書庫 ブログ版物語301~

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T:0301「筋肉痛」
「ねえ、どうしたの? 何か、変よ」
 同僚(どうりょう)の一恵(かずえ)が話しかけてきた。私は愛想笑(あいそわら)いをして、「いや、ちょっと筋肉痛(きんにくつう)なの」
 ごく普通(ふつう)のOLが筋肉痛になることはないよね。一恵は不思議(ふしぎ)そうな顔をしていた。だから、私、言ったの。「ちょっと、電車(でんしゃ)に乗り遅(おく)れそうだったんで、ダッシュしちゃった。もう、ダメね。そんなことで筋肉痛になるなんて」
 これで彼女も納得(なっとく)してくれたみたい。でも、本当(ほんとう)はそうじゃないんだ。実(じつ)は…。
 昨日(きのう)まで付き合ってた彼を追(お)いかけてたの。もう、どうしようもない人で、平気(へいき)で約束(やくそく)は破(やぶ)るし、私のお金まで盗(ぬす)んだのよ。本人(ほんにん)は、ちょっと借(か)りただけなんて言ってたけど。私って、そんなお人好(ひとよ)しじゃないから。嘘(うそ)をついてることぐらい、すぐに分かったわ。
 彼って、逃(に)げ足だけは速(はや)いの。でも、私ほどじゃないけどね。すぐに捕(つか)まえて、ボコボコにしてやったわ。私を怒(おこ)らせた、彼がいけないのよ。これでもう、二度と私の前には現れないはず。いい気味(きみ)だわ。
 あーぁ。何で、変な男ばっかりよってくるのかしら。私は、頼(たよ)りがいのある素敵(すてき)な男性を求(もと)めてるのに。世の中って不公平(ふこうへい)よ。私みたいな良い女が、何でへなちょこ男の面倒(めんどう)を見なきゃいけないの。隣(となり)にいた一恵が、心配(しんぱい)そうに話しかけてきた。
「ねえ、眉間(みけん)にシワ寄せちゃって、具合(ぐあい)でも悪(わる)いんじゃない?」
<つぶやき>女性を侮(あなど)ってはダメです。どんなしっぺ返しが待っているか分かんないから。
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T:0302「食べてる君が好き」
 彼と食事(しょくじ)をすると、ほんと食べ過(す)ぎちゃうのよね。だって、彼ったら、食べてる私を見てるのが、何よりも好きなんだって。私が、美味(おい)しそうに何でも食べるから――。
 でも、それってかなりまずいと思わない。この間、彼ったらこう言ったのよ。
「前は、可愛(かわい)かったのになぁ」て、ぼそっと。
 ――何よそれ。私に聞こえないように言ったつもりでも、私にはちゃんと聞こえてますから。もう信じられない。あなたが食べさせてるんじゃない。
 でも、私よりたくさん食べてるはずの彼、全然(ぜんぜん)体型(たいけい)が変わらないのは、なぜ? 私だけ体重(たいじゅう)増(ふ)えちゃって。何が違(ちが)うって言うのよ。
 私もいけないのよね。嬉(うれ)しそうにしてる彼を見たくって、つい……。私、ダイエットをする決心(けっしん)をしたわ。もう食べ過ぎない、絶対(ぜったい)に。
 彼と食事するときも、ちゃんと量(りょう)を減(へ)らして――。そしたら彼、言うのよ。
「今日は食べないの? 僕は、食べてる君が好きなんだよ。何か、残念(ざんねん)だなぁ」
 はぁ? はあ!! 何なのよ。私の気も知らないで…。よくそんなことが言えるわね。これ以上(いじょう)私を太(ふと)らせて、責任(せきにん)とってくれるんでしょうね。
 私は、彼の顔を食い入るように見つめて、ばくばくと食べてやった。
<つぶやき>会話(かいわ)を楽しみましょう。食事は量より質(しつ)です。食べ過ぎには注意(ちゅうい)しないと。
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T:0303「割り切れない女」
 会社(かいしゃ)の仲間(なかま)との飲み会。これは職場(しょくば)の人間関係(にんげんかんけい)を良くするのには必要(ひつよう)なことよ。それに、私の得意技(とくいわざ)を見せることができるし。私、こう見えて暗算(あんざん)が得意なんです。会計(かいけい)の時、一人分の飲み代をパッとはじき出してしまうの。みんなから凄(すご)いねって、よく言われます。
 今日も飲み会で楽しく過(す)ごしていると、私の携帯(けいたい)の着(ちゃく)メロが鳴(な)り出した。あーぁ、また彼からだ。今度(こんど)は何よ。私は席(せき)を外(はず)して電話(でんわ)に出た。彼は甘(あま)えるような声で、
「なあ、今から行ってもいいか? 会いたいよ~ぉ」
 なに言ってるのよ。私はダメって言ってやった。彼がこういうしゃべり方をするときは、何かお願(ねが)いがあるときだけなんだから。私は、すでに彼の行動(こうどう)は見切(みき)っていた。
「いいじゃないかぁ。俺(おれ)のこと、嫌(きら)いになったのか? 俺は、お前のことこんなに――」
 もう、うざい。私は、どうして恋愛(れんあい)に関(かん)して割(わり)り切れないんだろう。こんなヤツ、早いとこ切り捨(す)てて、もっと良い男と――。
「遅(おそ)くなってもいいから。俺、表(おもて)で待ってるから。なあ、いいだろう? 頼(たの)むよ、なっ」
 もう、何なのよ。私はこういう時、どうしたらいいか迷(まよ)ってしまう。彼はそれを見透(みす)かしたように、「じゃあ、今から行くから。愛してるよ~っ!」
 彼は、私の返事(へんじ)も聞(き)かずに電話を切った。あーっ、もう。こうなったら、今日こそあいつと別れてやる。絶対(ぜったい)、絶対、絶対…。私は席に戻(もど)って、ビールをグッと飲み干(ほ)した。
<つぶやき>こういう人って、得(え)てしてズルズルといっちゃうんですよね。切っちゃえ!
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T:0304「片思い」
 橋(はし)の欄干(らんかん)に手をついて川面(かわも)を見つめる男。何となく淋(さび)しげな表情(ひょうじょう)を浮(う)かべていた。そんな男のそばに、ゆっくりと近づく女。女は男に寄(よ)り添(そ)うように並(なら)び、優(やさ)しく声をかけた。
「何してるの? こんなとこで」
 男は振(ふ)り向きもせず呟(つぶや)いた。「別に…。ちょっと、な…」
 女は同じように川面を見つめながら、「彼女には会えたの?」
「いや…。今さら俺(おれ)が行ったって仕方(しかた)ないだろ。それに、彼女の夢(ゆめ)を壊(こわ)したくないし」
「強がり言っちゃって。好きだったんでしょ。さっさと告白(こくはく)すればよかったのよ」
「いいんだよ。――今頃(いまごろ)は、空の上か…。もう俺には何もできないんだなぁ」
「もう、あんたなんか、さっさと振られちゃえばよかったのよ。彼女、友達の一人としか思ってなかったんだから」
「分かってるよ、そんなこと。でもな…。何かなぁ――」
「まったく意気地(いくじ)がないんだから。そんなんだからね……。もう、いいわ」
「何だよ。なに怒(おこ)ってんだ? お前には関係(かんけい)ないだろ」
「別に怒ってなんか。もう、彼女のことなんか忘(わす)れてさ、次の恋人(こいびと)でも探したら? 案外(あんがい)、すぐ近くにいるかもしれないじゃない。あんたのこと…、思ってる人が…」
<つぶやき>好きなのに好きと言えない。そんな思いをしている人は、沢山(たくさん)いるのかも…。
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T:0305「密会現場」
 ベッドの中で女はささやいた。「ねえ、奥(おく)さんに気づかれない?」
「大丈夫(だいじょうぶ)さ」男は女と唇(くちびる)を重ねて、「あいつはプライドばっか高くて、俺(おれ)のことなんか気にもかけやしない。それに、明日まで地方(ちほう)へ出張(しゅっちょう)ってことになってるから」
「もう、いけない人ね」女は笑(え)みを浮(う)かべると、男の胸(むね)に手を当てた。
 その時、ドアをノックする音が響(ひび)いた。「誰(だれ)だよ。無粋(ぶすい)な奴(やつ)だなぁ」
 男はベッドから出るとガウンを羽織(はお)った。また、ノックの音。今度は少し強く叩(たた)いている。そして、ドアの向こうから女性の声が聞こえてきた。「ルームサービスです」
 男は首(くび)をかしげて呟(つぶや)いた。「そんなの頼(たの)んでないぞ」
 また外(そと)から、「当ホテルの二十周年記念(きねん)で、無料(むりょう)サービスになっております」
 男はドアを開けた。外にいたのは、ホテルの従業員(じゅうぎょういん)ではないようだ。その女は、男を押(お)しのけて部屋(へや)の中へずかずかと入って来た。男は慌(あわ)てて女を追(お)いかける。女はベッドの中の女性を見つけると、ほくそ笑んだ。
 ベッドの女は毛布(もうふ)で顔を隠(かく)しながら、「奥さん…、奥さんなの?」
 男は慌てて、「違(ちが)うよ。こんな女、俺は知らない。――君は、誰なんだ?」
 乱入(らんにゅう)した女は男を思いっきり引っぱたくと、「あなた、私の顔を忘(わす)れたの。私は、あなたの妻(つま)よ。私と結婚(けっこん)するって、あなた約束(やくそく)したじゃない!」
<つぶやき>これはどういうことかな? でも、修羅場(しゅらば)になることは間違(まちが)いないようです。
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T:0306「間違えちゃった」
「ねえ、お母さん。何でこんなに送(おく)ってくんのよ」
 娘(むすめ)は宅配(たくはい)の段(だん)ボール箱の中を覗(のぞ)きながら、携帯電話(けいたいでんわ)の向こうの母親の返事(へんじ)を待った。母親は何のことか分からず、訊(き)き返したようだ。娘は少し言葉(ことば)を強くして、
「だから、お餅(もち)よ。こんなに食べきれるわけないでしょ。私にどうしろっていうの」
 母親はやっと理解(りかい)したらしく、早口(はやくち)で何かをまくしたてた。娘は、
「ちょっと、何それ。叔父(おじ)さんとこへ送るやつだったの。もう、何やってんのよ」
 母親は、どうしたらいいのか混乱(こんらん)しているようだ。娘は落ち着かせるように、
「ちょっと、なに慌(あわ)ててんの。……えっ? 私の荷物(にもつ)が叔父(おじ)さんのとこへ…」
 母親はさらにまくしたてているようで、ところどころ聞きとれない。
「はぁ? なに? そんな。食べきれない分は、会社で配(くば)れって…。そんなこと、できないわよ。恥(は)ずかしい。……えっ? もっと恥ずかしいこと…、なにそれ?」
 どうやら、叔父さんの所へ送ってしまった荷物に問題(もんだい)があるようだ。娘は不安(ふあん)を感じて、
「何が入ってたの? まさか、また変なの入れてないでしょうね。やめてよ。私、そんなのいらないからね。ちょっと、聞いてんの? お母さん!」
 電話は途中(とちゅう)で切られてしまった。娘は、大きなため息(いき)をついた。
<つぶやき>間違いは誰(だれ)にだってあります。でも、箱(はこ)の中には何が入っていたんでしょう。
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T:0307「宿題」
「頑張(がんば)ってるわね。少し休憩(きゅうけい)しない?」
 母親は娘(むすめ)の部屋(へや)へ飲み物を運んできて言った。まだ小学生なのに良くできた子で、何も言わなくてもちゃんと勉強(べんきょう)をしてくれる。親(おや)としては、小言(こごと)を言う必要(ひつよう)がないので、とても助(たす)かっている。母親は娘が何をやってるのかと手元(てもと)を覗(のぞ)いてみた。
 すると娘は手で隠(かく)しながら、「見ちゃダメ。まだ書けてないから」
「何をしてるの?」母親はダメと言われるとますます気になってしまう。
 娘は、「宿題(しゅくだい)。家庭(かてい)での役割分担(やくわりぶんたん)について、みんなの前で発表(はっぴょう)するの」
「そうなの。何て書いたの? お母さんにも読ませてよ」
 母親は半(なか)ば強引(ごういん)に、娘の書いていた原稿用紙(げんこうようし)を取り上げると、声を出して読み始めた。
「私の家では、朝食(ちょうしょく)はいつもお父さんが作っています。お母さんは朝が苦手(にがて)で、全然(ぜんぜん)起きられないからです。でも、私が学校(がっこう)へ出かける頃(ころ)には起きてきて――」
 母親は困(こま)った顔をして、「ねえ、まさか、これを、みんなの前で読んだりしないよね」
 娘は原稿を取り戻(もど)すと言った。「するわよ。そのために書いてるんだから」
「ねえ、ちょっと書き直(なお)さない? これじゃ、お母さん、何もしてないみたいじゃない」
「でも、ホントのことよ。私、嘘(うそ)は書けないわ」
「嘘じゃないわよ。お母さんだって、朝ごはん、作ってあげたことあったわよね」
<つぶやき>子供はちゃんと見てますよ。たまには、一生懸命(いっしょうけんめい)のとこを見せておきましょ。
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T:0308「相棒」
「あなたが犯人(はんにん)だということは分かってるのよ!」はるかは男の前で啖呵(たんか)を切った。
 男は薄笑(うすわら)いを浮(う)かべて、「何の話か分からないな。俺が壺(つぼ)の中の金を盗(ぬす)むなんて」
「あら、どうして壺の中にあったって知ってるの。それは、犯人しか知らないことよ」
「なに言ってんだ。俺(おれ)は、警察(けいさつ)から聞いたんだよ」男はなおも白(しら)を切る。
 はるかの後で隠(かく)れるように立っていた剛志(つよし)が、「このことは、まだ警察も知らないです」
「そうか」男は嬉(うれ)しそうに、「じゃ、お前たちを消(け)しちまえばいいってことか」
 男はナイフを出してはるかに斬(き)りつけた。普通(ふつう)の女の子なら悲鳴(ひめい)を上げるところだが、はるかは格闘家(かくとうか)の娘(むすめ)である。難(なん)なくナイフをかわすと、男を投(な)げ飛ばした。次の瞬間(しゅんかん)、どこにいたのか別の男がはるかの背後(はいご)から迫(せま)って来た。まさに、はるかを捕(つ)まえようとしたとき、そばで震(ふる)えていた剛志が大声を上げてその男へ突進(とっしん)した。
 ――犯人たちは、駆(か)けつけた警察に逮捕(たいほ)された。はるかが、知り合いの刑事(けいじ)に大目玉(おおめだま)を喰(く)らったのは言うまでもない。一つ間違(まちが)えたら命(いのち)はなかったのだから。
「あんたが知らせたのね」はるかは剛志を睨(にら)みつけた。でも、すぐにその顔に笑(え)みがこぼれて、「やっぱ、名探偵(めいたんてい)の孫(まご)よね。あんたの推理(すいり)はすごいわ。二人で頑張(がんば)ろうね」
「あの、僕(ぼく)は未成年(みせいねん)ですし、探偵なんてやりませんから。これで、失礼(しつれい)します」
「ちょっと待ちなさいよ。あたしたち相棒(あいぼう)でしょ」はるかは逃(に)げ出した剛志を追(お)いかけた。
<つぶやき>ちょっと気弱(きよわ)な男の子と、負けず嫌(ぎら)いで突(つ)っ走る女の子。いいコンビかも。
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T:0309「受験生」
「ねえ、いい。紗綾(さや)の前では、滑(すべ)るとか、落ちるとか、絶対(ぜったい)言っちゃダメだからね」
 ママは家族(かぞく)をキッチンに集めて、ひそひそと話し始めた。「それと、無理(むり)とか、ダメとか、ネガティヴなことも言わないでよ」
「ママ、そこまで気にすることないんじゃないかな」パパは首(くび)をかしげながら言った。
「何を言ってるの? 紗綾の受験(じゅけん)まで、あと二週間よ。今が、一番ぴりぴりしてる時なの」
「でも…」妹(いもうと)が口をはさんだ。「さっき、部屋(へや)で漫画(まんが)読んでたよ」
 ママは信じられないという顔をして、「どうしちゃったのかしら? 私、どうしたら…」
 その時、紗綾が入って来た。みんなは何事(なにごと)もなかったかのように、素知(そし)らぬふりをする。しかし、明らかにおかしいことは誰(だれ)が見ても分かる。紗綾も不信(ふしん)を抱(いだ)いて、
「何やってるの? こんなとこに集まって」
 ママは声をうわずらせて、「あの、ここ、滑るのよねぇ。マットとか敷(し)いたほうが…」
 パパと妹は、一瞬(いっしゅん)、息(いき)を呑(の)んだ。ママも気づいて、目が泳(およ)いでいる。紗綾は、
「そうね。私もこの間、滑りそうになっちゃった」
 家族の視線(しせん)が紗綾に向けられる。紗綾は気味悪(きみわる)そうに、「何なのよ。変な目で見ないで」
 ママはダメ押(お)しのように、「紗綾なら、絶対落ちないから。ママ、信じてる」
 紗綾は呆(あき)れて、「余計(よけい)な心配(しんぱい)しないで。やるべきことはやったし、大丈夫(だいじょうぶ)よ」
<つぶやき>受験シーズンです。家族のほうが落ち着かなかったりするのかもしれません。
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T:0310「本命の彼」
「ねえ、木村(きむら)君だったら、何が欲(ほ)しい?」
「僕(ぼく)? 僕は、そうだな…。何がいいかなぁ――」
 私の質問(しつもん)に、彼は真剣(しんけん)に考えてくれていた。何か、そういうところがいいのよね。真面目(まじめ)っていうか…。木村君とは友達(ともだち)としてのお付き合いだったけど、それ以上(いじょう)になってもいいかなって。だから、今度のバレンタインは何か特別(とくべつ)なものを贈(おく)ろうって思ってる。
 チョコじゃ、何かつまんないし、彼の印象(いんしょう)に残(のこ)らないじゃない。木村君は、まだ私のこと何とも思ってないみたいだし。彼の欲しいものをリサーチして、彼の心をギュッとつかんじゃうんだ。私は、彼の答えをドキドキしながら待っていた。
「僕が欲しいのはね…、土地(とち)かな。今、ちょっと気になってるんだよね」
「土地? えっ、土地が欲しいの」そんなの無理(むり)よ。私に買えるわけないじゃん。
 困惑(こんわく)している私を見て、彼は、「ああ、土地っていっても、月のなんだけどね」
「月の土地って…、そんなの買えるの?」
「それがさ、けっこう安いみたいなんだよね」
 彼は、子供みたいに嬉(うれ)しそうに笑(わら)ってる。どうしてそんなのが欲しいのかなぁ。男の人の気持ちってほんと分かんない。あーっ、プレゼント…、どうしようかなぁ?
<つぶやき>男はロマンを求(もと)めるのです。どんなプレゼントでも、男性は喜(よろこ)ぶんじゃない。
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T:0311「おめでとう」
 会社(かいしゃ)の備品(びひん)置き場の片隅(かたすみ)に、段ボール箱(ばこ)が置かれていた。私は何かなって思って、その箱を開けてみた。すると、中にはきれいな花束(はなたば)が。これってサプライズ? 私は胸(むね)が高鳴(たかな)った。だって、今日は私の誕生日(たんじょうび)。みんなが私のために…。
 箱を元通(もとどお)りにして――。私が気づいたってことが分かったら、みんなガッカリするじゃない。私は知らないふりをすることにした。何か、とっても楽しみ。私はその時が来るのを、わくわくしながら待っていた。
 終業(しゅうぎょう)間際(まぎわ)、みんなの動きが慌(あわ)ただしくなる。いよいよその時が――。上司(じょうし)がみんなを集める。そして花束の登場(とうじょう)。上司が私の名前を呼ぶ――、はずだった。
 呼ばれたのは、後輩(こうはい)の女の子。花束がその子に渡(わた)されて、上司からのお祝(いわ)いの言葉(ことば)。
“ご結婚(けっこん)、おめでとう”――何よそれ。私、そんなこと聞いてないから。
 どうせ私は、職場(しょくば)の中では結婚してない女の一番の年上(としうえ)よ。きっと、気を使ってくれたのかもしれないけど。でもね、それってどうなのよ。私だって、気持ちよくお祝いしたいじゃない。彼女も彼女よ。先輩(せんぱい)としていろいろ仕事(しごと)を教えてあげたのに、何で私に教えてくれなかったの。付き合ってる人がいたことも知らなかったわよ。
 花束を抱(かか)えて涙(なみだ)ぐんでいる彼女を見ながら、私は何だが自分が負(ま)け組にいるんだなって、改(あらた)めて実感(じっかん)してしまった。もう、絶対(ぜったい)良い男を見つけて結婚してやる!
