこにいる人、私のこと見ようともしないのよ」
 彼女の目線(めせん)の先(さき)には若い男性。見ないのは当然(とうぜん)よ。だって、本(ほん)を読んでるんだから。
「あの人、どうかしてるわ。ねえ、ちょっと行ってきて。さり気なく、あたしの方を振り向かせるの。だって、本なんかより、あたしの方がずっと見る価値(かち)があるでしょ」
<つぶやき>こんな困(こま)った娘(こ)いるんでしょうか。でも、自分を美しく見せるのは大切(たいせつ)です。
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T:0142「保険の人」
 私は父と二人暮(ぐ)らし。母はずいぶん前に亡(な)くなっている。だからってこともないけど、結婚(けっこん)したいって気にはならなかった。そんな私も、年頃(としごろ)を過(す)ぎてやっと結婚を決めた。
 これを機(き)に、私は父を旅行(りょこう)に誘(さそ)った。父への感謝(かんしゃ)も込めて、二人で楽しい思い出を作ろうと思ったの。でも、父にはちょっと変な癖(くせ)があって、何にでも保険(ほけん)をかけたがるんだ。
 父はすぐに旅行の準備(じゅんび)をはじめた。旅先(たびさき)の地図(ちず)とコンパス。寝袋(ねぶくろ)に大量(たいりょう)の非常食(ひじょうしょく)、それに薬(くすり)の数々。私は唖然(あぜん)とした。一泊(ぱく)二日の温泉(おんせん)旅行なのに、何でこんなに…。父は、旅先は何が起こるかわからんって言って。私は即座(そくざ)に却下(きゃっか)したけど。旅館(りょかん)に着いてからも大変だった。旅の雰囲気(ふんいき)を味(あじ)わうどころじゃないわ。やっと落ち着けたのは食事(しょくじ)のとき。
 父はビールを飲みながら、ぽつりと言った。「本当(ほんとう)に、あの男でいいのか?」
 父は結婚について反対(はんたい)はしなかったので、まさか今になってそんなこと言うなんて。
「ちゃんと、保険はかけてあるんだろうな?」
「保険って…」私はそのままの言葉を受け取って答えた。
「まだ、そんなのいいわよ」
「よくない。ちゃんと彼の代わりを用意(ようい)しておかないと。もし、あの男とダメになっても、キープの男がいれば安心(あんしん)じゃないか」
「そ、そんなのいないわよ。お父さんだって、お母さんのことずっと好きだったんでしょ」
「ああ、ずっと好きだったぞ。でも、お母さんは保険の方だったんだがな」
<つぶやき>娘として、こんな父親どうなんでしょ。でも、きっと良い父親だったのかな。
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T:0143「直球娘」
 私は、何でも白黒(しろくろ)はっきりさせないと気がすまない性格(せいかく)だ。いつまでもグズグズと何も決められない人を見ていると、身体(からだ)がムズムズして口を出さずにはいられなくなる。おかげで、私の友だちはごくわずか…。でも、私はまったく気にしない。これが私なんだから。
 そんな私が、不覚(ふかく)にも恋をした。それも一目惚(ひとめぼ)れという、私の中で想像(そうぞう)すら出来(でき)ない状況(じょうきょう)におちいった。彼の前に出ると、いつもの私ではいられなくなってしまうのだ。
 私は、この心のザワザワを解消(かいしょう)すべく、彼に告白(こくはく)することにした。私は彼が現(あらわ)れるのを待(ま)った。彼の行動(こうどう)は把握(はあく)している。もうすぐ来てくれるはずだ。
 いつもの時刻(じこく)にドアが開き、彼がその姿(すがた)を現した。彼はいつもの席(せき)に座(すわ)り、私がそばに行くのを待っている。私は彼の前に水の入ったコップを置(お)く。彼はそこで言うのだ。
「ホットとモンブラン」何のためらいもなく、潔(いさぎよ)いその声に私はうっとりとしてしまう。
 いけないわ。ここよ、ここで言わないと。もうひとりの私が命令(めいれい)する。
「私と付き合って下さい」――言えた、言えたわよ、私。
 私は期待(きたい)を込(こ)めて彼を見つめる。彼はキョトンとして、「えっ、なに?」
「好きだって言ってるのよ。付き合うのか、付き合わないのかハッキリしろよ!」
 次の瞬間(しゅんかん)、私は後悔(こうかい)と恥(は)ずかしさで、顔をまっ赤にして逃(に)げ出した。私のほろ苦(にが)い恋の話――。どういうわけか、その彼は、私の横(よこ)で気持ちよさそうに寝息(ねいき)をたてている。
<つぶやき>彼女の信念(しんねん)はどんな時でも揺(ゆ)らがない。彼はそこに惚(ほ)れたのかもしれません。
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T:0144「恋の道しるべ」
 僕(ぼく)は古本屋(ふるほんや)で買った本の中に手書(てが)きの地図(ちず)を見つけた。たまたま遊(あそ)びに来ていた友人たちにその地図を見せると、宝(たから)の地図じゃないのかと盛(も)り上がった。
「――探そうって言ったて、地名(ちめい)とか書いてないからなぁ。どこの地図か分かんないだろ」
「でも、これ橋(はし)の名前(なまえ)だよな。富士見橋(ふじみばし)って書いてあるぞ」
 みんなはおでこをぶつけるように、地図に見入(みい)った。一人が言った。
「俺(おれ)、知ってるぞ。家の近くにある小さな橋、富士見橋って言うんだって」
 みんなはいっせいに彼を見る。彼は、「ばあちゃんから聞いたんだけど…」
「なあ、この下手(へた)な絵、お地蔵(じぞう)さんだよな」また、みんなは地図に集中(しゅうちゅう)する。
 一人が叫(さけ)んだ。「これって、ほら、あそこの角(かど)にある、あのお地蔵さんじゃないのか」
 みんなは色めき立った。そして、大騒(おおさわ)ぎしながら地図の道(みち)を目印(めじるし)へたどっていった。
 その時、「うるさいぞ」っておじいちゃんがやって来て、地図を見て言った。「これは…」
「おじいちゃん、知ってるの?」僕はうわずった声で、「この古本に挟(はさ)んであったんだ」
「この本は、わしが先週(せんしゅう)、売(う)ったやつだ。こんなとこにあったんだ。これはな、わしが死んだ婆(ばあ)さんに渡(わた)そうと思ってな。婆さんとは一目惚(ひとめぼ)れで、最初(さいしょ)は話もできんかった。だから、わしはここに住んでるって、婆さんに教えたくてな。でも、結局(けっきょく)渡せんかったがなぁ」
<つぶやき>恋する思いを伝えるのは大変なんです。今も昔も、それは変わらないのかも。
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T:0145「賞味期限」
 あたしが立てた人生設計(じんせいせっけい)は完璧(かんぺき)なものだった。志望校(しぼうこう)には一発合格(いっぱつごうかく)、一流企業(いちりゅうきぎょう)にだって就職(しゅうしょく)できた。それもこれも、自分(じぶん)の立てた目標(もくひょう)を忘(わす)れずに、人並(ひとな)み以上(いじょう)の努力(どりょく)を重ねたからだ。でも結婚(けっこん)に関(かん)しては、努力が報(むく)われるとは限(かぎ)らない。
 あたしは三十を目前(もくぜん)にしていた。予定(よてい)では、すでに子供を産(う)んでいるはずなのに…。結婚に向けて習(なら)いごともしたし、家事(かじ)だって完璧にこなす自信(じしん)もある。なのに、この人はって思っても、売約済(ばいやくず)みか既婚者(きこんしゃ)ばかり。あたしは高望(たかのぞ)みなんてしてないわ。ごく普通(ふつう)に優(やさ)しくて、普通に真面目(まじめ)で、普通に稼(かせ)いでくれる人でいいの。なのに、何でいないのよ。
 そんな時だった。両親(りょうしん)からお見合(みあ)いの話がもたらされた。お相手(あいて)は申(もう)し分のない人で、それにあたしより二つ年下(としした)。こんな話に飛(と)びつかないなんて、馬鹿(ばか)よ。あたしには時間がないの。リミットは目前にせまっていた。
 見合いの当日。あたしは、朝から妙(みょう)な緊張(きんちょう)に包(つつ)まれていた。じっとしていられなくて、やけに喉(のど)が渇(かわ)くの。見合いの席(せき)につくときも、足が震(ふる)えてつまずきそうになってしまった。座ってからも相手の話なんか耳に入らなくて、ずっと彼の顔を見つめたまま――。きっとあたし、マヌケな顔をしていたかもしれない。最悪(さいあく)なのは、あたしの最初のひとこと。
「結婚してください!」
 この瞬間(しゅんかん)、あたしは、完璧な人生設計が崩(くず)れていく音を聞いた。
<つぶやき>人生はまだまだ長い。この先、きっと良いことが待っているかもしれません。
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T:0146「何げないひとこと」
「ちょっと太(ふと)ったんじゃない?」
 彼のこの不意打(ふいう)ちのひとことで、何の準備(じゅんび)も予想(よそう)もしていなかった私は言葉(ことば)を失(うしな)った。でも、ここで何か言っておかないと、認(みと)めてしまうってことになりかねない。
「そんなことないわよ」私は笑(わら)いながら答えた。でも、顔は引きつっていたかも…。
 ――絶対(ぜったい)違う。絶対違(ちが)うわよ。私は家に帰るまで、この言葉を呪文(じゅもん)のように唱(とな)えていた。家に帰ると、さっそく鏡(かがみ)の前に立ってみた。そこには、いつもと変わらない私が映(うつ)っている。ためしに、服(ふく)をまくり上げてお腹を出してみる。
「ほら、ぜんぜんじゃない。いつもと変わらないわ」
 私は、ホッと胸(むね)をなで下ろした。ふと、体重計(たいじゅうけい)が目に入った。そういえば、最近計(はか)ってなかったわ。私は、体重計に乗(の)ってみようと思いついた。でも…。
「そこまでしなくても――別にいいよね。大丈夫(だいじょうぶ)なんだから…」
 私は自分に甘(あま)いところがある。でも、今回はそれでは済(す)まされない。彼に太っているって思われたのは事実(じじつ)なんだから。私は目をつぶって体重計の上に…。そして、思い切って目を開ける。あーっ――。
「ぜんぜん大丈夫じゃない。あーっ、よかったーぁ」
<つぶやき>女の子は、ちょっとしたことで心を乱(みだ)してしまう。繊細(せんさい)な生き物なのです。
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T:0147「したがる夫」
 あたしの夫(おっと)はしたがりのところがある。会社(かいしゃ)の若(わか)い女子社員たちが、「家事(かじ)をする男子っていいよね」と話しているのを聞いてしまって…。俺(おれ)も実(じつ)はやってるんだと言いたくなっちゃったようで…。でも、実際(じっさい)にやっていないと話しにならないので、家で突然(とつぜん)ガチャガチャとやり始めた。
 別(べつ)にいいのよ。ちゃんとやってくれるんだったら、あたしもその方が助(たす)かるし。でも、彼のやり方は雑(ざつ)すぎて――。掃除(そうじ)をすれば部屋の中はめちゃくちゃになるし、勝手(かって)に洗濯(せんたく)をしてあたしのお気に入りの洋服(ようふく)をダメにしちゃうし…。言いたいことはいっぱいあるのよ。でも、彼のやる気を考(かんが)えて、あたしは優(やさ)しく、あくまでも優しくアドバイスをしてあげるの。なのに彼ったら、ぜんぜんあたしの話を聞こうともしない。
 昨夜(ゆうべ)だってそうよ。後輩(こうはい)が弁当(べんとう)男子になって女子社員の注目(ちゅうもく)を集(あつ)めたからって、明日から俺も弁当男子になるって宣言(せんげん)しなくても――。あたしはイヤな予感(よかん)がしたわ。
 今朝(けさ)、いつもの時間に目覚(めざ)めると、彼の姿(すがた)はベッドになかった。あたしは胸騒(むなさわ)ぎがして台所(だいどころ)に急(いそ)いだわ。そしたら、もうぐちゃぐちゃで…。あたしの予想(よそう)をはるかにこえた惨状(さんじょう)になっていた。なのに、彼ったらこう言うのよ。
「何か簡単(かんたん)なのでいいから、弁当のおかず作ってくれないか」
 あたしは、あいた口がふさがらなかったわ。いったい何を作ろうとして、こんな状態(じょうたい)になったのよ。あたしは訊(き)きたいのをグッとこらえた。
<つぶやき>彼も悪気(わるぎ)はないんです。忍耐強(にんたいづよ)く、あきらめないで指導(しどう)していきましょう。
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T:0148「鷺の恩返し」
 ある日のこと。一人暮(ひとりぐ)らしのむさい男の部屋(へや)に、まっ白なワンピースに黄色い靴(くつ)を履(は)いた若い女が訪(たず)ねてきた。すらりと伸(の)びた足に均整(きんせい)のとれた体(からだ)つき、まだ幼(おさな)さが残(のこ)る顔だちは可憐(かれん)な花のようである。少女は男に言った。
「なにか困(こま)ってることはありませんか?」
「えっ?」男が驚(おどろ)くのも無理(むり)はない。彼がこんな美少女(びしょうじょ)と出会(であ)える機会(きかい)は皆無(かいむ)である。
「あたし…」少女はうつむき加減(かげん)で言った。「あなたのこと、助(たす)けたいんです」
「あの、どなたですか?」男はにやついた顔で彼女を見た。こんな娘(こ)と話せるなんて…。
「あたしのこと、覚(おぼ)えてませんか?」少女は寂(さび)しげな顔をみせたが、「そうですよね。あたし、こんな姿(すがた)だから…」
「いや…」男は必死(ひっし)に思い出そうとした。こんな可愛(かわい)い娘と会って忘(わす)れるはずがない。
「でも、いいんです」少女は愛くるしい笑顔で言った。「覚えてなくて当然(とうぜん)ですから」
「でも…。ごめんなさい」男はまったく思い出せない。「どこで会いました?」
「あの…、あたし、何でもしますから。恩返(おんがえ)ししたいんです」
「何でもって? それは、あの…」男の妄想(もうそう)は広がりつづける。
「とりあえず、欲(ほ)しいものを言ってください。すぐに買って来ますから」
 そう言って、少女は愛(あい)らしい手を差(さ)し出した。
<つぶやき>男性のみなさん。知らない美少女に話しかけられても、ついて行かないで。
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T:0149「神頼み」
