書庫 ブログ版物語401~

ブログ版物語Top

T:0401「バンド仲間」
「断(ことわ)った!?」バンドのリーダーは目を丸(まる)くして言った。「あの音楽(おんがく)プロデューサー、お前だったらメジャーになれるって、あんなに熱心(ねっしん)に言ってくれて――」
「だって、あたし、別にそういうのなりたいと思ってないし」
「なに言ってんだ。お前には実力(じつりょく)があるんだ。俺(おれ)たち、お前のこと応援(おうえん)してたんだぞ」
 ボーカル担当(たんとう)の彼女はさばさばしていた。「そんなこと言われても。あたし、歌うのってそんなに好きじゃないし。それに、あたし、来月結婚(けっこん)するんだ」
 彼女の爆弾(ばくだん)発言に、バンドのメンバーは一瞬(いっしゅん)、凍(こお)りついた。リーダーは言った。
「ちょ、ちょっと待てよ。俺たち、そんな話、聞いてないぞ」
「えっ、言わなきゃいけなかった? 別にいいじゃん、そんなの」
「よくないだろ。俺たち仲間(なかま)なんだからさ。そういうことは言えよ。俺たちだって、お祝(いわ)いとかしたいし…。それに、どんな男かちゃんと紹介(しょうかい)しろよ。それくらいできるだろ」
「だって…。彼ってとっても繊細(せんさい)でシャイなの。こんながさつな人たちに会わせたら、どうなっちゃうか分かんないでしょ。それに、あたし、もうボーカルじゃないし。――新しいボーカル、募集(ぼしゅう)してるんでしょ。知ってるんだから」
「募集したって、誰(だれ)も来るわけないだろ。こんな、むさ苦(くる)しい男だけのバンドにさ」
「じゃあ、あたし、戻(もど)ってもいい? いいよね? あたしがいないと、お客(きゃく)来ないし」
<つぶやき>女心は、むさ苦しい男には分からない。彼女がどんな思いで決断(けつだん)したか…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0402「バンパイア」
 街頭(がいとう)に立っている若い男。前を通り過(す)ぎていく女を目で追(お)っていた。そして、一人の女に目をつけて後(あと)を追いかる。人通りがなくなると、男は後から女に声をかけた。
 女は何気(なにげ)に振(ふ)り返ると、そこにイケメンの男がいたので驚(おどろ)いた顔をする。男は、
「突然(とつぜん)のお願いなんですが…。献血(けんけつ)をしていただけないでしょうか?」
 女は、こんなイケメンから声をかけられたことがなかった。だから、つい言ってしまう。
「ええ…、いいですよ。私でよければ…。で、献血はどこで?」
「えっと、その前にこの契約書(けいやくしょ)にサインをいただけないでしょうか? 決(き)まりなんで」
 女は契約書を見てみたが、外国語(がいこくご)で書かれていたので全く読めない。女が躊躇(ちゅうちょ)しているのを見て、男はにっこりと微笑(ほほえ)んだ。女はそれを見て、思わずサインをしてしまう。
「これで契約は成立(せいりつ)しました。ありがとうございます」
 男は契約書をポケットに滑(すべ)り込ませると、女に近づき彼女の目を見つめて、
「では、いただきます」と女を両腕(りょううで)で優(やさ)しく抱(だ)きしめた。そして首筋(くびすじ)へ口を持って行く。
「ちょっと待って!」女は突然叫(さけ)んだ。「あなた、こんな私でいいの?」
「はい。美人(びじん)じゃなくても、血(ち)の味(あじ)は変わりませんから。血の契約通り、一口だけいただきます。痛(いた)くはありませんし、傷口(きずぐち)も二、三日で治(なお)りますから、心配(しんぱい)はいりません」
<つぶやき>現代(げんだい)の吸血鬼(きゅうけつき)は、血を吸(す)うにもいろんな手続(てつづ)きを踏(ふ)まなくてはダメなのです。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0403「何でこんな…」
 あさみは下校途中(とちゅう)で見知(みし)らぬ男の子に声をかけられた。
「ねえ、俺(おれ)と付き合わない? キミ、めちゃタイプなんだけど」
 あさみは呆(あき)れてしまった。学校の制服(せいふく)を着てナンパするなんて、なに考えてんのよ。あさみは無視(むし)して行こうとする。すると、男の子はあさみの前へ回り込み、
「なあ、いいだろ? 俺、転校(てんこう)して来たばっかでさ、いろいろ教えてもらいたいんだよね」
「何であたしが? もう、話しかけないで」あさみは男の子を睨(にら)みつける。
「お前、2組の森口(もりぐち)あさみだろ? 俺、3組の山田圭介(やまだけいすけ)」
 男の子はあさみの顔を見て微笑(ほほえ)みかける。だが、あさみの方はプイッとそっぽを向く。
 男の子はちょっとガッカリした顔を見せたが、あさみの耳元(みみもと)まで来て囁(ささや)いた。
「みどり幼稚園(ようちえん)のガキ大将(だいしょう)で、男子のパンツを脱(ぬ)がせまくった――」
 あさみは顔を真っ赤にして叫(さけ)んだ。「ちょっと! 何で、何でそんなこと知ってるのよ?」
「だって、俺、その場にいたから。覚(おぼ)えてないかな? 俺だって。ケイスケ」
「ケイスケ?」あさみはハッと気づいて、「えっ! ケイちゃん? あの、おとなしくて、全然(ぜんぜん)しゃべんなかった? ウソ…。何で、こっ、こんなになっちゃったの?」
「あの頃(ころ)は、俺、いじめられてて、よく助けてもらったよね。これでも感謝(かんしゃ)してんだぜ」
「信じられない。何で、こんなチャラい男になっちゃったのよ」
<つぶやき>再会(さいかい)した相手(あいて)にガッカリしたことはありませんか? でも、向こうでも…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0404「彼氏に求めるもの」
「なあ。前に、何とかっていうモデルみたいになりたいって言ってなかった?」
 古橋(ふるはし)くんは圭子(けいこ)の食べっぷりを見ながら言った。圭子は口をモグモグさせながら、
「なに言ってるのよ。今は丸(まる)ぽちゃじゃない。ぽっちゃりしてる子のほうが人気(にんき)なのよ」
「えっ? だからって、ちょっと食べ過(す)ぎなんじゃない?」
「もう、私はあなたのために頑張(がんば)ってるのよ。そんな言い方しないで」
「俺(おれ)は、そんな流行(はやり)より、今のままの君(きみ)が好きなんだけど…」
 圭子は怒(おこ)った顔をして、「私がモテれば、あなただってやる気が出るでしょ」
「やる気って…。何だよそれ?」古橋くんは困惑(こんわく)の表情(ひょうじょう)を浮(う)かべて言った。
「だから、別に私は、他の男性の気を引こうとか、そういうこと考えてんじゃないの。イケメンの男子が私に話しかけるようになれば、あなただって、〈よし、もっと格好(かっこ)良くなるぞ〉って思うでしょ。あなたのモチベーションを高めるためにしてるんじゃない」
「でも、それはちょっと違(ちが)うんじゃないかなぁ。そんなことしなくても…」
 圭子は大きなため息(いき)をついて、古橋くんをしばらく見つめていたが、
「私は、私にふさわしい彼氏(かれし)になってほしいだけ。あなたにその気がないのなら別れましょ」
「ちょっと待てよ。今の俺の、何がいけないって言うんだ? 全然(ぜんぜん)、分かんねえよ」
<つぶやき>あなたが彼氏に求(もと)めるのはなに? 目に見える形で現れないとダメなもの?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0405「霊界からの誘い」
「ねえ、どこ行くのよ」彼女はイヤな胸騒(むなさわ)ぎを覚(おぼ)えて彼に訊(き)いた。
 今日は、彼から夜のドライブに誘(さそ)われたのだ。車は人気(ひとけ)のない山道へ入ろうとしていた。彼女の質問(しつもん)に、彼は薄笑(うすわら)いを浮(う)かべるだけで何も答えない。そんなに遅(おそ)くない時間なのに、道路(どうろ)を走る車も無(な)く、辺りには転々(てんてん)と小さな外灯(がいとう)が申(もう)し訳程度(ていど)に点(つ)いているだけ。
 彼女は彼の腕(うで)をつかみ、強い口調(くちょう)で言った。「停(と)めて! いいから、停めなさいよ!」
 車はタイヤを軋(きし)ませながら停まった。彼女は彼の手を強く握(にぎ)りしめて言った。
「どこへ行くのか教えて。教えてくれなきゃ、あたし帰るから」
 彼は彼女の顔を見て、何の感情(かんじょう)も見せずに言った。「面白(おもしろ)いところがあるんだ。心霊(しんれい)スポットだよ。君(きみ)にも見せてあげたいんだ。きっと気に入ると思うよ」
 彼女は全身(ぜんしん)に鳥肌(とりはだ)がたった。彼女には霊感(れいかん)があり、見えてしまうのだ。彼女は言った。
「行っちゃダメ。帰ろう。――あたし、そんなとこ行きたくない!」
 彼女は必死(ひっし)に訴(うった)えたが、彼は何の表情も見せない。彼は車を発車させようとした。彼女はシートベルトを外し、「ダメ!」と叫(さけ)んで彼の身体(からだ)にしがみついた。
 その時だ。彼女は思わず息(いき)を呑(の)んだ。車のガラスに、若い女の顔が写っていたのだ。恨(うら)めしそうにこっちを見ている。彼女は大声で叫(さけ)んだ。
「消(き)えて! 来ないで! あたしたちは行かないわよ!」
 後から聞いた話だが、数日前、彼は友達(ともだち)と一緒(いっしょ)にその心霊スポットに行っていたそうだ。
<つぶやき>浮(うわ)ついた気持ちで行くと、いろんなものが憑(つ)いてきてしまいます。ご注意(ちゅうい)を。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0406「そばにいさせて」
 深夜(しんや)の公園(こうえん)。ベンチで酔(よ)いつぶれている男がいた。そこへ女がやって来る。男を見つけると、「あっ、やっと見つけた。もう、捜(さが)したんだからね」
 男は眠(ねむ)っているのか、うなだれたまま動かない。女は男の横に座(すわ)り、独り言(ひとりごと)のように、
「何で私じゃダメなの? こんなに、あなたのこと、好きなのに…。あの娘(こ)はいないの。もう帰ってこないのよ。あなただって、分かってるはずよ」
 男は顔を上げ、虚(うつ)ろな目で女を見つめる。そして、「あすか…」と呟(つぶや)いて、女を抱(だ)き寄せた。女はされるがままに男を抱きしめる。
「いいよ。私が、あの娘(こ)の代(か)わりになってあげる。だから、だから…」
 男はやっと正気(しょうき)を取り戻(もど)したのか、抱きしめていた女から離(はな)れると、
「ダメだ。今、君(きみ)を抱いたら、俺(おれ)は、君を傷(きず)つけてしまう。それだけはしたくないんだ」
 男は両手で顔を覆(おお)った。女は男の背中(せなか)にもたれかかるようにして、
「私は、それでもいいよ。あなたのそばにいたいの。――もう、あなたの苦(くる)しむ姿(すがた)は見たくない。私が、あんな女のことなんか忘(わす)れさせてあげる。だから…」
 男は突然(とつぜん)立ち上がり、フラフラとした足取(あしど)りで歩きだした。女は男の背中に向かって、
「何でよ! 私のことは好きにならなくてもいいから。そばにいさせてよ」
<つぶやき>男と女の間には、越(こ)えられない何かがある。でも、思いは必(かなら)ず伝わります。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0407「ど真ん中」
 このレストランで働(はたら)き始めて二年。新しい出会(であ)いを求(もと)めて始めたのだが、期待(きたい)どおりにはいかなかった。客層(きゃくそう)はおっさんばっかだし、たまに格好(かっこ)いいのが来ても女連(おんなづ)れ。若い男が一人で来る時もあるけど、どれもこれもカスばっかで…。
 どうして私の周(まわ)りには、そんなのしかいないんだろう。こんなんじゃ、ここで働いてる意味(いみ)ないじゃん。私は、転職(てんしょく)を考え始めていた。
 そんな時だ。私にとって、ど真(ま)ん中のストライク男が現(あらわ)れた。他のウエイトレスが見とれている間(ま)に、私はフライング気味(ぎみ)に素早(すばや)く水を持って行く。彼が席(せき)に着(つ)くのと同時(どうじ)にコップを彼の前に置いた。間近(まぢか)で見ると、もう、うっとりするような…。私は危(あや)うく注文(ちゅうもん)を聞き漏(も)らすところだった。私は、自分では最高(さいこう)の笑顔を彼に振(ふ)りまいた。
 オーダーを通す時の優越感(ゆうえつかん)といったら…。他のウエイトレス達は、口をあんぐり開けちゃって。恨(うら)めしそうな視線(しせん)を私に向ける。もう彼は私のものよ。誰(だれ)にも渡(わた)さないからね。この件(けん)に関(かん)しては、先輩(せんぱい)も後輩(こうはい)もないんだから。早い者勝ちよ。
 オーダーが出来上がって、私は背筋(せすじ)を伸(の)ばして颯爽(さっそう)と彼のもとへ急いだ。あとは彼の連絡先(れんらくさき)を聞き出して…。私の中でいろんな妄想(もうそう)が膨(ふく)らんだ。だが、世の中そう甘(あま)いもんじゃなかった。どこからともなく一人の女が現れて、何のためらいもなく彼と同じ席に…。
 私は思わず足を止めて、心の中で叫(さけ)んだ。「ウソだ~ぁ! そんなのアリ~ぃ!」
<つぶやき>お店の裏側(うらがわ)では、こんな攻防(こうぼう)が続いているのかもしれません。ホントかな?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0408「昼食事情」
 会社(かいしゃ)の昼休み。社員(しゃいん)のほとんどが外へお昼(ひる)を食べに出かけていた。
「手作り弁当(べんとう)か?」後輩(こうはい)の弁当箱を覗(のぞ)き込みながら吉田(よしだ)が呟(つぶや)いた。
「あれ、先輩(せんぱい)。今日は……。ダイエットでも始めたんですか?」
 吉田はコンビニの袋(ふくろ)からパンを出して、「違(ちが)うよ。弁当が売り切れてたんだ。――お前はいいよな。お袋(ふくろ)さんが弁当作ってくれるから。うらやましいよ」
「えっ? 先輩だって、奥(おく)さんに――」
「俺(おれ)も最初(さいしょ)は期待(きたい)してたんだ。うちのやつが、節約(せつやく)のために弁当作るって言った時には…。けどな、三日だ。朝起(お)きられないって、三日でやめちまったんだ。で、結局(けっきょく)、五百円だよ。朝、五百円玉出してきて、これでお昼食べてって。中学生じゃないんだから、五百円でなに食(く)えって言うんだよ」
 後輩は、どう慰(なぐさ)めたらいいのか分からなかった。ただ、頷(うなず)くしかなかった。
 吉田はパンをほおばりながら続けた。「お前の彼女さ、弁当作ってくれそうか?」
「はい、たぶん…。料理(りょうり)はけっこう得意(とくい)みたいなんで…」
「そうかぁ、うまくやりやがって。うちも社食(しゃしょく)作ってくれないかなぁ。そしたら、こんなみじめな思いしなくてもすむのによ。でも、無理(むり)か。こんなちっぽけな会社じゃ、そんな余裕(よゆう)ないもんなぁ。――よし、ここで自炊(じすい)しよ。給湯室(きゅうとうしつ)にコンロもあるし、冷蔵庫(れいぞうこ)だって…。こう見えてもな、昔(むかし)、居酒屋(いざかや)でバイトしてたんだ。お前にも、何か食(く)わしてやるよ」
<つぶやき>どんな逆境(ぎゃっきょう)でも、アイデアひとつで乗り切れる。新しい風を起こしましょ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0409「秘めた思い」
 会社でエレベーターを待っていた時、どこからともなく彼女がやって来た。そして、「これ」と言って紙切(かみき)れを渡(わた)された。そこには、時間と近くの喫茶店(きっさてん)の名前が書かれている。僕(ぼく)が彼女に目をうつすと、彼女は「よろしく」と素っ気(そっけ)ない素振(そぶ)りで行ってしまった。
 自分のデスクに戻(もど)って、近くの同僚(どうりょう)にそのことを話すと、
「おい、それって経理(けいり)の吉沢(よしざわ)じゃないのか? お前、何やらかしたんだ」
「別に僕は…」思い当たることなんて何もない。
「これは、絶対(ぜったい)何かあるぞ。あんな計算高(けいさんだか)い女が、お前なんかに声かけるわけないだろ」
「そうだぞ。やめとけ、何されるか分かんないぞ。生きて帰れないかもな」
 同僚達の冷(ひ)やかし半分の忠告(ちゅうこく)もあったが、僕はとりあえず行ってみることにした。店に入ると彼女の姿(すがた)はなかった。時間は十五分前。僕は席(せき)に着くとコーヒーを注文(ちゅうもん)した。
 それから間もなくして、彼女がやって来た。僕を見つけた彼女は、凄(すご)い勢(いきお)いで駆(か)けて来て、僕の前の席に座(すわ)った。彼女は眉間(みけん)にシワを寄(よ)せて、何だか怒(おこ)っているような…。
 それから数分間。彼女はひと言もしゃべらなかった。僕は話し上手(じょうず)ではないので、何を言えばいいのか戸惑(とまど)った。彼女は、ずっとコーヒーカップを見つめているだけ。
 たまりかねて、僕は渡された紙切れを彼女の前に出して言った。「あの、これって…」
 彼女は、素早(すばや)くそれを握(にぎ)りしめると震(ふる)える声で呟(つぶや)いた。「好きです。あなたが、好き…」
<つぶやき>仕事(しごと)のできる女でも、少女のような恋心(こいごころ)を持っている。分かりづらいけど…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0410「下校途中にて」
 陽子(ようこ)と満(みつる)は家が近いので、たまに学校から帰るとき一緒(いっしょ)になってしまう。まあ、仲(なか)が悪(わる)いわけでもないので別段(べつだん)どうってこともないのだが。二人が歩いていると、後輩(こうはい)の女の子が二人の前に飛(と)び出して来た。女の子は恥(は)ずかしそうに、うつむきながら言った。
「あの…、あたし、先輩のことが、好きです」
 突然(とつぜん)の告白(こくはく)に、満は動揺(どうよう)を隠(かく)せなかった。今まで、面(めん)と向かって――向かわなくてもだが、告白なんかされたことがない。満はアプアプするが、女の子は陽子を見詰(みつ)めていた。
「えっ、私?!」陽子はすっとんきょうな声を出した。
「ちょちょちょちょ、待って。今の、私に言ったの?」
 女の子は頬(ほお)を真っ赤にして、「は、はい。あの…、あたしじゃダメですか?」
「いや、ダメって…。とりあえず、友達ってことでいいかな? いつでも声かけて」
 女の子は嬉(うれ)しそうに微笑(ほほえ)むと、頭を下げて駆(か)け出した。
「何でだよ」満は不満(ふまん)そうに言った。「お前、俺(おれ)がいるのに何であんなのと…」
「はぁ? 別にいいじゃない。後輩の友達がいたって。それと、言っとくけどね、私、満と付き合ってるつもりないから。勘違(かんちが)いしないで」
「なに言ってんだよ。俺のこと好きだってオーラ出しまくってるだろ」
「それ以上(いじょう)変なこと言ったら、ぶん殴(なぐ)るからね。覚悟(かくご)しなさい」
<つぶやき>女子の恋には、あこがれも含まれているのです。男子とはレベルが違(ちが)うかも。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0411「ロマンス」
 彼女はいつもつまらなそうにしていた。何をしていてもワクワクするものがないのだ。彼女は、暇(ひま)さえあれば空(そら)を見上げていた。そして呟(つぶや)くのだ。
「あたしはここにいるよ。早く見つけて。あたしを迎(むか)えに来て…」
 ある日のこと。帰り道で彼女が星空(ほしぞら)を見上げていると、後から声をかけられた。
「星が好きなんですか? 僕は月が大好きなんです」
 彼女が振(ふ)り返ると、そこには背(せ)の高い若い男が立っていた。まさに、彼女の理想(りそう)のタイプだ。こんな出会(であ)いがあるなんて、彼女は自分(じぶん)の目を疑(うたが)った。男は言った。
「月は地球(ちきゅう)から少しずつ離(はな)れているんですよ。いつか地球の重力(じゅうりょく)から放(はな)たれて、長い長い宇宙(うちゅう)の旅(たび)を始めるんです。そして、またどこかの見知らぬ星と出会う」
「何か、宇宙のロマンですよね。あたしも、そんな出会い、あるのかな」
「僕と一緒(いっしょ)に月へ行きませんか?」男は唐突(とうとつ)に彼女の目を見つめて言った。
「えっ?――まさか、あなた。あたしを…」
 彼女の胸(むね)は高鳴(たかな)った。待ちこがれていた人がやっと現れたのかもしれない。
 彼はカバンから一枚のチラシを取り出した。彼女にそれを渡(わた)して、
「すぐそこの公園(こうえん)で天体観測会(てんたいかんそくかい)をやるんです。近所(きんじょ)の子供たちも大勢(おおぜい)来るんですよ。もしよかったら、見に来ませんか? いや…、ぜひ来て下さい。お願いします!」
<つぶやき>幸せは待っていたってダメ。自分で手を伸(の)ばさないと、つかむことなんか…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0412「断捨離の試練」
 彼女はイラついていた。もう五時間だ。彼女が部屋(へや)の片付(かたづ)けを始めてから。最初は、順調(じゅんちょう)にいっていたはずだった。なのに、気がつけば部屋の中は足の踏(ふ)み場もない状態(じょうたい)に陥(おちい)っている。彼女は呟(つぶや)いた。
「こんなはずじゃなかったのに。何でこうなるのよ。私はちゃんとやってるじゃない。――悪(わる)いのは私じゃない。そうよ、絶対(ぜったい)、私じゃないわ。ここにいる、こいつらよ。こいつらが悪いのよ。こいつらさえいなかったら」
 彼女の視線(しせん)の先には、なぜか男たちがたむろしていた。彼らは、彼女を見て愛想笑(あいそわら)いをする。彼女はますますイライラをつのらせた。
「どうして私の周(まわ)りには、いらないものばかり集まって来るのよ」
 彼女は男たちを睨(にら)みつけて言った。「出てってよ。あなたたちは、もう私には必要(ひつよう)ないの。不要品(ふようひん)の粗大(そだい)ごみなの。いい加減(かげん)、気づきなさいよ」
 男たちはヘラヘラと笑(わら)いながら、彼女にまとわりついてくる。彼女は手足をバタつかせ、男たちを振(ふ)り払っていく。彼女は必死(ひっし)だった。ここで後戻(あともど)りしたら、もう二度と這(は)い上がれない。もしそうなれば、彼女に未来(みらい)はない。彼女はうわごとのように呟いた。
「絶対、負(ま)けないわよ。明日は、初めて彼が来るの。こんなとこ、見せられないでしょ」
 彼女はごちゃごちゃの山の中で、いつしか眠(ねむ)りについていた。
<つぶやき>果(は)たして、部屋は片付いたのでしょうか? かなり心配(しんぱい)なところがあります。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0413「初対面なのに」
 彼は喫茶店(きっさてん)で、先方(せんぽう)へ渡(わた)す資料(しりょう)の確認(かくにん)をしていた。彼の仕事(しごと)は営業(えいぎょう)で、新規(しんき)の取引先(とりひきさき)を開拓(かいたく)していた。これから訪問(ほうもん)する会社も、何度も足を運(はこ)んで、やっと話を聞いてもらえることになったのだ。だから手落(てお)ちがあってはいけない。
 彼が確認を終えて顔を上げると、目の前に女性が座(すわ)っていた。全(まった)く気づかなかったので、彼はちょっと驚(おどろ)いた。その女性は、彼に微笑(ほほえ)みかけると言った。
「あの、私と結婚(けっこん)してください」
 彼は、あまりのことに唖然(あぜん)とするばかり。彼女はさらに続ける。
「私、あなたのことが好きになったんです。これから、私の両親(りょうしん)に会ってください」
「ちょ、ちょっと待ってよ。初対面(しょたいめん)でいきなりそれはないでしょ。なに考えてんの? それに、もし僕(ぼく)が結婚してたら…」