<つぶやき>せっかくの誕生日。気持ちを新たに、美味(おい)しいものでも食べに行きましょ。
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T:0312「私の取り柄」
「朝から暗(くら)~い顔してどうしたの?」教室(きょうしつ)の席(せき)でうつ伏(ぶ)せている頼子(よりこ)を見て夏紀(なつき)が言った。
 頼子はため息(いき)をつき、「夏紀はいいよね。取(と)り柄(え)があってさ。私なんか…」
「なに、どうしたの?」もう一人、あすみが駆(か)け寄って来て話に加(くわ)わる。
「だってさ…」頼子は二人の顔を見て、「夏紀はバスケで優勝候補(こうほ)でしょ。あすみは学年一番の秀才(しゅうさい)。私には何にもないんだもん。これからやりたいことだって、分かんないし」
「なに言ってるの」夏紀は呆(あき)れた顔をして、「優勝候補っていっても、私一人の力じゃないのよ。チームみんなで頑張(がんば)ってるんだから」
「そうよ。あたしもそれなりに勉強(べんきょう)してるのよ」あすみは眼鏡(めがね)に手をやり、「それに、将来(しょうらい)何をやりたいかなんて、あたしもまだ決めてないわよ」
「でも~ぉ」頼子は口をへの字に曲(ま)げて、「私、勉強ができるわけでもないし、運動(うんどう)だって得意(とくい)じゃない。何かの資格(しかく)や特技(とくぎ)があるわけでも…。それに比(くら)べたら、二人は――」
「そんなこと比(くら)べることじゃないでしょ」夏紀は怒(おこ)ったように言った。
「頼子にだって、いいところはあるはずよ。それに気づいてないだけ」
 頼子はあすみの手を取り言った。「たとえば? 私の取り柄(え)って何なの? 教えて」
 あすみは首(くび)を少し傾(かたむ)けて、「そうねぇ、たとえば……、素直(すなお)なところかな?」
「そんなの、自慢(じまん)できることじゃないじゃん」頼子は、またため息をついた。
<つぶやき>誰(だれ)でも将来(しょうらい)に不安(ふあん)はあるものです。地道(じみち)にやりたいことを探してみませんか。
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T:0313「ホワイトボード」
 いつからか、娘(むすめ)は父親と一緒(いっしょ)にいることが少なくなった。思春期(ししゅんき)で仕方(しかた)のないことかもしれないが、必要(ひつよう)最低限(さいていげん)のことしか話さない。休みの日も友達(ともだち)と遊(あそ)びに行ったり、自分の部屋で過(す)ごすことが多くなった。
 ある日のこと。父親はホワイトボードを買ってきた。それをリビングにかけて、娘へメッセージを書くことにしたのだ。帰りが遅(おそ)くなった時も、かかさず父親は書き続けた。
 初めのうち、娘は何の反応(はんのう)もしめさなかった。でも、母親に訊(き)いてみると、ちらっとは見ているようだ。父親は奮起(ふんき)した。少しでも娘が興味(きょうみ)を持つように、いろんな話題(わだい)を取り入れた。時に、親父(おやじ)ギャグで笑(わら)わせようとしたことも――。
 何週間かたった頃(ころ)、ホワイトボードの隅(すみ)の方に丸印(まるじるし)がつけられた。間違(まちが)いなく、それは娘からの答(こた)えだった。その夜は、夫婦でささやかな乾杯(かんぱい)をした。でも、陰(かげ)で母親が動いていたことを父親は知らなかった。
 それからも、父親は娘にメッセージを書き続けた。ホワイトボードでの会話(かいわ)は、いつしか家族(かぞく)の習慣(しゅうかん)になった。家族での会話も増(ふ)えたが、言いにくいことも時にはある。そんな時は、ホワイトボードの出番(でばん)である。
 娘が年ごろになった頃。ホワイトボードに娘からのメッセージが書き込まれた。
〈お父さんへ 今度の日曜日、会ってほしい人がいます〉
<つぶやき>父親にとって、娘は特別(とくべつ)な存在(そんざい)なのかもしれません。邪魔者(じゃまもの)にしないでね。
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T:0314「くちづけ」
「今日は楽しかったね」私は彼に微笑(ほほえ)みかける。「ねえ、お茶(ちゃ)してかない?」
 私はいつものように彼を誘(さそ)ってみた。でも、彼の答(こた)えは決(き)まって、
「今日は、もう遅(おそ)いから帰るよ。また、明日ね」
 私は別に、朝まで一緒(いっしょ)にいたいなんて思ってるわけじゃない。それなのに、ほんと意気地(いくじ)なしなんだから。この間、やっと手をつないでくれて、それからなかなか進まない。ほんとに私のこと好きなのかな? 私は彼のことを見つめていた。
 いつもならすぐに行っちゃうのに、今日の彼はいつまでもそこにいた。私は首(くび)をかしげる。彼は何か言いたそうな顔…。私は直感(ちょっかん)した。そうか、やっとその気になってくれたんだ。私は二、三歩彼に近づいて、彼の顔を見つめて微笑(ほほえ)みかける。彼も私のサインに気づいたのか、私の肩(かた)に手を置いて――。
 いよいよだわ。彼に告白(こくはく)してから、この瞬間(しゅんかん)をどれだけ待ったことか。私は顔を上げる。彼の顔がゆっくりと近づいてくる。私は目を閉じる。彼の唇(くちびる)が、私の唇に触(ふ)れようとした瞬間(しゅんかん)、けたたましい音をたてて携帯(けいたい)が鳴(な)り出した。
 彼は慌(あわ)てて私から離(はな)れると、携帯を取り耳に当てた。もう、誰(だれ)よ。こんな時間にかけてくるなんて。信じられない! 彼はしきりに電話の相手(あいて)にあやまっている。さらに、今から行くって――。まさか、女? ほかに女がいるの! 私は疑(うたが)いの目を彼に向けた。
<つぶやき>彼はキスをしようとしたのでしょうか? 何かほかのことだったのかも…。
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T:0315「ティータイム」
 主人(しゅじん)や子供(こども)たちを送り出し、お掃除(そうじ)とお洗濯(せんたく)を手早(てばや)く済(す)ませる。私、これでも段取(だんど)り上手(じょうず)なの。昼食後のひと時、私にとってはくつろぎの時間。好きな本を読みながら、ティータイムを楽しむ。誰(だれ)にも邪魔(じゃま)されることもなく、静(しず)かな時が流れる。ほんの少しの間でも、この上なく幸(しあわ)せな時間なの。
 今日もまた、リビングでくつろいでいると、玄関(げんかん)のチャイムが鳴(な)った。私は、嫌(いや)な予感(よかん)がした。窓(まど)から外を覗(のぞ)くと、やっぱりお隣(となり)の奥(おく)さんだ。あの人、悪い人じゃないんだけど、話し出すと平気(へいき)で一時間はしゃべりまくる。ここは、居留守(いるす)を使うのが一番(いちばん)だ。どうせ、大(たい)した用事(ようじ)じゃないだろうし。すると、奥さんが外から声をかける。
「山田(やまだ)さん、いるんでしょ。ちょっと、話があるんだけど。出て来てよ」
 私はため息(いき)をつく。もう出て行くしかないじゃない。私は玄関を開けると、
「ごめんなさい。ちょっと手が離(はな)せなかったの…」
「いいのよ。奥さん、聞いた? 山崎(やまさき)さんとこの奥さん。お嫁(よめ)さんとまたやっちゃったんだって。もう、あの人も気が強いでしょ。お嫁さんのやることが気に入らないのね」
 私にとって、よその家の嫁姑(よめしゅうとめ)問題(もんだい)なんてどうでもいいんだけど。でも、一応(いちおう)は相(あい)づちを打っておかないと。私は、フンフン、そうなんだーぁ、を繰(く)り返す。
 でも心の中では、早く帰れーって、呪文(じゅもん)のように繰り返していた。
<つぶやき>くつろぎの時間は大切(たいせつ)です。誰かの邪魔(じゃま)をしないように、気をつけましょう。
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T:0316「姉妹バトル」
 妹(いもうと)は血相(けっそう)を変えて姉(あね)の部屋(へや)へ飛(と)び込んだ。ちょうど出かける支度(したく)をしていた姉は、
「なに? どうしたの?」と平然(へいぜん)としている。
「お姉ちゃん、あたしのアレ、盗(と)ったでしょ」
 姉は自分の胸元(むなもと)をちらっと見て、「知らないわよ、そんなの」
「ウソ。返(かえ)しなさいよ」妹は姉につかみかかった。
 だが、姉は難(なん)なく妹を振(ふ)り払い、「いいじゃん。可愛(かわい)かったし」
「冗談(じょうだん)じゃないわよ。アレ、新品(しんぴん)なのよ。あたし、まだ使ってないんだから」
「イヤよ。これから彼とデートなの。アンタみたいなお子ちゃまにはまだ早いわ」
「いいから、脱(ぬ)ぎなさいよ。それは、あたしの下着(したぎ)よ」
「なに言ってるのよ。男もいないくせに、勝負(しょうぶ)下着なんて必要(ひつよう)ないでしょ。ほんと、体型(たいけい)が同じでよかったわ。無駄(むだ)にならずにすんでさ」
 妹は姉を押(お)し倒(たお)し、取っ組み合いの喧嘩(けんか)になった。ちょうど階下(した)でお茶をしていた両親(りょうしん)は、天井(てんじょう)から聞こえるドタバタの音を聞きながら、
「まだまだ、子供(こども)だなぁ。あんなんで嫁(よめ)に行けるのか?」
「そうですね。でも、付き合ってる人はいるみたいですよ」
「そうか。早いとこ片(かた)づいてもらわないと、この家がもたんぞ」
<つぶやき>喧嘩するほど仲(なか)がいいって言うけど、姉妹(しまい)となるとちょっと話は別かもね。
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T:0317「ゆるキャラのつぶやき」
 某所(ぼうしょ)において、ゆるキャラたちの集会(しゅうかい)が催(もよお)された。そこで、知られざる彼らの本音(ほんね)を耳(みみ)にすることができた。癒(い)やしをあたえている彼らにも、悩(なや)みはあるようだ。
「俺(おれ)たちにランキングなんかつけやがって、どういうつもりだ」
「まあまあ。そのおかげで、各地(かくち)でいろんなゆるキャラたちが活躍(かつやく)してるんだから」
「お前はいいよな。ばんばんCMに出てよ、人気(にんき)だって上位(じょうい)じゃねえか。俺だってな、予算(よさん)がもっとあって、どんどん宣伝(せんでん)してくれれば、知名度(ちめいど)も上がってよ、もっと有名(ゆうめい)に…」
「それはどうかな」近くにいた別のゆるキャラが呟(つぶや)いた。「俺なんか、お前たちが出て来るずっと前からやってるけど、人気が出るのは最初(さいしょ)の数年だけさ」
「えっ? あなたは…、何というゆるキャラでしたっけ?」
「そんなもんよ。忘(わす)れられるのは早いぞ。俺も結構(けっこう)有名だったんだけどな、今では仲間内(なかまうち)でも知ってるヤツがいないんだから。それでもな、地元(じもと)でイベントがある時には呼(よ)ばれてな。ちっちゃな子に抱(だ)きつかれたときは、幸せで涙(なみだ)が出そうになるんだ。だがな、ちょっと大きくなるとやんちゃになって、後から蹴(け)りを入れてくる。この間なんか、ふんばれなくってよ、ひっくり返(かえ)ったさ。俺なんか二等身(にとうしん)で、手なんか短いもんだから立ち上がれなくてよ。もう、袋叩(ふくろだた)きよ。子供は手加減(てかげん)しないからな。――さあ、そろそろ帰るか。もう、お前たちに会うこともないだろう。廃棄処分(はいきしょぶん)さぁ。じゃ、元気(げんき)でな。長生(ながい)きしろよ」
<つぶやき>ゆるキャラは人気に左右(さゆう)される運命(うんめい)なのです。大切(たいせつ)に守ってあげてください。
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T:0318「恋愛道場」
「はっきり言わせてもらっていいですか?」日菜子(ひなこ)はうつむき加減(かげん)で座(すわ)っている男に向かって言った。「あなた、本当(ほんとう)に女性とお付き合いする気持(きも)ちがあるんですか?」
 男は消(き)え入るような声でささやいた。「も、もちろん…。付き合い…たいです」
「あの、もう少しはっきりと自分の意志(いし)を出さないと、相手(あいて)には伝(つた)わりませんよ」
 日菜子は手帳(てちょう)を見ながら、「今回の模擬(もぎ)デートの結果(けっか)ですが、残念(ざんねん)ながら最悪(さいあく)の点数です」
「えっ、そうなんですか? おかしいな。そんなはずは…。だって…だって……」
 男はもごもごと、何か言い訳(わけ)がましくつぶやいていた。日菜子はお構(かま)いなしに続ける。
「まず、最初(さいしょ)からペケですね。初対面(しょたいめん)なんですから、相手の気持ちを訊(き)かないと。どこか行きたい所はないですか、とか。食べたい物はないですか、とか。あなた、挨拶(あいさつ)もそこそこに歩き出しましたよね。女性からしてみると、その段階(だんかい)で恋愛(れんあい)の対象外(たいしょうがい)です」
「だって、男としては…、ここは、まず…」
「あの。失礼(しつれい)ですが、今のあなたに男性としての魅力(みりょく)は全くありません。あなたの場合、自分を磨(みが)くことから始めるのをお勧(すす)めします。まず、その姿勢(しせい)!」
 男は驚(おどろ)いて背筋(せすじ)を伸(の)ばす。その顔はこわばっていた。日菜子はにっこり微笑(ほほえ)んで、
「明日から特訓(とっくん)しましょうね。大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。一週間で見違(みちが)えるようになりますから」
<つぶやき>軟弱(なんじゃく)な男が増(ふ)えてると言われる昨今(さっこん)、こんな道場が出現するかもしれません。
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T:0319「おかあさん」
「なあ、朝飯(あさめし)は?」義之(よしゆき)は寝(ね)ぼけた目をこすりながら言った。
 妹(いもうと)の智子(ともこ)が慌(あわ)てて身支度(みじたく)を調(ととの)えながら、「知らないわよ。食べたかったら昨夜(ゆうべ)の残(のこ)り物があるでしょ。あたし、朝練(あされん)なの。おかあさんがいないから、起(お)きられなかったのよ」
「何だよ。お姉(ねえ)ちゃんは?」義之は冷蔵庫(れいぞうこ)を覗(のぞ)きながら言った。
「まだ寝てるんじゃない。今日は休みだって言ってたから」
「全然(ぜんぜん)話しが違(ちが)うじゃない。昨日(きのう)、おかあさんの代わりはするって言っただろ」
 智子は焼(や)きすぎたトーストをかじりながら、「お姉ちゃんに言ってよね。それに、そうでも言わないと、おかあさん、旅行(りょこう)になんか行かないでしょ」
「でも、お前だってやるって言ったじゃん。女なんだから、それくらい…」
「あーっ、もう。今どきね、男だって料理(りょうり)ができなきゃダメなんだから。お兄(にい)ちゃんも、少しは自分でやったら」
「何だよ。そんなんじゃ、結婚(けっこん)なんかできないぞ」
「あたし、まだ高校生なんですけど。お兄ちゃんなんか、付き合ってる人いないでしょ」
「うるさいな。ほっとけよ。俺(おれ)だってな、やるときはやるんだよ」
 義之はキッチンに立ったが、どこに何があるのかさっぱり分からない。仕方(しかた)がないから、妹が食べている皿(さら)からハムを一枚つまんで口に入れる。
「もう、お兄ちゃん! あたしのとらないでよ。向こうへ行って!」
<つぶやき>母親がいないと困(こま)ること。結構(けっこう)あるんじゃない? 感謝(かんしゃ)の気持ちを忘れずに。
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T:0320「つまみ食い」
「あれぇ、一つ足(た)らないわ。おかしいわね」
 吉江(よしえ)はケーキの箱を覗(のぞ)いて言った。「姫香(ひめか)、知らない?」
 ルームメイトの姫香は首(くび)を横に振る。吉江は彼女の顔をじっと見て、
「まさか、つまみ食いとか、しちゃった?」
「あたし? あたしが、そんな、はしたないことするはずないじゃない。あたしを誰(だれ)だと思っているの。これでも…」
「知ってるわよ。先祖(せんぞ)は貴族(きぞく)で、お金持ちなんでしょ。でもね、嘘(うそ)はいけないと思うなぁ」
「あたしは、嘘なんかついてません。どうして、あたしを疑(うたが)うわけ?」
「だって、口元(くちもと)にクリームがついてるんだもん」
 姫香は慌(あわ)てて口元を手でぬぐった。それを見た吉江は、
「やっぱり、そうなんだ。別にいいんだけどさ、みんなで食べようと思ってたから」
「あなた、あたしを欺(だま)したのね。クリームなんかついてないじゃない」
「ほんと、姫香って分かりやすいよね。そういうとこ、私、好きだよ。でもね、これからはちゃんと言ってよ。私たち、ルームメイトなんだから」
 姫香はいじけるように、「だって、美味(おい)しそうなケーキだったから……。ごめんなさい」
<つぶやき>どんな人でも、美味しそうなケーキがあったら、つい手が出てしまうのです。
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T:0321「メシマズ」
 新婚生活(しんこんせいかつ)を始めて一週間。普通(ふつう)なら一番(いちばん)幸せな時なのだが、僕(ぼく)の場合(ばあい)はちょっと違(ちが)っていた。彼女、いや、嫁(よめ)さんの作る料理(りょうり)が激(げき)マズなのだ。付き合っていた頃(ころ)、彼女の部屋(へや)へ遊(あそ)びに行っても、手料理を作ってくれたことが一度もなかった。僕はちょっと期待(きたい)して行っていたのだが…、作ってくれなかった理由(わけ)がやっと分かった。
 僕は嫁さんを愛(あい)している。だから、これしきのことで彼女のことを嫌(きら)いになんかならない。でも、やっぱり美味(おい)しいものを食べたいじゃない。
 彼女だって、そのことは分かってて、一生懸命(いっしょうけんめい)、キッチンで格闘(かくとう)している。しかし、ちょっと不器用(ぶきよう)で粗忽(そこつ)なところがあるので、いろんな失敗(しっぱい)を繰(く)り返す。それにアバウトな性格(せいかく)も加わって、とんでもない料理ができあがるのだ。
 僕も簡単(かんたん)な料理ぐらいはできる。だから、彼女の横でいろんなアドバイスをするのだが、彼女にとっては邪魔(じゃま)なようで、「もう、うるさいわよ。気が散(ち)るでしょ。向こうへ行ってよ!」と、逆(ぎゃく)ギレされてしまう。
 でも、ここで僕が諦(あきら)めてしまったら、これからの夫婦(ふうふ)生活にも支障(ししょう)をきたしてしまうだろう。だから、僕は心を鬼(おに)にして、メシマズの矯正(きょうせい)をすることにした。どんなに嫌がられても、彼女のために僕も頑張(がんば)ろうと思う。
 嫁は熱(あつ)いうちに打(う)て。まさに今、適切(てきせつ)かつ迅速(じんそく)に行動(こうどう)しなくてはいけないのだ。
<つぶやき>新婚生活の醍醐味(だいごみ)は手料理かもしれません。胃袋(いぶくろ)が満(み)たされれば家庭円満(かていえんまん)。
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T:0322「しおどき」
 二人は同じ職場(しょくば)で知り合って、どちらからともなく付き合い始めた。まあ、職場恋愛(れんあい)なんてどこにでもあるパターンなのかもしれない。彼らも、ごく普通(ふつう)に喧嘩(けんか)をし、幾多(いくた)の試練(しれん)を乗り越(こ)えてこの時を迎(むか)えた。
「ねえ、それって今じゃなきゃいけないの? こんなとこで言われても…。あたし、片(かた)づけなきゃいけない仕事(しごと)があるんだけど」
 彼女は仕事の手を止めて、周(まわ)りの人に聞こえないようにささやいた。
「あの、そろそろ、僕(ぼく)たちも潮時(しおどき)だと思うんだ。だから、ここら辺で…」
「ちょっと!」彼女は思わず声を上げた。周(まわ)りを気にして、ますます声を落とし、
「何でそんなこと言うのよ。そりゃ、あたしにだって、いけないとこあるかもしれないけど、急(きゅう)に別れようなんて…。ひどいよ」彼女は感情(かんじょう)が高ぶり目頭(めがしら)を押(お)さえた。
 彼は、彼女の反応(はんのう)に驚(おどろ)いた。あたふたしながら、「ちょっと待(ま)ってよ。何で、そうなるかな? 僕は、別に、そういうつもりで――」
 彼が何を言っても、彼女には届(とど)きそうもなかった。彼はポケットから指輪(ゆびわ)を取り出して、彼女の前に差(さ)し出しすと、「僕と、結婚(けっこん)しませんか? お願(ねが)いします」
 彼女はキョトンとしていたが、彼の顔を見つめて、一瞬(いっしゅん)、嬉(うれ)しそうな顔をした。だが、
「何で、今なのよ! もっと、ふさわしい場所ってもんがあるでしょ。なに考えてんのよ」
<つぶやき>やっぱり女性にとっては特別(とくべつ)なこと。結婚の申込(もうしこみ)は、場所選(えら)びも重要(じゅうよう)かも。
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T:0323「運命をチェンジ」
 街(まち)をフラフラと歩く男。どこかうつろで生気(せいき)が全く感じられない。人混(ひとご)みを抜(ぬ)けて細い路地(ろじ)に入る。街の喧騒(けんそう)もここまでは届(とど)かない。そこで男は、別の男に声をかけられた。
「どうしたんですか? 死(し)にそうな顔をしてますよ」
 男は答える。「俺(おれ)は死に場所(ばしょ)を探してるんだ。事業(じぎょう)に失敗(しっぱい)してな、借金(しゃっきん)だらけさ。女房(にょうぼう)は愛想(あいそ)を尽(つ)かして、子供を連れて出て行っちまった。もう俺には何にもない」
「じゃあ、運命(うんめい)を取り替(か)えませんか? 私は生(なま)ぬるい平凡(へいぼん)な人生(じんせい)より、逆境(ぎゃっきょう)の人生の方が好(この)みなんです。お願いします」
 男は、その申出(もうしで)を受けることにした。どうせただの戯言(たわごと)だと思ったのだ。別れ際(ぎわ)、その男は言った。「一つだけ気をつけて下さい。女房には絶対(ぜったい)に逆(さか)らわないこと。これさえ守(まも)れば、あなたは安泰(あんたい)な人生を過ごせますよ」
 男は家へ帰ってきた。だが、何か違和感(いわかん)を感じていた。ここが自分の家なのか? アパートのドアを開ける。中には女がいて、お帰りなさいと声をかけた。男は、これが俺の女房だったかな、と首(くび)をひねる。男は洗面所(せんめんじょ)の鏡(かがみ)を覗(のぞ)き込んで、これが俺の顔?
「あなた、何してるの?」と女房に声をかけえられると、男は全てを受け入れた。
 数年後、男が街を歩いていると、見憶(みおぼ)えのある顔に出くわした。その顔の人物(じんぶつ)は言った。
「宝(たから)くじが大当(おおあ)たりでね。借金の返済(へんさい)をして、残(のこ)りの金で新しい事業を始めたんだ。これがまた大当たりさ。今は若い女と再婚(さいこん)して、いい人生を送らせてもらってるよ」
<つぶやき>あなたの親(した)しい人、本当にあなたの知っている人ですか? もしかしたら…。
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T:0324「三姉妹」
「それ無理(むり)よ」長女(ちょうじょ)の初音(はつね)が言った。「あの頑固(がんこ)親父(おやじ)がすんなり会ってくれるはずないわ」
 三女(さんじょ)の琴美(ことみ)はため息(いき)をつき、「でも、私はちゃんと彼のこと知ってほしいの」
「へえ、コトにそんな人がいたなんて」次女(じじょ)の響子(きょうこ)が感心(かんしん)したよう呟(つぶや)いた。
「ここは、やっぱ奇襲作戦(きしゅうさくせん)よ。私の時みたいに、突然(とつぜん)連れて行くの。私はこの人と結婚(けっこん)します、的(てき)なこと言って」初音は思い出し笑(わら)いをして、「あの時の親父の顔、面白(おもしろ)かったわよ」
「でも、その後が大変(たいへん)だったじゃない」響子は顔をしかめて、「家の中ギスギスしちゃって。結婚式当日(とうじつ)も、オレは絶対(ぜったい)行かんって大騒(おおさわ)ぎ」
「そうよ。あの時、お母さんが間(あいだ)に入って――」琴美も悲しい顔になる。
「でも、結局(けっきょく)出席(しゅっせき)したじゃない。それで、わんわん泣(な)いちゃって」
「もう、それはお姉ちゃんのこと大切(たいせつ)に思ってるからで」
「はいはい。コトは親父に一番可愛(かわい)がられてるからね」響子は琴美の頭をなでながら、「あんたの時は、もっと大変だと思うよ。今から覚悟(かくご)しときなさい」
「そんな。私はどうしたらいいの? 彼に会ってくれれば、きっとお父さんだって…」
「心配(しんぱい)ないわよ。何があったって、子供ができればイチコロなんだから。さっきも見たでしょ。孫(まご)を抱(だ)いてるときの親父の顔。でれっとしちゃってさぁ」
<つぶやき>父親はここで気骨(きこつ)を見せないと。娘(むすめ)も、それなりの心構(こころがま)えで臨(いど)みましょう。
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T:0325「旅立ちのとき」
 彼女はいくつもの曲(ま)がり角(かど)を曲がってきた。そのたびに壁(かべ)にぶち当たり、挫折(ざせつ)を繰(く)り返した。人生(じんせい)は思い通りにならないことばかりだ。でも、嘆(なげ)いていても仕方(しかた)がない。彼女はそのことをよく知っていた。
 彼女はけして諦(あきら)めない。彼女には叶(かな)えたい夢(ゆめ)があったから。子供の頃から思い描(えが)いていた夢。だから、どんな困難(こんなん)にも立ち向かって行けたのかもしれない。
 ある人が彼女に訊(き)いた。どうして、そんなに頑張(がんば)れるのか?
 彼女の答えはシンプルだ。
「だって、後で後悔(こうかい)したくないから。今、できることをしているだけよ」
 また、ある人はこうも言った。もっと楽(らく)な生き方もあるんじゃないの?