 茜(あかね)は何かにつけて、近くの神社(じんじゃ)へお参(まい)りを欠(か)かさない。初詣(はつもうで)はもちろんのこと、高校や大学の入試(にゅうし)の前にも必(かなら)ずお参りをした。そのおかげかどうか、今までの願いはすべて叶(かな)えられてきた。今日も朝早くから、社殿(しゃでん)の前で熱心(ねっしん)に手を合わせる茜の姿(すがた)があった。
「神様、今日、神谷(かみや)先輩に告白(こくはく)をします。私の、人生(じんせい)初の告白です。どうか、先輩(せんぱい)と付き合うことができますように。お願いします」
 彼女は深々(ふかぶか)と頭を下げると社殿をあとにした。これだけ念入(ねんい)りにお参りをして、お賽銭(さいせん)だっていつもより奮発(ふんぱつ)した。これできっと願いはとどくはず。茜の心に、そんな確信(かくしん)が芽生(めば)えていた。これで先輩の前でも、ためらうことは絶対(ぜったい)にないわ。
 茜が参道(さんどう)を歩いていると、一人の老人(ろうじん)が彼女に会釈(えしやく)をした。茜も、たまに見かける人なので頭を下げる。いつもならそれだけなのに、今日は老人の方から話しかけてきた。
「いつもお参りをしてくれる感心(かんしん)な子じゃのう。だがな、今回ばかりは無理(むり)じゃ。なんせ、ここは五穀豊穣(ごこくほうじよう)、学業成就(がくぎょうじょうじゅ)、交通安全(こうつうあんぜん)が専門(せんもん)じゃからのう」
「はい…」茜はあいまいに返事(へんじ)を返す。
 老人は、「恋愛(れんあい)については、縁結(えんむす)びの神(かみ)さんへ行ってくれんか」
 老人はそのまま社殿の方へ歩いて行った。茜も、「変な人…」って思いながら歩き出す。でも、気になって彼女は後ろを振(ふ)り返った。すると、もうそこには老人の姿はなかった。
<つぶやき>神頼(かみだの)みでもいいんです。そうすることで、勇気(ゆうき)や自信(じしん)がわいてくるかもね。
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T:0150「超人サプリ」
「さあ、いよいよ我々(われわれ)の研究(けんきゅう)も最終段階(さいしゅうだんかい)に入った」
 等々力(とどろき)教授は感慨深(かんがいぶか)げに言った。「これから人体実験(じんたいじっけん)を始めようと思う」
「でも…、誰(だれ)が実験台(じっけんだい)に…」助手(じょしゅ)の立花(たちばな)は不安(ふあん)な面持(おもも)ちで訊(き)いた。
「それはもちろん、君しかいないじゃないか。この研究を外部(がいぶ)にもらすわけにはいかん」
「でも、僕(ぼく)なんかじゃ。お役(やく)に立ちそうも…」
「何を言ってるんだ。前回(ぜんかい)のパワースーツは問題(もんだい)があったが、今度のはただ飲(の)み込めばいいだけだ。この小さな錠剤(じょうざい)をな。そうするだけで超人(ちょうじん)に変身(へんしん)できるんだ」
 教授(きょうじゅ)は尻込(しりご)みしている助手に薬(くすり)を手渡(てわた)し、
「いいか、どんな超人になりたいか、強く念(ねん)じるんだ。そして、これを飲み込む」
 助手は祈(いの)るような思いで錠剤を飲み込んだ。教授は目を大きく見開き、助手を見つめる。だが、いくら待っても何の変化(へんか)もしなかった。教授は訊いた。
「立花君。君はいったい、どんな超人になりたかったんだ?」
「それは、ちょっと言えません。でも、実験は成功(せいこう)したんじゃないかと…」
「どこが成功なんだ! 何も変わってやしないじゃないか」
「変わらなかったから成功なんです。だって…、変わるなって、念じてましたから」
<つぶやき>こりない教授の実験はいつまで続くのでしょう。果(は)たして、助手の運命(うんめい)は?
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T:0151「おそろい」
 私には片思(かたおも)いの彼がいる。同じクラスで、しかも隣(となり)の席(せき)。これってすごいよね。振(ふ)り向けば彼がいるんだよ。授業(じゅぎょう)に身(み)が入らないのも分かるでしょ。
 今、私は彼の持ち物をチェックしている。彼と同じものを探(さが)しては、買い集(あつ)めてるんだ。ノートや筆入(ふでい)れ、消(け)しゴムやシャーペンなどなど…。もうずいぶん集めちゃった。でもね、学校(がっこう)へは持って行かないの。そんなことしたら、友だちになんて言われるか。
 私が彼のこと好(す)きなのは誰(だれ)も知らないんだ。私は片思いでいいの。もし、私から告白(こくはく)して、断(ことわ)られたら最悪(さいあく)じゃない。だから、彼とおそろいのもので充分満足(じゅうぶんまんぞく)してる。
 でもね、この間…。私、間違(まちが)えて彼とおそろいの筆入れをカバンに入れちゃって。授業で使うわけにいかないじゃない。だって、中に入ってるの全部(ぜんぶ)おそろいなのよ。絶対(ぜったい)にまわりの子から訊(き)かれちゃうわ。どうして一緒(いっしょ)なのって…。
 その時よ。私が困(こま)った顔してると、彼が声をかけてくれたの。いつもは、おしゃべりなんかあんまりしないのに。それで、それでよ。彼、貸(か)してくれたの。彼がいつも使ってるシャーペンを。私、手が震(ふる)えちゃった。だって、彼のものに触(ふ)れるなんて――。
 これは、きっとチャンスよ。私の頭の中で、そんな声が聞こえた。告白のコールが鳴(な)り響(ひび)いてる。でも、いきなり告白は無理(むり)よ。絶対無理。まずは、少しずつ…。そう、たわいのないおしゃべりから始めるの。でも――、私の趣味(しゅみ)を彼に知られたら、どうしようぅ…。
<つぶやき>告白には勇気(ゆうき)が必要(ひつよう)。でも、ちょっとしたきっかけがあれば踏(ふ)み出せるかも。
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T:0152「リセットの呪文」
 僕(ぼく)はどんな失敗(しっぱい)もたちどころにリセットしてしまう、特別(とくべつ)な呪文(じゅもん)を知っている。今まで、これを使って社会(しゃかい)の荒波(あらなみ)を幾度(いくど)も乗り越(こ)えてきた。例(たと)えば、僕のミスで会社に損害(そんがい)を与(あた)えた時も、リストラ対象(たいしょう)にされた時もこの呪文は役(やく)に立った。
 僕がどうしてそんな呪文を知っているかって――。そんなこと教えられるわけないじゃないか。それを教えてしまったら、呪文の効果(こうか)が無(な)くなってしまうだろ。僕は特別な人間なんだ。この呪文を使って、会社の頂点(ちょうてん)に立ってやるんだ。
 ある日、家に帰ってみると妻(つま)の機嫌(きげん)が悪(わる)かった。僕を見るなり口をとがらせて、
「早く帰って来るって、言ったよね」
「うるさいな。こっちは仕事(しごと)なんだよ。仕方(しかた)ないだろ」
「今日が何の日か忘(わす)れちゃったの? 今日は、私たちの結婚記念日(けっこんきねんび)よ!」
 僕は、完全(かんぜん)に忘れていた。けど大(だい)の男が、いちいちそんなこと覚(おぼ)えてるわけないだろ。こうなったら、あの呪文を使うしかない。僕は叫(さけ)んだ。「イサナン、メゴニトンホー!」
 彼女は口を開(あ)けたまま動けなくなった。これですべてリセット。なかったことに…。
 でも、すぐに彼女は叫んだ。「イナゲ、アテシルユー!」
 次の瞬間(しゅんかん)、僕は彼女の前で土下座(どげざ)をしていた。まさか、妻には効果が無いなんて…。
<つぶやき>そんな便利(べんり)な呪文があったら、何度でも使ってしまいます。乱発(らんぱつ)に注意(ちゅうい)です。
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T:0153「ホームパーティー」
 会社の先輩(せんぱい)からホームパーティーに誘(さそ)われた。会社に入って間(ま)もない僕(ぼく)は、他の社員(しゃいん)の方と親(した)しくなれるかと思い参加(さんか)した。でも、これが厄(わざわい)の始まりになるとは――。
 僕は先輩の部屋に入って驚(おどろ)いた。美味(おい)しそうな手料理(てりょうり)が並(なら)び、室内(しつない)も奇麗(きれい)に飾(かざ)り付けされていた。僕のほかには誰(だれ)もいないようで、まさか一人で用意(ようい)したんじゃないよね。
「今日はありがとうね」先輩は嬉(うれ)しそうに、「食べようか。あたし、お腹(なか)すいちゃった」
「でも、まだ他の人が…」
「誰も来ないわよ。招待(しょうたい)したのは、あなただけだから」
 先輩は僕が戸惑(とまど)っているのを見て、「心配(しんぱい)しなくてもいいわよ。取(と)って食(く)おうなんて思ってないから。あたし、肉食系(にくしょくけい)女子じゃないから」
 僕は何て答(こた)えたらいいのか分からず、「今日は…、何のパーティなんですか?」
「あーぁ。あたしも、とうとう大台(おおだい)に乗っちゃって。一人じゃ寂(さび)しいじゃない」
 えっ、先輩の誕生日(たんじょうび)だったんだ。でも大台って? 先輩、いくつになったのかな? 先輩の私生活(しせいかつ)なんて、まったく分からないし。そもそも、先輩って結婚(けっこん)してたんじゃ? 指輪(ゆびわ)とかしてなかったかな? 僕の頭はぐるぐる回る。
 ここは、冷静(れいせい)に対処(たいしょ)しなくてはいけない。まず、年齢(ねんれい)のことにふれるのは絶対(ぜったい)にさけた方がいい。僕にだって、それくらいの空気(くうき)は読(よ)める。でも、これからどうすれば…。
<つぶやき>女性の真意(しんい)を計(はか)るのはとても難(むずか)しいかも。でも、あまり読みすぎるのも…。
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T:0154「愛の砂漠」
 あるところに二人の女がいた。彼女たちは、ひたすら待ち続けていた。
「いつになったら来てくれるのよ? もう、ずいぶん待ったけど、誰(だれ)も来ないじゃない」
「なに弱音(よわね)をはいてるの。そう簡単(かんたん)に会えるはずないじゃない。ここは辛抱(しんぼう)よ」
「でも…。あたし、誰を待っているのかも忘(わす)れちゃったわ」
「私たちが待ってるのはスーパーマンよ。私たちを救(すく)ってくれる」
「えっ、そうなの? なんか、違(ちが)うような気もするけど…」
「忘れちゃダメよ。私たちは、この愛の砂漠(さばく)から救い出してくれるヒーローを待ってるんだから」
「ヒーローって、大げさすぎない? 山田(やまだ)くんとか、斉藤(さいとう)さんでいいじゃない」
「そんな手軽(てがる)なバーゲン品(ひん)でいいわけ。私たちは、そんなんじゃ納得(なっとく)できないはずよ」
「でも、あたしはそれでもいいかなって…。ほら、バーゲン品でもいいのあるじゃん」
「それじゃダメよ。これは、一生(いっしょう)の問題(もんだい)よ。選択(せんたく)を誤(あやま)ったら、取り返しがつかないの」
「それは分かるけど…。手近(てぢか)なところで手を打つのも、ありかなって…」
「あなた、まさか…。なに舞(まい)い上がってるの。あんな男に告白(こくはく)されたぐらいで」
「そうじゃないよ。そうじゃないけど、あの人も悪(わる)い人じゃないと思うわ」
「そうだけど。あの顔よ。出世(しゅっせ)なんか望(のぞ)めないわよ」
<つぶやき>これは誰かさんの心の声かもしれません。良き人生の選択をされますように。
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T:0155「恋の巡り合わせ」
 私の恋愛(れんあい)は、いつも突然(とつぜん)終わってしまう。なぜだかわからないけど、彼と突然連絡(れんらく)が取れなくなって――。そんなことが何度かあったので、もう恋なんかよそうって思っていた。でも、そんな私にまた恋が巡(めぐ)ってきた。今度(こんど)は、彼の方から好きだって告白(こくはく)されて…。今までに、こういう展開(てんかい)は始めてかもしれない。
 彼とのデートはとっても楽しくて、毎日わくわくしていた。でも、楽しければ楽しいほど、私の心には不安(ふあん)が広がって…。また、いなくなってしまうんじゃないかって。
 ――彼とつき合い始めて一ヵ月ほどたった時。彼が、待ち合わせの時間になっても現れなかった。私、嫌(いや)な予感(よかん)がしたわ。すぐに彼のスマホに電話をしたけど、つながらなかった。私、必死(ひっし)に考えたわ。彼に嫌われるようなことしなかったかって。でも、何も思いつかなくて…。
 私は待ったわ。待って、待って…。でも悪いことは重(かさ)なるもので、雨まで降(ふ)り出してきて。私は気が滅入(めい)るばかり。そんな時よ。遠くから私の名前を呼ぶ声がして。――彼よ。彼が、雨に濡(ぬ)れながら走っていた。私は、涙(なみだ)があふれそうになるのをグッとこらえたわ。
「ごめんね。乗ってた電車が故障(こしょう)しちゃて。で、バスに乗りかえたんだけど、ぜんぜん違う方向へ行っちゃって」彼は申し訳なさそうに言った。「でもね、いいの見つけちゃった」
 彼はポケットからガラス細工(ざいく)の小さな動物(どうぶつ)を私に見せて、「ほら、君にそっくりだろ」
 これって、どう見てもタヌキだよね。私、喜(よろこ)んで良いのかな? 微妙(びみょう)なんだけど…。
<つぶやき>誰しもいろんな恋の巡り合わせはあるもの。それをつかめるかどうかだけ。
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T:0156「小指娘」
 小さな身体(からだ)の私(わたし)は、恋(こい)をするのも命(いのち)がけ。彼に近づくときは、大声で叫(さけ)ばないと踏(ふ)みつぶされてしまう。それに、彼の指(ゆび)で頭をナデナデされるときは、気をつけないと骨折(こっせつ)してしまうかも。キスのときなんか、鼻息(はないき)で飛(と)ばされそうになったり、下手(へた)をすると呑(の)み込まれてしまうかもしれない。
 それでも、こんな小さな私なのに、彼はとっても優(やさ)しくしてくれる。私のことを助(たす)けてくれるの。この間も、猫(ねこ)に襲(おそ)われそうになったとき、彼が飛んできて追(お)っ払ってくれた。私も、彼のために何かしてあげたい。でも、私に何ができるんだろう。
 彼のためにお料理(りょうり)を作っても、彼の一口分にもならないし。部屋のお掃除(そうじ)をしても、鉛筆(えんぴつ)一本動かすのもままならない。彼は言うのよ。私がそばにいるだけで良いって。でも、私は彼のために何かしてあげたい。もし、私の身体が普通(ふつう)の大きさだったら、何でもしてあげられるのに。彼のことを見ているだけしかできないなんて…。
