書庫 ブログ版物語201~

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T:0201「夢想のすきま」
 それは突然(とつぜん)のことだった。目の前にイケメンの青年(せいねん)が現れたと思ったら、愛(あい)してるとささやかれ…。気がつけば彼の腕(うで)に抱(だ)かれて、口づけを交(か)わしていた。
 絵理子(えりこ)は薄(うす)れる意識(いしき)のなか思った。こんなことあり得(え)ないわよ。だって、知らない男性よ。抱かれちゃってるのよ。それに、キスまでしてるなんて。
 絵理子は彼から離(はな)れようと必死(ひっし)にもがいた。でも、全然(ぜんぜん)力が入らない。彼の腕はどんどん身体(からだ)をしめつける。彼女は自分(じぶん)の身体が深(ふか)い沼(ぬま)に沈(しず)んでいくのを感じた。次の瞬間(しゅんかん)、彼女はベッドから転(ころ)がり落ちていた。
「いてっ…。もう…」彼女は状況(じょうきょう)が把握(はあく)できなかった。目の前には床(ゆか)があり、まるで知らない場所にいるように感じた。彼女は目をこすりながら、ゆっくり起き上がって、
「えーっ、何なのよ……」
 意識がハッキリしてくると、彼女はため息(いき)をついた。
「あーっ、忙(いそが)しすぎるせいよ。来週(らいしゅう)、絶対(ぜったい)に休暇(きゆうか)とるから。もう限界(げんかい)よ」
 彼女は自分を奮(ふる)い立たせるように大きく伸(の)びをした。そして、目覚(めざ)まし時計を見た。
「あっ! もうこんな時間じゃない。遅刻(ちこく)しちゃうわ」
 絵理子は大急(おおいそ)ぎで身支度(みじたく)を調(ととの)えると、あたふたと部屋を飛び出した。彼女が出て行ったあとには、いろんなものが散乱(さんらん)し、足の踏(ふ)み場もなかった。そして、ベッドには――。
<つぶやき>忙しすぎると心のバランスも崩(くず)れちゃうから。そこへ忍(しの)び寄る怪(あや)しい影(かげ)…。
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T:0202「ゆれる心」
「お前は、何度問題(もんだい)を起こせば気が済(す)むんだ」担任(たんにん)の梅沢(うめざわ)は恵理(えり)を睨(にら)みつけて言った。
「関係(かんけい)ねえだろ。うっせぇなぁ」恵理も負(ま)けずに睨み返す。
 梅沢は隣(となり)にいる妙子(たえこ)に言った。「相沢(あいざわ)。学級委員(がっきゅういいん)のお前まで、何してたんだ?」
「私は…」妙子は声をつまらせた。
「こいつは関係ねえよ」恵理は妙子をかばうように、「あたし一人でやったんだ」
「当たり前だ。相沢はな、成績(せいせき)も優秀(ゆうしゅう)で、お前みたいな不良(ふりょう)とは違(ちが)うんだ。他校(たこう)の生徒(せいと)と喧嘩(けんか)するような、そんな…」
「違います!」妙子は声を張(は)りあげた。「神田(かんだ)さんは、悪くないんです。あれは…」
 理恵は妙子の言葉(ことば)をさえぎるように、「退学(たいがく)でも何でもいいよ。こんな学校いつでも…」
「私も、同じ処分(しょぶん)にして下さい」妙子は担任の前に出て、意(い)を決して言った。
「相沢…。なに言ってるんだ? そんなことをしたら…」
「先生。私も喧嘩をしました。それは、間違(まちが)いありませんから」
「ばっかじゃねぇのか」理恵は妙子の胸(むな)ぐらをつかみ、「お前みたいな奴(やつ)、大嫌(だいきら)いなんだよ。さっさと、自分の居場所(いばしょ)に戻(もど)りな。二度と顔(つら)見せるんじゃねえぞ」
 言葉とは裏腹(うらはら)に、理恵の目には友を思う優(やさ)しさがこもっていた。
<つぶやき>若い頃はどうしようもない感情で心がクチャクチャになる。でも、本当は…。
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T:0203「恋人体験」
 ビル街(がい)にある小さなレストラン。表(おもて)には看板(かんばん)もなく、外からではそこにお店があるとは分からない。店内(てんない)には小さなテーブルがいくつか置かれ、それぞれに二つの椅子(いす)が並(なら)べられていた。どう見ても、どこにでもありそうなレストランである。
「ここで、恋人体験(こいびとたいけん)をしていただきます」
 男はテーブルにつくと、若(わか)い女性に言った。女性はソワソワしながら、
「あの、ほんとに大丈夫(だいじょうぶ)なんですか? 取(と)り憑(つ)かれちゃったりとか…」
「大丈夫ですよ。お相手(あいて)をするスタッフは信頼(しんらい)できるエキスパートですから」
 女性は店内を見回(みまわ)した。テーブルには一人だけ客(きゃく)が座(すわ)っているのに、料理(りょうり)や飲み物は二人分置かれている。それに、それぞれの客は、目の前の誰(だれ)もいない席(せき)に話しかけたり、笑(わら)ったりしているのだ。不思議(ふしぎ)そうな顔をしている女性に向かって男が言った。
「みなさん、楽しそうでしょ。ここで、異性(いせい)との会話(かいわ)の仕方(しかた)などを練習(れんしゅう)していただきます」
 女性は不安(ふあん)そうにうなずいて、「私にも、できますか?」
「もちろんです。事前(じぜん)にお伺(うかが)いしたご要望(ようぼう)から、何人かピックアップしておきました」
 男は写真(しゃしん)付きのリストを彼女に見せた。「この中から、お選(えら)びいただけますか」
 そこにあるのは、どれも彼女好(ごの)みの男性ばかり。男はさらに付け加えた。
「ただし、これは店内のみで、お持ち帰りはできませんので、ご注意(ちゅうい)ください」
<つぶやき>生身(なまみ)の人間じゃないので、会話が苦手(にがて)な方も気楽(きらく)におしゃべりできるかも。
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T:0204「恋は化学反応」
「君(きみ)って、おもしろい娘(こ)だね」合コンの帰り道、敏也(としや)は言った。かすみは歩(ほ)を早める。
「ちょっと、待ってよ。そんなに急(いそ)がなくても…」敏也は追(お)いかける。
 かすみはいきなり立ち止まり振(ふ)り返った。危(あや)うく、二人はぶつかりそうなくらい急接近(きゅうせっきん)。
「何かご用(よう)ですか?」かすみは冷(つめ)たく言い放(はな)つ。「もう、ついてこないで下さい」
「いや、別に…そんなつもりは。僕(ぼく)も、帰り道はこっちなんだよね」
 かすみは敏也が言い終わらないうちにまた歩き出した。敏也は彼女の横に駆(か)け寄って、
「あのさ、君みたいな娘(こ)が合コンに来るなんて…」
「別に、私は行きたくて行ったんじゃありません。友達から人数が足りないと言われて」
「そうなんだ。なるほど、なっとく…」
「私、恋(こい)とかそういう下(くだ)らないことはしませんから。付き合おうなんて思わないで下さい。恋なんて、ただの化学反応(かがくはんのう)です。一目惚(ひとめぼ)れは錯覚(さっかく)にすぎません。男なんて、子孫(しそん)を残(のこ)すために生存(せいぞん)しているだけです。まして、結婚(けっこん)なんて…」
「やっぱり僕、君に一目惚れしたみたいだ。君といると、何か面白(おもしろ)くなりそう」
「あの。私の話し聞いてます? 私はあなたなんか…」かすみは彼と目が合い一瞬(いっしゅん)見入ってしまった。そしてぶつぶつと呟(つぶや)いた。「これは化学反応よ。私は恋なんか、恋なんか…」
<つぶやき>恋はするものじゃなく落ちるもの。理屈(りくつ)で説明(せつめい)できないから面白いのかも。
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T:0205「猫の学校」
 公園(こうえん)の端(はし)の茂(しげ)みの中。子猫(こねこ)たちを集めて、猫教師(きょうし)の講義(こうぎ)の真っ最中(さいちゅう)。
 騒(さわ)いでいる子猫たちを静かにさせると猫教師は言った。「これから、人間(にんげん)の世界(せかい)でいかに生き抜(ぬ)くかを教えます。これは、とっても大切(たいせつ)な心得(こころえ)です。しっかりと聞くように」
 子猫たちは、何が始まるのか興味津々(きょうみしんしん)で聞き耳をたてる。先生は続けた。
「まず、人間は私たちの召使(めしつか)いです。けっして媚(こ)びたりしないこと。いつも気高(けだか)く、毅然(きぜん)とした態度(たいど)でいなさい。彼らが何をしようと、相手(あいて)をしてはいけません」
「でも先生、猫じゃらしを振(ふ)られたらどうするの?」
「その時は、あなたたちの能力(のうりょく)を存分(ぞんぶん)に見せつけてやりなさい」
「お腹(なか)が空(す)いたら、どうしたらいいの?」
「それはいい質問(しつもん)です。人間は時間になれば食事(しょくじ)を出してくれます。もし人間が忘(わす)れているようなら、そいつの顔を見てひと声鳴(な)いて足にすり寄りなさい。それでもダメなときは、躊躇(ちゅうちょ)することなく人間の足を引っかいてやりなさい」
「そんなことをしたら、ひどい目にあわされちゃうよ」子猫たちは騒ぎ出す。
 先生は一喝(いっかつ)すると言った。「あなたたちには野性(やせい)の血(ち)が流れています。それを忘れてはいけません。人間など、我々(われわれ)にとっては必要不可欠(ひつようふかけつ)な存在(そんざい)ではありません。そんな時は、人間など捨(す)ててしまいなさい。住み家(か)を変えるのです」
<つぶやき>猫って不思議(ふしぎ)な動物。気分屋(きぶんや)なのに、寂(さび)しい時にはちゃんと癒(いや)してくれる。
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T:0206「裏切りの代償」
「ねえ、聞いた?」未希(みき)が私のところへ駆(か)け寄ってきて言った。
「営業(えいぎょう)の小林和也(こばやしかずや)が、経理(けいり)の藤崎(ふじさき)あやめとできてるんだって」
「うそ!」あたしは正直(しょうじき)マジ驚(おどろ)いた。だって、小林クンと付き合ってるのあたしだもん。
「これは確(たし)かな情報(じょうほう)よ。あやめって専務(せんむ)の娘(むすめ)でしょ。小林も出世(しゅっせ)を狙(ねら)ってるのかもね」
 あたしは、彼女の言うことなど全く耳に入らなかった。あいつ、何考えてんのよ。藤崎あやめ…。確かに彼女は私より若いわよ。多少きれいかもしれない。でも――。いけない。ここは落ちついて、冷静(れいせい)に判断(はんだん)しなきゃ。絶対(ぜったい)これは間違(まちが)いよ。だって、この間、あたし、プロポーズされたもん。結婚(けっこん)しようって…。今度の週末(しゅうまつ)は、彼のご家族(かぞく)と会う約束(やくそく)だって――。
 ――あたしは平静(へいせい)を装(よそお)って彼の家を訪(たず)ねた。彼もいつものように…。
「母さん、こちら山本友里(やまもとゆり)さん。同じ職場(しょくば)の先輩(せんぱい)でね――」
 えっ、どういうこと? おつき合いしてるとか、言ってくれないの? 何でよ。
 あたしがちょっと席(せき)を外(はず)して戻(もど)って来ると、彼の話し声が聞こえてきた。
「――そんなんじゃないよ。彼女がどうしてもって言うから。先輩だからね、断(ことわ)れないだろ。母さんだって知ってるじゃない。僕は年上(としうえ)なんか興味(きょうみ)ないし――」
 ふふ……。憶(おぼ)えてなさい。年上の女を怒(おこ)らせたらどうなるか――。
<つぶやき>この代償(だいしょう)はどんなことになるんでしょう。ちょっと考えただけでも怖(こわ)いです。
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T:0207「お好み焼き」
「まだ食べるの?」お好み焼きを前にして好美(よしみ)が訊(き)いた。「ちょっと食べすぎじゃない」
「なに言ってるのよ。ここのは最高(さいこう)の味(あじ)なのよ。せっかく来たんだから食べなきゃ」
 恵子(けいこ)は大きな口を開けて、ガブリと頬張(ほおば)った。
「好美、無理(むり)だってば。この子にそんなこと言っても」写真(しゃしん)を撮(と)りながら、冷静(れいせい)な口調(くちょう)であかりが言った。「食欲(しょくよく)は生きるための基本(きほん)よ」
「そうそう。好美、食べないんだったら食べてあげようか?」
「ダメ、これはあたしのだから。もう、恵子もさ、ダイエットしようとか思わないわけ」
「まったく。だって、何で我慢(がまん)しなきゃいけないの。意味(いみ)分かんない」
 あかりはくすりと笑い、「男子より、お好み焼きのほうが大事(だいじ)なのね」
「そうじゃないけど」恵子は食べる手をとめて、「やっぱ、これが私だし。無理して男子と付き合っても、疲(つか)れるだけじゃない。このまんまの私を好きになってくれなきゃ」
「でも、見た目も大切(たいせつ)よ」好美は口をとがらせて言った。「太(ふと)ったら誰(だれ)も振り向かない」
「私が集めた情報(じょうほう)では…」あかりはスマホを確認(かくにん)しながら言った。「我(わ)が校(こう)の傾向(けいこう)からいくと、標準的(ひょうじゅんてき)な体型(たいけい)が一番もててるわね」
「あたしたちって、標準よね」恵子はにっこり笑い、最後の一切れを口にした。
 好美もあかりもうなずいて、美味しそうにハフハフと口を動かした。
<つぶやき>美味しいものは、とりあえず食べておきましょう。もったいないですから。
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T:0208「オーパーツ」
「見たまえ、この見事(みごと)な壁画(へきが)を」教授(きょうじゅ)は興奮(こうふん)した声で言った。「保存状態(ほぞんじょうたい)も申(もう)し分ない」
 真っ暗な洞窟(どうくつ)の中、みんなのどよめきがこだました。調査(ちょうさ)を始めると、かなりの数の動物(どうぶつ)の壁画が見つかり、中には人の姿(すがた)らしいものも発見(はっけん)された。ほどなくして、洞窟の奥(おく)の方を調べていた隊員(たいいん)が叫(さけ)んだ。
「教授、来てください。文字(もじ)らしいものを見つけました」
 教授たちは転(ころ)びそうになりながら、声のする方へ急いだ。教授がそこで見たものは、細(こま)かな線(せん)がいくつも引かれていて、それは何かの形を示(しめ)す図形(ずけい)にも見えた。
「教授、ここを見てください」隊員は壁(かべ)の一点(いってん)を示して、「これって、絵文字(えもじ)じゃありませんか? あの携帯(けいたい)メールで使う顔文字に似てると思うんですが」
 教授は灯(あかり)を近づけ、食い入るように覗(のぞ)き込む。確(たし)かに笑ってVサインを出している顔に見えてきた。隊員は別の場所(ばしょ)を指(ゆび)さして、「これなんか、いびつですがハートマークじゃ」
「どういうことだ」教授は頭をかかえた。「この時代(じだい)に、こんな図形を書いていたなんて」
 教授はさらに詳(くわ)しく調べ、驚(おどろ)くような仮説(かせつ)を打ち立てた。
「これは何かの盟約(めいやく)かもしれん。文字の全体(ぜんたい)を見ると二つのグループに分かれている。それぞれ書き方が違(ちが)うから、別の人物(じんぶつ)が書いたものだろう。そして、最後(さいご)のサインだ。人の手形(てがた)がそれぞれつけられている。もしこれが解読(かいどく)できたら、歴史(れきし)が変わるかもしれんぞ」
<つぶやき>壁画はその時代を生きた人の証(あか)し。私たちは未来(みらい)に何を残せるのでしょうか。
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T:0209「生まれる場所」
 男が目を開けると、そこは一面(いちめん)白い雲(くも)に覆(おお)われた見たこともない場所(ばしょ)だった。足下(あしもと)も真っ白で、地面(じめん)を踏(ふ)みしめている感覚(かんかく)もないのだ。男は必死(ひっし)に考えた。どうしてここにいるのか。ここに来る前はどこで何をしていたのか。だが、男は何も思い出せなかった。
 どこからともなく声が聞こえた。
「いらっしゃい。いよいよ、交代(こうたい)のときが来ましたか」
 男は声のする方に振(ふ)り返った。雲の間から、別の男が顔を出す。
「えっ、何のことですか? 私は一体(いったい)どうして…」
「あなたは選(えら)ばれたのですよ。この森(もり)の番人(ばんにん)にね」
 別の男が手で雲を払(はら)うと、雲はまるで生き物のように動き出した。そこに現れたのは、見たこともないような巨木(きょぼく)。四方(しほう)にのびた枝(えだ)には、光り輝(かがや)く実(み)がいくつもついていた。
「あなたの仕事(しごと)は、この魂(たましい)の木を悪魔(あくま)たちから守(まも)ることです。この杖(つえ)を使ってね」
 別の男は長くて細い杖を男に渡すと、まるで煙(けむり)のように消えていった。男は何が何だか分からないまま、茫然(ぼうぜん)と立ちつくした。――どのくらいたったろう。冷たい風が男の頬(ほお)を突き刺(さ)した。みるみる黒い雲がわき上がり、その中から大きな悪魔が姿(すがた)を現した。
「これが悪魔なのか? こんな細い杖で、どう戦(たたか)えばいいんだ」
 男はやみくもに杖を振り回した。すると、杖の先が悪魔に触(ふ)れた。とたん、悪魔はすごい勢(いきお)いで息(いき)をはき、風船(ふうせん)のように飛び去ってしまった。
<つぶやき>まるで夢のような話。でも、そんな場所はないなんて誰も言えませんよね。
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T:0210「サプライズ」
 私の彼は、あまり感情(かんじょう)を表(おもて)に出さない。彼の誕生日(たんじょうび)にサプライズで驚(おどろ)かせてあげた時も、ちっとも期待通(きたいどお)りの反応(はんのう)を示(しめ)さない。「ああ、ありがとう」って言っただけで平然(へいぜん)としている。私としてはまったく面白(おもしろ)くない。彼の告白(こくはく)にOKした時もそうだ。嬉(うれ)しくて飛(と)び上がるとか、叫(さけ)んじゃうとかすればいいのに。この時も、「ああ、ありがとう」で終わってしまった。
 だから、今度の日食(にっしょく)のイベントには友だちを大勢(おおぜい)集めることにした。だって、私一人で盛(も)り上がってもつまんないじゃない。
 日食の当日(とうじつ)。案(あん)の定(じょう)、彼はいつも通りにやって来た。他の友達(ともだち)はわいわい騒(さわ)いで、期待(きたい)で胸(むね)をふくらませているのに――。辺(あた)りが少しずつ暗(くら)くなって日食のリングが見えた時、周(まわ)りからは歓声(かんせい)がわき上がった。彼はと見ると、やっぱりいつも通り…。
 でも、すぐ横(よこ)にいた私は気づいちゃった。彼が小さな声で、「おおっ、すごい。すごい」って何度も言っているのを。たぶん、これが彼にとって最上級(さいじょうきゅう)の感動(かんどう)の仕方(しかた)なんだよね。
 そんなことを思いながら彼を見つめていると、突然(とつぜん)彼が私に振り返った。彼と目が合う。――何なのこれ。周りのみんなは太陽(たいよう)の方を見つめている。彼は、私だけに聞こえるようにささやいた。「結婚(けっこん)しよう」って。ひどいよ、こんな不意打(ふいう)ちをするなんて。私は涙(なみだ)があふれそうになるのを必死(ひっし)にこらえて、コクリと頷(うなず)いた。
<つぶやき>感動の仕方も人それぞれ。でも、嬉しさはみんな同じなのかもしれません。
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T:0211「迷い道」
 草(くさ)むらの中をかき分けて歩く調査隊(ちょうさたい)。先頭(せんとう)を行くのは隊長(たいちょう)の村雨(むらさめ)。その顔は真剣(しんけん)そのものである。どこかから「キィーン」と甲高(かんだか)い大きな鳴(な)き声がした。隊長は立ち止まり、辺りをキョロキョロしながら言った。
「気をつけろ。どこから…、何が飛(と)び出すか…、分からんからな」
「でも、隊長」すぐ後ろを歩いていたヨリ子が言った。「大丈夫(だいじょうぶ)だと思いますけど」
「何を言ってる。今のを聞いたろ。あの鳴き声がするということは、怪獣(かいじゅう)が出現(しゅつげん)する…」
「隊長!」列(れつ)の後ろの方から叫(さけ)ぶ隊員(たいいん)の声。「後ろがつかえてるんで、早く行って下さい」
 ヨリ子は隊長をなだめるように、「あの、ウルトラマンじゃないんですから。それに、今の声はキジの鳴き声ですよ。――もう、こういうのやめませんか、教授(きょうじゅ)」
「何を言ってるんだ。人跡未踏(じんせきみとう)のこのシチュエーションなんだぞ。怪獣が無理(むり)だとしても、恐竜(きょうりゅう)とか、巨大昆虫(きょだいこんちゅう)、それから…、そうだ、巨大アナコンダなんてのもあるぞ」
「映画(えいが)じゃないんですから」ヨリ子はため息をつき、「それに、ここは日本です。私たち、ただ道(みち)に迷(まよ)ってるだけじゃないですか。教授がこっちだって言い張(は)るもんだから…」
「私のせいだと言うのかね。ヨリ子君、君はなぜこのシチュエーションを楽しまないんだ」
「だから、私たち昼食(ちゅうしょく)も食べずにずっと歩きつづけてるんです。誰(だれ)かさんが、お弁当(べんとう)を車の中に置き忘(わす)れるから。――これ以上(いじょう)、何かゴタゴタ言ったら、私、切(き)れますよ。いいんですか?」
 教授はヨリ子のひと睨(にら)みで口をつぐみ、すごすごと歩き出した。
<つぶやき>無事(ぶじ)に車まで辿(たど)り着けたのでしょうか。それにしても、何の調査だったの?