「その時は、離婚(りこん)してもらいます。でも、指輪(ゆびわ)をしてないから独身(どくしん)ですよね」
「いやいや、それはそうだけど…。好きな人がいるかもしれないだろ」
「なら、私もエントリーできますよね」
「ごめん。これから仕事(しごと)なんだ。大事(だいじ)な商談(しょうだん)があって…」
「私がご案内(あんない)します。その会社、私のパパの会社なんです」
「えっ、パパ? まさか、社長(しゃちょう)の娘(むすめ)さんなんですか?」
 彼女は微笑(ほほえ)むだけで、それには答えなかった。彼女はさり気なく彼の腕(うで)を取った。
<つぶやき>これには何か裏(うら)があるのかな? 彼の運命(うんめい)が大きく変わるかもしれません。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0414「童心に返る」
 新しくできた遊園地(ゆうえんち)。そこには小さな子供(こども)たち用(よう)に迷路(めいろ)が作られていた。子供たちがキャッキャと騒(さわ)ぎながら、迷路の中を走り回っている。
「ねえ、私、あれやりたい」女の子が一人、嬉(うれ)しそうに友達(ともだち)に言った。
「もう、子供じゃないんだから。あんなのつまんないよ」
「だって、大人(おとな)はやっちゃダメって書いてないでしょ」
 女の子は駆(か)け出した。彼女ははしゃぎながらスタート地点(ちてん)に立つと、そこから友達に向かって手を振(ふ)った。そして、迷路の中へ入って行く。
 彼女はいつしか夢中(むちゅう)になっていた。初めのうちはゴールがちゃんと見えていた。それが、仕切(しき)りの壁(かべ)が高くなったのか、背(せ)が縮(ちぢ)んでしまったのか、ゴールの旗(はた)が見えなくなった。彼女がそれに気づいたとき、周(まわ)りから子供たちの姿(すがた)が消(き)えていた。彼女は不安(ふあん)になった。もしこのまま出られなくなったら…。その時だ。目の前を、服(ふく)を着た兎(うさぎ)が横切(よこぎ)った。
 ここは躊躇(ちゅうちょ)している場合(ばあい)じゃあない。彼女はその兎を追(お)いかけた。もしかしたら出口(でぐち)が分かるかもしれない。でも、何だが走りづらい。彼女はいつの間にかドレスを着ていた。それに気づいたとき、彼女は前のめりになりバタンと倒(たお)れてしまった。
 どのくらいたったろう。遠(とお)くから声が聞こえた。「大丈夫(だいじょうぶ)か? しっかりしろよ」
 彼女が意識(いしき)を取り戻(もど)すと、目の前に赤い目の兎の顔が! 彼女は、また気を失(うしな)った。
<つぶやき>たまには童心(どうしん)に返ってみましょ。別の世界の扉(とびら)が開いちゃうかもしれません。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0415「変態」
 彼は不思議(ふしぎ)な夢(ゆめ)を見た。裸(はだか)の人間が背中(せなか)を丸(まる)めて座(すわ)っている。それをじっと見ていると、パカッと音がして、その人間の背中の皮膚(ひふ)が破(やぶ)れ、中から化(ば)け物が飛(と)び出して来た。
 そこで彼は飛び起きた。――何となく頭が痛(いた)い。身体中(からだじゅう)、ぐっしょりと嫌(いや)な汗(あせ)をかいている。彼はベッドから出ると汗を拭(ぬぐ)った。窓(まど)からは気持ちのいい朝日が差し込んでいる。
 ――台所(だいどころ)では母親が朝食の支度(したく)をしていた。彼は水を一杯飲むと食卓(しょくたく)についた。首筋(くびすじ)から背中の辺りが、何だかむずがゆく嫌(いや)な感じだ。彼は、手を伸(の)ばして背中を掻(か)き出した。
 その様子(ようす)を見ていた母親が声をかける。「かゆいの? 見てあげるわ」
 母親は、彼のTシャツを脱(ぬ)がせると背中を見た。そこには、背骨(せぼね)に沿(そ)って一筋(ひとすじ)線が入っていた。母親は息(いき)を呑(の)んだ。そして、大声で家族(かぞく)を呼び集めた。
 彼を中心(ちゅうしん)にして、両親(りょうしん)と姉(あね)二人が取り囲(かこ)んだ。手にはそれぞれ大きな網(あみ)を持っている。
 彼は不安(ふあん)になり言った。「みんな、どうしたんだよ。何してるの?」
 母親は優(やさ)しく答(こた)える。「大丈夫(だいじょうぶ)よ。変態(へんたい)が始まったの。これで、あなたも大人(おとな)になるのよ」
「なに言ってんだよ。俺(おれ)は…」彼はさっきの夢のことを思い出して、「まさか、あれは俺?」
 突然(とつぜん)、彼の身体が不自然(ふしぜん)にカクカクと動き始めた。母親が叫(さけ)んだ。
「みんな、逃(に)がしちゃダメだからね。無傷(むきず)で捕獲(ほかく)するわよ」
 みんなは身構(みがま)える。彼は背中を丸めた。そして、パカッと音がして――。
<つぶやき>恐(こわ)いです。何が飛び出してきたの? この人達はいったい何者なんでしょう。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0416「いろんな顔」
 僕(ぼく)の彼女はいろんな顔を見せてくれる。優(やさ)しく微笑(ほほえ)みかける顔。大きな口を開けて大笑(おおわら)いしている顔。ちょっと寂(さび)しげな顔も捨(す)てがたい。でも僕が一番好きなのは、ちょっと頬(ほお)を膨(ふく)らませて怒(おこ)っている顔。僕はその顔見たさに、わざと彼女を怒らせたりもする。
 でも、今日はちょっとやり過(す)ぎた。彼女は僕に背(せ)を向けて、うなだれて肩(かた)を震(ふる)わせている。まさか彼女がこんなに傷(きず)つくなんて思ってもいなかった。僕は罪悪感(ざいあくかん)で一杯(いっぱい)だ。こんなことになるんなら、あんなことしなきゃよかった。僕は、彼女に謝(あやま)ろうと、彼女の肩を後からそっと抱(だ)き寄せようとした。
 その時だ。不意(ふい)にカメラのシャッター音がした。僕は驚(おどろ)いて伸(の)ばした手を引っ込める。彼女がこっちを振(ふ)り向く。その顔はしてやったりの笑顔だった。僕の頭の中は混乱(こんらん)していた。状況(じょうきょう)が把握(はあく)できない。彼女は手にしたスマホの画面(がめん)を見ながら嬉(うれ)しそうに言った。
「あたし、あなたが困(こま)ってる顔が大好きよ。良い写真、撮(と)れちゃった」
 じゃあ、今までのは何だったんだよ。あの、肩を震わせていたのは…。僕は心の中で呟(つぶや)いた。――えーっ、彼女って、こんなこともしちゃうんだ。知らなかったよ。
 彼女は僕の顔を覗(のぞ)き込んで囁(ささや)いた。「あなたの知らないこと、まだまだあるわよ」
 僕は身体(からだ)が震えた。今まで見たことがない、小悪魔(こあくま)のような微笑(ほほえ)みがそこにあった。
<つぶやき>女性はいろんな顔を持っています。あなどらないようにしないとダメですよ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0417「消えちゃえ」
 ちょっとしたミスで上司(じょうし)から怒(おこ)られた彼女は、自分の席(せき)に戻(もど)ると、周(まわ)りには聞きとれないような小さな声で呟(つぶや)いた。「あんな人、消(き)えちゃえばいいのに」
 翌日(よくじつ)。出社(しゅっしゃ)した彼女はその上司がまだ来ていないので、同僚(どうりょう)の一人に訊(き)いてみると、
「無断欠勤(むだんけっきん)みたいよ。何か、全然(ぜんぜん)連絡が取れないみたい」
 彼女は心の中で呟いた。「いい気味(きみ)だわ。このまま辞(や)めてくれないかしら」
 このことがきっかけで、セクハラまがいのことをしてきた男性社員や、陰(かげ)で悪口(わるぐち)を言っていた女性社員を、彼女は次々(つぎつぎ)と消(け)していった。それに、恋人に言い寄(よ)ってきた女も…。
 彼女は有頂天(うちょうてん)になっていた。もう自分には恐(こわ)いものなんて何もない。そんな態度(たいど)が恋人にも伝わったのだろう。デートのときに彼と喧嘩(けんか)をしてしまった。そして、つい口にしてしまったのだ。「あなたなんか大嫌(だいきら)い。もう、私の前から消えてよ!」
 彼女は、家に帰る頃(ころ)には後悔(こうかい)で胸(むね)が一杯(いっぱい)になっていた。何であんなこと言ってしまったんだろう。彼女は彼に電話をかけた。だが、全然つながらない。彼女は不安(ふあん)になった。
 何気(なにげ)なくテレビをつけると、ニュースをやっていた。キャスターの女性が慌(あわ)てた声で、
「各地(かくち)で行方不明者(ゆくえふめいしゃ)が続出(ぞくしゅつ)しています。何の前触(まえぶれ)れもなく、まるで神隠(かみかく)しのように――」
 テレビは中継画面(ちゅうけいがめん)に切り替(か)わり、再(ふたた)びスタジオの画面に戻ると、そこにいるはずの女性キャスターの姿(すがた)が忽然(こつぜん)と消えていた。
<つぶやき>思わず口にした言葉(ことば)でとんでもないことに…。皆(みな)さんも気をつけて下さい。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0418「思い出、買い取ります」
 和美(かずみ)は二年も付き合っていた彼から、突然(とつぜん)別れを告(つ)げられた。しばらくは仕事(しごと)も手につかず、落ち込む日々を過(す)ごしていた。でも、いつまでもこんなことしていられない。和美は彼のことを吹(ふ)っ切ろうと、彼との思い出の品(しな)を箱(はこ)の中へ詰(つ)め込んだ。
 夜明け前。海岸(かいがん)の波打(なみう)ち際(ぎわ)に和美は来ていた。ここは、彼との思い出の場所(ばしょ)。楽しかった記憶(きおく)が甦(よみがえ)ってくる。和美は思わず涙(なみだ)ぐんでしまった。彼女は指(ゆび)にはめていた指輪(ゆびわ)をじっと見つめる。それは、彼からプレゼントされたものだった。朝日(あさひ)が顔を出し始めている。
 和美は意(い)を決したように指輪を外(はず)した。それを箱の中へ入れると、ガムテープでぐるぐる巻(ま)きにして…。和美は両手(りょうて)で箱を振(ふ)り上げると、それを海へ向かって――。
「ちょっと、何してるの! ここは、ゴミ捨(す)て場じゃないんだから」
 後(うし)ろから声がしたので、和美はビクッとして振り返る。そこにいたのは、ジャージ姿(すがた)の初老(しょろう)の男性。彼はうんざりしたような顔で言った。
「何があったら知らないけどさ、もったいないじゃないか。そんなことするより、この先に思い出の買い取り屋(や)があるから、そこへ持って行きなよ。まあ、いくらになるか分かんないけど、朝飯(あさめし)ぐらいは食(く)えるだろ。お腹(なか)がふくらめば、元気(げんき)も出るってもんだ。そうだ、美味(おい)しい魚(さかな)を食わしてくれるところがあるんだ。案内(あんない)してやろうか?」
<つぶやき>傷心(しょうしん)を癒(い)やしてくれる、この海岸にはそんなサプライズが用意(ようい)されています。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0419「めんどくさい」
 会社(かいしゃ)の給湯室(きゅうとうしつ)でお茶(ちゃ)の用意(ようい)をしていた和枝(かずえ)。急に上衣(うわぎ)を引っ張られてビクッとして振(ふ)り返ると、そこには後輩(こうはい)の海月(みつき)が立っていた。海月は困(こま)った顔をして和枝を見つめた。
 和枝は、またかと思いながら、「どうした? 何かあったの?」
 海月は和枝の間近(まぢか)まで寄(よ)って来て小さな声で、「どうしたらいいか、分かんないですぅ」
「ちょっと、近いよ」と和枝は海月から離(はな)れると、「仕事(しごと)のことだったら後で…」
「違(ちが)います。彼のことで…。あたし、先輩(せんぱい)が言ったように、昨日(きのう)、告白(こくはく)したんです」
 和枝は告白しちゃえばって、軽(かる)い気持ちで言ったことを思い出した。まさか、本当(ほんと)にするなんて。「ああ…、そうなんだ。それで…、やっぱりダメだった?」
「それが、いいよって。彼も、あたしのこと気になってたみたいで…」
「良かったじゃない」和枝はホッとして、「そうか、両思(りょうおも)いだったんだ」
「良くないです」海月は顔を曇(くも)らせて、「彼、全然(ぜんぜん)連絡(れんらく)とかしてくれないし…。あたし、ちゃんと電話番号やアドレスも教えたんですよ。これって、どういうことだと思います? もし、こっちから連絡とかしちゃったら、がっついてる女って思われたりするのかな。それとも、彼から何か言って来るまで待った方がいいですか? 先輩、教えて下さい!」
「いや、そんなこと言われても。私、あなたの彼のことまったく知らないし…」
「じゃあ、今度、彼に会って下さい。先輩の目で、あたしにふさわしい男かどうか――」
<つぶやき>面倒(めんど)くさい子はどこにでもいるのかもね。温かい目で見守(みまも)ってあげましょう。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0420「お見合い写真」
 姉(あね)のお見合(みあ)い写真(しゃしん)を見せられた妹(いもうと)は、少し驚(おどろ)いた顔をして言った。
「これって、成人式(せいじんしき)の写真でしょ。何年前よ。こんなの使ったら詐欺(さぎ)でしょ」
 姉は面倒(めんど)くさそうに、「いいわよ。どうせ、誰(だれ)も目に止めないから」
「お姉ちゃん、そんなんだからね…。いいわ、私、知り合いのカメラマンに頼(たの)んであげる。その人ね、モデルの写真も撮(と)ってるから、きっと良い人見つかるわよ」
「いいわよ。あたしは、普通(ふつう)の写真で…」
「もう、お姉ちゃんが早く結婚(けっこん)してこの家継(つ)いでくれないと、私が継ぐことになっちゃうでしょ。長女(ちょうじょ)なんだから、もっとしっかりしてよ」
「何よそれ。あんたのほうが、あたしより家の仕事手伝(てつだ)ってるじゃない」
「そりゃするわよ。だって、これからいろいろ援助(えんじょ)してもらいたいし。そのためにやってるんでしょ。後を継ぐとか、そういうのとは関係(かんけい)ないから」
「あんたって要領(ようりょう)だけはいいんだから。あんたが継いだほうが父さん喜ぶんじゃないの?」
「イヤよ。私は、継ぐつもりなんて全くないわ。さっさと結婚して、この家、出て行くんだから。そのためにも、お姉ちゃんにはちゃんと結婚して、この家を継ぐって決心(けっしん)を示(しめ)してもらいたいの。そうじゃなきゃ、私、彼を紹介(しょうかい)できないでしょ」
<つぶやき>デキの良い妹を持つと色々と…。でも、この話、親が聞いたら泣(な)いちゃうね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0421「かげぼうし」
 私のかげぼうしはおしゃべりだ。ことあるごとに私に話しかけてくる。それも、ほとんどが私へのダメ出しで、今日の服(ふく)は全然(ぜんぜん)似合(にあ)ってないとか、化粧(けしょう)が下手(へた)すぎ、などなど…。あげくは、そんなんだから彼氏(かれし)ができないのよ、と私に最後(さいご)のとどめを刺(さ)すのだ。
 最近(さいきん)はだいぶ慣(な)れてきて、聞き流(なが)すようにしている。それでも我慢(がまん)できない時は、日陰(ひかげ)に入る。そうすると、おしゃべりはピタリと止(や)んでしまう。
 かげぼうしの言ってることは正しいって、私もちゃんと自覚(じかく)してるし。私だって、それなりに勉強(べんきょう)して努力(どりょく)はしてるの。それなのに、真っ黒黒の影(かげ)にそんなこと言われたくない。
 今日は、知り合ったばかりの彼と初めてのデート。服装もバッチリだし、髪型(かみがた)やメイクも完璧(かんぺき)よ。これなら、私のかげぼうしもダメ出しなんかしてこないはず。
 待ち合わせの場所(ばしょ)で彼を待っている間、私のかげぼうしはひと言も話しかけてこなかった。私は何だが勝(か)ち誇(ほこ)った気分(きぶん)になる。彼が来ると、私たちは歩きだした。何だが二人ともぎこちなくて、手を握(にぎ)ることもできなかったけど…。
 私たちと同じように、二人の影(かげ)が目の前を歩いている。でもよく見ると、二人の影は手をつないでいた。そして、見る見るうちに二人の影が近づいてひとつになる。その時だ。私のかげぼうしがこっちを振(ふ)り返り、どうだと言わんばかりにニヤリと笑(わら)った。私は愕然(がくぜん)として、思わず彼の腕(うで)にしがみついてしまった。
<つぶやき>まごまごしていると、かげぼうしに先越(さきこ)されてしまうかも。ご注意(ちゅうい)下さい。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0422「幸運の使い」
 私には運命(うんめい)の黒猫(くろねこ)がいる。私が勝手(かって)にそう呼(よ)んでいるだけで、自分ちの飼(か)い猫というわけではない。私の人生(じんせい)の転機(てんき)に、どこからともなく現れる。その猫が笑(わら)っていれば好運(こううん)、そうでなければ悪(わる)いことが起(お)きる。不思議(ふしぎ)に思うかもしれないが、実際(じっさい)そうなのだから仕方(しかた)がない。猫は笑わないっていう人もいるけど、ほんとに笑うんだから…。
 最初(さいしょ)に出会ったのは、私の大学入試(にゅうし)の頃(ころ)。でも、もっと前から知っているような気がした。その時は、笑った顔を見せてくれて、志望校(しぼうこう)に一発で合格(ごうかく)した。
 それから四年。今は就活(しゅうかつ)の真っ最中(さいちゅう)。何社も面接(めんせつ)を受けたが、何度も何度も落ちまくっている。面接の帰り道、あの黒猫に出くわしたが、笑った顔を見せてくれたことはなかった。ひどい時は、私の前に姿(すがた)すら見せてくれない。
 とうとう、私の好運もここまでか…。私は自暴自棄(じぼうじき)になりかけていた。回りのみんなは就職(しゅうしょく)が決まったと浮(う)かれまくり、私のことなんか気にもとめない。あの黒猫もきっとそうよ。私のことなんか忘(わす)れてしまったんだわ。
 私はたいして期待(きたい)もしないで、最後(さいご)の面接に向かった。この会社がダメなら、もうプー娘(こ)確定(かくてい)である。暗い気持ちで家を出る。しばらく歩いて行くと、目の前にあの黒猫が座(すわ)っていた。黒猫は私を見ると、満面(まんめん)の笑顔(えがお)で、「ニャ」と短く鳴(な)いた。
<つぶやき>誰(だれ)しもが幸運(こううん)を求めています。でも、そう簡単(かんたん)に手にすることはできません。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0423「すみれの恋1」
 僕(ぼく)がすみれと再会(さいかい)したのは、本当(ほんとう)に偶然(ぐうぜん)だった。配達(はいたつ)が早く終わって時間が空(あ)いたので、近くの海岸(かいがん)まで足をのばした。そこは学生(がくせい)の頃(ころ)、学校帰りによく友達と行っていた場所(ばしょ)。すみれと初めて会ったのも、そこだった。
 その頃のすみれは、ちょっと変わっていた。いつも一人で、海岸の岩(いわ)の上に座って海をずっと見つめていた。どんなきっかけで話すようになったのか思い出せないが、彼女の凜(りん)とした横顔(よこがお)ははっきり覚(おぼ)えている。
 僕にとっては初恋(はつこい)だった。でも、彼女が突然(とつぜん)引っ越すことになり、一年足(た)らずで終わってしまった。その彼女が、すみれが、昔(むかし)と同じ場所に座っている。僕は思わず彼女の名前を叫(さけ)んでしまった。駆(か)け寄(よ)ってくる僕のことが分かったのか、彼女は昔と変わらない笑顔を見せてくれた。息(いき)をはずませている僕を見て、彼女は言った。
「酒屋(さかや)のケンちゃんだよね。ちっとも変わってない。ほんと、なつかしい」
「おおっ…」僕は大人(おとな)になったすみれを見て、何だかまぶしくて言葉(ことば)にならなかった。
 それから僕たちは、途切(とぎ)れた時間を取り戻すように何度も何度も二人で会った。昔の話や、別れてからの出来事(できごと)を競(きそ)うようにいっぱい話して、いっぱい笑(わら)った。――でも、僕は知らなかった。彼女の、本当の気持ちを。それを知っていれば、それを気づいてあげられれば、もっと違(ちが)う時間を過(す)ごすことができたのかもしれない。
<つぶやき>淡(あわ)い初恋。青春(せいしゅん)の切(せつ)なくて甘酸(あまず)っぱい…。彼女はなぜ戻(もど)って来たのでしょう。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0424「すみれの恋2」
 それは突然(とつぜん)の出来事(できごと)だった。僕(ぼく)が配達(はいたつ)から帰ってくると、店(みせ)の電話が鳴(な)り出した。僕は受話器(じゅわき)を取って、「毎度(まいど)ありがとうございます。山中(やまなか)酒店です」
 電話の向こうで誰(だれ)かのすすり泣(な)く声が聞こえた。そして、男性の声で、
「あの、そちらに健太(けんた)さんという方が…」
「僕ですけど…。あの、どちら様でしょうか?」
 ――それは、すみれのおじいさんからの電話だった。彼女が、ついさっき息(いき)を引き取ったと。僕は、何のことかまったく理解(りかい)できなかった。だって、昨夜(ゆうべ)、会って、おしゃべりして、元気(げんき)だったじゃないか。僕は店を飛(と)び出すと、病院(びょういん)まで車を走らせた。
 すみれは、病院のベッドで静(しず)かに横たわっていた。僕は、そこで彼女の病気(びょうき)のことを聞かされた。余命(よめい)半年――。彼女は、残(のこ)りの時間をベッドの中ではなく、なつかしい故郷(ふるさと)で過(す)ごすことを選(えら)んだ。たとえ、寿命(じゅみょう)が短くなっても…。
 何で話してくれなかったんだ。僕は叫(さけ)びたくなる気持ちをグッとこらえた。
「これを…」おばあさんが僕に手紙(てがみ)を差(さ)し出して、「すみれが、あなたに渡(わた)してと。あの娘(こ)、あなたのことばかり話してました。よほど楽(たの)しかったんでしょうね」
 僕は震(ふる)える手で手紙を受け取った。手紙には、たくさんの〈ごめん〉が書かれていた。そして最後(さいご)に、〈ありがとう。あなたに会えてよかった〉と…。僕は、涙(なみだ)があふれてきた。
<つぶやき>例(たと)え短い時間でも、彼女は最後の最後まで精一杯(せいいっぱい)生きたんじゃないのかな。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0425「妻の勘」
 さっきから妻(つま)の視線(しせん)をビリビリと感じている。家事(かじ)の合間(あいま)にチラチラと僕(ぼく)の方をうかがっているようで、テレビを見ていても何だか落ち着かない。でも、わざわざこっちから地雷(じらい)を踏(ふ)みに行くような行動(こうどう)は自殺行為(じさつこうい)だ。だから、平静(へいせい)を装(よそお)って気づかない振(ふ)りをしていた。
 私の妻は妙(みょう)に勘(かん)がいいところがある。まさか、あのことがバレたとか…。いや、そんなはずはない。だって、あれはちゃんと見つからない場所に隠(かく)してあるし――。でも、後で確(たし)かめておかないと。
 僕は、やましいことをしているわけではない。ただ、この前の誕生日(たんじょうび)に、会社の女の子からプレゼントをもらっただけだ。別に、彼女とは特別(とくべつ)な関係(かんけい)でもないし、ただの会社の同僚(どうりょう)である。でも、私の妻は変に勘(かん)ぐるところがあるから、内緒(ないしょ)にしておいた方がいいかなって…。これも、妻への愛情(あいじょう)である。