 もしかすると、彼のこと好きになっちゃいけないのかもしれない。私といるより、普通の女の子と付き合った方が、彼は幸(しあわ)せになれるはずよ。彼にそう言うと、彼は何も言わずに出て行った。私は、何だが心が震(ふる)えた。もうこれで…。
 でも、彼が戻(もど)ってきたとき、その手にはしわくちゃの婚姻届(こんいんとどけ)が握(にぎ)られていた。
<つぶやき>好きな人を一途(いちず)に思い続けることができたら。そんな恋をしてみたいです。
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T:0157「お散歩」
 私は、よくお散歩(さんぽ)に出かける。それも家の近くを歩くんだ。遠くへ行かないぶんお金もかからないし、気分転換(きぶんてんかん)や運動(うんどう)にもなってしまう。
 近所といっても、まだまだ知らない所がいっぱいある。歩いていると、通ったことのない道や路地(ろじ)が私に誘(さそ)いかけてくる。こっちへおいで、この先(さき)にはいいことが待ってるよって。私は、ついついその誘惑(ゆうわく)に負(ま)けて、フラフラと入り込んでしまう。その結果(けっか)として、プチ迷子(まいご)になってしまうのだ。
 でも、思わぬ発見(はっけん)や出会(であ)いがあることも確(たし)かだ。この間なんか、いつもうちの庭(にわ)に遊(あそ)びに来ている猫(ねこ)に出くわした。
「この子ったら、こんなところまで来ていたんだ。もしかしたら、このあたりのボス猫かもしれないわ」うちの猫でもないのに、何だか誇(ほこ)らしく思えてしまう。
「今度来たとき、何かご褒美(ほうび)をあげなくちゃ」
 散歩の途中(とちゅう)で、私はいろんな空想(くうそう)をめぐらせる。道端(みちばた)に咲(さ)いた小さな花や、古(ふる)そうな家やへんてこな建物(たてもの)。青い空に白い雲(くも)が浮かんでいたら言うことはない。私は想像(そうぞう)の翼(つばさ)をひろげて、空(そら)高く飛び立つことだってできるんだ。そして、いろんな登場人物(とうじょうじんぶつ)がはちゃめちゃに飛び回って…。ひとりでクスッと笑ってしまう。
 もし誰(だれ)かに見られたら、変な人って思われてしまうかもしれない。でも、私はそんなこと気にしない。だって、これが私の楽しみなんだから。
<つぶやき>誰しも、何かしら楽しみはあるもの。それは、人生を豊(ゆた)かにしてくれるかも。
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T:0158「大丈夫?」
「誰(だれ)か、お客(きゃく)さんにコーヒーを出してくれないか?」
 課長(かちょう)が女子社員(しゃいん)たちに声をかけた。すかさず返事(へんじ)をしたのは、一番若(わか)い百花(ももか)だった。
「大事(だいじ)な得意先(とくいさき)だから、一番上等(じょうとう)なやつで頼(たの)むよ」
 そう言うと、課長は書類(しょるい)を抱(かか)えて応接室(おうせつしつ)へ急(いそ)いだ。
 課長を見送りながら百花が答える。「はい、よろこんで!」
 その様子(ようす)を見ていた他(ほか)の女子社員たち、仕事(しごと)の手を止めて、
「ねえ、あの娘(こ)、変だよね。何であんな返事をするわけ?」
「みんなで居酒屋(いざかや)に行ったじゃない。その時、妙(みょう)に気に入っちゃってたからねぇ」
「でも、大丈夫(だいじょうぶ)なの。あの娘(こ)に任(まか)せちゃって」
「私、コーヒーの淹(い)れ方なら教えておきましたけど…」
「あたし見ちゃったわよ。あの子、湯呑(ゆの)みにお茶(ちゃ)の葉(は)入れてるとこ」
「ほんとに? あり得(え)ないでしょ。もう、今の娘(こ)はどうなってるの」
「あたしさ、驚(おどろ)いちゃって。お茶の葉は急須(きゅうす)に入れないとダメだよって注意(ちゅうい)したけど」
「ねえ、本当(ほんと)に大丈夫かな? なんか、嫌(いや)な予感(よかん)しかしないんだけど」
「いくら何でも、子供(こども)じゃないんだから……」
 みんなは顔を見合わせると、一斉(いっせい)に立ち上がり給湯室(きゅうとうしつ)へ駆(か)け出した。
<つぶやき>若い時には失敗(しっぱい)をしてもいいんです。そこから、学べることがきっとある。
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T:0159「ダブルブッキング」
 憧(あこが)れの野村(のむら)先輩から誘(さそ)われた。次の休みにどっかへ行かないかって…。あたしは完全(かんぜん)に舞(ま)い上がって、即座(そくざ)にOKしちゃいました。うふっ…。
 お家に帰って手帳(てちょう)に書き込む。三日後、野村先輩(せんぱい)とデート――。あれ? その日の蘭(らん)に、何か書いてあるわ。あたしは、目まいを起こしそうになった。その日って、有紀(ゆき)ちゃんと遊びに行くんだった。どうしよう、こんなのって…。
 せっかく先輩に誘ってもらったのに、今さら断(ことわ)るなんてできない。それに、こんなこと二度とないかもしれないわ。そうよ、有紀ちゃんの方を断っちゃえばいいのよ。でも…、デートだから行けないなんて言ったら、有紀ちゃん怒(おこ)っちゃって、あなたとは絶交(ぜっこう)よって言われちゃうかも――。そうだわ、そうよ。デートって言わなきゃいいのよ。
 でも、どっかでばったり会っちゃうかもしれない。ううん、絶対(ぜったい)、会うわ。もし、先輩と一緒(いっしょ)のとこ見られたら最悪(さいあく)よ。ここは、ちゃんと考えないとダメ。先輩とは、まだ付き合ってるわけじゃないからダメージは少ないわ。でも、有紀ちゃんとはずっと親友(しんゆう)で…。
 あたしは決断(けつだん)した。やっぱり友情(ゆうじょう)をとるべきなのよ。そうと決まれば、あたしの行動(こうどう)は素早(すばや)かった。すぐに先輩に断りの電話を入れた。これでいいわ。ホッとしたあたしは、お風呂(ふろ)に向かった。身も心もほぐれて部屋に戻(もど)ると、有紀ちゃんからメールが届(とど)いていた。
<今度の休み、行けなくなっちゃった。野村先輩とデートなの。ゴメンね>
<つぶやき>心配性(しんぱいしょう)でもいいんです。じっくりと考えた決断なら、後悔(こうかい)なんてないはず。
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T:0160「ファーストキス」
 私のファーストキスの相手(あいて)は五歳の甥(おい)っ子だった。それも、突然(とつぜん)抱きついてきてブチュッとされてしまった。まったく、マセガキなんだから…。それを見ていたお姉(ねえ)ちゃんが、私をからかうように言った。
「ねえ、もしかしてファーストキスだったの?」
「そ…、そんなわけないでしょ。私だって、それくらい…」
 お姉ちゃんには隠(かく)しごとはできない。昔(むかし)からそうなのだ。もう、腹(はら)が立つ…。
「子供(こども)相手に本気(まじ)にならないでね。あたしの可愛(かわい)い息子(むすこ)なんだから」
「なわけないでしょ。私にだって、ちゃんと好きな人いるんだから」
「へえ、そうなんだ。で、その彼とは…」お姉ちゃんはいつもそうだ。年上(としうえ)ぶって…。
「やっぱりね。まだ手も握(にぎ)ってないんだ。あんたさ、そんなんだから…」
「握ったわよ。手ぐらい、ちゃんとつないでるわ」
「でも、それだけなんでしょ。それじゃ、恋人なんて言えないわよ」
 もう、彼のこと何にも知らないくせに、何なのよ。私だって、したいわよ。でも…。
「あたしが教えてあげようか?」お姉ちゃんは意味深(いみしん)な笑(え)みを浮(う)かべる。
 私が奥手(おくて)になっちゃったのは、奔放(ほんぽう)すぎるお姉ちゃんのせいだ。お姉ちゃんみたいには、絶対(ぜったい)にならないって思ってたのに…。でも、この際(さい)、教えてもらっちゃおうかなぁ…。
<つぶやき>何事(なにごと)もタイミングが肝心(かんじん)です。好機(こうき)を逃(に)がさず、しっかりゲットしましょう。
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T:0161「我が家のルール」
 我(わ)が家(や)では守(まも)らなければならないルールがある。それは、朝食(ちょうしょく)は必(かなら)ず家族(かぞく)そろって摂(と)ること。いつからこのルールができたのか私は知らない。聞くところによると、私が生まれる前からあったみたいだ。
 このルールには例外(れいがい)はない。私やママは大丈夫(だいじょうぶ)なんだけど、パパやお兄(にい)ちゃんは寝坊(ねぼう)することがある。そんな時は、私の出番(でばん)なの。私の手にかかったら、すぐに目が覚(さ)めちゃうんだから。休日だろうと容赦(ようしゃ)はしないわ。だって、ちゃんと起きてくれないと、朝食が食べられないし、学校に遅(おく)れたら大変(たいへん)だもん。
 私は、これは当たり前のことだと思っていた。でも、友だちに聞くとそうでもないみたい。だって、朝ごはんを食べない子がいたりするんだよ。私には信じられないわ。朝、食べないと、元気(げんき)が出ないじゃない。それに、家族全員(かぞくぜんいん)がそろうことって、朝ぐらいしかないからね。たとえ短い時間でも、我が家ではとっても大切(たいせつ)な時間なの。
 このルールを思いついた人って、すごいと思う。たぶん、おばあちゃんか、ひいおばあちゃんかもしれない。今度、訊(き)いてみようかな。もし、私が結婚(けっこん)して家庭(かてい)を持ったら、絶対(ぜったい)このルールを取り入れようと思う。まだ、ずいぶん先のことかもしれないけど。
 そのためにも、早起(はやお)きのできる彼氏(かれし)を見つけないとね。まず、そこからです。
<つぶやき>早起きをすると一日がとっても長く感じます。少し得(とく)した気分になれるかも。
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T:0162「責任」
 綾佳(あやか)は新しい事業(じぎょう)のチーフを任(まか)された。これは異例(いれい)の抜擢(ばつてき)で、彼女はその責任(せきにん)の重さをひしひしと感じていた。そのためか、部下(ぶか)たちの些細(ささい)なミスにも神経(しんけい)をとがらせた。
「こんなことも出来(でき)ないの! ちゃんと確認(かくにん)しなさいって言ったでしょ。何度言わせるのよ!」
 綾佳の荒(あら)らげた声がするたびに、部屋の空気(くうき)が澱(よど)んでいくようだった。
 そんな時、補充要員(ほじゅうよういん)として一人の青年(せいねん)がチームに加(くわ)わった。彼はどんな仕事(しごと)にも誠心誠意(せいしんせいい)向き合い、その誠実(せいじつ)さは誰(だれ)もが好感(こうかん)をいだくものだった。綾佳も、いつしか彼に大切(たいせつ)な仕事を任せるようになった。同僚(どうりょう)たちは、こんな優秀(ゆうしゅう)な社員(しゃいん)がいたのかと驚(おどろ)き、綾佳よりこの青年に仕事の相談(そうだん)をするようになった。その様子(ようす)を見るたびに、綾佳の心はざわついた。チーフとしての自分の立場(たちば)が危(あや)うくなるような、そんな気がしたのだ。
 ある日のこと。綾佳が一人で残業(ざんぎょう)していると、デスクの上にコーヒーが置かれた。彼女が目を上げると、そこにはその青年が立っていた。
「あなた、まだいたの?」
「ええ。でも、もう帰ろうと思います」
「そう……」綾佳は何か言いたげな顔をしたが、言葉(ことば)をのみこんで、「お疲(つか)れさま」
 青年は帰りかけた足を止めると。「あの…。チーフは、怒(おこ)った顔より笑顔(えがお)のほうが素敵(すてき)だと思います。あっ、これは…、僕(ぼく)だけじゃなくて、みんな思ってますから」
<つぶやき>どんな仕事にも責任はつきものです。でも、たまには肩(かた)の力を抜(ぬ)きましょう。
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T:0163「生活改善」
 結婚(けっこん)して半年。新しい生活にも慣(な)れた頃(ころ)、離(はな)れた所に住んでいる友だちと会うことになった。久しぶりに再会(さいかい)した彼女は、開口一番(かいこういちばん)私にこう言った。
「ねえ、ちょっと太(ふと)ったんじゃない?」
 私も、うすうすは気がついていた。でも、こう面(めん)と向かって言われると、これは不味(まず)いかもしれないと…。このまま知らん顔をしている場合じゃないわ。
 そこで私は、ダイエットを始めようと決心(けっしん)した。でも、もともと運動(うんどう)が苦手(にがて)で、飽(あ)きっぽい私にとって、それは無謀(むぼう)なことかもしれない。そこで私は、熟慮(じゆくりよ)に熟慮を重(かさ)ねたすえ、お金もかからず無理(むり)なく簡単(かんたん)にできる方法(ほうほう)を考えた。
 それは、ウオーキング。これなら手軽(てがる)に、いつでも始められそうだ。でも、ダラダラと歩いているだけでは効果(こうか)は期待(きたい)できない。やるからには、それなりの成果(せいか)がでないと。そこで私は、入門書(にゅうもんしょ)を買って必要(ひつよう)な知識(ちしき)を身につけた。
 そして今日、私はウオーキングのデビューをする。旦那(だんな)を仕事(しごと)に送り出すと、私も着替(きが)えて外へ飛び出した。住宅街(じゅうたくがい)を抜(ぬ)けると、そこには川沿いに遊歩道(ゆうほどう)が整備(せいび)されている。朝早い時間は走っている人をよく見かけるが、この時間はまばらになっている。それでも、何人かの人とすれ違う。そのたびに、おはようって挨拶(あいさつ)されて。何か、知らない人なのに清々(すがすが)しい気分(きぶん)になった。風はまだ少し冷たいけど、道端(みちばた)に小さな花を見つけた。こんなところで春と出会えて、何だか得(とく)した気分。これなら、続けられるかも――。
<つぶやき>人に言われて気づくことってありますよね。あんなことや、こんなこと…。
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T:0164「おれない彼女」
 僕(ぼく)の彼女には変なスイッチがある。そのスイッチが入ると、もう誰(だれ)にも止められない。
「ねえ、この会社(かいしゃ)どうかしら? とってもいいと思うんだけど」
 彼女は僕に会社の資料(しりょう)を見せながら言った。「パパの知り合いの社長(しゃちょう)さんがやってるの。今、良(い)い人を探(さが)しててさ。浩人(ひろと)にぴったりだと思うんだ」