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T:0212「彼女の挑戦」
 ――時間がない。彼女はいつも追(お)われていた。あたふたと焦(あせ)りまくって、気の休まる時がない。それにいつも空回(からまわ)りして、悪(わる)い方へと転(ころ)がっていく。これは、仕事(しごと)ばかりのことではなさそうだ。
 こうなった一番の原因(げんいん)は、付き合っていた彼と別れたこと。何で振(ふ)られたのか、彼女自身(じしん)まったく納得(なっとく)していない。自分はこんなに彼のことを愛していたのに――。彼女はそのうっぷんを仕事にぶつけていたのかもしれない。自分はこんなに仕事ができて、振られるようなダメな女じゃないと。でも本当(ほんとう)のところは、彼がいなくなった心の寂(さび)しさを埋(う)めようとしていただけなのだ。
そんな時、誰かがポツリと呟(つぶや)いた。「もうやめちゃえば…」
 誰が言ったのか分からない。彼女の空耳(そらみみ)なのかも…。でも、彼女には確(たし)かに聞こえたのだ。もうやめちゃえば…、って。彼女は全身(ぜんしん)の力が抜(ぬ)けてしまった。へなへなと座(すわ)り込み、勝手(かって)に涙(なみだ)があふれてきた。彼女は周りのことなど気にせずに、わんわんと泣(な)いた。
 それからしばらくして、彼女は会社を辞(や)めた。三十過ぎての転職(てんしょく)は無謀(むぼう)なのかもしれない。でも、彼女は新しい生き方を捜(さが)し始めた。後悔(こうかい)はしていない。自分で決めたことだから。これからいろんなことに挑戦(ちょうせん)して、自分の道を切り開いてみせる。
<つぶやき>行き詰(づ)まったら、肩(かた)の力を抜きましょう。新しい考えが浮かんでくるかも。
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T:0213「あたしの彼はストーカー」
「で、あたしが酔(よ)っぱらいに絡(から)まれてるとこ助(たす)けてくれて。でも、お礼(れい)も言えなかったの」
「あんた、何で一人でそんなとこ歩いてたのよ。気をつけなきゃダメじゃない」
「でも、人けのない所(ところ)じゃないと、どんな人だか分からないじゃない」
「なに考えてんの? あんたの方からストーカーを誘(さそ)ってどうすんのよ」
「だって…。そんなに悪い人じゃないと思うわ」
「ストーカーに良い人なんていないわよ。もう、二度とこんなことしないで。いい」
「うん。でもね…、あたし分かっちゃった気がする。たぶん、あたしを助けてくれた人よ」
「もう、何がよ?」
「だから、あたしのことずっと見てる人。だってその人、何となく見覚(みおぼ)えがあるもの」
「えっ、そいつがストーカーってこと?」
「きっとそうよ。今度(こんど)見かけたら声をかけてみようかなぁ」
「ダメよ、そんなこと。何されるか分かんないでしょ」
「大丈夫(だいじょうぶ)よ。それに、助けてもらったお礼を言わないといけないし」
「だったら、私も一緒(いっしょ)に行く。私から言ってやるわ。大事(だいじ)な親友(しんゆう)に付きまとうなって」
「やめて。そんなことしたら、もう会えなくなっちゃうわ。彼って、シャイなだけなのよ」
「だから――。まさか、あんた、その人のこと……。絶対(ぜったい)、やめなさいよ」
<つぶやき>危(あぶ)ないことはよしましょう。でも、世の中悪い人ばかりじゃないと信じたい。
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T:0214「離婚保険」
 とある結婚相談所(けっこんそうだんじょ)でお相手(あいて)を見つけた二人。今日は、系列会社(けいれつがいしゃ)の結婚式場(しきじょう)に式の打ち合わせに来ていた。一通(ひととお)り打ち合わせが終わると、担当者(たんとうしゃ)はニコニコしながら言った。
「私どもでは、離婚保険(りこんほけん)も手がけておりまして、もしよろしければ、ぜひご検討(けんとう)を…」
「離婚って、私たちこれから結婚するんですよ。そんな縁起(えんぎ)でもない」
「しかしですねぇ、現在(げんざい)10組のうち4組は離婚をされておりまして…」
「あたしたちは、そんなことしないわ。だって、愛し合ってるんですもの」
「それはもちろんでございます。これは、あくまでも保険ですから。月々の掛金(かけきん)も、ご予算(よさん)に合わせていろんなコースをお選(えら)びいただけます。それに、ご加入(かにゅう)いただければ、10年ごとの節目(ふしめ)にお祝(いわ)い金が出ることになっております」
「へえ、お金がもらえるんですか?」ちょっと興味(きょうみ)を抱(いだ)いた男性。
「ただし、ご結婚から3年以内に離婚をされますと、保険料は支払われませんのでご注意(ちゅうい)下さい。それと、もし万(まん)が一、三年を過ぎてから離婚された場合、我が社では特別保障(とくべつほしょう)といたしまして、次のお相手を責任(せきにん)を持って捜(さが)させていただきます」
「ええっ、もっと素敵(すてき)な男性を捜していただけるの?」女性の目が輝(かがや)いた。
「はい、もちろんでございます。二度目の結婚式は、格安(かくやす)のお値段(ねだん)でやらせて――」
<つぶやき>結婚は博打(ばくち)なのかも。でも、その価値を上げるのも下げるのも当人同士です。
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T:0215「真剣勝負」
 紀子(のりこ)はお中元(ちゅうげん)のカタログを見ながら、眉間(みけん)にシワを寄せた。なぜ彼女がこれほど真剣(しんけん)に選(えら)んでいるのか。それは、前回の失敗(しっぱい)があったからだ。
 去年(きょねん)の暮(く)れのこと。結婚間もない彼女は、義母(はは)からお歳暮(せいぼ)を選んで贈(おく)っておくようにと頼(たの)まれた。彼女は何も知らぬまま引き受けた。
 紀子の嫁(とつ)いだ家は旧家(きゅうか)で、親戚(しんせき)も大勢(おおぜい)あった。正月(しょうがつ)には、その面々(めんめん)が一堂(いちどう)に会して宴(うたげ)が催(もよお)される習(なら)わしになっている。親戚の人たちは、彼女が嫁(よめ)だと知ると態度を一変(いっぺん)させた。みんなは口々にお歳暮にクレームをつけてきたのだ。「あんなのもらってもね」とか、「何を考えてあんなものをよこしたんだ」などなど、嫌味(いやみ)なことばかり言われてしまった。中には、せっかく贈ったお歳暮を突き返してきた人もいた。
 宴が終わる頃には、彼女はぐったりとして座り込んでしまった。そこへ、とどめを刺(さ)したのは義姉(あね)だった。「こんなんじゃ、嫁として失格(しっかく)ね」
 普通(ふつう)の嫁だったら実家(じっか)へ逃げ出しただろう。でも、紀子は違っていた。彼女は持ち前の負けん気で踏(ふ)みとどまった。今度のお中元はリベンジなのだ。
 彼女の横では、気持ちよさそうに夫が寝息(ねいき)をたてている。彼女は夫の頬(ほお)を突っついてささやいた。「君は、この家の長男のくせに、何の役(やく)にも立たないんだから」
 夫はそれに応(こた)えるように笑いながら寝言(ねごと)で、「もう、やめろよ。くすぐったいって…」
<つぶやき>こんなお坊ちゃんはあてにできません。嫁として家をしっかり守って下さい。
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T:0216「妻の心配」
「ねえ、あなた。最近(さいきん)、またお腹(なか)出てきたんじゃない?」
 妻(つま)は心配(しんぱい)そうに夫(おっと)のお腹に目をやった。夫は、さり気なくお腹を引っ込めて、「そ、そんなことないよ。全然(ぜんぜん)、大丈夫(だいじょうぶ)だって」
「でも…」妻は夫の顔色(かおいろ)をうかがって、探(さぐ)るような目つきで言った。
「まさか、外でどか食(ぐ)いとかしてるんじゃないでしょうね」
「なに言ってんだよ。そんなこと出来るほど小遣(こづか)いもらってないだろ」
「そうよねぇ。でも、最近帰りが遅(おそ)いじゃない。どっか…」
「だから、仕事(しごと)だって。最近、忙(いそが)しいんだよ。今日も、遅くなるからな」
 妻は夫を送り出すと、夫が昨日(きのう)着ていた背広(せびろ)をしまおうと手に取った。ポケットを確認(かくにん)して…。その中に、片方(かたほう)だけのイヤリングを見つけてしまった。
 夫が外回(そとまわ)りから会社に戻(もど)ると、同僚(どうりょう)の一人が声をかけた。
「なあ、さっき奥(おく)さんから電話があったぞ」
「えっ! 何だって」夫は慌(あわ)てて訊(き)いた。「お前、余計(よけい)なこと言ってないよな」
「何かよく分かんないけど…。大事(だいじ)な話があるから、真っ直ぐに帰って来いって」
「まさか、〈大食(おおぐ)いの会〉のことバレたんじゃ。だから俺(おれ)、イヤだって言っただろ」
「なに言ってんだ。お前だって、千絵(ちえ)ちゃんに誘(さそ)われて喜(よろこ)んでたじゃないか」
<つぶやき>完食(かんしょく)したら安くなる。そんなのに誘われたら、断れないかもしれませんね。
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T:0217「再就職の行方」
「えーと、神崎香苗(かんざきかなえ)さん」面接官(めんせつかん)は履歴書(りれきしょ)の写真(しゃしん)と見比(みくら)べながら言った。
「帝都大(ていとだい)を卒業(そつぎょう)。それから、一流企業(いちりゅうきぎょう)に就職(しゅうしょく)されてますね。どうして辞(や)められたんですか」
「私、もっといろんなことに挑戦(ちょうせん)して自分を磨(みが)いていこうと思いまして」
「なるほど。キャリアアップをお考えなんですね。しかし、我(わ)が社では業種(ぎょうしゅ)が…」
「ですから、まったく新しい分野(ぶんや)で、自分の可能性(かのうせい)を試(ため)したいと考えています」
 面接官は履歴書の一点に注目(ちゅうもく)した。そして、何度も履歴書を確認(かくにん)して言った。
「年齢(ねんれい)が25才とありますが…。これは間違(まちが)いじゃありませんか?」
「いえ。私、25ですが。それが何か?」
「いや、この学歴(がくれき)などを拝見(はいけん)しますと、年数(ねんすう)が合わないような…」
「そんなことありません。飛び級(きゅう)しましたので。私、こう見えても優秀(ゆうしゅう)なんですの」
「しかし、どう見ても25には…」面接官は香苗の顔を見ながら首(くび)をひねった。
「私、老(ふ)けて見られることが多いんです。私の知性(ちせい)が、そうさせるのかもしれません」
「今回の募集(ぼしゅう)は25才まで、と言うことはご存じですよね。本当のことをおっしゃって…」
「だから、言ってるじゃないですか。私は25です。間違いありません」
「そうですか…。では、結果(けっか)は後日、お知らせしますので。もう、結構(けっこう)ですよ」
 香苗は面接官に好印象(こういんしょう)を残そうと、にっこり微笑(ほほえ)んでその場をあとにした。
<つぶやき>次の仕事を見つけるは大変なんです。なりふりなんか、かまってられません。
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T:0218「親友の結婚」
「ねえ、智子(ともこ)。ちょっと飲みすぎじゃない」
 良枝(よしえ)は智子の前に水の入ったコップを置いた。智子は完全(かんぜん)に目が据(す)わり、ろれつも回らなくなっている。
「だから、何なのよ。良い妻(つま)って。あんたさ、そんなんで良いと思ってるの?」
「もう、何なのよさっきから。そんなに、私が結婚(けっこん)するのが気に入らないの?」
「ふん、何が結婚よ。あんたみたいな優等生(ゆうとうせい)がいるから、男はつけ上がるのよ」
「はいはい。もう遅(おそ)いから、今日は泊(と)まっていくでしょ」
「うん、そうする。――今日は朝まで飲むぞーォ」
「なに言ってるの。飲みすぎだって言ってるでしょ。もう、いい加減(かげん)にしなよ」
「いいじゃない。もう、こうやってあんたと飲むこともなくなるんだから」
「別にいいのよ。いつでも遊(あそ)びに来て。賢(さとし)さんも…」
「ああっ、もう! そうやって、あたしは良い妻をやってます、って見せつけたいのね」
「そんなこと思ってないわよ。私たちは、これからもずっと友だちなんだから」
 智子は身体(からだ)をふわふわと揺(ゆ)らしながら、良枝の顔をじっと見つめる。みるみるうちに、彼女の目に涙(なみだ)が浮(う)かび、顔をくしゃくしゃにしながら良枝に抱(だ)きついた。
<つぶやき>お祝いしたいのに、何だかちょっぴり寂(さび)しくて。女心は揺(ゆ)れちゃってます。
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T:0219「操縦の裏技」
 妻(つま)が朝食の支度(したく)をしていると、夫(おっと)がもそもそと起(お)きてきた。
「今日は遅(おそ)かったね。すぐ食べられるから、待ってて」
 妻は何だがご機嫌(きげん)な感じで微笑(ほほえ)んだ。夫は寝不足気味(ねぶそくぎみ)に目をこすると、顔を洗(あら)いに洗面所(せんめんじょ)へ――。戻(もど)って来た頃(ころ)には、朝食の支度(したく)がととのっていた。夫は席(せき)につくと、
「何かさ、夢(ゆめ)を見たんだよねぇ。すっごく良い夢だった気がするんだけど…」
「えっ、どんな夢だったの?」妻は嬉(うれ)しそうに訊(き)いた。
「それが、よく分からないんだ。思い出せなくて…。何が良かったのかなぁ?」
「何よそれ。変なの。さあ、食べましょ」妻はやっぱり楽しそうだ。
 夫は食事をしながら言った。「何かさ、良い夢のはずなのに、どっと疲(つか)れた感じで…」
「あなた、大丈夫(だいじょうぶ)? もう、働(はたら)き過ぎよ。今日は休みなんだし、リフレッシュしに、どっか行かない? あたし、行きたいところがあるんだけど…」
「ああ、いいよ。出かけようか」
 いつもは出不精(でぶしょう)で、ぐだぐだと文句(もんく)ばっかり言っている夫だったが、今日は素直(すなお)に賛成(さんせい)した。こんなこと、結婚以来(いらい)始めてかもしれない。妻は、そんな夫を見てほくそ笑(え)んだ。
 ――実は昨夜(ゆうべ)、妻は夫が寝静まった頃、彼の耳元に何か呪文(じゅもん)のようなものを何度もささやいていた。そんなこと全(まった)く知らない夫は、美味(おい)しそうに朝食をほおばった。
<つぶやき>知らないうちに、妻の言いなりになってしまう。そんなこと出来たらいいな。
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T:0220「選択のルール」
「ねえ、あなたのバッグ素敵(すてき)ね。私にくださらない?」
 綾(あや)は見ず知らずの女性から声をかけられた。それと同時に、どこからかカウントダウンが始まった。10、9、8――。綾は日頃(ひごろ)から何かを決めることが苦手(にがて)だった。ましてや、知らない人から言われたものだから、慌(あわ)てふためいてしまった。
 3、2、1――。綾は思わず目をつむった。ブッブーと、どこからかブザーの音。綾が目をあけると、持っていたバッグがスーパーのレジ袋に変わっていた。
「何なのよ。どうなってるの」綾はさっきの女性を捜(さが)したが、どこにもその姿(すがた)はなかった。
 その時、良太(りょうた)が声をかけた。彼は綾の恋人(こいびと)で、付き合い始めて一ヵ月になる。
「ねえ、聞いてよ。変な人が…」綾は必死(ひっし)に訴(うった)えた。
 そこへ、別の若い女性が声をかけた。「あなたの彼氏(かれし)、素敵ね。あたしにちょうだい」
 またカウントダウンが始まった。綾は、どういうことか理解(りかい)できず、何も言えないままブザーが鳴った。綾が目をあけると、良太とその女性が腕(うで)を組んで歩いていく。綾は必死に駆(か)け出した。良太に追いつくと、彼の腕をつかんで息(いき)を切らしながら言った。
「なにやってるのよ。この人は誰(だれ)なの?」
 良太は綾の顔を見て言った。「君こそ誰だ? 人違(ひとちが)いじゃないの」
<つぶやき>10秒ルールの世界。もし即断(そくだん)できなければ、すべてを失うかもしれません。
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T:0221「彼女の悩み」
「うん、鳥山(とりやま)さんの気持ち分かるよ」木村(きむら)は優(やさ)しくささやいた。
 目頭(めがしら)を押(お)さえてうつむいていた彼女は、突然(とつぜん)顔を上げるときつい口調(くちょう)で言った。
「何が分かるの? あなたに、何が分かるって言うのよ!」
 木村は彼女の突然の変貌(へんぼう)に驚(おどろ)き、心の中で呟(つぶや)いた。
<えっ、何で…。女の子って共感(きょうかん)すると、いい感じになるんじゃないの?>
「コラ、木村!」彼女はコップ酒(ざけ)を一気(いっき)に飲み干(ほ)すと、木村の首(くび)に腕(うで)を回してしめ上げた。
「人がしゃべってる時は、ちゃんと聞く。そんなこともできねえのか」
「あの、痛(いた)いです。ちょっと、やめて…」木村は何とか逃(のが)れると、やんわりと言った。
「ちょっと鳥山さん、飲み過ぎたんじゃないかなぁ。もうそろそろ、やめた方が…」
「そうよ。私は飲むとこうなるの。いつも、いつもいつも、これで彼に逃げられるの。だから、飲まないって言ったじゃない。それを、木村! あんたが飲ませたんでしょ」
「だって、そんなこと知らなかったから…」
「私を酔(よ)わせて、どうするつもりだったのよ。はっきり言いなさい。言え!」
「いや、別に僕(ぼく)は何も…」
 彼女は拳(こぶし)を木村の顔の前につき出した。いつものおとなしい彼女は消え失(う)せている。
「あの、ちょっとだけです。ほんのちょっと、いい感じになればなって。ごめんなさい」
<つぶやき>彼女のことを広い心で包んでくれる、そんな人がいつか現れます。たぶん?
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T:0222「彼の決断」
 木村(きむら)は思い悩(なや)んでいた。あれから鳥山(とりやま)のことが気になって…。
 そんな時、鳥山が同僚(どうりょう)の男性と会社を出るのを見かけた。その男は、何人もの女子社員を口説(くど)いていると、もっぱらの噂(うわさ)がある。木村は、思わず二人の後を追いかけた。
 二人は繁華街(はんかがい)にある洒落(しゃれ)たバーへと入って行った。木村は少し躊躇(ちゅうちょ)したが、「何やってんだよ」と呟(つぶや)いて、バーの扉(とびら)を開けた。
 店内は意外(いがい)と広く、薄暗かった。木村はカウンターに座ると、彼女をさり気なく捜(さが)した。そして、店の奥のテーブル席に彼女を見つける。彼女の前には、色鮮(いろあざ)やかなカクテルが。男は、しきりに飲むように勧(すす)めている。彼女は手を振(ふ)り、断(ことわ)っているように見えた。木村は少しホッとした。しかし次の瞬間(しゅんかん)、彼女はグラスに手をのばし始めた。
 彼女の手がグラスに触(ふれ)れる間際(まぎわ)、別の手がグラスをつかんだ。そして、一気(いっき)にカクテルを飲み干(ほ)す。彼女は驚(おどろ)いて顔を上げた。そこにいたのは木村だった。
 木村は男の方に振り向くと、「悪いけど、僕(ぼく)の彼女なんだ。もう誘(さそ)わないでくれる」
 男は、バツが悪そうに席を立った。
「彼女って?」鳥山は訳(わけ)が分からず訊(き)いた。
「仕方(しかた)ないだろ。心配(しんぱい)なんだ。もう、君が飲まないように、ちゃんと僕が見てるから」
<つぶやき>好きって気持ちは、どこから始まるのでしょ。きっと、些細(ささい)なことからかも。
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T:0223「先輩の顔」
 香奈(かな)は会社の屋上(おくじょう)の扉(とびら)を開けると、思いっきり伸(の)びをして、声を上げようとして呑(の)み込んだ。手すりの所に、のぞみ先輩(せんぱい)の後ろ姿(すがた)が見えたのだ。しばらく、どうしようかともじもじしていると、先輩の方が気づいてくれた。
「何してるの?」いつもの自信(じしん)に満(み)ちた先輩の声。
 香奈は息抜(いきぬ)きに来たとも言えず、へらへらと笑ってしまう。
「別にいいわよ。ここは、気分転換(きぶんてんかん)には最高(さいこう)の場所だからね」
 先輩は青い空を見上げて大きく息をはいた。香奈は先輩の隣(となり)まで行って、同じように空を見上げてみた。何だか吸(す)い込まれてしまいそうな、そんな青い色をしている。
「あなた、好きな人いるの?」先輩が唐突(とうとつ)に訊(き)いてきた。
 香奈はどぎまぎしてしまった。どう答えればいいのか、思いつかないようだ。
「ほんと、分かりやすい娘(こ)ね」先輩はクスッと笑うと、「大事(だいじ)にしなさいよ」
 香奈は、先輩がなぜそんなことを言ったのか気になった。それで、つい余計(よけい)なことを訊いてしまった。「先輩は、好きな人いるんですか?」
「私?」先輩は一瞬(いっしゅん)考えて、「私は…、今は仕事が恋人(こいびと)かな」いつもと違(ちが)う先輩の顔。
「ところで企画書(きかくしょ)はできたの?」先輩はすぐに仕事の顔に戻ってしまった。
 香奈は緊張(きんちょう)して、「それが、いろいろ考えてるんですが…」曖昧(あいまい)に答えてしまう。
「何してるのよ。私が見てあげるわ。行くわよ」
<つぶやき>厳(きび)しい先輩はいますよね。でも、厳しいだけじゃないんです。優(やさ)しい面も…。
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T:0224「もしもで始まる」
「もしもよ。この世界(せかい)がなくなって、私たち二人だけになったらどうする?」
 つぐみは真剣(しんけん)な顔で言った。好恵(よしえ)はちょっと首(くび)をかしげて、
「それは大変(たいへん)ね。でも、そんなことにはならないと思うわ」
「だから、もしもの話よ。もしもそうなったら、私たちお互(たが)い助け合わないといけないよね」
「そうね」好恵は売店(ばいてん)で買った焼(や)きそばパンを手に取った。
「食べ物も、やっぱり二人で分け合わないと」つぐみは好恵の方に身体(からだ)を寄(よ)せて、「私は、そうするよ。だって、私たち親友(しんゆう)だもんね」
「もう、何なのよ」好恵は少し離(はな)れて、「これは、あげないわよ」
 好恵は焼きそばパンを後ろに隠(かく)した。つぐみは頬(ほお)をふくらませて言った。
「いいじゃん。私、今日は焼きそばパンの気分なの。半分(はんぶん)こしようよ」
「やだ。あたしがこれを買うのに、どれだけダッシュしたか。最後(さいご)の一個だったのよ」
「すごいよね。私のためにそこまでしてくれるなんて。やっぱ親友だわ」
「何言ってるのよ。これは、あたしのです。そんなに欲(ほ)しかったら、ダッシュしなさいよ」
「そんな…。私が、足が遅(おそ)いの知ってるくせに。何でそんな意地悪(いじわる)言うのよ」
 つぐみは悲しげな顔をする。好恵はしぶしぶ同意(どうい)するしかなかった。
<つぶやき>売店(ばいてん)の争奪戦(そうだつせん)は熾烈(しれつ)なんです。体力と知力を駆使(くし)してゲットしましょうね。
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T:0225「世紀の発見?」
「ついに天使(てんし)の矢(や)を発見(はっけん)したぞ。これで、究極(きゅうきょく)の惚(ほ)れ薬(ぐすり)の開発(かいはつ)が一歩前進(ぜんしん)だ」
 等々力(とどろき)教授は小躍(こおど)りしながら、研究室(けんきゅうしつ)に入ってきた助手(じょしゅ)に言った。