 彼女はよどみなく答える。「生き方は人それぞれよ。私には、今の生活(せいかつ)が一番楽なのかもしれないわ。そりゃ、辛(つら)いこともあるけど、それだけじゃないからね」
 彼女は過去(かこ)を振(ふ)り返らない。今を精一杯(せいいっぱい)生きる。それが、明日の一歩へつながることを彼女は信じている。――そして、彼女にも休息(きゅうそく)の時がやって来た。
 ベッドの周(まわ)りに家族(かぞく)が集まり、彼女の安らかな寝顔(ねがお)を覗(のぞ)き込む。孫娘(まごむすめ)が言った。
「おばあちゃん、いい顔してるね。きっと、天国(てんごく)でも夢を追(お)いかけるんじゃないかしら」
<つぶやき>長い人生のいろいろを乗り越(こ)えて、やっと見えてくる境地(きょうち)があるのかもね。
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T:0326「離婚届」
 妻(つま)は夫(おっと)の前に離婚届(りこんとどけ)を差し出した。目を丸くしている夫。妻は落ち着いた声で、
「別れてください。もう、あなたとは一緒(いっしょ)にいられない」
 夫は困惑(こんわく)の表情(ひょうじょう)を浮(う)かべて、「えっ、何で? 何でそういう――」
「あたし、もう限界(げんかい)なの。これ以上(いじょう)あなたといたら、きっと嫌(いや)な女になっちゃうわ」
「だから、どうしてそうなるんだよ。俺(おれ)たち、別に離婚するようなこと…。理由(わけ)を教えてくれよ。俺たち、今までずっと仲良(なかよ)くやってきたじゃないか。そうだろ?」
「そうね」妻は視線(しせん)をそらし、小さなため息(いき)をつく。「あなたは、いい人よ。とっても優(やさ)しいし、あたしのこと大切(たいせつ)に思ってくれてる」
 夫はますます分からなくなった。妻がどうして離婚なんて言い出したのか。その理由を必死(ひっし)に考えた。そして、一つの考えが頭(あたま)に浮かんだ。
「まさか、好きな人が他にいるとか…、そういうことか?」
 妻は素早(すばや)く反応(はんのう)した。「ばっかじゃないの! あたしが浮気(うわき)するわけないでしょ!」
 妻はイライラと頭をかきむしり、「だから…、あたしは、あなたの思ってるような女じゃないの。おしとやかでもないし、面倒(めんど)くさがりのダメダメ女なの。いい加減(かげん)、気づきなさいよ。あなたのこと好きになっちゃって、それで、良い女に見せてただけ!」
 夫はホッとした顔をして、「何だ、そんなことか。そんなの、知ってるよ」
<つぶやき>本音(ほんね)で話ができて、やっと一人前の夫婦(ふうふ)になるのかも。無理(むり)しちゃダメだよ。
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T:0327「等々力教授の研究室」
 大学内で記者会見(きしゃかいけん)をする等々力(とどろき)教授(きょうじゅ)。いよいよ研究(けんきゅう)の成果(せいか)を発表(はっぴょう)することに。教授の横で心配(しんぱい)そうな顔で立っていた元助手(もとじょしゅ)が声をかけた。
「教授。本当に大丈夫(だいじょうぶ)なんですか? 前みたいに、また失敗(しっぱい)ってことに」
「今度は大丈夫だ。ちゃんと実証(じっしょう)実験は成功(せいこう)してるんだ。まあ、見てなさい」
 教授は大勢(おおぜい)いる記者の前に進み出た。一斉(いっせい)にフラッシュがたかれる。早速(さっそく)、記者の一人が声をあげた。「教授、画期的(かっきてき)な掃除機(そうじき)を発明(はつめい)されたとか。どんな掃除機なんですか?」
「ゴミ捨(す)ての必要(ひつよう)のない掃除機だ。吸(す)ったゴミを異空間(いくうかん)へ飛ばしてしまうんだ」
 教授は勢いよく布(ぬの)を取る。中から現れたのは、かなり大きなファンがついた掃除機らしきもの。「この巨大(きょだい)ファンで勢(いきお)いをつけて、異空間へビューッと送り込む」
 教授はゴミ箱(ばこ)のゴミを床(ゆか)にまき散(ち)らすと、掃除機のスイッチを入れた。轟音(ごうおん)と共に巨大ファンが回り出す。掃除機は順調(じゅんちょう)にゴミを吸い始めた。しばらくして、部屋の空気が生暖(なまあたた)かくなったかと思うと、天井(てんじょう)の方から細(こま)かい埃(ほこり)のようなものが降(ふ)ってきた。その量(りょう)は徐々(じょじょ)に増(ふ)えていく。会場は騒然(そうぜん)となり、記者たちは悲鳴(ひめい)を上げて部屋から逃(に)げ出した。
 取り残(のこ)された教授は首(くび)を傾(かし)げる。教授は、駆(か)け寄って来た元助手に言った。
「君(きみ)も准教授(じゅんきょうじゅ)になったんだ。どうだね、君のところの優秀(ゆうしゅう)な助手を、一人まわしてくれんか。そしたら、この研究も実(み)を結(むす)ぶかもしれん」
<つぶやき>忘れた頃にやって来る等々力教授。次回はどんな研究を見せてくれるのか。
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T:0328「早春の頃」
「ダメよ、そんな薄着(うすぎ)じゃ。まだ寒(さむ)いんだから、一枚余分(よぶん)に着ていきなさい」
 私は出かけようとしている娘(むすめ)に言った。娘はブツブツ言いながらも、私の言うことを聞いて出かけて行った。私は、ふと昔(むかし)のことを思い出す。早春(そうしゅん)の淡(あわ)い思い出。
 あれは、彼と付き合い始めて間(ま)もない頃(ころ)。デートをするにもドキドキだった。少しでも可愛(かわい)く見せようと、私は春らしい服(ふく)を選(えら)んだ。まだちょっと肌寒(はだざむ)いのに。彼が来るのを待っている間、私は身体(からだ)が冷(ひ)えきって。お母さんの言うことを聞けばよかったと後悔(こうかい)した。
 彼が来たとき、私は作り笑(わら)いをして…。でも、無理(むり)してることは彼にはバレバレで。彼ったら私の手を取って…。彼と手をつないだのは、これが初めてだったかも。彼は両手(りょうて)で私の手を暖(あたた)めてくれた。そして、手をつないだまま、彼のコートのポケットへ…。
 彼は、そのまま何も言わずに歩き出す。私は恥(は)ずかしくって、うつむいたままついて行く。彼って、とってもシャイだったから。今は、その陰(かげ)すら見当(みあ)たらないけど…。
 私は居間(いま)でゴロゴロしている夫(おっと)を見た。あの頃の彼はどこへ行ったのかなぁ?
「ねえ、あなた。今日は休みなんだし、デートでもしませんか?」
 彼は面倒(めんど)くさそうな顔をしながらも、「ああ、いいよ」って。二人、寄り添(そ)って歩く。こんなの久(ひさ)しぶりじゃない。私は彼のコートのポケットへ、そっと手を突(つ)っ込んだ。
<つぶやき>恋をして間もない頃は、ちょっと背(せ)のびしていい格好(かっこう)をしたがるものです。
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T:0329「リラックス法」
「君(きみ)は、どうして気にならないんだ?」彼は彼女を見つめて言った。
 彼女はうんざりしたように、「何よ。もう、そんなこと、どうでもいいじゃない」
「この形(かたち)。ちょっといびつな円形(えんけい)で、それが何とも言えず、ほにょっとしてて味(あじ)わいがある。それに、この香(かお)りだ。君は、どうしてこいつに惹(ひ)かれるのか探究(たんきゆう)すべきだ」
「あたしは、別に惹かれて買って来たわけじゃないわ」
「それは意識(いしき)してないだけだ。君は無意識(むいしき)のうちにこいつを選(えら)び口にしている。僕(ぼく)の統計(とうけい)によると、君はこの一ヵ月の間、毎週必(かなら)ず購入(こうにゅう)して僕に食べるように勧(すす)めている。それは、どういうことなのか。僕に、こいつを買ってこいと、暗示(あんじ)をかけようと――」
 彼は、些細(ささい)なことが気になってしまうのだ。それが解決(かいけつ)しないと、他のことが手につかないこともある。彼女はそのことをよく知っていた。だから、それ以上何も言わずに、彼の話を聞き続けた。彼女は袋(ふくろ)の中のこいつを食べつくすと、彼の持っている最後(さいご)の一枚をつかみ取り、口の中に放(ほう)り込んだ。そして、バリバリとかみ砕(くだ)く。
 彼は思わず息(いき)を呑(の)んだ。そして、ひきつった声で叫(さけ)んだ。
「なぜだ! 君は、僕の、僕の一枚を…」
「もう行くよ。早くしないと遅刻(ちこく)しちゃうでしょ。あたしの親(おや)、そういうのうるさいのよ」
「ああ、分かってるよ。今日が大切(たいせつ)な日だってことは、ちゃんと理解(りかい)しているつもりだ」
<つぶやき>人は緊張(きんちょう)すると、普段(ふだん)の習慣(しゅうかん)を思わずして平常心(へいじょうしん)を保(たも)とうとするのです。
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T:0330「お返し」
 とある会社(かいしゃ)の会議室(かいぎしつ)。男性社員(しゃいん)が集まって秘密(ひみつ)の会議が開かれていた。議題(ぎだい)は、ホワイトデーのお返(かえ)しをどうするか。課長(かちょう)がまず提案(ていあん)を出した。
「今年は、みんなでお金を出しあって、不公平(ふこうへい)のないようにしたらどうだろう」
 強硬派(きょうこうは)からは、「そんなのやめましょうよ。向こうが勝手(かって)に配(くば)ってるんですよ。どういうつもりか知らないけど、知らん顔しとけばいいんですよ」
「ちょっとそれは乱暴(らんぼう)じゃないでしょうか」入社(にゅうしゃ)三年目の社員が言った。「やっぱり、ちゃんと誠意(せいい)は見せないといけないんじゃないかと…」
「お前はいいよなぁ。俺たちとは違(ちが)って、いいもんもらってんだから。こちとら、義理(ぎり)だよ、義理。それも、こんなちっちぇヤツ」
 隅(すみ)の方で黙(だま)って聞いていた係長(かかりちょう)が口を開いた。
「でも、毎年、何かしらもらえるんですよ。我々(われわれ)、中年(ちゅうねん)男性が、若(わか)い女性からプレゼントを受け取れるなんて機会(きかい)、滅多(めった)にないじゃないですか。私なんか、自分の娘(むすめ)からもそっぽを向かれて、妻(つま)からだってプレゼントのプの字も出やしない」
 会議室は静(しず)まり返った。それぞれの思いがあるようだ。ホワイトデーの習慣(しゆうかん)の波紋(はもん)は、どこまで広がっていくのか。今年も、紛糾(ふんきゆう)を極(きわ)めそうだ。
<つぶやき>ここは、お返しはしてあげた方が良いかもしれませんね。気持(きも)ちですから。
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T:0331「スマちゃん」
 流行(はやり)に乗り遅(おく)れまいと佳代(かよ)はスマートフォンを購入(こうにゅう)した。これで友達(ともだち)からバカにされることは無(な)くなるだろう。佳代は早速(さつそく)電源(でんげん)を入れて使ってみることに。CMでやってるように、スマちゃんに話しかけてみた。
「あたしのこと、好(す)き?」
 速攻(そつこう)返事(へんじ)が返ってくる。「好きって言ってほしいのか? うざい」
 佳代は一瞬(いつしゆん)言葉(ことば)を無(な)くした。まさかこんな返事(へんじ)が返ってくるなんて。気をとり直(なお)して、もう一度話しかけてみる。「今の天気(てんき)は?」
 しばらく間(ま)をおいてスマちゃんが答(こた)えた。「そんなの、空(そら)を見りゃ分かるでしょ」
 佳代は呟(つぶや)いた。「何なのよ。何でちゃんと答えてくれないの。もう、使えないヤツ」
 次の瞬間(しゅんかん)、スマートフォンがけたたましく鳴(な)り出した。そして、早口(はやくち)でしゃべり出す。
「あのさ、使えないのはアンタでしょ。何よ、しょうもない質問(しつもん)ばっかして。好きな男がいないもんだから、あたしに好きって言わせようなんて。一人でいるのがそんなに淋(さび)しいのか。ハハハハ、いい年した女が笑(わら)っちゃうわよ。これからは、気やすく話しかけないで。いい、今度しょうもない質問したら――」
「もう、どうして…。どうやって止めるのよ。こら、黙(だま)りなさい。うるさいってば――」
 佳代は必死(ひっし)になってあちこち押(お)してみた。やっと声が止まると、佳代は荒(あら)い息(いき)をつきながら、「これ、絶対(ぜったい)不良品(ふりょうひん)だわ。何で、こんなのにバカにされなきゃいけないのよ!」
<つぶやき>スマートフォンにスマちゃんと名前をつける。これは淋しい女の始まりかも。
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T:0332「君はだれ?」
 雄介(ゆうすけ)は窓(まど)を叩(たた)く音で目を覚(さ)ました。どうやら勉強(べんきょう)の途中(とちゅう)で寝(ね)てしまったようだ。また、窓を叩く音。雄介は首(くび)を傾(かし)げならがカーテンを開けてみる。すると、窓の外のベランダに女の子が一人。その女の子はにっこり笑(わら)うと、ここを開けてという仕草(しぐさ)。
 雄介は驚(おどろ)いた。でも、ちょっと可愛(かわい)い子だったので、思わず窓を開けてしまった。これは、男の性(さが)というやつだ。女の子は部屋(へや)へ飛(と)び込むと言った。
「灯(あか)りが見えたから来ちゃった。ねえ、ここにいてもいい?」
 雄介は一瞬(いっしゅん)言葉(ことば)を失った。何をどう言ったらいいのか思いつかない。女の子はベッドの上に飛び乗ると、楽しそうに飛びはねた。雄介は何とか彼女を落ち着かせると、
「君(きみ)はだれ? どうやって入ったんだよ。ここは、三階だぞ」
 女の子は言った。「あたし、龍子(りょうこ)。しばらくお世話(せわ)になるわね。よろしく」
「いやいやいやいや、それはダメでしょ。そんなこと、家族(かぞく)にバレたら――」
「気をつかわなくてもいいのよ。あたし、寝る場所(ばしょ)があれば、それでいいんだから」
「ここで寝るの? いやいや、それはまずいしょ。母(かあ)さんに見つかったら――」
「いいじゃない。あたし、全然(ぜんぜん)平気(へいき)だから」龍子は雄介の顔をしげしげと見つめてから、満面(まんめん)の笑(え)みで言った。「人間とおしゃべりするなんて三百年ぶりよ。何か、楽しい!」
<つぶやき>彼女は何者(なにもの)なのでしょう? どうしてここに来たのか、想像(そうぞう)してみて下さい。
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T:0333「花粉デビュー」
 周(まわ)りでくしゃみをしたり鼻(はな)をかんだりしている人が増(ふ)えていた。友達(ともだち)にも何人かいて、その辛(つら)さは何となく分かっていたつもりでいた。私には、花粉症(かふんしょう)なんてずっと他人事(ひとごと)のようにしか思えなかった。だって、全然(ぜんぜん)平気(へいき)だったんだから。ついこの間(あいだ)までは――。
 それは突然(とつぜん)やって来た。鼻がムズムズしてきて、くしゃみが止まらない。目もしょぼしょぼして…。友達に話したら、嬉(うれ)しそうな顔をして、
「花粉デビューしたんだ。これで、あなたも私たちのお仲間(なかま)ね。これからは何でも相談(そうだん)して。先輩(せんぱい)として、いろいろアドバイスしてあげる」
「そう…、ありがとう。何か、助(たす)かるわ――」
 私は、何か変な感じだった。嬉(うれ)しいような…、悲(かな)しいような…。
 別の友達に花粉症になったって話したら、その娘(こ)は心配(しんぱい)そうな顔をして、
「そうなんだ。大変(たいへん)ね。じゃあ、しばらくは誘(さそ)わない方がいいよね」
 何でよ。花粉症になったら、遊(あそ)びに出かけちゃいけないの? 私は、何だか仲間はずれにされたような気分(きぶん)。そう言えば、この娘(こ)って花粉症じゃなかったわ。
 私はにっこり微笑(ほほえ)んで、その子に言ってやったわ。
「そうね。でも、大丈夫(だいじょうぶ)よ。あなたも、すぐに私たちのお仲間になるんだから」
<つぶやき>日頃(ひごろ)から気をつけた方がいいですよ。今は大丈夫でも、いずれあなたも…。
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T:0334「神様のお告げ」
<今日、最初(さいしょ)に言葉(ことば)を交(か)わした人と、お前は恋(こい)をする>
「ええっ…。どうして? そんなこと…」愛菜美(まなみ)はうなされるように寝言(ねごと)で呟(つぶや)くと、布団(ふとん)の中からはね起(お)きて叫(さけ)んだ。「何でよ!」
 我(われ)に返った愛菜美は、辺(あた)りを見回してホッと胸(むね)を撫(な)で下(お)ろす。
「今のは夢(ゆめ)…。夢だったんだ。あーっ、何て夢なの――」
 ――彼女は顔を洗(あら)いながらも、さっきの夢の言葉が頭から離(はな)れない。最初に言葉を交わした人と…。「まさか、そんなこと…。ないない、絶対(ぜったい)ないわよ」
 頭ではそんなこと分かっている。でも、気持(きも)ちでは…。「もし、そうなったら? 今日は会社(かいしゃ)に行かなきゃいけないし。そうなると…、最初に言葉を交わすのは――」
 いつも、会社で真っ先に顔を合わせるのは上司(じょうし)である。あの、ぶくっと出っぱったお腹(なか)に、脂(あぶら)ぎった顔――。愛菜美は、上司の姿(すがた)が頭に浮(う)かんで身体(からだ)を震(ふる)わせた。
「絶対いやよ。あんな人に恋をするの? 冗談(じょうだん)じゃないわよ。それに、あの人、奥さんがいるのよ。じゃあ、あたしは不倫(ふりん)しちゃうってこと!」
 愛菜美は玄関(げんかん)に座(すわ)り込み頭を抱(かか)えた。「ダメだ~ぁ。今日、会社、休もう。そうよ、そうすれば…。大丈夫(だいじょうぶ)よ。あたし、有休(ゆうきゅう)だって残(のこ)ってるし。それがいいわ」
 彼女は携帯(けいたい)電話を取りだして、会社の番号を呼び出した。そして、通話(つうわ)ボタンを押(お)しかけて手を止めた。「ダメ…。誰(だれ)が出るか分からないじゃない。どうしようっ!」
<つぶやき>これは夢ですよ。それに、最初に言葉を交わすのは別の男性かもしれません。
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T:0335「あなたは誰?」
 部屋(へや)の片付(かたづ)けをしていたとき、一枚の写真(しゃしん)を見つけた。それは本棚(ほんだな)の中の、本の間(あいだ)にずっと挟(はさ)まっていたようだ。たまっていた本を処分(しょぶん)しようと思わなかったら…、手に取った本をパラパラとめくらなかったら…、いつまでも気づくことはなかっただろう。
 その写真に写(うつ)っているのは、間違(まちが)いなく私。でも、私の隣(となり)に写っている男性は…、誰(だれ)なんだろう? 私はいくら考えても全く思い出せない。写真を見る限(かぎ)り、そんな昔(むかし)じゃない。この髪型(かみがた)は…。そうよ、四、五年くらい前。私、この髪型にしてたわ。
 写真の中では、私はその人と二人で肩(かた)を組(く)んで、馬鹿笑(ばかわら)いをしている。男の人と肩を組むなんて、よっぽど親(した)しい関係(かんけい)よね。なのに、何で覚(おぼ)えてないんだろう。私はモヤモヤとした心持ちになり、部屋の片付けどころではなくなった。
 私は、その頃(ころ)の友達(ともだち)に片っ端(かたっぱし)から電話(でんわ)をかけた。ここに写真があるってことは、友達の誰かが写真を撮(と)ったはずよ。きっと、誰か覚えているはず。
 二時間後、私のささやかな期待(きたい)も崩(くず)れ去(さ)ってしまった。何でよ。こんな楽しそうにしてる写真なのに、何で誰も覚えてないの? そんなことあり得(え)ないでしょ。
 私は写真を手に取ると、そこにいる誰だか分からない男性に向かって呟(つぶや)いた。
「あなたは誰なの? 私と肩を組むなんて、百万年早いわよ。さあ、答えなさい。どうして、私の記憶(きおく)に残(のこ)らなかったの?――もう、何とか言いなさいよ!」
<つぶやき>記憶が消(け)されたのかも。そこには、とんでもない陰謀(いんぼう)が隠(かく)されていたりして。
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T:0336「初めての料理」
「ごめんね。そんなことまで…」布団(ふとん)の中で彼は弱々(よわよわ)しく言った。
「大丈夫(だいじょうぶ)よ。そんなこと言わないで」彼女はにっこり微笑(ほほえ)むと、「これでも、料理(りょうり)は好きなのよ。元気(げんき)になるように、美味(おい)しいもの作るから待ってて」
 彼女はそう言うと台所(だいどころ)へ立った。だが、一つ問題(もんだい)が…。信じられないことかもしれないが、彼女は今まで一度も料理をしたことがなかった。まず、彼女は料理本をバッグから取り出した。一応(いちおう)、何を作るかは決めていたようだ。
 どのくらいたったろう。彼が目を覚(さ)ますと、扉(とびら)の向こうからガシャンと大きな音がした。そして、彼女の小さな悲鳴(ひめい)…。彼は心配(しんぱい)になり、布団の中から声をかけた。だが、彼の声が届(とど)かなかったのか、彼女からの返事(へんじ)はなかった。
 彼は布団から起(お)き上がった。何だか、焦(こ)げ臭(くさ)い匂(にお)いが…。ますます彼は不安(ふあん)になり、布団から這(は)い出して扉(とびら)の前まで…。その時だ。扉がスーッと開いて、彼女が入ってきた。
「あっ、起きたの? だめよ、まだ寝(ね)てなきゃ」
「でも、何か…、大丈夫かなって。ほら、君(きみ)んちの台所と違(ちが)って――」
「そんな心配しないで。何か、恥(は)ずかしいけど、お粥(かゆ)を作ったの。食べてみて」
 台所を覗(のぞ)くと、流(なが)しには焦(こ)げた鍋(なべ)などが放(ほ)り込まれ、その中にレトルトパックが――。
<つぶやき>この後、彼女は料理教室で猛特訓(もうとつくん)を始めた。好きな人のために、がんばれ!