「いいよ。別に、君(きみ)に探してもらおうなんて…」
「そうじゃないわよ。あたし、浩人に…」
「大丈夫(だいじょうぶ)だよ。就職先(しゅうしょくさき)ぐらい自分(じぶん)で見つけるから」
「分かってるわよ。分かってるけど、あたしも力になりたいの」
「もう、勝手(かって)なことすんなよ! 俺(おれ)だって、ちゃんと考えてるんだから」
 つい感情的(かんじょうてき)になったことを、僕は後悔(こうかい)した。彼女の目つきが変わり、スイッチが…。
「ねえ、あたしがせっかく探してきてあげたんでしょ。何なのよ、その態度(たいど)は」
 彼女は会社の資料を僕に投(な)げつけて、
「ちゃんと見なさいよ。見もしないで何がわかるの。あんたさ、そんなんだから就職できないんでしょ。いつまでもプラプラしてさ、ほんとに働(はたら)く気あるの? もう話はつけて来たから、絶対(ぜったい)面接(めんせつ)に行きなさいよ。今度逃(に)げ出したら、ただじゃすまないから」
<つぶやき>彼のことを心配(しんぱい)してるから、ついつい余計(よけい)なお世話(せわ)をやいてしまうのです。
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T:0165「100人目の…」
「なあ、何がいけないと思う?」耕助(こうすけ)は智子(ともこ)に訊(き)いた。
「あのさ、逆(ぎゃく)に訊きたいんだけど、何で無理(むり)な女ばっか選(えら)ぶのよ?」
「いや、それは…」耕助はしばらく考えて、「ハードルが高いほど燃(も)えるっていうか…」
「どうしようもないバカね。そんなんだから、いつまでも彼女ができないのよ」
「そうなんだよなぁ。小一(しよういち)の初恋(はつこい)から数えて、この間の娘(こ)が99人目か…」
「あんた、数えてんの?」智子はあきれ果(は)てていた。
「だって、今まで俺(おれ)が好きになった娘(こ)たちだぜ。忘(わす)れるわけないだろ」
 智子は、ほっぺたを膨(ふく)らませて不機嫌(ふきげん)な顔をした。耕助とは幼(おさな)なじみで、彼の考えそうなことは何でも分かっている。でも、こと恋愛(れんあい)に関しては理解(りかい)できなかった。
「そう言えば、お前って、彼氏(かれし)いるのか?」
 唐突(とうとつ)に質問(しつもん)された智子は、明らかに動揺(どうよう)していた。それを誤魔化(ごまか)すように、
「あたしのことは、関係(かんけい)ないでしょ。変なこと訊かないでよ」
「だって、そういう話、聞かないし…。あ、あれだろ? お前、気が強いから…」
「うるさい、うるさい、うるさい!」智子は耕助に顔を近づけて連呼(れんこ)した。
 耕助は彼女の顔を間近(まぢか)に見てつぶやいた。「お前って、けっこう可愛(かわい)いよなぁ」
 智子はみるみる顔を赤くしたかと思うと、耕助の頬(ほお)をぶん殴(なぐ)った。
<つぶやき>近すぎて気づかないことってあるかも。彼女の恋は成就(じょうじゅ)するのでしょうか。
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T:0166「妻の隠しごと」
 僕(ぼく)が家に帰ると、妻(つま)は上機嫌(じょうきげん)で僕を迎(むか)え入れた。いつもなら、そっけないくらいなのに、今夜はどうも様子(ようす)がおかしい。何かあったのか…。僕は訊(き)いてみた。
「何もないわよ」妻はあっさりそう言うと、「早く着替(きが)えてきて。夕食(ゆうしょく)、できてるから」
 明らかにいつもと違(ちが)う。妻はウキウキと鼻歌(はなうた)まで飛び出していた。今日は、何かの記念日(きねんび)か――。いや、そんなはずはない。僕は、手帳(てちょう)を取り出して確認(かくにん)してみた。
 食卓に着くと、テーブルには奇麗(きれい)な花が飾(かざ)られていた。それに、夕食はいつもより豪華(ごうか)で――。これは、一体(いったい)どういうことだ? 僕はあれこれと考えてみた。宝(たから)くじを当てたのか? でも、彼女が宝くじを買ってるなんてことあるのかな? それとも、まさか、子供(こども)――。それは、あり得(え)るな。もしそうだとしたら……。僕は、どうしても確(たし)かめたかった。
「だから、何もないってば」妻はニコニコしながら答(こた)えた。
「まさか…、子供ができたとか?」こういうことは、男には自覚(じかく)がもてない。
「いないわよ」妻はお腹(なか)をさすりながら言った。「子供、欲(ほ)しくなったの?」
「いや、そう言うわけじゃ…。でも、何かあったんだろ? だって…」
「どう? 今夜の料理(りょうり)は上手(うま)くできたと思うんだけど…」妻は嬉(うれ)しそうに言った。
 確かに今日の夕食は美味(おい)しいよ。でも、僕が訊きたいのはそういうことじゃなくて…。
<つぶやき>何か良いことでもあったんでしょうか。知りたくなる気持ちも分かります。
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T:0167「でれでれ」
「いいか、みんな気をつけてくれよ。くれぐれも機嫌(きげん)をそこねるようなことはするな」
 社長(しゃちょう)の家の前で、係長(かかりちょう)が部下(ぶか)たちに注意(ちゅうい)した。部下たちも社長の厳(きび)しさを知っているので、顔をこわばらせた。ここを乗り越(こ)えなければ、今度のプロジェクトの成功(せいこう)はおぼつかない。下手(へた)をすると、中止(ちゅうし)にされてしまうかもしれない。
 社長の待つ部屋に入ると、みんなを睨(にら)みつけるように社長が座(すわ)っていた。
「座りたまえ」社長の低音(ていおん)の声が響(ひび)く。「すまんな。こんなところまで」
「いえ、とんでもありません」係長はうわずった声で言った。「そ、それでですね。今回のプロジェクトの詳細(しょうさい)について、ご説明(せつめい)させて――」
 その時、部屋の襖(ふすま)が開き小さな子供が飛び込んで来た。そして、みんなの間を通り抜(ぬ)け、社長の膝(ひざ)へ飛び乗った。社長はみるみる顔をほころばせ、その子の頭をなでながら言った。
「どうちたのぉ? いま、大事(だいじ)なおはなちをしてるからねぇ。向こうで、待ってなちゃい」
 それを見た部下のひとりがつぶやいた。「いやだーぁ、赤ちゃん言葉使ってるぅ」
 まだ新人(しんじん)の女子社員が言ってしまったのだ。みんなに動揺(どうよう)が走った。でも、もう遅(おそ)い。間違いなく社長にも聞こえたはず。子供が出て行くと、社長はおもむろに言った。
「娘(むすめ)がね、どっかへ出かけると言って、孫(まご)を預(あず)けに来てね。まったく、困(こま)ったもんだ」
 社長の顔は、いつものいかめしい顔に戻っていた。
<つぶやき>この場合、見ない、聞かないふりをしておいた方がいいのかもしれません。
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T:0168「氷の女」
 氷川冷子(ひかわれいこ)。我(わ)が社(しゃ)にとって、もっとも優秀(ゆうしゅう)で有能(ゆうのう)な社員(しゃいん)のひとりだ。だが、それ以上(いじょう)に彼女の美しすぎる顔立(かおだ)ちと姿(すがた)は、何人もの男性社員をとりこにした。彼女を射止(いと)めようと、無謀(むぼう)にも挑戦(ちょうせん)し散(ち)っていった熱(あつ)い男たちは数知(かずし)れず。
 彼女の氷(こおり)のような眼差(まなざ)しは、胸(むね)に突(つ)き刺(さ)さるほどの激痛(げきつう)をあたえ。また、彼女の手に触(ふ)れるだけで、身体中に悪寒(おかん)が走り入院する騒(さわ)ぎにもなった。我が社では憂慮(ゆうりよ)し、特別対策(とくべつたいさく)チームを結成(けっせい)した。彼女に近づこうとする熱い男を排除(はいじよ)し、減少(げんしょう)しつつある男性社員を保護(ほご)しようというのだ。そのチームのリーダーには、女性にまったく興味(きょうみ)を示(しめ)さない温水(ぬくみず)があたることになった。温水は、我が社にとって何の利益(りえき)も生み出さない男だった。だが、その温厚(おんこう)な人柄(ひとがら)で不思議(ふしぎ)と窓際(まどぎわ)で踏(ふ)みとどまっていた。
 数日後、冷子に近づこうとする男性社員は激減(げきげん)した。これで、彼女も仕事に専念(せんねん)することができて、我が社の業績(ぎょうせき)も向上(こうじょう)するはずだった。だが、ここにきて異変(いへん)が起こった。彼女の仕事に対する熱意(ねつい)が、別の方向(ほうこう)へと向いてしまったのだ。
 彼女の眼差しには氷のような冷たさはなくなり、頬(ほお)はわずかに紅潮(こうちよう)して表情(ひょうじょう)も穏(おだ)やかになった。そして、彼女の見つめる先には、いつも温水がいた。彼女がなぜこの男を選(えら)んだのか、それは未(いま)だに謎(なぞ)である。今後、この男の評価(ひょうか)を再検討(さいけんとう)する必要(ひつよう)にせまられている。
<つぶやき>いつもクールな彼女にとって、彼は特別(とくべつ)な人に見えたのかもしれませんね。
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T:0169「誘拐犯の事情」
「上手(うま)くいったか?」古びた倉庫(そうこ)の中で黒ずくめの男が言った。
「ああ、この中に入ってるよ」
 外から戻(もど)ってきた、これも黒ずくめの小柄(こがら)な男が答えた。その男が持っている麻袋(あさぶくろ)がわずかに震(ふる)えた。それを見て、待っていた男は不思議(ふしぎ)そうに訊(き)いた。
「おい、やけに小さいじゃないか」
「いや、そんなことないよ。まだ、子供(こども)だからな」
 その時、麻袋の中から変な声がした。待っていた男の顔色(かおいろ)が変わり、
「お前、ヘマしてないよな。ちゃんと、あの屋敷(やしき)へ行ったのか?」
「ああ、行ったさ。この間、二人で下見(したみ)した…」
「そこの、アリサっていう孫娘(まごむすめ)を連(つ)れて来たんだろうな?」
「もちろん、そうさ。アリサって呼(よ)ばれてた奴(やつ)を連れて来たよ」
「じゃ、何なんだ今のは…」
「きっと、お腹(なか)が減(へ)ってるんだよ。餌(えさ)あげないとな」
 小柄な男が麻袋を開けると、小さな子犬(こいぬ)が顔を出した。男は子犬の頭を優(やさ)しくなでながら言った。「今頃(いまごろ)、あの屋敷の奴ら捜(さが)してるだろうな」
 待っていた男は椅子(いす)に飛び乗ると、「俺(おれ)は犬は嫌(きら)いなんだ! 何で犬なんか誘拐(ゆうかい)したんだ」
「誘拐じゃないよ。勝手(かって)について来たんだ。ここで飼(か)っちゃダメかな?」
<つぶやき>お互いの意思(いし)が通じてないと、とんだことになっちゃうかもしれませんね。
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T:0170「家計簿効果」
 私は子供(こども)ができたことを機(き)に、家計簿(かけいぼ)をつけることにした。今まで何度も挫折(ざせつ)してしまったが、今度はそんなこと言ってられない。だって、子供が生まれたらお金がかかるし、今のうちに少しでも貯(たくわ)えを増(ふ)やしておかなきゃ。
 今までの経験(けいけん)から、ゆるゆる家計簿でいくことにした。もうざっくりと記帳(きちょう)して、多少合わなくても気にしない。これなら、私にも続けられそうだ。
 まず、月々の決まっている支払分(しはらいぶん)を計算(けいさん)して、それに水道光熱費(すいどうこうねつひ)でしょ、それと食費(しょくひ)に、そうそう、ガソリン代も必要(ひつよう)ね。あとは、洋服(ようふく)も買いたいし、化粧品(けしょうひん)も必要(ひつよう)だわ。
 私はすべての支出を合計(ごうけい)してみた。そして、旦那(だんな)の給料(きゅうりょう)と照(て)らし合わせる。その結果(けっか)、私は目を疑(うたが)った。「これじゃ、足(た)りないわ。全然(ぜんぜん)足りない」
 私は考(かんが)えた。「そうよ。こうなったら、削(けず)れるところから削って、減(へ)らせば…」
 まず、何からいくか…。外食(がいしょく)を減らしましょう。旦那も、私がお弁当(べんとう)を作ってあげれば、お小遣(こづか)いを減らせるじゃない。余分(よぶん)なお金がなければ、飲(の)みに行くこともなくなるし一石二鳥(いっせきにちょう)ってとこね。それに早く帰ってくれれば、家事(かじ)も手伝(てつだ)ってもらえるし。
「そうよ。これから私も出産(しゅっさん)と子育(こそだ)てで大変(たいへん)なんだから。今から家事を教えておかなきゃ」
 私は妙案(みょうあん)にほくそ笑(え)んだ。そして、自分へのご褒美(ほうび)は何がいいかとカタログをめくった。
<つぶやき>真っ先に減らされるのは、夫(おっと)の小遣いなんですね。お弁当に期待(きたい)しましょ。
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T:0171「冬眠生活」
 私にはちょっと変わった姉(あね)がいる。もう、普通(ふつう)じゃないの。子供(こども)の頃(ころ)はそれほど気にならなかったけど、今では彼女が何を考えてるのかまったく理解(りかい)できない。
 この間も、大量(たいりょう)の食料品(しょくりょうひん)を買い込んできて、私は驚(おどろ)いてしまった。
「ねえ、そんなに買ってどうするのよ?」
「今日から冬眠(とうみん)するから」姉は平然(へいぜん)と言った。「外へ出なくてもいいように買ってきたの」
「えっ? どういうことよ。仕事(しごと)はどうするの?」
「何か、仕事は行かなくてもよくなったから」
 私はため息(いき)をついて、「何よそれ。まさか、仕事辞(や)めたんじゃないよね」
「まあ、そんな感じかな」姉はたいしたことないみたいに、さっぱりと言ってのける。
「お姉ちゃん! どうしてよ」私はイライラしながら言った。
「だって、彼がね。もうお前とは会いたくないって…。そう言うから」
「彼って? お姉ちゃん、付き合ってる人いたの!」
 一緒(いっしょ)に住んでいるのに、そんな話(はな)し一度も出なかった。でも、振(ふ)られたからって仕事辞めなくてもいいじゃない。何で冬眠なのよ。
「お姉ちゃん、これからどうするつもりよ。もう、そんなんだから…」
「なに怒(おこ)ってんの? 大丈夫(だいじょうぶ)よ。冬眠からさめたら、またバリバリ働(はたら)くから」
<つぶやき>恋の傷(きず)を癒(いや)すには時間がかかるもの。でも、本当に冬眠がベストなのかな?