「教授(きょうじゅ)、今度はそんな研究をしてたんですか?」助手の立花(たちばな)は困惑(こんわく)の色を隠(かく)せない。
「立花君、早速実証(じっしょう)に取りかかるぞ。準備(じゅんび)をしたまえ」
 立花は顕微鏡(けんびきょう)をのぞき込み、「でも教授、これはバクテリアの一種(いっしゅ)じゃないんですか?」
 教授は助手の言葉(ことば)など耳に入らない様子(ようす)で、
「君は好きな娘(こ)がいるそうじゃないか。それも、ずっと片思(かたおも)いとか」
 立花は顔をこわばらせた。「何で、そんなこと…」
「私が恋(こい)バナにうといとでも思っていたのかね」教授は時計(とけい)を見ながら、「君の片思いの相手(あいて)を呼(よ)び出しておいた。もうそろそろやって来るはずだ」
「な、何で? ちょっと、待ってくださいよ」
 教授はビーカーを手渡(てわた)して、「これを飲(の)んで彼女に甘(あま)くとろけるような言葉をささやくんだ。その言葉に乗って天使の矢が彼女に突(つ)き刺(さ)さる。そうなれば、彼女はもう君のものだ」
「イヤですよ。そんなことをしたら彼女に嫌(きら)われて、もう二度と会えなくなります」
「じゃあ、仕方(しかた)がない。私が実験台(じっけんだい)になろう。悪いが、彼女のことは諦(あきら)めてくれ」
「そんな…、ダメですよ! 私がやります。やればいいんでしょ」
<つぶやき>彼女のために、ここはどうしても断れない立花君。彼女に気持ちは届(とど)くのか。
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T:0226「変化の隙間」
 私は、他の人が感じないような特別(とくべつ)な感覚(かんかく)を持っている。例(たと)えば、天気(てんき)の変わり目とか、仕事(しごと)の善(よ)し悪(あ)しも分かってしまう。私、思うんだけど。きっと、その変わり目というか、何かと何かの隙間(すきま)には特別な何かがあるんじゃないかしら。でも、そのことに気がつく人は、ほとんどいないのかもしれない。
 人間関係(かんけい)なんかもそう。この人はどんな気分(きぶん)でいるのか、だいたいピンときてしまう。良さそうな人でも、どこかでこの人はダメって感じてしまうの。まあ、そのおかげというか、ひどい失恋(しつれん)は経験(けいけん)しないですんでいるけど。
 今の彼と付き合い始めた時も、この人は大丈夫(だいじょうぶ)って感じていた。だからなのか、今まで仲良(なかよ)く続いている。そりゃ、ちょっとしたことで喧嘩(けんか)をすることはあるわよ。でも、意見(いけん)が合わないことは誰(だれ)にでもあるし、気持ちがすれ違うことだってごく普通(ふつう)のことよ。
 でも…。今、私、何か変な感覚(かんかく)を味(あじ)わっている。今まで、こんなことは無(な)かった気がする。目の前には彼がいて、何かいつもと様子(ようす)が違(ちが)うの。何かをやらかしそうな…。そういえば、このところ仕事が忙(いそが)しくてゆっくり会う時間なかったし…。まさか、別れ話をしようってことじゃ…。私は、この感覚に堪(た)えきれず、思わず言ってしまった。
「言いたいことがあるんだったら、はっきり言いなさいよ。私はいつだって…」
<つぶやき>彼は何をしようとしてるの? この変化(へんか)の隙間(すきま)には、何が存在(そんざい)しているのか。
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T:0227「なんか面白い」
「君って、なんか面白(おもしろ)いよね」
 あたしは、たいていの人にこう言われる。それも、半分(はんぶん)笑いながら――。何が面白いって言うのよ。あたしには全然(ぜんぜん)分かんない。「何のこと?」って訊(き)いても、ちゃんと答えてくれた人は誰(だれ)もいない。
「やっぱ、面白いわ」ってまた言われて――。
 ほんと、失礼(しつれい)しちゃう。あたしは、別に面白い顔をしてるわけでもないし、ごくごく普通(ふつう)の女の子よ。他の人と違(ちが)うところなんて何にも無いわ。なのに、何でそんなこと言われなきゃいけないのよ。あたしが怒(おこ)った顔をすると、また――。
「ほんと、飽(あ)きないよなぁ」
 それは誉(ほ)めてるのか、けなしてるのか、どっちよ。あたしはママに訊いてみた。ママは料理(りょうり)をしながら即答(そくとう)した。
「それは、味(あじ)があるってことじゃないの」
「あたしは、スルメイカってこと?」あたしは、真面目(まじめ)な顔で訊き返す。
 ママは笑いながら、「そうかもね。パパの大好物(だいこうぶつ)じゃない」
「意味(いみ)分かんないよ。もっと、真面目に答えてよ」
「はいはい。じゃ、パパにでも訊いてみたら」
「えっ、パパはダメよ。あたしがなに言ったって、親父(おやじ)ギャグしか返ってこないじゃん」
<つぶやき>それぞれの家には文化(ぶんか)があるのです。みんな違ってるから面白いんですよ。
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T:0228「とんだシェア」
 部屋(へや)の中は、いろんなものが散乱(さんらん)していた。その中で、女の子が二人、髪(かみ)を振(ふ)り乱(みだ)し息(いき)も絶(た)え絶(だ)えに座り込んでいる。この様子(ようす)を見ていた別の女の子が言った。
「もう気がすんだでしょ。このへんで、仲直(なかなお)りしたら」
「何で手を出したのよ。拓也(たくや)はあたしのものなんだから」
「私のほうが先(さき)でしょ。横(よこ)から割(わ)り込んできたくせに」
「あなたこそ。拓也は、あたしを好きだって言ってくれたの」
「バカなこと言わないで。私は愛してるって言われたわ」
 二人はまた取っ組み合いになる。別の女の子はため息をついて、二人を引き離(はな)す。
「もういい加減(かげん)にしてよ。二人とも振られたんだから。それでいいじゃない」
「よくないわよ」
「そうよ。あなたにそんなこと言われる筋合(すじあ)いはないわ」
「そう。じゃあ、勝手(かって)にしなさい。あたし、拓也が待ってるからもう行くね。ちゃんと、この部屋片(かた)づけといてよ。あたしたちの共同(きょうどう)の場所(ばしょ)なんだから」
 別の女の子はいそいそと出て行った。それを見送った二人、顔を見合わせて、
「あたし、ここから出て行くわ。あの子といると彼氏(かれし)なんてできないもん」
「私も、そうする。――ねえ、私たち、またシェアしない? 一人は寂(さび)しいし…」
<つぶやき>もっと誠実(せいじつ)な男性を見つけましょう。今度は、同じ人を好きにならないでね。
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T:0229「鏡のない部屋」
 刑事(けいじ)たちが部屋(へや)に入ると、中はガランとしていて女性の部屋とは思えなかった。年配(ねんぱい)の刑事が部屋を見回して呟(つぶや)いた。「何で無いんだ」
 まだ新米(しんまい)の女刑事が訊(き)き返した。「何がです?」
「鏡(かがみ)だよ。普通(ふつう)、女性の部屋にはあるもんだろ。ほんとにここに住(す)んでたのかな?」
「私、聞き込みに行ってきます」新米刑事はそのまま部屋を飛び出した。
 年配の刑事が一通(ひととお)り部屋の中を確認(かくにん)していると、別の刑事が入って来た。
「女の身元(みもと)が分かりました」その刑事は信じられないという顔をして、「それが、すでに亡(な)くなっているんです。先月、変死体(へんしたい)で発見(はっけん)されたそうです」
「死んでる? じゃ、ここにいたのは誰(だれ)なんだ」年配の刑事は唸(うな)り声を上げて、「変死体って言ったな。どんな状態(じょうたい)で発見されたんだ」
「それが、血(ち)が無くなっていたと。それに、傷口(きずぐち)から血が流れた跡(あと)もなかったそうです」
 その頃(ころ)、女刑事は路上(ろじょう)で声をかけられた。彼女は振り向くと、恐怖(きょうふ)で目を見開(みひら)いた。
 数日後のこと、山中(さんちゅう)で行方不明(ゆくえふめい)になっていた新米刑事の変死体が発見された。
「ほんとにここでいいんですか? もっと良い部屋があるのに」
 不動産屋(ふどうさんや)の若い男が言った。借(か)り手の女は軽(かる)く微笑(ほほえ)んで肯(うなず)いた。その顔は、あの女刑事とそっくりだった。女は鍵(かぎ)を受け取ると、そのまま部屋の中へ消えていった。
<つぶやき>一体何があったのか。この女の正体は? 謎(なぞ)が謎を呼び、その先の結末(けつまつ)は…。
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T:0230「耳の虫」
「私の話し、聞いてる?」頼子(よりこ)は不機嫌(ふきげん)そうに言った。
 あかりはキョトンとして、「えっ、なに?」
「もう、ひとが真剣(しんけん)に話してるのに、何で聞いてくれないの?」
「ごめん」あかりは手を合わせると言った。「きっと虫(むし)のせいよ」
 頼子は、またかと思った。あかりはたまに変なことを口走(くちばし)る。今度だって、きっとそうだ。
「ねえ、知ってる」あかりはかまわずに続けた。「耳(みみ)の穴(あな)には、小さな小さな虫が住んでいるの。そいつらのせいで、人の話が聞こえなくなったり、空耳(そらみみ)がしたりするのよ」
「そんなわけないでしょ。絶対(ぜったい)、他のこと考えてただけじゃない」
「そ、そんなことないわよ。別にあたし、彼のことなんか…」
「ほら、やっぱり。どうせ、私より彼の方が大切(たいせつ)なんでしょ」
「もう、そんなことないって。――でもね、耳の虫は本当(ほんとう)にいるのよ」
「いるわけないわ。また、そんな作り話して」
「いるわよ。だって、その虫が教えてくれたのよ。彼と初めて会ったとき、こいつを捕(つか)まえろって聞こえたんだから。あたしは、その言葉通りに彼を捕まえて、今は幸せいっぱい」
「はいはい。もういいわよ。どうせ私は、別れ話でグチャグチャよ」
<つぶやき>身体(からだ)にまつわるいろんな不思議(ふしぎ)、きっといっぱいあるんじゃないでしょうか。
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T:0231「醜い顔」
「あたしの顔(かお)、変えて下さい」時子(ときこ)は医者(いしゃ)に哀願(あいがん)した。
 彼女の前に座っていた医者は、黙(だま)って彼女を見つめるだけ。彼女はたまらず、
「あたし、先生の噂(うわさ)を聴(き)きました。凄(すご)く腕(うで)のいいお医者さんだって。だから…」
「どういう噂をお聞きになったのか知りませんが、どうもその必要(ひつよう)はないようです」
 時子はキョトンとして、なぜそんなことを言うのか理解(りかい)できなかった。医者は続けた。
「ちゃんと、鼻(はな)も目も口もある。何も不足(ふそく)していない。手を加(くわ)える必要(ひつよう)など…」
「そんな…。あたしは、この顔のせいで苦(くる)しんでいるんです。こんな醜(みにく)い顔…」
「そうですか? 私にはそうは見えませんが。まあ、美人(びじん)とは言えないまでも、そこそこの顔をしておられると思いますよ」
「あなたは、それでも医者ですか? あたしは、この顔のせいで彼氏(かれし)もできないし、仕事(しごと)も他の娘(こ)に持っていかれて。あたし、やりたい仕事もやらせてもらえないんです」
「しかし、それはあなたの顔のせいでしょうか。原因(げんいん)はもっと他にあるかもしれません」
「あたしのこと何も知らないくせに、何でそんなことが言えるんですか?」
「私はいろんな人を見てきましたから。ちょっと目先(めさき)を変えただけで、活(い)き活きと生活(せいかつ)なさっている方を何人も知っています。あなたも生き方を変えてみたらいかがですか?」
<つぶやき>思い込みは視野(しや)を狭(せば)めてしまいます。少し立ち止まって周(まわ)りを見てみましょ。
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T:0232「招き猫パワー」
 私の実家(じっか)には、古ぼけた招(まね)き猫(ねこ)が床(とこ)の間(ま)の端(はし)に飾(かざ)られている。たぶんおじいちゃんが手に入れたのだろう。私が物心(ものごころ)ついた頃(ころ)には、その場所にちょこんと座っていた。
 小さい頃、その招き猫をオモチャがわりに遊(あそ)んでいた、微(かす)かな記憶(きおく)が残っている。今思えば、何でそんなことをしていたのか全く分からない。おじいちゃんという人はおおらかな人で、怒(おこ)ることもなく私のことを笑(わら)いながら見ていた、と後(あと)で母に聞かされた。そのおじいちゃんも今は亡(な)く、何だか招き猫も寂(さび)しそうだ。
 右手を挙(あ)げているのが金運(きんうん)を、左手は人を招く。と、いつの頃からか私の脳裏(のうり)に焼きついていた。だぶん、おじいちゃんに教えてもらったのかもしれない。私は招き猫の埃(ほこり)をはらいながら、昔(むかし)に思いをはせていた。きっとこの子のおかげで、今まで無事(ぶじ)に過(す)ごせていたんだわ。右手を挙げているから、ずっと金運を呼び寄せてくれていたに違(ちが)いない。
 今、私の部屋(へや)には小さな招き猫の貯金箱(ちょきんばこ)が鎮座(ちんざ)している。いろんなものを招き寄せてもらおうと思って、両手を挙げている可愛(かわい)いのにした。お金も欲しいし、素敵(すてき)な彼だって私には必要(ひつよう)よ。これは、別に欲張(よくば)ってとか、そういうことじゃないからね。
 でも、招き猫にお願いするだけじゃダメだってことは分かってる。それなりの、努力(どりょく)はしないといけない。そこが一番の問題(もんだい)よね。なまけてちゃ、絶対に前には進めない。この子に手を合わせながら、自分を叱咤激励(しったげきれい)している毎日です。
<つぶやき>神頼みも、努力があってこそなのです。そこのところを、お忘れなきように。
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T:0233「苦手なもの」
「教授(きょうじゅ)、何か分かりましたか?」女刑事(けいじ)が訊(き)いた。
「いや別に、ただの家じゃないか。住む人がいなくなって二、三年ってとこかな」
「ここに住んでた人の所在(しょざい)が分からないんです。何か手掛(てが)かりが欲(ほ)しいんですよね」
「そんなことを言われても、私は人捜(ひとさが)しは専門(せんもん)じゃないからね」
「あっ、言い忘(わす)れてましたけど、ここ、出るみたいなんです。だから、教授にお願(ねが)いして」
「出るって? こんなところに何が出るっていうんだ」
「ですから、これは噂(うわさ)なんですが、幽霊(ゆうれい)が出るみたいなんです」
 教授は青白(あおじろ)い顔をして、「私は、これで失礼(しつれい)するよ。これは、私の仕事(しごと)じゃないな」
「何言ってるんですか。教授は、超常現象(ちょうじょうげんしょう)の専門家(せんもんか)でしょ。お願いしますよ」
「私は、超常現象と言っても、こういう系(けい)は扱(あつか)ってないんだ」
「まさか、怖(こわ)いんですか?」
「こ、怖いとかそう言うことじゃないんだよ」
 教授は慌(あわ)てて逃げ出そうとして、下にあった座布団を蹴飛(けと)ばした。その下から現れたのは、黒い大きな染(し)み。女刑事はそれを見て顔色を変えた。
「これは、血痕(けっこん)かもしれません。署(しょ)に連絡(れんらく)しますのでここにいて下さい」
 その時、すでに教授は意識(いしき)をなくしていた。
<つぶやき>誰にでも、苦手(にがて)なものはありますよね。なるべく近づかないようにしましょ。
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T:0234「予測不能の彼女」
 僕(ぼく)の彼女は、会う度(たび)に違(ちが)う顔をみせてくれる。飽(あ)きることはないのだが、付き合っていくにはちょっと大変(たいへん)かもしれない。いや、ほんと大変なんです。
 デートの予定(よてい)は二人で前もって決めておく。でも最終的(さいしゅうてき)には、当日(とうじつ)の彼女の気分(きぶん)で変わることがほとんどだ。だから、付き合い始めは驚(おどろ)かされることばかり。
 ある時なんか、彼女はバイクで乗りつけてきて。いきなりドライブに行こうって。僕は、彼女がバイクを乗り回しているなんて全く知らなかった。それも七半(ななはん)だよ。そんなアクティブな娘(こ)だなんて、想像(そうぞう)すらできなかった。
 かと思うと、清楚(せいそ)な和服姿(わふくすがた)で現れて、大人(おとな)の色香(いろか)をふりまくことも。もう、僕はうっとりするしか…。おしとやかな大人の女性って感じで、所作(しょさ)なんかも決まってるんです。
 はたまた、遊園地(ゆうえんち)に連れて行かれた時は、無邪気(むじゃき)にはしゃいでみせて。ほんと、子供みたいに楽しそうな笑顔を見せてくれる。そんな彼女を見ているだけで、僕は幸せな気分になってしまう。
 たまには僕の選(えら)んだデートコースで…、と思うんだけど。一度、それをやって彼女の機嫌(きげん)をそこねたことがある。僕には、何が気に入らないのか全く理解(りかい)できなかった。でも、彼女が怒(おこ)るとめちゃくちゃ恐(こわ)いってことが分かった。それ以来、僕は自粛(じしゅく)している。
<つぶやき>女性はいろんな顔を持っているのです。でも、どれも本当の顔なんだよね。
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T:0235「別れる理由」
「何で?」真希(まき)は彼が突然(とつぜん)言い出したことが理解(りかい)できなかった。
「だから、僕(ぼく)たち別れよう。きっと、その方が良いと思うんだ」
「だから、どうしてそうなるのよ。私たち、愛し合ってるじゃない」
「アリサが…。今朝(けさ)、亡(な)くなったんだ。もう、君(きみ)と付き合っていく気力(きりょく)が…」
「アリサって、あなたが飼(か)ってるカメよね。……そうなんだ。それは、大変(たいへん)だったわね」
 真希は、彼がカメを可愛(かわい)がっていたことは知っていたし、見せてもらったこともある。でも、そのことが別れる理由(りゆう)なんて、全く納得(なっとく)ができなかった。
「もう、僕は誰(だれ)も愛せないんだ。分かってくれよ」
「分からないわよ。じゃ、なに。私より、カメの方を愛してたってこと」
「僕が小さい頃(ころ)から、ずっとそばにいてくれたんだ。アリサがいなくちゃ」
「じゃあ、新しいカメを飼えばいいじゃない。アリサって名前をつけて…」
「アリサの代(か)わりなんていないよ! 君は、どうしてそんなひどいことが言えるんだ」
 彼はけしてダメな人間(にんげん)じゃなかった。とっても優(やさ)しいし、顔だって悪くない。欠点(けってん)があるとすれば、カメに依存(いそん)しすぎることだ。真希は荒療治(あらりょうじ)をすることにした。
「あなたのお母さんから聞いたんだけど。10年前にアリサは死んでるのよ。知らなかったでしょ。さあ、ぐだぐだ言ってないで、カメを買いにいくわよ」
<つぶやき>何があっても動じない。そんな強い女性に男は惹(ひ)かれるのかもしれません。
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T:0236「趣味の女」
「いい、お姉(ねえ)ちゃん。変なこと口走(くちばし)らないでね」妹(いもうと)は姉(あね)の服(ふく)を選(えら)びながら言った。
「あーっ、あたし、どうしてハイって言っちゃったんだろ」
「なに言ってるのよ。柏木(かしわぎ)先輩(せんぱい)のこと嫌(きら)いじゃないんでしょ」
「うーん、好きとか嫌いとか、思ったことないもん。今から断(ことわ)ってもいいかな?」
「せっかく先輩から誘(さそ)ってもらったんでしょ。断ってどうすんのよ」
 妹は姉の洋服(ようふく)を全部(ぜんぶ)引っぱり出すと、「ねえ。お姉ちゃんさ、何で可愛(かわい)い服とか持ってないのよ。そんなんだから、今まで彼氏(かれし)とかできなかったのよ」
「じゃあさ、古墳(こふん)めぐりとかしても…」
「ダメ! 初(はつ)デートよ。何で古墳なのよ。そんなことしたら、速攻(そっこう)振られちゃうでしょ」
「別にいいよ。それならそれで…」
「言っとくけど、古墳の話とか、オカルト的な話なんか絶対(ぜったい)ダメだからね」
「えーっ、そんな。じゃあ、なに話せばいいの? そんなんじゃ、間(ま)が持(も)てない」
「先輩の言うことに相(あい)づち打(う)ってればいいのよ。お姉ちゃんさ、普通(ふつう)にしてれば充分(じゅうぶん)美人なんだから。何で、もっと可愛くできないかなぁ」
「だって、そんなのめんどくさいし。発掘(はっくつ)とか、古文書(こもんじょ)読んでる方が楽しいじゃない」
<つぶやき>趣味(しゅみ)が合うかどうかも大切(たいせつ)。共通(きょうつう)の話題(わだい)があると、二人の距離(きょり)も縮(ちぢ)まるかも。
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T:0237「フライング」
 料亭(りょうてい)の座敷(ざしき)で若い男が倒(たお)れていた。その男のそばで介抱(かいほう)している女性。心配(しんぱい)そうに彼の顔を見つめていた。どのくらいたったろう、男が目を覚(さ)ました。すると女性は、
「もう、ほんとバカね。呑(の)めもしないのに、あんな無茶(むちゃ)して」
「あの…、商談(しょうだん)はどうなりました? 社長(しゃちょう)さんは…」
「あれくらいの酒(さけ)、私が呑めないとでも思ったの? 私が呑んでたら楽勝(らくしょう)だったのに」
「あっ、すいません。やっぱ、ダメでしたか?」
「あの社長ね、私を女だと思って見下(みくだ)してるのよ。あなたにだって、それくらい分かるでしょ。今度こそ、あの社長の鼻(はな)をへし折(お)ってやれたのに」
「すいません。でも、そんなことさせられません。身体(からだ)こわしたらどうするんです」
「あのね、自分のこと心配しなさいよ。あなたに、そんなこと言われる筋合(すじあ)いはないわ」
「ありますよ。だって、僕(ぼく)……。先輩(せんぱい)のこと、心配しちゃいけませんか?」
「もう、なに言ってるのよ。半人前(はんにんまえ)のくせに」
「そうですけど。でも、僕、先輩のことが好きなんです。だから…」男は自分の言ってしまったことに気づき、「あれ…、これって告白(こくはく)ですよね。あの…、今の、なかったことにしてもらえませんか? もっと、ちゃんとしたとこで…」
 女性は恥(は)ずかしさを誤魔化(ごまか)すように言った。「もう帰るわよ。いつまで寝(ね)てるのよ」
<つぶやき>誰(だれ)かを好きになると、相手(あいて)のことが気になりますよね。でも、告白は慎重(しんちょう)に。
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T:0238「恥ずかしい失敗」
 冴子(さえこ)はいつも冷静(れいせい)で、どんな仕事(しごと)でもテキパキとこなしてしまうやり手の社員(しゃいん)だった。そんな彼女の前に現れたのは、彼女の過去(かこ)を知る幼(おさな)なじみ。まさか同じ会社(かいしゃ)にいたなんて、思ってもいなかった。彼の出現(しゅつげん)で、彼女の調子(ちょうし)は狂(くる)いっぱなし。
 冴子は彼を呼び出して言った。「ねえ、余計(よけい)なことは言わないで」
 彼はキョトンとして答えた。「何の話だよ? 俺(おれ)は別に…」
「兼子(かねこ)さんに言ったでしょ。あたしのこと」
「いや…。あ、この間(あいだ)、飲(の)みに誘(さそ)われちゃって。あの人、いい人だね」