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T:0337「猫カメラ」
 教授(きょうじゅ)は助手(じょしゅ)の未来(みく)の肩(かた)に手をやり言った。「どうだね。彼の行動(こうどう)は?」
 未来は教授の手をどけさせようと肩を動かして、「何か、どっかのお店(みせ)に入ったようです」
「お店?」教授はモニターを見つめた。そこは、どこかで見覚(みおぼ)えのある…。
 モニターにドレスを着た若い女性が現れた。彼女は彼を抱(だ)きあげたらしく、お店全体(ぜんたい)がモニターに映(うつ)し出された。それを見た未来は、「いやだ。ここってキャバクラじゃ…」
「何でだ。猫(ねこ)の分際(ぶんざい)で、スミレちゃんに抱(だ)っこされるなんて――」
「教授…? まさか、このキャバクラ知ってるんですか?」
「何を言ってるんだ。私が知るわけないだろ。私は毎晩(まいばん)フィールドワークで忙(いそが)しいんだ。そりゃ、たまたま、キャバクラの前は通ることはあるかもしれんが――」
 小さなスピーカーからキャバ嬢(じよう)の楽しげな声が飛び込んでくる。
「ねえ、スミレちゃん。あの変なおじさん、今日も来るかな?」
「う~ん、分かんない。でもね、あの人、どっかの大学(だいがく)の先生(せんせい)みたいだよ。何でも、都会(とかい)で暮(く)らしてる猫(ねこ)のことを調(しら)べてるんだって。あたしには難(むずか)しくって」
「それにしちゃ、毎晩のように来てない? 何を調べてるんだか――」
 教授はスピーカーのスイッチを切ると真顔(まがお)で言った。「もう、いいだろ。今夜はこの辺(へん)で切り上げよう。私は、ちょっとカメラを回収(かいしゅう)してくるから。君は、もう帰ってもいいよ」
 未来は呆(あき)れた顔をして言った。「教授、今夜も行くんですね」
<つぶやき>都会で暮らす猫は世渡(よわた)り上手(じょうず)なんです。どこにでも入り込み、その愛嬌(あいきょう)で…。
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T:0338「女神が美人?」
 男は、突然(とつぜん)目の前に現れた女に向かって言った。
「なに言ってんだよ。女神(めがみ)って顔じゃないだろ。冗談(じょうだん)もほどほどにしてくんない」
「そう、別にいいのよ。あたしも、こんなことやりたくないし。ずっと独(ひと)りでいなさい」
 女は不機嫌(ふきげん)な顔をして、「恋(こい)の女神を怒(おこ)らせるなんて、どうなっても知らないから」
「残念(ざんねん)でした。俺、彼女いるから。欺(だま)すんなら他の男にしなよ」
「じゃ、確(たし)かめてみる?」女が一点を指(ゆび)さすと、そこに若い女性が現れた。
 男は驚(おどろ)いた。それは付き合っている彼女だったのだ。男は彼女に駆(か)け寄り、
「どうしたの? こんなとこで会うなんて。ねえ、これから食事(しょくじ)でもしない?」
 彼女は眉間(みけん)にシワを寄せて、「冗談(じょうだん)言わないで。何であなたと」
「どうしちゃったの? なに怒ってんだよ。昨夜(ゆうべ)だって二人で――」
「ばっかじゃないの。何で私が、好きでもない男と食事しなきゃいけないのよ」
 彼女は男をにらみつけて行ってしまった。女はけらけらと笑(わら)った。
「残念ね。これで分かったでしょ。あたしが恋の女神だってこと」
 男は吐(は)き捨(す)てるように、「嘘(うそ)だ! お前みたいな不細工(ぶさいく)な女神がいるもんか」
「あ~ぁ、これだからヤなのよ。すべての女神が美人(びじん)だって、誰(だれ)が決めたのよ!」
<つぶやき>イメージだけが一人歩きして、ホントのことが見えなくなっていませんか。
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T:0339「夫婦が別れる時」
「ねえ、泊(と)まってもいい? 今日は帰りたくないの」
 静香(しずか)は今にも泣(な)きそうな顔をして鼻(はな)をすすった。さっきまで楽しくおしゃべりしていたのに、どうしたのか? でも、好恵(よしえ)には何となく分かっていた。何かあるんだなって。
「どうしたの? 旦那(だんな)さんと喧嘩(けんか)でもした?」
「ううん、そんなんじゃ…。最近(さいきん)変なの。あたし、どうしてあの人と結婚(けっこん)したんだろ。あたし、あの人のことホントに好きだったのかな?」
「はぁ? なに言ってんのよ。さんざん私にのろけ話(ばなし)しといて」
「だって、結婚ってバラ色って言うじゃない。全然(ぜんぜん)、そんなんじゃないんだもん」
「浮気(うわき)でもされたの? それとも…」
「彼は、そんな人じゃないわよ。そういうことじゃなくて、何か、違(ちが)う気がするの」
「独身(どくしん)の私にはよく分かんないけど…。一緒(いっしょ)に暮(く)らしてればいろいろあるんじゃないの。ほら、今まで気づかなかったことが、目についてくるとか」
「そうね…。あたし、怖(こわ)いの。彼がなに考えてるのか…。ホントに、あたしのこと愛してるのかな? ねえ、どう思う? あたし不安(ふあん)なの。今まで二人で笑(わら)えたことが、何か、笑えなくなってるの。あたし、笑えないの。どうしよう…。あたし、どうすればいい?」
 静香の頬(ほお)に涙(なみだ)がつたう。好恵は彼女の肩(かた)を抱(だ)いて、「もう、考えすぎよ。彼は、ちゃんと静香のこと愛してるわ。それは、あなたがいちばん分かってるじゃない」
<つぶやき>今まで気にしなかったことが気になりはじめ。それがさよならの始まりかも。
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T:0340「正直者」
「お前、また振(ふ)られたんだってな。これで何回目だ?」
「えーっと、二十回目までは数えていたんですが…」
「今回も、あれだろ? 初対面(しょたいめん)の女に、好きだって、迫(せま)ったんだろ」
「いや、迫ったつもりはないんですが、僕(ぼく)の本当(ほんとう)の気持(きも)ちを分かってもらおうと…」
「あのな、そんなんじゃ誰(だれ)だって逃(に)げ出すぞ。全然(ぜんぜん)知らない男からそんなこと言われて、ホイホイついてく女なんかいないんだから。少しは学習(がくしゅう)しろよ」
「しかしですね、僕は、やっぱり、ここはきちんと――」
「お前は、バカか? そんなの別(べつ)にいいんだよ。見栄(みえ)はろうが、多少嘘(うそ)ついたって、女を口説(くど)くには必要(ひつよう)なことなんだから。女のほうだって同じさ」
 男は目の前を歩(ある)く女性を見て、「ほら、あの女、けっこう美人(びじん)じゃないか。どうだ?」
「えっ? どうだって?」
「だから、好きにならないか? 俺(おれ)だったら、ナンパしちゃうけどなぁ」
「はあ、そうですか? いや…、僕は、別に…」
「何でだよ。お前の美的(びてき)センスはどうなってんだ? 今の、めちゃくちゃ可愛(かわい)かったじゃないか。じゃあ、一応(いちおう)訊(き)くけどさ、お前が好きになる女って、どういうタイプなんだ?」
<つぶやき>好きになる基準(きじゅん)は、みんなバラバラなのかもね。そうでないと不公平(ふこうへい)です。
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T:0341「待ち伏せ」
 私には片思(かたおも)いの先輩(せんぱい)がいる。学校で何度か告白(こくはく)を試(こころ)みたが、二人だけになるチャンスもなく今にいたっている。でも、今日こそは誰(だれ)にも邪魔(じゃま)されず、告白してやるぞーぉ。
 私、気づいたの。夕方(ゆうがた)、部屋の窓(まど)から外(そと)を見たとき、先輩が家の前を歩いていた。まさか、先輩が塾(じゅく)に行くのに、私の家の前を通るなんて。何で今まで気づかなかったのよ。
 先輩が塾に行く曜日(ようび)と時間はちゃんとリサーチ済(ず)みよ。今日、先輩は間違(まちが)いなく家の前を通るはず。そこを待(ま)ち伏(ぶ)せて、私の思いを伝(つた)えるの。私はドキドキしながら、部屋の窓から外を眺(なが)めていた。外は夕暮(ゆうぐ)れで、もう薄暗(うすぐら)くなっている。そこへ、人影(ひとかげ)が…。あれは間違いなく先輩よ。私は慌(あわ)てて階段(かいだん)を駈(か)け降(お)りて、玄関(げんかん)の扉(とびら)を開けた。
 先輩の顔なんて、まともに見られない。私はうつむいたまま、先輩の前に飛び出すと叫(さけ)んでしまった。「先輩! 大好きです。私と付き合ってください!」
 しばらくの沈黙(ちんもく)。とっても長く感じたわ。先輩…、何でもいいから言ってください。
「何やってんだ? こんなとこで、恥(は)ずかしいことすんなよ」
 それは、聞き覚(おぼ)えのある声。私は顔を上げる。そこにいたのは、
「お兄(にい)ちゃん! 何でいんのよ。もう、バカっ!」
 その時だ。私の横(よこ)を、先輩が通り過(す)ぎて行った。私は先輩の後ろ姿(すがた)を見送(みおく)って――。これで、私の片思(かたおも)いも終わりだわ。変なヤツって、思われちゃったじゃない!
<つぶやき>恋は思うようにはならないものです。何度失敗(しっぱい)してもいいじゃないですか。
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T:0342「寝言」
 妻(つま)は朝からご機嫌(きげん)ななめ。どうやら、夫(おっと)が寝言(ねごと)で女性の名前(なまえ)を呟(つぶや)いたようで…。
「だから、知らないって。そんな名前」夫は困惑(こんわく)顔で言った。
「知らないわけないでしょ。あなたの口から出た名前よ。ちゃんと説明(せつめい)して」
「そんなこと言われても…。たかが寝言じゃないか」
「たかが? たかがって何よ。やっぱり、やましいことがあるのね」
 妻は疑(うたが)いの目を向ける。「あなた、嘘(うそ)をつくとき鼻(はな)がふくらむのよね」
 夫はとっさに鼻を押(お)さえる。妻はしてやったりと、「ほら、やっぱり嘘(うそ)ついてる」
「言っとくけどな、僕(ぼく)は浮気(うわき)なんかしてないから」
 妻は依然(いぜん)として納得(なつとく)してない様子(ようす)。夫はため息をついて、
「分かったよ。佐依子(さえこ)って言うのは、昔(むかし)、付き合ってた彼女だよ。でもな、それは君(きみ)と知り合う前の話で…。彼女とは、別れてから一度も会ってない」
「じゃ、何で知らないって言ったの? 会ってもないのに、何で彼女の夢(ゆめ)なんか見るのよ」
「そんなこと――。だって、また怒(おこ)るだろ。昔の彼女だって言ったら…」
「なに言ってるのよ。私がそんなことで嫉妬(しつと)するとでも思ってるの? じゃ、どんな夢を見たのか、言いなさいよ。何か、とっても楽しい夢を見たんでしょ?」
<つぶやき>夢のことを言われても、困(こま)りますよね。でも、ホッとする夢だったのかも。
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T:0343「社長の恋」
 若(わか)くして事業(じぎょう)を興(おこ)した女性社長(しゃちょう)。今まで仕事(しごと)のことしか頭になかった。でも、ひょんなことから、三十路(みそじ)を前にして恋(こい)をしてしまった。そのお相手(あいて)は――。
「えーっ! 二十四…、二十四なの?」彼女は明らかに動揺(どうよう)していた。
「俺(おれ)って、老(ふ)けて見られるんだよね。いつも三十代だと思われてて」
 若者(わかもの)はあっけらかんとしていた。彼女は年上(としうえ)だと思っていたのに、五つも年下(としした)なんて想像(そうぞう)すらしていなかった。
「何で? 何で私なんかと付き合おうって…。私、来月で三十だよ」
「そうなんだ。誕生日(たんじょうび)っていつなの? お祝(いわ)いしなくちゃね」
「いやいや、そういうことじゃなくて…。あの、五つも年上なんだよ。いいの?」
「えっ、そういうの気にするんだ。俺は別に――。それと…、もう一つ言わなきゃいけないことがあるんだけど」若者は彼女の方に向き直り、「俺さ、実(じつ)は…、派遣(はけん)なんだよね。ごめん。欺(だま)すつもりじゃなかったんだ。何か、言い出しにくくてさ」
「えっ、それって…」彼女は完全(かんぜん)にフリーズ状態(じょうたい)。いろんなことが頭の中を駆(か)けめぐった。
「そうだよね。君(きみ)は、正社員(せいしゃいん)でバリバリ働(はたら)いてるのに。俺なんかが…」
「いや、そうじゃないの。――実は…、私も派遣なんだよね。ハハハハ……」
<つぶやき>あまりにも違(ちが)う二人。ホントのことを話したら、どうなっちゃうんだろう。
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T:0344「疑惑」
 夫(おっと)が仕事(しごと)から帰ると、妻(つま)は置き手紙(てがみ)を残して実家(じっか)へ。夫は慌(あわ)てて迎(むか)えに行ったのだが…。
「何なんだよ。この、<実家へ帰らせてもらいます>って」
 夫は妻を前にして言った。妻は、ふくれた顔をして夫をにらみつけると、「私、別れます。もう、あなたのことが信じられない」
「貴志(たかし)君、どういうことなんだ?」妻の父親(ちちおや)が口をはさんだ。「君(きみ)は、浮気(うわき)してるのかね」
「えっ、僕(ぼく)がですか? そんな、僕が浮気だなんて――」夫は妻を見る。
「私、知ってるのよ。あなた、薫(かおる)って女と、頻繁(ひんぱん)に連絡(れんらく)取ってるじゃない。スマホの通話履歴(りれき)、ちゃんと残(のこ)ってたんだから」
「薫って?」夫はしばらく考えていたが、「ああっ、それ男だよ。仕事の関係(かんけい)で連絡を取りあってるだけだから。もう、僕が浮気なんかするわけないだろ」
「うそ! そうやって、また私を欺(だま)すの?」
「じゃあ、かけてみろよ」夫は自分のスマホを妻に差し出した。
 妻はスマホを受け取ると、ちょっとためらったが、「かけるわよ。ホントにいいのね?」
 耳元(みみもと)で呼び出し音が鳴(な)りはじめる。妻は落ち着かない様子(ようす)。そして、相手(あいて)の声が…。
「はい。高木(たかぎ)でございます。柄本(えのもと)さん、どうしたんですか、こんな時間に…」
 それは、間違(まちが)いなく女性の声。妻は何も言えないまま、すぐに電話を切った。
<つぶやき>電話の相手は誰だったんでしょう。浮気の相手? それとも、薫の奥さん?
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T:0345「仕返し」
「ねえ、ホントにやっちゃうの?」裕二(ゆうじ)は声をひそめて言った。
「当(あた)たり前よ。あたしを捨(す)てたのよ。これでも生(なま)ぬるいくらいだわ」
 和美(かずみ)は、昨日(きのう)まで付き合っていた彼に振(ふ)られたのだ。それも、ただ一言でバッサリと。その恨(うら)みを晴(は)らそうと、和美は彼を呼び出したのだ。
「でも、何で俺(おれ)が?」裕二はまだ納得(なっとく)がいかないようだ。
「なに言ってるのよ。あなた、何でもするって言ったじゃない」
「そりゃ、言ったけどさ。これは、まずいんじゃないかな?」
 裕二には何となく分かっていた。和美がなぜ振られたのか。彼女は、ちょっと一途(いちず)なところがある。裕二にとっては可愛(かわい)いと思える部分(ぶぶん)でもあるが、他の男性には重(おも)い女ととられかねない。裕二は彼女の未練(みれん)を絶(た)ち切らせようと、思い切った策(さく)に出た。
「じゃあ、水じゃなくて、ペンキをぶっかけてやろうよ。その方がすっきりするだろ」
 和美は一瞬(いっしゅん)ぎょっとして、つばを飲み込んだ。そして、ためらいがちに言った。
「そ、それは…。ちょっとやり過(す)ぎよ。いくらなんでも、そこまでやったら…。それに、そんなことしたら、スーツが駄目(だめ)になっちゃうわ」
「それぐらい何でもないよ。また買えばいいんだし。気にするような――」
「だめ! あたしが買ってあげたスーツよ。そんなことできない」
<つぶやき>どこまでも一途な彼女でありました。多少のことは大目(おおめ)に見てあげて下さい。
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T:0346「姉の弱点」
 横暴(おうぼう)な姉(あね)に悩(なや)まされていた弟(おとうと)。いつも顎(あご)で使われていた。でも、姉に彼氏(かれし)ができたことで、その立場(たちば)が逆転(ぎゃくてん)しそうな雰囲気(ふんいき)。それは、姉のいろんな秘密(ひみつ)を弟がにぎっているからだ。もし彼氏に知られたら、どういうことになるのか――。姉は気が気でない。
 例(たと)えば、小学生の頃(ころ)の恥(は)ずかしい話とか、いろいろ上げれば切りがない。弟はちゃっかりとその彼氏と携帯(けいたい)番号を交換(こうかん)し、ホットラインを確保(かくほ)している。もう姉も手を出すことができない。しかし、姉もこのまま手をこまねいてはいなかった。
「そんなこと言ってもいいのかな?」弟は、姉の要求(ようきゅう)に弱腰(よわごし)ではなかった。
 だが、姉は余裕(よゆう)の表情(ひょうじょう)を見せていた。弟の顔に不安(ふあん)がよぎる。姉は笑(え)みさえ浮(う)かべて、
「いいわよ。彼にはすべてを打ち明けたから。もう知られて困(こま)ることはないの」
 だが、弟もここで引き下がるわけにはいかない。最後(さいご)の手を打った。
「じゃあ、高校の時の告白(こくはく)話とか。あれって、かなり笑(わら)えると思うんだけど」
 姉は顔面蒼白(がんめんそうはく)。声を引きつらせ、「な、何で知ってるの? そんなはずないわ」
 弟の作戦(さくせん)は見事(みごと)に功(こう)を奏(そう)した。「やっぱり、これは話してないんだ。そうだよね。いちばん恥(は)ずかしい話だから。僕(ぼく)も、初めて聞いたとき――」
「嘘(うそ)よ! あんた、私が卒業(そつぎょう)してから入学(にゅうがく)したんじゃない。知ってるはず…」
「学校では有名(ゆうめい)な話だよ。いろいろと情報(じょうほう)は入ってきてたんだ」
<つぶやき>情報を制(せい)する者が人を制する。でも姉弟(きょうだい)なんだから、程(ほど)ほどにしときましょ。
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T:0347「場末の酒場」
 若者(わかもの)が一人、場末(ばすえ)の酒場(さかば)の暖簾(のれん)をくぐった。店の中にはタチの悪(わる)そうな客(きゃく)と、一癖(ひとくせ)も二癖(ふたくせ)もあるような女が、喧騒(けんそう)の中たわむれていた。若者は明らかに場違(ばちが)いな存在(そんざい)だ。
 若者は、カウンターで一人、つまらなそうに呑(の)んでいる女に声をかけた。
「あの、人を捜(さが)してるんですが…。近藤幸恵(こんどうゆきえ)と言います。ご存(ぞん)じありませんか?」
 女は若者の顔をうつろな眼差(まなざ)しで見つめると、「ふん。こんなとこで、本名(ほんみょう)を名乗(なの)るヤツなんていやしないよ。それより、あたしと遊(あそ)んでいかないかい? 安(やす)くしとくよ」
 若者は困(こま)った顔をして、「いや、僕(ぼく)は…。あの、この辺(あた)りで見かけた人がいるんです」
「そんなに良い女なのかい? まったく、やけるねぇ」
「どうしても会いたいんです。会って、連(つ)れ戻(もど)したいんです」
「やめときなよ。どういう事情(じじょう)か知らないけど、こんな所まで流れて来たんだ。もう、汚(よご)れちまってるよ。その女だって、アンタのことなんか忘(わす)れてるさ」
「それでも…、それでも会わなきゃいけないんです。彼女を助(たす)けたいんです」
「アンタもバカだね。良い女は他にいるだろうに…。でも、嫌(きら)いじゃないよ。そういう男」
 女は若者の話を聞いて、「知らないね。右目の下にホクロ…。まあ、気にかけておくよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「よしてよ。そんなこと言われると、何だかこそばゆいよ」
<つぶやき>一人の人のことを、そんなに真剣(しんけん)に思えるなんて。何だかうらやましいです。
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T:0348「いいもん、わるもん?」
「ねえ。ママは、いいもん? わるもん? どっちなの?」
 幼稚園(ようちえん)に通(かよ)い始めた男の子が、迎(むか)えに来たママに訊(き)いた。ママは笑(わら)いながら答(こた)える。
「そうねえ、ママは、いいもんかな。ヨシ君(くん)は、どっち?」
「ボクも、いいもんだよ。じゃあ、わるもんはパパだね」
「えっ? パパがわるもんなんて、かわいそうだよ。パパも、いいもんにしてあげないと」
「でも、いいもんだけじゃつまんないよ。ぜんぜんおもしろくない」
 二人は家に帰るまでこの話で盛(も)り上がった。家の前まで来ると、叔父(おじ)さんが待っていた。
 男の子は叔父さんにも訊いた。「ねえ、おじさんは、いいもん? わるもん?」
 叔父さんはしばらく考えていたが、「君は、何をもっていいもんとわるもんを区別(くべつ)しようとしているのか? 具体的(ぐたいてき)に基準(きじゅん)をハッキリさせてくれ」
 男の子はキョトンと首(くび)を傾(かし)げる。ママは見かねて、
「ちょっと、なに真剣(しんけん)になってるのよ。相手(あいて)は子供(こども)なんだから」
「姉(ねえ)さん、彼はもう立派(りっぱ)な子供だ。適当(てきとう)なことは言えないよ」
 叔父さんは男の子に向き直(なお)ると、「しばらく熟慮(じゅくりょ)が必要(ひつよう)だ。次まで待ってくれないか?」
 ママは呆(あき)れて、「次に来るころには、そんなこと忘(わす)れてるわよ」
<つぶやき>子供にとって、関心事(かんしんごと)は目まぐるしく変わるものです。だから面白(おもしろ)いです。
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T:0349「涙のわけ」
 女性の涙(なみだ)は美しい。誰(だれ)かがそんなことを言っていた。しかし、その裏(うら)にはおぞましい策略(さくりゃく)が隠(かく)されている場合(ばあい)もあるかもしれません。
「あれ、桜井(さくらい)さん? どうしたの、こんな時間まで」
 営業(えいぎょう)から戻った藤本(ふじもと)が驚(おどろ)いたように言った。もう終業(しゅうぎょう)の時間はとっくに過(す)ぎている。
「あの…。藤本さんこそ、どうしたんですか?」香里(かおり)は弱々(よわよわ)しい声を出す。
「僕(ぼく)は、ちょっとトラブっちゃってね。それで…。桜井さんは?」
「あたしは…。明日の会議(かいぎ)の資料(しりょう)を――。もう、あたしって、仕事(しごと)が遅(おそ)いから…」
「そうなんだ。だったら、誰かに手伝(てつだ)ってもらえばよかったのに」
「そんなこと頼(たの)めません。みなさん、お忙(いそが)しいのに…」
 香里は顔を伏(ふ)せる。頬(ほお)にひとすじの涙。「ごめんなさい。あたし、どうしちゃったんだろ」
「あっ…、大丈夫(だいじょうぶ)だよ。僕、手伝うから。どうせ、家に帰って寝(ね)るだけだし」
 ここで彼女をひとり残(のこ)して帰ったら、男としてどうなんだ? と、藤本は思ったのかもしれない。香里はホッとしたように微笑(ほほえ)むと、「ありがとうございます」と頭を下げる。
「いや、いいんだよ。気にしないで」藤本も何となくウキウキとした気分(きぶん)。
 そこで香里が言った。「あの、この後、お礼(れい)に、お食事(しょくじ)でも…。ダメですか?」
<つぶやき>恋愛(れんあい)とは、だまし合いなのかも。相手(あいて)の心をギュッと鷲(わし)づかみにするために。
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T:0350「光る森」
 森の中を男と女が歩いていた。どうやら道に迷(まよ)ってしまったみたい。女は言った。
「ねえ、ほんとにこっちでいいの? もう、あたし、疲(つか)れた」
「もうすぐだって。たぶん、こっちの方だと思うけど…」男は自信(じしん)なさげに答える。
「何それ。あなたが言ったのよ。こっちの方が近道(ちかみち)だって」
「だから、近道だと思ったんだよ。何となく、こう、引(ひ)かれるもんが…」
「もう、イヤ! あなたっていっつもそう。アバウト過(す)ぎるのよ」
「大丈夫(だいじょうぶ)だって。俺(おれ)について来れば心配(しんぱい)ないさ。さあ、行くぞ」
 いつの間(ま)にか、辺りは薄暗(うすぐら)くなってきた。女はますます不安(ふあん)になる。それに、足が痛(いた)くて動けない。女は弱音(よわね)を吐(は)いた。
「もう歩けない。――あたし、疲れたわ。あなたについて行くの」
「なに言ってんだよ。もうすぐだって。がんばれよ」
「あたし、別れる。あなたに振(ふ)り回されるのはもうたくさんよ。うんざりだわ」
 女はしゃがみ込(こ)んでしまった。森は瞬(またた)く間に暗闇(くらやみ)に包(つつ)まれる。もう何も見えない。その時だ。女は足下(あしもと)にかすかに光るものを見つけた。それは、淡(あわ)い緑色(みどりいろ)の光。落ち葉が光を放っていた。女が目を上げると、そこにはまるで道しるべのように、無数(むすう)の小さな光りの点(てん)がどこまでも続いていた。まるで、おとぎの世界に迷い込んでしまったみたい。神秘的(しんぴてき)でこの世のものとは思えない。女は光に導(みちび)かれるように歩き出した。
<つぶやき>森から抜(ぬ)けられるといいのですが。人生も道しるべを見逃(みのが)さないようにね。
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T:0351「ヘコんだ日」
 今日は彼とデートの日。明け方近くまでかかって、たまっていた仕事(しごと)も片(かた)づけた。今日一日、仕事のことなんか忘(わす)れて彼と目一杯(めいっぱい)楽しもう。私は、ウキウキしながら家を出た。
 待(ま)ち合わせの場所(ばしょ)で彼を見つけて、私は手を振(ふ)りながら彼に駆(か)け寄る。彼は、私を見るなりつぶやいた。「今日は可愛(かわい)くないよな。お前の顔、何か変(へん)だぞ」
 私は言葉(ことば)を無(な)くした。確(たし)かに、寝不足(ねぶそく)で目の辺(あた)りがちょっと腫(は)れてるかもしれない。それに、お化粧(けしょう)ののりも…。でも、それは今日のために仕事がんばったからで…。そんな言い方しなくてもいいじゃない。好きな人にそんなこと言われたら、私どうすればいいの?