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T:0172「おねだり」
 休日の朝、娘(むすめ)は猫(ねこ)なで声で父に話しかけてきた。父には分かっていた。娘がこういう行動(こうどう)をとった場合(ばあい)は、何かをねだるつもりでいるときなのだと。そこで、父は先手(せんて)をとった。
「ダメだぞ。絶対(ぜったい)にダメだ。お前にはまだ早い」
「まだ何も言ってないじゃん」娘はもっと可愛(かわい)く、父の愛(あい)を揺(ゆ)さぶるように続けた。「だって、みんな持ってるし。あたしも欲(ほ)しいんだもん。ねーえ、いいでしーょ」
 父はこれしきのことでは動揺(どうよう)しない。ここは、父としての威厳(いげん)を見せなければならない。
「いいか、みんなが持ってるから欲しいなんて、そんないい加減(かげん)な気持(きも)ちで…」
「じゃあ、あなた」朝食(ちょうしょく)の支度(したく)をしていた妻(つま)が口を挟(はさ)んだ。「昨日(きのう)言ってたあれも…」
 父は、まさかここで妻が参戦(さんせん)するとは思っていなかった。しかし、ここで退(しりぞ)いては、威厳どころか今の地位(ちい)も危(あや)うくしかねない。
「お母さん、あれとこれとは話が違(ちが)うからね。今はこっちの話だから…」
 そこは夫婦(ふうふ)の間のこと、娘の前ではお互(たが)いに平静(へいせい)をよそおわなければならない。妻もそこのところは分かっていたようで、クスッと笑って退散(たいさん)した。
「じゃあ、いいもん。お母さんに頼(たの)むから。ねえ、お母さーん」娘は矛先(ほこさき)を母に向けた。
 父は、娘との距離(きょり)が遠(とお)のいたような、淋(さび)しい気持ちに襲(おそ)われて娘を見つめた。
<つぶやき>娘を持つ父の気持ちは複雑(ふくざつ)なのかも…。娘には幸(しあわ)せになってほしいのです。
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T:0173「思いこみ」
 転勤(てんきん)するかもしれない――。彼からそう聞かされたとき、私はいい機会(きかい)かもしれないと思った。私たちの関係(かんけい)を見直(みなお)すには…。
 彼とつき合い始めてもう五年。別に彼のこと嫌(きら)いになったわけじゃない。でも、何て言ったらいいのか――。お互(たが)いの愛情(あいじょう)が薄(うす)れてしまったのか…、恋人(こいびと)じゃなくなってしまった気がするの。このまま結婚(けっこん)しても…、私にはその先が想像(そうぞう)できない。
 彼から大事(だいじ)な話があると言われたとき、私はプロポーズだと思った。だから、私は彼よりも先に切り出したの。「ねえ、私たち、しばらく距離(きょり)をおかない?」
 彼はキョトンとして、私の顔を見つめたわ。私は、かまわずに続けた。
「これが、いい機会だと思うの。私たちマンネリになってるのよ。だから、ちょっと離(はな)れてみて、お互いのことじっくり考えてみない?」
「それは、つまり…」彼はかすれる声で言った。「別れたいって…」
「そうじゃないわ。そうじゃないけど…」
「ちょっと、待ってよ。俺(おれ)たちって、そういう関係じゃないよなぁ」
 彼の言葉(ことば)に、私は首(くび)をひねった。それって、どういうことかな? 私たち…。
「俺さ、結婚するんだ」彼はきっぱりと言った。「今日、君(きみ)に紹介(しょうかい)しようと思って」
 やだ。何よそれ。訊(き)いてないわよ、そんなこと。私の頭は、思考停止状態(しこうていしじょうたい)におちいった。
<つぶやき>思い込んでしまうと、周(まわ)りが見えなくなってしまうもの。気をつけましょう。
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T:0174「ひとりぼっち」
「ほんとに助かったわ」
 愛子(あいこ)は奈津(なつ)に言った。「あなたの言う通りだったの。あいつ、やっぱり浮気(うわき)してたのよ。もう、すっぱり別れてやったわ」
「そうなの」奈津は、はにかむようにうつむきながら言った。
「またお願(ねが)いね。今度こそいい男を捕(つか)まえてみせるから」
 愛子は颯爽(さつそう)と行ってしまった。残(のこ)された奈津はため息(いき)をつく。
 ――奈津には不思議(ふしぎ)な力があった。それは、人の未来(みらい)を予見(よけん)することができるのだ。他の人からはありがたがられたりするのだが、当(とう)の本人には何の役(やく)にも立っていない。
 好きな人ができても、その人の未来に自分が存在(そんざい)しないことが分かってしまうと――。これほど辛(つら)いことはないのかもしれない。だから、彼女はなるべく人を見ないようにしていた。いつもうつむいて歩(ある)き、必要(ひつよう)以上に人と関(かか)わらないようにしていた。
 奈津はボンヤリと歩き出した。その時だ。何かにぶつかり、彼女は尻(しり)もちをついた。
「大丈夫(だいじょうぶ)?」若い男が彼女に手を差(さ)し出した。「ゴメン。気づかなくて」
 奈津は彼を見て思わず叫(さけ)んだ。「私と付き合って下さい!」
 彼女は自分が言ってしまったことに驚(おどろ)き、顔を真っ赤にさせた。でも、本当(ほんとう)に嬉(うれ)しかったのだ。未来が見えない人に初めて出会(であ)えたのだから。
<つぶやき>好きになった人の未来を見ることができるとしたら。あなたはどうします?
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T:0175「ナンパなの?」
 さよりは友達(ともだち)のホームパーティーに来ていた。どうしてもって誘(さそ)われたのだ。彼女は内気(うちき)でおしゃべりも苦手(にがて)。こんな華(はな)やかなところでは、どうしたらいいか分からず隅(すみ)の方で小さくなっていた。そんな彼女の横(よこ)に男性が座(すわ)り込んだ。彼女はビクッと身体(からだ)をこわばらせる。
「ねえ、ここいいかな?」彼は赤みが差(さ)した顔に笑顔(えがお)を浮かべて訊(き)いた。
「あっ…、はい」彼女は消(き)え入るような声で答えた。
「今度、ハイキングの計画(けいかく)があるんだけど、君も行かない?」
「えっ…。あ、私は――」彼女は少し困(こま)った顔をしたが、「酔(よ)っぱらってるんですか?」
「うーん、ちょっとね。でも、全然(ぜんぜん)そんなんじゃないから。俺(おれ)は…」
 その時だ。離(はな)れたところから彼を呼ぶ声がして、ほかの男性が近寄って来て言った。
「おい、タカシ。また、ナンパか? お前もこりない奴(やつ)だな」
「バカ、違(ちが)うよ。そんなんじゃないって」彼はそう言うと、その友だちを追い払(はら)った。そして、さよりの方に向き直って、「ほんと、違うから。あいつ、酔っぱらってて、いい加減(かげん)なこと言ってるだけだからさ。これは、ナンパなんかじゃなく…」
「あの、いいです。私、そういうのは…」彼女は目をそらして言った。
「じゃあさ…。君は、何がしたい? 俺、付き合うから。何でも言ってよ」
 さよりは彼の真意(しんい)が分からず、この場から逃(に)げ出したい気持ちで一杯(いっぱい)になっていた。
<つぶやき>少しずつでいいんです。自分の世界を広げてみませんか? 何か変わるかも。
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T:0176「輪廻転生」
「本当(ほんとう)に殺(ころ)したのか?」取調室(とりしらべしつ)で刑事(けいじ)が自首(じしゅ)してきた男に訊(き)いた。
「ほんとです。間違(まちが)いありません」浅黒(あさぐろ)い顔の男は大きな両手(りょうて)を前に出して、「この手で、その女の首(くび)をしめたんです」
「しかしなぁ」刑事はため息(いき)をつき、「お前の言った場所(ばしょ)に死体(したい)なんかなかったぞ」
「そんなはずありません。だって、ほんとに俺(おれ)、やったんですから」
「じゃ訊くが、その女とはどこで知り合ったんだ」
「どこって…」男は口ごもった。「それは、あの…」
「警察(けいさつ)もヒマじゃないんだぞ。そんないい加減(かげん)なことで世話(せわ)やかすなよ」
「待って下さいよ。言います、言いますから」男は刑事にすがるように話しはじめた。
「公園(こうえん)にいたら、向(む)こうから話しかけてきたんです。遊(あそ)ばないかって…」
「それで」刑事は先を促(うなが)した。
「それで…。変だなって思ったんですよ。あんな奇麗(きれい)な人が、俺なんか相手(あいて)にするはずないし。だから俺、断(ことわ)ったんですよ。そしたら……。俺、首をしめてました」
「もう帰っていいよ。お前の作り話に付き合ってられるか」
「そんな。また女が近づいて来たらどうするんですか? もう、殺したくないんです!」
<つぶやき>この男の手にかかると、生まれ変わることができる。そんな噂(うわさ)があるとか…。
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T:0177「幸せ捜し」
 ひかりは、今どきの子には珍(めずら)しく本好きときている。家の近くに図書館(としょかん)があるので、毎日のように通(かよ)っていた。彼女は、そこの蔵書(ぞうしょ)をすべて読破(どくは)するのを目標(もくひょう)にしていた。
 ある日のこと、家で借(か)りてきた本を読んでいると、一枚のカードが挟(はさ)まれているのを発見(はっけん)した。そのカードには本のタイトルとページ数が書かれ、最後(さいご)に〈あなたは幸せを手にできる〉と書き添(そ)えられていた。
 最初(さいしょ)、誰(だれ)かのイタズラだと彼女は思った。でも何となく気になって、次の日に図書館でその本を捜(さが)してみた。彼女にとって本を捜すのは容易(たやす)かった。目当(めあ)ての本を見つけると、指定(してい)されたページを開(ひら)いてみる。そこには、またカードが挟まれていて、本の名前とページ数が記(しる)されていた。そして最後に、〈あなたは幸せに一歩近づいた〉とあった。
「もう、何なのよ」ひかりはじれったそうにつぶやいた。
 ここまできたら途中(とちゅう)で止められない。彼女は次の本へと向かった。だが、その本はなかなか見つからなかった。彼女は図書館の人に訊(き)いてみた。すると、
「ああ、その本なら貸(か)し出し中ですね。たぶん、来週には返却(へんきゃく)されると思いますが」
「そんな…。あたし、どうしてもその本が必要(ひつよう)なんです」
「でもこの本、人気(にんき)があるみたいで、戻(もど)って来てもすぐ次の人が借りていきますからね」
 彼女は愕然(がくぜん)とした。そんな人気のある本なのに、あたし、まだ読んでないなんて…。
<つぶやき>その本にはどんな幸せが記されているのか。読んでみたいと思いませんか?