 また妻の視線が僕をとらえた。妻は家事の手を止めると、僕の方へ近づいて来る。何だ、何だ、これは…。僕は背筋(せすじ)に冷(つめ)たいものが走った。妻は、僕の横に座る。無言(むごん)だ。何か言ってくれよ。僕は妻と視線を合わせないように、テレビ画面(がめん)から目を離(はな)さない。もし、妻と目が合ったら、それで最後(さいご)だ。その先(さき)に待っているのは、考えただけでも…。
 妻は僕の耳元(みみもと)で囁(ささや)いた。「ねえ、あなた。あたし、欲(ほ)しいものがあるんだけど…」
<つぶやき>これはどういうことだ。バレてるのか、それともただのおねだりなのかな?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0426「再びの降臨」
 ある日のこと、天上(てんじょう)の高天原(たかまがはら)からひとりの神様(かみさま)が地上へ降(お)り立たれた。その神様は人間の世界をつぶさに見てまわられ、悲しげに呟(つぶや)かれた。
「この世界には、貴(とおと)いものは何ひとつない。身勝手(みがって)な人間たちであふれ、地上は汚(けが)れたものになった。世界の秩序(ちつじょ)は乱(みだ)れ、もはや愛は消え失(う)せた」
 神様は手にした杖(つえ)を天上に振り上げて言われた。
「この地上を混沌(こんとん)に戻(もど)し、もう一度、世界を作り直そう」
 神様の足元(あしもと)から一陣(いちじん)の風が吹(ふ)き上がった。その風は天空(てんくう)の雲(くも)を集め、大きな渦(うず)となり空を黒く覆(おお)いつくした。風はますます強くなり、回りのものを吹き飛ばしていく。地面(じめん)も大きく揺(ゆ)れ、地割(じわ)れが四方八方(しほうはっぽう)に広がっていった。
 人間たちは叫(さけ)び声を上げて逃(に)げ回った。ある者は風に巻(ま)き上げられて空(そら)に飛ばされ、またある者は地上の割(わ)れ目の中へ呑(の)み込まれていく。まさに終末(しゅうまつ)の始まりである。
 その時、どこからともなく一人の女の子がやって来た。女の子は神様の足元(あしもと)を指差(ゆびさ)して言った。「やめて。お花さんがかわいそうだよ」
 神様は、足元に小さな花が咲(さ)いているのに気づかれた。花は風に揺(ゆ)れ、今にも花びらを散(ち)らそうとしている。女の子はしゃがみ込み、小さな手で花をおおった。それを見た神様は、手を下ろされた。女の子の目の奥(おく)に、小さな愛を見つけられたのだ。風は止(や)み、雲の間から神々(こうごう)しい光りが地上へ降(ふ)りそそいだ。
<つぶやき>もし神様が現れたら、この世界を見てどう思われるのでしょう。心配(しんぱい)です。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0427「付き合っちゃえ」
 いつからだろう、ヤマザキ君(くん)のことが気になり始めたのは…。気がつけば、私は彼の方ばかり見つめていた。そんな私を見て、親友(しんゆう)の友香(ともか)が私の耳元(みみもと)でささやいた。
「ねえ、カノンってさ、もしかして山崎(やまざき)が好きなの?」
 私がいくら否定(ひてい)しても、彼女にはバレバレで…。友香は私を見透(みす)かしたように、
「へーえ、そうなんだ。いがいーっ。あんなのがタイプなんだぁ」
 あんなのって何よ。そんな言い方しなくても…。いいじゃない、私が誰(だれ)を好きになったって。それに、私は別に彼と仲良(なかよ)くなろうとか、付(つ)き合おうとか、そんなこと思ってないし…。友香は一人で納得(なっとく)するように肯(うなず)くと、私が止める間(ま)もなくヤマザキ君の方へツカツカと行ってしまった。そして、他のみんなにも聞こえるように、
「カノンが好きなんだって。どうせ彼女いないでしょ。付き合っちゃいなよ」
 それからどうなったのか記憶(きおく)が曖昧(あいまい)なのだが、いつの間にか一緒(いっしょ)に帰れコールが巻(ま)き上がり、私はヤマザキ君と一緒に帰ることになってしまった。私たちはみんなに見送られて教室(きょうしつ)を出る。どうするのよ。私たち、帰る方向(ほうこう)、全然(ぜんぜん)違うんですけど…。
 私たちは校門(こうもん)で立ち止まった。二人とも、何を話したらいいのか分からす戸惑(とまど)っていた。どちらからともなく、また明日って…。もう、明日から気まずくなっちゃうでしょ。
 私は彼の後ろ姿(すがた)に向かって叫(さけ)んだ。「私と付き合ってください!」
<つぶやき>思いがけず告白(こくはく)したけど、ヤマザキ君はどう思ってるのか。気になります。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0428「魔法の使い方」
 ある日のこと、あずさの前に魔法使(まほうつか)いが現れた。魔法使いは彼女に言った。
「お前に魔法を授(さず)けよう。その力をどう使うかはお前の自由(じゆう)だ。ただし使い方を誤(あやま)ると、周(まわ)りの人を不幸(ふこう)にすることになる。幸せをつかめるかどうかは、お前次第(しだい)だ」
 魔法使いが杖(つえ)を振(ふ)り上げると、あずさの身体(からだ)は光に包(つつ)まれた。
 翌日(よくじつ)、学校でテストがあった。彼女の嫌(きら)いな教科(きょうか)だったので、彼女は思わず呟(つぶや)いた。
「ああっ、誰(だれ)か私のかわりにやってくれないかなぁ。そしたら、良い点(てん)取れるのに」
 テストが返されたとき、あずさは答案用紙(とうあんようし)を見て驚(おどろ)いた。満点(まんてん)に近い点数だったのだ。その時、クラスで一番の秀才(しゅうさい)の好恵(よしえ)が泣(な)きだした。先生が好恵を励(はげ)ますように、
「今回は残念(ざんねん)だったな。でも、次(つ)ぎ頑張(がんば)ればいいからな」
 あずさは、好恵の答案用紙を覗(のぞ)き見て、思わず息(いき)を呑(の)んだ。それは間違(まちが)いなくあずさの書いたものだった。何で、何でこんなことに…。あずさは魔法使いが言った言葉(ことば)を思い出した。あれは、このことだったんだ。でも、私はそんなつもりで言ったんじゃ…。
 その日以来(いらい)、あずさは愚痴(ぐち)を言ったり、誰かを羨(うらや)むことをやめた。もしそんなことをしたら、また誰かを不幸にしてしまう。それだけは嫌(いや)だった。でも、あずさは気づいた。人を助(たす)けるために魔法を使えば、悪いことは何も起(お)きないことを――。
<つぶやき>不思議(ふしぎ)な力があると、ついつい怠(なま)けたり人を見下(みくだ)したり。良いことなんか…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0429「バーチャルリアリティ」
 涼子(りょうこ)は会社(かいしゃ)からの帰り道、見知(みし)らぬ男性に声をかけられた。その男性はいきなり彼女の手をつかむと、「君(きみ)は僕(ぼく)らの救世主(きゅうせいしゅ)だ。未来(みらい)を照(て)らす光だ。絶対(ぜったい)、負(ま)けないで下さい!」
 涼子は男の手を振(ふ)りはらい、「何なんですか? 私には何のことか…」
 その時、涼子は気づいた。周(まわ)りにいた他の人たちが、立ち止まって自分(じぶん)のことを見つめていることを。そして、誰(だれ)が言うともなく、ひそひそと声が上がる。
「救世主だ」「本当にいるんだ」「ウソ、信じられない」などなど…。
 涼子は近づいて来る人たちを見て恐怖(きょうふ)すら覚(おぼ)えた。彼女はその場から逃(に)げ出した。だが、どこまで逃げても、大勢(おおぜい)の人たちが追(お)いかけてくる。涼子は携帯(けいたい)で友達に助けを求(もと)めた。その友達は、ネット上に涼子の目撃情報(もくげきじょうほう)が流れていることを教えてくれた。だから、どこへ隠(かく)れてもすぐに見つかってしまうのだ。友達は涼子に言った。
「あたしが偽情報(にせじょうほう)を流すから、追(お)っ手がいなくなったらあたしの家まで来て」
 偽情報のおかげか、涼子は何とか友達の家までたどり着けた。友達は涼子を招(まね)き入れるとドアを閉(し)め、後ろ手にガチャリと鍵(かぎ)をかける。そして、友達は嬉(うれ)しそうに言った。
「ありがとう、あたしの所(ところ)に来てくれて。さあ、あなたのバトルを見せてちょうだい」
 部屋の中にあったパソコンにはゲームの場面(ばめん)が表示(ひょうじ)されていて、その主人公(しゅじんこう)が涼子とそっくりだった。友達は言った。「今、すっごく流行(はや)ってるのよ、このゲーム」
<つぶやき>知らない間(あいだ)に、こんなことになっちゃって。彼女は勝(か)つことができたのか?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0430「しずく1~芽生え」
 しずくは17歳(さい)の高校生。誰(だれ)からも好かれている人気者(にんきもの)だ。でも、心の中では冷(つめ)めたものがあり、どこかで自分(じぶん)は他の人とは違(ちが)うと感じていた。
 彼女は子供の頃(ころ)に不思議(ふしぎ)な体験(たいけん)がある。それは夢(ゆめ)だったのかもしれないが、眩(まぶ)しいくらいの火の玉(たま)に包まれた記憶(きおく)が残(のこ)っていた。でも恐(こわ)かったとかそんなのは全然(ぜんぜん)なく、暖(あたた)かくて、母親に抱(だ)きしめられているような感覚(かんかく)。何の不安(ふあん)もなく、自然(しぜん)に身体(からだ)の力が抜(ぬ)けていった。
 なぜこんな記憶があるのか、彼女にはまったく分からない。でも、ときどき頭の中に浮(う)かんできて、そのたびに身体中が火照(ほて)ってしまうのだ。
 学校からの帰り道、友達と別れてから彼女は自宅(じたく)までヘッドホンで音楽を聴(き)きながら歩いていた。その時、小さな子供が車道(しゃどう)へちょこちょこと出て行くのが見えた。そばでは、数人の主婦(しゅふ)が立ち話をしている。彼女は何気(なにげ)なく後を振(ふ)り返った。すると、大きなトラックがこっちに向かって来るのが見えた。彼女は、とっさに車道へ飛(と)び出した。そして、子供を抱きかかえる。だが、目の前にはトラックが迫(せま)っていた。もう間に合わない。しずくは子供をかばうように抱きしめて、その場にうずくまった。
 それは、一瞬(いっしゅん)の出来事(できごと)だった。トラックのタイヤが軋(きし)む大きな音が響(ひび)いた。主婦たちが驚(おどろ)いて振り向く。だが、そこにはしずくと子供の姿(すがた)はなかった。
<つぶやき>二人はどうなったの? 小さな子供は目を離(はな)さないように気をつけようね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0431「学級新聞」
 朝。私が教室(きょうしつ)に入ると、クラスのみんなが掲示板(けいじばん)のところに集まっていた。何だろうと私も覗(のぞ)いて見ると、掲示板に学級新聞(がっきゅうしんぶん)が貼(は)られていた。私はその記事(きじ)を見て驚(おどろ)いた。私と同じクラスのミツル君が、クラス公認(こうにん)のカップルになったって――。
 何よそれ。まったくふざけてるわ。私はみんなを押(お)しのけて、学級新聞をはがしてクシャクシャに丸(まる)めてやった。誰(だれ)よ、こんなことしたの。みんなは私を見てパチパチと拍手(はくしゅ)してくる。その時、先生(せんせい)がやって来た。みんなが席(せき)につくと、先生は私に向かって言った。
「ハルカさん、ミツル君の隣(となり)の席へ移(うつ)ってください。なんたって、公認カップルですから」
 翌日(よくじつ)、また掲示板に学級新聞が貼られていた。それを読んでいたみんなは、私に気づくと冷(つめ)たい視線(しせん)を私に向ける。今度は何よ。私は学級新聞をはがして…。今度は、私が他のクラスの男の子と浮気(うわき)してるって――。私は、誰とも付き合ってません!
 次の日、私は誰よりも早く登校(とうこう)した。まだ掲示板には学級新聞は貼られていなかった。先生の机のとこに隠(かく)れていると、教室の扉(とびら)が開(あ)いた。私がそっと覗くと、そこにいたのはミツル君。私は思わず飛(と)び出した。私を見たミツル君は驚いて立ち止まった。私がミツル君のそばまで駆(か)けて来たとき、なぜか足がもつれて、私はミツル君に抱(だ)きついてしまった。
 ちょうど私の目線(めせん)の先に掲示板があり、いつの間にか学級新聞が貼られていた。そこに書かれていたのは、私とミツル君が仲直(なかなお)りして、クラス公認カップルが復活(ふっかつ)したと――。
<つぶやき>書かれていたことが現実(げんじつ)になってしまう。もしそんな事になったら大変(たいへん)です。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0432「年上の後輩」
「それで、どうなのよ?」春奈(はるな)はビールを飲み干(ほ)すと言った。
「えっ、何が?」麻美(あさみ)は焼き鳥を頬張(ほおば)りながら答える。
「何がって。ほら、この前、話してた新人(しんじん)のことよ。うまくやってるの?」
「ああ…。そ、そうね。まあ、何とかね」
「何よ、歯切(はぎ)れの悪(わる)い。後輩(こうはい)なのに二つも年上(としうえ)で、嫌(いや)だなぁって言ってたじゃない。使えない奴(やつ)だったらどうしようって。ねえ、どうなのよ。鈍(どん)くさい奴だった?」
「そ、そんなことないわよ。とっても良い人だったわ。仕事(しごと)の覚(おぼ)えも良いし」
「何だ。つまんないの」
 春奈は店員(てんいん)にビールの追加(ついか)を注文(ちゅうもん)すると、麻美の顔を覗(のぞ)き見て、
「何よ、ニヤニヤしちゃって。何か、良いことあったでしょ。教えなさいよ」
「ないわよ、そんなの…。やだ、なに言ってんの。やめてよ」
「あやしいィ。――そんなに良い男だった? 今度の新人」
 麻美は春奈に見つめられてかなり動揺(どうよう)しているようで、変なテンションになっていた。
「そ、そんなんじゃないわよ。もう、やだ。私、そんなこと…。もう、やめてよ」
「あんたって、ほんと分かりやすいよね。で、今度は告白(こくはく)できるの?」
「こ、告白って…。私たち、そういうあれじゃないから…。変なこと言わないでよ」
<つぶやき>どこで恋(こい)がころがっているか分かりません。見落(みお)とさないようにしましょう。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0433「旅の目的」
「あたしね、あの雲(くも)になりたいなぁ。風の吹(ふ)くままに、いろんなとこを旅(たび)するの」
 鈴音(すずね)は観光地(かんこうち)のお休み処(どころ)で、まったりと抹茶(まっちゃ)をすすった。隣(となり)にいた秋穂(あきほ)は音をたてて抹茶を飲み干(ほ)すと、「私は嫌(いや)だな。そんなの時間の無駄(むだ)よ。さあ、行くわよ。私たちにはのんびりしてる暇(ひま)はないの」
「えっ、もう少しいいじゃない。さっき座(すわ)ったばっかだよ。ここからの眺(なが)め、すっごく良いんだから、もう少しいようよ」
「あのさ、景色(けしき)なんてパッと見ればそれで充分(じゅうぶん)よ。もう、あんたのおかげで予定(よてい)がどんどん遅(おく)れてるんだから。このままだと旅館(りょかん)に着くの夜になっちゃうよ」
「そうなの? それは大変(たいへん)ね。じゃあ、行くわ」
 鈴音は茶菓子(ちゃがし)を頬張(ほおば)ると、あたりをキョロキョロ見回(みまわ)して、
「ところで、ここからどうするの? バスとかあるのかなぁ」
「なに言ってるの。ここからは歩(ある)きよ。四時間かけて旅館まで歩くわよ」
「えっ! そんなこと聞いてない。ねえ、タクシーで行こうよ」
「私たちの旅の目的(もくてき)、忘れたの? 美味(おい)しいものを美味しく食べようって決めたじゃない。そのためには、お腹(なか)を空(す)かしておかなきゃ。いい、ここからが私たちの勝負(しょうぶ)よ」
「何か、それって違(ちが)うんじゃない? そこまでしなくても……」
<つぶやき>旅の目的は人それぞれです。どんな旅でも、良い思い出になるんじゃない。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0434「妄想の狭間」
「は~ぃ、あたしが食べさせてあげる。お口(くち)、あ~んして」
 僕(ぼく)は彼女の声で目を覚(さ)ます。目の前には、僕の憧(あこが)れの彼女がいて、卵焼(たまごや)きを僕の口のほうへ――。僕は、思わずのけぞった。何じゃこりゃ! こんなことあり得(え)ない。
 確(たし)かに、僕は彼女との恋愛(れんあい)を何度も何度も妄想(もうそう)していた。あんなことや、こんなことまで…。今、目の前で起(お)きていることは、僕の妄想の世界(せかい)にほかならない。きっとこれは、僕が変な妄想を膨(ふく)らませ過(す)ぎたから、妄想の世界に取り込まれてしまったんだ。
 どこからか声がした。「何やってんだよ。チャンスじゃないか、食べさせてもらえよ」
 その声は紛(まぎ)れもなく自分の声だ。僕は考(かんが)えた。このまま、欲望(よくぼう)のおもむくままに突(つ)き進んだら、絶対(ぜったい)、元の世界に戻(もど)れなくなる。踏(ふ)みとどまるんだ! また声がした。
「なにビビってんだよ。ここで引いたら男じゃないぞ。それでもいいのか?」
 かまわない。それでも全然(ぜんぜん)かまわない。だって僕の憧(あこが)れの彼女が、こんなことをするなんて…。僕は、彼女を冒涜(ぼうとく)することなんてできない。そんなこと許(ゆる)されないんだ!
「ね~ぇ、山田くん」彼女が優(やさ)しく僕に微笑(ほほえ)みかけてくる。「山田くん。山田くん…」
 僕は目覚(めざ)めた。そこは教室(きょうしつ)で、僕は元(もと)の世界に戻れたんだ! 僕は思わず叫(さけ)んだ。そして、隣(となり)の席(せき)にいた彼女の手を取り、「ありがとう。君のおかげで――」
「コラ、山田! 授業中(じゅぎょうちゅう)だぞ。なに寝(ね)ぼけてるんだ!」
<つぶやき>この後、憧れの彼女から手痛(ていた)いビンタをくらったのは、間違(まちが)いないだろう。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0435「しずく2~食いしん坊」
 しずくは背中(せなか)に激痛(げきつう)を感じて呻(うめ)き声を上げた。彼女が目を開けると、道路(どうろ)から三メートルほど離(はな)れた塀(へい)の前にうずくまっていた。さっきの激痛はその塀にぶつかったせいだ。しずくの腕(うで)の中で、子供が大きな声で泣(な)き出した。しずくはホッと息(いき)をつく。
 トラックがエンジン音をあげて走り去(さ)って行った。子供の母親が駆(か)け寄ってきて、しずくの腕から子供を抱(だ)きあげる。そして、母親は何度もしずくに礼(れい)を言った。
 しずくは家に帰ると、そっと二階の自分の部屋へ入った。制服(せいふく)は汚(よご)れているし、母親に見つかったらどう説明(せつめい)すればいいのか分からない。トラックの前に飛(と)び出して子供を助(たす)けたなんて言ったら、きっと母親は目を丸(まる)くして気絶(きぜつ)してしまうだろう。
 着替(きが)え終わると、しずくは階下(した)へ降(お)りて行く。母親はキッチンで夕食の支度(したく)をしていた。母親はしずくに気がつくと、「いつ帰って来たの? 今日は早いじゃない」
「ただいま。お腹空(なかす)いちゃった。今日の夕飯(ゆうはん)はなに?」
 しずくはテーブルの上のおかずに手を伸(の)ばす。すると、すかさず母親が言った。
「手を洗(あら)ってきなさい。つまみ食いはダメだからね」
 しずくはペロッと舌(した)を出して退散(たいさん)した。母親には何でもお見通(みとお)しなのだ。後(うしろ)にも目があるようで、たいていのことは見つかってしまう。母親には隠(かく)しごとはできないのだ。でも、今日のことは内緒(ないしょ)にしないと。家族(かぞく)に心配(しんぱい)をかけるわけにはいかないから。
<つぶやき>こっそりつまみ食い。これはやめられないよね。でも、母親にしてみると…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0436「ツンデレ」
「だから、これは違(ちが)うでしょ。何度言ったら覚えてくれるの。しっかりしなさいよ!」
 貴子(たかこ)は後輩(こうはい)の男性社員に猛烈(もうれつ)に注意(ちゅうい)した。たまりかねて、近くにいた和美(かずみ)が間(あいだ)に入る。
「まあまあ、それくらいでいいじゃない。後は、私からよく言っとくから。ねっ」
 貴子はツンツンしながら行ってしまった。和美はしょげ返(かえ)っている男性社員に、意味深(いみしん)な顔をして訊(き)いた。「あんたさ、貴子のこと、どうよ?」
「えっ、どうって?」
「だからさ、女としてよ。好きになっちゃうとか」
「いや、それは…。まあ、可愛(かわい)いかなとは思いますが…」
「じゃあ、付き合っちゃいなさいよ。貴子もさ、あんたのこと気にしてるよ」
「いやいや、それは無理(むり)ですよ。だって、嫌(きら)われてるじゃないですか、僕(ぼく)」
「違うなぁ。私のカンだけど、あんたのこと気に入ってると思うんだよね」
「どこがですか? 今もあんな恐(こわ)い顔して、めちゃくちゃ言われてるじゃないですか」
「そこよ。貴子さ、ツンデレだから。人前(ひとまえ)ではああなっちゃうの。心で思ってることの反対(はんたい)のことをしちゃうわけ。でもね、二人っきりになれば、フフフ。いい、これから私が二人っきりにさせてあげるから。今夜、貴子を食事に誘(さそ)いなさい。大丈夫(だいじょうぶ)、私に任(まか)せなさい」
「ちょっと待って下さいよ。そんなこと突然(とつぜん)言われても…。僕、困(こま)ります」
<つぶやき>でも、これってかなりのバクチですよね。カンを信じちゃっていいのかな?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0437「不老長寿」
 彼と一緒(いっしょ)に海釣(うみづ)りに出かけた。私はまだ初心者(しょしんしゃ)なのだが、彼の影響(えいきょう)で釣(つ)りが楽しくなりはじめていた。でも彼のこだわりがすごくて、うっとうしいくらい。私はいちいち指図(さしず)されるのが嫌(いや)で別の場所で釣りをすることにした。さすがに彼も心配(しんぱい)したみたいで、怒(おこ)って離(はな)れていく私に叫(さけ)んだ。
「岩場(いわば)は危(あぶ)ないから、あんまり遠(とお)くまで行くなよ! おい、聞いてんのか!」
 私に彼の忠告(ちゅうこく)を聞く余裕(よゆう)などなかった。どのくらい歩いただろう、とても景色(けしき)のいい場所に出た。ここなら、きっと大物(おおもの)が釣れるかも。私は何だか嬉(うれ)しくなった。近づいて行くと、岩場の陰(かげ)に人の姿(すがた)を見つけた。いかにも名人(めいじん)という感じのおじいさんで、真剣(しんけん)な表情(ひょうじょう)で釣り糸(いと)の先を見つめていた。私は恐(おそ)る恐る近づいて声をかけた。でも、おじいさんは気さくに答えてくれて、隣(となり)で釣りをしてもいいと言ってくれた。私はさっそく釣りを始めた。
 しばらくして、おじいさんの竿(さお)が大きく揺(ゆ)れた。そして、いとも簡単(かんたん)に大物を釣り上げてしまった。でも、おじいさんは魚から釣り針を外(はず)すと、そのまま海へ魚を投げ入れた。
 私は驚(おどろ)いて、「どうして逃(に)がしちゃうんですか? もったいないですよ」
 おじいさんはまた釣り糸を海に垂(た)らすと、「わしが狙(ねら)ってるのは人魚(にんぎょ)なんじゃよ」
「人魚?」私は自分の耳を疑(うたが)った。だって、人魚なんておとぎ話の――。
 おじいさんはにっこり微笑(ほほえ)むと、「人魚の肉(にく)を食うとな、不老長寿(ふろうちょうじゅ)になると言われてるんじゃ。わしは、もうここで百年ほど、こうして毎日釣りをしとるんじゃ」
<つぶやき>このおじいさんは人魚を食べたのでしょうか? それとも、海の妖怪(ようかい)なの!