「その時ね、しゃべったのは。何で教えたのよ。あたしの小学生の時のこと」
「えっ? 俺、そんなこと話したかなぁ」
「あなたしかいないでしょ。あんな、恥(は)ずかしい失敗(しっぱい)を知ってるのは」
「ああ、あれか。何だよ、そんなことまだ気にしてるのか?」
「あたしは、この会社では優秀(ゆうしゅう)な社員なの。兼子さんだって、そんなあたしを…」
「お前さ、兼子さんと付き合ってんだってな。いつ結婚(けっこん)するんだよ」
「な、なに言ってるのよ。そんなこと…」
「あの人、お前に向いてるかもな。お前のこと話したら、ニコニコしてたぞ」
<つぶやき>子供の頃は失敗をするもの。全てひっくるめて好きになってもらいましょう。
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T:0239「無料サンプル」
「なにぐずぐずしてるのよ。早く行くわよ」優子(ゆうこ)は急(せ)かすように言った。
「何で、僕(ぼく)が行かなきゃいけないんだよ。お姉(ねえ)ちゃん一人で行けばいいだろ」
「あんた、あたしに口答(くちごた)えするわけ。どうせ、休みは家でゴロゴロしてるだけでしょ」
「そんなことないよ。僕だって、いろいろ予定(よてい)が…」
「なに言ってるの。彼女もいないくせに。ほら、今日のは韓国(かんこく)コスメの無料(むりょう)サンプルなのよ。お一人様一個(こ)だけなんだから。急(いそ)がないと無(な)くなっちゃうでしょ。これを逃(のが)したら…」
「何で、男の僕が、そんなとこに…。恥(は)ずかしいだろ。誰(だれ)かに見られたら」
 優子は不気味(ぶきみ)に微笑(ほほえ)むと、弟(おとうと)の方へ詰(つ)め寄って言った。
「じゃあ、女装(じょそう)していく? あんた、ママに似(に)てるから、きっと美人(びじん)になると思うわ」
「ちょっと、待ってよ」弟は後ずさりして、「分かった。行くよ。行けばいいんだろ」
「まったく、手のかかる子なんだから。急ぎなさいよ。それと、向こうでは私たち他人(たにん)だからね。絶対(ぜったい)、話しかけちゃダメよ」
「何でだよ。そんなことまでしなくても」
「どこで誰が見てるか分かんないでしょ。化粧品(けしょうひん)を買ってる弟がいるなんて分かったら、なに言われるか分かんないじゃない」
「何だよ、それ。お姉ちゃんがやらせてるんだろ。もう…、イヤだぁ」
<つぶやき>強すぎる姉(あね)がいると、弟は苦労(くろう)するのです。優しい彼女を見つけましょうね。
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T:0240「嫌いなもの」
「あたし、この店いやだ。中華(ちゅうか)にしよ」彼女の気紛(きまぐ)れが、また始まった。
「でも、イタリアンがいいって言ったろ」僕(ぼく)は、ここまで来たんだからと引き止める。
「でも、あたし、今は中華の気分(きぶん)なの。行きましょ」
 もう、こうなったらどうしようもない。仕方(しかた)なく、彼女について行く。幸(さいわ)い近くに中華の店があったので、僕はホッとした。彼女はああだこうだと、注文(ちゅうもん)するのも一苦労(ひとくろう)。やっと料理(りょうり)が並(なら)んで、いただきますになった。ところが、僕が食べはじめると、ピーマンとかニンジンとか、僕の皿(さら)にどんどん増(ふ)えていく。
「だって、あたし嫌(きら)いだもん。食べてもいいよ」彼女は何でもないように言い切る。
 何だよ、それ。僕の彼女への愛情(あいじょう)がどんどん減(へ)っていくような気がする。ほんとに、この娘(こ)と付き合ってていいのかな? 僕は彼女に訊(き)いてみた。
「なあ、どうしてそんなに嫌いなものが有るんだ?」
「嫌いなんだから仕方ないでしょ。それと、この間(あいだ)の山口(やまぐち)って娘(こ)、もう連(つ)れて来ないで」
「何でだよ。彼女は大切(たいせつ)な友だちで、とってもいい奴(やつ)なんだ」
「何よ。あの娘(こ)、あなたのこと変な目で見てるじゃない。そんな人と、一緒(いっしょ)にいたくない」
 この時、僕の好きという気持ちが、一気(いっき)に吹(ふ)き飛んでしまった。もう、こいつとは絶対(ぜったい)に結婚(けっこん)しないし、会うのもこれが最後(さいご)だと決めた。
<つぶやき>周りに気配(きくば)りができないと、あなたの傍(そば)から誰(だれ)もいなくなってしまうかも。
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T:0241「なぜの探究」
 ある会社(かいしゃ)に、笑(わら)わない女がいた。とても優秀(ゆうしゅう)なのだが、周(まわ)りからはちょっと避(さ)けられている感じ。でも、彼女はまったく気にしていないようだ。
「彼女は、なぜ笑わないんだろ?」男性社員(しゃいん)の一人が同僚(どうりょう)に訊(き)いた。
「さあな。何でそんなこと気にするんだよ。あんな女と付き合っても、つまんないぞ」
「なぜ、そんなことが分かるんだ? 君は、あの人と付き合ったことがあるのかい?」
「あるわけないだろ。彼女を見てりゃ、それぐらい分かるよ」
「そうかな? これは、確(たし)かめてみるべきだ」
 男は女のところへ行き訊いてみた。「君(きみ)はなぜ笑わないんだ?」
 女は答えた。「仕事中(しごとちゅう)よ。なぜここで笑わなければいけないんですか?」
「確かに、君の言うとおりだ。では、僕(ぼく)と付き合ってくれないか?」
「はい? 言ってる意味(いみ)が分からないんですが。なぜあなたと付き合う必要(ひつよう)があるの?」
「それは、君の笑顔が見たいからだ。勿論(もちろん)、お付き合いしている人がいなければの話だが」
 女はしばらく考えて、「お付き合いしている人はいません。でも、あなたとお付き合いするつもりはありません。もういいですか? 仕事中なんで」
「なぜだ。断(こと)る理由(りゆう)を聞かせてくれないか? 君は、男には興味(きょうみ)がないのか?」
 女はにっこり微笑(ほほえ)むと、きっぱり言った。「あなたに、興味がないだけです」
<つぶやき>この男の探究心(たんきゅうしん)は、まだまだ続くのかも。あんまり変なこと訊かないように。
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T:0242「季節はずれの花火」
 部屋(へや)の片隅(かたすみ)に置かれた花火(はなび)。彼女と一緒(いっしょ)にやろうと買って来た。でも、その前に振(ふ)られてしまい。夏も終わりだというのに、そのままになっている。
 こうなったら一人でやってやる。僕(ぼく)は近くの小さな公園(こうえん)へ向(む)かった。もう夜中(よなか)で誰(だれ)もいない公園。僕はベンチに座って花火に火をつけた。眩(まぶ)しいくらいの火花(ひばな)が飛(と)び交(か)い、白い煙(けむり)がもくもくと立ち込めた。そして、当然(とうぜん)のことだが、花火の光がだんだん弱くなり、辺りはまた暗闇(くらやみ)になってしまう。僕は、もう一本、もう一本と火をつけた。
 何本目だったろう。僕が顔をあげると、暗闇(くらやみ)の中からうっすらと白いものが近づいて来た。よく見ると、それは浴衣(ゆかた)を着た奇麗(きれい)な女性。僕を振った彼女より、ずっと奇麗(きれい)な人だった。その人は僕のそばまで来ると、にっこり微笑(ほほえ)んでちょこんと座った。
 何でこんな時間にこんな所へ…。この時は、そんなことどうでもよかった。今までの寂(さび)しさがどこかに吹(ふ)っ飛んで、僕はまた花火に火をつけた。ところが、不思議(ふしぎ)なことに一本花火が終わると、一人ずつ浴衣の女性が増(ふ)えていく。みんなモデルのような美しい人ばかり。そして、最後(さいご)の一本。みんなの目線(めせん)が、僕に集(あつ)まっているのが分かった。僕は、おもむろに火をつけた。すると、女性の一人が始めて口を開いた。
「これで、あなたも私たちのものになるのよ。一緒に行きましょうね」
<つぶやき>どこへ行くの? でも、花火の後始末(あとしまつ)だけは、ちゃんとしておいて下さいね。
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T:0243「捜し物は何ですか」
 とある商店街(しょうてんがい)の、日用品(にちようひん)を扱(あつか)っているお店(みせ)。どこにでもあるような小さなお店なのだが、どういうわけか変な噂(うわさ)が広まった。そこへ行くと欲(ほ)しいものが何でも手に入る、と。
「あの、ここに来れば何でも売(う)ってもらえると聞いたんですが?」
「うちには日用品しかないですけど。誰(だれ)から聞いたのか知らないが…」
「私、縫(ぬ)いぐるみが欲しいんです。売って下さい。お金ならいくらでも」
「ちょっと待ってよ。縫いぐるみなんか置いてないから。他の店に行ってよ」
「どこにも売ってないんです。お願いします」
「お願いって言われても、ないものはないんだから」
「カバの縫いぐるみなんです。それも、かかえるくらいすっごく大きなやつで」
「カバ…。カバの縫いぐるみ捜(さが)してるの? 大きなやつねぇ…」
 店主はしばらく考えていたが、「うちにあることはあるけど。売りもんじゃないからな」
「あるんですか?」客は小躍(こおど)りして、「ありがとうございます。おいくらですか?」
「だから、売りもんじゃ…」
 店主は気がいいので、断(ことわ)りきれなくなってしまった。店の奥(おく)へ行くと、大きなカバの縫いぐるみをかかえて戻(もど)って来て、「こんなんでいいのかい?」
「ああ、これが欲しかったんです。ここへ来てよかったわ。みんなにも教えてあげなきゃ」
<つぶやき>こんな便利(べんり)なお店があると助かるよね。でも、苦労(くろう)して捜すのも醍醐味(だいごみ)です。
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T:0244「笑いの壺」
「ねえ、好子(よしこ)。今の、笑(わら)うところじゃないでしょ」
 好子は苦(くる)しそうに笑いながら、「フフフ…。だって、おかしいィ」
 好子はちょっと変わっている。他の人と笑いの壺(つぼ)が違うのだ。友だちが面白(おもしろ)くて笑っていても、彼女は何が可笑(おか)しいのって顔をする。反対(はんたい)に、みんながしらってしてる時、クスクス、ゲラゲラと笑い出す。そして、みんなからひんしゅくを買うのだ。
「私が真剣(しんけん)に話してるのに、そんなに笑うことないでしょ」
「ハハハ…。だって、ほんと可笑(おか)しいんだもん」
「何が可笑しいのよ。ちゃんと分かるように説明(せつめい)して」
 私は、今日は機嫌(きげん)が悪かった。いつもなら、<そうなんだ>ってスルーするのに、今日はそんな気にはならなかった。そんな私を見て、彼女も何か感じたらしく、
「ごめんね。もう笑わないから」好子はフッと息(いき)をはいて真顔(まがお)になる。
「それで、どうしたの? 続きを聞かせてよ」
「もう、いいわよ」私はぷいとそっぽを向く。
「ねえ、気になるじゃない。もう笑わないから。お願い」
「絶対(ぜったい)、笑わない? もし約束(やくそく)破(やぶ)ったら、絶交(ぜっこう)だからね」
 彼女を見ると、すでに笑いをこらえるのに四苦八苦(しくはっく)していた。
<つぶやき>人によって笑いの壺って違いますよね。でも、違っていてもいいんじゃない。
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T:0245「恋愛保険は必要か」
 いろんな保障(ほしょう)が進んできた現代(げんだい)。とうとう、恋(こい)にも保険(ほけん)をかける時代(じだい)がやって来た。
 この恋愛(れんあい)保険は、結婚資金(しきん)の積立(つみたて)が目的(もくてき)なのだが、オプションとして失恋保障(しつれんほしょう)が付(つ)くのが一般的(いっぱんてき)である。失恋時の傷手(いたで)を少しでも癒(いや)すために、保険会社では様々(さまざま)なメニューを用意(ようい)して、契約者(けいやくしゃ)の獲得(かくとく)にしのぎを削(けず)っていた。
 失恋による損失(そんしつ)は個人(こじん)ばかりでなく、企業(きぎょう)にとっても大きな問題(もんだい)になっている。失恋によって仕事(しごと)の効率(こうりつ)が下がったり、長期(ちょうき)の欠勤(けっきん)をする者まで出てきているからだ。経営者(けいえいしゃ)たちは、その対策(たいさく)としてこの保険に注目(ちゅうもく)している。保険会社でも、新たなニーズに応(こた)えるため、企業向けの失恋保険を検討(けんとう)しているということだ。
 この保険の発売当初(とうしょ)は、若い女性をターゲットにしていた。しかし、予想(よそう)に反(はん)して、男性の契約者が急増(きゅうぞう)。その対応(たいおう)に追(お)われている保険会社もあるようだ。その理由(りゆう)として、恋愛に不慣(ふな)れで臆病(おくびょう)になっている男性が増加(ぞうか)している、と指摘(してき)する専門家(せんもんか)もいる。
 ともあれ、この恋愛保険の可能性(かのうせい)はまだまだ計(はか)り知れない。だが、大きな問題があると話す結婚アドバイザーもいる。それは、恋愛に対して真摯(しんし)に取り組もうとせず、安易(あんい)な恋愛に走る人が増えてきたということだ。
 つい先日(せんじつ)のことだが、恋愛関係(かんけい)を偽装(ぎそう)して、失恋保障をだまし取ろうとした男女が逮捕(たいほ)されている。恋愛の規程(きてい)をどう定(さだ)めるのか。早急(さっきゅう)の対策が望(のぞ)まれている。
<つぶやき>私には難(むずか)しいことは分かりません。でも、一番大事(だいじ)なのは思いやりの心です。
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T:0246「脱皮のあと」
 山根(やまね)は大学(だいがく)の研究室(けんきゅうしつ)へ飛び込んで来て叫(さけ)んだ。「教授(きょうじゅ)、大発見です!」
 ちょうどコーヒーを飲もうとしていた神崎(かんざき)教授は、危(あや)うくこぼしそうになった。山根は教授に飛びかからんばかりに接近(せっきん)してわめいた。
「すごいの、見つけちゃいました!」
 教授は驚(おどろ)いた様子(ようす)もなく言った。「ツチノコが見つかったのかい?」
「そんなんじゃありませんよ。もっと、もっと、すごいものです!」
「でも、君。ツチノコを捜(さが)しに行ってたんだろ?」
「これを見てください」山根は古い写真(しゃしん)を教授に見せて、「これ、どう思いますか?」
 その写真は田舎(いなか)で撮(と)られた集合(しゅうごう)写真で、数人の村人(むらびと)が写(うつ)されていた。
「どうって」教授は写真を見て、「そうだなぁ。昭和初期(しょうわしょき)ぐらいに撮られた…」
「そうじゃなくて」山根はじれったそうに、「みんなが持ってるやつです。これ、何かに似(に)てませんか? よく見てください!」
 教授はじっくりと写真を見る。「これは、ヘビの抜(ぬ)けがらか…。それにしては、大きいな」
 山根は写真の上下を逆(ぎゃく)にして、「こうするとヘビじゃなくて人間の形に見えませんか?」
「確(たし)かに…。これが腕(うで)と足で、これか頭か。しかし君、人間は脱皮(だっぴ)はしないぞ」
「だから、大発見なんです! きっと、これは宇宙人(うちゅうじん)の抜けがらなんですよ」
<つぶやき>写真だけでは確(たし)かなことは分かりません。山根の調査(ちょうさ)はまだまだ続くのか。
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T:0247「不可解な出来事」
 夜中(よなか)の十二時を過(す)ぎた頃(ころ)。玄関(げんかん)のチャイムが鳴(な)った。朋香(ともか)がドアののぞき穴(あな)から見てみると、知らない男が立っていた。朋香は恐(おそ)る恐るドア越(ご)しに、「どなたですか?」と訊(き)いた。
 男は物静(ものしず)かな声で、「あの、篠原(しのはら)です。篠原安則(やすのり)。何度か、パーティでお目にかかってるんですが…。覚(おぼ)えてませんか?」
 そういえば、友だちのパーティで紹介(しょうかい)されたことがある。でも、どうしてここに。
「ここを開けてもらえませんか? 大事(だいじ)なお話があるんです」
 朋香は、チェーンを付けたままドアを開けた。篠原はホッとした顔で礼(れい)を言うと、「あの、近藤(こんどう)アキラを知ってますよね。お付き合いをしているとか…、聞いたんですが」
「別に、付き合ってるわけじゃ…。何度か、お食事(しょくじ)をしただけです」
「あいつの言うことは信用(しんよう)しないで下さい。もう、あいつには近づかない方がいい」
「何でそんなことを…。あなた、近藤さんとはどういう…」
「あいつは、おかしいんだ。普通(ふつう)じゃない。もう会わない方が、君(きみ)のためだ」
 篠原はメモを渡(わた)して、「もし何かあったら、僕(ぼく)に連絡(れんらく)して下さい。必(かなら)ず助(たす)けますから」
 数日後。どうしても気になった朋香は、メモに書かれた番号に電話をしてみた。だが、何度かけてもつながらない。近藤からも、ぷっつりと連絡がこなくなった。
 いったい何があったのか? あの夜のことは、いまだに謎(なぞ)である。
<つぶやき>深夜(しんや)の訪問者(ほうもんしゃ)は、危険(きけん)な香(かお)りを運びます。けしてドアを開けてはいけません。
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T:0248「鏡子さん」
 家の洗面所(せんめんじょ)、学校(がっこう)や会社(かいしゃ)のトイレの中。鏡(かがみ)の前に立って、手や顔を洗(あら)っていると、ふっと誰(だれ)かに見られているような。そんな感じになったことはないですか?
 周(まわ)りを見回しても誰もいない。鏡の中にだって、自分一人が映(うつ)っているだけ。間違(まちが)いなく誰もいないはずなのに、誰かの気配(けはい)を感じてしまう。そんな時は、きっと鏡子(きょうこ)さんが覗(のぞ)いていたのかもしれません。
 鏡子さんは鏡の中に住んでいて、鏡のあるとこならどこにでもいるのです。鏡子さんは、脅(おど)かしたり、悪戯(いたずら)したり、そんな悪(わる)さはしません。ただ、あなたのことを見ているだけ。ちゃんときれいに洗えているか。髪(かみ)は乱(みだ)れていないか。顔色(かおいろ)や肌艶(はだつや)は大丈夫(だいじょうぶ)か…。そんなことが、鏡子さんは気になってしまうのです。だから、あなたが見ていないすきに、ふっと姿(すがた)を見せてしまうのかもしれません。
 もし、鏡子さんの姿を見てしまったら、気をつけて下さい。あなたの身に、良くないことが起(お)こる前触(まえぶ)れかもしれません。一度目を閉(と)じて、心を落ち着かせてから目を開けて下さい。そして、鏡の中の自分の姿をよく見るのです。身だしなみは大丈夫ですか? 顔色は悪くありませんか? 大切(たいせつ)な人に会う時は、特(とく)に気をつけないといけません。
 鏡子さんは、いつもあなたのことを気にかけているのです。
<つぶやき>怖(こわ)がらないで下さいね。あなたを見守ることが、彼女のお仕事(しごと)なのですから。
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T:0249「別れのボート」
 義之(よしゆき)はある噂(うわさ)を知った。市立公園(しりつこうえん)の池(いけ)で恋人同志(どうし)がボートに乗(の)ると、その二人は別れてしまうと――。彼は、最後(さいご)の望(のぞ)みをかけて彼女をボートに誘(さそ)った。
「わぁ、こんなとこにボートがあるなんて知らなかったわぁ」
 紀香(のりか)は嬉(うれ)しそうにボートに乗り込んだ。オールを握(にぎ)った義之は、少しホッとしてこぎはじめた。彼女は噂のことは知らないんだ。――ボートは静かに桟橋(さんばし)を離れる。これで彼女と別れることができる。やっと、いつもの平穏(へいおん)な暮(く)らしに戻れるのだ。
 紀香に出会ったのは半年前。彼女から告白(こくはく)されて付き合うことになったのだが、彼女の破天荒(はてんこう)な行動(こうどう)にいつも振(ふ)り回されていた。けして悪(わる)い娘(こ)ではないのだ。ただ、ちょっと彼には荷(に)が重過(おもす)ぎて…。
 ボートの上でも彼女のマシンガントークが炸裂(さくれつ)した。義之はただ相(あい)づちをうつしかなかった。別れ話を切り出そうにも、口をはさむ余地(よち)がない。ボートを桟橋に戻そうと義之がこぎ始めたとき、紀香はぷつりと口を閉じた。彼女はしばらく彼を見つめてから口を開いた。
「ねえ。これであたしたち、ずっと一緒(いっしょ)だね。もう離れないから」
 義之はビクッとして、オールを落としそうになった。彼女は嬉しそうに微笑(ほほえ)みながら、
「だって、ここのボートに乗ったカップルは、永遠(えいえん)に別れることはないのよ。だから、あたしたちもずっと一緒(いっしょ)なの。ねえ、結婚式はいつにしようか?」
<つぶやき>噂はあくまでも噂ですから。自分の思ってることははっきり言わないとダメ。
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T:0250「お別れします」
「あなたとは、お別れします」百合恵(ゆりえ)は真面目(まじめ)な顔で言った。
 突然(とつぜん)、そんなことを切り出されて、驚(おどろ)かない男はいない。貴志(たかし)は唖然(あぜん)とするばかり。
 彼はやっとの思いで、言葉を絞(しぼ)り出した。「何で?」
「だって、あなたとお付き合いする理由(りゆう)がないことに気がついたんです」
「えっ? それって、どういうことかな…。僕(ぼく)のこと、好(す)きだったんじゃ」
「よく分かんないです。あたし、お付き合いとか、初めてで…」
「でも、僕が告白(こくはく)したとき、ハイって答えてくれたよね」
「あの時は、断(ことわ)ったらいけないものだと思ってました。そうじゃないんですか?」
「いや、それは…。でも、別れなくてもいいんじゃないかな。ほら、こういうのって、付き合いながら、少しずつ好きになっていけばいいんだし」
「でも、あなたのこと好きになれるかどうか…」
「大丈夫(だいじょうぶ)だよ。今まで、二人でいて、楽しかったじゃない。いろんなとこ遊(あそ)びに行って」
「そうですね。でも、それは、あなたとじゃなくても、楽しかったと思います」
「ああ…、そう。分かった。他(ほか)に、好きな人ができたってことかな?」
「いいえ、そんな人いません。あたし、愛人(あいじん)になるつもりありませんから」
<つぶやき>彼女の全てを受け入れて、愛を叫(さけ)びましょう。そうすれば、彼女もきっと…。
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T:0251「家庭崩壊」
 私が友だちと家に帰ると、パパとママが喧嘩(けんか)をしていた。友だちは心配(しんぱい)そうに、
「ねえ、止(と)めたほうがいいんじゃない。大丈夫(だいじょうぶ)なの?」
 私は平気(へいき)な顔で、「いつものことよ。本気(ほんき)じゃないわ。二人でじゃれ合ってるだけなんだから。まったく、子供(こども)みたいでしょ」
 パパとママは、私たちがいることに気がつくと喧嘩を止(や)めた。ママがニコニコしながら私に声をかける。
「いやだ。帰ってたの。何でもないのよ、ちょっとふざけてただけなの」
 ――その日の夜。寝(ね)ている私を起(お)こしたママは、いつもよりも優(やさ)しくささやいた。
「ねえ、帆乃香(ほのか)。ママとパパ、どっちが好き?」
 私は、二人とも好きだよ。でも…、「ママのこと、大好きだよ」って答えた。
 ママは嬉(うれ)しそな顔をした。だけど、目に涙(なみだ)をためているのはなぜだろう?