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T:0178「データ消失」
「ねえ、頼(たの)んでおいた資料(しりょう)できてる?」凜子(りんこ)は会社へ戻ると、新人(しんじん)の百花(ももか)に訊(き)いた。
「それが…」百花は首(くび)を傾(かし)げなら言った。「この子、変なんですぅ」
 凜子はパソコンの画面(がめん)をのぞき込(こ)んだ。しかし、パソコンの電源(でんげん)は落(お)ちていて――。どういうことか訊こうと百花の方を見ると、彼女は電源コードの先(さき)を持っていた。
「えっ? まさか、プラグを抜(ぬ)いちゃったの?」
「はい。だって、全然(ぜんぜん)動かなくなっちゃって」
「動かないからって、プラグ抜いたらダメでしょ。データはちゃんと保存(ほぞん)したでしょうね」
「保存ですか?」百花はまた首を傾げて、「よく分かんないですぅ」
「よく分かんないって…。あなた、パソコン使えるんでしょ?」
「はい。家で、ゲームとかやってましたから。あたし、得意(とくい)なんです」
「そういうことじゃなくて…。もういいわ。プラグ、元(もと)に戻して」
 凜子はパソコンを立ち上げてみる。しかし、あるべきはずのファイルもフォルダーもなくなっていた。最後(さいご)の望(のぞ)みのゴミ箱も空(から)の状態(じょうたい)。
「どうして? 何でなにも残(のこ)ってないのよ」凜子はかなりうろたえていた。
 でも、百花は平然(へいぜん)と言ってのける。「なんか、削除(さくじょ)すれば動くのかなって思ってぇ」
<つぶやき>バックアップはちゃんととっておきましょう。何があるか分かりませんよ。
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T:0179「やきもち?」
「なあ、何か怒(おこ)ってないか?」良太(りようた)は恵里香(えりか)の顔を覗(のぞ)き込んで言った。
「別に、怒ってなんかないわよ」恵里香は顔をそむけるように答(こた)える。
「いや、何かあっただろ。俺(おれ)でよかったら、話し聞いてやるぞ」
「別に、話すことなんかないわよ。もう、ほっといて」
 良太は恵里香が行こうとするのをとめて、「ほっとけないだろ。俺たち友達(ともだち)じゃないか」
「……。だから、いいって言ってるでしょ。もう…、女とチャラチャラしてるくせに」
「えっ、何だよそれ? 誰(だれ)のことだ?」
「あなたよ!」恵里香は思わず言ってしまった。もうこうなったらハッキリさせようと彼女は決めて、「昨日、奇麗(きれい)な女の子と歩いてたでしょ。あたし、見てたんだから」
「ああ、あいつか」良太にも心当(こころあ)たりがあるようだ。「別にいいだろ。俺が誰と歩いてたって。何でそんなことで怒るんだよ」
「何でって…。だから、あたしは怒ってなんかいません」
「いや、怒ってるね」良太は恵里香の頬(ほお)に両手を当てて、「この顔は怒ってるだろ」
「もう、何するのよ」恵里香は良太の手を振りはらい、「あたしたちそんな関係(かんけい)じゃ…」
「あいつは、俺の従妹(いとこ)だよ。お前が思ってるような奴(やつ)じゃないから。心配(しんぱい)すんな」
「えっ、そうなの?」恵里香は、じわじわと恥(は)ずかしさがわきあがり顔を赤くした。
<つぶやき>恋の始まりの、ちょっと切なくじれったい。気持ちを伝えてスッキリさせよ。
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T:0180「愛人志望」
「でね、あたし考(かんが)えたの」明日香(あすか)は得意(とくい)げに言った。「結婚(けっこん)して妻(つま)になるより、愛人(あいじん)のほうがどんなに楽(らく)かって」
 私は、今までこの娘(こ)にどれだけ振(ふ)り回されたか。もう大抵(たいてい)のことには驚(おどろ)かないわ。私はさとすように言ってやった。
「愛人だって楽じゃないんじゃない。それはそれで…」
「でも、旦那(だんな)に縛(しば)られるよりは良いわよ。自分の好きなようにできるのよ」
「なに言ってるの? そんなこと言ってられるのは若(わか)いうちだけよ。男なんてね――」
「だからよ。もしそうなったら、由佳(ゆか)に助(たす)けてもらうわ。よろしくね」
「えっ、何で私が? イヤよ、そんなの」
「あたしたち親友(しんゆう)でしょ。今まで助け合ってきたじゃない」
「よく言うわよ。私がどれだけ…」
「あっ、そうだ!」明日香は突然(とつぜん)ひらめいた。「由佳の旦那の愛人になればいいのよ。そしたら、あたしたちもっと仲良(なかよ)くなれるわ」
「冗談(じょうだん)じゃないわよ。うちの人は、そんなことしません」
「でも…。この間(あいだ)会ったとき、すっごくあたしに優(やさ)しくしれくれたのよ」
「それ、いつの話しよ。言っとくけどね、うちの旦那に手を出したら許(ゆる)さないから!」
<つぶやき>人のやらないことをやる。ある意味(いみ)、才能(さいのう)なのかも。でも、迷惑(めいわく)かけちゃ…。
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T:0181「微笑みの魔力」
「ねえ、今の人って誰(だれ)なの?」鈴子(すずこ)は真理(まり)に訊(き)いた。
「ああ、彼は――」真理はにっこり微笑(ほほえ)んで言葉(ことば)をにごした。
 真理は合う度(たび)に違(ちが)う男に送(おく)られて来る。どれも美男子(びだんし)かお金持(かねも)ちそうな男ばかり。友達の間ではけっこう噂(うわさ)になっている。鈴子も興味津々(きようみしんしん)でいるのだ。
「この間の人とは違うわよね」鈴子はたまらず訊いてみた。
「この間の?」真理は首を傾(かし)げて訊き返す。
「そうよ。今の人とは違ったわよね?」
「そうだったかしら――」真理はそう言うと、また微笑んだ。
 鈴子は思った。きっと男たちは、この微笑みにやられちゃうのね。
 確(たし)かに、彼女の微笑みには男をとりこにするような魔力(まりょく)があった。その力(ちから)は、学生の頃よりもさらにパワーアップしている。
「真理って、彼氏(かれし)っているの?」鈴子はさらに突(つ)っこんだ。
 周(まわ)りにいた友達は、驚(おどろ)きの目で鈴子を見た。今まで、真理に男の話しをふるのはタブーとされていた。まして、彼氏のことを訊くなんて…。でも、みんなの不安(ふあん)をよそに真理は、
「あたし、まだ好きな方はいないのよ。なかなか縁(えん)がなくて」
 真理のお嬢様(じょうさま)ぶりに、鈴子もこれ以上(いじょう)なにも言えなくなってしまった。
<つぶやき>好きな人に微笑みかけられると、ぞくぞくってしませんか。恋の魔法(まほう)かもね。
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T:0182「本当の気持ち」
「ほんと、あり得(え)ないわよ。こんなこと…」明日香(あすか)は頭をかかえていた。
「ねえ、どうしたのよ」隣(となり)で心配(しんぱい)そうに有紀(ゆき)が訊(き)いた。
「ううん、何でもないの」
 明日香は自分の気持ちを奮(ふる)い立たせようと顔を上げた。
「昨日、あれから何かあったの?」
「ない、ないわよ。あるわけないじゃないの。あんな奴(やつ)と…」
「そうか。何かあったんだ」有紀は肯(うなず)きながら、「言ってごらん。聞いてあげるから」
「だから、何にもないって。何があるって言うのよ」
「また、やっちゃったんだ。今度は、何が原因(げんいん)なの?」
「そんなの知らないわよ。向こうが勝手(かって)に…。ああっ…、もう思い出したくもない」
「そんなこと言っちゃって。あんたたち、けっこう仲良(なかい)いよね」
「よくないわよ。あんなイヤな奴…。もう、顔も見たくないわ」
「とか言っちゃって、ほんとは会いたいくせに」有紀はニヤニヤと笑っていた。
「会いたくなんか…。向こうが来るから…しかたないじゃない」
「そうだね。ほんと、イヤな奴だよね。私が言っといてあげるよ。もう近よるなって」
「いや、そこまで…」明日香はちょっと困(こま)った顔をして、「あたしから言うから、ちゃんと」
「そう」有紀はすべてを納得(なっとく)した感じで、「ちゃんと返事(へんじ)しないと、ダメだよ」
<つぶやき>昨日、何があったんでしょう。意外(いがい)と、自分の本心(ほんしん)は気づかないのかもね。
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T:0183「飛び立とう」
 春になると新しい生活(せいかつ)が始まる。いろんな出会(であ)いとかあって、友達(ともだち)を作らなくちゃとか思うかもしれない。でも、私はちょっと変わってるかも。特別(とくべつ)仲の良い友達を作ろうとは思わない。今までだって、普通(ふつう)に友達はいたしね。
 私って、みんなと同じことをするのが苦手(にがて)なの。それに、あの子の仲間(なかま)とか、この子の友達とか、そういう枠(わく)に入りたくないんだ。私は、いつでも自分のやりたいことを自由(じゆう)にしたいの。誰(だれ)かとどこかへ行ったり、同じものを着(き)たり食べたり、そんなのおかしいわ。
 これは、他(ほか)の子を否定(ひてい)しているわけじゃないのよ。これが私の生き方なの。私は、人と違(ちが)っていることをいけないこととは思わない。むしろ、違っていることを楽しんでいるのかもしれない。人それぞれ、いろんな生き方があっていいんだもん。
 私は他の人をバカにしたり、悪口(わるくち)を言ったりしない。だって、私ってそんなすごい人間(にんげん)じゃないし、天才(てんさい)でもない。私思うんだけど、他の人はきっと私にないものを持っているはずよ。私の知らない世界(せかい)を持ってる。それってすごいよね。いろんな人と話ができれば、どんどん私の世界も広がっていくのよ。
 ――これは夢(ゆめ)みないな話。ほんとうの私は……、ただの臆病(おくびょう)な人間。人とおしゃべりするのが苦手で、コンプレックスの固(かた)まり。でも、そんな私でも春になると、飛び立ちたいともがいてる。あと少しなの、あとちょっとで、きっと…。
<つぶやき>人それぞれに人生があります。それはあなただけのもの。大切(たいせつ)にしましょう。
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T:0184「トマト娘」
「ほんとに嫌(きら)いなの?」愛実(まなみ)は悲しそうな顔で言った。
「ああ、あんなののどこが美味(うま)いんだ」剛(たける)はしかめっ面(つら)をしてみせた。
「じゃあ、あたしに任(まか)せて。絶対(ぜったい)に好きにしちゃうから」
 次の日。愛実はいろんなトマト料理(りょうり)を作って剛の前に並(なら)べ、楽しそうに言った。
「ちょっと頑張(がんば)っちゃった。食べてみて。どれも美味(おい)しいのよ」
「嫌味(いやみ)かよ。俺(おれ)はトマトは嫌いだって言っただろ」
「だって…。ほんとに美味しいのよ。一口でいいから、食べてみて」
「誰(だれ)が食べるか!」剛はかたくなに拒否(きょひ)した。
 愛実はうつむいて身体を震(ふる)わせる。剛が横目(よこめ)で見ると、彼女は泣(な)いていた。
「泣くようなことじゃないだろ。もう、いい加減(かげん)にしてくれよ」
「だって…。だって、トマトが嫌いな人がいるなんて…」
「わかったよ。食べりゃいいんだろ。食べりゃ…」
 剛はやけくそになって、料理を口いっぱいにほおばる。その様子(ようす)を見つめる愛実。
「どう? 美味しい?」
「まあ…。不味(まず)くはないよ」剛はぶっきらぼうに言った。
「わぁ、よかったぁ」愛実の顔にお日様(ひさま)のような笑顔が戻(もど)った。
<つぶやき>男の無器用(ぶきよう)な優(やさ)しさなのかも。素直(すなお)に言葉で表(あらわ)すことが苦手(にがて)なんでしょうね。
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T:0185「さよなら」
 智子(ともこ)は身支度(みじたく)をおえると、最後(さいご)に部屋(へや)の中を見渡(みわた)した。彼と過(す)ごした三年は、辛(つら)かったこともあったけど、今は楽しかったことしか思い出せない。
 彼とはなぜか気が合って、彼の前だとそのままの自分でいられた。彼のそばにいるだけで、何だか幸(しあわ)せな気分(きぶん)になれたのだ。だから、一緒(いっしょ)に暮(く)らし始めた。その頃(ころ)は、毎日が楽しくて、幸せすぎるくらいだった。こんな日が、ずっと続くと思っていた。
 それが、いつからか、ちょっとずつ、二人の歯車(はぐるま)が狂(くる)いはじめた。気持(きも)ちがすれ違(ちが)い、ささいなことで喧嘩(けんか)をするようになった。智子は彼の気持ちを引き止めようと必死(ひっし)になった。でも、彼との溝(みぞ)を埋(う)めることはできなかった。
 何でこうなったのか、智子にもわからない。別に嫌(きら)いになったわけじゃないのに…。今はもう、あの頃の幸せな気持ちには戻(もど)れない。このまま一緒にいると、二人とも駄目(だめ)になってしまうかも…。もう、別れるしか――。何か別の方法(ほうほう)があったのかもしれない。彼との関係(かんけい)を修復(しゅうふく)する方法(ほうほう)が。でも、今の智子には何も思いつかなかった。