「ごめんなさい。遅(おそ)くまで仕事してたから…。でもね――」
 彼は私の方を見ようともしないで、「ほら、行くぞ。お前さぁ、のろいんだよ」
 私は、彼のひと言で完全(かんぜん)にヘコんでしまった。こんなんじゃ楽しめないじゃない。せっかくのデートなのに。私はため息(いき)をつく。彼は、そんな私のことなんかお構(かま)いなしに、一人でどんどん歩いて行く。私は追(お)いかけながら、「ちょっと、そんなに急(いそ)がなくても――」
 彼は私の腕(うで)をつかむと、「急がないと売り切れるんだよ。限定(げんてい)モデルなんだ」
「はぁ? なにそれ? 今日は、私とデートじゃ…」
「デートなんかいつでもできるだろ。限定モデルは今日じゃないと手に入らないんだ」
 それって、どういうことよ。私のことは、どうでもいいってこと?
<つぶやき>乙女心(おとめごころ)は、ちょっとしたことで傷(きず)ついてしまうのです。分かってください。
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T:0352「昔の彼」
「えっ! 梶原(かじわら)君? 梶原君なの?」
 彼と会うのは…、10年ぶり、かな? 高二のとき何となく付き合い始めて、卒業(そつぎょう)とともに疎遠(そえん)になってしまった。そもそも、あの頃(ころ)の私たちって、本当(ほんとう)に付き合ってるって言えたのかな? 人を好きになるってことがどういうことなのか、よく分かってなかった気がする。まだまだ子供(こども)だったのよ。
「もう、こんなとこで会えるなんて思ってもいなかったわ」
 私は何だかソワソワして、変な気分(きぶん)だ。だって、ぜんぜん違(ちが)うんだもん。あの頃の彼は、何だがヤボったくって普通(ふつう)の子だったのよ。今、目の前にいる彼とは大違いだわ。
「えっ、私? なに言ってるのよ。私なんか、もうおばさんよ」
 もう、やだ。私の顔をじっと見て…。そんなに見つめられたら…、私、困(こま)るわ。
「でも、それは無理(むり)よ。だって、私…」
 私はさり気なく彼の薬指(くすりゆび)を見る。そこには、何もない。まだ、結婚(けっこん)してないのかも。あーっ、勤務中(きんむちゅう)じゃなかったらよかったのに。
「じゃあ、これ。もう、駐車違反(ちゅうしゃいはん)なんかしちゃダメだよ。罰金(ばっきん)はちゃんと払(はら)ってね」
 彼は、何か言いたげだったけど、そのまま言葉を呑(の)み込んで行ってしまった。私は彼の後ろ姿(すがた)を見つめながら、「また来てね」と呟(つぶや)いた。
<つぶやき>知り合いだからって、特別扱(とくべつあつか)いはしてもらえませんよ。違反(いはん)はしないように。
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T:0353「愛のカタチ」
「ねえ、愛(あい)してるって言って」女は男を見つめて言った。
 男は面倒(めんど)くさそうに答える。
「このまえ言っただろ。そんなこと、いちいち――」
「この前は、この前よ。今のあなたの気持ちを訊(き)きたいの」
 女は男の愛を確(たし)かめたかった。でも男は、そんな女を疎(うと)ましく思っていた。別に嫌(きら)いになったわけじゃない。ただ、愛の言葉(ことば)を口にするのが苦手(にがて)なのだ。女は食い下がる。
「どうして言ってくれないの? あたしのこと愛してないの?!」
「そんなこと訊かなくても分かるだろ。お前に、どれだけ金(かね)使ったと思ってんだ」
「ヤマザキ先輩(せんぱい)は言ってくれたわ。あたしが訊かなくても、会うたびに…」
 男は一瞬(いっしゅん)、耳を疑(うたが)った。こいつ、俺(おれ)がいるのに他の男と…。女はスマホを操作(そうさ)して画面(がめん)を男に向ける。そこに映(うつ)っていたのはゲームのキャラだった。女は、
「ほら。ヤマザキ先輩は、いつもあたしのこと思ってくれてるの」
「何だよ。俺は、こんなのと比(くら)べられてるのか? 信じられねえ。じゃあさ、こいつが、お前に何か買ってくれるのか? こいつが――」
「女はね、気持ちが欲(ほ)しいの。ほんとにあたしのこと、真剣(しんけん)に思ってくれてるって」
「そんなに言うんなら、言ってやるよ。その代わり、プレゼントはいらないんだな」
 女の顔が一瞬引(ひ)きつる。「それはダメよ。あたし、そんなこと言ってないでしょ」
<つぶやき>愛されていれば幸せな気持ちになる。でも欲しい物も…。女は欲張(よくば)りかもね。
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T:0354「狩りしない?」
 僕(ぼく)は街中(まちなか)で声をかけられた。後ろを振(ふ)り返ると、そこにはキュートな女の子が…。しかし、彼女の出(い)で立ちは奇妙(きみょう)なものだった。背中(せなか)には弓矢(ゆみや)を背負(せお)い、長い槍(やり)を手にしている。僕は目を疑(うたが)った。こんな格好(かっこう)で逆(ぎゃく)ナンするなんて、どういうつもりだ?
 彼女は僕を見つめて言った。「ねえ、一緒(いっしょ)に狩(か)りしない?」
「かり? かりって…」僕は彼女が何を言っているのか理解(りかい)できなかった。
「だから、一緒にドラゴンを捕(つか)まえるのよ。ねえ、いいでしょ?」
「ああ、ゲームね。何とかハンターとかそういう――」
「ゲームじゃないわよ」彼女は平然(へいぜん)と言うと、「アンタなら、ドラゴンをおびき寄(よ)せる良い餌(えさ)になると思うの。だから、あたしの狩りを手伝(てつだ)って」
「えっ? いや、それは…。何で僕が、餌にならなきゃいけないんだよ」
「心配(しんぱい)しないで。アンタが喰(く)われる前に、あたしがドラゴンを捕まえるから」
 その時だ。急に日差(ひざ)しが一瞬(いっしゅん)さえぎられたかと思うと、風が巻(ま)き上がった。僕は思わず空(そら)を見上げて、あんぐりと口を開けた。ドラゴンが悠然(ゆうぜん)と旋回(せんかい)していたのだ。
「あらぁ、向こうから来てくれたわ。やっぱ、アンタって良い餌なんだ」
 彼女はそう言うと、僕の手をギュッとつかみ走り出した。
<つぶやき>街中での狩りは危険(きけん)です。人のいないことを確認(かくにん)して、注意(ちゅうい)してやりましょ。
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T:0355「最後の晩餐(ばんさん)」
 テーブルには豪華(ごうか)な料理(りょうり)が並(なら)んでいた。家族(かぞく)が食卓(しょくたく)につく。普段(ふだん)ならみんなの顔に笑(え)みが浮(う)かぶのだが、今夜は様子(ようす)が違(ちが)っていた。何だが、澱(よど)んだ空気(くうき)がただよっている。
 妻(つま)が呟(つぶや)いた。「これが、最後(さいご)の食事(しょくじ)ね。ごめんなさい。こんなものしかできなくて…」
「いいんだよ。私がいたらないばかりに…。すまない」夫(おっと)は深々(ふかぶか)と頭を下げる。
 そこへ娘(むすめ)が、「あのさ、何で別れるのよ。理由(わけ)を教(おし)えてくれてもいいじゃん」
 夫婦(ふうふ)は娘の顔を黙(だま)って見つめる。娘はそれ以上何も言えなくなってしまった。
 妻に促(うなが)され、家族は食事をはじめた。だが、二口三口で手が止まってしまう。妻は声をつまらせながら、「あなた、身体(からだ)には気をつけてね」
「ああ、お前たちも…」夫は涙(なみだ)を必死(ひっし)でこらえながら言った。「夏休みがとれたら、戻(もど)って来るから。それまで、元気(げんき)でいてくれ」
「えっ! 戻って来んの?」娘は驚(おどろ)いた顔で訊(き)いた。「二人、離婚(りこん)するんじゃ…」
 妻は、「何を言ってるの? パパは転勤(てんきん)で、オナラ何とかってとこへ行くの」
「はぁ、何それ? もう、二人とも大げさすぎよ。で、オナラ何とかってどこにあるの?」
 夫はうつむきながら、「アメリカだそうだ。何でも、とっても良い所だと…」
「でも、パパって英語(えいご)できたっけ? ねえ、そんなとこ行って大丈夫(だいじょうぶ)なの?」
「仕方(しかた)ないだろ。会社(かいしゃ)のくじ引きで決まっちゃったんだから」
<つぶやき>くじ引きで転勤先が決まるなんて、何て斬新(ざんしん)なの。でも、飛ばされる方は…。
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T:0356「お年頃」
 姉(あね)はケーキを前にして思い悩(なや)んでいた。今まで体型(たいけい)を気にしたことはなかったのだが、最近(さいきん)ちょっとぽっちゃりしてきたのを自覚(じかく)し始めたようだ。
 そこへ弟(おとうと)が声をかける。「姉(ねえ)ちゃん、何してんの? 眉間(みけん)にシワ寄(よ)せちゃって」
「別に…。これ、叔父(おじ)さんのお土産(みやげ)よ。何か、有名店(ゆうめいてん)の美味(おい)しいケーキなんだって」
「食べないの? 姉ちゃん、ケーキ大好物(だいこうぶつ)じゃん」
「あ、後で食べるわよ。今は、ちょっと…、あれだから…」
「もしかして、彼氏(かれし)とかできた?」
 姉は、明らかに動揺(どうよう)を見せた。上ずった声で、「うるさいな。あっち行ってよ」
 弟はからかうように、「へえ、そうなんだ。まさか、ダイエットとか考えてんの? ムリムリ、姉ちゃんに我慢(がまん)できるわけないよ」
「なに言ってんのよ。それくらい、あたしにだって…」
「じゃあ、これは食べないんだよね。ダイエットしてるのにケーキはまずいっしょ」
「いやいや、アンタのは向(む)こうにちゃんとあるから。これは、あたしのよ」
「でも、食べないんでしょ。だったら、僕(ぼく)が片(かた)づけて――」
 弟はヒョイとケーキをつかんで口元(くちもと)へ。だが、姉の手がそれをはばんで、ケーキは弟の手を離(はな)れ床(ゆか)へべちゃっと落下(らっか)した。姉の叫(さけ)び声が家中に響(ひび)き渡(わた)ったのは言うまでもない。
<つぶやき>叔父さん、このタイミングでケーキはまずいですよ。他の物にしないとね。
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T:0357「秘密のミュージアム」
 そのミュージアムは場所(ばしょ)を移動(いどう)しながら、不定期(ふていき)で公開(こうかい)されていた。しかも、招待状(しょうたいじょう)を受け取った人しか入ることが許(ゆる)されない。
 ミュージアムにはどんな素晴(すば)らしいお宝(たから)があるのか。噂(うわさ)では、歴史(れきし)を塗(ぬ)り替(か)えるような秘宝(ひほう)だとか、偉人(いじん)たちが残した遺品(いひん)の数々。はたまた、宇宙人(うちゅうじん)が残した遺物(いぶつ)だとも囁(ささや)かれていた。だが、その実体(じったい)を語る人は誰(だれ)もいなかった。
 一人のジャーナリストがこの謎(なぞ)に挑(いど)んで取材(しゅざい)を始めた。彼は精力的(せいりょくてき)に動きまわり、何とか招待状を手にすることに成功(せいこう)した。彼は友人の何人かに、そのことを話している。
 ――彼はその後、消息(しょうそく)を絶(た)った。誰も彼の行方(ゆくえ)を知らず、忽然(こつぜん)と消えてしまったのだ。
 一年後、それは偶然(ぐうぜん)だった。友人の一人がアフリカへ取材旅行(りょこう)に出かけたとき、密林(みつりん)の奥地(おくち)の村(むら)に日本人がいるという噂を聴(き)いた。その友人が村へ行ってみると、その日本人はジャーナリストの彼だった。彼は、自(みずか)らの意志(いし)でここへ来たと話した。ここでは、ボランティアとして村の人たちと共(とも)に働(はたら)いていると。だが、肝心(かんじん)のミュージアムのことについては、まったく記憶(きおく)がないようだ。ミュージアムに関(かん)する記憶だけが抜(ぬ)け落ちていた。
 この秘密のミュージアムの謎は深まるばかりだ。その実体をつかむことはできるのか。今でも、世界のどこかでミュージアムの扉(とびら)は開かれているのだ。
<つぶやき>招待状を受取ったら注意(ちゅうい)です。あなたの身に何が起こるか誰にも分からない。
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T:0358「心の波紋」
 昔(むかし)のサークル仲間(なかま)が集まって飲み会が開かれた。僕(ぼく)は遅(おく)れて行ったのだが、十年ぶりぐらいの再会(さいかい)で、なつかしい顔が並(なら)んでいた。僕はその中の一人にくぎ付けになった。
 まさか、彼女が来ているなんて思ってもいなかった。――僕がずっと好きだった人。昔とまったく変わらないその微笑(ほほえ)みに、僕の心はざわついた。今さらどうしちゃったのか…。彼女のことは、もうとっくに忘(わす)れていたはずなのに。
 彼女が僕の方に近づいて来る。僕の心臓(しんぞう)は高鳴(たかな)った。彼女は屈託(くったく)のない笑顔で僕に話しかけてきた。何でそんなふうにできるのか。そりゃ、確(たし)かに彼女とはそういうあれじゃなかったけど…。デートらしいデートもしてないし。僕が勝手(かって)に恋心(こいごころ)をふくらませていただけかもしれないけど。でも、彼女だって気づいていたはずだ。僕が好きだったってこと。
 僕たちは昔話に花を咲(さ)かせた。僕にとってはちょっと切ない思い出…。笑っている彼女を見ていると、今、幸せなんだってことが分かる。彼女の薬指(くすりゆび)には指輪(ゆびわ)も輝(かがや)いているし。
 僕は葛藤(かっとう)していた。今すぐこの場から逃げ出したい気持ちと、彼女のとこをずっと見つめていたい気持ち。――何で僕は来てしまったんだろう。会わなければよかった。そしたら、こんな思いをすることもなかったのに。今さらそんなことを言っても仕方(しかた)がない。そんなこと分かってる。僕の心に広がった波紋(はもん)は、いつまでもどこまでも広がっていく。
 僕は、自分の指輪をさわりながら妻(つま)の顔を思い浮(う)かべた。――僕は、昔の僕じゃない。僕には大切(たいせつ)な人がいる。そして、僕は今、とっても幸せなんだ。
<つぶやき>昔の恋はいつまでも心に残(のこ)っているものです。大切にしまっておきましょう。
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T:0359「第三の人生」
「だから、何であたしにつきまとうのよ。もう、いい加減(かげん)にして」
 加奈子(かなこ)は誰(だれ)もいないはずの隣(となり)の席(せき)へ向かって呟(つぶや)いた。
「わしの第三の人生(じんせい)は、人助(ひとだす)けをすることに決(き)めたんじゃ。あんた、ほんとは困(こま)ってるんだろ?」
 加奈子は首(くび)を振り、「いい。やめてよ。もう、あたしの前から消(き)えて」
「そう言われてもなぁ。わしは浮遊霊(ふゆうれい)だから、どこへでもついて行けるんじゃ」
 その時、男が店に入って来た。男は加奈子を見つけると、彼女の前の席に滑(すべ)り込んだ。
「わるいな、無理(むり)言って」男は加奈子の手を取ると、にっこり微笑(ほほえ)んだ。
 霊(れい)のおじいちゃんは、男が伸(の)ばした手をつかむ。男は身震(みぶる)いして手を引っ込めた。
「こいつはダメじゃ。あんたを幸せにすることはないぞ。苦労(くろう)するだけじゃ」
 何も知らない男は、「加奈(かな)だったら、絶対(ぜったい)助けてくれるって思ってたんだ」
「おいおい。こいつに貢(みつ)いでも何も返ってこないぞ。あんたが損(そん)をするだけじゃ」
 男と霊の言葉(ことば)が彼女の回りを渦巻(うずま)いていく。加奈子は両手(りょうて)で耳(みみ)をふさいだ。
「どうしたんだよ? 金、持って来なかったのか?」男は心配(しんぱい)する素振(そぶ)りもない。
「もう…、もう、いい加減にして! あたしの前から消えなさい」加奈子は思わず立ち上がると男に向かって叫(さけ)んだ。「あんたもよ! どうせ他の女に使う金でしょ。あたしが知らないとでも思ってるの。もう、うんざりよ! 二度とあたしの前に現れないで!」
<つぶやき>もし第三の人生があるとしたら…。あなたはどういう人生を過(す)ごしますか?