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0438「愛人の愛し方」
 彼女は既婚(きこん)の男性と恋に落ちた。それは偶然(ぐうぜん)から始まったことだが、彼女は後悔(こうかい)などしていない。完全(かんぜん)に割(わ)り切った関係(かんけい)だった。だから、その彼から好きだと言われても、ずっと一緒(いっしょ)にいたいとささやかれても、彼女は本気(ほんき)にはならなかった。
 別に、彼と結婚(けっこん)したいと思ったこともないし、そうなるとも思えなかった。たまに会って、楽しい時間を過(す)ごせればそれでいい。彼の家庭(かてい)を壊(こわ)すつもりなんて…。
 でも、彼女も普通(ふつう)の女である。心のどこかで、彼を自分だけのものにしたいと願ってしまう。それで彼の服(ふく)に香水(こうすい)の匂(にお)いを移(うつ)してみたり、奥(おく)さんに女の存在(そんざい)をにおわせたこともある。だが、鈍感(どんかん)なのか自意識過剰(じいしきかじょう)なのか、奥さんはまったく気づいた素振(そぶ)りも見せない。きっと妻(つま)とうい立場(たちば)に安心(あんしん)しきっているのだ。
 彼女は腹立(はらだ)たしかった。少しだけ自分より先に彼に出会っただけなのに…。妻という座(ざ)にあぐらをかいている。彼女は、見たこともない奥さんに嫉妬(しっと)の感情(かんじょう)がわいてきた。それで、彼女はいけないと思いながらも、愛の泥沼(どろぬま)へ足を踏(ふ)み入れようと――。
 そんな時だ。彼女に転機(てんき)が訪(おとず)れた。彼の奥さんが離婚(りこん)を決断(けつだん)したのだ。彼からその話を聞いたとき、彼女の熱(ねつ)も一気(いっき)に冷(さ)めてしまった。
「あたし、何でこの人を好きになったんだろう? どう見ても、良い男じゃないわ」
<つぶやき>男と女の関係は、いろんな糸が絡(から)みあってしまうものなのかもしれません。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0439「せつなの恋」
 郁美(いくみ)は友達に誘(さそ)われて、喫茶店(きっさてん)でおしゃべりをしていた。せっかくの休みなのに、彼女には一緒(いっしょ)にいてくれる人がいないのだ。いつもなら部屋に閉(と)じこもってしまうのだが…。
 友達のたわいないおしゃべりに相(あい)づちを打っていた郁美だが、ふと、少し離(はな)れたところに座(すわ)っている男性が、こっちを見つめているのに気がついた。彼女はキュンとなった。まだ若くてかなりのイケメン。郁美は一瞬(いっしゅん)で恋に落ちた。
 郁美はチラチラと彼を盗(ぬす)み見ていたが、彼はずっと彼女の方を見つめている。しばらくすると、彼が突然(とつぜん)立ち上がった。そして、一歩、また一歩と郁美の座っているテーブルの方へ歩いてくる。郁美は胸(むね)の鼓動(こどう)が高まるのを感じた。まさか、これは、ひょっとして…。
 男性は彼女たちのテーブルの前で足を止めると、「先輩(せんぱい)、お久しぶりです」
 すると郁美の友達が彼の方を見て、「やだ、こんなとこで会えるなんて。元気(げんき)だった?」
 どうやら二人は知り合いのようで、これはラッキーかもしれない。郁美はそう思いながら、彼の顔をうっとりとした目で見つめていた。彼は言った。
「実(じつ)は、彼女と待ち合わせをしてて。どこかで見た顔だと思ったら…」
 ――彼はしばらく話をして、自分の席(せき)へ戻って行った。郁美はガッカリした顔で彼の後ろ姿(すがた)を目で追いかけた。それを見ていた友達が最後(さいご)のとどめを刺(さ)す。「残念(ざんねん)だったね。秒殺(びょうさつ)で振られちゃうなんて」
 郁美は動揺(どうよう)を隠(かく)しきれずに、「そんなんじゃないわよ。あたしは、別にそういうんじゃ…」
<つぶやき>良いなって思う人は、たいてい売約済(ばいやくず)みなのです。でも、あきらめないで…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0440「しずく3~浮遊感」
 しずくは四人家族(かぞく)。サラリーマンの父と専業(せんぎょう)主婦の母、それと生意気(なまいき)な中学生の弟(おとうと)がいる。全員(ぜんいん)そろっての夕食が、いつの間にか家族のルールになっていた。しずくは夕食の後片(あとかた)づけを手伝(てつだ)ってから、お風呂場(ふろば)を覗(のぞ)いてみた。ちょうど弟が出て来たところで、弟は慌(あわ)ててタオルで隠(かく)して、
「勝手(かって)にのぞくなよ! まだ入ってるだろ」
 しずくは平気(へいき)な顔で、「あんたの裸(はだか)なんか見飽(みあ)きてるわ。早く出て。私が入るんだから」
 弟が居間(いま)に戻(もど)ったとき、仕返(しかえ)しのようにしずくの背中(せなか)を思いっきり叩(たた)いて言った。
「バトンタッチ! ゆっくり入って来れば」
 しずくは思わずのけぞった。背中がずきずきと痛(いた)んだ。しずくは顔をしかめて、
「もう、なにすんのよ。覚(おぼ)えてなさい」
 しずくはゆっくりと湯船(ゆぶね)につかった。背中がひりひりする。きっと、擦(す)り傷になっているんだわ。――しずくは今日の出来事(できごと)を思い返(かえ)してみた。あの時、どうして塀(へい)の所にいたんだろう。だって、私はうずくまってて動けなかったはずなのに。
 その時、一瞬(いっしゅん)、意識(いしき)が遠(とお)のいた。すると、あの時の感覚(かんかく)が甦(よみが)ってきた。
「そうだわ。あの時、何だか身体(からだ)が軽(かる)くなったような…。宙(ちゅう)に浮(う)いてるような感じだった。それに、周(まわ)りがすごくゆっくり動いていたような……。何なの、これ――」
<つぶやき>いくら気持ちよくても、お風呂場では寝(ね)ないで下さい。とっても危険(きけん)です。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0441「食欲に勝るもの」
 いつものレストランで、女友だち三人が食事(しょくじ)をしていた。いつもなら和気(わき)あいあいと女子会で盛(も)り上がっているはずなのに、どうも今日は様子(ようす)が違(ちが)うようだ。
「ねえ、どうしたの?」睦美(むつみ)は好子(よしこ)に訊(き)いた。「あなたの大好物(だいこうぶつ)じゃない」
 朋香(ともか)も心配(しんぱい)して、「そうよ。いつもみたいに、これ美味(おい)しいって…」
 好子は浮(う)かない顔で、「何かね、食欲(しょくよく)がなくて。ちっとも美味しいって思えないの」
 睦美と朋香は顔を見合わせた。好子の口から食欲が無いなんて言葉が飛び出すなんて。
 朋香は好子の額(ひたい)に手を置いて、「どこか身体(からだ)の具合(ぐあい)でも悪(わる)いの? 病院(びょういん)行った方が…」
「どこも悪くないわ」好子はため息(いき)をついて、「何かね、胸(むね)のあたりがキュンとして」
 睦美はハッとして朋香に囁(ささや)いた。「まさか、恋(こい)をしちゃったとか」
 朋香は目を丸(まる)くして、「うそ。食べ物しか興味(きょうみ)がない好子が? あり得(え)ないよ」
 好子は口をとがらせて、「あたしだって、男性に興味ぐらいあるわよ」
 二人は好子にやつぎばや質問(しつもん)を浴(あ)びせた。「どこの誰(だれ)よ? あたしたちの知ってる人?」
「誰だか知らないわよ。仕事(しごと)の帰りに、たまたま駅(えき)の所で…。ちょっと話して…」
 睦美はちょっと怒(おこ)った顔で、「もう、何やってんのよ。明日、仕事終わりに駅に集合(しゅうごう)ね」
 朋香が驚(おどろ)いた声で訊(き)き返した。「えっ、何で? あたし、ちょっと明日は…」
「好子がどんな男に惚(ほ)れたのか確(たし)かめなきゃ。明日から、駅で張(は)り込みするわよ!」
<つぶやき>食欲に勝(まさ)る男がいるなんて。これは確かめる価値(かち)があるのかもしれませんね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0442「手なずける」
 パパとママは些細(ささい)なことから喧嘩(けんか)をしてしまった。お互(たが)いに意地(いじ)を張(は)って、引くに引けない状態(じょうたい)に。今さら謝(あやま)りたくないパパは、息子(むすこ)を使って無(な)かったことにしようと…。
「でもパパ、僕(ぼく)にそんなことを頼(たの)むってことは、それなりに見返(みかえ)りがあるってことだよね」
 小学生の息子は抜(ぬ)け目がなかった。パパは驚(おどろ)いた顔で、
「お前、よくそんなこと知ってるな。どこで覚(おぼ)えたんだよ」
「これぐらい常識(じょうしき)だよ。誰(だれ)だって知ってることさ。それより、どうなの?」
「じゃあ…、今度の休みにどっか、遊(あそ)びに連れてってやるよ。どこがいい?」
 息子はしばらく考えていたが、「でもなぁ、パパにそれだけの経済的(けいざいてき)余裕(よゆう)があるとは思えないよ。それだったら、ママに付いた方が絶対(ぜったい)良いと思うんだけど」
「なに言ってんだよ。ここはな、男同士(どうし)で結束(けっそく)しないと。お互(たが)い、こう助(たす)け合ってだな…」
「分かった。ちょっと考えさせて。心配(しんぱい)しなくてもいいよ。今の話は内緒(ないしょ)にしとくから」
「何を考えるんだよ。お前だって、パパとママが喧嘩してちゃ嫌(いや)だろ。早く仲直(なかなお)りして…」
「まあ、そうだけど。じゃあ、ちょっと待ってて。さっきママに呼(よ)ばれたんだ。僕、行かなきゃ。きっとママも同じこと考えてるんじゃないかなぁ。でも、心配しないで。もし離婚(りこん)ってことになっても、僕はいつまでもパパの子供(こども)だから」
<つぶやき>手なずけられてるのはどっちかな? 家族(かぞく)は仲(なか)が良いのが一番だと思います。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0443「さゆりちゃん」
 僕(ぼく)はさゆりちゃんのことが好きだった。あんな清楚(せいそ)で純真(じゅんしん)な女の子は見たことがない。でも僕には告白(こくはく)する勇気(ゆうき)はない。もし嫌(きら)われたら、そう思っただけで足がすくんでしまう。
 ある日のこと、僕はさゆりちゃんに呼(よ)び出された。誰(だれ)もいない理科(りか)準備室(じゅんびしつ)へ入って行くと、さゆりちゃんは僕の顔を見て微笑(ほほえ)んだ。僕は身体(からだ)がゾクゾクっとふるえた。
「ねえ、私のこと好きだよね。私、知ってるのよ」さゆりちゃんは僕の手を取り、ゆっくりと自分の方へ引き寄(よ)せて、「いらっしゃい。あなたのしたいこと全部(ぜんぶ)かなえてあげる」
 さゆりちゃんの顔が目の前に迫(せま)ってきた。でも、僕はふんばった。だって、さゆりちゃんはこんなことする娘(こ)じゃあない。僕はさゆりちゃんの手を振(ふ)り払い、
「君(きみ)は誰(だれ)だ! 僕のさゆりちゃんは、こんなこと絶対(ぜったい)しない!」
 その時だ。同じクラスの伊藤(いとう)が入って来た。さゆりちゃんは、さっきと同じことを伊藤に言った。伊藤は何のためらいもなく、さゆりちゃんを抱(だ)きしめた。僕は愕然(がくぜん)とした。こんなことって…。さゆりちゃんは唇(くちびる)を突(つ)き出した。伊藤の口がさゆりちゃんの口へ――。
 それは一瞬(いっしゅん)だった。大きな魚(さかな)が小魚(こざかな)を飲(の)み込むように、伊藤の身体がさゆりちゃんの口の中へ吸(す)い込まれていった。僕は、僕は……。
「ねえ、起(お)きてよ! 今日は早く出かけるって言ったでしょ」
 僕は妻(つま)の声で目を覚(さ)ました。「ごめん、さゆり…。すぐ行くから」
「ほんとグズね。早く朝食(ちょうしょく)を作ってよ。もう時間が無(な)いんだから」
<つぶやき>これは夢(ゆめ)? 何か、すごくストレスがたまってるかも。無理(むり)しちゃダメだよ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0444「恋に落ちる」
 講義(こうぎ)が終わると一人の生徒(せいと)が教授(きょうじゅ)に駆(か)け寄り質問(しつもん)した。
「なぜ人は恋(こい)をするんでしょう?」
 教授(きょうじゅ)は首(くび)を傾(かし)げて考えていたが、「生物学的(せいぶつがくてき)にいえば、子孫(しそん)を残(のこ)すためじゃないのか」
「じゃあ、どんなオスでも構(かま)わないってことですよね」
「それは違(ちが)うな。より強(つよ)いもの、賢(かしこ)いものを選(えら)んでいる。要(よう)するに、生きるために必要(ひつよう)なあらゆる要素(ようそ)に秀(ひい)でたオスを選ぶように進化(しんか)している。オスからいえば、体(からだ)を大きく見せたり、美しく着飾(きかざ)ったりして、メスを振(ふ)り向かせようと――」
 生徒は教授の顔を見つめて言った。「教授は、人を好きにならないんですか?」
 教授は唐突(とうとつ)な質問に思考(しこう)が停止(ていし)したようだ。生徒は構(かま)わずに、
「だって、教授はいつも同じ服(ふく)を着てるし、自分を良く見せようとしないじゃないですか」
「私は、そういうことには……。君(きみ)は、なぜそんな質問をするんだね?」
「あたし、何か、恋をしちゃったみたいなんです」
「…そうかね。それは、良かった。まあ、頑張(がんば)りたまえ」
「教授は独身(どくしん)ですよね。あたしの恋の相手(あいて)、知りたくありません?」
「……。私は、恋をしている時間が無(な)いんだ。他にやることがいっぱいあってね。それに、私は高いことろが苦手(にがて)だ。だから、恋には不向(ふむ)きなんだ。失礼(しつれい)するよ」
<つぶやき>教授は、ほろ苦(にが)い恋をしたことがあるのかもね。恋に理屈(りくつ)は必要ないです。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0445「しずく4~動画」
 数日間は何事(なにごと)もなく過(す)ぎていった。しずくもあの出来事(できごと)を忘(わす)れかけていた。そんな時だ。
「ねえ、私、変な動画(どうが)見つけちゃった」
 水木涼(みずきりょう)が教室(きょうしつ)へ入るなり、しずくへ駆(か)け寄(よ)って言った。「ねえ、見て。これなんだけど」
 スマホに映(うつ)された動画を見て、しずくは身体が震(ふる)えた。そこに映(うつ)っていたのは…。
「これって絶対(ぜったい)編集(へんしゅう)してあるよね。トラックの前に飛(と)び出した娘(こ)が突然(とつぜん)消えるんだよ」
 涼が大声で騒(さわ)ぐので、教室にいたみんなが集まってきた。その中にいた川相初音(かわいはつね)が、
「この道(みち)って、何か、どっかで見たことあるような…。この近くじゃない?」
「違(ちが)うよ!」しずくは思わず叫(さけ)んだ。「絶対、違うと思う。この近くなんかじゃないわ」
 そこに映っていた娘(こ)は、顔はぼかされていたが、紛(まぎ)れもなく、しずく自信(じしん)だった。何で…、どうして…。しずくの頭の中は混乱(こんらん)していた。そんなはずないわ。だって、あの場所で撮影(さつえい)していた人なんか…。
 その時、またフラッシュバックのように映像(えいぞう)が蘇(よみがえ)ってきた。ゆっくりと視線(しせん)が動いていく。トラック、子供、そして街路樹(がいろじゅ)…。その木の陰(かげ)に黒い人影(ひとかげ)! しずくは息(いき)を呑(の)んだ。
「ねえ、もう一度見せてよ!」しずくは涼に急(せ)かした。涼は再生(さいせい)ボタンを押(お)す。
 でも再生するどころか、突然(とつぜん)スマホの画面がパッと消えてしまった。涼は慌(あわ)ててスイッチを押してみるが、全(まった)く反応(はんのう)しない。「やだ、何で…、壊(こわ)れちゃったの?」
<つぶやき>誰(だれ)が何のために撮影(さつえい)したのでしょうか。しずくの周(まわ)りで何かが始まろうと…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0446「パンドラの箱」
 ある日のこと、夫(おっと)が段(だん)ボール箱を大事(だいじ)そうにかかえながら帰って来た。夫が言うには、
「パンドラの箱(はこ)を手に入れたんだ。これは世界に一つしかない珍品(ちんぴん)なんだ」
 夫はネットオークションで見つけたらしく、会社へ届(とど)いたという。夫が段ボール箱を開けると、中から出て来たのは薄汚(うすよご)れたただの木箱(きばこ)。どう見てもパンドラの箱とは思えない。
 妻(つま)は呆(あき)れた顔で夫に訊(き)いた。「ねえ、そんなのいくらで買ったのよ?」
「十万だよ。ギリシャ神話(しんわ)では、この中にあらゆる悪(あく)と災(わざわ)いが詰(つ)まってたんだ。でもな、今この箱の中に残(のこ)っているのは希望(きぼう)なんだって。知ってたか?」
「そんなこと知らないわよ。あなた、そんなお金どうしたのよ?」
 夫は妻の質問(しつもん)も耳(みみ)に入らないのか、大きなため息(いき)をついた。
「見てみろよ。錠(じょう)が掛(か)かってる。これは開けるなってことだよ。きっとそうだ」
 それから数日後、夫は思い悩(なや)んだ顔で帰って来た。そして妻に切り出した。
「なあ、鍵(かぎ)を見つけたんだ。これは、やっぱり手に入れておいた方がいいかな?」
 妻は不安(ふあん)にかられながら訊いた。「何の話よ。ちゃんと分かるように言って」
「パンドラの箱の鍵が、オークションに出てるんだ。百万なんだけど買ってもいいか?」
 妻は目をつり上げて言った。「そんなことしたら、そく離婚(りこん)だからね。分かった!」
<つぶやき>これはまさにパンドラの箱の災いなのかもしれません。開けちゃだめだよ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0447「エキストラ」
 彼はこの道50年、エキストラの頂点(ちょうてん)を極(きわ)めた男。今までに出演(しゅつえん)した、いや、映像(えいぞう)に映(うつ)り込んだ作品(さくひん)は数知(かずし)れず。もはや、彼の存在(そんざい)は伝説(でんせつ)になろうとしていた。
「すいません、監督(かんとく)。エキストラの男性が、どっかへ消(き)えちゃいました」
 助監督(じょかんとく)が駆(か)け回って捜(さが)したようで、汗(あせ)まみれになって息(いき)も切れ切れに報告(ほうこく)した。
 監督は穏(おだ)やかな口調(くちょう)で言った。「彼なら、もうスタンバイしてるよ。どこ見てるんだ」
 監督が指差(ゆびさ)す方に、確(たし)かに白髪頭(しらがあたま)の男性が座っていた。そのたたずまいは、完全(かんぜん)に景色(けしき)と同化(どうか)していて、エキストラの役目(やくめ)を完璧(かんぺき)に果(は)たしていた。助監督は呟(つぶや)いた。
「いつの間に…。全然(ぜんぜん)気づかなかったです」
「よく見ておけ。これが彼にとって最後(さいご)の作品になる」
 監督は悲(かな)しげな表情(ひょうじょう)で言った。「思い起(お)こせば、私が最初(さいしょ)の映画を撮(と)ったときも…」
 助監督は驚(おどろ)いた声で、「えっ、そんなに前からエキストラを」
「花束(はなたば)は用意(ようい)してあるな。これが最後のカットだ」
「えっ、あの人に花束ですか? でも、エキストラですよ」
「それがどうした。彼は立派(りっぱ)な映画人だ。彼に助けられた監督がどれだけいるか。彼の最後の作品に関われたことを、私は誇(ほこ)りに思ってる。彼のエキストラ魂(だましい)に、最後のはなむけを贈(おく)るんだ」
<つぶやき>何事(なにごと)もその道を究(きわ)めるのは大変(たいへん)なことです。日々、精進(しょうじん)を怠(おこた)らないように。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0448「丸山さん」
 会社(かいしゃ)の昼休(ひるやす)み。女子(じょし)たちが集まって思い思いの昼食(ちゅうしょく)をとっていた。たわいのない話をしているうちに、同僚(どうりょう)の丸山(まるやま)さんの話になった。
「ねえ、丸山さんって、すっごく変(へん)な人じゃない? 仕事(しごと)は真面目(まじめ)なんだけど…」
「そうそう。しゃべり方は穏(おだ)やかで、いい人そうなんだけど。何かずれてるよね」
「ほら、昨日(きのう)の飲(の)み会でも、部長(ぶちょう)がオヤジギャグ連発(れんぱつ)したとき」
「ずれてたねぇ。他のみんなより反応(はんのう)おそっ。て言うか、ギャグが分かってないんだよ」
「私、この前、丸山さんがコピー機と話してるとこ見ちゃいました」
「ウソ。何よそれ。どういうこと?」
「私もずっと見てたわけじゃないんですけど、何か、ご苦労(くろう)さんとか、頑張(がんば)れっとか…」
 さっきからずっと黙(だま)って聞いていた女子が、おもむろに口を開いた。
「あのさ、あたし、見ちゃったんだよね。近くの公園(こうえん)のベンチで、丸山さん、お弁当(べんとう)食べてて。別に覗(のぞ)いたわけじゃないのよ。見えちゃったの。その、お弁当がね、キャラ弁っていうか、男の人が食べるようなお弁当じゃなかったの」
「丸山さんってさ、結婚(けっこん)してたっけ? まだ、独身(どくしん)のはずよね」
「だったら、お弁当作ってくれる恋人(こいびと)がいるんじゃない? きっとそうよ」
「えーっ、あの丸山さんよ。あんな人好きになる物好(ものず)き、いるのかな?」
<つぶやき>おいおい、それは言いすぎですよ。でも、丸山さんってどんな人なんでしょ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0449「振られる」
「ねえ、隆夫(たかお)ってのりちゃんと別れたんだって?」
 香里(かおり)のこの言葉(ことば)に、隆夫はキョトンとした顔を向けた。香里は、
「だって、昨日(きのう)、のりに合ったとき言ってたわよ。…えっ? 違(ちが)うの?」
 隆夫は身(み)に覚(おぼ)えのないことで、「なに言ってるの? 別れてなんか…。だって、まえ会ったときも……。別れる理由(りゆう)なんか…。そんな話、全然(ぜんぜん)……」
 隆夫は心配(しんぱい)になってのりちゃんに電話をかけた。だが、着信拒否(きょひ)されているみたいでつながらない。隆夫は香里に詰(つ)め寄るようにして訊(き)いた。
「なあ、昨日、のりちゃん、他に何か言ってなかったか? 今、どこにいるんだよ!」
「そんなこと知らないわよ。昨日、たまたま駅(えき)で会って…」
「何でだよ。先月の彼女の誕生日(たんじょうび)のとき奮発(ふんぱつ)してプレゼント買って、俺(おれ)、プロポーズもしたんだぞ。俺たち、付き合ってから一度も喧嘩(けんか)してないし……。何でこうなるんだよ」
「あら…、そうなんだ。二人はそんなことになってたんだね」
 香里は慰(なぐさ)めるように、「のりのこと悪(わる)く言いたくないけど。彼女、他にも付き合ってる男(ひと)いたみたいよ。――もうさ、あんな女のことなんか忘(わす)れちゃいなよ」
「忘れられないよ。忘れられるわけないだろ。俺、ほんとに好きだったんだから…」
「もう、のりは戻(もど)って来ないよ。よし、今日は飲もう。私が愚痴(ぐち)聞いてあげるから」
<つぶやき>別れる時はちゃんと振(ふ)ってあげましょう。そうしないと次の恋に進めない。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0450「しずく5~転校生」
 朝のホームルームの時間。担任(たんにん)の先生と一緒(いっしょ)に女の子が入って来た。転校生(てんこうせい)?