 最後に、彼女は彼が好きだった手料理(てりょうり)を用意(ようい)して、思い出の花をテーブルに添(そ)えた。そして、〈今までありがとう〉と書き置きした。
 彼女は部屋を出ると、部屋の鍵(かぎ)をカチリとかけた。そして、新聞受けに鍵をすべらせた。無人(むじん)の部屋に、鍵が落ちる音だけが響(ひび)いた。
<つぶやき>努力(どりょく)しても、それが報(むく)われるとは限(かぎ)らない。でも、しないではいられない。
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T:0186「隣の不可思議」
 ここ半年くらい、隣(となり)の部屋は空(あ)き部屋になっていた。でも、どうやら最近(さいきん)になって人が入ったみたい。時々、カリカリとかバチバチとか変な音が聞こえてくる。何の音なのかと聞き耳を立てると、音は消(き)えてしまうの。
 それから、この間(あいだ)のことよ。洗濯物(せんたくもの)を干(ほ)そうとベランダに出ると、今まで嗅(か)いだことのないような変な臭(にお)いがしたの。どうやら、それは隣から流れてきてるみたい。そっと隣を覗(のぞ)いてみると、黒い影(かげ)がホワーッと…。私、びっくりして声を上げそうになっちゃった。
 友達(ともだち)にこのこと話してみたけど、誰(だれ)も本気(ほんき)に聞いてくれなくて。でもね、一人だけ真剣(しんけん)に聞いてくれる娘(こ)がいて。その娘、会ってみたいって言い出したの。私、やめた方がいいって言ったんだけど…。
 今、その娘は隣の部屋に行ってるわ。私、一緒(いっしょ)に行こうかって言ったけど、一人で大丈夫(だいじょうぶ)よって。ほんとに大丈夫かなぁ。もう一時間ぐらいたってるのに、まだ戻(もど)って来ないの。
 私、もうじっとしてられないわ。これから、隣へ行こうと思う。やっぱり、心配(しんぱい)だもの。もし、何かあったら大変だし…。
 ――彼女が隣の部屋の前に来たとき、扉(とびら)がスーッと音もなく開いた。そして、彼女は吸(す)い込まれるように部屋の中へ。それ以来(いらい)、彼女の姿(すがた)を見かけることはなくなった。
<つぶやき>二人はどうなったんでしょう。異次元(いじげん)の世界に迷(まよ)い込んでしまったのかも。
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T:0187「確認事項」
「何よ、話って」恵里香(えりか)はソファーに寝転(ねころ)びながら言った。
「だからね…」賢治(けんじ)は控(ひか)え目な感じで、「君が、どういうつもりなのかなって…」
 恵里香はテレビ番組(ばんぐみ)に夢中(むちゅう)で、賢治の話など聞いているのかどうか――。賢治はたまらず、リモコンに手をのばしテレビの電源(でんげん)を切った。恵里香はやっと起(お)き上がり、
「何すんのよ。あたし、見てるんだから…」
「だからね、これは大事(だいじ)な話なんだから。ちゃんと聞いてよ。――君がここに来て、もう一週間だよね。今の、この僕(ぼく)たちの状況(じょうきょう)というか、関係(かんけい)って…」
「ねえ、ケンちゃん。何が言いたいのよ。あたし、分かんない」
「だからね、僕のことどう思ってるのかなって…。つまり、僕と結婚(けっこん)しようとか…」
「そうねえ」恵里香は賢治の顔をしばらく見つめて、「それも、ありかな」
「えっ、何だよそれ…。ほんとに真剣(しんけん)に考えてるのかよ」賢治は不安(ふあん)な顔で言った。
「考えてるわよ。だって、ケンちゃんといると、とっても楽(らく)っていうか…」
「じゃあさ。家事(かじ)とか、ちょっと手伝(てつだ)ってくれてもいいんじゃ…」
「えーっ、あたしが?」恵里香はリモコンに手をのばしながら言った。「ケンちゃん、得意(とくい)じゃん。あたしケンちゃんの料理(りょうり)、大好きだよ」
「いや、僕が言いたいのはね。えっと、そういうことじゃなくて…」
 恵里香はテレビの電源を入れると、画面(がめん)に釘付(くぎづ)けになりケラケラと笑った。
<つぶやき>愛って何なんでしょう。結婚って…。二人で、将来(しょうらい)のこと話してみませんか。
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T:0188「マイペース」
「ねえ、どれが良いと思う?」涼子(りようこ)はショーケースの中を指(ゆび)さして訊(き)いた。
「あのさ、それだけなの? 緊急(きんきゅう)の非常事態(ひじょうじたい)って…」秋穂(あきほ)は力が抜(ぬ)ける思いだった。
「そうよ」涼子はさらりと言って、「ほんとに迷(まよ)ってるのよ。どっちがいいかなぁ?」
 涼子はケースの中を食い入るように見つめた。秋穂はイラつきながら、
「何なのよ。あたし、彼の誘(さそ)いを断(ことわ)ってまで来てるのよ。それが、こんなことって…」
「えっ、彼氏(かれし)いたの? 全然(ぜんぜん)知らなかった」
「いや…、彼氏というか…。まだ、そこまではいってないけど。でも、初めてなのよ」
「ああーっ、どうしようかなぁ」涼子はまた品定(しなさだ)めに戻(もど)った。そして、しばらく彼女は唸(うな)っていたが、「やっぱ、やめるわ。もうちょっと、よく考えてみる。今日はありがとね」
 彼女はそのまま店(みせ)を出て行った。秋穂は彼女を追(お)いかけて、
「待ってよ。あたしはどうすればいいのよ」
 しかし、涼子はそのまま行ってしまった。残(のこ)された秋穂は急いでスマホを取りだして、彼に電話をかけた。今なら、まだ間に合うかもしれない。でも、電話の向こうからはアナウンスの声が…。〈電源(でんげん)が切れているか、電波(でんぱ)の届(とど)かない所に……〉
「何でよ。――もう絶対(ぜったい)、涼子には付き合ってあげないんだから」
<つぶやき>彼女はいったい何を買おうとしていたんでしょ。ちょっと、気になります。
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T:0189「新しい娘」
 娘(むすめ)が五年ぶりに帰ってくる。といっても、本物(ほんもの)ではなくロボットなのだが。本当(ほんとう)の娘は田舎暮(いなかぐ)らしに嫌気(いやけ)がさし、今は都会(とかい)に出て働(はたら)いている。盆(ぼん)や正月(しょうがつ)にも帰ってくることはなかった。たまに電話(でんわ)をしてきても、あれを送れの一言(ひとこと)で切ってしまう。
 私たち夫婦(ふうふ)は、これからの老後(ろうご)について考えた。娘をあてにしても仕方(しかた)がない。そんな時、このロボットのことを知ったのだ。人間そっくりのロボットが私たちにも買えるなんて。千項目(せんこうもく)を越えるアンケートに記入(きにゅう)するのは大変(たいへん)だったが、娘の写真(しゃしん)を添(そ)えて購入(こうにゅう)を申し込んだ。そしてついに、今日届(とど)けられることになったのだ。
 梱包(こんぽう)を開けて私たちは驚(おどろ)いた。想像(そうぞう)以上のできばえに、本当に娘が帰ってきたと錯覚(さっかく)したくらいだ。私たちはさっそくロボットのスイッチを入れて、こわごわ話しかけてみる。すると、これまた娘とそっくりの声で返事(へんじ)が返ってきた。私たちは思わず微笑(ほほえ)んだ。娘がまだ子供の頃の、あのあどけない姿(すがた)がよみがえってきた。
 説明書(せつめいしょ)には、まだ幼児(ようじ)の知能(ちのう)しかないので、いろんなことを教えて下さいとあった。私たちは、何から教えようかと顔を見合わせた。と同時(どうじ)に、不安(ふあん)が私たちの頭をよぎった。育(そだ)て方を間違(まちが)えると、娘の二の舞(まい)になりかねない。ちゃんと私たちのことを大切(たいせつ)にしてくれるように、愛情(あいじょう)をそそいでいかなくてはいけない。この娘(こ)には、私たちの老後がかかっているのだから。
<つぶやき>久しぶりに帰郷(ききょう)したら、自分とそっくりな娘がいた。これはびっくりですね。
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T:0190「将来の夢」
 学校(がっこう)の宿題(しゅくだい)として、将来(しょうらい)の夢(ゆめ)について作文(さくぶん)を書くことになった。僕(ぼく)は今までそんなこと考えたこともなかった。大きくなったら何をやりたいか、そんなこと分かるわけがない。
 でも、他の子たちはいろんなことを書くんだろうなぁ。耕作(こうさく)んちは八百屋(やおや)だから商売(しょうばい)を継(つ)ぐだろうし。翔太(しようた)は勉強(べんきょう)ができるから学校の先生(せんせい)かな。太郎(たろう)は目立(めだ)ちたがり屋(や)だから宇宙(うちゅう)飛行士って書くに決まってる。はるかはブスのくせにモデルになるって騒(さわ)いでたし――。
 僕は何にしようかなぁ? サラリーマンとかそんなんじゃつまんないし。ここはやっぱり、大きくいっといた方がいいのかもしれないな。どうせ、夢なんだし。
 僕は原稿用紙(げんこうようし)に向かって、さらさらと鉛筆(えんぴつ)を走(はし)らせた。〈世界せいふく〉
 僕は素晴(すば)らしい思いつきにほくそ笑(え)んだ。こんなこと誰(だれ)も考えつかないだろう。僕は、世界せいふくをしたら何をやりたいか、思いつくままに書きつらねていった。
 まず、学校の宿題はやめさせる。それに、お小遣(こづか)いは今の三倍に増(ふ)やす。それから…。
 その時、お姉ちゃんが部屋に入ってきて言った。
「ねえ、何やってるのよ。ちゃんと片付けてって言ったでしょ。ここは、あたしの場所(ばしょ)なんだから」
 お姉ちゃんが出て行ってから、僕は新たに一つ付(つ)け加えた。
〈僕だけの広い部屋を用意(ようい)させる〉
<つぶやき>子供は無邪気(むじゃき)にいろんな夢を話します。でも、大人になると夢を語るのが…。
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T:0191「春の訪れ」
「まだ帰ってこないよ。どうしちゃったんだろ?」小学生(しょうがくせい)の娘(むすめ)が訊(き)きに来た。
「もう来るわよ。心配(しんぱい)しなくても大丈夫(だいじょうぶ)だから」
 私は子供の頃(ころ)を思い出す。そう言えば、私も春になると軒先(のきさき)を眺(なが)めては母に訊いたものだ。その時の母と同じように答えている自分に、私はクスッと笑(わら)ってしまた。
「ねえ、ここが分からないんじゃないかなぁ。空(そら)から見えるように目印(めじるし)をつけなきゃ」
「それじゃ、びっくりしちゃうかもしれないわ。いつも通りにしてた方がいいのよ」
「でも、帰ってこられないと大変(たいへん)だわ」
 私は心配そうな顔をしている娘に言った。
「今年は、まだ寒(さむ)いからね。ゆっくり旅(たび)をしてるのよ。暖(あたた)かくなったら、きっと帰って来るわ。もう少し待(ま)ってあげましょ」
 娘はこくりと頷(うなず)いた。
 それから何日かして、外で遊(あそ)んでいた娘が駆(か)けこんで来た。
「ねえ、いたよ。空を飛んでたの」娘は目を輝(かがや)かせて、早口(はやくち)でまくしたてた。
「きっと、うちのツバメだよね。また、帰ってきたんだよね。そうだよね」
 毎年やって来るツバメたちは、我(わ)が家では家族同然(どうぜん)になっている。私は、はしゃいでいる娘を見ながら、いつまでもこんな優(やさ)しい気持ちを忘(わす)れないで、と願(ねが)った。
<つぶやき>春を運んで来てくれる家族(かぞく)がいたら、とっても幸せな気分になれるかもね。
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T:0192「幸せの実」
 近所(きんじょ)の神社(じんじゃ)でお祭(まつ)りがあった。私はここに越して来て日も浅(あさ)いので、ふらりと立ち寄ってみた。小さなお祭りで、露店(ろてん)も4、5軒(けん)しかなかった。それほど面白(おもしろ)いこともなく、私は一回りして帰ることにした。鳥居(とりい)を出てしばらく行くと、小さな露店の老婆(ろうば)に呼(よ)び止められた。老婆は小さな植木鉢(うえきばち)を私に差し出して、
「あんたに、これをあげよう。これは幸運(こううん)の木で、幸せの実(み)がなるんだ」
 戸惑(とまど)っている私に、老婆は植木鉢を押(お)しつけた。私は、言われるままに受け取ってしまった。どうも、私はこういうのは断れないというか…、損(そん)な性格(せいかく)なのだ。
 もともとずぼらなところがあって、ウチへ持って帰っても、水をやることもなく玄関(げんかん)に放(ほう)ったままにしていた。何日かたった頃(ころ)、その鉢に芽(め)が出ているのを発見(はっけん)した。こうなってくると、いくらずぼらな私でも、水をやらなきゃと思ってしまう。
 それから一週間。その芽は順調(じゅんちょう)に、と言うか、驚異的(きょういてき)なスピードで伸(の)びていった。半月たった頃には、30センチほどに成長(せいちょう)した。そして、枝(えだ)の先には小さなつぼみまでふくらみ始めた。私はどんな花が咲(さ)くのか、楽しみになってきた。
 毎朝早起(はやお)きして世話(せわ)をして、仕事(しごと)が終わったら真っ直ぐにウチに帰る。今までの不規則(ふきそく)な生活(せいかつ)が嘘(うそ)のようだ。身体(からだ)もすこぶる快調(かいちょう)で、仕事も楽しくなってきた。それに、最近(さいきん)、彼女というか、好きな人が現れた。これって、幸運の木のおかげなのかな?