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T:0360「父親の心配事」
 和則(かずのり)は妻(つま)から妊娠(にんしん)を告(つ)げられたとき、飛び上がらんばかりに喜(よろこ)んだ。いよいよ出産(しゅっさん)という時も、妻よりもハラハラドキドキして仕事(しごと)も手につかない状態(じょうたい)だった。
「あなたが産(う)むわけじゃないのよ。心配(しんぱい)しないで」と妻の方が冷静(れいせい)だった。
 産まれたのは女の子。和則は赤ちゃんの顔を見るなり、子供(こども)のように泣(な)き出した。
 この日から、和則の父親としての心配事(しんぱいごと)が始まった。和則は妻に宣言(せんげん)した。
「この子は、箱入(はこい)り娘(むすめ)として大切(たいせつ)に育(そだ)てるぞ。そのつもりでいてくれ」
「あなた、この子はまだ赤ちゃんですよ。今からそんなこと…」妻は呆(あき)れるばかりだ。
「もし、変な男が近寄(ちかよ)って来たらどうするんだ。僕(ぼく)たちが守(まも)ってやらないと」
 妻は少しからかうように、「そうね。あなたも学生だった私のこと…」
「僕は、真面目(まじめ)だけがとりえの男だ。変な男じゃないぞ」
 和則はふと考えた。「そうか、そうだよな。学校へ行くようになれば、男との接触(せっしょく)も増(ふ)えてしまう。そうなると…。これは、まずいぞ。今のうちにちゃんとした学校を――」
「もう、今からそんな心配してどうするの? 大丈夫(だいじょうぶ)よ。私たちの子供なんだから」
「あのな、そんなことどうして言えるんだ。この子には絶対(ぜったい)幸(しあわ)せになってもらわないと。そのためにも、ちゃんとした男と結婚(けっこん)をさせて…」
<つぶやき>父親の心配は際限(さいげん)なく膨(ふく)らむもの。そこには妻とは別の、娘への愛がある。
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T:0361「お前は天才だ」
「お前は天才(てんさい)だなぁ。すごいじゃないか」父親(ちちおや)は息子(むすこ)の頭をなでながら言った。
「ありがとう、パパ」息子は得意気(とくいげ)な顔で満面(まんめん)の笑(え)みを浮(う)かべた。
 しかし、翌日(よくじつ)から息子は勉強(べんきょう)をさぼるようになった。宿題(しゅくだい)も手をつけようともしない。
 息子が言うには、「だって、僕は天才だから、勉強なんてバカらしくて…」
 父親はどうしたものかとヘラヘラと笑うばかり。でも、母親(ははおや)はそれを良(よ)しとはしなかった。息子の首根(くびね)っこをつかむと、「あんたは天才でもなんでもないの。何の努力(どりょく)もしないで、何ができるっていうのよ。そんなことしてると、パパみたいになっちゃうからね」
 母親のキツいひと言で、息子は自分の部屋へ引っ込んだ。父親は疑問(ぎもん)に思って訊(き)いた。
「ママ、今のって…、どういうことかな?」
「はぁ? そのまんまの意味(いみ)よ。あなた、勉強を見てくれるのはいいのよ。でも、天才とか、そういう余計(よけい)なことは言わないで。あの子、あなたと同じでお調子(ちょうし)もんなんだから」
「でも、あれは、あの子のやる気を引き出すために…」
「やる気ねぇ。あなたも、もっとやる気を出して出世(しゅっせ)とかしてよ。お願いだから」
「いや、それは…。あの、今はあの子の勉強の話を…」
「あなた、あの子の成績(せいせき)とか知ってるの? 仕事仕事って、今までそういうこと聞こうともしなかったくせに。あたしが、今までどれだけがんばって――」
<つぶやき>会社(かいしゃ)でも家庭(かてい)でも、人を育(そだ)てるのは大変(たいへん)です。長所(ちょうしょ)を伸(の)ばしてあげようね。
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T:0362「普通の人」
 マモル君は彼女から突然(とつぜん)別れを告(つ)げられた。その別れる理由(りゆう)を訊(き)いてみると、
「だって、普通(ふつう)すぎるんだもん。もっとさぁ、何かないの?」
「普通って何だよ。そりゃ、確(たし)かに僕(ぼく)は運動(うんどう)も苦手(にがて)だし、勉強(べんきょう)だってそんなに…」
「あたしさぁ、前(まえ)付き合ってた人が頭(あたま)良すぎたの。だから今度は普通がいいかなって」
「えっ? そんなんで、僕に告白(こくはく)したのかよ。僕のこと好きなんじゃ…」
「う~ん、好きになるかなって思ったんだけど。やっぱ、無理(むり)みたい」
「何でだよ。僕たち、付き合い始めて二日目だろ。まだ、僕のこと何にも――」
「あのね、あたし、よく考えてみたの。この先(さき)あなたと付き合って、何か楽しいことあるかなって。でもね、何にも思いつかなかったわ。だから、別れましょ」
 マモル君の中で何かが切(き)れた。彼はいきなり彼女の腕(うで)をつかむと、ぐいぐいと歩(ある)き始めた。彼女はされるがままに、引きずられるようについて行く。
「ねえ、どこに行くのよ。あたし、これから――」
「いいから、ついて来いよ。これから楽しいことするんだから」
「イヤよ。ちょっと離(はな)して。あたし、帰る」
 この後、二人の姿(すがた)は小さな農園(のうえん)にあった。意外(いがい)にも、彼女はとても楽しそうだ。大根(だいこん)を引きぬきながら、笑顔を見せてはしゃいでいた。
<つぶやき>普通って何でしょう。みんなそれぞれ違(ちが)って、いろんな人がいるから面白(おもしろ)い。
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T:0363「嫉妬するほど」
 由里(ゆり)は駆(か)け込んで来て言った。「拓也(たくや)! その女は誰(だれ)? こんなとこで何してんのよ!」
 振り向いた女の顔を見て、由里は驚(おどろ)いた。それは友だちの、「亜利沙(ありさ)? 何で拓也と…」
 亜利沙は困(こま)った顔をして、「由里…。あのね、これは…、別にそういう――」
「何なのよ。亜利沙、どういうことか説明(せつめい)して。――逃(に)げても無駄(むだ)よ!」
 こっそりと逃げようとしていた拓也は立ち止まった。友里の方にゆっくりと振り返ると、作り笑いをしながら、
「ちょっと待(ま)ってよ。俺(おれ)は別に、まだ、何もしてないから」
「まだ何も…? ということは、何かしようと思ってたってことよね。違(ちが)う!」
 見かねた亜利沙が、「由里、違うのよ。私たち、そういうあれじゃ…ないのよ」
「じゃあ、どういうあれなの? あたしに分かるように言ってみてよ」
 亜利沙と拓也は視線(しせん)を合わせる。何か隠(かく)し事(ごと)があることは間違(まちが)いなさそうだ。
「こんな人気(ひとけ)のない公園(こうえん)で、隠(かく)れるようにして会ってるなんて。どういうつもりよ」
「俺たち、別に隠れてなんかいないし。たまたま、他に人がいないだけで」
「屁理屈(へりくつ)言わないで。いつからよ。二人して、あたしのこと…」
 そこへ男が声をかけた。「由里ちゃん、びっくりパーティーの打ち合わせじゃないの?」
「ヒロシ、あなたも?」亜利沙は渋(しぶ)い顔をして、「もう、二人とも誕生日(たんじょうび)が同じなんだからさ。二人してサプライズしあっても無駄だと思うんだけど」
<つぶやき>誕生日が同じカップルなんて。別々の場所でパーティーはできませんよね。
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T:0364「妖怪雨ふらし」
 それはおばあちゃんちへ泊(と)まることになった日のことです。私たち姉弟(きょうだい)は二人だけでお留守番(るすばん)をすることになりました。その日は夕方(ゆうがた)から雨が降(ふ)り出して、夜になっても雨は止(や)みそうもありませんでした。
 私たちは居間(いま)でテレビを見ていました。その時です。どこからかポタッポタッと音(おと)がします。おばあちゃんちは古い家なので、照明(しょうめい)も薄暗(うすぐら)く、私たちは顔を見合(みあ)わせましたが、確(たし)かめに行く勇気(ゆうき)はありません。私はテレビのボリュームを上げました。
 しばらくして、またポタッポタッと…。それが、こっちへ近づいて来るような、だんだん音が大きくなっていました。その時、隣(となり)にいた弟(おとうと)がワーッと叫(さけ)び声を上げました。私が振り返ると、ちょうど弟が座っていた真上(まうえ)の天井(てんじょう)から水がぽたぽたと落ちています。私はとっさに部屋にあったゴミ箱(ばこ)を下に置(お)きました。水は始めはぽたぽたでしたが、ゴミ箱を受(う)けたとたんに、バチャ、バチャ、ジャーッと勢(いきお)いよく落ちてきます。
 私たちは怖(こわ)くなって…。弟が私にしがみついてきました。私は、雨漏(あまも)りかと思いましたが、そうじゃないと思い直(なお)しました。だってこの家は二階建てで、上には別の部屋が…。
 私たちはおばあちゃんに起(お)こされて目を覚(さ)ましました。水が落ちた跡(あと)はどこにもありませんでした。おばあちゃんにそのことを話すと、また出たのかいって…。それ以後(いご)、同じ体験(たいけん)をすることはありませんでした。でも、今でもその時の記憶(きおく)が鮮明(せんめい)に残(のこ)っています。
<つぶやき>身近にはいろんな妖怪(ようかい)たちが存在(そんざい)します。子供たちと遊(あそ)びたかったのかもね。
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T:0365「愛すること」
「ねえ、知ってる? 恋(こい)には賞味期限(しょうみきげん)があるんだって」
 教子(のりこ)は、ゲームに夢中(むちゅう)になっている義人(よしひと)に言った。でも彼からは、「そうなの?」て、素(そ)っ気(け)ない返事(へんじ)しか返ってこない。教子は思った。こいつ、あたしのこと便利(べんり)な女としか思ってないのかしら。
 二人は付き合い始めて二年になる。恋人(こいびと)たちの別れる確率(かくりつ)が一番多くなる時期(じき)だ。例(たと)えここを無事(ぶじ)に乗り切ったとしても、後は惰性(だせい)でズルズルと行くだけかもしれない。この関係(かんけい)を続(つづ)けるか、それとも別の道へ進(すす)むか。教子は決断(けつだん)の時だと感じていた。
「あたしたちの恋って、そろそろ期限切れなのかな? どう思う?」
 ここまで言って何の反応(はんのう)もなかったら終(お)わりにしよう。教子はそう決(き)めた。だって、女はそんなに待てないの。彼は相変(あいか)わらずゲームを続けながら、気のない返事を繰(く)り返す。
 教子は小さなため息(いき)をついた。そして、彼に別れを切り出そうとしたとき、不意(ふい)に彼が言った。「結婚(けっこん)しよう」――教子はキョトンと彼を見つめる。
「俺(おれ)たちの恋は今日で終わりだ。明日から、俺は君のことをずっと愛(あい)することにするよ」
「えっ? それって…、どういう…」教子は頭の中が真っ白になっていた。
「だから、プロポーズしてるんだよ。俺と一緒(いっしょ)になってくれ。…ダメかな?」
「そ、そんな…。ダメじゃないけど…。――はい。よろしくお願いします」
<つぶやき>愛は動詞(どうし)だと誰(だれ)かが言った。愛は伝(つた)え続けなければ消(き)えてしまうものかもね。
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T:0366「悪友」
「ここで決着(けっちゃく)をつけましょ」
 トイレに立った良彦(よしひこ)を見送って久美(くみ)は言った。
「私、今から彼に告白(こくはく)する」
「告白って…」日菜乃(ひなの)は目を丸くして久美の顔を見た。
「だから、好きだって言うの。いいでしょ? どうせあなたは言えないんだし」
「何よそれ。あたしが彼のこと好きだって知ってるくせに、何でそんな意地悪(いじわる)するの」
「私も、彼のこと好きになったからよ。いけない?」
 久美は挑発(ちょうはつ)するように日菜乃を睨(にら)みつけて、「そうよね。あなたには告白する勇気(ゆうき)ないよね。黙(だま)って見てなさいよ。彼が私のものになるのを」
 そこへ良彦が戻(もど)ってきた。彼が席(せき)につくのを待ちかねたように久美が言った。
「ねえ、あなたに大事(だいじ)な話があるの。聞いてくれる?」
「ああ。なに? 大事な話って…。仕事(しごと)のことだったら――」
 久美は良彦の手を取ってにっこり微笑(ほほえ)むと、「私ね、前からあなたのこと――」
「やめて!」日菜乃が突然(とつぜん)立ち上がって叫(さけ)んだ。
 良彦は驚(おどろ)いて日菜乃を見つめる。良彦と目が合った日菜乃は、ますますオドオドして顔を赤らめた。しばらく日菜乃はためらっていたが、全身(ぜんしん)から絞(しぼ)り出すように言った。
「あたし、あなたのことが好きです! 好きで好きで、どうしようもなく好きなんです」
<つぶやき>告白できない彼女のために、ちょっと悪者(わるもの)になってがんばっちゃいました。
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T:0367「何も言わないで」
 誰(だれ)しも落ち込むことはある。そんな時、どうしようもない気持ちを好きな人に慰(なぐさ)めてもらいたい。でも、それは逆(ぎゃく)にいえば、誰にも見られたくないことでもあるようで…。
「何も言わないで。お願いだから…」
 彼女は背(せ)を向けて彼に言った。彼は、それ以上(いじょう)彼女には近づかなかった。彼女のことをよく知っているから。彼女は背を向けたまま言った。
「あなたに見られたくないの。こんな、ダメダメな私なんか…」
 彼女は涙(なみだ)を必死(ひっし)にこらえているようだ。彼はそっと彼女に近づくと、目をつむって彼女を振(ふ)り向かせ、優(やさ)しく抱(だ)きしめた。
「こうすれば、君の顔は見えない。心配(しんぱい)すんなよ、俺(おれ)がついてる」
「バカ…。あなたがいたって、何もできないじゃない」
「そうかもしれない。そうかもしれないけど、こうやって側(そば)にいることはできるだろ」
「あなたって、ほんとバカなんだから…。もう、知らない」
 彼女は、ギュッと彼を抱きしめた。ひとすじの涙が頬(ほお)をつたう。二人の間には、もう言葉(ことば)は必要(ひつよう)ないようだ。心と心がしっかりとつながっているから。
「あの、お客(きゃく)さま。着(つ)きましたよ」エレベーターガールが言った。「ここは、全方位(ぜんほうい)が透(す)けて見える特別展望室(とくべつてんぼうしつ)になっております。天空散歩(てんくうさんぽ)をお楽しみください」
 彼女は震(ふる)えながら言った。「だからイヤだって言ったじゃない。私、高いところ苦手(にがて)なの」
<つぶやき>もしもこんな場所(ばしょ)があったら、あなたは天空散歩に行きたいと思いますか?
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T:0368「忘れられた記憶」
 父親(ちちおや)の遺品(いひん)を整理(せいり)していたとき、昔(むかし)のビデオテープが何本も見つかった。母親(ははおや)に訊(き)いてみると、まだ幼(おさな)かった子供(こども)たちを撮(と)ったものだという。テープを再生(さいせい)してみると、確(たし)かにそこにはまだあどけない女の子が一人で遊(あそ)んでいる姿(すがた)が映(うつ)し出された。
「わぁ、あたしってこんなに可愛(かわい)かったんだ」姉(あね)が嬉(うれ)しそうに言った。
「お姉(ねえ)ちゃん、これは私よ」妹(いもうと)は映像(えいぞう)を指差(ゆびさ)して、「ほら、ちゃんと私の名札(なふだ)を付(つ)けてる」
 実(じつ)はこの二人、一卵性(いちらんせい)の双子(ふたご)だったのだ。両親(りょうしん)も見分けがつかなくて、小さい頃(ころ)から胸(むね)に名札を付けられていた。
「だったら、あたしはどこにいるの?」
 姉はテープを早送(はやおく)りした。すべてのテープを確認(かくにん)したが、どこにも姉の姿はなかった。
「ねえ、お母さん。何であたしが映ってないのよ。どういうこと?」
 母親は困(こま)った顔をして、「実はね。この頃、あなたは家にいなかったのよ」
「えっ、そうなの? あたし、全然(ぜんぜん)覚えてない」
 妹も記憶(きおく)にないらしく首(くび)を振った。姉は訊いた。「ねえ。あたし、どこにいたの?」
 母親は遠(とお)くを見つめるように、「そうね、あなたがもう少し大人(おとな)になったら話してあげる」
「あの。あたし、もう充分(じゅうぶん)大人なんですけど。今(いま)教えてよ。お願いだから」
<つぶやき>幼(おさな)い頃の記憶には曖昧(あいまい)な部分があるものです。あなたにも隠(かく)された過去(かこ)が…。
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T:0369「ダメ女」
 我(わ)が輩(はい)は猫(ねこ)である。名前(なまえ)はタマ。まあ、ごくありふれた定番(ていばん)のような名前だ。もう少し可愛(かわい)い名前を付けてくれてもよさそうなものだが、我が輩の主人(しゅじん)はまったく無頓着(むとんちゃく)な性格(せいかく)で、仕方(しかた)ないから呼(よ)ばれたら返事(へんじ)を返すことにしている。
 我が輩の主人をひと言で表(あらわ)すと、ダメ女というところだろうか。まず、部屋(へや)の片付(かたづ)けがまったくできない。自分では片付けているつもりだが、あっちのものをこっちへ移(うつ)すだけで何も変わらない。我が輩もできれば手伝(てつだ)ってやりたいところだが、どうにも手が使えないからどうすることもできない。
 こんなんでいいオスが見つかるのか、猫ながら心配(しんぱい)している。まあ、外見(がいけん)はまずまずといったところなのだろうか。今まで、何人かのオスと付き合っていたようだ。しかし、長続(ながつづ)きしない。すぐに愛想(あいそ)を尽(つ)かされて、泣(な)いて帰って来ることもあった。
 我が輩が思うに、いちばんの原因(げんいん)は性格だ。面倒(めんど)くさがりで、飽(あ)きっぽい。料理(りょうり)も苦手(にがて)で、メスとしての魅力(みりょく)がまったく欠乏(けつぼう)している。こんなダメ女を好きになるオスが、はたしてこの世界(せかい)にいるのだろうか。
 我が輩に言えることはひとつだけだ。現実(げんじつ)をしっかりと見つめ、少しずつでもメス力(りょく)を磨(みが)く努力(どりょく)を始めることだ。我が輩も、いつまでも添(そ)い寝(ね)をしてやるわけにはいかないから。
<つぶやき>あなたの飼(か)い猫はどんなことをつぶやいてるか。耳をすましてみませんか?
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T:0370「幽霊部長」
 とある高校(こうこう)の手芸(しゅげい)部。新学期に入り初々(ういうい)しい姿(すがた)の新入部員たちがやって来た。今日は恒例(こうれい)の新入部員歓迎(かんげい)会。一通り自己紹介(じこしょうかい)が終わった後、新入部員たちから質問(しつもん)が出た。
「何で、この部には部長(ぶちょう)がいないんですか?」
 副部長の三枝(さえぐさ)あずさが答(こた)える。「いるわよ。ただ、ちょっと人見知(ひとみし)りでね」
「あの、手芸部なのに何で理科準備室(じゅんびしつ)が部室(ぶしつ)なんです? それに、顧問(こもん)が理科の先生って」
 顧問の先生が答えた。「それはね、他に引き受ける先生がいなかったんだ。だから、僕(ぼく)は手芸のことはさっぱりでね。君たちで適当(てきとう)に――」
 先生の話を遮(さえぎ)るようにあずさが言った。「では、これから本題(ほんだい)に入ります」
 あずさの合図(あいず)で、部員たちが窓(まど)のカーテンを閉(し)め切った。新入部員たちがざわついている中、部屋の中央(ちゅうおう)の机(つくえ)にローソクが置かれ火か付けられた。あずさは新入部員の顔を一人ずつ確認(かくにん)するように見つめながら言った。「では、心霊(しんれい)研究会の霊会(れいかい)を始めます」
 新入部員から驚(おどろ)きの声が上がった。「私たち、そんな部に入るつもりなんて…」
「今さら何を言ってるの?」あずさはにこやかに言った。「あなたたちは、部長に選(えら)ばれたのよ。これは、とっても名誉(めいよ)なことなの。部長に感謝(かんしゃ)しなさい」
 その時、ロウソクの炎(ほのお)がゆれて、どこからともなく声が聞こえた。
「あたし、幽霊部長です。これから三年間、あたしと一緒(いっしょ)に除霊(じょれい)のお手伝(てつだ)いをしてね」
<つぶやき>この学校って呪(のろ)われてるの? 選ばれた新入部員も霊感(れいかん)が強かったりして…。
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T:0371「非通知着信」
 仕事中に和美(かずみ)の携帯(けいたい)が鳴(な)り出した。画面(がめん)の表示(ひょうじ)は非通知(ひつうち)。電話に出てみると、相手(あいて)は女性だった。それも聞き覚(おぼ)えのない声だ。その女性は物凄(ものすご)い剣幕(けんまく)で早口(はやくち)にまくし立てる。何かに怒(おこ)っているようだ。相手の女性は最後(さいご)に言った。
「今夜七時、いつもの公園(こうえん)へ来なさい。話をつけようじゃないの」
 そこで電話は切れた。和美はよくよく考えてみたが、その女性が誰(だれ)なのか見当(けんとう)もつかない。それに、誰かを怒らせるようなことをした覚えもない。いつもの公園ってどこよ?
 きっと間違(まちが)い電話だわ。和美はそう結論(けつろん)づけた。夜になる頃(ころ)には、そんな電話のことなんかまったく忘(わす)れていた。いつものように、その日も一人で眠(ねむ)りについた。
 早朝、和美は携帯の着信音(ちゃくしんおん)で叩(たた)き起こされた。彼女は布団(ふとん)の中から手を伸(の)ばし、携帯をつかむと耳に当てる。いきなり怒鳴(どな)り声が耳に響(ひび)き、彼女は布団から飛び起きた。
「何で来なかったのよ! ふざけるのもいい加減(かげん)にしなさい!」
 それは昨日(きのう)の女性。和美が口をはさむ隙(すき)もなく、その女性は叫(さけ)んだ。
「今から、そっちへ行くから。逃(に)げんじゃないわよ。待ってなさい!」
 電話はぷつりと切れた。和美は呆然(ぼうぜん)とするばかり。何が起こってるのかさっぱり分からない。その時だ。アパートの扉(とびら)をドンドンと叩く音がした。和美はビクッと身(み)をこわばらせる。扉の向こうから女性の声が、「いるんでしょ。開けなさいよ!」
 和美は思わず布団をかぶり、震える声で、「誰なの? あたしが何したって言うのよ」
<つぶやき>知らず知らずのうちに誰かを傷(きず)つけてしまう。そんなことってあるんですよ。
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T:0372「不思議ちゃん」
 久(ひさ)しぶりに同期(どうき)の女性が集まった。新人研修(けんしゅう)で仲良(なかよ)くなったグループだ。だが、その中に一人だけ不思議(ふしぎ)ちゃんが隠(かく)れていた。初恋(はつこい)の話題(わだい)になったとき、
「あたしも、初恋は小学生の頃(ころ)でした。ものすごく好きになっちゃって」
「でもその頃って、好きっていうことが、まだよく分かってないんだよね。だから、先生とか好きになっちゃったりして――」
「ねえ、聞いて下さい」不思議ちゃんは一人で突(つ)っ走る傾向(けいこう)があるようだ。
「あたし、毎晩(まいばん)、一緒(いっしょ)に寝(ね)てたんですよ。もう、可愛(かわい)くって」
 みんなは一瞬(いっしゅん)、彼女の方を見る。隣(となり)にいた女性が訊(き)き返した。
「ああ、それって縫(ぬ)いぐるみかなんかでしょ? よくあるパターンよね」
「違(ちが)います。その子ね、触(さわ)るとヌメヌメしてて、なかなかつかめなくって」
「ヌメヌメって…。絶対(ぜったい)、人じゃないよね。そう言うのは、初恋とは言わないのよ」
「でも、初めて好きになるのが初恋ですよね」
「もう、なに言ってんのよ。あなた、人を好きになったことないでしょ」
「ありますよ。見ます? ちゃんと写真(しゃしん)を撮(と)ってありますから」
 彼女は携帯(けいたい)を取り出した。果(は)たして何が写(うつ)っているのか、みんなは固唾(かたず)を呑(の)んだ。
<つぶやき>ちゃんと男性が写っているといいのですが。初恋の相手(あいて)は何だったんでしょ?
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T:0373「かりそめ倶楽部」
 会員制(かいいんせい)のそのお店には、美しい女性たちが待っている。彼女たちは、美女というだけではなく、いろんな資格(しかく)を持っていた。年齢(ねんれい)も二十歳(はたち)過ぎから七〇代まで様々(さまざま)だ。
 勿論(もちろん)、ここはいかがわしいお店ではない。心の潤(うるお)いを失(うしな)いかけている男たちに、ほんのひととき安らぎを与(あた)えてくれる、そんな隠(かく)れ家的な場所なのだ。
 例(たと)えば、妻(つま)になって優しく接してもらえたり、娘(むすめ)に代わって話し相手(あいて)にもなってくれる。時には、母親として厳(きび)しい言葉で叱(しか)ってくれることもある。このお店の中だけの関係(かんけい)だが、心に小さな灯火(ともしび)を与えてくれると好評(こうひょう)を得(え)ている。
 それだけではない。家族(かぞく)の中で浮(う)いた存在(そんざい)になっている夫(おっと)にとって、ここでの体験(たいけん)を生かし父権(ふけん)の回復(かいふく)を図(はか)ることができるかもしれない。まあ少なくとも、話し上手(じょうず)にはなれるだろう。妻の立場(たちば)からいってもメリットはあるようだ。面倒(めんどう)くさい夫を再教育(さいきょういく)してもらえるし、夫のいない間は自由な時間を楽しむこともできる。
 浮気(うわき)の心配(しんぱい)をされる方もあるかもしれない。その点は充分(じゅうぶん)に配慮(はいりょ)されている。従業員(じゅうぎょういん)の採用(さいよう)には厳(きび)しい審査(しんさ)があり、恋愛感情(れんあいかんじょう)をコントロールできるよう専門(せんもん)のカウンセラーが目を配(くば)っている。さらに、会員の条件(じょうけん)として浮気の経験(けいけん)が無(な)いことをあげている。
 それでも心配される奥様(おくさま)には、オプションとして店内での様子(ようす)を隠し撮(ど)りした画像(がぞう)の配信(はいしん)を行っている。勿論(もちろん)、夫には内緒(ないしょ)ということで…。
<つぶやき>家族のコミュニケーションとれてますか? 不安のある方は、ぜひ会員に…。
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T:0374「本音を吐く」
 等々力(とどろき)教授の研究室(けんきゅうしつ)に若い女性の雑誌記者(ざっしきしゃ)が訪(おとず)れた。部屋に入るなり彼女は言った。
「こんなところで研究をされてるんですか?」
 前回の失態(しったい)で大学から予算(よさん)を削(けず)られ、小さな倉庫(そうこ)へ追(お)いやられてしまったのだ。だが、教授はそんなことでめげるような人ではなかった。
「ところで教授。今はどのような研究をされているんですか?」
「聞きたいかね? そうだなぁ、私の実験(じっけん)を手伝(てつだ)ってくれるのなら、話してもいいが…」
 等々力教授のことを全く知らない彼女は、軽い気持ちで引き受けてしまった。教授が取り出してきたのは、ごく普通(ふつう)のカメラだ。教授はそれを彼女に見せて、
「これは人格(じんかく)を吸(す)い取るカメラだ。これで撮(と)られると、今まで押(お)さえ込(こ)まれていた別の…」
「あの、難(むずか)しいことは分かんないんで、やってみて下さい」彼女は可愛(かわい)くポーズをとる。
 教授はカメラのシャッターを切った。次の瞬間(しゅんかん)、彼女は豹変(ひょうへん)した。
「あたしはファッション誌(し)をやりたかったの! 科学(かがく)雑誌なんてわけ分かんないし、何でこんなおっさんの相手(あいて)しなきゃいけないのよ。もう、やってらんないわよ!」
 彼女は側(そば)にあった椅子(いす)をつかむと振(ふ)り上げた。そこで、彼女の人格が戻(もど)って来たようで、
「あれ? あたし、何でこんなこと…」彼女は戸惑(とまど)いながらゆっくり椅子を下ろした。
 その様子(ようす)を見ていた教授は呟(つぶや)いた。「ダメだ。こんな結果(けっか)じゃ使いものにならん」
<つぶやき>これって成功(せいこう)しちゃってるんじゃないの。この教授、ただ者ではないのかも。
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T:0375「晴れ舞台」
 結婚式(けっこんしき)。それは女子にとって一生(いっしょう)に一度の晴れ舞台(ぶたい)である。
「えっ、何で?」春子(はるこ)は驚(おどろ)いたように言った。「だって、あたしに任(まか)せるって言ったよね?」
「そりゃ言ったけど、これは、どうかな? そこまでやる必要(ひつよう)――」
 春子には、すでに式のイメージが出来上(できあ)がっている。今さら、彼に口出(くちだ)しされても。
「あたしはやりたいの。あなた、あたしのやりたいようにしていいって言ったじゃない」
「でも、こんなことまでやるのかよ。少しは、予算(よさん)のことを考えてくれよ」
「考えたわよ。式場(しきじょう)の人と何度(なんど)も打ち合わせして、これなら出来るって――」
「ちょっと待てよ。俺(おれ)は、こんなことやりたくないよ。上司(じょうし)だって呼(よ)んでるんだぞ」
「はぁ?!」春子は完全(かんぜん)に頭にきていた。「何よそれ。面倒(めんどう)くさいことは全部(ぜんぶ)あたしに押(お)しつけて。それで、やりたくない。そんなこと言うんだ」
「だから、もう少しシンプルに…、普通(ふつう)でいいじゃないか」
「あたし、止(や)める。もう、やってられないわよ」
 春子は書きかけの招待状(しょうたいじょう)の束(たば)をまき散(ち)らした。「結婚はキャンセルよ!」
 彼はまさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。しかし、今さら後に引けず、
「そ、そうか。分かったよ。じゃあ、別れてやるよ。それでいいんだろ」
「結婚式をケチるなんて、あなたってその程度(ていど)の男なのよ。もう知らない!」
<つぶやき>思い出に残(のこ)る結婚式にするために、二人は真剣(しんけん)なんです。早く仲直(なかなお)りしてね。
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T:0376「腰痛は突然に」
 朝の慌(あわ)ただしさは誰(だれ)しもが経験(けいけん)することだ。彼女も、いつものことだが急(いそ)いで身支度(みじたく)を調(ととの)えている最中(さいちゅう)だった。その彼女の手を止めたのは携帯(けいたい)電話だ。
「もう、誰よ。こんな時に…」
 彼女は携帯を手にする。彼からの電話だった。
「もしもし、どうしたの? 私、今、時間が無(な)いの…」
 彼は、小さな声で、途切(とぎ)れ途切れに言った。「た、たすけて、くれ…」
「どうしたの? ねえ、大丈夫(だいじょうぶ)?――今、どこよ?」
 彼女は彼のアパートの前まで来ると呼(よ)び鈴(りん)を鳴(な)らした。しかし何の反応(はんのう)もない。ドアのノブを回してみる。鍵(かぎ)がかかっていた。彼女はバッグから合鍵(あいかぎ)を出してドアを開ける。入ると、目の前に彼が倒(たお)れていた。彼女は駆(か)け寄り、彼の身体(からだ)を揺(ゆ)すって名前を呼んだ。
「痛(いた)いって…。ちょっと、かんべんしてよ」彼はホッとしたように彼女の顔を見た。
 彼から事情(じじょう)を聞いた彼女は、クスクスと笑(わら)った。
「そんなに笑うことないだろ」ベッドに横(よこ)になった彼が言った。
「だって、くしゃみで腰痛(ようつう)になるなんて。おかしくって、フフフ…」
「そういうこともあるんだよ。もう、笑うなって。――でも、ありがとな。助(たす)かった」
「いいえ。会社には連絡(れんらく)したの?――あっ! 私、会社に…。もう、遅刻(ちこく)どころじゃないじゃない。どうしよ~うっ、また上司(じょうし)に怒(おこ)られちゃう」
<つぶやき>彼が心配(しんぱい)で駆けつけたんですね。でも、上司にはどんな言い訳(わけ)するのかな?