 教室(きょうしつ)がざわついた。特(とく)に男子。その女の子がけっこう可愛(かわい)かったので、かわい~ィとか、オレ惚(ほ)れちゃいそう、などなど。全(まった)く男子の頭の中はどうなってるのよ。
 しずくが呆(あき)れて見ていると、先生が声を上げた。「こら、静かにしろ!」
 朝の挨拶(あいさつ)をすませると、先生は黒板(こくばん)に転校生の名前を大きく書いた。神崎(かんざき)つくね。彼女はみんなの前に立つと、緊張(きんちょう)した面持(おもも)ちで頭を下げた。確(たし)かに可愛い。女子から見ても異論(いろん)が出ることはないだろう。この学校でも五本の指(ゆび)には入るはずだ。
「席(せき)は……月島(つきしま)の隣(となり)が空(あ)いてるな。じゃあ、そこへ座(すわ)りなさい」
 先生が彼女を促(うなが)した。しずくの席の隣。ずっと休んでいる子の席だ。しずくもどんな子なのか一度も顔を合わせたことがない。つくねは席のところまで来ると、しずくにちょこんと頭を下げた。何か、感じのいい娘(こ)だな、としずくは思った。
 授業中ずっと、しずくは隣のつくねのことが気になってしまった。物静(ものしず)かで、どこか謎(なぞ)めいたところがある。それに…、どこかで会ったことがあるような。しずくは不思議(ふしぎ)な感覚(かんかく)を味(あじ)わっていた。放課後(ほうかご)、しずくのところに涼(りょう)がやって来て、
「ねえ、これから初音(はつね)と三人で買い物に行かない? 私、買いたい物があるのよ」
 その時、ぽつりとつくねが言った。「今日はやめた方がいいよ。良くないことがあるから」
<つぶやき>つくねってどんな娘なんでしょう。ちょっと気になりません? この先は…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0451「素敵な体臭」
 とあるお見合(みあ)いパーティーに誘(さそ)われた好恵(よしえ)。会場(かいじょう)に入って驚(おどろ)いた。こんなに大勢(おおぜい)の人が参加(さんか)しているとは思ってもいなかった。好恵は圧倒(あっとう)されるばかりだ。ふと気づくと、好恵を誘った貴子(たかこ)がいつの間にか消えていた。好恵は心細(こころぼそ)くなって貴子を探(さが)し回った。
 しばらくして、好恵は妙(みょう)な行動(こうどう)をしている貴子を見つけた。彼女は男性に近づいては、鼻(はな)を近づけてクンクンと臭(にお)いを嗅(か)いでいるようだ。好恵は貴子の腕(うで)をつかむと、会場の隅(すみ)の方へ引っぱってきて言った。
「何やってるのよ。そんな恥(は)ずかしいことしないで。みんな変な目で見てるじゃない」
「何よ、邪魔(じゃま)しないで。あたしは科学的(かがくてき)な見地(けんち)で最良(さいりょう)の男を見つけようとしてるだけよ」
「何が最良よ。どう見たって、おかしな女にしか見えないわ」
「あなた、本当(ほんと)に分かってないわね。異性(いせい)の臭いってとっても大切(たいせつ)なのよ。遺伝的(いでんてき)に見ても証明(しょうめい)されてるわ。あたしは人間の奥底(おくそこ)に潜(ひそ)む本能(ほんのう)をとぎすましてるの」
 貴子は理系(りけい)女子の典型(てんけい)である。妙(みょう)に理屈(りくつ)っぽいところはちっとも変わらない。
「あなたも試(ため)してみたら」貴子は好恵の耳元(みみもと)でささやいた。「うっとりするような体臭(たいしゅう)の男を見つけたら、それが遺伝的に最も遠(とお)い人よ。元気(げんき)な子供を授(さず)かることができるはず」
「あのね、遺伝的に遠くても幸せになれるとは限(かぎ)らないでしょ。ちゃんと人を見なさいよ」
<つぶやき>幸せって何でしょう。どうしたら幸せになれるのか…。これは難問(なんもん)かもね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0452「とりあえず」
「ねえ、私のことどう思ってるの? はっきり聞かせてよ」
 愛子(あいこ)は義之(よしゆき)を前にして、真剣(しんけん)な表情(ひょうじょう)で言った。二人は付き合い始めて三年目。もう結婚(けっこん)を考えてもいいはずだ。彼女がいくらそれを匂(にお)わせる行動(こうどう)をしても、彼は全く気づかない。というか、気づかない振(ふ)りをしているのかもしれない。ここで彼の口癖(くちぐせ)が出る。
「まあ、その件(けん)はとりあえず…」
「あなた、いっつもそう。とりあえず、とりあえずって、そればっかし」
「ちょっと待てよ。だから、今はホラ、お互(たが)い仕事(しごと)が忙(いそが)しいし、もう少し…」
「じゃあ、いつよ。そんなこと言ってたら、結婚なんて」
「でも、こういうのはタイミングっていうか。慌(あわ)ててしなくても…」
「今がそのタイミングでしょ。なにグダグダ言ってるのよ。はっきりしなさいよ」
「そうだね、君の言い分も分かるよ。じゃあ、とりあえず何か食べに行かない。俺(おれ)、もうお腹(なか)ペコペコで…。食べてからゆっくり考えるということで。とりあえず…」
 愛子は呆(あき)れてしまった。この男は、私より食欲(しょくよく)を優先(ゆうせん)するんだ。愛子は言った。
「あなたにとって、私は何なの? それだけ先(さき)に聞かせてよ」
 義之はつい言ってしまった。「だから君は、とりあえずキープしてる――」
 愛子は義之を引っぱたくと、くるりと背(せ)を向けスタスタと行ってしまった。
<つぶやき>女性をあまり待たせるのは良くないかも。真剣に向き合わないといけません。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0453「ウソ発見器」
 大学の研究室(けんきゅうしつ)。その一角(いっかく)に小部屋が作られていた。部屋の中には小さな机(つくえ)とイスが二つ置かれていて、部屋の中を外から覗(のぞ)けるように隠(かく)し窓(まど)が取り付けられている。小部屋の外で、いかにも威厳(いげん)のありそうな山根(やまね)教授がスポンサー達を前にして説明(せつめい)していた。
「この部屋全体がウソ発見器(はっけんき)になっています。被験者(ひけんしゃ)に気づかれずに本心(ほんしん)を暴(あば)くことが…」
 小部屋に男女の被験者が入って来た。二人はイスに座ると、あらかじめ用意(ようい)されている質問(しつもん)を始めた。すると、教授の前に置かれた装置(そうち)がピーピーと反応(はんのう)する。予定(よてい)されていた質問が終わると、男性が予定外の質問をした。「あなたは山根教授と不倫(ふりん)をしましたか?」
 女性は一瞬(いっしゅん)顔を引きつらせたが、「いいえ」と答える。すかさず装置がビービーと反応する。山根教授はスポンサー達の方を向いた。さらに質問が続く。
「あなたは山根教授から高価(こうか)なプレゼントをもらったことがありますか?」
 装置の音は鳴(な)り続けた。山根教授は顔を真っ赤にして、「これは何かの間違(まちが)いです。きっと、装置に不具合(ふぐあい)が…。これで実験(じっけん)は中止(ちゅうし)します。終わりです!」
 山根教授は近くにいた学生をつかまえて、「君、等々力(とどろき)君を呼(よ)びたまえ。今すぐにだ! あいつ、なに考えてんだ。こんな装置を作りやがって!」
 いつの間にか、学生達が山根教授を取り囲(かこ)んでいた。そして疑(うたが)いの目を向ける。
「何だ、お前ら。ワシに楯突(たてつ)くつもりか? そんなことしたら、等々力のように――」
<つぶやき>等々力教授の発明(はつめい)を盗(ぬす)むなんて。そんな恐(こわ)いこと、普通(ふつう)の人なら考えません。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0454「告白のタイミング」
 彼とは、共通(きょうつう)の友人がいて、パーティーとかみんなが集まるときに顔を合わせることがよくあった。お話しもしたし、何かこの人いいなって思ってた。そんな彼から突然(とつぜん)電話がきた。二人だけで会いたいって。大事(だいじ)な話があるんだって。これって…。
 私はソワソワしながら彼との待ち合わせの場所(ばしょ)に。彼は先に来ていて、私を見つけると手を振(ふ)ってくれた。私たちは近くのお店に入る。とっても雰囲気(ふんいき)の良いレストラン。
 二人、向かい合って座る。静かな音楽が流れていて、告白(こくはく)をするには…。私は彼のセンスの良さに感心(かんしん)した。彼の方を見ると、彼も何だか落ち着かない様子(ようす)。
 二人の前に料理(りょうり)が並(なら)ぶ。たわいのない話で二人は意気投合(いきとうごう)。彼って、こんなに面白(おもしろ)い人とは思わなかった。これは発見(はっけん)である。食事が終わり、二人の前にデザートが運ばれた。さあ、いよいよよ。今が、告白のベストタイミング!
 彼もそのつもりだったらしく、私の方をチラチラとうかがっていた。私は素知(そし)らぬふりをする。それが礼儀(れいぎ)というものよね。告白しやすくしてあげなくちゃ。彼が意(い)を決したように私を見つめる。私も彼を見つめて微笑(ほほえ)みを浮(う)かべる。
 その時だ。彼の携帯(けいたい)が鳴(な)り出した。彼は慌(あわ)てて携帯を持って席(せき)を立つ。何で? ちゃんと切っときなさいよ!――まったく誰(だれ)よ。雰囲気(ふんいき)ぶちこわしじゃない。
<つぶやき>きっと告白の結果(けっか)を早く知りたくて、友人が電話をかけたのかもしれません。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0455「しずく6~暴漢」
「あんたには関係(かんけい)ないでしょ」水木涼(みずきりょう)が珍(めずら)しく不機嫌(ふきげん)に言った。
 涼は男勝(まさ)りのところはあるけど、人を傷(きず)つけるような、そんなことをする娘(こ)じゃない。月島(つきしま)しずくは涼の気をそらすように陽気(ようき)に答えて、
「いいよ。私、行く行く!」
 神崎(かんざき)つくねはスッと立つと、カバンを持って教室(きょうしつ)から出て行った。それを見送った涼は、
「何かあの娘(こ)、好きになれそうにないわ。私の嫌(きら)いなタイプかもね」
 ――しずくは涼と川相初音(かわいはつね)と三人で商店街(しょうてんがい)にいた。夕方(ゆうがた)近くなのでけっこう混(こ)み合っている。三人はいろんなお店を周(まわ)りながら、買い物に夢中(むちゅう)になっていた。これ可愛(かわい)いとか、これいいよねぇとか、わいわいと騒(さわ)いでいる。
 そんな時だ。すぐ近くで女性の悲鳴(ひめい)が聞こえた。三人がそっちへ振(ふ)り返ると、人混みがザッと引いていく。空(あ)いたところに男が一人立っていた。男は手に刃物(はもの)を握(にぎ)り、男の足元(あしもと)には若(わか)い女性が倒(たお)れている。何故(なぜ)か、その男はしずく達の方を見つめていた。
 それは一瞬(いっしゅん)の出来事(できごと)だった。男はしずく達の方へ歩き出した。しずくは「逃(に)げて!」と叫(さけ)んで、涼と初音の背中(せなか)を押(お)した。二人が駆(か)け出した時には、男は目の前まで迫(せま)っていた。しずくは動くことができなかった。男はしずくの首(くび)をつかむと、ショーウインドに押しつけた。しずくは息(いき)ができなくて必死(ひっし)にもがくが、どうすることもできない。男はニヤリと笑(わら)うと、手に持った刃物を振り上げた。
<つぶやき>どこで何が起こるか分かりません。危険(きけん)を感じたらすぐに逃げましょうね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0456「良いお嫁さん」
 私は心にモヤモヤをかかえていた。近所(きんじょ)のおばさんからは、いつでもお嫁(よめ)さんに行けるねって言われ、職場(しょくば)でもお茶(ちゃ)を入れるたびに良いお嫁さんになれるよ――云々(うんぬん)。
 私はそんなことを言われるたびに、何で私には彼氏(かれし)ができないのよ、と心の中で呟(つぶや)くのだ。そりゃ確(たし)かに、私は美人(びじん)ってほどじゃない。それくらい分かってる。でも、どっちかっていうとブスじゃないわ。それにプロポーションだって、それなりに…。きっと、私の回りには見る目のない男ばっかりなのよ。
 私は職場の後輩(こうはい)の男子に聞いてみた。そいつは、いつも私のことをすごいとか、さすがとか言ってる奴(やつ)だ。彼はちょっと困(こま)った顔をして、
「そうですね、先輩(せんぱい)は素敵(すてき)だと思いますよ。誰(だれ)が見たって間違(まちが)いないです」
 私は、そういうお世辞(せじ)を聞きたいわけじゃないの。あなたの本心(ほんしん)を聞かせてよ。私は、そう心の中で念(ねん)じながら彼を見つめた。彼は、何かを感じたらしく、さらっと言い切った。
「僕(ぼく)は、年上(としうえ)はちょっとあれなんで。苦手(にがて)っていうか、ホラ、何か完全(かんぜん)に尻(しり)に敷(し)かれそうなんでパスなんですけど。でも、大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。先輩ならきっと良い男、現れますって」
 私は、あなたとどうこうなんて考えてないわよ。そうじゃなくて――。私は聞く相手(あいて)を間違(まちが)えたと、今さらながら思い知った。
<つぶやき>人の言葉(ことば)にはいろんな思いが込められています。あまり考えすぎないでね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0457「嘘のない世界」
 もし嘘(うそ)のない世界(せかい)があったとしたら。それは、どんな生活(せいかつ)になるのだろう?
 セールスマンの彼は商品(しょうひん)の売(う)り込みに、とある会社(かいしゃ)へおもむいた。
「社長(しゃちょう)、これは良い商品ですよ。使い勝手(がって)もいいし、我(わ)が社の一押(いちお)しです」
「そうかね」社長はその商品を手に取り、「でも、ほんとに売れるのかね?」
「そこはですね、ぶっちゃけ難(むずか)しいかもしれませんね。まあ、売れるのは最初(さいしょ)の一カ月くらいですか。どうしても必要(ひつよう)なもんじゃないですし。うちでもつなぎ商品ですから」
「君(きみ)は、正直(しょうじき)なんだね。じゃあ、ちょっとだけもらっとくか」
 セールスマンの彼は夜遅(おそ)く帰宅(きたく)した。家では妻(つま)が寝(ね)ないで待っていた。妻が言った。
「あなた、今日は遅(おそ)かったのね。どこへいらしてたの?」
「ああ、仕事(しごと)じゃないよ。彼女のところへ寄(よ)って来たんだ」
「私がいるのに、他の女性のところへ行くなんて。私のこと、どう思ってらっしゃるの?」
「勿論(もちろん)、君のことは好きだよ、愛してる。でも、君だって彼がいるじゃないか」
「そうね。私たち、そろそろ別れましょうか? 離婚届(りこんとどけ)、もらって来てよ」
「それなら、ここに持ってるよ」彼は鞄(かばん)の中から離婚届を取り出した。
「あなた、準備(じゅんび)が良いのね。やっぱり、私のこと、つなぎだったのね」
「当たり前じゃないか。君ほど使い勝手(がって)の良い女性はいないからね」
<つぶやき>罪(つみ)のない嘘は許(ゆる)してあげましょう。でも、人を傷(きず)つける嘘はついちゃダメ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0458「老人会」
 老人会(ろうじんかい)でお年寄(としよ)りたちが楽しげにおしゃべりをしていた。一人のおばあさんが言った。
「あたし、孫(まご)から薦(すす)められて、これを買ってもらったのよ。スマ…何とかっていうので。これを持ってると、迷子(まいご)になってもすぐ見つけてもらえるんだって」
 隣(となり)にいたおじいさんが首を傾(かし)げて、「そんなんで、何で分かるんだ?」
「シーピー…何とかってのがついてるんだって。それに、たまに孫から電話がかかってくるのよ。遊びに行きたいから、お小遣(こづか)いちょうだいって。もう可愛(かわい)いったらありゃしない」
「そうかい。やっぱり孫ってのは良いもんだね。そこいくと、俺(おれ)の伜(せがれ)は可愛げなんかあったもんじゃない。ほとんど家には帰って来ないし。俺だって、孫の顔が見たいってのによ」
「あら、それは寂(さび)しいわね。そんなに息子(むすこ)さん里帰(さとがえ)りしないのかい?」
「ああ。この間なんか、オレオレって言って、会社の金を落としたから、金(かね)送れって言うんだぜ。そんなこと自分で始末(しまつ)しろって言ってやったさ」
「あら大変(たいへん)。それって、何とか…詐欺(さぎ)って言うんじゃないの。気をつけないとだめよ」
「いや、そんなんじゃないさ。ありゃ、間違(まちが)いなく伜の声だった。俺から金を取ろうと必死(ひっし)なんだ。まったく、ろくでもない人間になっちまって、親(おや)の顔が見てみたいよ。――あっ、いけねえ、親は俺だった」
<つぶやき>あなたも確実(かくじつ)に年を取っていくんです。お年寄りはいたわってあげましょう。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0459「恋愛の温度差」
 思い切って告白(こくはく)した彼。でも、相手(あいて)の女性は恋愛対象(たいしょう)として彼のことを見ていなかった。明らかに二人の恋愛には温度差(おんどさ)があった。彼は言った。
「返事(へんじ)はすぐでなくてもいいです。僕(ぼく)、待ってますから…」
 そう言われて、彼女は困(こま)ってしまった。悪(わる)い人ではないみたいだけど、この人と付き合うなんて…。今ひとつ、恋愛へ踏(ふ)み出せるものが見当(みあ)たらない。彼女は一週間悩(なや)み続けた。でも、彼との未来(みらい)が想像(そうぞう)できないのだ。
 彼女はお断(ことわ)りしようと、彼に会いに行った。でも、そこで彼に言われたことは、
「すいません。あの話は、なかったことに…。実(じつ)は、知り合いの女性から告白されて――」
 断るつもりでいた彼女だが、何かとっても虚(むな)しい気分(きぶん)になった。彼女は思った。
「私の、この一週間は何だったのよ。どんな女性か知らないけど、そんな簡単(かんたん)に私のことあきらめちゃうんだ。私って、その程度(ていど)の女ってこと。まったく、失礼(しつれい)しちゃうわ!」
 彼女は、好きでもない男性なのに、ひどい振(ふ)られ方をされたような、このモヤモヤした気持ちのやり場に困ってしまった。そんな時、友だちから電話が入った。
「もしもし。あたし、彼に告白しちゃった。そしたら、彼ね、ふふふ…」
 幸せそうな友だちの声に彼女は、「それが何よ。いちいちそんなこと言ってこないで!」
 彼女は電話を切ると、肩(かた)を落としてため息(いき)をつく。「私、何やってるんだろう………」
<つぶやき>恋愛は一筋縄(ひとすじなわ)では行かないものかも。彼に告白した女性にも別のドラマが…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0460「しずく7~消えた女」
 男の冷(つめ)たい無表情(むひょうじょう)な目が月島(つきしま)しずくを見つめていた。しずくは男の手を振り解(ほど)こうともがいていたが、だんだん力が抜(ぬ)けていき、意識(いしき)が薄(うす)れていく。
 男がしずくの胸(むね)に刃物(はもの)を突(つ)き立てようとしたとき、男の腕(うで)を掴(つか)んだ手があった。男は振り向く間もなく、次の瞬間(しゅんかん)には道路(どうろ)へ倒(たお)れ込み、そのまま動かなくなってしまった。
「大丈夫(だいじょうぶ)?」と女の声がした。しゃがみ込んでいたしずくは、喘(あえ)ぎながら見上げる。その視線(しせん)の先には、女性がひとり立っていた。そこへ、友だち二人か駆(か)け寄って来る。
 ――パトカーや救急車(きゅうきゅうしゃ)の赤いランプが辺(あた)りを染(そ)めていた。周辺(しゅうへん)は騒然(そうぜん)となっている。男は駆(か)けつけた警官(けいかん)たちに取り押さえられ、被害者(ひがいしゃ)の女性は救急車で運ばれて行った。手当(てあて)を受けていたしずくのところへ刑事(けいじ)がやって来た。しずくは事情(じじょう)を訊(き)かれて、
「突然襲(おそ)われて…。でも、女の人が助(たす)けてくれたんです」
 刑事は興味(きょうみ)を持って訊き返す。「それは、どんな人でした?」
 しずくは周(まわ)りを見回したが、その女性はいつの間にか消(き)えていた。
「髪(かみ)の長い人で、顔は…、よく覚(おぼ)えてません」
 しずくはそばにいた友だちに、「あなたたちも見たでしょ? 私を助けてくれた人」
 水木涼(みずきりょう)がそれに答えて、「何を言ってるの? そんな人いなかったわ。しずくが犯人(はんにん)を突き飛ばしたんじゃない。私たち、もう死んじゃうんじゃないかって…」
 涼の目に涙(なみだ)が光った。川相初音(かわいはつね)は、しずくをギュッと抱(だ)きしめた。
<つぶやき>謎(なぞ)の女性はどうして消えたのか? つくねの言ったことが本当になって…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0461「おみくじ」
 僕(ぼく)は、正月早々(そうそう)、神社(じんじゃ)のおみくじで大凶(だいきょう)を引いてしまった。何なんだよ、これは…。去年(きょねん)は付き合ってた彼女に振(ふ)られ、仕事(しごと)も巧(うま)くいかずにさんざんな年だったのに、今年はどうなっちゃうんだよ。僕がくさっていると、隣(となり)にいた妹(いもうと)が言った。
「もう、そんなことで落ち込まないで。大丈夫(だいじょうぶ)よ。考えようによっては、これも良いことよ。だって、これ以上悪(わる)くなることないんだから。そうでしょ」
 確(たし)かに、妹の言うことには一理(いちり)ある。何だよ、こいつ。いつもは僕のことバカにしてるくせに、今日はやけに優(やさ)しいじゃないか。僕は、少しだけ妹を見直(みなお)した。
 僕は、ふっと妹の持っているおみくじを覗(のぞ)いてみた。…大吉(だいきち)! こいつ、さっきからニコニコしてると思ったら、こういうことだったのか?