<つぶやき>ささいなことから幸せが生まれます。それを育てられるかは、あなた次第(しだい)。
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T:0193「花見の宴」
 この会社(かいしゃ)では、社員(しゃいん)そろっての花見(はなみ)の宴(うたげ)が毎月開かれることになっていた。会社設立(せつりつ)からの行事(ぎょうじ)で、社員の親睦(しんぼく)を深めるために始まったようだ。この宴の幹事(かんじ)を任(まか)されるのは新入社員(しんにゅうしゃいん)の二人。スーツ姿(すがた)もまだぎこちなく、初々(ういうい)しい感じである。
 今日は朝から宴の準備(じゅんび)を調(ととの)えて、場所(ばしょ)取りに来ていた。あとは、お昼(ひる)の時間にみんながそろうのを待つだけである。ここまで来ると、二人の距離(きょり)もだいぶ縮(ちぢ)まってきていた。
「俺(おれ)たち、場所取りする意味(いみ)あるのかな? まわり誰(だれ)もいないし」
「桜(さくら)じゃないからね。でも、この花きれいよ。赤くて、ほんとブラシみたい」
「ブラシの木なんて、誰も知らないんじゃないかなぁ」
「ほんと。あたしも全然(ぜんぜん)知らなかった」彼女はぎこちなく笑(わら)って、「みんな、遅(おそ)いわね」
「ああ…、もう来るんじゃないかな」彼は腕時計(うでどけい)で時間を確認(かくにん)。しばしの沈黙(ちんもく)――。
「ねえ、ちょっと遅すぎない?」彼女は不安気(ふあんげ)な顔で、「ちゃんと、ここの場所分かるよね」
「大丈夫(だいじょうぶ)だろ。掲示板(けいじばん)にちゃんと…」そこで彼は突然(とつぜん)立ち上がり叫(さけ)んだ。「忘(わす)れてた!」
「なに? どうしたのよ?」
「俺、掲示板に地図貼(は)るの…。どうしよう。そうだ、電話(でんわ)して…」彼はポケットを探(さぐ)ってみるが携帯電話が見つからない。ますます彼は慌(あわ)てだした。それを見て彼女は、
「もう、落ち着いて下さい。あたしがかけますから」平然(へいぜん)と携帯電話を取りだした。
<つぶやき>女は度胸(どきょう)なんです。最後の詰(つ)めが甘(あま)いと、これから頭が上がらなくなるかも。
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T:0194「放課後」
 学校(がっこう)の放課後(ほうかご)、教室(きょうしつ)に残って友香(ともか)は和也(かずや)に勉強(べんきょう)を教えていた。今度のテストで成績(せいせき)が悪いと、和也は補習(ほしゅう)を受けなくてはいけないのだ。
「あーっ、そうか、分かった。なんだ、簡単(かんたん)じゃねーぇか」
 和也は大きく伸(の)びをして言った。それを見て友香はため息(いき)をつき、
「こんなこと、授業(じゅぎょう)をちゃんと聞いてれば分かるはずよ」
「そうなんだけどさぁ。なんか、ずーっと座(すわ)ってると眠(ねむ)くなっちゃって」
「いい、これが分かったら次の問題(もんだい)も簡単なはずよ。やってみて」
「えっ、まだやるのかよ」
「なに言ってるのよ。まだ三十分もたってないじゃない」
「まぁ、そうだけど…。よし、やるぞ」和也は問題を睨(にら)みつけた。そして、唸(うな)った。
 しばらく黙(だま)って見ていた友香だが、我慢(がまん)しきれず口を出した。「だから、これとこれで…」
 友香が手を出したとき、思わず和也の手に触(ふ)れてしまった。二人とも一瞬(いっしゅん)とまり、見つめ合う。その距離(きょり)のあまりの近さに、二人は飛(と)び上がった。
「もう、あたし帰る。あとは、自分で考えて」友香は逃(に)げるように教室を出て行った。
「えっ、何だよ? なに怒(おこ)ってんだよ。俺(おれ)、なんか…」
<つぶやき>男ってほんとに鈍感(どんかん)なのです。分かんない奴(やつ)にはぶちかましてやりましょう。
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T:0195「特別な微笑み」
「君(きみ)は何てことしてくれたんだ」平山(ひらやま)部長は困惑(こんわく)顔で言った。「綾瀬(あやせ)君に暴言(ぼうげん)を吐(は)いたそうじゃないか。彼女が、我(わ)が社(しゃ)にとってどれほど大切(たいせつ)な人材(じんざい)か分かってるのか?」
「でも部長(ぶちょう)」高野(たかの)は不満(ふまん)そうに、「僕(ぼく)は別に、そんなつもりで…」
「何で、つまんないなんて言ったんだね。そのせいで、彼女は笑(わら)えなくなったんだぞ」
「僕は、彼女を傷(きず)つけようとか、そういうんじゃなくて。ほんと、冗談(じょうだん)みたいな…」
「そんなことはわかっとる。だがな、綾瀬君は自分はつまんない女だと思い込んでしまってるんだ。最悪(さいあく)、彼女が会社を辞(や)めるなんて言いだしてみろ、我が社は倒産(とうさん)だ」
「部長、それは言いすぎですよ」
「清和(せいわ)物産が取引(とりひき)の停止(ていし)を打診(だしん)してきた。あそこの社長(しゃちょう)が、なぜ毎月うちへ来るのか知ってるか。綾瀬君の淹(い)れるお茶(ちゃ)を楽しみにしてるんだ。今月おみえになったとき、彼女に微笑(ほほえ)んでもらえなかったことを気にされて、このままじゃ取引できないと」
「そんな…。でも別に、他の女子社員だっているんだし。そんな大人気(おとなげ)ない…」
「君は分かってない。いいか、彼女は特別(とくべつ)なんだ」
「どこがです? あんなチャラチャラした奴(やつ)の…」
「これは業務命令(ぎょうむめいれい)だ。彼女の笑顔を取り戻(もど)すんだ。これには、我が社の運命(うんめい)、いや、社員(しゃいん)とその家族(かぞく)の生活(せいかつ)がかかってるんだ。頼(たの)むぞ」
<つぶやき>可愛(かわい)い人に微笑んでもらえたら、それだけで幸せな気分になっちゃいますね。
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T:0196「円満の木」
 我(わ)が家には大きな鉢植(はちう)えがある。友達(ともだち)が引っ越す時に譲(ゆず)り受けたものだ。今では、子供の背丈(せたけ)ほどに成長(せいちょう)している。園芸(えんげい)初心者(しょしんしゃ)の私たちだったけど、何とかちゃんと育(そだ)てることができている。それがここ最近(さいきん)、葉(は)の艶(つや)も悪(わる)く元気(げんき)がなくなってしまった。
 原因(げんいん)がまったく分からず諦(あきら)めかけていた時、その友達から電話があった。そこで私は、どうしたらいいのか訊(き)いてみた。すると、
「ねえ、家の中で何か問題(もんだい)があるでしょ」
 私は驚(おどろ)いた。確(たし)かに最近、夫(おっと)との仲(なか)がギクシャクしていた。でも、それは今までだってあったことだし――。
「ひとつ、提案(ていあん)があるんだけど」
 友達は私が黙(だま)り込(こ)んでしまったので何かを感じたのだろう、こんなことを言ってくれた。
「ひとまわり大きな鉢に植(う)え替(か)えてあげて。絶対(ぜったい)、旦那(だんな)さんと一緒(いっしょ)にやるのよ。二人で、子供を扱(あつか)うように優(やさ)しく優しくしてあげて。そしたら、元気になるわよ」
 私は半信半疑(はんしんはんぎ)だった。夫にそのことを話したら、「そうか」と言って手伝(てつだ)ってくれた。
 それからしばらくして、鉢植えも元気を取り戻(もど)した。そして、いつの間にか私たちの仲も元通(もとどお)りに…。何だが、とっても不思議(ふしぎ)な感じです。
<つぶやき>夫婦の間にも、おしゃべりは必要(ひつよう)です。植物(しょくぶつ)たちもよく分かってるのかもね。
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T:0197「テレビの彼女」
 賢吾(けんご)は眠(ねむ)い目をこすりながらテレビに見入(みい)っていた。時間は夜中(よなか)の2時を回っている。テレビに映(うつ)し出されていたのは若(わか)い女性。アイドルのようにとても可愛(かわい)いが、今までテレビでは見たことのない人だった。
 彼はしきりにテレビに向かって話しかけていた。すると、不思議(ふしぎ)なことにテレビの中の女性も、相(あい)づちをうったり返事(へんじ)を返してきた。
「ねえ、今度はいつ会えるかな?」賢吾はいとおしそうに訊(き)いた。
「そうねえ」彼女はしばらく考えて、「分かんないわ、そんなこと」
「僕は毎日会いたいんだ。でも、一晩中(ひとばんじゅう)起きていると、昼間(ひるま)眠くて仕事(しごと)にならないんだ」
「それはダメよ、ちゃんと寝(ね)てください。そうじゃないと、あたし…」
 テレビの彼女は悲しげな顔をして目を伏(ふ)せた。それから、何かを決意(けつい)したように彼の方を見つめて言った。「じゃあ、明日の26時にこのチャンネルで会いましょ」
「ほんとに?」賢吾は嬉(うれ)しさのあまり飛び上がった。
 そして次の日。約束(やくそく)の時間に賢吾はテレビのスイッチを入れた。チャンネルを合わせる。でも、そこに映っていたのは、シャーッという音と砂(すな)あらしだけだった。
「何だよ、どうしたんだ」賢吾は思わずテレビを叩(たた)いた。しかし、何も変わらなかった。
「もう会えない…。あんな約束しなきゃよかった。俺(おれ)が弱音(よわね)を吐(は)いたから嫌(きら)われたんだ」
<つぶやき>夜中の使われていないチャンネル。そこには誰(だれ)も知らない世界があるのです。
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T:0198「はずれ娘」
「あたし、はずればっかり引いてしまうんです」頼子(よりこ)はうつむきながら言った。
「はぁ? 悪いがうちは何でも屋で、人生相談(じんせいそうだん)なんかしてないんだけど」
「でも、表(おもて)に何でも相談にのりますって」
「それは…」小太(こぶと)りの男は頭をかきながら、「まいったな…。で、どうしたいんだ」
「だから、はずれを引かないようにするにはどうしたら…」
「別にいいじゃないか、はずれを引いたって。それも、あんたの才能(さいのう)だ」
 男は何かを思いついたのか、彼女を街外(まちはず)れの倉庫(そうこ)へ連(つ)れ出した。薄暗(うすぐら)い倉庫の中では、闇(やみ)のオークションが開かれている。男は並(なら)べられている骨董品(こっとうひん)を見せながら言った。
「この中で、あんたが欲(ほ)しいと思うものはどれだ?」
「あたし、骨董品なんて分かりません。選(えら)べって言われても…」
「心配(しんぱい)すんな。俺(おれ)だって分かんねえよ。ここに並んでるのはどれもガラクタばっかりさ。でもな、たまに本物(ほんもの)がまぎれ込(こ)んでいるんだ」
 頼子は最後(さいご)まで悩(なや)んだ二つのうちの一つを選んで、「あたし、こっちがいいです」
 男は、彼女が最後に選ばなかった方をわずかな金で落札(らくさつ)させた。
 後日(ごじつ)、頼子は何でも屋に呼び出された。行ってみると、男は彼女の前に札束(さつたば)を置き、
「これがあんたの報酬(ほうしゅう)だ。おかげで、本物を手に入れることができたよ」
<つぶやき>はずれを引き続けても、いつか当たりに巡(めぐ)り合う。それに気付けるかどうか。
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T:0199「癒されたい」
「何なのよ、これ!」美咲(みさき)はベランダに出て叫(さけ)んだ。
 狭(せま)いベランダいっぱいに特大(とくだい)のプランターが置かれていた。
「いいでしょ」日菜子(ひなこ)は嬉(うれ)しそうに、「ネットで見つけたの。癒(いや)されちゃうんだって」
「癒されるって、どういうことよ?」
「よく分かんないけど、そう書いてあったわ。でね、これから収穫(しゅうかく)しようと思って」
「はぁ? でも、葉(は)っぱも出てないし、変な茎(くき)が伸(の)びてるだけじゃない」
「ねえ、手伝(てつだ)ってよ。そのために来てもらったんだから」
 美咲は渋々(しぶしぶ)引き受けた。変な茎のようなものを二人でそっと引っ張り上げる。土が少しずつ盛(も)り上がってきて、ぴょこっと大きなものが顔を出した。とたんに、美咲は悲鳴(ひめい)を上げた。顔を出したのは、大きな芋虫(いもむし)のような――。
「わ~ぁ、かわい~いィ」日菜子はそう言うと芋虫のようなものの頭をなでて、「もう、ぷよぷよしてるぅ。これって、モスラじゃない?」
 美咲は部屋の隅(すみ)まで逃げ出して、「いやだ! あたし、虫(むし)とかダメなんだから…」
「かわいいのにぃ。これって、本物(ほんもの)かな? 生きてるといいなぁ」
「そんなわけないでしょ。作り物に決まってるわ」美咲はべそをかきながら言った。
 二人が見つめていると、それはモゾモゾと動き出し、土の中から這(は)い出した。
<つぶやき>ネットで何でも買えちゃう。でも、まさかこんなものまで売られてるなんて。
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T:0200「僕のこだわり」
 僕(ぼく)は小学生ながら変なこだわりを持っている。少々の雨なら傘(かさ)なんて使わない。それが男だ。僕はいつも格好(かっこ)いい男でいたいのだ。ママには、何で傘を差(さ)さないのって言われるけど、これだけは絶対(ぜったい)に譲(ゆず)れない。
 そんなある日。僕はいつものように小雨(こさめ)の中を歩いていた。すると、誰(だれ)かが僕に傘を差し掛(か)けてきた。ふっと横(よこ)を見る。すると、そこには彼女(かのじょ)が…。
 僕の胸(むね)は高鳴(たかな)った。だって、彼女は僕たちのあこがれの響子(きようこ)ちゃん。僕のすぐ横を歩いている。これは、まさに奇跡(きせき)に近いことだ。――ダメだ。こんなことで動揺(どうよう)してどうする。ここは、クールに決(き)めないと。男の美学(びがく)だ。
「何だよ」僕はそっけなく言ってしまった。
「濡(ぬ)れちゃうよ。近くまで一緒(いっしょ)に帰ろ」彼女は優(やさ)しく微笑(ほほえ)んだ。
「別にいいよ。ほっとけよ」
 何でだ。心ではそんなこと思ってないのに、勝手(かって)に口から飛び出してしまった。
「もう、そんなこと言って」彼女はちょっと怒(おこ)った顔をする。それも、また可愛(かわい)い。
 響子ちゃんは、何にも言わずに一緒に歩いてくれた。ずっと傘を僕の方に傾(かたむ)けて。僕は、誰かに見られやしないかとドキドキだ。でも、ずっとこのままでいたいと願(ねが)ってる。
<つぶやき>小学生でも大人と変わらない。美しいものに憧(あこが)れ、恋が芽生(めば)えていくのです。
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