「明日、おばあちゃんの家に行こうか? ねっ、ママと一緒(いっしょ)に」
「でも、学校もあるし…」私は、友だちと遊(あそ)ぶ約束(やくそく)だってしているの。
「学校には、ママから連絡(れんらく)しておくわ。だから、いいでしょ。おばあちゃん、帆乃香と会うの楽しみにしてるのよ。ねっ、ママと一緒に帰ろう」
 私だって、もう子供じゃないわ。パパは一人でも大丈夫だけど、ママは私がいないとダメなの。だから私、「いいよ。おばあちゃんに会いに行こう」
<つぶやき>どんな家庭(かてい)でも、些細(ささい)なことから崩(くず)れていくのです。いつも、愛を忘(わす)れずに。
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T:0252「ヒーローの心配事」
 健太郎(けんたろう)は、最近噂(うわさ)されているスーパーマンである。彼は目にも止まらぬ速さで走り、鉄棒(てつぼう)も軽く折(お)り曲(ま)げる。機関銃(きかんじゅう)の弾(たま)すらはね返してしまうのだ。彼は、普段(ふだん)はただのサラリーマンだが、事件(じけん)が起きるとヒーローに変身(へんしん)する。そして、いくつもの事件を解決(かいけつ)し、たくさんの人を救(すく)ってきた。
 彼がどうしてそんな力を手に入れたかって? それは、彼自身にも分からない。物心(ものごころ)ついた頃(ころ)には、そういう能力(のうりょく)が少しずつついてきていた。学生の頃は、自分の力をコントロールするのに苦労(くろう)したが、今では普通(ふつう)の人と変わらない暮(く)らしをしている。
 悪人(あくにん)たちは彼のことを恐(おそ)れ、彼を始末(しまつ)しようとあらゆる手を使ってきた。だが、ことごとく失敗(しっぱい)に終わっている。でも、彼を倒(たお)すことをあきらめてはいないようだ。
 健太郎には一つだけ弱点(じゃくてん)があった。それは奥(おく)さんである。ヒーローが結婚(けっこん)してるなんて、絶対(ぜったい)に知られてはいけないことだ。悪人たちがそれを知れば、奥さんに危険(きけん)が及(およ)んでしまう。それに、彼の正体(しょうたい)が奥さんにバレたら、かなりヤバいことになりそうだ。
 彼は、奥さんの前では軟弱(なんじゃく)な男でなければならない。そういう弱いところのある彼だから、奥さんは惹(ひ)かれたのだ。実は、奥さんは特殊部隊(とくしゅぶたい)で活躍(かつやく)している最強(さいきょう)の女で、強い男には飽(あ)き飽(あ)きしていた。もし彼の正体を知ったら、離婚(りこん)ってことにもなりかねない。
<つぶやき>彼女の仕事は、彼には秘密(ひみつ)です。でも現場(げんば)で鉢合(はちあ)わせってこともあるかもね。
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T:0253「二時間ドラマ」
「わぁ、すごいっ! 想像(そうぞう)以上だわ」則子(のりこ)は豪邸(ごうてい)を前にして言った。
 さゆりの部屋に落ち着くと、則子は訊(き)いた。「家族(かぞく)とか親戚(しんせき)で、もめてたりしてない?」
 さゆりはキョトンとして訊き返した。「えっ、何のこと?」
「だから、こういうとこに住(す)んでると、いろいろあるじゃない。骨肉(こつにく)の争(あらそ)いなんかが」
「別に、うちは大丈夫(だいじょうぶ)だけど…。何を心配(しんぱい)してるの?」
「あなたのことに決まってるじゃない。遺産相続(いさんそうぞく)とかで殺(ころ)されたり、だまし合いとかあるでしょ。二時間ドラマでよくやってるじゃない」
 さゆりはあきれて、「なに言ってるのよ。そんなこと、あるわけないでしょ」
「そう。なら、今のところは大丈夫そうね。でも、これからよ。あなた、兄弟(きょうだい)は?」
「あ、私は、一人っ子よ。それが、どうしたって…」
「じゃ、気をつけなきゃいけないのは旦那(だんな)ね。結婚相手(あいて)は慎重(しんちょう)に選(えら)びなさい」
「私たちまだ高校生(こうこうせい)よ。結婚なんて…」
「もう始まってるの。今から人を見る目を養(やしな)っておかないと、ひどいことになるわよ。旦那に殺されてもいいの? あたしはイヤよ。あなたとはずっと仲良(なかよ)しでいたい」
 さゆりは則子の気迫(きはく)に押(お)されて、「そう…、あ、ありがとうね」
「何なら、あたしの弟(おとうと)、紹介(しょうかい)しようか? とっても真面目(まじめ)で良い子なのよ」
<つぶやき>あわよくば、なんて狙(ねら)ってはいけませんよ。損得(そんとく)抜きで、友だちは大切(たいせつ)に。
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T:0254「プチプチ旅行」
 僕(ぼく)は、休みの日はプチ旅行(りょこう)をしようと思い立った。誰(だれ)にも邪魔(じゃま)されることのない一人旅(たび)。別に遠くへ行くわけじゃない。近場(ちかば)にだって、知らない場所はいっぱいあるはず。
 それは、駅(えき)の路線図(ろせんず)を見て気がついた。駅の名前は知ってるのに、一度も降(お)りたことのない駅がほとんどだ。これをひとつずつつぶしていくとどうなるのか。JRに私鉄(してつ)を合わせると、県内(けんない)だけでも相当(そうとう)ある。一回に二、三駅行くとしても、全部回るのに何年かかるだろう。そう考えただけで、俄然(がぜん)やる気が出てきてしまう。
 別に、僕は鉄道(てつどう)オタクでもなければ、旅好きというわけでもない。ただ知らない場所へ行ってみたいだけなのだ。きっとそこには、新しい発見(はっけん)があるはずだ。たぶん。だから、その場所が観光地(かんこうち)でなくても、全然(ぜんぜん)平気(へいき)だ。ときには、何の変哲(へんてつ)もない住宅地(じゅうたくち)の場合もあるだろう。でも、そんなところでも、きっと何かが見つかるはずだ。
 小さな発見をひとつずつ写真(しゃしん)に収(おさ)め、アルバムを増(ふ)やしていく。写真に短いコメントを付けておけば、その時のことがいつでもよみがえってくるはずだ。そして、子供たちに父親の偉業(いぎょう)を残すのだ。
 僕は、ふと思った。と言うか、その前にやることがあるだろって話。一人旅をする前に、彼女を見つけなきゃ。いや、彼女と二人旅のほうが断然(だんぜん)いいはずだ。
<つぶやき>好きな人と一緒(いっしょ)の旅。何て素敵(すてき)なんでしょう。二人だけの時間を楽しもう。
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T:0255「疑似空間」
 目に見えるものが真実(しんじつ)と、誰(だれ)もが信(しん)じて疑(うたが)わない。でも、見えているものが現実(げんじつ)とは限(かぎ)らない。転校生(てんこうせい)の家に遊びに来た三人も、何の疑いも持たなかった。
「なあ、こんなすげぇ家、いつ建てたんだ?」
 三個目のケーキに手をのばしながら大介(だいすけ)は言った。隣(となり)にいた香里(かおり)はあきれて、
「もう、食べ過(す)ぎよ。ちょっとは遠慮(えんりょ)しなさいよ」
「そうだ。僕(ぼく)の分も残(のこ)しといてよ」和宏(かずひろ)はマンゴーを手に取り、満面(まんめん)の笑(え)みをみせた。
「構(かま)わないさ。まだ沢山(たくさん)あるから」転校生の少年は三人の様子(ようす)を見ながら、「この家は、ついこの間、完成(かんせい)したばかりなんだ」
「ねえ、お母さんとかいないの?」香里は心配(しんぱい)そうに、「私たちだけで食べちゃっていいのかしら。後で、怒(おこ)られたりしない?」
 ひとしきり楽しく遊(あそ)んだ三人は、転校生の家を後にした。道々(みちみち)、誰かがポツンと言った。
「なあ、お腹(なか)空(す)かないか? さっき、あんなに食べたんだけどなぁ」
 ――転校生の家の中。そこは白一色の部屋(へや)に変わっていた。外から木漏(こも)れ日が差し込んでいた窓(まど)も、高そうな家具(かぐ)も全てなくなっている。その中にたたずむ少年。少年は止まったまま動こうとしなかった。そのうち、ノイズの音とともに少年の身体(からだ)は消えてしまった。
<つぶやき>この少年は何者(なにもの)なの。何をしにここへ来たのか。いや、本当(ほんとう)にそこにいたの?
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T:0256「引きこもりの神様」
「なあ、どうして天岩戸(あまのいわと)に引きこもっちゃったんだ?」神様(かみさま)の一人が訊(き)いた。
「なんか、時(とき)を数えるのに嫌気(いやけ)がさしたんだって」女神(めがみ)の一人が答(こた)えた。
「だって、時の神だろ。それが仕事(しごと)じゃないか。嫌になったからって、無責任(むせきにん)だよ」
「じゃ、俺(おれ)が岩戸(いわと)を壊(こわ)して、引きずり出してやるよ」闘(たたか)いの神が言った。
「壊したらダメよ。ここは私に任(まか)せて」水の神が言った。「水攻(ぜ)めにすれば出てくるわ」
 神様たちは、あれやこれやと知恵(ちえ)を絞(しぼ)ってみたが、なかなか意見(いけん)がまとまらない。
「こうなったら、昔(むかし)やったみたいに、みんなでどんちゃん騒(さわ)ぎして開けさせようよ」
 神様たちは、それがいいと賛成(さんせい)の手を上げた。でも、時の神をよく知る神様が、
「無理(むり)よ。あの神様、そういうの興味(きょうみ)ないし。どっちかっていうと静かな方が好きでしょ」
「そうだな。ほんと、時の神って付き合い悪(わる)いからなぁ」
「それは仕方(しかた)ないわ。時の神様が楽しんじゃうと、時間が早く進(すす)んじゃうじゃない」
「何とかしないと、時が止まったままじゃ大変(たいへん)なことになるぞ」
 美(び)の女神が控(ひか)え目に口をはさんだ。「ここは、様子(ようす)を見た方がいいんじゃないかなぁ。しばらく、そっとしておいてあげようよ」
 田(た)の神が美の女神に駆(か)け寄って言った。「あんたは、時が止まった方がいいからそんなことが言えるのよ。まさか…。純情(じゅんじょう)な時の神に、ちょっかいとか出したりしてないでしょうね」
<つぶやき>神様の世界でも、いろんなことがあるんです。人間と変わらないのかもね。
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T:0257「ひとめぼれ」
「彼は、篠崎勇太(しのざきゆうた)君。前の学校で、同じクラスだったの」
 私は、さゆりの声なんか全く耳(みみ)に入らなかった。目の前の男子(だんし)に釘付(くぎづ)け状態(じょうたい)。ていうか、私、始めて会った人を好きになっちゃうなんて信じられなかった。でも、これって一目惚(ひとめぼ)れってやつだよね。間違(まちが)いなく、私は恋に落(お)ちていた。
「ねえ、かず。聞いてるの?」さゆりは私の肩(かた)を叩(たた)いた。
「ああ…、うん。大丈夫(だいじょうぶ)よ。もう、ほんと…」私は何を言ってるんだろう。
 さゆりは彼に、「この子ね、相原一恵(あいはらかずえ)。あたしの親友(しんゆう)なの。ちょっと人見知(ひとみし)りでね」
「へえ、そうなんだ」彼は私の方を見つめて言った。「よろしくね」
 彼の声。私、好き…。ダメ、ダメよ。彼に見つめられると、何だが顔が熱(あつ)くなって…。私はさゆりの後ろに隠(かく)れてしまた。彼は、じゃあなって行ってしまった。私は何をやってるんだろう。何か言えばよかったのに…。
「勇太さ、陸上(りくじょう)やってるの。足はそんなに早くないけど、一生懸命(いっしょうけんめい)ってとこがいいのよね。それに、カメラが趣味(しゅみ)で…。そうだ。今度、撮(と)ってもらおうよ」
「えっ、私は……。それより、さゆりは彼のこと…、好きとか、そういうの…」
「そんなのないわよ。ただの友だち。彼が好きなのは虫(むし)よ。虫の写真を撮ってるんだから」
「ああ、そうなんだ。私、虫って好きだよ」ほんとは苦手(にがて)なのに。私、なに言ってるの。
<つぶやき>好きな人がやってること、気になりませんか? ちょっと覗(のぞ)いてみましょう。
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T:0258「前向きに検討…」
「どうも、お世話(せわ)になっております。その節(せつ)は、有難(ありがと)うございました」
 彼の声は何だがうわずっていた。あたしには分かるの。あたしはちょっと意地悪(いじわる)して、
「ねえ、昨夜(ゆうべ)は楽しかったね。今度は、どこへ連れてってくれるの?」
 あたしは甘(あま)えた声でささやく。彼の声はますますうわずってきて、
「いや…。その件(けん)につきましては、後日(ごじつ)こちらからご連絡(れんらく)をさしあげますので…」
 まだ昼間(ひるま)の時間だもの、きっと仕事中(しごとちゅう)なんだわ。周(まわ)りの人に気づかれないように、必死(ひっし)に誤魔化(ごまか)してる。彼の困(こま)っている顔が目に浮(う)かぶようだ。
 あたしはちょっと怒(おこ)った振(ふ)りをして、「そんなのイヤだ。待てない」
「あの、私の一存(いちぞん)では…。前向(まえむ)きに検討(けんとう)させていただきますので。では、失礼(しつれい)いたします」
 ――彼は電話を切り、カバンの中へスマホを投(な)げ入れた。彼のそばには別の女性が――。
 その女は彼の横(よこ)に座(すわ)ると、「仕事の電話でしょ。会社(かいしゃ)に戻(もど)らなくてもいいの?」
 彼は女を引き寄(よ)せると、「大丈夫(だいじょうぶ)だよ。もう少しここにいたいんだ」
 二人は唇(くちびる)を重(かさ)ねる。そして、名残惜(なごりお)しそうに見つめ合う。女はたまらなくなって彼を抱(だ)きしめると、耳元(みみもと)にささやいた。「今度は、いつ来てくれるの? 待たせちゃイヤよ」
 カバンの中では、スマホが二人を急(せ)き立てるように鳴(な)り出した。
<つぶやき>人は隠(かく)し事をするものなのか。程(ほど)ほどにしないと全てを失(うしな)うことになるかも。
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T:0259「一途(いちず)な思い」
「なんで…、何でよ」妃美香(ひみか)は洋一(よういち)の腕(うで)をつかんで訴(うった)えた。
 洋一は彼女の手を振りはらい、「お前とは別れるってことだよ。もううんざりなんだ」
 そこへ安男(やすお)か息(いき)を切らして駆(か)けつけて来て、「洋ちゃん、やめろよ」
 安男が妃美香を見ると、彼女は唇(くちびる)をかみしめて目に涙(なみだ)をためていた。安男は狂(くる)ったように洋一につかみかかり、
「妃(ひめ)は、お前のことほんとに好きなんだぞ! それを…」
 洋一は殴(なぐ)りかかってきた安男を、難(なん)なく打ちのめした。力の差は歴然(れきぜん)としていた。
 洋一は吐(は)き捨(す)てるように、「お前には関係(かんけい)ねえだろ。そうか、お前もこいつのこと…」
「こいつって言うな。妃は…、妃は…」
「好きにしていいぞ。こんな女、お前にやるよ。お前ならお似合(にあ)いかもな」
 洋一は、妃美香を無視(むし)して行ってしまった。妃美香の目から涙がこぼれる。
「何でよ。何で来るのよ」妃美香はかすれた声で言うと、安男の前にしゃがみ込んだ。
「だって、約束(やくそく)しただろ。妃を泣かす奴(やつ)がいたら、僕(ぼく)がぶん殴(なぐ)るって」
「いつの約束よ。そんな子供のときの約束なんて…。あたし、忘れたわ。もうやめてよね。あたし、あなたとなんか付き合うつもりないから」
 妃美香は立ち上がり、安男に背(せ)を向けてゆっくりと歩き出す。安男は彼女の心に届(とど)くように叫(さけ)んだ。「それでもいいんだ。僕は、忘れないから。絶対(ぜったい)、忘れない!」
<つぶやき>子供の頃に何があったのでしょ。彼の気持ちが、彼女に届くといいのですが。
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T:0260「乗り移り」
 私の中にはいつの頃(ころ)からか、もう一人の私がいた。その別の私は、私にいろんなアドバイスとかしてくれて。そのおかげか、良い旦那(だんな)にも出会えたし、それなりに幸せな日々を過(す)ごせていた。でもある日のこと、別の私が私にささやいたの。
「今日でお別れね。私、別の人のところへ行くわ」
 私は動揺(どうよう)した。別の私がいなくなったら、私はどうなるの。私は行かないでと頼(たの)んだ。
「それは無理(むり)よ。だって、あなたの寿命(じゅみょう)が尽(つ)きるから。その前に出て行かないと」
 私の身体(からだ)から、何かが出て行った感じがした。ふっと身体が軽(かる)くなったの。その直後(ちょくご)、私は気分が悪(わる)くなってトイレへ駆(か)け込んだ。
 病院(びょういん)で妊娠(にんしん)を告(つ)げられたのは、翌日(よくじつ)のことだった。旦那はすごく喜(よろこ)んだけど、私は何だか複雑(ふくざつ)な気持ち。だって、私の寿命はもうなくなってしまうんだよ。つわりもひどいし、私の気分は最悪(さいあく)の状態(じょうたい)だった。そんな時、また声が聞こえたの。今度は別の声。
「大丈夫(だいじょうぶ)だよ。あたしが守(まも)ってあげるから。心配(しんぱい)しないで」
 それは、お腹(なか)の中の赤ちゃんの声だった。私は、何だかホッとした。これで、一人ぼっちじゃなくなるんだ。赤ちゃんは、嬉(うれ)しそうに私にささやいた。
「これで、やっと身体を持つことができるわ。あたし、自由(じゆう)になるの。ありがとう、ママ」
<つぶやき>子供はいつか親から離(はな)れていく。産(う)まれたときから、それは始まるのです。
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T:0261「すれ違い」
「ねえ、私たちそろそろ…」恵里菜(えりな)は頬(ほお)を赤らめながら言った。
 隣(となり)で一緒(いっしょ)に飲んでいた友之(ともゆき)は、「あっ、そうだね。そろそろ帰ろうか」
「いや、そういうことじゃなくて…」恵里菜はじれったそうにしながら、「私、今日は、帰りたくないなぁ。何か、そんな、気分(きぶん)っていうか…」
 恵里菜は、今日こそ彼の気持ちを確(たし)かめようと思っていた。彼と付き合い始めて一年が過(す)ぎようとしている。なのに、彼ったら何もしようとしないの。キスだってまだだし、手を握(にぎ)ろうともしてくれない。私のこと、どう思ってるの?
 恵里菜は思い切って、「あの…、あのね。私たち…、付き合ってるんだよね」
 友之は一瞬(いっしゅん)考えてから、「まあ、ある意味(いみ)、そうなるのかなぁ。君と飲んでると楽しいし。ついついこっちも誘(さそ)っちゃうんだよねぇ。あっ、あんまり誘っちゃ悪(わる)かったかな?」
「いえ、それはいいのよ。別に、私も飲むの好きだし。でもね…」
「そうか」友之は何かを合点(がてん)したように、「そうだよな。悪かった。これからはなるべく…」
「なに? なに言ってるの?」恵里菜はますます彼の気持ちが分からなくなった。
「君(きみ)も、言ってくれればいいのに。そうだよなぁ。彼氏(かれし)とデートしたいよね」
「彼氏って…。えっ…? どういうこと? 私は、あなたと付き合ってるんだよね」
 友之は恵里菜を見つめたまま動けなくなった。彼女の気持ちが、やっと通じた瞬間(しゅんかん)だ。
<つぶやき>自分の思いを伝えるのは難(むずか)しい。相手(あいて)が同じ思いとは限(かぎ)らないしね。でも…。
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T:0262「初めての妊娠」
 夏美(なつみ)が深刻(しんこく)そうな顔でやって来た。私は、何だか嫌(いや)な予感(よかん)がした。
 夏美は微(かす)かな声で言った。「あたし、できちゃった」
「えっ、なに?」私は、彼女が何の話をしているのか理解(りかい)できず、聞き耳を立てた。
「だから、赤ちゃんができちゃったの。かず君に何て言えばいい?」
「あっ、そうなんだ。よかったじゃない。おめでとう。夏美がママになるなんて…」
 夏美は困(こま)ったような顔をして繰(く)り返した。「かず君にどう言えばいいかな?」
「なに? 悩(なや)むことなんかないじゃない。結婚(けっこん)してるんだし、ママになるんだよ」
「だって、かず君、子供(こども)なんか欲(ほ)しくないかもしれないし。どう切り出したらいいのか」
「夏美の旦那(だんな)って子供好(ず)きじゃない。絶対(ぜったい)喜(よろこ)んでくれるよ。そんなに考えすぎなくても。<できちゃった。てへっ>って笑(わら)っちゃえばいいのよ」
「そんなのダメよ。何だか、軽(かる)すぎるわ。あたし、そんな軽薄(けいはく)じゃないし」
「じゃあ…。<喜んで下さい。あなたの子供を授(さず)かりました>」
「何か、それも違(ちが)う気がする。とっても他人行儀(たにんぎょうぎ)だわ。もっと、他にないの?」
「何で私にそんなこと。私、結婚もしてないんだよ。分かるわけないでしょ」
「じゃあ、一緒(いっしょ)に来て。好恵(よしえ)がいてくれたら、かず君にちゃんと話せるかもしれない」
<つぶやき>こんな友だちでも、面倒(めんどう)をみてあげて下さい。彼女、テンパってるんです。
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T:0263「もうひとつの世界1」
 典子(のりこ)は自転車に乗って坂道(さかみち)を下(くだ)っていた。今日は彼とデートの日。都会(とかい)と違(ちが)って遊ぶ場所は少ないが、それなりに楽しむことはできる。彼女の胸(むね)はわくわくしていた。頬(ほお)をなでる風が心地(ここち)よく、道は右にカーブする。その時だ。突然(とつぜん)目の前が真っ白になった。
 どれくらいたったろう。典子が目を覚(さ)ますと、道路(どうろ)の上に倒(たお)れていた。何が起(お)こったのか全く分からない。彼女はゆっくり起き上がる。倒れた時に擦(す)りむいたのだろう、膝(ひざ)から血(ち)がにじんでいた。彼女は痛(いた)みをこらえて自転車に乗り、また走り出した。
 何かが違うと感じたのは、走り出して間もなくだった。いつも通る道なのに、いつもと違う。車が一台も通らないし、誰(だれ)とも出会わないのだ。こんなこと今まで一度もなかった。
 彼との待ち合わせの場所に着く。彼の姿(すがた)はそこにはなかった。驚(おどろ)いたことに、駅前(えきまえ)の通りなのに人影(ひとかげ)は全くない。この町の人はどこへ行ってしまったのか。彼女は不安(ふあん)になった。腕時計(うでどけい)を見る。でも、壊(こわ)れてしまったのか、秒針(びょうしん)が止まったままだ。
 典子は近くの店に駆(か)け込んだ。店の中には、やっぱり誰もいない。彼女は携帯(けいたい)で家に電話をしてみた。が、発信音すらしなかった。店の電話を使ってみても同じだった。彼女は、店にあった小さなテレビのスイッチを入れた。しかし、何も映らない。彼女は、片っ端(ぱし)から電気(でんき)のスイッチを入れてみる。彼女は愕然(がくぜん)とした。電気がきていないのだ。
 典子はハッとして店を飛び出すと、自転車に乗って自宅(じたく)へ急いだ。
<つぶやき>突然、別の世界へ迷(まよ)い込んでしまう。あなたの身にも起こるかもしれません。
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T:0264「もうひとつの世界2」
 あれから三カ月が過(す)ぎようとしていた。家族(かぞく)の行方(ゆくえ)も分からず、典子(のりこ)は寂(さび)しさに耐(た)えながら暮(く)らしていた。町のあちこちへ行ってみたが、人の姿(すがた)を見つけることはできなかった。
 電気や水道も使えない不便(ふべん)な生活(せいかつ)。それにもやっと慣(な)れてきた。日の出とともに起(お)き、暗くなれば眠(ねむ)りにつく。水は川から汲(く)んでくる。生活排水(はいすい)が出ないせいか、すごく澄(す)んだきれいな水になっている。食べ物は、スーパーからもらってくる。お肉(にく)や魚(さかな)、野菜(やさい)なんかはダメでも、缶詰(かんづめ)とか乾物(かんぶつ)、お菓子(かし)は食べ放題(ほうだい)だ。彼女一人なので、しばらくは大丈夫(だいじょうぶ)だろう。でも、健康(けんこう)のためにと、野菜を育てることにした。近くの畑(はたけ)を借(か)りて野菜の種(たね)を蒔(ま)いた。園芸(えんげい)初心者(しょしんしゃ)の彼女だが、そこは本屋で手引(てび)き書(しょ)を手に入れた。道具(どうぐ)はホームセンターへ行けばなんでも置いてある。
 生きていくメドもつき、これからのことを考える余裕(よゆう)もできた。事件(じけん)が起きたのは、そんな時だ。夜中(よなか)に、家の周(まわ)りで何かが動き回る気配(けはい)を感じた。ガタガタと物音(ものおと)がしたのだ。
 典子は眠れないまま朝を迎(むか)えた。恐(おそ)る恐る外へ出ると、家の周りにはこれといって異常(いじょう)はなかった。だが、畑へ行ってみて彼女は驚(おどろ)いた。収穫(しゅうかく)間近(まぢか)の野菜が荒(あら)らされ、無残(むざん)な状態(じょうたい)になっていたのだ。彼女は駆(か)け寄り調(しら)べてみたが、食べられそうな野菜はほとんどなかった。ふと周りを見ると、人の手ほどの足跡(あしあと)がいくつも残(のこ)されていた。
<つぶやき>あなたはこんな状況(じょうきょう)でも、生きていけますか? 生きる自信(じしん)はありますか?
