003「記念写真」

 とある山の頂上付近に、一本の樫の大木が立っていた。そこからは遠くまで見渡せて、なかなかの眺めである。ここは有名な観光地でもなく、ハイキングコースにもなっていなかった。
 初夏の晴れた日。樫木の前で三脚を立てている初老の男がいた。毎年、同じ日に夫婦そろってこの場所に来て、記念写真を撮っていたのだ。もう三十年以上も続けている行事で、幸いなことに<悪天候で延期>になったことはなかった。この夫婦には二人の娘がいた。娘たちが小学生の頃までは、いつも一緒に写真を撮っていた。でも、娘たちが成長するにつれ、あまりついて来なくなった。娘たちは思っていたのかもしれない。この日は両親にとって特別な日だから、二人だけにしてあげようと。そんな娘たちもいまは嫁いで、ここ数年は夫婦二人だけに戻ってしまった。
 でも、今年はいつもと違っていた。半年前に妻が亡くなってしまったのだ。一人になってしまった男は、気が抜けてしまったように見えた。父親のことを心配した娘たちは、なにかにつけて実家に顔を出すようになった。可愛い孫たちを引き連れて。その甲斐あってか、男は元気を取り戻した。遊び回っている孫たちの笑顔を見ていると、生きる力がどこからか不思議とわいてくるのだ。
 男はもう記念写真を撮るのは止めようと思っていた。でもその日になってみると、早く目が覚めてしまってどうにも落ち着かない。妻の位牌に手を合わせて、「今日はどうしようか?」と訊いてみた。そんなこんなで、やっぱり今年も来てしまったのだ。
 男はカメラを覗いて、いつもの場所にピントを合わせた。本当ならそこには妻が立っていて、あれこれと注文をつけているはずなのに…。そう考えると、男はなんとも言えない淋しさを感じた。カバンから妻の写真を取り出すと、「さあ、撮るよ。今年も良い天気になってよかったね」とつぶやいて、カメラをタイマーに切り替えた。
 ふと、誰かに呼ばれたような気がして男は振り返った。見ると、娘たちがまだ小さな子供たちを連れてこちらへ登って来ていた。孫たちはおじいちゃんを見つけると手を振った。
「お前たち、どうしてここに?」やっとたどり着いた娘たちに男は声をかけた。
「やっぱり来てた」長女はそう言うと、「どう、私の言ったとおりでしょう」妹に向かって自慢気につぶやいた。
「はいはい。さすがお姉ちゃん。まいりました」妹は芝居がかった口調で答えると、姉妹二人で子供に戻ったように笑いあった。
 孫たちはあっけにとられている男に駆け寄ってきて、来る途中で摘んできた花を手渡した。男は孫たちのことを心配して、「大変だったろう。疲れやしなかったか?」
「大丈夫よ。私の娘だもの」次女はそう言うと、「私も小さい頃、ここに来てたじゃない」
「ねえ、いっしょに写真撮ろうよ。いいでしょう、お父さん」長女はそう言うと、子供たちをいつもの場所に連れて行き、並ばせ始めた。
「ちょっと、お姉ちゃん。そっちは私の場所でしょ。間違えないでよね」
 男はまるで昔に戻ったようで、しばらく二人のやりとりを見つめていたが、
「よし。じゃあ撮るぞ。今年は、良い写真が撮れそうだ」
<つぶやき>家族って、いるのが当たり前で…。だから、たまには抱きしめてあげよう。
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2021年05月24日