 僕は妹の顔を見つめた。妹は素知(そし)らぬ顔でおみくじをバッグにしまうと、
「早く行こうよ。福袋(ふくぶくろ)が無(な)くなっちゃうわ。せっかくお兄ちゃんが買ってくれるって――」
 僕は買うなんて言ってないぞ。そうか…。そのために、僕を初詣(はつもうで)に誘(さそ)ったのか? まったく、なんて妹だ。僕は妹の後ろ姿(すがた)を追いながら呟(つぶや)いた。
「こいつ、絶対(ぜったい)、僕のツキまで吸(す)い取ってるんだ。そうじゃなきゃ、こんな悪いことが続くはずが…。くそっ、負(ま)けないぞ。絶対、ギャフンと言わせてやる」
<つぶやき>彼女はいろんな意味(いみ)で、お兄ちゃんを大切(たいせつ)に思っているのかも知れませんね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0462「鉢合わせ」
 とある洒落(しゃれ)た居酒屋(いざかや)風のお店。沙恵(さえ)が入って行くと、待っていた友だちが声を上げた。
「もう、遅(おそ)いよ。先に始めちゃってるわよ」
 沙恵は女子会と聞いてやって来たのに、どう見ても…。沙恵は友だちを引っぱって来て、
「何これ。合コンじゃない。私、彼がいるんだから…」
「いいじゃない。どうせ人数合わせなんだから。お願い、付き合ってよ」
 友だちに強引(ごういん)に座(すわ)らされた沙恵。目の前に座っている男性を見て愕然(がくぜん)とした。それは、沙恵が付き合っている彼。今日は用(よう)があるって、デートをキャンセルした彼だ。彼も沙恵のことに気づいて目をパチクリさせている。沙恵は彼を睨(にら)みつけて言った。
「あの、合コンとか、よくいらっしゃるんですか? 私は始めてなんですけど」
 彼は動揺(どうよう)を隠(かく)しながら、「ホントですか? いや、僕(ぼく)は、たまに、なんですけど…」
「そうなんですか。それで、可愛(かわい)い子、見つかりまして?」
 沙恵はあくまでも初対面(しょたいめん)を装(よそお)っていた。ここで、この人が彼です、なんて言えるわけないじゃない。沙恵は顔では微笑(ほほえ)みを浮(う)かべているが、内心(ないしん)は煮(に)えたぎっていた。
 彼はとり繕(つくろ)うように、「でも、僕は人数合わせみたいなもんで、誰(だれ)かと付き合おうとかそういうのは…、まったく考えてませんから。だって、僕には――」
 彼はそこで言葉を呑(の)み込んだ。沙恵が、ジョッキのビールをグイグイと飲み始めたのだ。
<つぶやき>この先、どんな波乱(はらん)が待ち受けているのか…。考えただけでも恐(おそ)ろしいです。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0463「最高責任者」
 とあるビルの最上階(さいじょうかい)。分厚(ぶあつ)い絨毯(じゅうたん)が敷(し)かれた廊下(ろうか)を、作業服(さぎょうふく)を着た若い男がオドオドしながら段(だん)ボール箱をかかえて歩いていた。男の前を歩いているのは秘書(ひしょ)で、とても奇麗(きれい)な女性だった。だからって、この男が彼女目当(めあ)てに付きまとっているわけではない。
 男は、この会社に事務用(じむよう)の備品(びひん)を届(とど)けに来ただけなのだ。それなのに、突然(とつぜん)、CEOが呼んでいると…。CEOって何なのか、男は訳(わけ)が分からない。よく訊(き)いてみると、この会社の最高責任者(さいこうせきにんしゃ)、つまり社長(しゃちょう)だということだ。そんな偉(えら)い人と会うことなんて、まずあり得(え)ない話だ。男がびびるのも無理(むり)はない。
 秘書は重厚(じゅうこう)な扉(とびら)の前で足を止めた。扉の上には社長室とプレートが貼(は)られていた。秘書が扉を叩くと、扉は音もなくスーッと開いた。秘書は、どうぞ、と男に中に入るように促(うなが)した。男は緊張(きんちょう)のあまりツバを飲み込んだ。
 部屋の中には高そうな調度品(ちょうどひん)が並(なら)び、大きな机(つくえ)が置かれていた。その向こう側に、大きな背(せ)もたれのある椅子(いす)が目に入った。椅子は窓(まど)の方を向いているので、座っている人の姿(すがた)は見えなかった。男は口の中がカラカラになっていたので、声をつまらせながら言った。
「あ、あの…。僕(ぼく)、何か、まずいことでも……」
「あたし、キレイなクリップが欲(ほ)しいの。なんで可愛(かわい)いのがないのよ」
 大きな椅子が動き、男の目に飛び込んできたのは小さな女の子。男は目が点(てん)になった。
<つぶやき>確(たし)かに会社には可愛いものってないよね。癒(い)やされる職場(しょくば)を作ってみては?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0464「いいなずけ」
 僕(ぼく)にはいいなずけの彼女がいる。僕がまだ小さかった頃、お互いの両親(りょうしん)が決めたことだ。その頃は、そんな話を聞かされてもちんぷんかんぷんで、何のことだか全く理解(りかい)していなかった。それに、その娘(こ)とは兄妹(きょうだい)のように育てられたから、好きという感情(かんじょう)なんて…。
 世の中のことが分かってくると、僕にはいろんな疑問(ぎもん)がわいてきた。本当(ほんと)にこのままこの娘(こ)と結婚(けっこん)してもいいのか? 今、他に好きな人がいるわけでも、その娘(こ)のことが嫌(きら)いってわけでもないけど…。結婚する歳(とし)に差(さ)しかかって、僕はもやもやとしていた。
 そんな時だ。いいなずけの彼女が突然訪(たず)ねてきた。遠くの大学へ通っていたので、もう四年近くも会うことはなかった。その娘(こ)は僕の顔を見るなり言った。
「ねえ、結婚式はいつにする? 私は6月がいいんだけど」
 僕は驚(おどろ)いた。何でそんな話を…。目を丸くしていた僕を見て、彼女は続けた。
「やだ、忘(わす)れちゃったの? 約束(やくそく)したじゃない。大学卒業(そつぎょう)したら結婚するって」
「ちょっと待ってよ。僕、そんなこと…」言った覚(おぼ)えなんて全くない。
 彼女は頬(ほお)を膨(ふく)らませて――。そういえば、小さい頃、彼女は怒(おこ)るといつもこんな顔をしていた。僕はその顔を見るたびに、ごめんなさいを連発(れんぱつ)していた。これはもう条件反射(じょうけんはんしゃ)のようなものだ。僕は思わず「ごめんなさい」と言いそうになって、言葉を呑(の)み込んだ。
<つぶやき>果(は)たして彼は彼女との結婚に踏(ふ)み出すのか? それとも…。難(むずか)しい問題(もんだい)です。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0465「しずく8~家族の愛」
 翌日(よくじつ)、学校では暴漢(ぼうかん)の話で持ちきりになっていた。月島(つきしま)しずくの名前は公表(こうひょう)されなかったが、近くの高校の生徒(せいと)が巻(ま)き込まれたと報道(ほうどう)されたからだ。あの商店街(しょうてんがい)の近くの高校は、しずくが通っている烏杜(からすもり)高校しかない。しずくたちは昨日のことは誰(だれ)にも話さなかった。あんな恐(こわ)いことは早く忘(わす)れたかったのだ。
 昨日、警察(けいさつ)から家へ連絡(れんらく)が行ったとき大変だった。父親は慌(あわ)ててしまって階段(かいだん)を踏(ふ)みはずし、足首(あしくび)を捻挫(ねんざ)してしまった。だから、母親一人でしずくを迎(むか)えに来た。母親はしずくの顔を見るなり涙(なみだ)を流して、しずくのことを思いっ切り抱(だ)きしめた。この日は、しずくにとって家族(かぞく)の愛をしみじみと感じる夜になった。
 授業(じゅぎょう)が始まると、いつものクラスへ戻っていった。何事もなかったように。しずくは誰もいない隣(となり)の席(せき)を見た。昨日転校(てんこう)してきた神崎(かんざき)つくねの席だ。彼女は今日は学校を休んでいる。しずくは、つくねに訊(き)きたいことがあった。昨日、帰るときに言ったあの言葉。
「今日はやめた方がいいよ。良くないことがあるから」
 その通りのことが起(お)こってしまった。どうして、つくねにそのことが分かったんだろう。しずくはどうしても気になってしまって、先生の話も耳に入らないほどだ。それに、昨日は元気そうだったのに、どうして学校を休んでいるんだろう。しずくは、もっとつくねのことが知りたくなってしまった。
<つぶやき>日常に紛(まぎ)れて愛を感じなくなっていませんか? ちょっと見回して見ましょ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0466「嘘の鎧」
「えっ! 別れたの? 何でよ、あんな良い人――」
 友だちに彼と別れたことを話すと、必(かなら)ずと言っていいほど返ってくる反応(はんのう)だ。確(たし)かに、彼は良い人よ。そんなこと私が一番よく分かってる。でも、仕方(しかた)ないじゃない。そういうことになっちゃったんだから。私は平気(へいき)な風(ふう)をよそおって、今の彼のことを自慢(じまん)する。
「今、付き合ってる人はね、すっごく格好(かっこ)いいんだよ。私のこと、とっても大切(たいせつ)に――」
 そんなの嘘(うそ)だ。今の彼は見た目がいいだけで、私のことなんてこれっぽちも考えてなんか…。別れた彼は、一緒(いっしょ)に歩いている時は、ちゃんと私の歩幅(ほはば)に合わせてくれた。私が困(こま)っている時は、どんなに仕事(しごと)が忙(いそが)しくても助(たす)けてくれた。私のしたいことを、嫌(いや)がらずに付き合ってくれた。私の…、私の…。
 私は、自分のことばっかりだ。彼の優(やさ)しさに甘(あま)えて、それが当たり前だと思っていた。だからだ。だから、彼は私のこと嫌(きら)いになって…。全部、悪(わる)いのは私…。彼と別れて、初めて気づくなんて。鈍(どん)くさいのは、私の方だったのよ。でも、私は――。
「それでね。今度、彼と旅行(りょこう)に行こうと思ってるんだ。いいでしょ」
 また私は嘘をつく。本当(ほんと)は、旅行なんか行きたくないのに。私は嘘をつくのが上手(うま)くなった。本当の自分を誰(だれ)かに見せるのが恐(こわ)いのかもしれない。嘘の鎧(よろい)に身を固(かた)めて…。こんな私でも、嘘の鎧を脱(ぬ)がせてくれる、そんな人が現れるのかな?
<つぶやき>自分が変われば、今まで気づかなかったことが見えてくるかもしれません。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0467「弱味を握る」
 とある町外(はず)れにある倉庫(そうこ)。男達が集まって荷物(にもつ)の運び出しをしていた。外から騒(さわ)がしい声が聞こえ、数人の男達が倉庫の中へ入ってきた。男の一人が言った。
「社長(しゃちょう)。こいつが中の様子(ようす)を窺(うかが)ってたんで、捕(つか)まえてきました」
 そう言って、社長の前へ男を突(つ)き出す。社長はその男の顔を睨(にら)みつけて、「見かけねえ顔だな。お前、ここがどういうところが知ってんのか?」
 その男はにっこり笑って、「ええ、ちょっと恐(こわ)~い筋(すじ)の会社ですよね」
「じゃあ、これからどういうことになるのか分かってるよな。消えてもらうことに――」
「そりゃまずいなぁ。実(じつ)は、僕(ぼく)は浮気調査専門(うわきちょうさせんもん)の探偵(たんてい)で、こういうハードボイルド系(けい)の仕事(しごと)は受けないことにしてるんですよ。命(いのち)あっての何とかですから」
「浮気調査だって? おい、おめえら聞いたか? ここに女がいるんだってよ」
 男は馬鹿笑(ばかわら)いしている社員(しゃいん)たちを横目(よこめ)に、社長を手招(てまね)きして耳元(みみもと)でささやいた。
「いいんですか? 僕の依頼人(いらいにん)は扶美子(ふみこ)さんですけど。もし、僕が帰らなかったら…」
 社長の顔色が変わった。社員たちに聞こえないように、「何で、俺(おれ)の――」
「奥さん、あなたが浮気してると思ってますよ。ちょっと小耳(こみみ)にはさんだんですけど、養子(ようし)なんですってね。先代(せんだい)が、あなたを娘婿(むこ)に選んで、それで社長におさまってるとか」
「お、お前…。俺(おれ)はな、浮気なんてしてねえぞ。俺が、するわけねえだろ」
「ならいいんですけどねぇ。もし僕を助けてくれたら、内緒(ないしょ)にしてあげても…、ね」
<つぶやき>誰(だれ)にでも弱味(よわみ)があるのかもしれません。誰にも知られないように気をつけて。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0468「親ばか」
「なあ、暇(ひま)か? いいもん見せてやるよ」会社の先輩(せんぱい)が用(よう)もないのにやって来て言った。
 子供が産まれてからというもの、毎日のようにこんなことの繰(く)り返しだ。
「どうだ、可愛(かわい)いだろ? この目元(めもと)なんか俺(おれ)にそっくりだ。絶対(ぜったい)、美人(びじん)になるぞ」
 子供が可愛(かわい)いのは分かる。けど結婚(けっこん)もしていない僕(ぼく)にとっては、もう相(あい)づちをするぐらいしか思いつかない。この間なんか、落ち込んだ顔をしてやって来て、
「くそっ、最初(さいしょ)に見るのは俺(おれ)だったのに…」
 見せられた写メには、奥さんの横で立ち上がっている赤ちゃんが写っていた。これって、そんなにくやしいことなのか。僕には理解(りかい)できない。僕は仕方(しかた)ないから、先輩を飲みに誘(さそ)った。まあ、男同士で…。前は、先輩に強引(ごういん)に連れて行かれたのだが…。すると先輩は、
「いや、俺はやめとくよ。帰ってやることがあるんだ」
 よくよく訊(き)いてみると、赤ちゃんにパパって言わせるために頑張(がんば)るんだ、って。独身の頃は遊び歩いてたくせに、この変わり様(よう)は何なんだ。先輩は嬉(うれ)しそうに、
「やっぱり最初に話す言葉はパパでしょ。それ聞けたら、もう何にもいらない」
 僕は結婚しても、子供が出来ても、こんな風にはならないようにしようと思った。だって、これって親ばかってやつでしょ。あり得(え)ないから。
<つぶやき>そんなあなたも、親になったらみんな同じですから。親ばかになりましょ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0469「距離を縮める」
 彼は手にじっとりと汗(あせ)をかいていた。緊張(きんちょう)のためか口の中はカラカラになっている。彼の目の前には、思いを寄(よ)せている彼女がいた。彼は震(ふる)える声で言った。
「あの…、今度…、今度、僕(ぼく)と…、あの……」
 彼はそこで言葉(ことば)をつまらせた。ダメだ。何で肝心(かんじん)なことが言えないんだ。
 彼女はたまりかねて訊(き)き返す。「私に何かご用(よう)ですか?」
 彼女の目が、じっと彼を見つめる。今、彼女は自分の言葉を待っている。そう思っただけで、彼の緊張はピークに達していた。その時だ。彼は友だちからの助言(じょげん)を思い出した。
「目の前に大好(だいす)きな彼女がいると思うから緊張するんだ。カボチャだと思え。目の前に立っているのはカボチャだ。カボチャだったら何でも言えるだろ」
 彼は、ついに口を開いた。だが、その言葉は――。
「僕はカボチャが大好きです!」
 彼は思わぬことを口にして、呆然(ぼうぜん)と立ちつくしていた。もう……終わった。これで完全(かんぜん)に変な奴(やつ)だと、彼女は思ったに違(ちが)いない。でも、彼女はそこでクスッと笑って言った。
「私もカボチャは好きですよ」
 彼は、彼女の笑顔を見てホッとした。彼女との距離(きょり)が少し縮(ちぢ)まったような気がした。
<つぶやき>つかみはOK。あとは自分の気持ちを伝えましょう。結果(けっか)がどうなるかは…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0470「しずく9~届け物」
 授業(じゅぎょう)が終わってから、月島(つきしま)しずくは職員室(しょくいんしつ)に呼(よ)ばれた。まさか昨日のこと? と思ったが、担任(たんにん)の先生は、
「月島、悪(わる)いがな、神崎(かんざき)のところへこれを届(とど)けてくれないか?」
 先生(せんせい)はそう言うと、学校の名前の入った封筒(ふうとう)を差し出して、
「先生が行ければいいんだが、これから大切(たいせつ)な会議(かいぎ)があってな。神崎のとこは、お前の家がいちばん近いんだ。頼(たの)むよ。大事(だいじ)な書類(しょるい)が入ってるから、ちゃんと届けてくれよ」
 いつもなら、え~っと思うところだが、つくねのことを知る絶好(ぜっこう)のチャンスだと思い二つ返事(へんじ)で引き受けた。教室へ戻(もど)ると、水木涼(みずきりょう)と川相初音(かわいはつね)が待っていた。さっそく、しずくは二人を誘(さそ)ってみた。でも、涼はつまらなそうな顔をして、「私はパスね」と言ったきりそっぽを向いた。初音の方は申し訳(わけ)なさそうな感じで、
「あたし、これから塾(じゅく)があるの。もう行かなきゃ。ごめんね」
 ――二人と別れたしずくは、先生に書いてもらった地図(ちず)を片手(かたて)につくねの家へ向かった。そこは確(たし)かにしずくの家の近くなのだが、今まで足を踏(ふ)み入れたことのない場所(ばしょ)だった。何だか、見るものすべてが新鮮(しんせん)に見えた。
「このへんなんだけどな~ぁ」しずくは地図を見つめながら呟(つぶや)いた。
 しずくが足を止めた場所は、古ぼけたアパートの前。しずくは口をあんぐりと開けて、
「まさか、ここ? ここなの!」
<つぶやき>初めて訪れる街(まち)を歩くと、何だがワクワクしません? 何か発見(はっけん)できるかも。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0471「心のうち」
「なあ、お前って付き合ってるヤツいるのか?」
 理(さとし)から突然訊(き)かれて、芳恵(よしえ)は一瞬(いっしゅん)ドキッとして、どぎまぎしながら答(こた)えた。
「な、何よ。そんなこと、理には関係(かんけい)ないでしょ」
「やっぱ、いないよな。お前みたいにうるさいヤツ好きになるなんて…」
「失礼(しつれい)ね。私だって、好きだって言ってくれる人くらい…」
「えっ! いたのか? マジかよ」
 理は大げさに驚(おどろ)いたふりをする。芳恵は頬(ほお)を膨(ふく)らませて、
「何で過去形(かこけい)になるのよ。そういう理はどうなの? 好きな人もいないくせに」
「俺(おれ)はいるよ。ほら、安西(あんざい)かおりちゃん。もう、可愛(かわい)いんだよなぁ」
「はい? あんた、バカなの? かおりが好きになるわけないでしょ」
「そんなこと分かんないだろ。今さ、告白(こくはく)のタイミングを――」
「そんなの無理(むり)に決まってるでしょ。かおりは、付き合ってる人いるから」
「えっ、そうなの? 何だよ、もっと早く告白しとけばよかったなぁ」
「何よそれ。できもしないこと言っちゃって」
「じゃあさ、俺と付き合わない? まあ、いないよりはマシだからなぁ」
 芳恵はいきなり理に平手打(ひらてう)ちをくらわすと、「バカにしないで、誰(だれ)があんたなんかと」
<つぶやき>心のうちに思っていても、なかなか相手(あいて)に伝えられないことってあるよね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0472「コクられる」
「ねえ、あたしどうしたらいいと思う?」愛子(あいこ)は真剣(しんけん)に悩(なや)んでいた。
「そんなの悩むことじゃないでしょ。向こうから告白(こくはく)してきたんだから」
 沙和(さわ)は焼き鳥を頬張(ほおば)ると、「やっぱここのは美味(おい)しいわ」と呟(つぶや)いた。
「だって、社内(しゃない)で一番人気(にんき)の彼よ。彼と付き合いたいって娘(こ)、一杯(いっぱい)いるのよ。何であたしなの? こんな、何の取り柄(え)もなくって、不細工(ぶさいく)な女に…」
「あんたさ、自分が思ってるほど不細工じゃないと思うよ。――そんなに気になるんだったら、その彼に訊(き)いてみればいいじゃない」
「訊いたわよ。そしたら、彼ね、好きになるのに理由(りゆう)なんかいらないだろ、って」
「へぇ、格好(かっこ)いいこと言うじゃない。それは、相当(そうとう)なプレーボーイよね」
「でしょ。あたしなんかと付き合っても、彼、絶対満足(まんぞく)しないと思うの。だから…」
 沙和はビールを飲み干(ほ)して、
「あんた、ばっかじゃないの。向こうがいいって言ってるんでしょ。だったら、うじうじ考えてないで飛(と)び込んじゃいなよ。私だったら、そうするけど。そんなに良い男だったら、一度は付き合ってみたいじゃない」
「ムリムリ、絶対無理(むり)よ。だって、あたし、彼の横でどんな顔をすればいいの? 彼とあたしじゃ、つり合わないわよ。もう…、あたし、どうしたらいいの…」
「そんなの簡単(かんたん)じゃない。良い女になればいいのよ。あんたらな、大丈夫(だいじょうぶ)よ!」
<つぶやき>最初は不安(ふあん)なことばかりだよ。付き合いながら一つずつ確(たし)かめていきましょ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0473「町の探偵さん」
 小さな町の小さな探偵(たんてい)事務所。そこへ三十路(みそじ)を少し越(こ)えたくらいの女性がやって来た。
「あの、探偵さん。今日は、お仕事(しごと)しないんですか?」
 探偵はプラモデルを作る手を止めて、「ああ、これは大家(おおや)さん。どうしたんですか?」
「どうしたかって…。私はあなたのことが心配(しんぱい)で。ちゃんと仕事して下さい」
「いや、こればっかりは…」探偵は頭をかきながら、「このあたりは平和(へいわ)ですからね。探偵を雇(やと)うようなことなんか起(お)きませんよ」
「そんなことでどうするんです。仕事が無(な)ければ、こっちから捜(さが)しに行くくらいの気概(きがい)を持って下さい。そんなんで、どうやって生活(せいかつ)していくんですか?――夫(おっと)を亡(な)くして、私たち親子が暮(く)らすのに、ここの家賃(やちん)が必要(ひつよう)なんです。子供たちもまだ小さいし…」
 探偵は困(こま)った顔をして、「大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。家賃はちゃんとお支払いしますから」
「当たり前です! そもそも、どうしてこんな所で探偵事務所なんか」
「それは、あれです。ここなら面倒(めんどう)な依頼(いらい)も来ないだろうし、思う存分(ぞんぶん)趣味(しゅみ)に没頭(ぼっとう)できるかなって…。あっ、多少は貯(たくわ)えもあるし。僕(ぼく)、こう見えて節約(せつやく)は得意(とくい)なんです」
「仕事をする気ないんですか? じゃ、私が事件を起こして――」
「ちょっとやめて下さい。そんなことして逮捕(たいほ)されたら…」
「そんなことしませんよ。事件が起きてないか、聞き込みをするんです」
<つぶやき>これは世を忍(しの)ぶ仮(かり)の姿(すがた)で、本当はものすごい名探偵なのかもしれませんね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0474「待ち合わせ」
 大好きな彼との待ち合わせ。彼女は、この待ち時間を気に入っていた。だから少しだけ約束(やくそく)の時間より早く行く。そして、ドキドキしながら彼の到着(とうちゃく)を待つのだ。
 彼女は待ちながら、今日の服(ふく)は気に入ってくれるかな? とか、髪(かみ)を少し切ったの気づいてくれるだろうか…。そんなことを考えていると、時間はあっという間に過(す)ぎていく。そして、ずっと向こうから歩いて来る彼を見つける。思わず頬(ほお)がゆるむ瞬間(しゅんかん)だ。
 でも、現実(げんじつ)は思い通りにはいかない。彼女は腕時計(うでどけい)を見る。約束の時間を10分も過ぎている。彼女は呟(つぶや)く。「今日もまた遅刻(ちこく)? もう、許(ゆる)さないから」
 そう言いながらも、彼女は楽しそうだ。彼を待つ時間が、今日も少しだけ増(ふ)えたのだから。普通(ふつう)の娘(こ)なら怒(おこ)って帰ってしまうかもしれない。でも、彼女は大(おお)らかな性格(せいかく)だ。どんなことでも良い方に考える。たとえ、彼が彼女の服を褒(ほ)めなくても、髪を切ったことに全く気づかなくても、多少の遅刻すら笑って許(ゆる)すことができる。
 でも、これってどうなの? 彼女の顔が一瞬曇(くも)った。私って本当に彼に愛されているのかな? 都合(つごう)の良い女になってるだけじゃ…。彼女は心の中で葛藤(かっとう)する。でも、彼が遠くから駆(か)けて来る姿(すがた)を見つけると、そんなことすぐに頭から消えてしまうのだ。やっぱり、彼女は彼を愛している。心から愛しているのだ。
<つぶやき>あなたの彼女もこんなことを考えているかもしれません。褒めてあげてね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0475「しずく10~おんぼろ」
 そのアパートは二階建(だ)てで、昭和(しょうわ)って感じの建物(たてもの)だった。トタン張(ば)りの屋根(やね)や外壁(がいへき)には錆(さび)が浮(う)き出ていて、それが奇妙(きみょう)な模様(もよう)になっている。ちょうど西向きに建っているせいで、今の時間、夕日に染(そ)まってセンチメンタルに輝(かがや)いている。
「こんなところに、人が住んでるの?」月島(つきしま)しずくは思わず呟(つぶや)いた。
 部屋の番号は201になっている。だとすると二階なのか? しずくは二階へ上がる階段(かいだん)の前に立った。長い間、風雨(ふうう)に晒(さら)されていたのだろう。補修(ほしゅう)もしていないようで、ここもかなり錆びついている。ところどころ鉄板(てっぱん)が腐食(ふしょく)していて、小さな穴(あな)が空(あ)いているのが見えた。かなり危険(きけん)な状態(じょうたい)になっている。
 しずくは恐(おそ)る恐る階段を昇(のぼ)り始めた。階段は、踏(ふ)みしめる度(たび)にギシギシと嫌(いや)な音をたてた。しずくは心の中で呟いた。