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T:0377「両思いなのに」
 気の置(お)けない仲間(なかま)たちが集まってホームパーティーが開かれた。その中ではいろんな話題(わだい)が飛び交った。だが、一番の話題になったのは…。
「なあ、あの二人って付き合ってるんだよね?」
 台所(だいどころ)で皿(さら)を洗(あら)ったりしている二人をさして、男が言った。隣(となり)にいた女がそれに答えて、
「それがさぁ、まだなの。あの微妙(びみょう)な距離感(きょりかん)を見れば分かるでしょ」
 確(たし)かに、二人の間には意識的(いしきてき)に取っているのか、ちょっとした空間(くうかん)が空(あ)いていた。
「あと10センチよ。あの距離(きょり)があと10センチ縮(ちぢ)まればベストカップルなのに」
 女は残念(ざんねん)そうにため息(いき)をつく。別の男が割(わり)り込んできた。
「じゃあ、俺(おれ)、付き合っちゃおうかな。だって、彼女、俺のタイプなんだ」
「アンタね。空気(くうき)を読みなさいよ」女は男の頭を小突(こづ)いて、「今日のこの会の趣旨(しゅし)はね、あの二人をくっつけることでしょ。邪魔(じゃま)してどうすんのよ」
「えっ、そうなの? 俺、そんなこと全然(ぜんぜん)聞いてないけど」
「今、私が決(き)めたの。――もう二年よ。お互(たが)いに好き合ってるくせに、いつまでも良い友だちだなんて。そんなんでいい訳(わけ)ないでしょ。絶対(ぜったい)、くっつけてやる」
「どうしちゃったの? 君(きみ)がそんなに入(い)れ込むなんて」
「いいでしょ。あの二人がちゃんとしてくれないと、私も前へ進めないんだから」
<つぶやき>気持ちを確かめるには勇気(ゆうき)が必要(ひつよう)。でも、気持ちが分かったら分かったで…。
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T:0378「チームメイト」
「ねえ、聞いた?」コートの隅(すみ)で部員(ぶいん)たちのおしゃべりが始まった。
「今度(こんど)入った娘(こ)、コーチに言ったんですって。あたし誉(ほ)められて伸(の)びるタイプなんですぅ」
「何それ? ちょっと可愛(かわい)いからってね、そんなことで手加減(てかげん)してもらえるなんて」
「それ、あたしも見た。コーチったら鼻(はな)の下のばしちゃって、ありゃ間違(まちが)いなく手加減するわよ。あたしたちには容赦(ようしゃ)ないくせに」
「もしもよ、そんなことになったら絶対(ぜったい)抗議(こうぎ)よ。私たち団結(だんけつ)して待遇改善(たいぐうかいぜん)を訴(うった)えなきゃ」
 そばで無関心(むかんしん)にしていたチームのエースが呟(つぶや)いた。
「別にいいんじゃない。実力(じつりょく)のない人はすぐに消(き)えていくんだから。ほっときなさいよ」
「あの、あたし聞いちゃったんだけど…。あの娘(こ)、前のチームでエースだったんだって。それで、全国大会とかにも出たことあるって」
 エースの顔色が変わった。もしそれが本当(ほんとう)なら、エースの座(ざ)を奪(うば)われるかもしれない。
「私も、言ってみようかしら」エースはちょっと首(くび)を傾(かし)げて可愛く言ってみた。
「私、誉められて伸びるタイプなんですぅ。どう? 私、負(ま)けてないよね」
「今さらそんなことやって無駄(むだ)じゃない? それに、あなたって誉められて伸びるタイプじゃなくて、誉められるとつけ上がるタイプでしょ。みんな知ってるわよ」
<つぶやき>チームの中で切磋琢磨(せっさたくま)することは大切(たいせつ)です。でも、これは違(ちが)うと思います。
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T:0379「お弁当」
 私たちは結婚(けっこん)二年目。共働(ともばたら)きの生活(せいかつ)をしています。少しでも節約(せつやく)しようと、二人おそろいのお弁当箱(べんとうばこ)を買ってきました。
 最初(さいしょ)のうちは早起(はやお)きするのが大変(たいへん)でしたが、今はお弁当作りにハマってます。明日はどんなお弁当にしようか、考えるだけでワクワクです。最近(さいきん)は、キャラ弁(べん)を作ったりして。今から、子供(こども)ができたときのための練習(れんしゅう)です。
 ある日のこと、会社の昼休(ひるやす)みでお弁当をひろげると…。私は唖然(あぜん)としました。ご飯(はん)とおかずでセットのはずなのに、両方(りょうほう)ともおかずになっていました。二段重(にだんがさ)ねのお弁当箱なので、重ねるときに間違(まちが)えてしまったのです。
 と言うことは、主人(しゅじん)のお弁当にはご飯しか…。私は、主人がお弁当箱を開けたときの顔を思い浮(う)かべて、何だかおかしくなってしまいました。今頃(いまごろ)、目を点(てん)のようにしているはずです。きっと、ブーブー言ってるんじゃないかなぁ。
 仕方(しかた)がない。今夜の夕食はちょっと豪華(ごうか)にして、それで許(ゆる)してもらおう。誰(だれ)だって間違いはあるものです。次からは気をつけなくちゃね。でも、主人にもちょっとは責任(せきにん)があるんです。朝の忙(いそが)しいときに、余計(よけい)な仕事(しごと)を増(ふ)やしてくれるから…。
 そうだわ。明日から、主人にも手伝ってもらって…。二人でやれば時間の節約にもなるし。きっと、主人もお弁当作りにハマってしまうかもしれません。
<つぶやき>二人で何かをするっていいですよね。夫婦(ふうふ)でなきゃ味(あじ)わえない醍醐味(だいごみ)かも。
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T:0380「バケる」
 その女性は若(わか)くして亡(な)くなった。まだ幼(おさな)い子供(こども)もいるし、夫(おっと)だけでは心配(しんぱい)だ。だから、彼女はこの世(よ)にしばらく留(とど)まることにした。
 夫が仕事(しごと)の時は、祖父母(そふぼ)が子供の面倒(めんどう)を見てくれた。でも、ぐずったりしているときは、彼女の出番(でばん)だ。子供の横(よこ)に寝(ね)そべって、子守唄(こもりうた)を優(やさ)しくささやく。子供は彼女のことが見えているのか、すぐに笑顔(えがお)を見せてくれた。
 夫が迎(むか)えに来ると、子供と一緒(いっしょ)にお家に帰る。
「彼ったら家事(かじ)は苦手(にがて)なの。でも、料理本とにらめっこしているところを見ていると、その努力(どりょく)は認(みと)めてあげなくちゃね」彼女は夫を見つめながら呟(つぶや)いた。でも…、
「あら、ちょっと火が強すぎるわ」彼女はこっそりと火の調整(ちょうせい)をしてあげる。
「ちょっと、そんなに入れたら辛(から)くなっちゃうよ」夫が持つ醤油瓶(しょうゆびん)のお尻(しり)を押(お)し下げる。
 夫は不器用(ぶきよう)ながら、よく子供の面倒(めんどう)を見てくれた。
「さすが、私が見込(みこ)んだだけはあるわ」彼女はほくそ笑(え)んだ。
「でも、ちょっと無理(むり)してるわよ。私は、あなたの身体(からだ)が心配よ」
 彼女は、人知れず家族(かぞく)のために働(はたら)いていた。生きているときのようにはいかないけど、それでも家族のためにここにいる。彼女は思った。
「これじゃ、まだまだ天国(てんごく)には行けそうにないわ。いつまでいられるか分からないけど、もう少しだけそばにいさせてもらいます」
<つぶやき>思い残(のこ)していることは生きてるうちに。後悔(こうかい)の無(な)い人生(じんせい)を送りたいものです。
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T:0381「ヒーローの恋人」
 いつもの待ち合わせのお店。彼女は彼が来るのを待っていた。
 彼女は時計(とけい)を見る。今日も遅刻(ちこく)。前回は二時間も待って、結局(けっきょく)すっぽかされた。今日もまた――。
 そこへ彼がやって来た。彼女の前に座(すわ)ると、彼は目を輝(かがや)かせて言った。
「俺(おれ)さ、変身(へんしん)できるんだ。すごいだろ」
 彼女はキョトンとするばかり。彼は続けた。「だから、ほらテレビの子供番組(ばんぐみ)であるだろ。ヒーローもんで、変身ってヤツ。お前、見たくない?」
 彼女は怒(おこ)っていた。すっぽかしたことも謝(あやま)らず、なに訳(わけ)のわかんないこと言ってんのよ。
「この前は、何で来なかったの! あたし、ずっと待ってたんだからね」
「ゴメンゴメン。あの時はさ、子供が転(ころ)んで怪我(けが)したんで、ちょっと変身して――」
「はぁ? そうやって誤魔化(ごまか)すんだ。じゃ、今(いま)変身して。すぐ変身しなさいよ!」
「それは、ちょっと…。二人っきりの時でないと。俺、ヒーローだからさ」
「二人っきりって…。ああ、そうなんだ。俺は狼(おおかみ)に変身するんだーって、イヤらしいこと考えてんでしょ。まったく、あなたって最低(さいてい)ね。あたしとは、遊(あそ)びのつもりなんだ」
「そんな怒んなよ。俺は、真剣(しんけん)にお前のこと――。だから、俺は街(まち)の平和(へいわ)を守ってんだって。これで怪人(かいじん)でも現れたら、超(ちょう)有名人よぉ。そしたら、お前だって俺のこと――」
「もう知らない。女一人幸(しあわ)せにできなくて、何がヒーローよ。聞いて呆(あき)れるわ」
<つぶやき>ヒーローの私生活(しせいかつ)を覗(のぞ)いてみると、いろんなことがあるのかもしれません。
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T:0382「殺し文句」
「ねえ、あたしのこと好き?」
 彼女はうるんだ瞳(ひとみ)でささやいた。気になる女性にそんなことを言われたら、男は単純(たんじゅん)だ。まだ〈好きかも?〉って段階(だんかい)でも、その気になってしまう。
 彼女はここぞとばかりに、次の手を打ってきた。甘(あま)えるような声で、
「ね~ぇ、お願(ねが)いしたいことがあるんだけど…」
 ここで断(ことわ)ることのできる男がどれだけいるだろう。一応(いちおう)、話を聞いてあげるのが礼儀(れいぎ)というものだ。ほんと、男って単純(たんじゅん)な生き物だ。それが罠(わな)だと気づかない。
「あたしと、デートして下さらない?」
 女性からこんな誘(さそ)いがきたら、もう尻込(しりご)みなんてしてる場合(ばあい)じゃない。
「あたし、行きたいところがあるんだけど、連れてって。お・ね・が・い」
 これで完全(かんぜん)に男は女の言いなりだ。もう彼女から逃(のが)れる術(すべ)はない――はずだった。
「こんな時間までお仕事(しごと)ですか? 大変(たいへん)ですねぇ」男は動揺(どうよう)する素振(そぶ)りもなく言った。そして、彼女が乗り込んだのを確認(かくにん)するとドアを閉めた。
 彼女はため息(いき)をついて、「あの…、カードって使えます? ちょとお金が足(た)りないかも…」
「ああ、いいっすよ。で、どちらまで行きましょう?」
<つぶやき>ダメですよ、こんなことしちゃ。一番大切(たいせつ)だと思える人に使いましょうね。
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T:0383「初めての…」
 たまり場(ば)になっているお店。涼子(りょうこ)がやって来てカウンター席(せき)にドスンと身を沈(しず)めた。
 そこには親友(しんゆう)の早紀(さき)が来ていて、
「どうしたのよ。何か、お疲(つか)れみたいね?」
 涼子はわざとらしく答(こた)えた。「あらっ、来てたんだ。もう、やだっ」
「何なのよ。気持ち悪(わる)い。――まさか、新しい彼とデート?」
「まあ、そんな、感じ? でも彼ったらね、あたしのことすっごいお嬢(じょう)さんだと思ってて」
「うそ。あたしらの中で一番遊(あそ)んでたくせに。何でそうなるのよ」
「知らないわよ。何か、彼といると調子(ちょうし)出なくてさぁ。あたしどうしちゃったのかな?」
「それで、その変人(へんじん)の彼とはどこで出会(であ)ったの?」
「それが…、お茶会(ちゃかい)? 何か知らないけど、ママに無理(むり)やり着物(きもの)着せられて、連れてかれたの。そこで、何か、紹介(しょうかい)されて…」
「それってさ、お見合(みあ)いなんじゃない?」早紀はニヤニヤしながら言った。
「そ、そんなんじゃないわよ。なに言ってんの? たまたまよ、たまたま…、偶然(ぐうぜん)…」
「まあ、どっちでもいいけど。で、その変人さんと結婚(けっこん)を考えてんの?」
「けっ、結婚!」涼子は口をあんぐりと開けて、目を見開いた。「――そそそそ、そんなこと…。考えてないわよ。なに言ってんのよ。この間、会ったばかりなのよ」
 早紀はクールに言った。「考えてんだ。今度、あたしらにちゃんと紹介しなさいよ」
<つぶやき>初めて逢(あ)った印象(いんしょう)って、ずーっと残(のこ)ってませんか? あまり良すぎると…。
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T:0384「お姉さん」
 好美(よしみ)は、これから一人で夕食(ゆうしょく)を始めようとしていた。彼女にとっては至極(しごく)の時間だ。別に彼氏(かれし)がいないわけではないのだが、一人でまったりするのも好きなのだ。彼女がお箸(はし)を持ったとき、電話が鳴(な)り出した。彼女は受話器(じゅわき)を取ると、
「どうした? 彼とはうまく行ってるの?」
 相手(あいて)は後輩(こうはい)の亜希(あき)である。今夜は初めて彼を家に呼んで手料理(てりょうり)を振(ふ)る舞(ま)っているはず。
「ねえ、どうしたの? ……ちょっと、なに慌(あわ)ててるの? ……えっ?」
 どうやら、トラブルが発生(はっせい)しているようだ。亜希はかなり取り乱(みだ)している。
「だから言ったじゃない。難(むずか)しい料理なんかやめて、簡単(かんたん)なので……。味(あじ)が変って、ちゃんとあたしが教えたように作ったんでしょ? …分かった。じゃ、それはやめて違(ちが)う料理に…、亜希がいつも作ってるヤツでいいじゃない…。あっ、ごめんキャッチが入ったから」
 好美は電話を切り替(か)えた。今度は吉岡(よしおか)。今、まさに亜希と一緒(いっしょ)にいるはず。
「吉岡、どうした? えっ、彼女がトイレに入って出て来ない。……どうしたらいいかって。そのまま待ってなさい。いい、これはとってもデリケートな……。えっ? ……キッチンがグチャグチャで、火にかけてある鍋(なべ)から焦(こ)げ臭(くさ)い…。ちょっと何やってるのよ! 火を消(け)しなさい。すぐ! ……もう、それぐらい察(さっ)しなさいよ」
<つぶやき>頼(たよ)りになるお姉(ねえ)さん的存在(そんざい)の彼女。気苦労(きぐろう)が多そうですね。お察(さっ)しします。
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T:0385「別れなさい1」
 貴子(たかこ)は、いつも彼と待ち合わせをする喫茶店(きっさてん)で雑誌(ざっし)を読んでいた。
 その時、誰(だれ)かに声をかけられた。「やだ、貴子じゃない。久(ひさ)しぶり。元気(げんき)だった?」
 それは大学の時の知り合いで、顔は何となく覚(おぼ)えてるんだけど、名前(なまえ)が出てこない。
「あたしよ、木下幸奈(きのしたゆきな)。こんなとこで会えるなんて、すごい偶然(ぐうぜん)ね」
 彼女は貴子の前の席(せき)に座(すわ)った。もうすぐ彼が来るので、貴子は戸惑(とまど)った。でも、彼女はそんなこと気にもしないで話しかけてくる。
「ちょうど良かったわ。ねえ、近藤(こんどう)先輩のこと覚えてる?」
 覚えてるもなにも、今、貴子は近藤先輩(せんぱい)と付き合っている。もうすぐ、ここに来るのだ。
「あたしね、近藤先輩のこと好きになっちゃった。今度、告白(こくはく)しようと思うの。貴子、どう思う? あたしたち、うまく行くと思う?」
 貴子は驚(おどろ)いた。幸奈が彼のことを知ってるなんて。だって、大学にいた頃(ころ)、二人に接点(せってん)なんかなかったはずよ。貴子は訊(き)いてみた。
「どうして、近藤先輩のこと知ってるの? 私とだって、そんなに話したことないのに…」
「あたしね、大学の頃から、先輩のこと気になってて。この間、偶然会っちゃったの。今日みたいにね。あたし、何か運命(うんめい)感じちゃって。そういうことって、あるでしょ?」
「ええ…。でも、先輩、好きな人がいるんじゃないかな…。きっと、いると思うよ」
<つぶやき>これは偶然なんでしょうか? それとも、必然(ひつぜん)。波乱(はらん)の予感(よかん)がしてきます。
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T:0386「別れなさい2」
 幸奈(ゆきな)はウエイトレスに紅茶(こうちゃ)を頼(たの)むと、貴子(たかこ)の方に微笑(ほほえ)みかけて言った。
「そうね。先輩(せんぱい)の部屋に来る女はいるわ。でも、そんなの、すぐいなくなるから」
「えっ? 何で、そんなこと…」
「偶然(ぐうぜん)なんだけど、あたしの部屋の隣(となり)が、先輩の部屋なんだ。もう、ビックリしちゃった。今朝(けさ)も、先輩のとこ覗(のぞ)いてみたら、まだぐっすり眠(ねむ)ってたわ」
 顔をこわばらせている貴子を見つめて、幸奈はかすかに笑(え)みを浮(う)かべた。
「あら、どうしたの? 心配(しんぱい)しないで。先輩は来ないわよ」
「あなた、何をしたの? 彼に…」
 貴子は店を出ようと立ち上がった。しかし、幸奈は貴子の手をつかんで引き戻(もど)す。
「まだ話は終(おわ)わってないわよ。もう、せっかちさんなんだから」
 幸奈の言葉(ことば)は温和(おんわ)に聞こえるが、顔は無表情(むひょうじょう)で鋭(するど)い目つきで貴子を見つめていた。貴子は身体(からだ)が震(ふる)えた。まるで、ヘビに睨(にら)まれたカエルのように。
 ウエイトレスが紅茶を運んでくると、幸奈は何事(なにごと)もなかったように紅茶をすすった。
「それで、相談(そうだん)なんだけど。先輩と別れてくれない? お願い」
 貴子は震える声で答えた。「イヤよ。彼だって、あなたのこと好きになるはずない」
「あたしの部屋に前(まえ)住んでた人、どうしていなくなったか知ってる?」
<つぶやき>恐(こわ)いですね。前に住んでた人どうなったの? 考えただけで背筋(せすじ)が凍(こお)ります。
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T:0387「窓」
 通(とお)りを隔(へだ)てた家の二階の窓(まど)。その窓にはカーテンがかけられていた。以前(いぜん)はもっと鮮(あざ)やかな色だったのだろうが、今は陽(ひ)に焼けて淡(あわ)いピンク色になっている。
 そのカーテンがわずかに開(あ)いているのを見つけたのは、彼女がここへ越(こ)して来て一ヵ月もたたない頃(ころ)だ。確(たし)かにちゃんと閉(し)まっていたはず。そう彼女は記憶(きおく)している。それ以来(いらい)、何だか気になりはじめ、部屋から外(そと)を見るたびにその窓を見てしまう。そして、彼女はそこから誰(だれ)かが覗(のぞ)いているような、そんな視線(しせん)を感じるようになった。
 その家は、どうやら空(あ)き家(や)のようだ。庭(にわ)は荒(あ)れ放題(ほうだい)で、夜も灯(あか)りがつくのを見たことがない。人の出入りだって…。だから、誰かがそこにいるはずはないのだ。
 友だちが遊(あそ)びに来たとき、彼女はそのことを話した。
「ホントなのよ。あの窓のカーテン、少しずつ開(ひら)いてる気がするの。あたし、写真(しゃしん)だって毎日撮(と)ってるのよ。ねえ、一緒(いっしょ)に見てくれない? あたし一人じゃ恐(こわ)くて」
 彼女はカメラを手に取ると、最初から日付順で画像(がぞう)を出して行く。彼女が言うように、カーテンが動いているようには見えない。「これが最後よ。今朝(けさ)撮ったのだけど…」
 彼女はカメラのボタンを押(お)す。出て来た画像を見た彼女は、小さな叫(さけ)び声をあげてカメラを投(な)げ捨(す)てた。そこにはカーテンが開けられた窓があり、少女が微笑(ほほえ)みかけていた。
 彼女は震える声で、「嘘(うそ)よ。あたし…。カーテンなんか、開いてなかったわ」
<つぶやき>世の中には不思議(ふしぎ)な事があるのです。でも、あまり詮索(せんさく)しない方がいいかも。
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T:0388「ねこの話」
 彼はしたたかに生きていた。彼の行動範囲(こうどうはんい)はかなり広い。確(たし)かめた人はいないが、彼はいくつものねぐらを持っていた。そして、訪(おとず)れる家ごとに違(ちが)う名前(なまえ)で呼(よ)ばれている。
 彼は、首輪(くびわ)をつけられることを良しとはしなかった。確固(かっこ)たる態度(たいど)で拒否(きょひ)し、受け入れることはない。彼は人間に媚(こ)びることもしなければ、愛想(あいそ)がいい方でもない。なのに、なぜか人間たちは彼を受け入れてしまう。
 彼には威厳(いげん)があった。他の猫(ねこ)とはまったく違う。彼は自分の生き方を貫(つらぬ)いていた。そんな彼でも、時には人間に寄り添(そ)うこともある。でも、よけいなことはしゃべらない。ただじっとそばに座(すわ)っているだけ。人間にとっては、それだけで充分癒(い)やされているようだ。
 彼はその日の気分(きぶん)で居場所(いばしょ)を変える。自由(じゆう)気ままに生きているように見えるのだが、猫の世界(せかい)にもいろいろなことがある。彼は争(あらそ)いを好(この)まない。どんな猫や犬(いぬ)にも寛容(かんよう)だ。だが、闘(たたか)いをしかけてくる相手(あいて)には全力(ぜんりょく)で立ち向かう。
 彼は知っていた。いつか自分にも訪(おとず)れる老(お)いというものを。彼は散(ち)りぎわを心得(こころえ)ていた。その時が来れば、彼は静かに自分の場所を譲(ゆず)るだろう。そして、人間たちの前からを姿(すがた)を消(け)すのだ。彼は人間に看取(みと)られることを望(のぞ)まない。最後(さいご)まで、猫としての生き方を貫き通す。猫の中の猫なのだから。
<つぶやき>感情(かんじょう)を持っている生き物は、人間だけじゃないのかもしれません。猫にも…。
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T:0389「馴れ初め」
 交番(こうばん)のお巡(まわ)りさんは顔をしかめて唸(うな)り声を上げた。
「それは、事件(じけん)とかじゃないかもしれませんねぇ。出てっただけじゃ…」
「そんなことありません」女性は必死(ひっし)だった。「彼があたしから逃(に)げるなんて、ないです」
「でもね、彼の荷物(にもつ)もなくなってるんですよね?」
「だから、彼は誘拐(ゆうかい)されたんです。早く探(さが)してください。彼にもしものことがあったら、あたし…」彼女はハンカチを目に当てた。
 お巡りさんはしばらく考えていたが、「じゃ、その彼の名前(なまえ)と勤(つと)め先(さき)を教えてください」
 女性は困(こま)ったような顔をして、「あたし…、知らないんです。彼のこと…」
「えっ? その人と一緒(いっしょ)に暮(く)らしてたんじゃ?」
 お巡りさんはまた顔をしかめて、「で、その彼とはいつ、どこで知り合ったんですか?」
 女性はうつむきながら、「それが、おととい、道(みち)で倒(たお)れてたんで…。家へ連(つ)れて帰って…」
「あのね、捨(す)て猫(ねこ)じゃないんだから、知らない人を家に入れない方がいいと思うよ」
「でも、とっても礼儀正(れいぎただ)しくて、こんなあたしでも優(やさ)しくしてくれて…。あたし、これは運命(うんめい)だって思ったんです。彼は、あたしと出会(であ)うために…」
 お巡りさんは事務的(じむてき)な口調(くちょう)で言った。「じゃ、一度家に帰って、盗(と)られた物がないか確認(かくにん)してください。もしあれば、被害届(ひがいとどけ)を出してもらって…。いいですか?」
<つぶやき>運命的な出会いって、あるんでしょうか? 気づかないだけで、あるかもね。
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T:0390「彼のつぶやき」
 彼は、私の顔(かお)を見てぽつりと言った。「残念(ざんねん)だなぁ」
 聞こえないように言ったつもりだろうけど、私にはちゃんと聞こえてますから。すかさず私は、「何よ。言いたいことがあるんだったらはっきり言って」
 彼はとぼけて、「えっ、なに?」て笑(わら)って誤魔化(ごまか)して、水割(みずわ)りを口にする。
 私は、彼が何を考えてるのか今ひとつつかめない。彼の方から付き合ってくれって言ったくせに、ほんとに私のこと好きなのかな? この間だって、似(に)たようなことがあった。その時は、イマイチって言ったのよ。私は聞こえないふりをしたけど、心の中ではザワザワ、モヤモヤで…。今日こそハッキリさせてやる。私は微笑(ほほえ)みかけて、
「今、私の顔を見て言ったよね。残念だなぁって」
「いや、そんなこと言ってないよ。君(きみ)の空耳(そらみみ)じゃないのかなぁ」
「空耳のワケないでしょ。私の何がいけないの? ちゃんと言ってよ」
「別にそんなことは…。いやぁ、君は、そのままでいいと思うよ。服(ふく)だって似合(にあ)ってるし、その髪型(かみがた)もバッチリじゃない。僕(ぼく)が口をはさむことなんて…」
「じゃあ、教えて。あなたの好みの女性はどんなタイプなのか。私とは真逆(まぎゃく)なんじゃない?」
 彼は何か言いたげな素振(そぶ)りを見せたが、私から視線(しせん)をそらすとため息(いき)をついた。
 これって、どういうこと? 私は、ますます彼のことが分からなくなった。
<つぶやき>相手(あいて)の好(この)みに合わせるか、それとも相手の好みを変えるのか。どっちがいい?