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T:0265「もうひとつの世界3」
 犬(いぬ)や猫(ねこ)は、たまに見かけることはあった。でも、この辺りにクマのような大型の野生(やせい)動物がいるなんて、驚(おどろ)きだった。どこからやって来たのだろう。
 典子(のりこ)は、襲(おそ)われないために守(まも)りを固(かた)める必要(ひつよう)に迫(せま)られた。女一人の力でやれることは知れているが、それでも頑張(がんば)って家や畑の周りに柵(さく)をめぐらした。簡単(かんたん)に壊(こわ)されてしまうかもしれないが、それでも気休(きやす)めぐらいにはなるだろう。
 彼女の苦労(くろう)とは裏腹(うらはら)に、あれ以来(いらい)、生き物の気配(けはい)はなくなってしまった。どこか別の場所に移動(いどう)したのか、それとも近くにひそんでいるのか。気を緩(ゆる)めることはできない。
 典子は食料(しょくりょう)を調達(ちょうたつ)するために町へ出かけた。その途中(とちゅう)に、あの坂道(さかみち)がある。彼女は右カーブの手前で自転車(じてんしゃ)を止めた。ここから全てが始まったのだ。今まで、通るたびに元の世界へ戻(もど)れるのではないかと、はかない期待(きたい)を持っていた。だが、それがかなうことはなかった。今日もきっと…。彼女はため息をついて、自転車をこぎ出した。
 カーブに入ったとき、彼女は目を疑(うたが)った。ガードレールにぶつかるようにして車が止まっていたのだ。彼女は急いで駆(か)け寄り中を見た。人だ。男性がハンドルに頭をつけて、動く様子(ようす)はなかった。典子はそっとドアを開けて、男の身体(からだ)を揺(ゆ)すってみた。身体は温(あたた)かいので死んではいないようだ。彼女は、何だかほっとした。この人から、何かが分かるかもしれない。もしかしたら、元の世界に戻れるかも…。彼女は男に声をかけ続けた。
<つぶやき>希望(きぼう)の光が見えてきたのかも。この男はどこから来て、何者なのでしょう。
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T:0266「もうひとつの世界4」
「僕(ぼく)は、あなたを連(つ)れ戻(もど)しに来たんです。すぐに会えてよかった」
 典子(のりこ)の家で傷(きず)の手当(てあ)てを受けながら男は言った。彼女は嬉(うれ)しくて涙(なみだ)が出そうになるのをグッとこらえて、微笑(ほほえ)んだ。これでやっと家族(かぞく)に会うことが出来る。彼にも…。
「本当(ほんとう)に帰れるんですか? 私、帰れるんですね」
 疑(うたが)っているわけではないのだか、彼女はまだ信じられないのだ。男は肯(うなず)いて、
「もちろんです。さあ、行きましょう。もう、あまり時間がないんです」
「はい。でも、少し待って下さい。荷物(にもつ)をまとめて…」
「そんな時間はありません。急(いそ)がないとあいつらに――」男は突然(とつぜん)口をつぐんだ。そして、何かを誤魔化(ごまか)すように彼女の手を取り、「さあ、行きましょう」
 二人は家を出ると、外に停(と)めておいた車へ向かった。そして、乗り込もうとしたその時、どこからともなく叫(さけ)び声がして、目の前に大きな黒いものが飛び出してきた。毛むくじゃらのその生き物は男に襲(おそ)いかかり、男は数メートル跳(は)ね飛ばされた。典子は足がすくんで声も出ない。その生き物は彼女を見ると、のそのそと近づいて来た。典子は後退(あとずさ)る。その時、車のエンジン音が聞こえた。一瞬(いっしゅん)の間(ま)もなく、男は猛(もう)スピードで車を発車(はっしゃ)させた。
 ――いつの間にか動物たちに取り囲(かこ)まれて、典子はその場にしゃがみ込むしかなかった。
<つぶやき>典子はどうなるのか。男は助けに来てくれるのでしょうか。彼女の運命(うんめい)は?
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T:0267「もうひとつの世界5」
 動物(どうぶつ)たちは鼻(はな)をヒクヒクさせて、典子(のりこ)の臭(にお)いを嗅(か)いでいた。もう逃(に)げ道はなかった。彼女は震(ふる)える声で、「何なの…。私を食べたって美味(おい)しくないわよ」
 動物たちの間(あいだ)をかき分けるように一匹の小さな犬(いぬ)が典子の前に進み出ると、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。犬が笑(わら)うなんて信じられないことだが、彼女にはそう見えたのだ。小さな犬は頭をかしげると、口を開いた。「間(ま)に合ってよかったよ」
 犬がしゃべった! それが合図(あいず)のように、回りの動物たちも良かった良かったと連呼(れんこ)する。典子は、何が何だか分からなくなった。犬は前足で地面(じめん)をかきながら言った。
「あいつらには近づかない方がいい。とっても危険(きけん)なんだ」
「危険って…。あなたたちの方が…、よっぽど」
「俺(おれ)たちは何もしないよ。あんたを助(たす)けたかっただけだ」
「なに言ってるの。あの人は、私を元の世界へ戻すために…」
「あいつらは、あんたの仲間(なかま)じゃないよ。臭いがまるっきり違(ちが)うんだ」
 周(まわ)りの動物たちも口々に、<いやな臭いだ。吐(は)き気がするよ。鼻が曲(ま)がりそうだ>
 典子は悲(かな)しくなってきた。涙が頬(ほお)をつたう。犬は慰(なぐさ)めるように彼女の頬(ほお)をなめて、
「心配(しんぱい)ないよ。俺たちが守ってやるから。あんたはヒロシと同じ臭いだ。俺たちの味方(みかた)」
 典子は、暑苦(あつくる)しいくらい側(そば)に寄(よ)ってくる動物たちを押(お)しやりながら、
「分かったから、こないで。向こうへ行ってよ。もう、なめないで…」
<つぶやき>望(のぞ)みを絶(た)たれて落ちこむ典子です。でも、哀(かな)しんでいても仕方(しかた)ありません。
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T:0268「もうひとつの世界6」
 やっと落ち着いた典子(のりこ)は、この世界(せかい)のことを動物(どうぶつ)たちから聞かされた。今、この世界を支配(しはい)しているのはモドキと呼(よ)ばれる連中(れんちゅう)で、彼らは地面(じめん)の下からやって来ていた。そして、地上(ちじょう)にいるものをさらって行くという。まさに、典子もさらわれるところだったのだ。
 今まで典子と同じ人間が大勢(おおぜい)連れて行かれ、誰(だれ)一人戻って来ることはなかった。ただ一人を除(のぞ)いて。その一人というのが、動物たちがヒロシと呼ぶ人物(じんぶつ)だった。
 ヒロシは町外れの研究所(けんきゅうしょ)にいたようだ。典子は、そんな研究所があるなんて全く知らなかった。彼女は動物たちに訊(き)いてみた。
「そのヒロシという人は、まだそこにいるの?」
「ああ、そこで眠(ねむ)っているよ。――俺(おれ)たちのところへ戻って来たときには瀕死(ひんし)の状態(じょうたい)で、もうどうすることもできなかった。ヒロシは最後(さいご)に言ったんだ。ゲートを捜(さが)せと」
「ゲート? それは、何なの?」
 動物たちは鳴(な)き声を上げた。小さな犬は、典子の手に前足を置くと、
「別の世界とつながる入口さ。あんたは、その別の世界から来たんじゃないのか?」
「うん、たぶん。ねえ、そのゲートが見つかれば、私は自分の世界へ戻れるのかな?」
「やっぱりそうか――」犬はひと声吠(ほ)えると、「反撃(はんげき)のときが来た!」と叫(さけ)んだ。
<つぶやき>これからどうなるのか? ヒロシという人物がカギをにぎっているのかも。
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T:0269「もうひとつの世界7」
 その研究所(けんきゅうじょ)は、森の中に隠(かく)れるように建(た)っていた。動物(どうぶつ)たちは典子(のりこ)をここまで連れて来ると、何のためらいもなく建物(たてもの)の中へ入って行った。
 典子は、少し足がすくんだ。何となく薄気味悪(うすきみわる)く、いやな感じがしたからだ。あの犬が、典子の足に身体(からだ)をこすりつけて、「さあ、行こう。ここなら、あいつらも来ないさ」
 建物の中にはいくつもの扉(とびら)があった。開いている扉から中を覗(のぞ)くと、わけの分からない機械(きかい)が並(なら)んでいた。一番奥(おく)の部屋へ動物たちは入って行く。その部屋の中は広く、大きな機械が回りをぐるりと囲(かこ)んでいて、色とりどりのランプが点滅(てんめつ)を繰(く)り返していた。
 典子は不思議(ふしぎ)に思った。ここには電気(でんき)がきている。何でここだけ…。呆気(あっけ)にとられている典子に構(かま)わず、動物たちは機械の前のそれぞれの定位置(ていいち)についた。
「さあ、あんたの席(せき)はそこだよ」
 小さな犬は、部屋の中央(ちゅうおう)に置かれた椅子(いす)へ目線(めせん)をやる。
「あの椅子はとても座り心地(ごこち)がいいんだ。あんたのためにあるような椅子さ」
 典子は促(うなが)されるまま、その椅子に座った。確(たし)かに座り心地はいい感じだ。ふと、彼女は気づいた。この椅子にはいろんなコードがつながれていることに。その時だ。四匹の猿(さる)が飛び出して来て、典子の手足(てあし)に取りつき、留(と)め具(ぐ)で動けなくしてしまった。
 典子は突然(とつぜん)のことに驚(おどろ)き、動揺(どうよう)して叫(さけ)んだ。「何するの! 外(はず)しなさいよ。外して――」
<つぶやき>この世界では、何が起こるか分からないです。誰(だれ)が敵(てき)で、誰が味方(みかた)なのか。
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T:0270「もうひとつの世界8」
 典子(のりこ)はもうろうとする意識(いしき)のなかで、動物(どうぶつ)たちの声を聞いていた。
「なぜだ? なぜ動かない! 手順(てじゅん)を確認(かくにん)するんだ」
 この声は、あの犬(いぬ)だ。私をこんな所へ連れて来て、何をしようとしているの? 典子は身体(からだ)を動かしてみた。でも、留(と)め具(ぐ)のせいで自由(じゆう)に動けない。どうやら、椅子(いす)の背(せ)もたれが倒(たお)され、横(よこ)に寝(ね)かされているようだ。突然(とつぜん)、お腹(なか)の上に何かが飛び乗ってきた。
「どうだい、気分(きぶん)は?」典子の目の前にぬっと顔を出した犬が、皮肉(ひにく)たっぷりに言った。
 典子はか細(ぼそ)い声で、「私に、何をしたの。どうするつもりよ…」
「まだ分かっていないようだな。俺(おれ)たちが捜(さが)していたゲートは、あんたなんだよ」
「私が、ゲート? 何よ、それ」
「この装置(そうち)を動かすには、あんたが必要(ひつよう)だったのさ。だからここへ連れて来た。この装置が動き出せば、あいつらを根(ね)こそぎ倒すことができるわけさ」
「あいつらって、あのモドキとかいう…」
「ヒロシもきっと喜(よろこ)んでくれるだろう。これで、この世界は俺たちのものになるんだ」
 その時、部屋の中にボールのようなものが転(ころ)がり込んできた。それは、大きな音をたて、回りながら白い煙(けむり)を勢(いきお)いよく噴射(ふんしゃ)した。瞬(またた)く間に、何も見えなくなってしまった。
<つぶやき>誰(だれ)かが助けに来てくれたのか? この装置は、いったい何なのでしょうか。
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T:0271「もうひとつの世界9」
 典子(のりこ)は聞き覚(おぼ)えのある声を聞いた。何度(なんど)も何度も自分の名前(なまえ)を呼んでいる。
 典子は大きく息(いき)をつくと、目を覚(さ)ました。彼女の目の前にいたのは、
「神谷(かみや)君…。神谷君なの? どうしてここに…」
 典子が驚(おどろ)くのも無理(むり)はない。そこにいたのは、彼女の恋人(こいびと)だったのだ。その青年(せいねん)は、
「もう大丈夫(だいじょうぶ)。あいつらは逃(に)げて行きましたから。しばらくは戻って来ないでしょう」
 典子は涙(なみだ)があふれてきて、思わず彼に抱(だ)きついた。その時だ。どこからか声が聞こえた。
「お取り込み中、申(もう)し訳(わけ)ないんだが…。お邪魔(じゃま)してもいいかな?」
 突然(とつぜん)、装置(そうち)のパネルが外(はず)れて、中から白髪(はくはつ)の老人(ろうじん)が顔を出した。老人は装置の中から這(は)い出すと大きく伸(の)びをして、「やれやれ、やっとそろったな。これで、仕事(しごと)に取りかかることができる」
「あなた、誰(だれ)なの?」典子は恐(おそ)る恐る訊(き)いた。
「わしか? わしは、神崎(かんざき)じゃ。あいつらにはヒロシと呼ばれていた。まあ、時の番人(ばんにん)ってとこかな。ちなみに、その青年はあんたの恋人じゃないぞ。あんたの孫(まご)だ」
 典子は青年の顔を見た。青年はにっこり微笑(ほほえ)む。彼には分かっていたようだ。
「さあ、始めるぞ。あいつらが戻って来る前に修正(しゅうせい)するんだ」
 老人と青年は装置の前に立って、ボタンを押(お)したりダイヤルを回したり、忙(いそが)しく動き回る。それにつれてランプの点滅(てんめつ)が変化(へんか)していく。典子はあっけにとられるばかりだった。
<つぶやき>何がどうなっているの? でも、やっと信用(しんよう)できる人たちが現れて、一安心(ひとあんしん)?
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T:0272「もうひとつの世界10」
「さて、これでいい。では、神野典子(かんののりこ)さん、ここに座(すわ)ってくれるかな?」
 老人(ろうじん)は作業(さぎょう)を終(お)えると、彼女にあの椅子(いす)に座るように促(うなが)した。でも典子は、
「いやよ。どういうことかちゃんと説明(せつめい)して下さい。あなたたちは誰(だれ)なの?」
「わしらは、あんたも含(ふく)めてだが、時間を見守(みまも)る役目(やくめ)をもっているんだ。今、時間の流(なが)れに、ちょっとしたズレが生(しょう)じていてね。それを修正(しゅうせい)するために、わしらが集(あつ)められたんじゃ」
「そんなこと、私は知らないわ。訳(わけ)の分からないことを言わないで」
「君には時間を修正する能力(のうりょく)があるんじゃ。この装置(そうち)で、その能力を増幅(ぞうふく)してだな…」
 典子は信じられないという顔をしていた。それを見て青年(せいねん)は、
「この世界(せかい)では、動物(どうぶつ)と人間(にんげん)が戦争(せんそう)を始めている。これを止めないと時間のバランスが崩(くず)れて、他の世界にどんな影響(えいきょう)を与(あた)えるか分からないんだ。だから…」
 この時、入口の方から何かがぶつかる大きな音が響(ひび)いた。そして、引っかくような音も。
「ここへ来た時、記憶(きおく)の一部が消えてしまったんだよ。でも、ちゃんと元(もと)に戻(もど)るから。それは、僕(ぼく)が保証(ほしょう)する。ごめんね、おばあちゃん。こんなことしたくないんだけど――」
 典子は自転車(じてんしゃ)に乗って坂道(さかみち)を下(くだ)っていた。右カーブを曲(ま)がり終え、彼女は腕時計(うでどけい)を見た。
「もうこんな時間? 急がないと、遅(おく)れちゃうわ」典子はペダルを力一杯(ちからいっぱい)踏(ふ)み込んだ。
<つぶやき>時間のすき間で、記憶に残ることのない出来事(できごと)が起きているかもしれません。
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T:0273「疑惑の花束」
 ある日のこと、夫(おっと)は花束(はなたば)をかかえて帰って来た。そして私に言ったの。おめでとうって。
 今日は私の誕生日(たんじょうび)でもなければ、結婚記念日(けっこんきねんび)でもない。私には思い当たることが全くないの。それに、夫はそんなことで花束を買ってくるような、そんな気遣(きづか)いができるような人じゃ。夫は、私の反応(はんのう)が鈍(にぶ)いのを見て何かを感(かん)じたらしく口をつぐんだ。私は訊(き)いたわ。
「ねえ、これって…。どうしたの?」
「いや、違(ちが)うんだ。これは…、ほら、いつもいろいろしてもらってるから、感謝(かんしゃ)のしるし?」
「へえ、そうなんだ。でも、さっき、おめでとうって言ったよね?」
 私の質問(しつもん)に、夫は聞こえない振(ふ)りをして、そそくさと寝室(しんしつ)へ引っ込んだ。絶対(ぜったい)あやしい。何かを隠(かく)してるのは確(たし)かだわ。そう言えば、誰(だれ)かが言ってた。夫が妙(みょう)に優(やさ)しくなる時は、何かやましいことがある時だって。私の夫も…、ついに来たんだ。
 いいわ。ここは、じっくりと問(と)いただして…。夫婦(ふうふ)の間で隠しごとはしないって、ちゃんと約束(やくそく)してあるんだし。夫は寝室から出て来ると、さっきのことには全くふれずに、
「ああ、お腹空(なかす)いちゃったよ。今日の晩飯(ばんめし)は何かな?」
「さあ、何でしょう? あなたの答(こた)え方ひとつで、変わってくると思うわよ」
 夫は一瞬(いっしゅん)ひるんだようだ。すかさず私は言ってやったわ。
「私は、あなたの妻(つま)よ。ちゃんと説明(せつめい)して下さい。この花、何なのかしら?」
<つぶやき>隠しごとはやめましょう。だって、すぐ傍(そば)にいるんだから。秘密(ひみつ)はなしです。
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T:0274「人生を考える」
 小学生の娘(むすめ)が両親(りょうしん)を前にして質問(しつもん)した。「ねえ、パパと、ママと、どっちが偉(えら)いの?」
 両親は一瞬(いっしゅん)ビクッとしたが、すかさずパパが先手(せんて)をとった。
「そりゃ、パパの方(ほう)なんだぞ。なんたって、この家の総理大臣(そうりだいじん)なんだから」
「あら、そうとは限(かぎ)らないのよ」ママは抜(ぬ)け目なく、「この家の大蔵大臣(おおくらだいじん)がいなきゃね」
 娘は二人の顔を見較(みくら)べて、何か考えているようだ。パパは父親の威厳(いげん)を見せようと、
「パパには、家族(かぞく)を守(まも)るという大切(たいせつ)なお仕事(しごと)があるんだ。そのためにパパは、毎日遅(おそ)くまで働(はたら)いているんだぞ」
 ママはせせら笑(わら)って言った。「守るって。――パパのお仕事だけじゃやっていけないのよ。だから、ママもパートで頑張(がんば)ってるの」
「なに言ってんだよ。どうせ、暇(ひま)つぶしでやってるだけじゃないか」
「あなたこそ、無駄遣(むだづか)いばっかして。そんなんだから、いつまでたっても…」
 娘は大きくため息(いき)をついて、もういいからと自分(じぶん)の部屋へ行ってしまった。
「あなたがいけないのよ。毎晩(まいばん)飲み歩いてるくせに、偉(えら)そうなこと言って」
「何だよ。お前だって、子供ほっといて好き勝手(かって)してるじゃないか」
 その時、娘が部屋から顔を出して言った。「静(しず)かにして、勉強(べんきょう)してるんだから。私、偉くなることに決(き)めたの。普通(ふつう)の人生(じんせい)がいかにつまらないかって、よーく分かったから」
<つぶやき>人生を考えるのに、早過(はやす)ぎるってことはないのかも。大きな夢(ゆめ)を持ちましょ。
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T:0275「喫煙喫茶」
 その店は人目(ひとめ)につきにくい場所(ばしょ)にあった。店構(みせがま)えは喫茶店(きっさてん)だが、<未成年者(みせいねんしゃ)と禁煙者(きんえんしゃ)はお断(ことわ)り>の張(は)り紙(がみ)が入口(いりぐち)に貼(は)ってあった。店の名前が「喫煙喫茶(きつえんきっさ)」となっているので、まあ納得(なっとく)はできる。
 店内(てんない)はさぞかし煙(けむり)が充満(じゅうまん)しているのかと思ったが、まったく普通(ふつう)の喫茶店と変わるところはなかった。ただ、テーブルごとに透明(とうめい)の仕切(しき)りで囲(かこ)まれ、焼き肉店のように煙出しの設備(せつび)がそれぞれについている。
 メニューを見てみると、国内はもとより、海外(かいがい)の主立(おもだ)った煙草(たばこ)の銘柄(めいがら)がずらりと並んでいた。それぞれが、1本単位(たんい)で注文(ちゅうもん)できるようだ。メニューの最後(さいご)には、コーヒーなどの飲み物が申し訳程度(ていど)に載(の)っている。
 店内には静かなBGMが流れ、座り心地(ごこち)の良いソファーに座って煙草(たばこ)を楽しむ。ここはそんな愛煙家(あいえんか)のお店のようだ。常連客(じょうれんきゃく)の中にはいろんな煙草の違(ちが)いを楽しむ人もいるそうで、煙草の香(かお)りや味(あじ)、煙のたちかたで銘柄(めいがら)を当ててしまう煙草マイスターも存在(そんざい)する。
 普通に煙草を買うよりは割高(わりだか)かもしれないが、この場所の雰囲気(ふんいき)、居心地(いごこち)のよさを考えれば納得(なっとく)できる値段(ねだん)なのかもしれない。分煙(ぶんえん)が叫(さけ)ばれている昨今(さっこん)、ここが愛煙家の最後の砦(とりで)になることは間違(まちが)いないだろう。まだまだ愛煙家には厳(きび)しい時代(じだい)が続くようだ。
<つぶやき>煙草は、マナーを守って楽しみましょう。吸い過ぎには注意(ちゅうい)してください。
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T:0276「手掛かり」
 刑事(けいじ)たちは強盗犯(ごうとうはん)のアジトに踏(ふ)み込んだ。折(おり)しも、人質(ひとじち)の女性にナイフを突(つ)き立てる寸前(すんぜん)だった。刑事たちの奮闘(ふんとう)により、犯人(はんにん)たちは全員逮捕(たいほ)された。
 人質の女性は、縛(しば)られていた縄(なわ)をほどかれてほっとした顔で言った。
「もう、遅(おそ)いです。もう少しで、あたし、殉職(じゅんしょく)するところだったんですよ」
「ばか野郎(やろう)! お前が勝手(かって)な行動(こうどう)をとるからだろう」先輩(せんぱい)の刑事は一喝(いっかつ)した。
「すいませんでした」新米(しんまい)刑事はふて腐(くさ)れた顔でちょっとだけ反省(はんせい)したが、「でも、手掛(てが)かりを追(お)って来てくれたんですよね。さすが、先輩」
「何の話だ? そんなの知らんぞ」
「だって、あたし、ちゃんと手掛かりになるように、残(のこ)しておいたじゃないですか」
「なに言ってんだ。いいから、行くぞ」
「えっ。だって、あたしちゃんと分かるように、一枚ずつ落としておいたでしょ」
「はぁ? お前、また何かやらかしたんじゃないだろうな?」
「だから、あの、トラックに押(お)し込められたとき、ちょうどお金が入ってる袋(ふくろ)があって…」
 刑事の顔色(かおいろ)が変わった。「まさか、それをばらまいたとか言うんじゃないだろうな?」
 新米刑事は肯(うなず)いた。先輩の刑事は新米のえり首(くび)をつかんで、
「いくらまいたんだ? お前、始末書(しまつしょ)だけじゃすまないぞ。すぐに拾(ひろ)ってこい!」
<つぶやき>仕事熱心(ねっしん)なのはいいんですよ。でも、命(いのち)を落としては何にもなりませんから。
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T:0277「銀座小町」
 銀座(ぎんざ)商店街の一角(いっかく)に大勢(おおぜい)の若い男たちが集まっていた。彼らは派手(はで)なブランドの服で着飾(きかざ)って、香水(こうすい)の匂(にお)いなんかをプンプンさせていた。全身(ぜんしん)コーデを合わせると、何十万とか何百万とかかかっていそうである。
 その中に、一人だけ場違(ばちが)いな感じでリクルートスーツの若者がいた。彼はキョロキョロとあたりを見回して、側(そば)にいた男に訊(き)いた。
「あの、これって何かの面接(めんせつ)ですか?」
 その男は自分の髪(かみ)をなでつけながら、「そうだよ。見りゃ分かるだろ」