「大丈夫(だいじょうぶ)、大丈夫よ。彼女だってここを使ってるんだから…」
 階段の中程(なかほど)を過ぎたところで、突然(とつぜん)、「止まって!」と上の方から鋭(するど)い声がした。
 しずくは上げた足を止めるために、必死(ひっし)に手すりにしがみついた。上を見上げると、そこには寝巻姿(ねまきすがた)の神崎(かんざき)つくねが立っている。つくねは穏(おだ)やかな声で言った。
「そこに足を乗(の)せると落っこちるわよ。気をつけて上がって来て」
「そ、そうなんだ。…分かったわ。気をつける。これくらい、平気(へいき)よ。私……」
<つぶやき>つくねはどうしてこんな所に住んでいるんでしょうか? 謎(なぞ)は深まるばかり。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0476「とばっちり」
「誰(だれ)のせいでこうなったと思ってるの?」佑希(ゆうき)は怒(おこ)っていた。
 花梨(かりん)は泣(な)きそうな顔で、
「そんなの知らないわよ。あたしには関係(かんけい)ないわ」
「関係ないって…」佑希は開いた口がふさがらない状態(じょうたい)で、「あたしが、あなたのためにどれだけ…。それを、関係ないって、あっさり言っちゃうんだ」
 花梨は吉岡(よしおか)君の影(かげ)に隠(かく)れるようにして、「佑希が、勝手(かって)にやったことじゃない」
「なにそれ? あたしのせいだって言うの? あなたが何とかしてって、あたしに泣きついてきたんじゃない。それを…、もう許(ゆる)さないから!」
 佑希は花梨に掴(つか)みかかった。だが、花梨は吉岡君を盾(たて)にして…。盾にされた吉岡君は、二人の間に挟(はさ)まれてグルグルと振(ふ)り回された。しばらくすると二人とも疲れたようで、
「花梨、いつまで逃(に)げるつもりよ。――吉岡、邪魔(じゃま)なのよ。そこ、どきなさいって」
 吉岡君もフラフラ状態で、どきたいのはやまやまだけど花梨が離(はな)してくれないのだ。
「吉岡君はとっても優(やさ)しいんだから。お姉(ねえ)ちゃんとは大違(おおちが)いよ」
「吉岡はね、あたしの彼氏(かれし)よ。あんたのじゃないんだから。離しなさいよ!」
「イヤよ。お姉ちゃんは、すぐ手を出すんだから。そんなんだから、いつまでも――」
 ここで吉岡君は口を出した。「あの、もう止めましょう。こんなことをしても…」
 佑希は吉岡君を睨(にら)みつけて、「あなたも、あたしのこと、そんな風に思ってるの?」
<つぶやき>痴話喧嘩(ちわげんか)のとばっちりだけは避(さ)けたいですね。でも、何でもめてるのかな?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0477「恋人の作り方」
 教室(きょうしつ)へ入るなり、斉藤(さいとう)君は友達(ともだち)の横に座(すわ)ってひそひそと呟(つぶや)いた。
「俺(おれ)、すごい本(ほん)見つけちゃったよ。これで恋人(こいびと)を作(つく)ろうと思うんだ」
 友達は<恋人の作り方>という本のタイトルを見て、怪訝(けげん)な顔をした。
 斉藤君はさらに声をひそめて、「校内(こうない)の購買(こうばい)で見つけたんだ。お前にだけ見せてやるよ」
 友達はその本をパラパラとめくりながら、「お前、いくらで買ったんだよ?」
「1万円さ。1万で恋人ができるんだぞ。安いもんだろ。お前にもさ――」
「お前、バカか? こんなもんに1万なんて。これ、どう見たって、誰(だれ)かが手作(てづく)りで作ったやつじゃないか。お前、欺(だま)されてんだよ」
「なに言ってんだ。校内の購買だぞ。そんなとこで欺す奴(やつ)なんかいないだろ。購買のおばちゃんだって、これ買ったとき、『がんばんなよ』って言ってくれたんだ」
 友達は呆(あき)れるばかり。斉藤君は本を取り上げると、最初(さいしょ)のページをめくった。
「ここに恋人の探(さが)し方ってのが書いてあるんだ。いいか、こうだ。校内のベンチで一人で座っている娘(こ)を見かけたら声をかけるべし。――俺(おれ)さ、これからやってみようと思うんだ」
 友達は嫌々(いやいや)ながら斉藤君に付き合うことに。確(たし)かに、校内にはいくつかベンチが置かれている。二人はひとつひとつ確認(かくにん)していった。そして、その中のひとつに美しい女子が一人で座っているのを見つけた。二人は色めき立った。斉藤君は友達を押(お)さえ込んで言った。
「俺の1万円だ。お前、絶対(ぜったい)、手を出すんじゃないぞ。俺のだからな」
<つぶやき>ダメですよ。女性をそんな風に見てはいけません。でも、これって罠(わな)じゃ?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0478「彼氏をゲット」
 教室の片隅(かたすみ)で女の子たちがおしゃべりをしていた。話題(わだい)はもちろん…。
「ほんとにこんなんで彼氏(かれし)にできるの?」一人が首(くび)を傾(かし)げながら言った。
「大丈夫(だいじょうぶ)よ。ちゃんとリサーチ済(ず)みだから」
 輪(わ)の中心(ちゅうしん)にいた娘(こ)が答えた。「それに、購買(こうばい)のおばちゃんには話しつけてあるし。彼が購買に来たら、さり気(げ)なく彼の目につくとこに置いといてもらうの」
「あんたさ、ほんとに斉藤(さいとう)なんかでいいの? もっと良い男いるでしょ」
「そうよ。ほら、この間、告白(こくはく)してきた吉川(よしかわ)君とか…」
「ダメよ。モテそうな男は、あたし嫌(きら)いなの。あたしだけを見てくれる人でなくちゃ」
「いいわねぇ。私もそんなこと言ってみたいわ」
「もう、ひがまないの。みんなで、ひなちゃん応援(おうえん)しようよ」
 女の子たちは出来(でき)たばかりの本を見つめた。一致団結(いっちだんけつ)、彼女たちの結束(けっそく)は固(かた)かった。しかし、その裏(うら)にはそれぞれの思惑(おもわく)があるようだ。でも、そんなことは誰(だれ)も顔には出さない。
 ――もし学校で一番人気のひなちゃんに彼氏が出来れば、男子たちの目は自然(しぜん)に他の女子に向けられることになる。そうなれば、狙(ねら)っている彼を落としやすくなる。彼女たちの笑顔には、そういう意味(いみ)も含まれているのだ。それに、ひなちゃんにも何か別の目的(もくてき)が…。でも、斉藤君にそれを打ち明けることはないだろう。男はこうして罠(わな)にはまるのだ。
<つぶやき>恋愛競走(きょうそう)に勝ち抜(ぬ)くためには、持ちつ持たれつ協力(きょうりょく)し合うのも大切(たいせつ)かもね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0479「恋愛ゲーム」
「これはゲームよ。本気(ほんき)じゃないの。そこんとこ、間違(まちが)えないでね」
 彼女は彼に言った。――彼女はちょっと素直(すなお)じゃないところがある。自分の気持ちを打ち明けることが苦手(にがて)なのだ。だから、よく誤解(ごかい)されたりしてしまう。
 彼はしばらく考えてから、「で、俺(おれ)は何をすればいいんだ?」
「別に難(むずか)しいことじゃないわ。私と一緒(いっしょ)に歩いたり、おしゃべりしたり。普通(ふつう)のカップルがするようなことをしてくれるだけでいいの」
「でもなぁ、俺(おれ)たち恋人(こいびと)じゃないんだから…。それに、知ってるヤツに会ったら――」
「私と一緒だと嫌(いや)なの!? 私って、そんな、恥(は)ずかしい女ってこと?」
 彼は慌(あわ)てて、「いや、そういうことじゃなくて。何て言うかな…」
「分かったわ。じゃあ、こうしましょ。デートは、知ってる人がいない遠い場所でするの。そこへ行くまでは、私たちは別行動(べつこうどう)よ。それなら、いいでしょ?」
「まあ、それなら…。でも、いつまでやるんだ?」
 彼女は急に黙(だま)り込んだ。そして俯(うつむ)きながら小さな声で、「それは、あなたが私のこと…」
 彼は不意(ふい)に言った。「じゃあ、お互(たが)い好きな相手(あいて)が見つかるまでってことで、いいかな?」
 彼女は一瞬(いっしゅん)びくりとしたが、「…そ、そうね。そうしてくれると、助(たす)かるわ」
<つぶやき>さあ大変(たいへん)だ。彼が好きになってくれるような、そんなデートをしないとね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0480「しずく11~秘密」
 神崎(かんざき)つくねの部屋(へや)は六畳一間(ろくじょうひとま)で小さなキッチンスペースが申し訳程度(ていど)についている。あとは襖(ふすま)で仕切(しき)られた押(お)し入れがあるだけだ。部屋の中は小ぎれいに片づけられている。というか、必要(ひつよう)な物以外は何もないって感じだった。キョロキョロと部屋の中を見ている月島(つきしま)しずくを見て、つくねは恥(は)ずかしそうに言った。
「何もないでしょ。いつでも引っ越せるように、余分(よぶん)な物は買わないようにしてるの」
「へぇ、そうなんだ」しずくは急に思い出して鞄(かばん)の中から例(れい)の封筒(ふうとう)を取り出した。
「これ、先生からね。渡(わた)してくれって頼(たの)まれたの。だから…」
 つくねは封筒を受け取ると、「ありがとう。あなたが来てくれてよかったわ」
「ほんとに具合(ぐあい)が悪(わる)かったのね」しずくは敷(し)かれたままになっている布団(ふとん)を見て言った。
 つくねは、学校では見せたことのない表情(ひょうじょう)をして、「あたし一人暮(ぐ)らしなのよ。学校には親(おや)と同居(どうきょ)って言ってあるから、先生にバレたら大変(たいへん)な事(こと)になるとこだったわ」
「えっ、どうして一緒(いっしょ)に住んでないの?」しずくは思わず訊(き)いてしまった。
 つくねは一瞬(いっしゅん)、表情を曇(くも)らせた。しずくの顔をじっと見つめると、微(かす)かに笑(え)みを浮かべて、「そんなに訊きたい? じゃあ、今日のことは誰(だれ)にも話さないって約束(やくそく)してくれる?」
 しずくは大きく肯(うなず)いた。「もちろんよ。誰にも話さないわ。私たちだけの秘密(ひみつ)よ」
「あたしの両親(りょうしん)はね、もうこの世界にはいないわ。殺(ころ)されちゃったの」
<つぶやき>衝撃(しょうげき)の事実(じじつ)が明かされる。つくねの過去(かこ)に何があったのか? しずくは…。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0481「卒業」
 妻(つま)は娘(むすめ)の香里(かおり)から送られてきた写真(しゃしん)を見て言った。
「ねえ、あなた。太一(たいち)、もう卒業(そつぎょう)ですって。ほら見て、香里より背(せ)も伸(の)びちゃって…」
 夫(おっと)は写真を覗(のぞ)き込んで、「ほう、いい顔してるな。将来(しょうらい)が楽しみだ」
 夫婦(ふうふ)は孫(まご)の卒業(そつぎょう)写真を見て笑(え)みを浮(う)かべた。のどかな休日の昼下(ひるさ)がりである。
 夫はぽつりと言った。「俺(おれ)も、もうすぐ定年(ていねん)だ。会社を卒業ってわけだ」
 妻はいろんなことが脳裏(のうり)に浮かんで、「そうね。長い間、ご苦労(くろう)さまでした」
「まあ、そこそこ貯(たくわ)えもあるし、これからは二人でのんびり暮(く)らそうや」
 妻はこのときとばかり言った。「実(じつ)は、私も卒業しようと思うの」
 夫はきょとんとして妻の方を見た。妻はにっこり微笑(ほほえ)んで、
「私、あなたの妻を卒業します。これからは、自分のために生きようって――」
 夫は慌(あわ)てて言った。「ちょっと待(ま)てよ。それじゃ、離婚(りこん)しようっていうのか? 俺を一人にして…、俺のこと嫌(いや)になったのか?」
 妻は夫の慌て方に大笑(おおわら)いして、「そんなんじゃないわよ。嫌になんか」
「じゃあ、何だってんだよ。俺は、これから二人で楽しく過ごそうって…」
「だからよ。これからは、お互いに自立(じりつ)しましょ。あなたも、身の回りのことは一人で出来るようにならなくちゃ。私がちゃんと教えてあげるから、心配(しんぱい)しないで」
<つぶやき>人にはいろんな卒業があるよね。でも、それは新しい何かの始まりなのです。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0482「ダッシュ!」
 会社の昼休み。トイレで雑談(ざつだん)をしながらメイク直(なお)しをしている二人。そこへ、息(いき)を切らして駆(か)け込んで来た人がいた。二人は鏡(かがみ)に映(うつ)ったその人を見て驚(おどろ)いた。それは、いつも沈着冷静(ちんちゃくれいせい)な憧(あこが)れの先輩(せんぱい)。それが、どうして…。先輩は息を整(ととの)えながら、
「別に、何でもないのよ。ちょっと、あれで……ね」
 こうなると誰(だれ)でも気になるもの。二人は先輩に根掘(ねほり)り葉掘(はほり)り聞いてみた。すると先輩は、言いにくそうに打ち明けた。「実(じつ)は…、チョコを渡(わた)してきたのよ。それで…」
「ああ、バレンタインですか? でも、それって先週(せんしゅう)でしたよね」
 先輩は二人から目をそらして、「私ってそういうのこだわらないのよ。別にいいじゃない」
「で、どうだったんですか? ちゃんと受け取ってもらえたんですか?」
「先輩が好きになった人って誰だろ。あたし達の知ってる人ですか? 教えてください」
 後輩(こうはい)の二人は興味津々(きょうみしんしん)の様子(ようす)。先輩は首(くび)を傾(かし)げながら、
「まあ、一応(いちおう)、受け取ってくれたと言うか…。押(お)しつけちゃった、みたいな…」
「えっ? まさか、返事(へんじ)も聞かずに逃(に)げできちゃったんですか? うそッ。今時(いまどき)の女子高生だって、そんなことしないですよ」
「だって、わたし、こういうの苦手(にがて)なの。もう何も訊(き)かないでよ」
<つぶやき>いくつになっても乙女心(おとめごころ)は必要(ひつよう)です。でも、社内で噂(うわさ)になっちゃうかもね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0483「きな子」
 彼女はきな子に話しかけた。きな子とは、彼女が飼(か)っている茶トラ猫(ねこ)だ。
「今日、彼に告白(こくはく)されたんだけど…。付き合っちゃってもいいかな?」
 きな子は目を細(ほそ)めてそっぽを向いた。あたしに男の話をされても、分かるわけないでしょ。とでも言いたげである。
 彼女はそんなことお構(かま)いなしに、きな子を抱(だ)きあげ膝(ひざ)の上にのせると、
「彼ね、付き合ってた人がいたらしいの。友達から聞いた話なんだけど、まだその人と続いてるんじゃないかって。私も、それとなく彼に訊(き)いてみたの。そしたら、今は誰(だれ)とも付き合ってないって。でもね、何かウソっぽいのよ。だって、私と会ってる時でも、こそこそメールなんか確認(かくにん)しちゃって。好きな人を前にして、普通(ふつう)そんなことしないでしょ――」
 彼女のおしゃべりはいつまで続くのか。きな子もそろそろ限界(げんかい)に来ていた。
「ほら、まだ私たち、ちゃんと付き合ってるわけじゃないじゃない。だから、断(ことわ)るとしたら今だと思うの。――でも、彼って、ちょっと格好(かっこ)いいのよね。もう、悩(なや)んじゃうわ」
 人間って面倒(めんど)くさいのね。きな子は頭をなでられながら思っていた。あたしだったら、近寄って来た雄猫(おすねこ)を見ただけで、善(よ)し悪(あ)しを判断(はんだん)できるのに。
 きな子は彼女の顔を見上げて、一声鳴(な)いた。そして、彼女の手をすり抜(ぬ)けて床(ゆか)へ下りると、トイレへ一目散(いちもくさん)に走って行った。
<つぶやき>人間のおしゃべりに付き合うのもペットのお仕事(しごと)なのかもね。がんばれっ!
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0484「詮索好き」
 久(ひさ)しぶりに会った友達(ともだち)に言われた。
「えっ、別れたの? 全然(ぜんぜん)知らなかった。何で教えてくれなかったの?」
「何でって、そんなこといちいち報告(ほうこく)するようなことじゃ…」
 彼女は私の顔を哀(あわ)れむような目で見つめて…。そんなに私って可哀相(かわいそう)な女?――彼女は私を気づかうように、言葉(ことば)を選(えら)んで……いるようには思えない。
「で、何で別れたの? 参考(さんこう)のために聞かせてよ。ほら、あたしもいつか結婚(けっこん)するし」
 いやいや、何でそんなこと話さなきゃいけないのよ。あなたとは、そんなに親(した)しかったわけじゃないでしょ。呆(あき)れている私を見て、彼女は何を思ったか、
「やっぱりあれでしょ。浮気(うわき)? よくあることなのよ。男ってさ、そういうとこあるから。で、浮気相手(あいて)って美人(びじん)だった? 男って美人に言い寄(よ)られると、ふらふらって…」
「違(ちが)うわよ。そんなんじゃ…」
「じゃあ、あれだ。ほら、価値観(かちかん)が違ったとか、性格(せいかく)の不一致(ふいっち)。まさか、あなた一目惚(ひとめぼ)れで結婚したの? それじゃダメよ。時間をかけて吟味(ぎんみ)しなきゃ。男なんて付き合ってる時には本性(ほんしょう)を現さないんだから。それで結婚したとたんに、こんな人だったのって。――ねえ、どうしたの? さっきからずっと黙(だま)ってるけど。まさか、もっとドロドロって感じ?」
 彼女の話は延々(えんえん)と続いた。ああ、早く帰りたい。私、何でこの娘(こ)とお茶(ちゃ)なんかしてるんだろ。もう、いいじゃない。何で離婚(りこん)したかなんて…。
<つぶやき>詮索(せんさく)好きな人っていますよね。でも、程(ほど)ほどにしないと嫌(きら)われちゃいますよ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0485「しずく12~振り返らない」
 月島(つきしま)しずくは一瞬(いっしゅん)凍(こお)りついた。人が殺(ころ)されるなんて、ニュースでは聞くけど。しずくは、つくねに何て言ってあげればいいのか分からない。でも、神崎(かんざき)つくねは平気(へいき)な顔で言った。
「別に気を使わなくてもいいわよ。もう過去(かこ)のことだから。あたしは過去は振(ふ)り返らないようにしてるの」
「でも…。それじゃあ、一人っきりなの? 兄弟(きょうだい)とか…」
「叔母(おば)さんが一人いるみたいなんだけど、どこにいるのか分かんないんだよね。あたしは、叔母さんには一度も会ったことないから、捜(さが)しようがなくて…」
 つくねは、悲(かな)しそうな顔をしているしずくを見て、「やだ、可哀想(かわいそう)だなんて思わないでよ」
「そんなんじゃ…。私がなってあげるよ」つくねは唐突(とうとつ)に言った。「あなたの友達(ともだち)に!」
 つくねは少し驚(おどろ)いた顔をしたが、クスッと笑(わら)って、
「そんなこと言ってくれたの、あなたが初めてよ。ありがとう。でも…」
 つくねは言葉(ことば)を呑(の)み込んだ。しずくはそんなこと気にもかけないで部屋の中を見回して、
「ねえ、どうしてこんなとこに住(す)んでるの? すぐにでも壊(こわ)れちゃいそうなのに」
「ああ。ここ、もうじき取り壊(こわ)されるのよ。それまでの間、タダで使わせてもらってるの」
「えっ! でも、ここが無(な)くなっちゃったらどうするのよ」
 つくねは、本気(ほんき)で心配(しんぱい)しているしずくを見ておかしくなった。こんな娘(こ)がいるなんて…。
「そしたら、また他(ほか)を探(さが)すわ。そういうのには慣(な)れてるから」
<つぶやき>強い心がないと前を向いて進むことは難(むずか)しい。二人は友達になれるのかな?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0486「重役会議」
 とある大企業(だいきぎょう)の重役(じゅうやく)会議。そこでは、様々(さまざま)な人間模様(もよう)が展開(てんかい)していた。
「どうだね、君(きみ)。最近(さいきん)、あっちのほうは?」
 椅子(いす)にふんぞりかえって、腹(はら)の出た男が言った。隣(となり)に座っていた男がそれに答えて、
「いや、私は最近ご無沙汰(ぶさた)で。あなたこそ、お盛(さか)んだとか」
「いやいや、私なんかまだまだですよ。ところで、今日は高山(たかやま)君はお休みなの?」
「そういえば最近見ないね。あの人もお歳(とし)だから、そろそろねえ…」
 向かい側(がわ)の男が口を挟(はさ)んだ。
「高山君、具合(ぐあい)が悪(わる)いそうだよ。入院(にゅういん)してるって聞いたけど」
「そうなの? 高山君も、そろそろ身(み)を退(ひ)いてもらわないとね」
「そうですね。後進(こうしん)に道を譲(ゆず)ってもらって。じゃあ、そういうことで高山君には…」
「じゃあさ、高山君の後は、誰(だれ)にするのかな? 順番(じゅんばん)でいくと…」
「私は、緒方(おがた)君なんかいいと思うがね。どうですか、みなさん」
「緒方君ねぇ。彼は、真面目(まじめ)すぎるよ。この場にはそぐわないんじゃないの」
「そうそう。彼が入ると、仕事(しごと)の話しになっちゃうよ。そういうのは下に任(まか)せて…」
「そろそろ時間じゃない? 今日は何を食べさせてもらえるのかな。楽しみだ」
 男たちはゾロゾロと会議室を後にした。最後に残った世話役(せわやく)の社員(しゃいん)がため息(いき)をつく。
<つぶやき>これはあくまでもフィクションです。こんな人達はいないと信じたいですね。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0487「告白関係」
「ねえ、なに難(むずか)しそうな顔で黙(だま)ってんのよ」甘菜(かんな)は心配(しんぱい)そうに言った。
「どちらかを選(えら)ばなきゃいけないとしたら、どうやって決(き)めたらいいのかな?」
 良江(よしえ)は真剣(しんけん)に悩(なや)んでいるようだ。甘菜は何のことか分からないので訊(き)き返すと、
「だから、昨日、好きな人に告白(こくはく)したのね。そしたら、別の人から告白されちゃって」
「なにそれ。あんたってそんなにモテたっけ? 何か、ムカつくんですけど。で、何よ。その告白した人は、付き合ってくれるの?」
「それが、反応(はんのう)が鈍(にぶ)いっていうか…。考えさせてくれって」
「そりゃ無理(むり)ね。やんわりと断(ことわ)ってんだよ。で、告白してきた人には?」
「そんなの、分かんないよ。決められないから悩んでるんじゃない」
 甘菜は少し離(はな)れたところに座ってこっちを見つめている男性に気がついた。
「ねえ、さっきからこっちを見てる男がいるんだけど。振(ふ)り向かないで。さり気(げ)なくよ」
 良江は首(くび)を不自然(ふしぜん)に動かしながらまわりを見回した。男を見つけると、急に背(せ)をかがめて小さな声でささやいた。「あの人よ。私に告白したの」
「えっ。何で、何でここにいるのよ。あの人、あんたとは、どういう知り合いなの?」
「よく知らないわ。たまに街(まち)で見かける人で、お話したのだって昨日が初めてで…」
「なに考えてんのよ。誰(だれ)だか分かんないのに…、そんな人と付き合えるの? もう、世間(せけん)知らずもいい加減(かげん)にしてよ。今から断ってらっしゃい。あたしもついてってあげるから」
<つぶやき>知らない人から声をかけられてもついて行っちゃダメです。大人なんだから。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0488「奔放な女」
 それは一本の電話(でんわ)で始まった。電話の相手(あいて)はお袋(ふくろ)で、早口(はやくち)でまくし立てる。僕(ぼく)はその電話で起こされたので、寝惚(ねぼ)けながら生返事(なまへんじ)で聞き流す。最後(さいご)にお袋は、「じゃあ頼(たの)んだよ。よろしくね」と言って電話を切った。僕はベッドに起き上がり、今のは何だったのか、しばらくボーッと考えた。
「誰(だれ)かが…、どっかへ行くって…。それで、その…」
 僕は一つの単語(たんご)が頭の中で大きく膨(ふく)らんで思わず叫(さけ)んだ。「姉(ねえ)さんが!」
 あの、爆弾(ばくだん)女が…、ここへ来る。僕はベッドから飛び出すと、鞄(かばん)をつかんで玄関(げんかん)へ走った。あやうく寝巻(ねまき)姿で会社へ行くところだった。僕は部屋へ戻(もど)ると慌(あわ)てて着替えをすませ、ネクタイをもどかしくしめる。その時だ。玄関のチャイムがピンポーンと鳴(な)った。僕は思わず唾(つば)をのみ込んだ。そして心の中で、「誰もいません。留守(るす)ですよ」と呟(つぶや)いた。
 玄関の方から姉(あね)の声が、「あたし。お姉さんですよ。いるんでしょ。開けなさいよ。開けないと、どういうことになるか、分かってるんでしょうね」
 姉は何をするか分からない。姉には一般常識(いっぱんじょうしき)なんて通(つう)じないのだ。僕は、恐(おそ)る恐る玄関の鍵(かぎ)をはずし扉(とびら)を開ける。いきなり姉の平手(ひらて)が僕の頭へ飛んで来た。
「もう、遅(おそ)いんだよ。しばらく泊(と)まるから、よろしくね」
 姉はそう言うと、ずかずかと部屋へ上がり込み、僕のベッドへ潜(もぐ)り込んだ。
<つぶやき>自由奔放(ほんぽう)に生きるのも、大変なのかもしれません。嵐(あらし)が去るのを待ちましょ。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0489「誰かいる」
 彼女はおびえていた。ここ一週間、誰(だれ)かに見られているような…。職場(しょくば)の先輩(せんぱい)に話したらこう言ってくれた。「俺(おれ)が送ってってやるよ。俺の家、君んとこの近くだからさ」
 その日は、先輩に送ってもらった。不思議(ふしぎ)なことに、今夜は誰かにつけられている気配(けはい)はなかった。家の前に着くと先輩は、「明日も迎(むか)えに来てやるよ。一緒(いっしょ)に会社へ行こう」
 ――彼女はお風呂(ふろ)へ入りながら先輩のことを考えていた。先輩って意外(いがい)と優(やさ)しい人なんだ。でも、ふと妙(みょう)なことに気がついた。先輩って、何で私の家のこと知ってたんだろう?