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T:0391「肝試し」
 夏の村祭(むらまつ)りのイベント。盆踊(ぼんおど)りだけではつまらないので、今年から肝試(きもだめ)しを行うことになった。その実行委員長(じっこういいんちょう)に選(えら)ばれたのは敏郎(としろう)だった。二十代の青年(せいねん)で、彼女いない歴(れき)……。
 それはさておき、村の墓地(ぼち)での肝試(きもだめ)しも盛況(せいきょう)のうちに終わった。スタッフとして集まった若者たちも、蚊(か)に刺(さ)されながら、お化(ば)けに変装(へんそう)したりして大活躍(だいかつやく)だった。
 最後の後片(あとかた)づけが終わると、敏郎は全員を集めて点呼(てんこ)をとった。1、2、3…。一人ずつ順番(じゅんばん)に声をあげていく。…11、12、13。最後までいったとき敏郎は首(くび)を傾(かし)げた。確(たし)かに全員で13人だけど、それは僕(ぼく)を含(ふく)めてで…。今、僕は数(かず)に入ってない…。
「おい、ふざけてんのは誰(だれ)だよ。一人多いだろ。もういっぺん最初から」
 敏郎の号令(ごうれい)でまた点呼を始める。だが、今度も13までいってしまった。全員が顔を見合わせる。その時、どこかでグワッっと何かの鳴(な)き声が聞こえた。女の子たちは男子の腕(うで)に一斉(いっせい)にしがみつく。その様子(ようす)を見た敏郎。「お前ら、いつの間(ま)にそういうことになってんだよ」と呟(つぶや)いた。男が一人多いんだから仕方(しかた)がない。
 敏郎は、ふと誰かが腕をつかんでいるような、そんな感じがして自分の腕を見た。そこには確かに手があった。白い女性の手だ。敏郎は驚(おどろ)いて横(よこ)を見た。そこには、青白(あおじろ)い顔をした女の子が立っている。敏郎は叫(さけ)ぼうと口をパクパクするが声にならない。
 その女の子はにっこり微笑(ほほえ)むと、音もなく静かに消(き)えて行った。
<つぶやき>この女の子も肝試しを楽しんでいたのでしょ。また、次の夏も会えるかもね。
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T:0392「夏の彼女」
 夏になると彼の前に現れる。彼女はまさに夏限定(げんてい)の恋人(こいびと)みたいな?
 恋人だと断言(だんげん)できないのは、彼女のことがよく分からないから。住んでいる所とか、仕事(しごと)は何をしているのか。なぜ、夏しか逢(あ)えないのか。彼女は自分のことをあまり話さない人だった。
 彼も、あえて訊(き)こうとはしなかった。今のままの彼女が好きだから。
 彼は何度か彼女に告白(こくはく)を試(こころ)みた。だが、そのたびに彼女からはぐらかされて…。そんなことを繰(く)り返しているうちに秋が来て、彼女は突然(とつぜん)彼の前からいなくなる。それが、もう二年も続いていた。今年こそは…、彼は夏を待ちかねていた。
 夏になると、彼女はごく自然(しぜん)に、いつもそこにいたように、何の違和感(いわかん)もなく彼の前に現れた。そして、「こんにちは」といつも通りの挨拶(あいさつ)を交(か)わす。去年の秋に黙(だま)っていなくなったのに、そんなことまったく気にする素振(そぶ)りもない。
 二人はいつもの喫茶店(きっさてん)に入った。海の見えるいつもの席(せき)に座(すわ)ると、彼は真剣(しんけん)な顔をして彼女に訊いた。「ねえ、君(きみ)は僕(ぼく)のことをどう思っているんだい?」
 彼女は顔を曇(くも)らせて、「あたし、あなたのことは好きよ。これからも、それは変わらない」
「じゃ、一緒(いっしょ)に暮(く)らそう。僕と、結婚(けっこん)してください」
 彼女は目に涙(なみだ)をためて、「ありがとう。でも、こんなあたしでも、いいの?」
<つぶやき>これって、夏限定の妻(つま)になるってことなのかな? 彼女はいったい何者なの?
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T:0393「ゆとりちゃん」
「お前は、俺(おれ)の言う通(とお)りにすればいいんだ。よけいなことすんな」
 係長(かかりちょう)の小言(こごと)がまた始まった。でも、係長の前にいたのはゆとりちゃん。こんなことではへこたれない。と言うか、むしろ面白(おもしろ)がっているのかも。彼女は平然(へいぜん)と言ってのける。
「でも、それだったら係長がやればいいじゃないですかぁ?」
 完全(かんぜん)に火に油(あぶら)を注(そそ)いだ感じだ。係長はますますヒートアップしていく。
「何だと。電話もろくにできないくせに、生意気(なまいき)なことを言うな。俺たちはな、不況(ふきょう)のなか耐(た)えに耐えてこの会社を守(まも)ってきたんだ。何の苦労(くろう)もせずに生きてきたお前らとは…」
「あの。もういいですか? ランチの時間なんで」
 彼女が行こうとするのを係長は呼(よ)び止めて、「ちょっと待て。まだ話は終わっとらん」
「え~っ。早く行かないと、ランチなくなっちゃうんですけど」
「お前は、仕事(しごと)を何だと思ってるんだ。俺たちは、昼飯(ひるめし)も食わずに仕事に邁進(まいしん)して――」
「そんなにがんばったのに、まだ係長なんですね。あたしは、そんなの…」
 係長は目を丸くして噴火寸前(ふんかすんぜん)。周(まわ)りの社員(しゃいん)たちはそそくさと部屋を出ていく。こうなったら誰(だれ)にも止められないことを知っているのだ。彼女は、この状況(じょうきょう)が把握(はあく)できていないのか、さらにとんでもないことを言い出した。「もし、あたしが本気(ほんき)出したら、すぐに社長(しゃちょう)なんだけどなぁ。そしたら、係長を課長(かちょう)にしてあげますねぇ」
<つぶやき>こんな娘(こ)いるんでしょうか? ぜひ、本気を出してるとこ、見てみたいです。
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T:0394「できない」
 賞金(しょうきん)百万円をかけたサバイバルゲーム。最短(さいたん)時間で目的(もくてき)の場所へ到達(とうたつ)しなければならない。途中(とちゅう)にはいろんな罠(わな)や刺客(しかく)がひそんでいた。ほとんどのチームが失格(しっかく)していくなか、春子(はるこ)たちは最(もっと)も早いタイムで進んでいた。
 だがこのゲーム、そんなに甘(あま)くはなかった。進につれ仲間(なかま)はどんどん脱落(だつらく)していき、残(のこ)るは春子と有紀(ゆき)の二人だけ。そして今、チームリーダーの春子も、罠にはまり身動(みうご)きが取れなくなった。春子は口惜(くや)しそうに有紀に言った。
「後(あと)はお願い! 絶対(ぜったい)、賞金を取るのよ。そのために私たち頑張(がんば)ってきたんだから」
 有紀はめちゃくちゃ戸惑(とまど)っていた。今まで自分(じぶん)から何かをしたことがないのだ。いつも誰(だれ)かの後をついて行くだけ。今回だって、春子がいたからここまで来れたのだ。
「あ、あたし、一人で? ダメだよ。あたしには無理(むり)。できないよぉ」
「そんな泣(な)き言(ごと)言わないで。大丈夫(だいじょうぶ)。あなた一人でもできる。自分を信じなさい」
「だって…。どうすればいいか、分かんないよ。絶対、できない。あたしになんか…」
 春子は語気(ごき)を荒(あら)げて、「アンタね。優勝(ゆうしょう)できなかったら絶交(ぜっこう)よ。時間が無(な)いの。走れ!」
 有紀は迷(まよ)いながらも走り出す。だが、春子は呼(よ)び止めて、
「そっちじゃない! 戻(もど)ってどうすんのよ。もう、しっかりしてよ。お願いだから」
「ごめん。あたし、頑張るから。絶交なんて言わないで」
<つぶやき>火事場(かじば)の馬鹿力(ばかぢから)じゃないですけど、ちゃんとゴールにたどり着けたのかな?
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T:0395「夜更かし」
 夏休み。子供たちもついつい夜更(よふ)かししてしまう。でも、気をつけて下さい。真夜中(まよなか)が近づくにつれて、魔界(まかい)への扉(とびら)が少しずつ開いていくのですから。
「いつまで起(お)きてるの? 早く寝(ね)なさい」ママは子供たちに声をかけた。
 でも子供たちはゲームに夢中(むちゅう)で、ママの方を見ようともしなかった。どのくらいたった頃(ころ)だろう。どこからともなく声が聞こえてきた。「こんなところに美味(うま)そうな子供がいるぞ」
 子供たちはビックリして部屋(へや)の中を見回(みまわ)した。その時、台所(だいどころ)にいたはずのママがいないことに気がついた。子供たちはママを呼(よ)んでみた。でも、返事(へんじ)が返(かえ)ってこない。
 またさっきの声が、「どっちから喰(く)ってやろうか。大きい方か、それとも小さい方か」
 子供たちはママを呼びながら部屋を飛(と)び出した。そして、両親の寝室(しんしつ)へ飛び込んだ。だが、そこにママの姿(すがた)はなかった。子供たちはベッドへ上がり、肌掛(はだか)けを頭から被(かぶ)って隠(かく)れる。声はどんどん近づいて来る。「どこに行った? 隠(かく)れてもムダだぞ」
 子供たちは震(ふる)える声でささやいた。「ママ、助(たす)けて…」
 声は、とうとう耳元(みみもと)で聞こえるくらいまで近づいた。「見つけたぞ。この中だ!」
 子供たちは肌掛けごとベッドから飛び出した。その時、ドスンと音がした。子供たちが振(ふ)り向くと、床(ゆか)に落ちた肌掛けの下で何かが動いている。子供たちは叫(さけ)び声を上げて、その場を逃(に)げ出した。
<つぶやき>真夜中はあやかしたちの時間なのです。邪魔(じゃま)しないように早く寝ましょうね。
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T:0396「したたる」
 夜も遅(おそ)い時間。あやめはそろそろ寝ようと電気のスイッチに手を伸(の)ばした。その時だ。玄関(げんかん)のドアをノックする音が、ものすごく控(ひか)え目な感じで聞こえてきた。こんな時間に誰(だれ)だろう。あやめはそっと玄関に近づいた。すると、外から聞き覚(おぼ)えのある声が、
「あやめ…。あたし、和美(かずみ)よ。ちょっと、いいかな?」
 和美の声は震(ふる)えていた。あやめは急(いそ)いでドアを開けて、ハッと息(いき)を呑(の)んだ。
「和美、どうしたの? ずぶ濡(ぬ)れじゃない」
 和美の髪(かみ)や穿(は)いているスカートの裾(すそ)から水滴(すいてき)がしたたり落ちていた。あやめは洗面所(せんめんじょ)へ走り、バスタオルを持ってきて和美の肩(かた)にかけてやった。
「ごめん。ちょっと、そこの公園(こうえん)の、噴水(ふんすい)のとこで…」
「早く拭(ふ)きなさい。風邪(かぜ)ひくわよ。もう、なに考えてんのよ」
「だって、彼に言われたの。お前みたいな干(ひ)からびた女、好きになるわけないって」
「はぁ? 何それ。――えっ! 和美、付き合ってる人いたんだ」
「いや、そうじゃなくて…。――ただ、好きですって…」
「また唐突(とうとつ)に言っちゃったの? いつも言ってるでしょ。告白(こくはく)する前が大事(だいじ)だって」
「だって…。あたし、男の人とおしゃべりなんて出来(でき)ないんだもん」
<つぶやき>どこまでもシャイな彼女なんです。でも、おしゃべりが出来ないとまずいぞ。
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T:0397「好きだよね」
「あなた、私のこと好きだよね」女は男の目を見つめて言った。
 男はまるで魔法(まほう)にかかったみたいにゾクッときた。確(たし)かに、男は女のことが好きだった。でも、高嶺(たかね)の花とあきらめていた。女は言った。
「あなたの持っているものを私にプレゼントしてくれたら、付き合ってあげてもいいわよ」
 男は首(くび)を傾(かし)げた。この女が欲(ほ)しがる物を僕(ぼく)が持ってるはずはない。
 男は訊(き)いた。「僕が持っているものって?」
 女はにっこり微笑(ほほえ)んで、「あなたの人生(じんせい)すべてよ」
「僕の人生? それって、どういうことかな?」
「これからの人生、私のためだけに生きるの。私のことが好きだったらできるわよね」
 男は考えた。これから先、この女のことを愛し続けられるのか? 人生をかけてまで、この女に尽(つ)くすことが…。男はこの難問(なんもん)に答えを出した。
「それは無理(むり)だ。君(きみ)のためだけに生きるなんて、僕にはとても耐(た)えられそうもない。でも、もし君が同じことをしてくれるのなら、考え直(なお)してもいいかもしれない」
「私が、あなたのために生きるの? 私、そんなこと考えたこともないわ」
「じゃあ、考えてみてよ。僕のために生きることができるのか」
 女はすぐに回答(かいとう)を出した。「私、それほどあなたのこと好きじゃないと思う」
<つぶやき>好きと愛してる。その境界(きょうかい)は? 愛情(あいじょう)はどこからやって来るのでしょう。
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T:0398「性格ブス」
「私を呼(よ)び出すなんて、どうしたの? また、振(ふ)られちゃったのかなぁ」
 麻美(あさみ)はヘコんだ顔をしている由香里(ゆかり)に言った。由香里は強がって見せて、
「そんなんじゃないわよ。あいつは、あたしにはふさわしくなかっただけ」
「アンタさ、顔とスタイルはいいのに、どうして長続(ながつづ)きしないんだろうね」
「もう、あたしの周(まわ)りにはロクな男がいないだけよ。向こうから付き合ってくれって言ったくせに…。何でこうなるのかなぁ」
「性格(せいかく)ブスってことじゃない。ギブアンドテイクよ。恋愛(れんあい)は、もらってばかりじゃ…」
「冗談(じょうだん)じゃないわよ。このあたしが付き合ってあげてるのよ。あたしの言うことを聞くのは当たり前でしょ。そんなことも分からないなんて…」
 由香里は自己中心的(じこちゅうしんてき)なところがある。自分のしたいことをして、相手(あいて)にもそれを押(お)しつける。でも、麻美は自分の思っていることは、はっきり言う性格だ。だからなのか、由香里は麻美にだけは、自分の弱っているところを見せられるのかもしれない。
「その性格、直(なお)した方がいいよ。このままだと、一生(いっしょう)ひとりでいることになるよ」
「別に…、男なんていくらでもいるんだから。あたしが街(まち)を歩いただけで――」
「でも、ひとりなんでしょ。若(わか)いうちはいいかもしれないけど、そのうち誰(だれ)からも相手にされなくなっちゃうから。今なら、まだ間(ま)に合うよ。私も手伝(てつだ)ってあげるから、ねっ」
<つぶやき>自分のことだけ考えていると、周(まわ)りのことが見えなくなってしまいますよ。
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T:0399「捜索願い」
 町内(ちょうない)の交番(こうばん)に、いかにも奥様(おくさま)という感じの女性がやって来た。彼女は捜索願(そうさくねが)いを出したいと言う。お巡(まわ)りさんはひとつずつ確認(かくにん)するように繰(く)り返した。
「えっと、あなたのお子さんで、名前は隆之介(りゅうのすけ)。年齢(とし)は三歳。間違(まちが)いないですね?」
「はい。今朝(けさ)、ちょっと目を離(はな)した隙(すき)にいなくなってしまって。あの子、今まで外へ出たことがないんです。もし、交通事故(こうつうじこ)にでもあったら、あたし…」
 彼女はバッグからハンカチを取り出して目頭(めがしら)を押(お)さえた。お巡りさんは、
「では、お子さんの、いなくなった時の服装(ふくそう)を教えて下さい。どんな服を着てましたか?」
「あの、茶色(ちゃいろ)のトラ縞(じま)で、お腹(なか)のあたりは白いんです」
「えっ、トラ縞ですか? それは、Tシャツか何かですか?」
 彼女は突然(とつぜん)何かを思いついたように、微(かす)かな悲鳴(ひめい)を上げた。
「まさか、誘拐(ゆうかい)なんじゃ…。どうしましょう。もしそうなら――」
 お巡りさんは彼女をなだめるように言った。「大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。まだ、そうと決(き)まったわけじゃ。きっと見つかりますから。そのためにも奥さん、もう少し詳(くわ)しくお聞かせください」
「まさか…。この頃(ごろ)、仕事(しごと)が忙(いそが)しくて、かまってあげられなかったから。それで、あたしのこと嫌(きら)いになって、家出(いえで)しちゃったんだわ。きっと、そうよ」
「あの、奥さん。三歳で家出はないと思いますよ」
「もう大人です。あっ、他に好きな相手(あいて)が現(あらわ)れたのかも。あたし、捨(す)てられちゃう!」
<つぶやき>いなくなったのは彼女の子供なのかな? でも、彼女にとっては大切(たいせつ)な…。
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T:0400「○○恐い」
 町内(ちょうない)の連中(れんちゅう)が集まって、恐(こわ)いものについての話になった。お化(ば)けだの、ヘビだの、うちのかみさんだって奴(やつ)もいた。その中でも、忠八(ちゅうはち)はあり得(え)ないものをあげた。
「俺(おれ)は、シュークリームってやつがダメだ。あの丸くてフワフワしてるのを見るだけで、身体(からだ)が震(ふる)えてくるんだ」
 忠八が帰った後、残(のこ)った連中が顔を見合わせて、誰(だれ)が言うともなく、
「ひとつ、あいつを懲(こ)らしめてやろうじゃないか」
 という話になった。町内の連中は、忠八に欺(だま)されたり、ひどい目にあっていたのだ。
「どうだろう。シュークリームを山ほど買って、あいつの家に届(とど)けさせよう」
 そんなことを話し合っていると、町の顔役(かおやく)がやって来た。さっそく顔役にそのことを話すと、顔役は言った。
「そいつはダメだ。忠八は甘(あま)い物には目がないんだ。俺の家へ来るたびに、やれ饅頭(まんじゅう)を食わせろ、今日はおはぎだ。まあ、うるさいのなんの」
「しまった。また欺されるところだった。なんて奴だ!」
 みんなが悔(くや)しがっていると、ひとりの男が呟(つぶや)いた。
「じゃあ、食わせてやろうじゃないか。ただし、ワサビをたっぷり練(ね)り込んだやつをな」
<つぶやき>人を欺したりすると、とんでもないしっぺ返しがあるかも。やめましょうね。
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