「ああ、なるほど。で、何の会社(かいしゃ)なんですか? 僕(ぼく)、今就活(しゅうかつ)中で…」
「この商店街の銀座小町(こまち)だよ。おめえ、知らねえのかよ」
「えっ、銀座小町? それって、どういう職種(しょくしゅ)ですかね?」
「この商店街の八百屋(やおや)だよ。そこの看板娘(かんばんむすめ)なんだ。絶世(ぜっせい)の美人(びじん)なんだよ」
「ああ、八百屋なんですか。そうか、八百屋か。それくらいなら僕にも…」
「おめえには無理(むり)だろ。こいつら見てみろ。この中から一人しか選(えら)ばれないんだ」
「はあ、なるほど。それは相当(そうとう)な倍率(ばいりつ)ですね。大丈夫(だいじょうぶ)です。こう見えて僕、何社(なんしゃ)も受けてますから。面接には場慣(ばな)れっていうか。まあ、全然(ぜんぜん)、採用(さいよう)してもらえないんですけど…」
 ――数日後、その八百屋の店先(みせさき)に、この若者が立っていた。どうやら採用されたようだ。だが、銀座小町とお付き合いすることになったかは、定(さだ)かでない。
<つぶやき>美人には男がむらがるようで。でも、彼女は普通(ふつう)の男性が好みだったのかも。
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T:0278「初デート」
 おじいちゃんは、孫娘(まごむすめ)を連れて散歩(さんぽ)を楽しんでいた。少し離(はな)れた前方(ぜんぽう)には、まだ学生(がくせい)なのだろう恋人(こいびと)らしき男女が歩いている。おじいちゃんはその二人を見て言った。
「あのガキ、なにもたもたしとるんじゃ。すっと手ぐらいにぎらんか」
 前にいる男の子は、女の子の手を取ろうと、何度も手を出したり引っ込めたりしていた。
「わしの若(わか)い頃(ころ)は、有無(うむ)も言わさず抱(だ)きついたもんじゃ。全(まった)く、度胸(どきょう)のない」
「おじいちゃん。今は、昔(むかし)と違(ちが)うのよ。そんなことしたら、そく振(ふ)られちゃうんだから」
 男の子は、覚悟(かくご)を決(き)めたのか大きく息(いき)をして、手をすっとのばす。だが、そのとき風(かぜ)が吹(ふ)いてきて、女の子は乱(みだ)れた髪(かみ)に手をやった。目標(もくひょう)を失(うしな)った男の子の手は空(くう)をつかんだ。
「なにやっとるんじゃ。よし、こうなったらわしが手本(てほん)を見せてやろう」
 孫娘はおじいちゃんの腕(うで)をつかんで、
「やめてよ。何するの? 邪魔(じゃま)したらダメよ」
「今時(いまどき)の男は軟弱(なんじゃく)すぎていかん。だから女の尻(しり)に敷(し)かれるんじゃ」
 孫娘はクスッと笑(わら)い、「そうね。おじいちゃんも、おばあちゃんには頭あがらないもんね」
「なに言っとる。わしは、婆(ばあ)さんの顔をたてとるだけじゃ。それより、お前はどうなんだ。この間(あいだ)連れて来た、何とかっていう、へらへらしとる奴(やつ)――」
「そんな言い方しないで。彼、とってもいい人よ。私の言うこと何でもきいてくれるし」
<つぶやき>男は優(やさ)しいだけではダメ。ぐいっと引っ張っていくたくましさも必要(ひつよう)かもね。
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T:0279「昨日の好き」
「もしもよ…。もしも過去(かこ)へ戻(もど)れるとしたら、いいと思わない?」
 恵麻(えま)はメガネを掛(か)け直しながら言った。彼女は妙(みょう)な発想(はっそう)をすることがある。訊(き)かれた良太(りょうた)は、ちょっとばかり返答(へんとう)に躊躇(ちゅうちょ)した。
「だから、あたし考えたの。もしも、ものすごい速(はや)さで地球(ちきゅう)の自転(じてん)と反対方向(はんたいほうこう)へ回ったら、過去へ戻れるんじゃないかって。だって、日付変更線(ひづけへんこうせん)を逆(ぎゃく)に通るのよ。そう思わない?」
「あの、ちょっとそれは違(ちが)うんじゃないかな」
「どうして。良太は過去へ戻りたくないの? あたしは、もう一度やり直したい」
「そんなこと言われても…。あの、でもね。ほら、宇宙ステーションは一日に何回も地球を回ってるじゃない。でも、時間は地上(ちじょう)と変わらないよね」
「それは、宇宙にいるからでしょ。もういいわ。良太は、あたしのこと嫌(きら)いになったのね」
「だから、そういうことじゃなくて。僕(ぼく)はただ、ちょっと距離(きょり)をおいて…」
「だったら、こうしましょ。あたしたちが初めて会った場所(ばしょ)へ戻るの。そしたら――」
「もういい加減(かげん)にしてくれよ。そんなことしても…」
「やってみなきゃ分からないわ。ねえ、一緒(いっしょ)に行ってくれるよね。あたしたちやり直すの」
「いや。僕は行かないよ。僕たち、前へ進まなきゃ。過去に囚(とら)われてたら何もできない」
「過去があるから今があるのよ。昨日(きのう)だって、あたしのこと好きだって言ったじゃない」
<つぶやき>心変(こころが)わりはいつ起こるか分からない。彼の心をしっかりつかんでおきましょ。
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T:0280「待ち合わせ」
 駅前(えきまえ)の広場(ひろば)。ここは恋人(こいびと)たちの待ち合わせの場所(ばしょ)になっている。今日もまた、多くの恋人たちが夜の街(まち)に消えていった。でも、一人だけぽつんと立っている男性。どうやら、彼女がまだ来ていないようだ。
 彼は、もう一時間も待っていた。でも、彼はイライラするでもなく、彼女に電話をすることもしなかった。彼の顔は穏(おだ)やかで、時に笑(え)みを浮(う)かべることもあった。どうやら、何か考えごとでもしているのか、一人でいることを楽しんでいるように見えた。
 そこへ彼女がやって来た。彼女は、彼を見つけると駆(か)け寄って来て、息(いき)をはずませながら言った。「ごめんなさい。なかなか仕事(しごと)が終わらなくて」
 彼は別に怒(おこ)るでもなく、「いいよ。全然(ぜんぜん)、大丈夫(だいじょうぶ)。じゃあ、帰ろうか」
「えっ?」彼女が驚(おどろ)くのは当然(とうぜん)だ。彼女は、「これから食事(しょくじ)に行くんじゃないの?」
「でも、もう君(きみ)とフルコースを食べ終わっているし。家まで送って行くよ」
「私、いま来たところよ。お腹(なか)ペコペコなんですけど」
「そうか。君って食欲旺盛(しょくよくおうせい)なんだね。じゃあ、軽(かる)くラーメンとか、どう?」
「何でそうなるのよ。私が遅(おく)れたらか、そんな意地悪(いじわる)言うの?」
「そんなことないよ。君とのデートを想像(そうぞう)してたら、それでお腹(なか)いっぱいになっちゃって」
<つぶやき>妄想(もうそう)だけで満足(まんぞく)。お金がかからなくていいんですけど、彼女のことも考えて。
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T:0281「主婦道」
 娘(むすめ)は実家(じっか)へ帰るなり母親に愚痴(ぐち)をこぼした。
「もう、あんな人だとは思わなかったわ。ねえ、聞いてよお母さん」
 母親は、娘にそっとお茶(ちゃ)を出して、黙(だま)って娘の話に耳を傾(かたむ)けた。
「あたしの言うことなんか全然(ぜんぜん)聞いてくれないし。何度注意(ちゅうい)しても、服(ふく)は脱(ぬ)ぎっぱなしで、家事(かじ)の手伝(てつだ)いなんか少しもしてくれないの。結婚前は、ほんとマメな人だったのに――」
 母親は娘の愚痴が一通(ひととお)り終わると口を開いた。「それで、あなたはどうしたいの?」
「離婚(りこん)よ、離婚。あたし、あの人とはもうやっていけない」
 母親は少しも驚(おどろ)かず、静かな口調(くちょう)で言った。「そう。そうしたければすればいいじゃない。でも、あなたもまだまだね。歳(とし)を重(かさ)ねると、そんな些細(ささい)なことどうでもよくなるものよ」
「お母さんは、そうかもしれないけど。あたしは、イヤなの」
「夫(おっと)を自分の思い通りにさせようなんて思っても、無駄(むだ)なことよ。しょせんは別の人間(にんげん)なんだから。それより、上手(うま)く付き合っていくコツをつかまなきゃ」
 娘は口をへの字に曲(ま)げて、「じゃあ、どうすればいいの? 教えてよ」
「そんなこと自分で考えなさい。お母さんから言えることは…。そうね、男は些細なことでも誉(ほ)めてあげると喜(よろこ)ぶものよ。あなたも、そんな仏頂面(ぶっちょうづら)してないで、いつも笑(わら)っていなさい。笑う門(かど)には福(ふく)が来るんだから」
<つぶやき>母親は主婦(しゅふ)の先輩(せんぱい)でもあるんです。何か学べることがあるかもしれませんね。
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T:0282「うちのトド」
 我(わ)が家(や)にはトドがいる。それは、休日になると出現(しゅつげん)し、いつも喧嘩(けんか)の元(もと)になっていた。
「ねえ、たまには手伝(てつだ)ってよ」私はトドに向かってお願(ねが)いする。すると、
「休みの時ぐらいいいだろ。のんびりさせてくれよ」トドは私の方を見ようともしない。
 私だって働(はたら)いてるのよ。掃除洗濯(そうじせんたく)は休みの日にしっかりやっておかないと、家の中が大変なことになるじゃない。私はぶつぶつと、トドに聞こえるように呟(つぶや)いた。
 トドは完全無視(かんぜんむし)で、テレビに夢中(むちゅう)になっている。私はため息(いき)をつく。せめて、どっかへ出かけるとかしてくれないかなぁ。そうすれば、少しは家事(かじ)もはかどるはずよ。新婚(しんこん)の頃(ころ)は、あんなにマメだったのに。きっと、私が甘(あま)やかしたからいけないのね。
 トドはテレビに飽(あ)きたのか、起き上がってウロウロしはじめた。出かけるのかと思いきや、台所(だいどころ)でゴソゴソと…。今度は何よ。私はしばらく観察(かんさつ)を続(つづ)ける。トドは何かを探(さが)しているようだ。冷蔵庫(れいぞうこ)を開けたり、閉めたり。最後(さいご)には私に向かって、
「なあ、昨夜(ゆうべ)のプリンどうした? お前、食べただろ」
 なに言ってるの。あれは私の分(ぶん)でしょ。私は、喉元(のどもと)まで出かかったのをグッとこらえた。
 トドは平然(へいぜん)と言ってのける。「買ってきてくれないかな。コンビニに行けばあるだろ」
 ふざけんじゃねえ。自分で行きなさいよ。私は、飼育員(しいくいん)じゃないんだから――。
<つぶやき>トドでもやる時はやるんだと、やる気を見せないと餌(えさ)の質(しつ)が落ちちゃうから。
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T:0283「人生の選択」
「人生(じんせい)に正解(せいかい)なんてないんだよ。だから、楽しいんじゃないか」
 人生の岐路(きろ)に立たされた私は、祖母(そぼ)のこの言葉(ことば)に救(すく)われた気がした。さすが、おばあちゃん。良いことを言うわ。でも、私の悩(なや)みが消えたわけじゃ…。
「でもね、おばあちゃん。仕事(しごと)をとるか、結婚(けっこん)をとるか。どう決めればいいの?」
「そんないい人ができたのかい? ぜひ、会ってみたいもんだ」
「いないわよ。いないけど、そうなった時のために訊(き)いてるの」
「それは残念(ざんねん)」
 祖母は私の心の中を見透(みす)かしたように、「どちらかに決めなきゃいけないのかい。私だったら、両方(りょうほう)とっちゃうけどね。その方が、いっぱい幸せがつかめるかもしれないじゃない」
「それは無理(むり)よ。だって、向こうがやめろって言ってるし。私に両立(りょうりつ)なんて」
「そうかい。もし、あんたがそう思ってるんだったら、結婚をとりなさい。でもね、最初(さいしょ)からあきらめてたら、つまんない人生になってしまうかもしれないよ」
「私はおばあちゃんと違(ちが)うの。要領(ようりょう)も悪(わる)いし、普通(ふつう)の主婦(しゅふ)でいいの」
「私はごめんだね。分かりきった人生なんて、つまんないものよ。人生の選択(せんたく)は無限(むげん)にあるわ。二つだけじゃなくて、三つも四つも、もっとあるかもしれない」
 おばあちゃんは私の頬(ほお)に両手(りょうて)をあてて、「いっぱい悩んで、自分で選(えら)ぶのよ。いい?」
<つぶやき>人生にはいろんな岐路がある。自分にとって何が幸せなのか、考えてみよう。
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T:0284「家庭の平和」
 父親は靴(くつ)をはきながら、隣(とな)りに座っている息子(むすこ)に話しかけた。
「お前は立派(りっぱ)な大人(おとな)になれよ。そして、世(よ)のため人のために役(やく)に立つ人間になるんだ」
 小学生の息子は靴に足を滑(すべ)り込ませると、「うん。お父さんみたいにね」
「ああ、そうだな。でもな、お前は…」父親は声を落として、「優(やさ)しい嫁(よめ)さんをもらえ」
 息子は首(くび)をかしげたが、「お父さんは、お母さんの役に立ってるよね」
「……まあ、ある意味(いみ)、そうなんだけどなぁ」
 その時、奥(おく)から母親が顔を出した。
「あなた、まだいたの? 早くしないと。ほんと愚図(ぐず)なんだから」
「ああ、今、出かけるところだよ。じゃあ、行こうか」
 父親は息子の手を取ると、玄関(げんかん)の扉(とびら)を開けた。すかさず母親が、
「ちょっと、それ!」
 と、玄関に置かれたゴミ袋を指(ゆび)さした。
 父親は、「ああ」と言って、もう片方(かたほう)の手でゴミ袋をつかんだ。
「今日は、可燃(かねん)ゴミの日よ。もう、あなたの仕事(しごと)なんだから、忘(わす)れないでよ」
 父親はグッとこらえて笑顔(えがお)を作り、「分かってるよ。じゃあ、行ってきます」
 家を出ると息子が言った。「お父さんも大変(たいへん)だね。お仕事、がんばってよ」
<つぶやき>家庭(かてい)の平和(へいわ)のために、父親は頑張(がんば)っているのです。そこのところ、よろしく。
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T:0285「なぜ私なの」
「なぜ私に決めたの?」
 彼女は告白(こくはく)してきた彼に訊(き)いた。「他に女性は沢山(たくさん)いるでしょ。なのになぜ私なの?」
 訊かれた彼は、一瞬(いっしゅん)戸惑(とまど)った。こんな質問(しつもん)されるとは思ってもいなかったのだ。
「だから…、君のことが好きになったからだよ。それじゃ、いけないのかな?」
「もっと具体的(ぐたいてき)に言ってくれない。それじゃ答(こた)えになってないわ」
 彼は考(かんが)えた。「君(きみ)って…、可愛(かわい)いし、それに一緒(いっしょ)にいると楽しいだろうなって…」
「確(たし)かに、私は可愛いって言われたことはあるわ。でも、可愛いから一緒にいて楽しくなるって、どうして言えるの。そんな根拠(こんきょ)はどこにもないはずよ。私じゃなきゃいけないところはないの? あなた、そんないい加減(かげん)な気持(きも)ちで私に告白したの?」
「いや…。別に、そんなつもりで言ったわけじゃ」
「じゃあ、私じゃなきゃいけないところをあげてみて。私のどこを好きになったの?」
「どこって…。それは、あれだ。あの――」
 口ごもった彼を見て、彼女はため息(いき)まじりに言った。
「その程度(ていど)なのね。それで、私のこと本当(ほんと)に好きだって言えるの? 手近(てぢか)なところに可愛い子がいないから、私に目をつけただけなんじゃないの」
「好きになるのに理由(りゆう)なんていらないだろ。黙(だま)って俺(おれ)と付き合えよ!」
<つぶやき>なぜ好きになるんでしょ。外見(がいけん)が可愛いから、それとも…。不思議(ふしぎ)ですよね。
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T:0286「ピュアな心」
 朝早く、男の部屋の呼(よ)び鈴(りん)が何度も鳴(な)った。男は誰(だれ)だよと言いながら、眠(ねむ)い目をこすってドアを開ける。外に立っていたのは若(わか)い女。彼女は、笑(え)みを浮(う)かべて言った。
「やっと見つけたわ。どうして逃(に)げたのよ。あたし、待ってたんだから」
 男は眠気(ねむけ)が一気(いっき)に覚(さ)めて、しどろもどろになりながら言った。「なっ、何で、どうして?」
 男はすぐにドアを閉めようとするが、女はそれを阻止(そし)して部屋に乱入(らんにゅう)した。
 女は男に詰(つ)め寄(よ)り、「あなたのせいで、あたし、誰も愛(あい)せなくなったのよ」
「そ、そんなこと言われても…」
「あなた、私のこと愛してるって言ったよね。一生(いっしょう)幸せにするって」
「いや、そ、それは…。覚(おぼ)えてないなぁ。たぶん、酔(よ)ってて――」
「何よそれ。あんなことまでしておきながら、そんな言い逃(のが)れができると思ってんの!」
「俺(おれ)が何したって言うんだ。君(きみ)のこと愛してるなんて、俺が言うはずないじゃないか」
「責任(せきにん)とって! あたしと結婚(けっこん)しなさい。でなきゃ、あたし…」
「それは無理(むり)だよ。だって、君は俺のタイプじゃないし」
「はぁ?!」女は男を睨(にら)みつけて、「だったら返しなさいよ。あたしの、この清(きよ)らかな…」
「待ってよ。ちょっと抱(だ)きついただけじゃないか。それだけなのに、むちゃ言うなよ」
<つぶやき>純真無垢(じゅんしんむく)な彼女にとって、これは一大事(いちだいじ)的なことだったのかもしれません。
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T:0287「冬の楽しみ」
 冬になると、会社の近くに焼き芋(いも)屋さんがやって来る。私はこの時期(じき)、いつもランチの後(あと)の焼き芋を楽しみにしていた。熱々(あつあつ)のところをほおばって、これがまた美味(おい)しいの。焼き芋はスイーツよ。誰(だれ)が何と言っても、これだけははずせないわ。
 今日もまた、私は焼き芋屋さんの車を見つけて駆(か)け出した。
「おじさん、一個ちょうだい」私は声をかけた。でも、そこにいたのは…。
「あれ? 君(きみ)って、もしかして、いつも電車(でんしゃ)で一緒(いっしょ)になる――」
 私はへらへらになってしまった。そこにいたのは、朝の電車で見かける人。私が素敵(すてき)だなって、ちょっと気になっていた彼だった。何で、彼がこんなところに…。
「叔父(おじ)さん、腰(こし)やっちゃってね。今日は、僕(ぼく)がピンチヒッターなんだよね」
 今日は、なんてラッキーなんだろう。素敵な彼と、こんな間近でおしゃべりできるなんて。私は焼き芋を手に、夢見心地(ゆめみごこち)で会社へ戻った。
「あれ、君、焼き芋好きなんだ」嫌味(いやみ)な上司(じょうし)が私に声をかけてきた。
 そこで初めて気づいたの。いつもなら近くの公園(こうえん)で食べる焼き芋を、会社まで持って来てしまったことを。それに、一番知られたくなかった上司に見つかってしまった。今日から、イモ娘(むすめ)なんて呼(よ)ばれるかもしれない。私はとっさに、近くの後輩(こうはい)へ芋を押(お)しつけて、
「買って来てあげたわよ。これからは、ちゃんと自分で買いに行ってよね」
<つぶやき>彼から受け取った焼き芋なのに、他の人にあげちゃうなんて。残念(ざんねん)ですよね。
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T:0288「隣の神様」
 私の家の隣(となり)には神様(かみさま)が住(す)んでいる。そのことを知ったのは、四月の下旬(げじゅん)。私が遅刻(ちこく)しそうになった時だった。もう完全(かんぜん)にアウトだったのに、神様が私を会社(かいしゃ)まで飛(と)ばしてくれた。おかげで余裕(よゆう)でセーフになった。それ以来(いらい)、何か困(こま)った時にはお願いすることにした。
 月末(げつまつ)でピンチの時には、各地(かくち)の名産品(めいさんひん)を届(とど)けてもらい。うちでパーティを開いた時は、部屋の飾(かざ)り付けや豪華(ごうか)な料理(りょうり)までそろえてもらっちゃった。おかげで、友だちからもうらやましがられ、何だかセレブな気分(きぶん)を味わうことができた。
 年末の大晦日(おおみそか)。ポストに一通(いっつう)の封筒(ふうとう)が入れられていた。封筒には差出人(さしだしにん)がなく、私の名前だけが書かれている。不審(ふしん)に思い中を見てみると、一枚の請求書(せいきゅうしょ)が入っていた。私は、その金額(きんがく)を見て驚(おどろ)いた。70万! 何なのよ、これ…。明細(めいさい)を見てみると、名産品各種(かくしゅ)、パーティ料理、輸送代(ゆそうだい)などなど――。
 これって、もしかして…。私は隣の神様のところへ急いだ。お金がかかるなんて、聞いてないんだから。でも、隣には誰(だれ)もいなくて、どうやら引っ越したようだ。私はホッとした。これで払(はら)わなくてもいいかも、ラッキーっ。部屋へ戻ると、私はもう一度請求書を見てみた。すると、一番下の蘭(らん)に但(ただ)し書きが――。
<もし期限(きげん)までに支払(しはらい)がない場合は、あなたの寿命(じゅみょう)から引き落とさせていただきます>
<つぶやき>神様だって、いろいろと経費(けいひ)がかかるんです。お願いは慎重(しんちょう)にしましょうね。
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T:0289「何でそうなるの?」
 夫(おっと)が帰宅(きたく)すると、待っていた妻(つま)が言った。「ねえ、あたしのこと愛(あい)してる?」
 夫は一瞬(いっしゅん)ビクッとした。別にやましいことがあるわけじゃない。それは断言(だんげん)できる。でも、突然(とつぜん)そんなことを面(めん)と向かって言われると、何かあるのかと勘(かん)ぐってしまう。今日は、特別(とくべつ)な日ではないと思うのだが…。妻は、夫の反応(はんのう)に不満(ふまん)なのか、さらに言う。
「ちゃんと答(こた)えて。あたしのこと、愛してますか?」
 夫は、ぎこちなく答える。「ああ…。もちろん、愛してるさ」
「そう。分かった」妻は満足(まんぞく)げに微笑(ほほえ)むと、夫から離(はな)れていく。夫は妻を呼(よ)び止めて。
「ちょっと、何なの? 何かあるなら、はっきり言えよ」
「別にないわよ。ただ、テレビで言ってたの。夫婦(ふうふ)の間(あいだ)で、愛の確認(かくにん)は大切(たいせつ)だって。声に出して相手(あいて)に伝えるだけでも、離婚(りこん)の危機(きき)を何パーセントか回避(かいひ)できるって」
「離婚って? えっ、俺(おれ)たち、そんなこと――」
 夫はあたふたして、妻のことをどんなに大事(だいじ)にしているかを力説(りきせつ)した。そして、最後(さいご)に夫は妻に訊(き)いた。「俺のこと、愛してるよな?」
 妻は、わずかに微笑(ほほえ)んだだけで、そのまま台所(だいどころ)へ行ってしまった。夫は追(お)いかけて、
「なあ、どうなんだよ。俺のこと、愛してるだろ? 愛してるって、言ってくれ」
 妻は夕食の準備(じゅんび)をしながら、「そうね…。もう少し、考えさせて」
<つぶやき>こういうとき、女性の方が抜(ぬ)け目がないのかもしれません。見習(みなら)いたいです。
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T:0290「心強い味方」
 かすみは部活(ぶかつ)へ向かう先輩(せんぱい)を呼び止めた。そして震(ふる)える手で、手紙(てがみ)を差(さ)し出し、「あの…、これ、読(よ)んで下さい」
 先輩の顔なんか、まともに見られない。
 先輩は手紙を受け取り言った。「君って、柄本(えのもと)かすみだよな」
 かすみは驚(おどろ)いて顔をあげる。まさか、自分の名前(なまえ)を知ってるなんて。だって、話(はな)しもしたことないし、私は遠(とお)くから見てただけなのに…。先輩は微笑(ほほえ)んで、
「妹(いもうと)と友(とも)だちなんだろ。あいつ、いつも君(きみ)のこと話してたから」
 妹って? だれ? 誰(だれ)のことなの…。かすみの頭の中で、この言葉(ことば)がグルグルと駆(か)けめぐった。友だちって…、えっ…、もしかして、真奈(まな)のこと?