 その時、風呂場の外から物音(ものおと)が聞こえた。誰かが外にいる。彼女は恐怖(きょうふ)のために身体(からだ)をこわばらせた。彼女はそっと風呂から出ると、バスタオルを身体に巻(ま)いて風呂場の扉(とびら)を開けた。そこからはリビングの半分くらいが見渡(みわた)せる。誰もいない。それでも彼女は足を忍(しの)ばせてリビングへ向かった。やっぱり何もない、気のせいだったんだ。
 彼女はホッとして、キッチンの方へ振(ふ)り返って愕然(がくぜん)とした。テーブルの上に、包丁(ほうちょう)を突(つ)き立てた肉(にく)の塊(かたまり)があったのだ。彼女はその場にしゃがみ込(こ)んだ。その時だ。オーデコロンの匂(にお)いが彼女の鼻(はな)をついた。この匂い…、先輩がつけてたオーデコロンと同じ匂いだ。
 その夜、彼女は一睡(いっすい)もできなかった。夜が開けると、先輩が迎えに来たのか玄関(げんかん)のチャイムが鳴(な)った。彼女はフラフラと立ち上がると、肉に突き立ててあった包丁をつかんで、まるで夢遊病者(むゆうびょうしゃ)のように玄関の方へ歩いて行った。
<つぶやき>本当に先輩が犯人(はんにん)なのでしょうか。この後、彼女が何をしたのか、恐(こわ)いです。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0490「しずく13~逃げる」
 どのくらいおしゃべりをしたのか、いつの間にか夜になっていた。月島(つきしま)しずくは家へ帰ろうと立ち上がった。その時だ。神崎(かんざき)つくねが急に頭を押(お)さえて苦(くる)しみ出した。
 しずくは慌(あわ)ててかけ寄り、「どうしたの? 大丈夫(だいじょうぶ)? しっかりして…」
 痛(いた)みはすぐに治(おさ)まったようで、つくねは目を見開いて呟(つぶや)いた。「何で気づかなかったの」
 つくねは急いでドアに鍵(かぎ)をかけると、大きなリュックに荷物(にもつ)を詰(つ)め始めた。しずくは理由(わけ)が分からずおろおろするばかり。その時、外から階段(かいだん)を上がってくる足音が響(ひび)いてきた。一段一段踏(ふ)みしめるたびに、階段がきしむ鈍(にぶ)い音が悲鳴(ひめい)のようだ。突然(とつぜん)、低い呻(うめ)き声が聞こえてきた。誰(だれ)かが壊(こわ)れた階段を踏みはずしたのだ。しずくは急いで外へ出ようとしたが、つくねがそれを止めて、「行っちゃダメ! ここに住んでるのはあたしだけよ。すぐに逃(に)げなきゃ」
 つくねは窓(まど)を開けると、縄(なわ)ばしごを下へたらして、「さあ、ここから降(お)りるの!」
 もたもたしているしずくをせき立てる。靴(くつ)と鞄(かばん)を窓から放り投げると、しずくは縄ばしごを下りはじめた。突然、ドアをノックする音が響いた。続いてドアノブをガチャガチャさせる音。つくねは窓からリュックを放り投げた。あやうく下にいたしずくの頭に当たるところだったので、しずくは思わず尻(しり)もちをついてしまった。と同時に、つくねが一気に縄ばしごを滑(すべ)り降りてきた。
<つぶやき>どうしたというのでしょ。誰かに狙(ねら)われてる? 両親の死と関係(かんけい)があるのか。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0491「せつない恋」
 友達(ともだち)が開くパーティに誘(さそ)われた。行ってみると、そこには僕(ぼく)の憧(あこが)れの彼女も来ていた。でも、彼女は僕のことなんか気にもとめない。彼女は羽生(はにゅう)のことしか目に入らないのだ。今日も羽生と彼女は二人並(なら)んで、楽しそうに飲んでいた。僕は二人の後ろ姿(すがた)をときどき垣間(かいま)見ることしか…。
 その時だ。羽生が僕の方を見て手招(てまね)きした。僕が首(くび)を傾(かし)げながら近づくと、僕を自分が座(すわ)っていた席(せき)に座らせて言った。「あと頼(たの)むよ。俺(おれ)、ちょっと行くとこがあってさ」
 羽生はそのまま帰ってしまった。僕は、困(こま)った。彼女の横に座るなんて…。もう心臓(しんぞう)はバクバクで、彼女の方を見ることもできない。突然(とつぜん)、彼女が僕にしなだれかかってきた。僕の身体(からだ)は硬直(こうちょく)し、思わず彼女の顔を横目(よこめ)でチラリ。彼女の顔をこんな間近(まぢか)で見たことなんか…。わぁ、可愛(かわい)い…。って、言ってる場合(ばあい)か?
 彼女はどうやら酔(よ)っ払っているようだ。目はとろんとして、口元(くちもと)がわずかに微笑(ほほえ)んでいる。そして、彼女は僕にささやくのだ。いや、僕にではない。羽生にだ!
「今日は、帰りたくないなぁ…」
 僕は涙(なみだ)が出そうになった。彼女への思いが吹(ふ)き出しそうになるのを必死(ひっし)でこらえた。彼女だって気づいているはずだ。羽生が、彼女のことなんか何とも思ってないことを。今だって、あいつは付き合ってる恋人(こいびと)のところへ向かっているのだ。
 僕は彼女の肩(かた)にそっと手をやる。彼女の閉じた瞳(ひとみ)から、ひとすじ涙(なみだ)がこぼれた。
<つぶやき>恋は思い通りにはいかないもの。そんな時は一歩退(ひ)いてみることも必要(ひつよう)かも。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0492「隠蔽工作」
 男たちが居酒屋(いざかや)の片隅(かたすみ)で何やらひそひそと話しをしていた。
「いいか、絶対(ぜったい)黙(だま)ってろよ。もしこんなことがバレたら、どうなるか…」
「そんなこと無理(むり)だ。あいつに黙ってなんか…。俺(おれ)には、自信(じしん)が無い」
「なに言ってるんだ。大丈夫(だいじょうぶ)だ。俺たちは別にやましいことなんか。なぁ」
「そうだ。俺たちは、たまたま得意先(とくいさき)から手に入れた割引券(わりびきけん)を使っただけだ。これは、いわば接待(せったい)だ。得意先からの接待だと思えばいいんだ。そうだろ?」
「でも、お前だって知ってるだろ。うちのがどういう奴(やつ)か。俺、恐(こわ)いんだよ」
「まあ、確(たし)かに、お前(まえ)んとこのかみさんは別格(べっかく)だからな。でもな、お前が落ちたら、俺たちまで芋(いも)づるのように…。分かってるだろ、かみさんネットワーク」
「心配すんなって。何の証拠(しょうこ)もないんだ。バレるはずないよ」
「そ、それがな…。無くなってたんだ。ポケットに入れといた名刺(めいし)が…」
 男たちは唖然(あぜん)となった。お互(たが)い顔を見合わせて、
「何だよそれ。まさか、キャバ嬢(じょう)の名刺を家に持って帰ったのか?」
「それは確かなのか? ほんとにお前のかみさんに…。やばいだろ、これ。どうすんだよ」
「落ち着け! 名刺は店のティッシュと一緒(いっしょ)に配(くば)っていたことにしよう。店には行ってない。たまたま店の前の路上(ろじょう)で配ってたんだ。いいか、何としても白(しら)を切るんだ!」
<つぶやき>いくら隠蔽(いんぺい)してもバレちゃうよ。隠(かく)しごとはしない。夫婦円満(えんまん)の秘訣(ひけつ)です。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0493「サイン違い」
「あたし、そんなこと言ってないよ」
 彼女は驚(おどろ)いた顔をして言った。「だって、あなたのこと好きじゃないし…」
 彼女の口からそんなことを聞かされるなんて。男は気が動転(どうてん)してしまった。
「でも、僕(ぼく)のこと頼(たよ)りにしてるって…。大切(たいせつ)な人だって言ってくれたじゃないか。それに、君の部屋にだってこうして入れてくれてるし。僕たち恋人(こいびと)――」
 彼女は一歩後(あと)ずさりして、「何でそうなるの? あたしはただ、コードの配線(はいせん)とか、あたしのできないことしてくれるからで…。だから大切な人なの。別に好きとか、そういうんじゃないから。もう、勘違(かんちが)いしないでよ。あたしたち、友達(ともだち)でしょ」
 男はまったく納得(なっとく)できなかった。彼にしてみれば、彼女が<好きですサイン>を出しまくってるとしか思えなかったのだ。男は彼女へ詰(つ)め寄ろうとしたが、彼女が機先(きせん)を制(せい)して、
「あたし、あなたはとっても良い人だと思ってるのよ。優(やさ)しいし、親切(しんせつ)だし、困(こま)ってる人がいたらほっとけないでしょ。だから、あたしも、いろんなことお願いしちゃって…」
 男はもどかしそうに、「でも、僕は…。僕の気持ちは…」
「イヤだ。変なこと考えないで。あたし、あなたはそんなことしない人だと思ってるのよ。だって、女性に興味(きょうみ)なんてないんでしょ。だから、あたしも…」
 男は両手(りょうて)で彼女の腕(うで)をつかんで、「僕は、男です。男なんだ。男として見てください」
<つぶやき>好きですサインの使い方には十分注意(ちゅうい)しましょう。誤解(ごかい)をまねかないように。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0494「待ちぼうけ」
 彼女は待(ま)っていた。同じように待っている娘(こ)たちが、笑顔で手を振(ふ)り恋人(こいびと)の腕(うで)に飛びつく姿(すがた)を横目(よこめ)で見ながら…。彼女は腕時計(うでどけい)を見て溜息(ためいき)をつく。約束(やくそく)の時間を十分も過ぎていた。
「何で来ないのよ。七時って約束したのに…」
 彼女は携帯(けいたい)を取り出してみたが、彼からのメールも着信(ちゃくしん)も入っていない。彼女は不安(ふあん)になった。もしかして、忘(わす)れてる? デートの日を忘れるなんて…。
 彼女は電話をかけてみた。呼び出し音が鳴(な)る。1回、2回、3回…。彼が出た。何だか賑(にぎ)やかな場所(ばしょ)のようだ。彼の声がよく聞きとれない。――どうやら、どこかの居酒屋(いざかや)のようだ。楽しげな笑(わら)い声が聞こえてきた。彼女はカチンときて言った。
「何やってるのよ。あたし、ずっと待ってるんだからね。どこにいるの?」
 彼は静(しず)かな場所へ移動(いどう)しながら、「えっ? なに? なに怒(おこ)ってんだよ。……デート?…忘れてなんかいないよ。明日だろ? 君が言ったんじゃないか。今日はダメだからって」
 彼女は突然(とつぜん)声をはりあげた。そして慌(あわ)てた感じで、「今日って、な、何日?」
 彼は呆(あき)れた声で、「あっ、また間違(まちが)えただろ? ほんと、そそっかしいんだから」
「そんなんじゃないわよ。ちょっと確(たし)かめただけでしょ。じゃあね。明日、遅(おく)れないでよ」
 彼女は電話を切ると、血相(けっそう)を変えて走り出した。
<つぶやき>スケジュール確認(かくにん)は怠(おこた)らないで。でも、何の用(よう)があったんでしょ。気になる。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0495「しずく14~崩落」
 二人は駆(か)け出した。途中(とちゅう)、神崎(かんざき)つくねは足を止めるとアパートの方へ振(ふ)り返り、リモコンのスイッチを押(お)した。すると小さな爆発音(ばくはつおん)が何度かして、アパートが音をたてて崩(くず)れ落ちた。その音に驚(おどろ)いて、月島(つきしま)しずくが振り返って声を上げる。
「ええっ! 何で? どうしちゃったの…」
 目を丸(まる)くしているしずくに、つくねは平然(へいぜん)と言った。「大丈夫(だいじょうぶ)よ。これくらいのことで死(し)ぬような人たちじゃないから。さあ、行きましょ」
 二人は薄暗(うすぐら)い細い路地(ろじ)を歩き出した。誰(だれ)も追(お)って来る気配(けはい)はなかった。しずくは、ますます分からなくなった。つくねがどういう娘(こ)なのか…。
「ねえ、これからどうするの?」しずくは訊(き)いてみた。
 つくねはそれに答えて、「それより、靴(くつ)をはいたら? もう遅(おそ)いか、汚(よご)れちゃってる」
 靴をはいている余裕(よゆう)などなかった。おかげで、しずくの靴下(くつした)は真っ黒になっている。
「そういうあなただって、寝巻(ねまき)のままじゃない」つくねは言い返(かえ)した。
「でも、あたしはちゃんと靴をはいてるわ」
 二人は顔を見合わせると、クスクスと笑(わら)った。つくねは呟(つぶや)いて、「どっかで着替(きが)えなきゃ」
 しずくは、つくねの腕(うで)をつかむと引っぱって、「私に任(まか)せて。私の家、すぐ近くなのよ。生意気(なまいき)な弟(おとうと)がいるけど、家族(かぞく)みんな、大歓迎(だいかんげい)よ!」
 しずくは嫌(いや)がるつくねを無理矢理(むりやり)引っぱって歩き始めた。
<つぶやき>アパートを爆破(ばくは)させるなんて、一体(いったい)この娘は何者なのか? あの人たちって?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0496「狼の逆襲」
「まあ、ステキな場所(ばしょ)ね。こんな所があるんなら、もっと早く教えてよ」
 赤ずきんは怒(おこ)ったふりをしてみせる。猟師(りょうし)のボーイフレンドはそんな彼女を見て言った。
「君(きみ)も18だね。これは僕(ぼく)からの誕生日(たんじょうび)プレゼントだよ。この森の中で一番美しい場所さ」
「ありがとう。あなたが、こんなことをする人だとは思わなかったわ。もっと――」
 その時、森の中がざわついた。何かの気配(けはい)が、二人のまわりを取り囲(かこ)んだ。枯(か)れ枝(えだ)の折(お)れる音がピシッ、ピシッと聞こえてくる。猟師の青年(せいねん)は持っていた銃(じゅう)を構(かま)える。木立(こだ)ちの間の暗(くら)がりに、狼(おおかみ)の二つの目がいくつも見え隠(かく)れしていた。赤ずきんは身体(からだ)をこわばらせた。だが青年は何を思ったか、突然(とつぜん)、銃口(じゅうこう)を赤ずきんに向け不気味(ぶきみ)な笑(え)みを浮(う)かべた。
「やっとこの日が来た。お前はここで死(し)ぬんだ。俺(おれ)たちの森で…」
 青年は銃を下ろすと、口を大きく開けて見せて、「でも、銃なんかじゃ殺(ころ)さない。俺の口で、お前の肉(にく)を切り裂(さ)いてやる。お前は苦(くる)しみながら死んで行くんだ」
 赤ずきんは震(ふる)える声で言った。「あたしの彼をどこへやったの?」
「ああ。あの猟師なら、今頃、俺の兄弟(きょうだい)の腹(はら)の中さ」
 青年は赤ずきんを押(お)し倒(たお)し、地面(じめん)に押さえつけた。青年の姿(すがた)は、もう人間ではなかった。その獣(けもの)は、涎(よだれ)を赤ずきんの胸元(むなもと)にたらし、彼女の胸(むね)に食(く)らいつこうとした。その時、銃声(じゅうせい)が森の中に響(ひび)き渡(わた)った。獣たちは、慌(あわ)ててその場から逃(に)げ出した。
<つぶやき>彼が助けに来てくれたんだね。狼さんもこれで諦(あきら)めてくれるといいんだけど。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0497「全球凍結」
 テレビのニュース番組(ばんぐみ)が、いま地球規模(きぼ)で起こっている異常気象(いじょうきしょう)について解説(かいせつ)していた。地球の平均(へいきん)気温が最大1度下がっていると。しかも気温(きおん)低下の割合(わりあい)が徐々(じょじょ)に増(ふ)えているらしい。このままでいくと、あと半年もしないうちに地球の様子(ようす)は一変(いっぺん)してしまうだろう。
 大学の研究室(けんきゅうしつ)でニュースを見ながら、山崎(やまさき)は頭を掻(か)きむしった。気温低下(ていか)の原因(げんいん)が全くつかめなかったからだ。そこへ、同僚(どうりょう)の斉藤(さいとう)が駆(か)け込んで来て叫(さけ)んだ。
「最新(さいしん)のデータが届(とど)きました。いまモニターに出します」
 斉藤がパソコンを操作(そうさ)すると、大きなモニターに地球が映(うつ)し出された。人工衛星(じんこうえいせい)からのデータを元(もと)に作られた地球の大気(たいき)の様子(ようす)を現したものだ。それを見た山崎は息(いき)を呑(の)んだ。
「何だこれは…」山崎はモニターに近寄(ちかよ)り、「オゾン層(そう)が…。そんな馬鹿(ばか)な――」
 オゾン層が虫食(むしく)いの跡(あと)のように、ところどころで薄(うす)くなっていた。山崎は呟(つぶや)いた。
「これが原因なのか…。地球の熱(ねつ)が、どんどん宇宙(うちゅう)空間に奪(うば)われているんだ」
 研究員の一人が言った。「じゃあ、氷河期(ひょうがき)が来るってことですか?」
「それですめばいいが…。下手(へた)をすると、全球凍結(ぜんきゅうとうけつ)ってこともあり得(え)る。そうなったら、人類(じんるい)は…。いや、地球上の生物(せいぶつ)のほとんどが死滅(しめつ)するかもしれない」
 研究室の空気(くうき)が張(は)りつめた。斉藤が反論(はんろん)して、「でも、温暖化(おんだんか)に向かっていたんじゃ」
 山崎はデータを食い入るように見つめ、「何が引き金だったんだ。それさえ分かれば…」
<つぶやき>地球規模(きぼ)で起こる異変(いへん)を止めることはできるのか。とっても難(むずか)しい問題(もんだい)です。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0498「執着心」
「えっ、引っ越すの?」幸恵(ゆきえ)は唖然(あぜん)として知佳(ちか)の顔を凝視(ぎょうし)した。
「そうなの。急にパパの転勤(てんきん)が決まって。来週には――」
 幸恵は知佳の手を取ると、力いっぱい握(にぎ)りしめて言った。
「ダメよ! 私たち、ずっと友達(ともだち)だって約束(やくそく)したじゃない。どこにも行かないで!」
 知佳は思わず、「痛(いた)いわ。…幸(ゆき)ちゃん、離(はな)してよ」
 幸恵は構(かま)わずに、グイグイと知佳を引っ張って歩き出した。知佳は恐(こわ)くなって、
「ねえ、どうしちゃったの? やめてよ。離して…」
「私、離さないわよ。知佳だって、私と別れたくないでしょ。私が何とかするから」
 幸恵は使われなくなった工場(こうじょう)の倉庫(そうこ)へ知佳を連れて来た。重い扉(とびら)についた鎖(くさり)を外(はず)すと、扉の中へ知佳を押(お)し込めて幸恵は言った。
「心配(しんぱい)しないで。ここはパパの工場なの。だから誰(だれ)も来ないわ。ここにいれば、ずーっと一緒(いっしょ)にいられる。これから、毎日逢(あ)えるわね。楽しみ」幸恵は本当(ほんとう)に嬉(うれ)しそうに笑(わら)った。
 知佳は懇願(こんがん)するように、「ねえ、あたし、帰りたい。お家に帰りたいの。お願い!」
 幸恵は、逃(に)げ出そうとする知佳を押し倒(たお)して重い扉を閉めた。外から鎖を巻きつける冷たい音が響(ひび)いた。薄暗い倉庫の中で知佳は途方(とほう)に暮(く)れた。ふと、手に何かが触(ふ)れた。目をこらして見てみると、それは何か動物(どうぶつ)の骨(ほね)のように見えた。
<つぶやき>執着(しゅうちゃく)って恐いよ。でも執着がなくなれば、何もなかったように忘(わす)れちゃう。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0499「いちかばちか」
 亜希(あき)が、教室(きょうしつ)にいた洋子(ようこ)を呼(よ)びに来た。洋子はちょうどお弁当(べんとう)を食べ終わったところで、キョトンとした顔で、「行くって、どこへ? あたし、これから――」
「今がチャンスなの」亜希は洋子の耳元(みみもと)で囁(ささや)いた。「山田(やまだ)くん、一人で屋上(おくじょう)にいるから」
 洋子は急に頬(ほお)を赤らめておどおどしながら、「山田くんって…。あたし、そんな…」
「もう、山田くんのこと好きなんでしょ。みんな知ってるわよ」
 洋子が顔を上げると、周(まわ)りにいた同級生(どうきゅうせい)たちみんな、一斉(いっせい)に頷(うなず)いた。洋子はますます恥(は)ずかしくなり、すっとんきょうな声を上げて、「ち、違(ちが)うわよ。あたし、あたしなんか…」
「大丈夫(だいじょうぶ)よ。山田くん、今、誰(だれ)とも付き合ってないんだって。これは確(たし)かな情報(じょうほう)よ」
「でも、だからって…。あ、あたしのことなんか――」
「そんなこと、コクってみなきゃ分かんないでしょ。いちかばちかで、当たって砕(くだ)けちゃおうよ。そんなんだから誰とも付き合えないんだよ」
「でも、当たって砕けちゃったらダメでしょ。あたしは、別にこのままでも…」
 尻込(しりご)みしている洋子を、亜希は強引(ごういん)に引っ張って屋上へ向かった。屋上では山田くんがぼんやりと空を眺(なが)めていた。亜希は洋子の背中(せなか)を押(お)して山田くんの前へ行くと、
「山田くん、洋子が話があるんだって。聞いてあげてよ」
 洋子は山田くんに見つめられて、ますます顔を赤くしてうつむいてしまった。
<つぶやき>ちゃんと告白できるのかな。でも、どうして山田くんは屋上にいたのでしょ?
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

T:0500「しずく15~食卓」
 食卓(しょくたく)についた神崎(かんざき)つくねは、山盛(やまも)りの料理(りょうり)が並んでいるので驚(おどろ)いて目を丸(まる)くした。
 月島(つきしま)しずくは呆(あき)れて母親に囁(ささや)いた。「何なの、これ。こんなに作っちゃって…」
 母親はそんなこと気にもかけずに、「だって、あなたが友だちを連れて来るなんて考えてもみなかったんだもん。もっと早く連絡(れんらく)してくれれば、美味(おい)しいもの作ってあげたのに」
 父親がさり気なく口を挟(はさ)んだ。「まあまあ、いいじゃないか。で、神崎さんは、その…。そういう格好(かっこう)が、今の流行(はやり)なんですかね。おじさんには、どうも理解(りかい)できないが…」
 最初の出会いが寝巻(ねまき)姿である。疑問(ぎもん)を持つのは至極当然(しごくとうぜん)とは言える。つくねは、「ええ、まあ…」と曖昧(あいまい)に返事(へんじ)を返した。まさか、変な人に狙(ねら)われているとは、とても言えない。
 いつもならすぐに自分の部屋へ行ってしまう弟(おとうと)が、今日はやけに静(しず)かに座っている。彼の目は、つくねにくぎ付けになっているようだ。しずくは弟の頭をひっぱたくと、強い口調(くちょう)で言った。「変な目で見ないの。食べ終わったらさっさと行きなさいよ」
 それを見たつくねは、「ダメよ。そんなことしたら、可哀想(かわいそう)だわ」と、可愛(かわい)いキャラを全開(ぜんかい)にする。子供たちのやり取りを、微笑(ほほえ)ましく見ていた母親がつくねに声をかけた。
「今日はもう遅(おそ)いから、泊(と)まってらっしゃい。ねえ、いいでしょ?」
「でも、ご迷惑(めいわく)じゃ…」つくねは伏(ふ)し目がちに答えた。
「いいのよ。そんなこと気にしなくても」母親は優(やさ)しく微笑(ほほえ)んだ。
<つぶやき>月島家はとってもアットホームなんです。つくねはちょっと戸惑(とまど)ってます。
Copyright(C)2008- Yumenoya All Rights Reserved.文章等の引用と転載は厳禁です。

ブログ版物語End