 真奈とは、この告白(こくはく)を勧(すす)めてくれた親友(しんゆう)だった。ダメモトじゃない、告白すべきよって、先輩に渡(わた)した手紙だって一緒(いっしょ)に考えてくれた。かすみは何も言えずに駆け出した。
 教室(きょうしつ)に戻(もど)ったかすみは、そこで待っていた真奈に詰(つ)め寄り、息(いき)を切らしながら言った。
「何で! 何で言ってくれなかったの。真奈のお兄(にい)さんなんて、知らなかったよ」
「あら、バレちゃった? でも、ちゃんと受け取ったでしょ」
「そ、それは、受け取ってくれたけど。いやいや、そんなことより、言ってよ。あたし…」
「大丈夫(だいじょうぶ)よ。兄貴(あにき)のことは誰よりも知ってるから。今度、家に遊(あそ)びに来ない?」
<つぶやき>こんなことってあるんでしょうか。憧(あこが)れの先輩と急接近(きゅうせっきん)なんて。最高(さいこう)です。
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T:0291「せっかち姫」
 昔々(むかしむかし)、あるところにせっかちな眠(ねむ)り姫(ひめ)がいました。姫は眠りならが思いました。
「百年なんて、眠ってられないわ。目が覚(さ)めたとき、おばあちゃんになってるかもしれないじゃない。早く来て、あたしの王子様(おうじさま)!」
 そんな願(ねが)いがかなったのか、城(しろ)に一人の王子がやって来ました。王子は姫の眠る部屋を見つけると、足音(あしおと)を立てながら入って来ます。姫はドキドキしながら、運命(うんめい)の瞬間(しゅんかん)を待ちました。王子はベッドの横にひざまずくと、姫の顔をしげしげ覗(のぞ)き込みます。
 その時です。姫はどうしても待ちきれず、薄目(うすめ)を開けて王子の顔を見てしまいました。
「これが王子様なの! こんなぶくぶくの顔なんて見たくもないわ。眉毛(まゆげ)なんかへの字に曲(ま)がって、まるで形の崩(くず)れた案山子(かかし)じゃない。絶対(ぜったい)イヤ、こんな人と一緒(いっしょ)になるなんて」
 姫は願いました。「百年ちゃんと待ちますから、この人のお嫁(よめ)さんにしないで!」
 王子の顔が間近に迫(せま)ってきました。絶体絶命(ぜったいぜつめい)です。姫は身体(からだ)をこわばらせます。どんどんタラコ唇(くちびる)が近づきます。鼻息(はないき)も聞こえてきました。もうダメです。姫はたまらず、両手で王子を押(お)しやると叫(さけ)びました。「あんたなんか大嫌(だいきら)いよ! 今すぐ出て行きなさい!」
 飛び起きた姫は、精悍(せいかん)な顔の王子がそこにいたので驚(おどろ)きました。それは、理想(りそう)以上の男性でした。姫は居住(いず)まいを正すと、恥(は)ずかしそうに言いました。
「ごめんなさい。嫌(いや)な夢(ゆめ)を見ていただけなの。お願い、あたしをひとりにしないで!」
<つぶやき>何ごとも慌(あわ)てるのはいけません。しなやかな身のこなしでアピールしましょ。
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T:0292「爆弾娘」
 社内(しゃない)の若者(わかもの)たちが新年会(しんねんかい)を開いていた。そこへ、ひとりの女性が入って来た。彼女を見るなり、その場にいる人たちのざわめきが聞こえた。
「誰(だれ)だよ。あいつを誘(さそ)ったのは?」男性のひとりがささやいた。
「幹事(かんじ)の斉藤(さいとう)だろ。あいつ、なに考えてんだよ。爆弾(ばくだん)娘を呼ぶなんて」
 それは、社内恒例(こうれい)の忘年会(ぼうねんかい)のとき。酔(よ)っぱらった彼女が叫(さけ)んだのだ。
「山崎(やまさき)部長は、部下(ぶか)と不倫(ふりん)をしています。そんなこと、許(ゆる)してもいいんですか!」
 その場では酔っぱらいのたわごとで済(す)ませたが、どうやら社内調査(ちょうさ)が入ったようだ。年明けを待たずして、山崎部長は異動(いどう)の辞令(じれい)を受けることになった。
「そういえば、斉藤は忘年会のときいなかったからなぁ」
「それにしたって、噂(うわさ)ぐらい聞くだろう。これだけ、社内中に広まってるんだから」
「あれ、斉藤じゃないか? 何だよ。あいつ、爆弾娘に話しかけてるぞ」
「おい、彼女にビールをすすめてるぞ。斉藤、起爆(きばく)装置(そうち)のスイッチを入れるつもりか?」
 側(そば)にいた人たちが、さり気なく斉藤を会場(かいじょう)から連れ出したのは言うまでもない。
 実(じつ)のところ、彼女の酒癖(さけぐせ)のことを知っている誰かが、不倫のことを耳打(みみう)ちしたのだろう。彼女は、酔っぱらっていた時のことは全く覚(おぼ)えていないようだ。次は、誰が犠牲(ぎせい)になるのかと、社内中が戦々恐々(せんせんきょうきょう)、疑心暗鬼(ぎしんあんき)となっていた。
<つぶやき>一番迷惑(めいわく)してるのは彼女かもしれません。お酒は程(ほど)ほどにしておきましょう。
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T:0293「最終電車」
 電車(でんしゃ)の中でうとうとしていた私。微(かす)かに駅(えき)の名前が繰(く)り返し聞こえてきた。私はハッと目が覚(さ)める。その駅名は、私の家とは反対方向(はんたいほうこう)の駅だったのだ。駅のアナウンスが、最終(さいしゅう)電車であることを告(つ)げていた。私は急いで扉(とびら)へ向かった。しかし、無情(むじょう)にも私の鼻先(はなさき)で扉は閉まってしまった。
 私は扉から外を見た。でも、その景色(けしき)は何だか歪(ゆが)んでいて、まるで知らない駅のようだ。私は次の駅で降(お)りようと思った。だが、どういうわけか次の駅名が思い出せない。車内の路線図(ろせんず)を見てみたが、何だかぼやけていてはっきり見えない。
 次の駅で電車が停(と)まると、私はホームに降り立った。何だかおかしな感じだ。駅名がどこにも書かれていないし、木造(もくぞう)の駅舎(えきしゃ)は昭和(しょうわ)のレトロの雰囲気(ふんいき)を漂(ただよ)わせている。駅員(えきいん)に訊(き)こうと駅舎(えきしゃ)へ向かう。改札口(かいさつぐち)は自動改札(じどうかいさつ)ではなかったので、私はそのまま外へ出た。
 駅員らしき人物(じんぶつ)が、掲示板(けいじばん)に何かを貼(は)っているのが見えた。私は側(そば)へ行ってみる。最初(さいしょ)、少し高い所に見えたので、脚立(きゃたつ)にでも乗っているかと思った。でも、そうではなかった。驚(おどろ)いたことに、その人物の下半身(かはんしん)がなくなっているのだ。上半身(じょうはんしん)だけが宙(ちゅう)に浮(う)いた感じ。
 そこで、私は目が覚めた。何でこんな変な夢(ゆめ)を見てしまったのか。でも、私はホッとした。無事(ぶじ)に家に帰ることができたから。あまりにもリアルな夢の話です。
<つぶやき>電車に乗っていると、ついつい眠くなってしまいます。気をつけましょう。
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T:0294「お買い物」
 子供(こども)を連れてスーパーへお買い物。今日の晩(ばん)ご飯(はん)は何にしようかな?
 あれこれと、店内(てんない)を回ってカゴに商品(しょうひん)を入れていく。家計(かけい)を預(あず)かる身(み)としては、なるべく安くていいものを買わないといけない。私はふっとカゴの中を見た。すると、知らないうちにお菓子(かし)の箱(はこ)が入っている。私はその箱を手に取り、子供に聞こえるようにつぶやいた。「おかしいわね。この子、いつの間(ま)に入ったのかしら?」
 子供は知らん顔して、私の方を見ようともしない。私は続ける。
「きっと連れて行ってほしかったのね」
 子供はここぞとばかり、「きっとそうだよ。僕(ぼく)もそう思う。連れて行ってあげようよ」
 私は残念(ざんねん)そうにつぶやいた。「でもね、今日は連れて行けないわ」
 子供は悲(かな)しそうな顔をして、「どうして?」って訊(き)いてくる。
「だって、今日はこの子の順番(じゅんばん)じゃないんだもん」
「順番って? でも、きっと家に来たがってるよ。かわいそうじゃない」
「でもね、順番はちゃんと守(まも)らないといけないわ。そう思わない?」
 子供はまだ納得(なっとく)してないようだ。私は少し考え込んでから言った。
「この子の順番は…。きっと明日ぐらいだと思うわ。それまで待っててもらおうよ」
 子供はしぶしぶ肯(うなず)いた。私は、「じゃあ、ものと場所に帰してあげよ。お願(ねが)い」
<つぶやき>子供の頃(ころ)、買ってとせがんだことありませんか? 親(おや)になるといろいろと…。
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T:0295「彼女の本心」
 彼女の行動(こうどう)には一定(いってい)のパターンがある。喫茶店(きっさてん)で飲むものはハーブティー。食事(しょくじ)はいつもの場所(ばしょ)で、いつものメニュー。飲み物は梅酒(うめしゅ)サワー。僕(ぼく)が他(ほか)のを勧(すす)めても、そこは絶対(ぜったい)に譲(ゆず)らない。ちょっと頑固(がんこ)なところがある。
 でも、彼女の場合、それを他の人には押(お)しつけない。僕が脂(あぶら)ぎった料理(りょうり)を食べていても、あんまり食べ過(す)ぎないでね、と軽(かる)く釘(くぎ)を刺(さ)すだけ。それも怒(おこ)った顔じゃなくて、笑(え)みを浮かべて。そうなると、僕の方も無茶(むちゃ)なことができなくなる。
 彼女は時間にも正確(せいかく)だ。待(ま)ち合わせは、必(かなら)ず十五分前には着いている。だから僕も、待ち合わせをするときは細心(さいしん)の注意(ちゅうい)を払(はら)う。彼女を待たせるわけにはいかないから。それでも、ときに遅刻(ちこく)してしまうときもある。
 いつだったか、十分ほど遅刻したことがあった。待ち合わせの場所に着いたら、そこに彼女の姿(すがた)はなかった。僕は慌(あわ)てて連絡(れんらく)する。すると彼女は、
「今日は帰ります。また誘(さそ)ってくださいね」って、怒った素振(そぶ)りも見せずに電話を切る。
 それ以来(いらい)、僕は遅れるときには必ず連絡することにしている。
 そんな寛大(かんだい)な心を持っている彼女。でも、ふと考えてしまうのだ。彼女は、僕のことをどう思ってるんだろう。いつも穏(おだ)やかな顔をして、我慢(がまん)とかしてるんじゃないのかなぁ。彼女の本心(ほんしん)がどこにあるのか、僕はとっても知りたいです。
<つぶやき>喧嘩(けんか)するほど仲(なか)が良い。思ってることは、ちゃんと伝えた方がいいのかも。
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T:0296「バス停にて」
 学校の近くのバス停(てい)で、私はそわそわしながら彼を待っていた。彼といっても、別に付き合ってるわけじゃない。私の片思(かたおも)いなの。今日こそちゃんと告白(こくはく)して。でも…、たぶんムリ。だから、昨夜(ゆうべ)遅(おそ)くまでかかって手紙(てがみ)を書いた。
 もうそろそろ彼が来るはず。クラブ終(お)わりの今しかチャンスはない。早く来てほしいけど、でも――。そんな時、突然(とつぜん)声をかけられた。私が振(ふ)り向くと、そこには同じクラスの友だちが…。何で、こんな時間にいるのよ。その友だちは首(くび)をかしげながら、
「あれ、朋香(ともか)って、こっちじゃないよね。どうしたの、こんなとこで?」
 私は何て答(こた)えればいいのか一瞬(いっしゅん)迷(まよ)った。でも、「あの、ちょっと、こっちに用(よう)が…」
「そう。じゃあ、一緒(いっしょ)に乗(の)ろう。よかった。この時間、知ってる子いなくて」
 どうしよう。私は友だちの話に肯(うなず)きながら必死(ひっし)に考えた。彼女に告白のことを打ち明けようかとも思ったが、そんなことしたらクラス中に広(ひろ)まってしまいそうで…。
 あれこれ考えて、私がふと顔をあげると、彼女の後に彼が、あの彼が立っていた。彼は私たちに声をかけた。私の緊張(きんちょう)は最高潮(さいこうちょう)に達(たっ)した。友だちがそれに応(こた)えて、
「何だ、ヒロ君じゃない。もう、脅(おど)かさないでよ。意地悪(いじわる)なんだから――」
 二人が楽しそうに話しているのを聞きながら、私は気持(きも)ちが落(お)ち込んでいくのを感じた。
<つぶやき>二人はどういう関係(かんけい)なんでしょ。友だち、それとも恋人(こいびと)なのかもしれません。
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T:0297「植物の声」
 とある密林(みつりん)の奥地(おくち)で新種(しんしゅ)の植物(しょくぶつ)が発見(はっけん)された。驚(おどろ)くことに、その植物は人間の心の中へ語(かた)りかけることができた。どうして意志(いし)が人間に伝(つた)わるのか、まだ解明(かいめい)されていない。
 だが、ある企業(きぎょう)はそれに目をつけた。その植物の種(たね)を手に入れると、栽培(さいばい)に乗(の)り出したのだ。思ったよりも栽培は難(むずか)しくはなかった。犬(いぬ)や猫(ねこ)より手がかからず、友だちのようにおしゃべりができるとあって、都会(とかい)を中心(ちゅうしん)に爆発的(ばくはつてき)ブームとなった。
 人間たちは植物に日頃(ひごろ)のうっぷんや愚痴(ぐち)をこぼし、植物たちは人間を慰(なぐさ)め励(はげ)まし続けた。この関係(かんけい)はとても良好(りょうこう)なものに思えた。だが、人間はもともと飽(あ)きっぽいもの。いつしか、人間たちはこの植物を疎(うと)ましく思うようになった。人間たちは水を与(あた)えるのをやめ、植物の口を閉(と)じさせた。最後(さいご)には、捨(す)てられたり燃(も)やされたり、顧(かえり)みられることはなかった。
 植物たちは、自分(じぶん)たちを守(まも)るために立ち上がった。驚くべき速(はや)さで進化(しんか)をとげたのだ。あるものは乾燥(かんそう)に耐(た)えるように形を変え、あるものはヘビのようにツルを伸(の)ばして窓(まど)から外へ、新天地(しんてんち)を求(もと)めて飛(と)び出した。
 ある部屋(へや)で見つかったものは、人間の背丈(せたけ)よりも大きくなっていた。植物の中心は肥大化(ひだいか)し、口のような穴(あな)が上を向(む)いている。家の中のいたるところにツルが伸び、それがうごめいていた。そして、ここに住(す)んでいたはず家族(かぞく)は、忽然(こつぜん)と姿(すがた)を消していた。
 植物たちは世界中に広まった。彼らは人間たちに語りかける。「お前たちは必要(ひつよう)ない!」
<つぶやき>この地球(ちきゅう)にいるのは人間だけじゃない。足下(あしもと)にも、小さな生命(いのち)はあるのです。
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T:0298「アヘの使い道」
 淑子(よしこ)は青木(あおき)の顔を見るなり言った。「ねえ、あたしの<アヘ>を返(かえ)して!」
 青木はとぼけるように、「何の話だよ。俺(おれ)には分かんないなぁ」
「あなたがちょっと貸(か)して欲(ほ)しいって言ったから、あたしは…」
 青木はちょっと脅(おど)すように、「だから、<アヘ>なんて知らないって言ってるだろ」
「あたしの<アヘ>をあんなことに使うなんて。返してよ、あれはあたしのなんだから」
「うるさいな。俺が<アヘ>をどう使おうと、お前には関係(かんけい)ないだろ」
「冗談(じょうだん)じゃないわよ。<アヘ>はあたしのものよ。あなたの勝手(かって)にはさせないわ」
「あの<アヘ>が、お前のものだって証拠(しょうこ)がどこにあるんだ。名前でも書いてあるのか?」
「何てこと言うの。あの<アヘ>は絶対(ぜったい)あたしのよ。誰(だれ)だって知ってるんだから」
「ふん。証拠がないんじゃ、返すわけにはいかないな。まだまだ、あの<アヘ>には使い道があるんでね。せいぜい稼(かせ)がせてもらうよ」
「あなたって人は、最低(さいてい)ね。あなたがそのつもりなら、あたしにも考えがあるわ」
「何だよ。お前に何ができるっていうんだ。指(ゆび)でもくわえて見てろ」
「このままじゃ、すませないから。絶対に取り返してやる。見てらっしゃい!」
 淑子は青木をにらみつけると、足早に部屋から出て行った。
<つぶやき>アヘってなに? 彼女にとってとても大切(たいせつ)なものなのかも。気になります。
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T:0299「家庭のエコ」
 夫(おっと)は時に壮大(そうだい)な夢(ゆめ)を語(かた)るときがある。今日は何の話かしら。
「なあ、エコ住宅(じゅうたく)を建(た)てよう。太陽光発電(たいようこうはつでん)で電気(でんき)を作って、蓄電池(ちくでんち)があればなおいいよな。それに、バリヤフリーも必要(ひつよう)だよ。俺(おれ)たちの老後(ろうご)のためにも。それと、もちろん耐震設計(たいしんせっけい)にしないとな。あと、サンルームも作って。ああっ、そうなると庭(にわ)も考えないとなぁ」
 私は夫の考えに一つずつうなずいて見せる。そして、最後(さいご)に私は言うの。
「それ、いいわねぇ。私も住(す)んでみたいわ。じゃあ、あなたのお小遣(こづか)い、少し減(へ)らしてもいいかしら? そしたら、その夢かなうかもしれないわ」
 夫は慌(あわ)てて、「ちょっと待ってよ。それはないだろ。ただでさえ削(けず)られてるのに」
 私はにっこり笑(わら)うと、「じゃあ、今度の休みにでも、住宅展示場(てんじじょう)へ行ってみない?」
 夫はキョトンとした顔で私を見る。私は落ち着き払って、
「どのくらいかかるか調(しら)べないと。目標(もくひょう)が決まれば、後はそれに向かって突(つ)き進むだけよ」
 私はこれでも堅実(けんじつ)な性格(せいかく)なの。何とかやりくりして、貯金(ちょきん)も少しはあるわ。それに、何か楽しみがないと人生(じんせい)つまんないじゃない。家を建てるっていいかもしれない。
 夫は小声になり、「でも、これはあくまでも夢なんだから。そんな無理(むり)しなくても…」
 夫は口ばっかりのところがある。でも、私はそんな彼のこと、嫌(きら)いじゃないわよ。
<つぶやき>男は夢を語り、女は現実(げんじつ)を見る。て、誰(だれ)かが言ってました。同じ夢、見ましょ。
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T:0300「別れた彼」
 一年ぶりに別れた彼と出会った。街中(まちなか)で偶然(ぐうぜん)だったけど、なんかチャラチャラした女と腕(うで)を組(く)んで歩いていた。こいつ、まだこんなことやってんだ。私は何だかおかしくなった。
 でも、その女って、一年前の私なんだよね。私もチャラチャラしてたから。そう考えてみると、なんか若気(わかげ)の至(いた)りっていうか、複雑(ふくざつ)な感じ?
 あっ、いけない。彼と視線(しせん)が合ってしまった。私はさり気(げ)なく顔をそらす。彼は、気づいていないのか、そのまま私の横(よこ)を通り過(す)ぎる。何でよ、普通(ふつう)気づくよね。私の顔、見たじゃない。もう、信じられない。私のことを無視(むし)するなんて。
 私、なに怒(おこ)ってんのかな? もう彼とは何でもないのに。別れたのだって――。もういいわ、そんなこと。でも、私ってそんなに変わったのかな?
 私は、ショーウィンドウに自分の姿(すがた)をうつしてみる。そりゃ、一つ歳(とし)を取って、着ている服(ふく)だって落ち着いた感じになってるけど、私は私よ。別にそんなに変わってなんか…。
 私は、彼の横にべったりとくっついていた女のことを思い出す。あれは、まだ二十歳(はたち)そこそこって感じだったわ。まったく、若い女なら誰(だれ)だっていいんだから――。
 えっ、もしかして…。私、おばさんになったってこと? 街中を闊歩(かっぽ)しているおばさんに分類(ぶんるい)されてるって――。違(ちが)う。絶対(ぜったい)違うわよ。私は、まだ若いんだから。
 私は、ショーウィンドウの自分に言い聞かせた。
<つぶやき>大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。あなたはあなたなんだから。素敵(すてき)な人生(じんせい)を過ごしましょう。
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ブログ版物語End